足が重い、手が軽く震える。
やるんだ、今まで出来なかったことを今日やらなきゃいけないんだ。
深呼吸をして自分を落ち着かせようとする。少しだけ楽になった気はするけどやっぱり手の震えは止まってない。
その生まれたての小鹿みたいに震える手を無理やり動かして目の前のドアをノックする。
確か家族とかには三回だっけ。昔おねーちゃんに教えてもらった記憶がうっすらと蘇ってくる。
「ねぇ、おねーちゃん」
「何?」
「開けていい?」
「……いいわよ、入って」
少し前までならあり得なかった返事、それはやっぱり嬉しくて暖かい。
ゆっくりとドアを開けるといつも通りおねーちゃんの部屋があって、いつもとちょっと違うおねーちゃんがいた。
「どうしたの? 何か落ち着きがないように見えるけど……」
「……あなたは逆に落ち着きすぎよ、何かあったの?」
「そうかな~、まぁいいや」
そう言ってベッドに座ってるおねーちゃんの隣に座る。
何を話そうか。いや、まず最初に仲直りしたいと言うべきなのだろう。
そうわかっていても喉元でせき止められるかのように言葉がでない。
「……何よ」
「あはは、緊張しちゃって言葉が出ないや……」
「そう、なら先に私の言いたい事を聞いて貰っていいかしら?」
「おねーちゃんの? うん、いいよ」
その会話きり沈黙が続く。先に言っていいとはなんなのだろう。いや、あたしだって言えてないんだから似たようなものか。
もしかするとおねーちゃんの言いたいことってあたしと同じだったりするのかな。それだと……いいな。
「……ごめんなさい、日菜」
「……それを言いたいのはあたしの方だよ」
「あなたは何も悪くない、全部私のせいよ」
「違うよ、そうさせたのはあたしなんだからあたしのせい!」
「私のせいよ!」
「あたし!」
「私!」
そんな言葉のドッチボールは続く。お互いに受けて、投げて、かわさずにぶつけ合う。
あたしもおねーちゃんも自分のせいだと張り合い続ける。譲れない、これは絶対に。
「おねーちゃんは、あたしがおねーちゃんのやったことばっかりするのが嫌だったんでしょ!?」
「っ……どうしてそれを」
「やっぱりそうだったんだ……」
「……ええ、そうよ、私はあなたがすぐ私の真似をして私を追い抜かして行くのが嫌で嫌で仕方がなかった」
何で気づけなかったんだろう、それは今のあたしにはわからない。
じゃあなんで今は気づけたんだろう。多分それはパスパレのみんなと、彼のお陰。
「でもギターは辞めてないよね」
「ええ、私にはこれしかないから」
「……それはどうして?」
「どうしてもこうしても、理由なんてないわよ」
「ほんとに? 悠君がいるからじゃないの?」
「……そんなわけないわよ」
本当はどうなんだろう。顔を少しだけ背けながら答えるおねーちゃんからは読み取れない。
「もし……もしだけどさ、あたしがギターを始めた理由がおねーちゃんじゃないって言ったら……仲直りしてくれる?」
ねぇ、お願いだからうんって言ってよ、頷いてよ。これは、これだけはおねーちゃんじゃないんだよ。本当なんだよ。だからまた前みたく仲良くなろうよ。
聞いたけど答えは返ってこない。時計の針が時間を正確に刻む音が嫌に大きく聞こえる。
「……別に理由はどうでもいいわよ」
その言葉は小さくて聞こえたのが奇跡なんじゃないかとすら思えた。
だけど、それでも聞こえた。奇跡的に聞こえた。それは紛れもない目の前にいるおねーちゃんから。
「ほんと!?」
「……ええ、本当よ」
「やったぁー!」
思わず大きな声を出しちゃって、抱きついちゃっておねーちゃんに怒られる。
でも嬉しかったんだからしょうがない、溢れちゃったから仕方ない。溢れてこぼれて涙が頬を伝う。
「ほら、ハンカチよ」
「うう、ありがとう……でもどうして?」
「……私も、逃げてばっかりじゃ駄目だと思ったから」
