銀河要塞伝説 ~クレニック長官、デス・スターを建造す~ 作:ゴールデンバウム朝帝国軍先進兵器研究部
帝国暦488年7月――。
フレイヤ星域を哨戒中だった巡航艦ビヨルンのオペレーターが、本日3杯めのコーヒーを胃に流し込みながらレーダー画面を眺めていた。今のところ、レンテンベルク要塞から敵が出撃してくる気配はない。
「フレイヤ戦線異状なし、っと……今日も暇だな」
アルテナ星域会戦の結果、門閥貴族軍では勝利したがゆえに、そして討伐軍では敗北したがゆえに、戦線そっちのけで主導権を奪い合いを目的とした政治闘争が連日のように繰り広げられている。
こうしたイカサマ戦争と呼ばれた戦闘休止状態が長引くにつれ、前線に勤務する将兵たちにも戦意の低下が見られるようになっていた。
一応、ラインハルトら討伐軍はリップシュタット貴族連合軍の管理下にあるフレイア星系レンテンベルク要塞の戦略的重要性を危険視し、この要塞を全面攻撃するべく準備を重ねてる最中だ。
しかし現実にはラインハルトたちを警戒するリヒテンラーデ公の妨害によって前線に必要な物資が届かなかったり、またキルヒアイス上級大将が制圧した辺境星域の占領統治に人手や物資をとられている状態で、かれこれ半年以上も戦線は膠着している。
「眠い……夕食までまだ2時間もあるのか……」
オペレーターが体内にカフェインを追加補給すべく次のコーヒーに手を伸ばそうとしたその時、異常事態を告げる警報アラームが鳴り響いた。
「レーダーに反応あり! 前方から何かが接近中! 識別シグナルは………」
オペレーターの眉根に皺が寄り、声のトーンが下がっていく。困惑そのものの表情で、再び口を開くまでに数秒の間が開く。
「識別シグナルは――――不明です! これまでに見たことの無い敵の新型艦のようです!」
「なんだとぉッ!? 大きさはどのぐらいだ!」
艦長の怒声が飛ぶも、オペレーターは唖然とした表情のままで答えようとしない。業を煮やした艦長がレーダー画面の前に立つと、今度は彼が青ざめる番だった。
「嘘だろ、こりゃ敵の新型艦どころの話じゃないぞ………」
宇宙戦艦、いや天体サイズはある。
そんなものが接近しているというのか。とてもではないが、巡洋艦程度でどうにかなる相手ではない。
艦長は慌ててマイクを取り出すと、全乗組員に命令を下した。
「総員に告げる! 今すぐこの星域から離脱しろ!!」
命令を受けて、巡洋艦ビヨルンは飛び跳ねるように後退を開始した。エンジン出力が出せる限界のスピードで、アルテナ星域から遠ざかる。
その間にも巨大な物体はゆるやかに接近しつつあった。その距離は徐々に縮まっていき、やがて映像で確認できるようになると、彼らの口から声のない悲鳴が上がった――。
***
それから30分後―――。
フレイヤ星域を統括する、ロイエンタール艦隊の旗艦トリスタンは慌ただしい空気に包まれていた。
オペレーターたちが両手と視線と声帯を休む間もなく動かしつづけ、ロイエンタールら指揮官たちがそれを見守っている。
「急報でございます。哨戒艇からの連絡によりますと、敵は大規模な艦隊を率いてフレイヤ星域から出撃いたしました」
「ついに来たか」
少し意外だな、とロイエンタールは片眉を吊り上げた。てっきりこのまま穴熊を決め込むものかと思っていたが、どうやら気が変わったらしい。
「それで、敵の数は?」
「恐らくは敵の全兵力と思われます。艦隊総数およそ15万……その全てが一斉に移動しております」
予想外の返答に、金銀妖瞳の端麗な顔がみるみる内に崩れていく。部下たちが物珍しげに上司の貴重な変顔を眺めている間、ロイエンタールの脳内を駆け巡ったのは以下のような疑問であった。
いったい全体、門閥貴族たちはどういう意図を持ってそんな暴挙に出たのだろうか。
ガイエスブルク要塞という難攻不落の拠点がありながら、それを空っぽにしたとでもいうのか。
いくら指揮系統に問題があるからといって、まさか全兵力で出撃するとは。やつらは正気なのか。
