毎日が物凄く充実している気がしていた。Roseliaの練習もより一層とレベルが上がってきているしお菓子作りだって珈琲だって、そこそこできるようになってきていたから。
それ以外にも夜は悠さんとNFOをすることで、普段なら話せないような時間に話すことができたから。
──でもそれは、私一人だけのものだった。
一人で夢を見ていただけ。充実という名の自己満足に、溺れていただけだった。
「加々美さんと日菜先輩って付き合っているんですか?」
つい用具を落としそうになってしまった。何時ものようにお菓子作りを教わっている時に羽沢さんからそんな事を聞かれた。
なんでも天体観測ツアーの時に一緒にいて、日菜に聞いたらそういう風を匂わせるような回答をされたとのことらしい。
「多分違う……と思います」
「凄い仲よさそうでしたけど……」
「……そうですか」
ゆっくりと視界が揺れていくような気がした。意味がわからなくて、耳にしたくなくて、きっぱりと否定ができなくて、息も荒くなった。
羽沢さんが何かを聞いてくる、焦るようなそれは心配をしているのだろうか。だけど何を言っているのかはわからない。
その日は、いつもより早く帰らされた。
「悠さん……」
『なんですか?』
「……いえ、なんでもないです」
その夜のうちに悠さんと通話をしながらNFOをしたが、その事についてを問うことができなかった。
知ることが怖くて、恐ろしくて聞くことができない。なのにその時間は、二人で話しているこの時間は酷く心が落ち着いていくのが感じられた。
夜中にこうやっていることは増えたが朝起きる時間は変わっていない。こんなことはよくないとわかっているが、時間が足らなすぎる。
朝にやるギターの練習だって、昼の練習も、夜中の悠さんとの遊びの時間も全て削れない。ならば削るものなど一つしかない。
日が昇り始めそうな時刻、彼が眠ると同時に私も横になる。充電をしながら先程まで通話をしていたスマホを枕元に起く。
最近は不思議と、記憶はないがいい夢が見れているような気がする。
朝、目が覚めて働いていない頭のまま顔を洗いにいく。冷たい水がこの季節だと少し気持ちがいいが、やはり夜更かし後のこの慣れない感覚は拭えない。
朝食変わりに昨日作ったお菓子を食べながら珈琲を淹れてみる。そこまで好きというわけではなかったが、やはり数を飲んでみるとだんだんと良し悪しがわかるようになってきた。
だけど感じる、わかってしまう。それらはやっぱり、まだまだ届いていない。
その後指を軽く動かす目的でギターを弾いていると、日菜が部屋の中に入ってきた。
今までは昼過ぎまで寝ていることも多かったが、パスパレの仕事のせいか最近は起きる時間が早くなってきている。
「おねーちゃんもう起きてるの? 昨日も遅くまで起きてたんでしょ」
「別にあなたには関係ないでしょ」
そう、関係ない。これは全部私の行動で、そうさせるのも私自身。なのになぜ、ならばなぜ、日菜を見てこんなにもイライラとしているのだろう。私は、こんなにも短気だったろうか。
私がそんなだからか知らないが、日菜が話しかけてくることが以前に比べてうんと少なくなった。
煩わしさから解放されたようなものもあるが、あれほど騒がしかったものが静かになると少し寂しくも感じたことを覚えている。
「それにしてもおねーちゃんがゲームをやるなんて夢にも思わなかったよ」
「偏見よ、私だってそれくらいするわ」
「……それ、ちゃんと息抜きになってる?」
「……練習があるからもう行くわ」
息抜き? なんだそれは。楽しんではいるがその程度のものだとは思っていない。
白金さんは悠さんと大体一年くらい前からゲームで知り合っていると言った。それは私より早い、それも倍近い。
今更どうにもできないというのに、それに私は関わっていないということもわかっている。
それなのに、どうしようもないのに、どうしようもないからこそ、余計にイラつかせてきたのを鮮明に覚えている。
私は何もかもで彼の一番になりたいというのに何もかも一番になれていない。
多分なれているとしたら……ギターしかないだろう。でもそれも今はどうだかわからない。日菜がどれくらいなのかわかれていない。
彼とのゲームは息抜きなんかではない。感じる、彼にゆっくりと近づいていくのが。彼が白金さんとする時間を無くしてその時間を私がやっている。
