蝉の鳴く声がする。耳障りなその音は不快感を感じさせ、そんなことはありえないというのに不思議と夏の暑さを倍増させているかのように感じられた。
昨日の夜、日菜から明日の昼って暇? という簡潔なメッセージが送られてきたので暇だと返して今に至る。
悠君の家に行くねと言われたのだが、今日に限って家には親がいるので家の前で日菜を待っている。
エアコンのある空間がすぐ近くにあるというのにこうやって外で待つのはなんとも馬鹿らしい。それに今日は特に暑いから余計に。
アイスを持ったら食べ終わる前には溶けてしまうんじゃないか、そう思わされるくらいには暑い。暫く待っていると少し大きめの鞄を持った日菜がやってきた。
「あれ、なんで家の前にいるの?」
「今日は親がいるからさ」
「なるほどね~」
「で、今日は何するの?」
そう聞くと日菜はポケットの中から二枚の紙を取り出してひらひら~、と振ってくる。
ライブのチケットのような形をしたそれを見て、今日はRoseliaのライブがあるのかと思ったが渡されたそれを見てみると書いてあるものは予想とは全く別のものだった。
「なにそれ」
「トコナッツパークの招待券、この前撮影で行った時に貰ったんだ」
「トコナッツパーク……ああ、あれか」
小学生の頃だったか、姉に連れられて行った覚えがある。最近でも変わらずテレビで取り上げられていてその人気は衰えを知らないらしい。
泳げないという事はないし招待券ということは金も入場料は必要ないのだろう。しかし、一つだけ大きな問題が存在している。
「水着、持ってないんだけど」
「向こうでも買えるらしいから大丈夫だって」
早くしないと混んじゃうし取り敢えず行こと手を引かれる。確かに大人気施設というのもあるし、今日のような暑い日となれば込み合うことは間違いない。
しかしそのような場所に日菜は行って大丈夫なのだろうか。日菜は大人気アイドル、それに水着ともなれば変装らしきものはろくに出来ないだろう。
さらに人も多いとなれば……まぁめんどくさいことになるのは目に見えている。
日菜に、大丈夫なの? と一応聞いてみると、何が? とまるでわかっていないかのような答えを返された。
「バレたらめんどくさいことになる気がするけど……」
「大丈夫じゃないかな、彩ちゃんがこの前行ったけど誰にも気付かれなかったって聞かされたし」
「……案外大丈夫なもんなのかな」
やはりそういったところでは芸能人がいたとしても人が多すぎて気にかけないのか、それとも自分のことで手一杯なのか。
流石にアイドルとなれば気づかれそうなものだと思うが……前例があるなら大丈夫なのだろう。
「あ、アイス買ってこうよ」
日菜のそんな提案に乗り途中で見かけたコンビニに寄る。早くしないととは言ったもののこの程度なら誤差にも入らないだろう。
あまりの暑さに食べきる前に溶け出すアイスを見て、プールへの思いが少しだけ強くなった。
プールというのは不便なもので、プールサイドならともかくプールの中に入るのならば眼鏡は禁止。
プールサイドなら大丈夫とは言うものの、何処かに預けておけるというわけではないので実質的にはそちらでも付けることはできない。
コンタクトをつけているわけではないので視界が驚くほどにボヤけて見える。寝る時と風呂以外では基本付けっぱなしなので少しだけ気持ち悪いと感じてしまう。
「それで、最初はどこ行くの?」
「人気のアトラクションは優先パス取っておいた方がいいって教わったからまずはそれかな」
「人気となると……あれか」
眼鏡をつけていなくてもわかる巨大なそれ、恐らくはウォータースライダーなのだろうが……もの凄い急角度に見えるが多分気のせいだろう。
しかし本当に不便だ、こうして地図を見るのにも一苦労。他のアトラクションの人気不人気はわからないが一番人気だけ取っておけば問題ないのだろうか。
「それにしてもほんとに目悪いんだね」
「ずっと眼鏡だしね」
「あ、あの……Pastel*Palettesの氷川日菜さんですよね!」
突然声をかけられたので何かと思い声のした方を向くとそこには女子が二人。その視線は僕の方には向けられておらず日菜の方に向いていた。
知り合いなのだろうかと思ったが、Pastel*Palettesの名前が出てきたのだから恐らくファンなのだろう。大丈夫とはなんだったのだろうか。
