朝起きるとほぼ同時に親に掃除の邪魔だから少しくらい早く出てけと言われ外に叩き出された。まだ予定している時間まで一時間以上あるというのに。
しかしそんな事をされたからといって僕は予定より一時間以上早く勉強をし始める程真面目じゃない。なので時間潰しもかねて『羽沢珈琲店』にお邪魔させてもらう。
「ご注文は何になさいますか?」
「珈琲でお願いします」
15分くらい前につけばいいしここからなら図書館もそう遠くない。
スマホを弄りながら珈琲を飲んで適当に時間を潰していればわりとすぐだろう。
「いらっしゃいませー」
カラン、とドアベルが鳴る音がした。スマホでゲームをしていたのでその人の方を見ていなかったのだが入店してきた人はなぜか僕の前に座ってきた。
「少しお話がしたいのだけれど」
「……他の席空いてるのになんでここに座るんですか?」
「大きな声で話されても困るでしょう?」
その人、白鷺さんはそんな事を言ってくる。まぁ確かに大きな声で話すと店の人に迷惑がかかるだろうし話すのであれば近い方がいい。聞かれて困る内容なら尚更のこと。
しかし開店したばかりだからか周りに人がいないからいいものの、もし他の客が入ってきたら他の席に移って貰いたい。それこそネットに顔とかあげられたくないし。
「それで、話ってなんですか?」
「日菜ちゃんと紗夜ちゃんの事なんだけど……」
紅茶か何かを飲みながら目を瞑りそう切り出す。そしてカップを置くとその閉じていた瞳をゆっくりと開いて聞いてくる。
──あなたはどっちの方が好きなの。
店員に聞こえないくらいの声量で言われたその言葉はとても冷たくて、喉元にナイフを突きつけられた感覚を覚えさせる。
「……なんで知ってるんですか?」
「日菜ちゃんに聞いたのよ、あなたが二人とも好きだって」
「……たいしたことじゃないって言ってたじゃないですか」
「その場の空気ってものがあるでしょう?」
リサさんにもバレていたし白鷺さんにもバレている。僕にプライバシーというものはないのだろうか。
「日菜との関係を解消しろってことですか?」
Pastel*Palettesとしてアイドルとして、やはり恋愛というものはご法度なのだろうか。
しかし首を横に振った白鷺さんから発せられた言葉は僕の考えとは真逆のものだった。
「あなた、どうして日菜ちゃんと付き合わないの?」
「……アイドルとしてどうなんですか、それ」
「バレなければいいのよ、マスコミにさえ注意してればいいんだから」
「だからって……」
「日菜ちゃんはあなたの事が大好きなのよ、それはあなたもわかっているでしょ? あれだけ言われてそれでもなの?」
わかってる、わからないはずがない。僕は鈍感系ではないく敏感、むしろ勘違い系といってもいいくらいだと自分で思ってる。
それにもし鈍感だとしても気づかない筈がない。あれだけ好きだと言われたら嫌でもわかる、嫌と思うかどうかは別だが。
「……あなた、紗夜ちゃんのどこが好きなの?」
紗夜ちゃんに魅力がないなんて意味じゃないと付け足される。
どこが、それは前と変わっていない。いや、むしろ増えているかもしれない。
会う度に、日が進む度に、少しずつ積もり重なるかのように増えていっている気がする。
「いろいろありますけどやっぱり、真面目で努力家で……そんなところに憧れてるから」
「……なるほどね」
珈琲が目の前に置かれる。白鷺さんの紅茶の方が先に渡されていたのは種類の違いからだろうか。
しかし店員には聞かれてないだろうか。他に客はいないのだからいくら小さな声だったとしても聞こえてしまっただろうか。
「あなたのその恋って本物かしら?」
「……どういうことですか?」
「憧れてるっていうのは自分には手が届かないって気づいていることでしょ?」
憧れは理解から最も遠い、白鷺さんが言いたいのは漫画で見た台詞に近い意味だろう。
自分では届かない、そうわかっているからこそ憧れるものだと。
「届かないものにする恋って本物じゃないと思うのだけれど?」
「……届かないから諦めきれないんです」
「一生届かないかもしれないのよ?」
「だからこそです」
この手では掴めないかもしれない、一生かけても無理かもしれない。だからこそ、届かないからこそ憧れる。憧れるからこそ、好きになる。
「……これは日菜ちゃんも大変そうね」
舌の上に珈琲の苦味が広がっていく。どうしようもなく痛い、辛い、苦しい。
それは比喩的で実際に五感で感じているものではない。だけどそれは確実に感じている。
