僕が日常から脱獄するまで   作:DEKKAマン

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曇り後

 ああ、駄目だ。これでは駄目だ、まだまだこんなものでは駄目だ。

 より良く、もっと完璧に、さらに高くしなければ。そうでなければあの別れは何の意味も成さなくなってしまう。

 

「宇田川さん、やる気がないなら帰ってください」

「ご、ごめんなさい」

 

 口ではそう言うものの彼女はやはり集中しきれていない。もう一度注意しようとしたところに今井さんの声が入ってくる。

 

「どーしたのあこ、いつもみたいな元気がないじゃん」

「あ、あのね、あこ、見ちゃったの……」

「あこちゃん……!」

「ごめんりんりん、それでも気になるんだもん」

「……何を見たって言うんですか?」

 

 どうだっていい。宇田川さんの事だ、どうせUFOを見たとかそんなことだろう。

 興味はないが宇田川さんが集中しきれない、そしてそれはなぜか湊さんも白金さんも同じ。もしかしたらその原因と同じかもしれないと思ったから一応聞く事にした。

 

「友希那さんがスーツの女の人と話してて……」

「湊さんにもプライベートはあるでしょう」

「だ、だけど、コンテストに出られないなんて絶対嫌だもん!」

「……どういうこと?」

「今日りんりんと待ち合わせしてて、そしたら……」

 

 宇田川さんの口から語られるそれは私にとっては裏切りに等しい行為だった。

 それは私にとって……どうしても許せない事だった。

 

「……湊さん、認識に相違はないんですか?」

「…………」

「誰でもよかった。別に私達じゃなくても、自分だけステージに立てればいい、そういうことですか?」

「……私……は」

「……否定しないんですね」

「ちょ、ちょっと待って紗夜、まだ何も言ってないじゃん。

 友希那の言い分も、ね?」

「答えないことが最大の答えだわ!」

 

 思わず声を荒げてしまう。ふざけるな、怒りが心を覆い尽くす。

 私の決意はどうすればいいんだ。私の証明はゴミみたいになっていいものなんかではない。

 私の捨てたものはもっと大切なもの。もう取り戻せないもの。それが、その事実が、どうしても私のイラつきを加速させる。

 

「そんな……あこ達の技術を認めてくれたってのも、Roseliaにすべてをかけるって言ったのも、全部嘘だったの!?」

「あ、あこちゃん、待って……」

 

 宇田川さんがスタジオを飛び出し白金さんがそれを追いかける。

 ああ、こんなところ居たくない。去れるのならば少しでも早く去ってしまいたい。そう思うが私も自分の思いを口にせずにはいられない。

 

「私は貴女の信念を尊敬していた……だからこそ、失望したわ」

「待ってよ。そしたらアタシ達、これからどうするの?」

「知らないわ、そんなこと」

「そんなことって言い方……」

 

 言い方なんてどうでもいい。そんなことでしかない、私からしたらどうだっていいことなのだから。

 苦しんだ、後悔だってした、なんなら今でもずっとしている。それこそ恥ずかしげもなく泣いてしまう程度には。それなのにその結果が、こんななんて……

 

「私は大切なものを捨てたの、Roseliaの為に! それなのにこんなの……」

「……大切なって、悠の事?」

「……だったらなんですか、申し訳ないけど私は失礼させて貰うわ」

「紗夜、待っ……」

 

 後ろで私を呼ぶ今井さんの声を無視してスタジオから出る。

 どうだっていい、もう何だっていい。なぜ知っているのかなんて気にもしない。どうせもう彼女達とは会わないのだから。

 彼と別れてからずっと空っぽのままだった心の穴は更に大きく空いてしまった気がする。

 

 雨でも降ってしまえばいいのに。弱くても強くてもどちらでもいい、ただ願わくは強い雨が降ってほしい。

 

 もし降れば……泣いても隠せそうだから。

 

 それでも長い間空を覆い続けている黒い雲は、少しも変わってくれなかった。

 

 

「あ、おねーちゃんお帰り」

 

 いつもと変わらないようなその声が忌々しい。日菜は私と違って加々美さんと会っている。

 この前だって楽しそうにメッセージを送っているのが見えてしまった。その相手が加々美さんと決まってはいないが、なんとなくそれはわかった。私は返事もせずに自分の部屋に向かいギターを手にとる。

 

 先ほどまでと何も変わっていないにも関わらず、何かが違っている気がする。

 軽く弾いてみるとそれが顕著に表れる……ということはなかった。ではこの喪失感は一体なんなのだろうか。

 

「あれ、やめちゃうの?」

「……勝手に入ってこないでって言ったでしょ」

「入ってないよ。ほら、ドアが開いてたから」

「そんなの屁理屈よ」

 

 私にはギターしかない。あんなことをしたのだから、してしまったのだからギターしかないんだ。

 例えRoseliaが無くなってしまったとしてもそれは変わらない、変えられない。

 

「ねぇ、おねーちゃんの音、また何か変わった?」

「……何かって何よ、あなたの言葉はわかりづらいの」

「今まではピシッ! って感じだったけど最近まではおねーちゃんって気がしてた……だけど今はちょっと苦しそう」

 

 苦しそう。なんだそれは、相変わらず言っている事がわからない。

 だけど、苦しいというのは確かかもしれない。日菜にもいずれ抜かされると思っていて、Roseliaもなくてこの音を聴かせたい相手がいないのなら……

 もう、ギターなんてやめてしまってもいいかもしれない。

 

「……おねーちゃん、ギターはやめないよね?」

「……何よ、急に」

「だっておねーちゃんの顔、凄く辛そうだよ」

 

 誰のせいだと思っているんだ、思わず怒りが沸いてきたがそれはすぐに収まった。

 誰のせいなのだろう。日菜がやるからやめてしまうのは本当に日菜のせいなのだろうか。この音を聴かせたい相手がもういないのは、私のせいじゃないのか。

 頭の中がぐるぐると回る気がした。まるで洗濯機に叩き込まれたように。

 

 何もかも全部、全部私のせいではないのだろうか? 