それは決して簡単に埋められる時間ではない。それでも、確かに少しずつ上書きしていくのを感じる。
多分、楽しいと、嬉しいと感じるのはやったことが明確に、目に見える形として現れるというのもあるだろうが……やはり一番の理由は、それなのだろう。
私は、こんなにも嫉妬深かっただろうか。それともこうなってしまったのだろうか、誰かのせいで。
頭が睡眠が足りないと訴えてくる。そんな頭に響く蝉の鳴き声ですら私をイラつかせてきて、そんなんだから練習にはやはり集中しきれなかった。
本当に、何もかもが中途半端になってしまう自分が嫌になる。
「紗夜~、聞いてる?」
「……ごめんなさい、聞いてませんでした」
「も~、最近そういうこと多いよ? 大丈夫?」
確かに最近こういった風に何かを聞き漏らすことは増えたと思う。原因はなんだろう。
睡眠不足か、ストレスのような何かを感じているのか。それとも、両方か。
「……今井さんは心配しすぎです」
「あはは、それならいいんだけどね」
今井さんはそういいながら水を渡してくる。そういえば長らく水分補給はしていなかった。ありがたくそれを受け取ったはいいものの、急な目眩がやってきて手に力が入らずそれを落としてしまう。
蓋が開いていないのは幸いだったなんて思考をする余裕はなくフラついてしまう。
立っている筈なのに、動いていない筈なのに足からは地面の感触が感じられない。浮いているような、沈んでいるような、不思議な感覚。
倒れないようにゆっくりと座る。視界がねじ曲がったかのように歪み、それを落ち着かせるかのように手で頭を抑える。吐き気まではしないのが幸いだろうか。
「ちょっと、ほんとに大丈夫!?」
「……大丈夫、です」
「大丈夫なわけないでしょ。紗夜、今日は帰りなさい」
「私はまだ……やれます!」
振り絞るかのように声を出す。既に視界の不調は止まっていて、感じるのは頭の中の一部が自分のものではないかのようにふわふわした感覚だけ。こんなものなら少しすれば治るはずだ。
「だめよ、それと明日も休んでいいわ」
「そんなことしたら!」
「もちろん、家でやるぶんには構わないわ」
今井さんだけではなく白金さん、宇田川さんも驚いたかのような表情をして湊さんの方を見る。
しかし湊さんはただ、と目をうっすらとだけ開きこちらをみながら続ける。
「あなたが倒れたら二日なんてものではすまないわよ」
「……わかり……ました」
「今日はもう終わりよ、どうせ集中もできないでしょうし」
全員が私の方を見てくる。責められているわけではない、そんなことはわかっているが自分がどうしても嫌になる。
それが重りとなって伸し掛かり立ち上がろうにも立ち上がれない。心配そうにこちらを見てくるその視線が、さらにそれを強くしてくる。
「ほら、立てる?」
「……ありがとうございます」
手を出され、それを取ると立ち上がらせて貰う。少しふらつくがだいぶましになったと思う。
「うーん、悠を呼んでみようかな」
今井さんはまるで冗談を言うかのようにこちらをみながらそう言ってくる。
やめてください。発しようとしたそれはまるで自らが望んでいないかのように外に出なかった。
心配をかけたくない、こんな姿を見られたくない。もし見られたら、知られたら、彼は自分を責めてしまうから。そんなこと今以上に許せない。
ならばなぜ、声に出なかったのだろうか。どうして自らが望んでいないかのように飲み込んでしまったのだろうか。
──心配、してほしいのだろうか。
スタジオに一つだけある鏡を見ながらそんなことを考える。してほしくないのにしてほしい。それは背反するはずのもの、なのにこうして存在する。
もしこうして別れているとしたら、鏡に映る私はどちらを持っているのだろう、こうして見ている私はどちらなのだろう。
どちらの私が正しいのか。混ざりあって、溶け合って、区別がつかなくなる。
「冗談だって。そういうことしてほしくないでしょ?」
頷くことすらできずにいるとギターを片付けられ外に連れられる。今井さんは私が心配で家まで送るとのことだ。
外は焼き焦げてしまうかのように暑さではなくじめっとしていて、まとわりつくような暑さがある。
ああ、今夜は雨が降りそうだ。
「……もう夜なのね」