日菜はそうだよと返した後僕の方に視線を向けてきた。少しだけ困ったようなそれは助けを求めている、というものではない気がした。
「えっと、そちらの人は……」
「あ~……僕も日菜のファンで、偶々見かけたのでお話してただけです」
やはりアイドルとして異性と一緒にいたなんて事は知られない方がいいだろうし、ファンで偶々見つけたから話していたということにおくのが一番いいだろう。
僕がいたらこの人達も満足に話ができないだろうし一度その場を離れる。
スマホの持ち込みは禁止はされていなかったが、ちょっと古めのスマホのため防水ではないので壊れる可能性を考えて持ち込んではいない。
また見つけるには骨が折れるが変な風にSNSで拡散されるかもしれないことを考えれば仕方がないことだろう。
「どこ行くか……」
日菜の事を待つのもいいかと思ったが少しだけ人だかりができていたのでだいぶ先になってしまうだろう。新人アイドルの人気というのは凄まじいものだ。
仕方がないとはいえ一人でぶらつくのは少しだけ寂しいものがあった。
「暇だ……」
激流下りにウェーブプール、暇を潰せるものはたくさんあったがやはりそこに一人でいる人なんてどこにもいない。
全員二人組かそれ以上。一人で行ってもなんら問題はないがやはり周りの視線というものは気になってしまう。
日菜はもう解放されたのか、何処にいるのか、辺りを見回してみるが眼鏡がないせいもあってか見当たらない。そも狭い訳ではないので近くにいない可能性のが高いのだが。
「もしかして……悠さんですか?」
前方から声をかけられる。うっすらとしか見えないがなんとなくそれでも誰だかわかる、その声でそれは確信に変わる。
「紗夜さんもこういった所に来るんですね」
「それはこちらも同じです」
どうやら紗夜さんはRoseliaの人達と来ているようで今からそこに戻るらしい。一人でいるのも何だしと思い、紗夜さんに連れられてそこに向かうことにした。
「遅かったね紗夜、隣の人は……」
「あ、悠君! おねーちゃんと一緒にいたんだ!」
「え、嘘! 悠なの?」
Roseliaの人達といれば日菜も見つけやすいだろう。そうも思っていたのだがそこには既に日菜がいた。
ふと隣を見ると紗夜さんは少し驚いたかのような顔をしていたのでおそらく紗夜さんが離れている間にきたのだろう。
「今からリサちーとあこちゃんとウォータースライダー行くんだけど、悠君も行こうよ!」
「……遠慮しとく」
「あ~、悠君怖いの苦手なんだっけ」
「男の子でしょ、行こうよ~」
「そうだよ悠兄! ぜっったい後悔しないから!」
「……流石に男女比があれじゃないですか?」
「大丈夫だって、そんなの誰も気にしないよ」
僕が気にするんだけど、そんな思いは届くことなく日菜に手を引かれる。
確かあれは五人乗りの筈だからあと一人は乗れるがまぁ四人でも問題はないだろう。他に乗る人はいないだろうし。
ウォータースライダーのところに着くと人は一人もいない、というわけではないが行列というほどではない。時間的な問題か、それとも運が良かったのか。
「あれ、どうしたの? 紗夜」
「もしかしておねーちゃんも乗るの!」
「……別にいいでしょ」
「そうだけどさぁ、さっきあんなに怖がってたじゃん?」
「そ、それは……今井さんも同じでしょう」
顔を少し赤くしながら紗夜さんは言う。怖がっていたというのにまた乗りにくるとは、怖さの中に楽しさがあるというものなのだろうか。
そんなに待つことなく順番がやって来て乗り込んで暫く進むとそこそこの急カーブに連続で襲われた。
ボートに掴まっていなければ振り落とされる人も出てくるかもしれないくらいには思えてこれは安全面は大丈夫なのだろうか、なんて思える程度には余裕があった。ここまでは。
「……紗夜さん、なんで僕の手に掴まってるんですか?」
「あ、ずるい! あたしも!」
「あはは、大人気だね」
でもちゃんとボートに掴まってた方がいいよ、リサさんがそう言うと手は離された。それに少しだけ寂しさを覚えてしまうのは仕方がないだろう。
しかしここまではそんなに怖くないと思うのだが……この先何があるのだろう。