(正気の沙汰とは思えん………いや、だがしかし万が一ということもある……)
もし連中が正気だとしたら。
「か、閣下……っ!」
チーフ・オペレーターが緊張した表情で呻く。
「敵艦隊の中心に、巨大な……巨大な質量を感知しました! まもなく映像出ます!」
「これは一体……!?」
ロイエンタールは危機的状況下においても冷静な男だが、その映像を見た時は流石に平常心ではいられなかった。庶民向けの娯楽映画のように頭の悪い光景が、現実のものとなって目の前のスクリーンに広がっていたからだ。
「が、ガイエスブルク要塞が………動いているだとぉッッ!!?」
動いていたのである。
「禿鷹の城」を意味する直径45kmの人工天体、イゼルローンに次ぐ帝国第二の強力な宇宙要塞―――現状、銀河帝国が所有する最大最強の建造物が、その巨体を15万隻の大艦隊に守られながらゆっくりと移動していた。
これこそがクレニック大将の奇策、貴族連合軍の最終決戦兵器・ガイエスブルク要塞に12個のワープ・エンジンを取り付けて帝都オーディンまで移動させるという、空前絶後の計画であった。
(俺は……悪い夢でも見ているのか?)
ロイエンタールが感じていた感情の中で最も大きいものは驚愕であったが、どちらかといえば「あまりに馬鹿らし過ぎて、まさか本気でやるとは」という類のものであった。
まともな軍人ならおよそ思いつく発想ではないだろう。あるいは少し変わり者の軍人が一度ぐらいは夢想するが、具体的な話になると結局は無理だと笑い飛ばすようなシロモノである。
ところがオーソン・クレニック大将はその意味で誇大妄想ぎみの戦略家であると同時に、相応の才覚を持つ軍事技術者であったらしい。
移動要塞プランを現実のものにするにあたって必要とされた、ワープ・エンジン12個の完全同時作動を難なくこなしてしまうあたりはその面目躍如と言えよう。
付け加えるならば下準備をしていたとはいえ、これほど大掛かりな工事を3か月たらずの突貫工事で完成させてしまった事もまた、組織の管理者としての非凡な能力をもあらわしている。
「これはひょっとすると……かなり不味い状況かもしれんぞ」
ロイエンタールの眼前にあるスクリーン上では、ガイエスブルク要塞の周囲を埋め尽くすように15万隻の大艦隊が集結している。
それは漆黒の銀河に浮かぶ星々の群れの様でもあり、どこか危険な美しさがあった。
「ただちに全艦隊を退却させろ!それから急いでブリュンヒルトにこの映像を送れ」
「はっ!」
最悪の結果を考慮して、ロイエンタールは迅速に行動した。15万隻の大艦隊が一丸となって動き出したというだけでも手に負えないのに、宇宙要塞という特大級の“おまけ”までもが付いてきたともなれば、もはや彼一人の裁量でどうにか出来る事態ではない。
すぐさまトリスタンからブリュンヒルトへと超光速通信が飛ぶ。
「賊軍は全軍をもって出撃せり。進軍中の敵兵力は艦隊15万隻およびガイエスブルク要塞。現在、我が軍は兵力を温存すべく退却中………至急、指示を請う」
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この時、ロイエンタールがとっさに取った退却行動については、当時および後の歴史家のほとんどが高い評価、つまりは“花丸”が付いている。
一戦も交えず退却するとなれば臆病者の誹りを免れない事は古今東西の共通であるが、逆にこの行動によってロイエンタールは自らの誇りや名声よりも、主君の勝利を優先できる将であることを証明したと言えよう。
このとき、ラインハルトの指揮下には10個の正規宇宙艦隊が存在していた。
もともと銀河帝国には18個艦隊が常備戦力として保持されていたが、リップシュタット戦役の勃発に伴って8個艦隊が正規軍を離脱して、門閥貴族たちに合流している。