帰って少しすると、疲れからすぐに眠ってしまった。昼頃だったというのにもう外は真っ暗で、ザーザーと雨の降っている音も聞こえてくる。
充電の残り少ないスマホを見てみると三つのメッセージが届いていた。
もしやと思い見てみるがそこに映っていたのはお母さん、今井さん、羽沢さんの三人。少し落胆してしまったのは事実だ。
お母さんからは今日は帰れないという趣旨のこと。今井さんと羽沢さんからはお大事にという内容。
羽沢さんには明日行く予定だったものを取り止めてもらうという事を伝えた時に理由を聞かれ、それについて話した後に返事が返ってくる前に眠ってしまった。
しかし二人の文は少し強めで、怒っているかのように思えた。それだけ心配しているという裏返しなのだろうか。もし彼が知ったら……怒って
「それにしても……」
このように何もすることがないなんてものは久しぶりだ。最近は必ず何かをしていたから、休む間なんてなかったから。
別に今だってギターをやってもいいのだがあんなことを言われた後に、起こしてしまった後にやろうとは思えなかった。
ふとテレビをつけるとそこには日菜が映っていた。Pastel*Palettesのライブの一部切り抜きらしいそれ。
今ではどの程度の差なのかを確かめるにはいいだろうと思い軽い気持ちでそれを見る。
「技術力は……まだ」
私が勝てている、そう思えた。他にもテンポは早めでまるで走っているかのよう、されど暴走列車というように他の演奏は潰していない。
そして日菜のギターソロのシーンがやって来た。一転、合わせるようなそれは全てを巻き込みそのまま離さないような音をしていた。それは単に音だけでない。日菜の楽しそうな表情すらも味方して。
背けたい現実から目を離せない。親指に少し力をいれれば消せるだろう。それなのに、押すことができない。その演奏は魅力的で見入ってしまい、何かが崩れる音がした。
全部負けないためにやってきた。だからこそ客観的にわかる技術力に全てを注いだ。
私は日菜より正確に、正しく弾ける。でも、だからこそ、それだけでしかない。
「こんな……こと」
つまらない音、そうとしか思えなくなってしまった。そうわかると同時に私は外に飛び出してしまった。
両親はいないし日菜も今日は仕事だと言っていた。その事実も後押してきたのだと思う。
行き先すらわからずにただただがむしゃらに走る。雨に打たれ髪が濡れ、服が重くなり頬が濡れた。その不快感は微塵たりとも感じなくて、そんな暇はなくて。
「たすけて……」
耳に届いた誰の発したかすらわからないその言葉は、雨の音に潰されて打ち消された。
「ここって……」
靴の中に水が入ってきているのがわかる。感じる暇のなかった不快感を感じる程度には頭が冷えると私はある場所に着いていることに気がついた。
そこはコンビニエンスストア、それも彼と会ったそこ。なぜここまで来たのだろう。偶然か、それとも狙ってなのか。別に近くもなく遠くもないここに来たのは何故なのだろう。
「……はぁ」
地面は濡れている、とても座ろうとは思えない。ただそこに呆然と立っている。
雨が酷い。少しでも弱くなったら戻ってしまおう。そんな風な甘えた考えを許さないかのように雨の勢いは増すばかり。
ああ、確か前にもこんなことがあった。だからこそここに来たのかもしれない。
でも外はこんなにも真っ暗で、雨はこんなにも酷い。どうせ無駄な期待に終わってしまうだろう。
傘を買ってしまおうかと思ったが飛び出して来てしまったため当然お金は持ち合わせてはいない。スマホすらも充電中で、本当の本当に何もない。
もうここまで濡れてしまったのだしどれだけ濡れたとしても大差はないだろう。そうわかっていても足は動かない。待っている、彼を。来るはずのない彼を。
そんな思い振り払ってしまおうと目を瞑る。来る筈がない。そう、来る筈がないんだ。彼は何も知らないのだから来れる筈がない。
「……どうしたんですか、こんな時間に?」
「…………え?」
聞き覚えのあるその声に目を開く。なんだろう。あなたがここにいる筈がないのに来れる筈がないのに。どうしてあなたはここにいるのだろう。
疑問は瞬く間に膨れ上がる。しかしそれは別の感情に食い潰される。嬉しい、そんな感情によって蹴散らされた。
「……とりあえず、これ」