先ほどリサさんはさっきと言っていたし恐らく紗夜さん達は二度目、この怖がり方は先の何かのせいだろう。そんなことを考えているといきなり体を浮遊感が襲った。
そこから先はあまり思い出したくない。ただこのウォータースライダーは人が乗るために作られていない、それだけはわかることができた。
「紗夜~、ポテトばっかじゃなくていろいろ食べなって」
「ポテトばかり食べてません!」
「このムール貝とか美味しいわよ、食べてみて」
ウォータースライダーの後は激流下りやウェーブプール、温水プールとかに行ってたらすぐに夜になっちゃった。
ウォータースライダーはすっごくるんってきて、もう一回乗ろうと誘ったんだけど悠君は首を縦には振ってはくれなかった。
夕食はおねーちゃん達はシーフードレストランに予約していたんだけど、あたしと悠君はそういうのは一切決めてなくてどうしようかと思ってた。
でもリサちーからの提案で折角だから一緒に食べることになった、とは言っても席が隣なだけだけど。
「ファンの人とはどうだったの?」
「面白かったよ、あたしのどこが好きなのかとか聞いてみたりしてさ」
他人って面白い、他人はあたしじゃないからあたしとは全く違う考えをしていてよくわからない。それがすっごく面白いけど……面白いだけ。好きとはまた違う。
大好きな君と一緒にいたのに邪魔をされて少しだけイラッときたのは本当だ。アイドル活動は楽しいけど、こうやって邪魔をされるのはるんってしない。
でも話すこと自体は面白いから一人の時か他の人と一緒にいるときなら全然構わないんだけど。
「悠君って好きなもの先に食べるタイプ?」
「あ~、多分そうかも」
悠君は同じものばっかり食べてるからそうなのかな、って思ったけどやっぱりそうらしい。そしてそれはおねーちゃんと一緒。
あたしは好きなものしか食べたくないけどできれば最後まで取っておきたいタイプ。そしてそれは食べ物だけじゃない。
「この後はもう帰るの?」
「水上ショーを見る予定! 撮影の時は見れなかったから楽しみなんだ」
「へぇ、盛りだくさんだね」
レストランに入る前に一旦更衣室に行ったからか、悠君にはいつも通りの眼鏡がかけられていた。
見え方がどれだけ変わるのかわからないけど、更衣室から出てきた悠君はあたし達から顔を背けていたしだいぶ違うんだと思う。
「そろそろ始まるみたいですし、移動しましょう」
「そろそろって、まだ15分もあるわよ?」
相変わらずおねーちゃんは時間に厳しい。悠君も行動は早いけど遅れても怒らない。
君はどうして行動が早いんだろうか。もしかしてそれは、おねーちゃんに影響されたからなのか。それだったらちょっと、嫌だなぁ。
ちょっと早くに行動したとはいえやはりメインイベント、あんまり前の方は取れなかった。とはいえ見えないなんてことは全然ない。
水上ショーを眺めていたけどやはり斜め前に座っている悠君の顔にしか目がいかなかった。そんな時、ドンッという聞き覚えのある音がして空を見上げると、そこにはいくつもの花火が上がっていた。
「ねぇねぇ、悠君」
そう言いながら肩を軽く叩くと彼はこちらを向く。何と聞かれるがあたしはなんでもない、と返すと彼は視線を前に戻してしまう。
それがちょっと嫌で、彼に後ろから抱きついて顔を彼の横に持ってくる。
「あと一ヶ月、だよ」
「……わかってるよ」
顔を赤くしてそう返される。おねーちゃんがこっちを見ている。そういえばおねーちゃんは知っているんだろうか、あたしが改めて告白したことを。
おねーちゃんに見えるように、見せつけるようにすると彼だけでなくおねーちゃんも顔を赤くする。
そんな姿を見るのも面白い、だけど悠君がそっちを見るのは……面白くない。
おねーちゃんのことは、やっぱり嫌いになれない。だけどもし君がおねーちゃんを選んじゃったら、それは本当になるかもしれなくて怖い。
でもそれより怖いのは……君のことを好きじゃなくなってしまうかもしれないこと。冷めてしまうことが、覚めてしまうことが何より怖い。
君はあたしのすべてなのに、君の事を好きじゃ無くなっちゃったら……あたしはなんになるのだろう。
また花火が上がる。観客の人はみんなそちらの方を向くけれどあたしは悠君から目を離せない。
お願い、嫌いにさせないで、好きでいさせてよ。それは、あたしにはどうすることもできないから。