そしてリップシュタット貴族連合軍には、これに門閥貴族の保有する私兵艦隊がおよそ7個艦隊分が加わっており、合計で15個艦隊相当の戦力を有している事になる。
つまり単純な数だけを見れば、このときラインハルトは門閥貴族の2/3ほどの艦隊しか持ち合わせていなかった。
しかも実際には一定数を対同盟用にイゼルローンに配備したり、キルヒアイスの制圧した辺境星域に配備しなければならず、本来であれば全てをリップシュタット貴族連合軍にぶつける事は不可能に近い。
しかし帝国を2分した内戦を戦うに先立って、ラインハルトは門閥貴族と自由惑星同盟の両方を敵に回すに正面作戦の愚を犯さぬよう、入念に準備していた。
かつてエル・ファシルにおいて名声を地に落とした同盟軍のアーサー・リンチ少将を利用し、同盟内部で内乱を誘発させるという大胆な謀略を計画する。
キルヒアイスを使者としてイゼルローン要塞へ送り、同盟との捕虜交換式によってリンチを送り返し、彼を反トリューニヒト派の軍人と接触させて武装蜂起を促したのである。
そのためリップシュタット戦役の開始とほぼ同時に、自由惑星同盟ではアンドリュー・フォーク予備役准将によるクブルスリー大将の暗殺未遂事件を皮切りとして、ネプティス、カッファー、パルメレンド、シャンプールの4惑星で次々と軍による反乱が勃発する。
無謀な帝国領逆侵攻作戦の失敗などで常設12艦隊のうち10艦隊を失った同盟で、貴重な正規編成の艦隊である第11艦隊と第13艦隊が敵味方に分かれて潰し合うように仕向けた事は、数万の艦隊に匹敵する偉業であった。
ラインハルトはイゼルローン周辺の部隊をリップシュタット戦役のために動員することが可能となり、またキルヒアイスの戦況星域制圧も門閥貴族がほぼ全ての艦隊をガイエスブルク要塞に集結させていたため、圧倒的な宇宙での優位を以て重要な惑星のみを占領して可能な限り地上制圧戦を避ける「プラネット・ホッピング」と呼ばれる戦術によって短期間のうちに目標を達成している。
早い話が、ラインハルトの謀略とキルヒアイスの戦術によって、討伐軍は残された戦力を全てリップシュタット戦役へ向ける事が出来たのである。
しかし裏を返せば門閥貴族軍もまた、15万隻にも及ぶ大艦隊をほぼ無傷のままガイエスブルク要塞周辺に温存していたという事に他ならない。
ラインハルト元帥府でもナイトハルト・ミュラー中将などがその危険性を指摘する一方で、エルネスト・メックリンガー中将ら大部分の将兵の意見は次のようなものであった。
「巣に入りきらぬほどのアナグマが穴熊を決め込んで、いたずらに遊兵を増やしているだけではないか」
大軍はただ存在するだけで食料や燃料といった物資を食い潰す。門閥貴族軍のほぼ全軍が何もせずただ宇宙要塞に立て籠もる、というのは補給部門からすれば憤慨ものの愚行である。中にはあわよくば勝手に兵站が尽きて自滅するのではないか、などという楽観的な予想を立てる者さえいた。
だが、こうした予測が説得力を持ちえたのは全員に一つの共通認識があるからなのであった。あまりに当たり前すぎて、わざわざ口に出そうなど思わぬほど当然の理。
――――要塞は動かない。
だが、そんな常識は過去のものとなった。オーソン・クレニックがデス・スター再建に懸ける偏執的とも思える病的な情熱により、改造を施されたガイエスブルク要塞は銀河を股にかけた一世一代の大航海を始めたのである。
星々の海を抜け、生まれ変わった宇宙要塞が向かうは銀河帝国首都惑星オーディン。15万隻の大艦隊を引き連れ、ガイエスブルク要塞はクレニックの果てしない野望と共に銀河を突き進んでゆく……。
動いちゃうガイエスブルク要塞
やってることはシャフト技術大将とほぼ、というか全く一緒。第8次イゼルローンの時のヤンと違って、ラインハルトにはイゼルローンもトゥールハンマーもないのが辛いところ。
ヤンより有利な点としては配下の宇宙艦隊と指揮官が健在なとこですが、門閥貴族軍も数の上では大艦隊持ってるのでやっぱり辛い。