そう言って彼は私の横に来て上着を渡してくる。こんなずぶ濡れだと風邪を引いてしまうと思ったのだろうか、しかしそれならば顔を背けるのは何故なのだろう。
もしやと思い自分の服を見てみるとたまたま白い服ということもあってなかなかに透けていた。
その事実に気づくとどうしようもなく恥ずかしくて、つい奪ってしまうかのように上着を取ってしまった。
暖かい。こんな布一枚で変わる筈がないのにそう感じる。ずるい、あなたは本当にずるい。都合よく現れて、こんな風に優しくしてくれるあなたは本当に。
「……どうしてここに来たんですか?」
「……それは僕も聞きたいんですけど」
「それは……言いたくはありません」
日菜の音を聴いて飛び出してきた、なんて言える筈がない。嫌になったなんて言いたくない。彼は一体どんな風に思っているのだろう、私のつまらない音を。
「……今日は雨が降っていたので」
「だから、ここに?」
「ついでに夕飯買うのもかねてですけどね」
なんだそれは、可笑しくって小さく笑ってしまう。ああ、本当に可笑しい。
何がついでだ、それなら逆じゃなければおかしいじゃないか。そんなの、まるで私がここにいるとわかっていたと言っているようなもの。
「……夕食を買いに来たってことは」
「今日も親は仕事ですね」
だったら、と声は出せない。あなたの側にいさせてくださいとは言うことができない。
恥ずかしいから、眩しすぎるから溶けてしまいそうだから。あなたの優しさに溺れてしまいそうで、離れられなくなってしまう自信がある。
あなたを求めることは心ではずっとしているけれど、実際の行動としては何一つとして起こすことができない。
「……そっちもご両親はいないんですか?」
頭を軽く掻きながら尋ねてくるあなたには全てお見通しなのだろうか。はいと答えるとそれっきり、何も言葉は返ってこない。二人並び、ただただ強くなる雨を眺めていた。
「……日菜もいないんですよね?」
「……よく知ってますね」
「仕事なんだ、ってメッセージが送られてきましたから」
そっちから誘ってください。あの時みたく、優しく逃げ道を示してください。逃げるなんてよくないとわかっている。でも、今だけは……甘えさせてください。
「そういえば何も持ってないですけど……家の鍵って閉めたんですか?」
「……あっ」
ふと、今まで忘れていたことに気づかされる。何故今まで忘れていたのかわからない。これではどうしようもないではないか。
「送っていきましょうか?」
「……お願いします」
こうなることを予期していたのだろうか、傘はこの前のものより少し大きくなっていた。そのせいか知らないが私と彼の距離はあの時に比べても離れてしまっている。
体が当たり合う程度には近いのだがそれでは少し物足りない。一歩小さなそれで近寄ると、彼も同じく一歩寄ってくれたかのような気がした。
ああ、家に着かなければいいのに。ずっと二人で、いれたらいいのに。
そんな思いから歩幅を少しだけ小さくすると、やっぱり彼も合わせてくれた。
いつもより遅く歩いていたせいか倍、とまではいかなくてもそれなりにかかっている気がする。だがそれは嫌ではなく、むしろ嬉しく感じられた。
たとえ会話が数える程度しか出来なかったとしても、外が暗くて彼の顔が見えなかったとしても。
こんな雨だからか周りに人の姿はない。自転車に乗っている人は勿論歩いている人も。雨音しか聞こえなくて視界は暗く、二人だけの世界を作り出してくれた。
「着きましたね」
「……そうですね」
しかし歩みを止めていたわけではないので当然終わりがくる。寂しさを感じてしまうとどうしようもない喪失感も付いてくる。
もう着いたのに私は入ろうとすることができない。もう着いたのに彼は帰ろうとはしない。ただただ立ち尽くす。
「……タオル、取ってきてくれませんか?」
「お風呂場でいいですか?」
「はい」
そう言って彼は家の中に入っていった。体が濡れている状態で玄関にいるのもなんなので待っているのは外だが、やはりどこか寂しいものがある。
しかし彼はお風呂場でいいですか? とは聞いてきたもののその場所までは聞いてこなかった。
単純に聞き忘れたのか、それとも少し探せばわかると思ったのだろうか。それならばいい。だがもし、もし彼が既に知っているからだとしたら?