「あなたが日菜ちゃんの方が好きになるにはどうしたらいいのかしら?」
「さぁ、どうでしょうね」
「随分と適当なのね」
「元からこんな性格ですし」
「でも、あなたは日菜ちゃんの事が好きなんでしょ?」
「……二人とも同じくらい好きだから選べないんですよ」
僕は自分が好きになれない、日菜と紗夜さんのどちらが好きというのに答えが出せないから。
日菜のどっちかがもう一人よりも好きになるまで、という言葉に甘えている。
自分でわかっているのにどちらも嫌いになることはなく加速度的に好きになる。倍々的に好きになっている。
「でも、選ぼうとしてるのね」
「……はい」
「それはとても辛いかもしれないわよ」
知っているさ、知っているつもりさ。そんな事は最初から……いや、それは嘘かもしれない。最初からではない、僕が辛いんじゃない、苦しいのは僕だけじゃない。
僕がもし紗夜さんを選んだとしたら……僕は日菜の思いを無かったことにしてしまうことになる。
それに気づいていなかったわけではない。それが怖くて遠ざけていた、考えようとしたくなかった。
「……そろそろ時間なんで」
嘘、まだ時間に余裕はある。だけど逃げるために、考えないようにするために早くここから立ち去りたい。
珈琲を飲み干し金を払って店を出た。
約束の時間より20分くらい前に図書館に着いたが紗夜さんも日菜も姿は見えない。
紗夜さんはいるかと思ったが別にいい。今は少しだけ一人で考えたい。
「選ぶ……僕が?」
何様のつもりだ。お前程度が、お前なんかにそんな権利はあるのか。あるわけない、あるはずがない。
僕みたいな人間が誰かの思いを踏みにじってまで自分の意見を通していいわけがない。
好きなのだから仕方がない、憧れてるから仕方ない、恋しているのだから仕方ない。それは言い訳、とてつもなく都合のいい。
「二人とも……選ぶなんてのは」
駄目だろうか。欲張りだと言われるだろう、思われるだろう。
だけど僕自身の欲望と日菜の思いを潰したくないという思い、その二つが他を押して潰す。
いっそ平行線で一生この関係が続けばいいのに。こんな事を思うのは最低だろうか、答えは考えなくてもわかる。
もし選ぶ時が来るとするならば本当に決まった時か、日菜か紗夜さんのどちらかに明確な拒絶をされた時。
「……僕はそれでも求めたじゃんか」
この前紗夜さんに拒絶されたとき僕は戻りたいと思っていた、なら次だってそう思ってしまうだろう。
僕は依存しているのかもしれない、二人に深く、強く。
この恋と飾った感情は汚ならしくて、だけど捨てられない。黒くて重くて、大切なもの。
「悠さん?」
「……紗夜さん、日菜は一緒じゃないんですか?」
「日菜は後から来るって言ってました。それにしても大丈夫ですか?」
「何がですか?」
「顔色、凄く悪いですよ」
今僕はどんな顔をしているのだろう。鏡はない、自撮りはする気もない。
青いだろうか、白いだろうか。どうであれそんなことはどうだっていい。
「……大丈夫ですよ」
「……そうですか」
「ごめーん、遅れちゃった~」
「日菜、何にそんな時間かけたのよ」
「せっかく三人でお出かけなんだから何着ようか迷ってたらさ」
「まったく、それに今日はお出かけって程でもないでしょう?」
「そうだけどさ、それでも服くらいちゃんと選びたいでしょ」
悠君もそう思うよね、とヒラヒラと服を揺らしながら聞かれる。
さぁ、僕は自分で服をまったく買わないからお気に入りの服……はあるけど選ぶのに迷う程ではない。
「まぁ、わからなくはない……かな」
「ほら~、悠君もこう言ってるじゃん」
「……それでも時間には間に合いなさい」
「え~、3分くらいじゃん」
「遅刻は遅刻よ、3分も10分も変わらないわ」
「じゃあ次は10分遅れてこよ~」
「そういう意味じゃ……はぁ、もういいわよ」
これはいつか終わってしまうのだろうか。この日常は崩れてしまうのだろうか。
永遠に続けばいい、永久に終わらなければいい。少し前までの僕ならありえない事を思う。
日常が嫌いだと、普通が嫌いだと思っていたのに今ではこの日常が永遠に続けばいいと思っている。
「悠君、早く行かないと席埋まっちゃうよ?」
「それはあなたが遅かったからでしょ」
なぜ変わったのか、なぜ変われたのか。それは二人に出会えて毎日が変わったから。
依存だっていい、飾り付けでできた恋だっていい。
それでもこの好きという気持ちは本当だ、偽りなく。
求 感想
出 投稿ペース