 

「……やめるわけないでしょ。私はもっと高みを目指さなきゃならないんだから」

「……ねぇおねーちゃん、本当にそれでいいの?」

「何が? それとも私にギターをやめてほしいわけ?」

 

 そう言うと日菜は焦ったように首を横に降り、そうじゃなくてと言い直してくる。

 

「なんでそんなに辛そうなのに頑張ってるの?」

「あなたにはわからないでしょ!」

「うん、わからないよ。あたしには努力がなんなのかわからないもん」

 

 ああ、本当にイライラさせる。私を煽りたいのだろうか、馬鹿にしたいのだろうか、凡才と見下して優越感を覚えたいのだろうか。思わず口を出そうとしたが日菜はそれを許さない。

 

「あたしには頑張るってことがどういうのかわからない、けど今のおねーちゃんは努力してるっていうよりも……自分を傷つけてるようにしか見えないの」

「……自分を傷つけてる?」

「そんなことしてなんになるの? 辛いだけじゃん、痛いだけじゃん。どうしてそんなことをするの?」

「……それでも私にはこれしかないの、これの為に私は!」

「ギターの為に悠君と仲違いしたの?」

 

 答えられて、言い当てられて体が凍ってしまったかのように感じた。思わず息が止まり背筋が冷えてしまう。

 気づかれたからといって何もない、何もすることができない。むしろ日菜からすれば加々美さんの事を好きなのだから好都合だろうに。

 

「だったら何、もうどうしようもないんだから……」

「なんで? 仲直りすればいいじゃん」

「そんなの出来るわけ……」

 

 出来るわけない、そう言おうとしたが自分でも言い留まる。

 どうして? 仲直り出来ない理由なんて一つもない。したくないなんてことは当然ない。

 だけど彼は私を許してくれるだろうか、自分の事を捨てた私を。いや、彼ならきっと……

 

「あたしが手伝うよ、悠君とおねーちゃんの仲直り」

「……私にはそんな資格は」

「あるよ、だって悠君もしたいって言ってたもん」

 

 その言葉は私を驚かせるものだった。彼は酷いくらいに優しいから多分何事もなかったかのように許してくれる。

 それはなんとなく思っていたからそこまで大きな驚きはない。私を驚かせたのは日菜が手伝いをしたいと言ったこと。

 

「……あなたも加々美さんの事が好きなんでしょ? なのにどうして……」

()って事は、やっぱりおねーちゃんもなんだ……」

 

 小声で、殆ど聞こえないような声でそう呟かれる。そして少しの空白の後、私の問いかけに日菜は答えた。

 

「私も悠君の事は好きだよ。でもおねーちゃんの事もそれと同じくらい好きなんだよ。だからこんな風に苦しんでほしくないの」

「日菜……」

「ほんとはもう少しだけ悠君を独り占めしようと思ったんだけどね」

 

 えへへ、と笑って言う姿はいつもの日菜と少しだけ違って見えた。そんな日菜の優しさに、無意識のうちに言葉が漏れた。

 

「……ありがとう、日菜」

「どういたしましてだよ、おねーちゃん」

 

 今までの私だったら考えられなかった事だろう、変われたのは何故だろうか。

 変われたのは誰のおかげだろうか……やっぱり、彼のお陰なのだろうか。

 

「それじゃあ明日、悠君のとこに突撃しよ?」

「急すぎるわよ、きっと加々美さんも困惑しちゃうでしょ」

「悠君なら多分大丈夫でしょ、行けるって」

 

 いつも暇そうにしてるしと言った後、悠君に連絡しとくねと言って日菜はドアを閉めて去っていった。そしてその直後、スマホが鳴った。

 

「宇田川さんからの動画メール?」

 

 開いてみるとそこにはとても楽しそうに、笑顔でギターを弾いている私が映っていた。

 これはいつの練習だっただろうか、記憶にはない。私はいつ、こんな風に笑っていたのだろう。いや、いつから(・・)こんな風に笑っていたのだろうか。

 そう思うと消えたかと思っていたRoseliaに対しての思いも燃え上がるかのように蘇ってきた。

 

「私は……どっちを……」

 

 加々美さんかRoseliaか、どちらを取るべきなのだろう。その答えは簡単には出てこない。

 今思えばそれはどちらも大切なものだから簡単に出していいものではない。

 選べない、天秤は傾かない。ああ、それなら、両方取ってしまうのはどうだろうか。

 

「……欲張りね」

 

 思わず自分で自分を笑ってしまう。二兎を追うもの一兎を得ず。だとしても、それでも少しくらい高望みしてもきっと許してくれるだろう。

 

「明日は晴れるかしら」

 

 外を見れば永遠に続いてしまうかのような気がする曇りの空。

 もう一度ギターを弾く。さっきとなにも変わらない、だけど喪失感は何かに満たされ消えて。

 

 これからもずっと続いていそうな雲だけれど、不思議と明日は晴れる気がした。




パンをモカ神様に捧げて暗い雰囲気を終わらせます
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