それは一度来たことがあるということ、私が知らないということは、日菜と。
「取ってきましたよ」
「ありがとうございます」
しかしそんなこと聞ける筈がない。傘を閉じ、タオルを受け取り軽く体を拭く。
「少しだけ、上がっていきませんか?」
雨が弱くなるまで、そう言うと彼は頷いていくれた。彼をリビングに案内し、待っててくださいと言ってお風呂場に向かう。流石に濡れた体は気持ちが悪くてシャワーを浴びる。
しかし待たせるわけにはいけないので長くは入らない。本当にただただ体を濡らす物を別に変える程度に済ませておく。
「何か飲みますか?」
「あ、お願いします」
そう言われ珈琲を淹れる。何度も練習したというのにこうしてやるにはやはり緊張してしまう。
緊張してしまうのは練習が足りない証拠だと思っているが、これに関してはどれだけしてもしてしまうと思う。お菓子も作っていたやつを取り出して珈琲を淹れ終わるとそれらを出す。
どうしても評価が気になってそわそわとしてしまう。彼はなんと言ってくれるだろう、どんな気持ちで言ってくれるだろう。建前か、それとも本音でか。
「これってインスタント、じゃないですよね?」
「……わかるんですね」
「まぁ、普段飲んでるのと違ったので」
「私が淹れたんです。最近羽沢さんに教わってて」
そこまで言ってついやってしまったと思う。何故今になるまで気づかなかったのか。彼の今までの行動からして今井さんに聞いているのだろう、今日のことを。
「……そうなんですね」
しかし彼はそれだけ言って珈琲に再び口をつける。それ以上は何も言ってこない。それがほんの少しだけ気になった。彼は、心配してくれないのだろうかと。
「怒らないんですか?」
「……なんでですか?」
「知っているんですよね、今日のこと」
「……リサさんから聞きましたね」
「それなら!」
どうして私の事を、
「……最近、ほぼ毎日夜は遊んでましたよね」
彼はただ、小さく言い始める。
「これだって、僕が珈琲が好きだからやってくれてるんですよね?」
「……はい」
珈琲を持ちながらお菓子を持ってそう言ってくる。何もかもが見通されている気分になる。
「リサさんが、最近紗夜さんは寝不足っぽくて、そして色々やっていて大変そうって言ってました」
その顔は、少しだけ嬉しそうに見えた。
「日菜も、最近紗夜さんは疲れてそうって言ってました」
だけど、それ以外にもその顔は……
「僕のためにやってくれてるのに、怒れる筈なんてないですよ」
とても、寂しそうに見えた。
「でも、心配はしちゃうのでできれば倒れるまではやめて欲しいかなって」
若干下を向きながら言うそれは自分のせいだと責めているのだろう。それがどうしようもなく心苦しくなった。
「……雨が強いですね」
「……ええ、物凄いですね」
外は叩きつけるかのような雨が降っている。それは彼を帰したくないという私の思いが空に伝わったかのように。
今日は泊まっていきますか、それを言えないのは私に度胸がないから。
もし私が日菜だったら言えたのだろうか。迷いもなく、緊張もなく、恥ずかしさもなく。ただただもっと降り注げと、外を眺める。
「ご両親は……いつ帰ってくるんですか?」
「えっと、明日の夜かと」
「それなら……」
しかしその次は出てこなかった。降り注ぐ雨の音、室内と室外なのでそこまで大きな音に聞こえない筈なのにいやに耳に響いてくる。
「……今日は……泊めて、もらっても……」
「……はい」
お互いに尻すぼみになりながら、それに顔も見合わせることもできない。彼は顔を赤くしてしまっているが、私はそれより酷いかもしれない。
彼はそれを望んで言ったのだろうか。私が心配だったのか、それとも本当に雨が強いから帰りたくないと思ったのか。
どちらにせよこれでいい、これがいい。だからといって何をするというわけでもないが。
「寝る部屋は……」
「あ、僕はここで大丈夫です」
「それは……」
やはり来客をリビングに寝かせるを悪いと思うしこの前は彼の部屋に泊まらせて貰った。だからここではなく、そこまでは思ったがそれでは一体どこで寝てもらうのだろうか。
私の部屋? それは少し抵抗がある。だがそれは嫌悪感を覚えているわけではない。何故かわからないけど部屋はあまり見られたくない。
ならば、日菜の部屋? それは嫌だ。上手く言い表せないが、とにかく嫌だ。
「いえ、それでお願いします」