その言葉は強そうで、そのくせ脆そう。でも折れるような気は微塵もしなかった。
「……じゃあさ、来週の日曜日、映画行かない?」
「……午前はRoseliaの練習があるから午後でね」
「うん!」
笑顔が隠せない。隠す気はないけど飛び出ていく。久しぶりのおねーちゃんとのお出掛けできるのが嬉しくて、嬉しくて、止まらない。
「いつか悠君も一緒に三人で行きたいね」
「……そうね」
「あれ、嫌だった?」
「そうじゃなくて……そういえば気になってたんだけど、あなた悠さんに告白したらしいわね」
「うん、そうだよ。あれは3月の後半だからもうだいぶ前の事なんだなぁ」
「それでまだ答えてないって言っていたけど、あなたは理由を知ってるかしら?」
「あれ、もしかしておねーちゃん知らないの?」
「秘密ですって言われたから……」
悠君はやっぱり変な所で恥ずかしがり屋だ。ここであたしがおねーちゃんに教えてしまっていいのだろうか。
きっとおねーちゃんは悠君がおねーちゃんの事を好きな事を知らない。
それをあたしの口から言ってしまっていいのだろうか、悠君の口からじゃなくていいのだろうか。
いや、私はこの事実をおねーちゃんに伝えてしまっていいのだろうか。
「……まぁいいか、へたれな悠君の代わりに教えてあげよ」
「何か言った?」
「なんでもないよ」
特別だ、今回だけは特別に教えてあげよう。仲良くなったのだから教えてあげよう。
少しだけ気分がいいから、後は少しだけかわいそうだなって思ったから。あたしはゆっくりと口を開いた。
「あたしが言ったんだよ、まだ答えなくていいって」
「あなたが? どうしてすぐに答えを要求しなかったの?」
「悠君には選んで欲しかったんだ。だからその場の勢いとかで選んで欲しくないかなって」
「選んで欲しかった……?」
「そうだよ、あたしとおねーちゃんのどっちが好きか。それにその場の勢いでOK貰っても悠君の中にはおねーちゃんがいると思って、それが嫌だったから……」
「……その言い方だと悠さんが私のこと好きってことになるわよ」
「うん、だってそうだもん。もしかして気付いてなかった?」
おねーちゃんは驚いたかのような顔をする。っていうことは知らなかったんだ、本当に。
「悠さんが……私の事を」
「どこが好きっていうのは……自分で聞いてね」
「そ、そんなの聞けるわけないでしょ!」
顔を赤くして顔を背けながらそんなことを言われる。こんな様子じゃおねーちゃんからは告白出来ないんだろうなぁ、そう思ったけど手伝おうとは思わない、思えない。
こんなおねーちゃん知らない。こんなおねーちゃんの横顔は見たことがない。
それもこれも悠君が変えてくれたんだろう。だけどあたしの好きなおねーちゃんの知らない顔を引き出せる悠君が羨ましくて妬ましい。
……だけど、おねーちゃんもあたしの知らない悠君を知っているのだろう。
でもあたしだっておねーちゃんの知らない悠君を知っている筈だ。それが少しだけ、いや、とてもモヤモヤする。
「ねぇ、おねーちゃん」
「何、日菜」
「これからもあたし達三人が、ずっと仲良く一緒にいられればいいね」
「それは……できるかしら?」
それはきっと無理、均衡はいつか崩れる。天秤は傾く。
あたしかおねーちゃんが我慢できなくなるか、悠君がどっちかを選んだらきっと仲良く一緒にはなれないだろう。ずっとなんて夢物語。
「できるよ、きっと!」
「……ええ、そうね」
でもこんな日だから、おねーちゃんと仲直りできた日だからこそこんな理想を掲げ溺れるのも悪くはないだろう。きたるべき日までだとしても。
「来週の日曜日、忘れないでね」
「忘れるわけないでしょ……」
でも今はせっかく仲良くなったおねーちゃんとの関係を、決まった約束を楽しみに、大切にしていこう。
たとえ終わりがいつか来るのだと、わかっていたとしても。