少し前ならもう眠っていた時間だ。最近はまだ起きていたし、昼に眠ってしまったとしてもやはり少し眠い。
だが彼は夕食をまだだと言っていたし何か作らなければ、そう思って聞いてみたが、彼は大丈夫ですと言うだけだった。
「おやすみなさい」
その後特段会話はなかった。そう言い合って私は部屋に向かう。眠気はある、しかしそれとは正反対に眠ることができない。気になって仕方がない、彼のことが。
30分は経っただろうか、やはり眠ることができないのでリビングに向かう。そこには私とは正反対に器用に座ったままソファーで眠っている彼が見えた。
「日菜とはどこまで……」
彼を起こしてはいけないと明かりはつけずに隣に座る。ああ、あなたは日菜とどこまでやったのだろう。私とさほど変わらないのか。それとも学生としてのラインを越えたところまでやってしまっているのか。
そう思うと暗くてよく見えないとはいえ彼の方を見ることができなくなる。羨ましくて、妬ましくて、疎ましい。
「……おやすみなさい」
でも、これくらいならできる。あなたの隣で、同じように座ったまま目を瞑る。それだけで心が安らいでうとうととすれば、あなたの肩に頭が当たってしまった。
びくりとしたが彼は起きる気配はない、もう熟睡してしまったのか。それならば……いっそこのままで。
横になっていないのに、座ったままだというのに。その筈なのにここ最近、いや、記憶にある中では一番、気持ちよく眠ることができた。
「おはようございます」
「……おはようございます」
朝は弱いのか眠たげな声でそう返される。雨は未だに止むことはないがそれでも昨日に比べれば明確に弱くなっている。
雲は消え雨音は聞こえなく、外の明るさに雨は溶けて意識しなければ見えてこない。そんな天気だからか不思議と心が軽くなる。
珈琲を淹れてテレビをつけると、そこにはPastel*Palettesの人達のライブの切り抜きがニュースで流れていた。当然、日菜のギターも。
「凄いですよね……私と違って」
珈琲を手渡すとそんな事を聞いていた。昨日聞けなかったというのに、今こんな風に切り出せたのは何故だろう。
こうして流れてきたからだろうか、心が軽くなったからだろうか。それとも何故か余裕といえるものを感じているからだろうか。
「私の音は……つまらない、ですよね」
「僕はそう思わないですよ」
「私は、自分だけの何かを見つけられてないんです」
だから、空っぽ。
哀を謳う程度なら乗せない方がいいに決まっている。
一定の音しか出すことができない、乗せるべき感情が存在しない。
「……思っていることを、そのまま弾いてみたらどうですか?」
「……思っていること?」
「その場限りでも、感じていることじゃなくて自分のことじゃなくても、なんでも」
その言葉を聞くと私はギターを取りに行っていた。思ったことのない考え方だったから今すぐに試したいというものもあるのかもしれない。
今思っていること、長らく思っていること、それは既にある。そしてそれは悠さんに聴かせたい、伝えたい。
私がギターを持ち彼は座っている。久しぶりだ、長らくライブハウスでしか彼に聴かせられなかった。そういえばカラオケも最近行っていない。確かあれは半年くらい前だっただろうか。
緊張は欠片もなく不思議と落ち着いている。目を閉じて、深く息を吸い、指を動かし始めた。
私が伝えたいことは一つだけ。
それを乗せて、音に語らせる。
──私を、私だけを見て。
あなたと私の二人きり、そこには他の誰も混じらない。
テレビはついたままでPastel✽Palettesの演奏も流れ続けている。そして今は、日菜のソロパート。
でも彼は少しも視線をそらさず私の事を見てくれている。ああ、日菜を見ないで私を見て、せめてこの演奏の間だけは。
私も、あなたの事しか見ないから。
演奏はいつの間にか終わっていた。これは私の音なのか? そんな疑問すら抱く音を奏でられた。
集中していたためかあまり強くは耳に残せていない。それですら、こう思えている。
「……どうでしたか?」
「……あっ、よかったです、凄く」
やっぱり、あなたはズルい人だ。全部、いつでも、なんでも支えてくれる。
彼はその後暫くすると帰ってしまった。もう外に雨は降っておらず、ふと見上げてみれば、虹が架かっていた。
「いつか、必ず」
あなたに哀ではなく、愛を、素直に、歌ってみせます。
出なかったら泣いちゃうので感想で和らげてあげてください