人間やらなくてはならないものというものにはどうにもやる気が出ない。
近日中にやればいいというのならばやるが、いかんせん期限が遠い物に関しては量に限らずやろうと思えない。
しかしそれをいつまでも後回しにしていると当然ツケがやってくる。
しかもそれを後悔するのは決まって期限が目の前になってから、何度も経験したというのに成長しない。つまるところ……
「めんどくせぇ……」
目の前に積まれている課題の山、手を付けている物を探す方が困難な風に思える程度にはやっていない。
提出期限、つまり夏休みの終わりまで後3日、長いようで短いそれでは終わりきるかわからない。勿論サボらなければちゃんと終わるのだろうが、そんな自信は欠片もない。
いざ課題をやろうとする前は何故か部屋や机の散らかりが気になるものだ。普段は全く気にも止めない癖にこういった時には何故か目に止まる。
無駄と言えるくらいには綺麗に片付けた終わった時、スマホが通話がかかってきたことを知らせてくる。
親から連絡でもきたのかと思ったがそこには紗夜さんの名前が記されていた。
『すいません、いきなり電話をかけてしまって』
「いえ、全然大丈夫ですよ」
『今日って悠さんのご両親は出掛けていますか?』
「今はいないですね、夜には帰ってくると思いますけど」
『そうですか』
こんなことを聞いてどうしたのだろうか、そんなことを考えているとインターホンが鳴った。
すいませんと紗夜さんに告げ通話を切り、スマホをポケットに入れてからドアを開ける。
スマホをポケットに入れておいてよかった、多分持ったままだったら落としてしまっただろうから。
宅配でもきたのかと思い開けたそのドアの先には予想もしていなかった人がそこにはいた。
「事前の連絡もなく申し訳ありません」
「……とりあえず中に入りますか?」
扉の先には先ほどまで話をしていた人物が立っていた。どうしてそこにいれるのか、ということも気になったがそれ以上に理由が気になった。
日菜が連絡なく来ることは何度もあったが紗夜さんはこうして事前の連絡をせずに来るような人ではない。
何かあったのか、そんな事を考えながら冷蔵庫から麦茶を取り出しそれを渡す。
「……何かありましたか?」
「いえ、特には」
首を横に振る彼女は何となくだが嘘をついているようには見えなかった。
ならば何故来たのか。勿論それを迷惑だとは思っていないし、理由が特にないのであれば拒む理由もない。
……いや、理由があっても拒みはしない。むしろ歓迎すらするかもしれない。やはり何かしら頼られている、というのは少し気持ちのいいものだから。
しかし先程の、特にはという発言から汲み取れるに、理由が全くないというわけではないのだろう。ただそれが重くないだけ。
「昨日、言ってましたよね」
「昨日……何か言いましたっけ?」
「……夏休みの課題、終わってないんですよね?」
ため息混じりにそう言われる。昨日は紗夜さんとは直接会っていない筈だが、そんな風に考えていたものは一瞬で消え去った。
昨日の夜、相変わらず謎の余裕でNFOをやっていた時に、そんな風な内容をチャットで打った記憶がある。
「……はい」
「長期休暇の課題は計画性を持ってやった方がいいですよ」
はいと頷くことしかできない。いくら期限がまだとはいえ、課題が終わっていないと誰かに言うのは変な恥ずかしいものがある。
昨日はチャットを打ち込んだ後は宇田川さんや白金さんにも驚かれてしまったし、やはりこういった事は軽率には言わない方がいいのかもしれない。
「終わる目処は立っているんですか?」
「……わからないです」
そうですか、紗夜さんがそういうと暫く沈黙が続いた。ここで何か言えたらいいのだろうが、そんな度胸はないしこの沈黙をどうにかできるセンスもない。
「それなら、私が手伝い……ましょうか?」
どんどん尻すぼみになるその声にその沈黙は破られた。恥ずかしいのか顔は下を向いていったのだけはわかった。
突然のその提案に少し呆けていると、彼女は顔をほんの少しだけ上げてこちらを覗いてきた。
するとほんのすこし顔が赤くなっていることに気付きそれがとても可愛らしく、それにつられて僕の顔も多分赤くなっていると思う。
「……お願い、できますか?」
多分紗夜さんが来ていなければ僕は答えを見てそれを丸写ししていたと思う。それができないと少し残念に思うこともあるが別にそれでもいいかなと思えている自分がいる。
こんなこと考えられなかった。楽な方ではないというのにそれを選ぶというものは前までは考えられなかったこと。
課題のワークを開くと、僕と紗夜さんは隣り合わせに座る。
普段から勉強なんて全くしていないのだから、当然わかるものなんて一握り。わからないところは紗夜さんに教えて貰いながら解く。
説明をされる際どうしても体が近寄ってしまう。そんなことを意識しているのは僕の方だけかもしれない。
折角教えて貰っているというのに説明を集中して聴けてないというのはとても悪いと思うし、できれば意識しないようにしたいとも思うがやはり気になってしまうものは仕方がない。
そのページすべての説明が終わる頃にはほんのすこし、それこそシャーペン一本分程度ではあるが確実に近寄っていた。
それは僕からか、紗夜さんからか、はたまた両方からなのか。それは、わからない。
「一旦休憩にしましょう」
「……まだ他のワークが大量に」
「ただ終わらせるだけでは課題の意味がありません。それに、集中力が切れているように見えたので」
ひとまず一冊目が終わったが終わらせなければならないものはまだまだ残っている。しかし紗夜さんが教えるのが上手なのか終えるのにそこまで時間はかからなかった。
休憩しましょうと言われた手前一人で進める気にもなれない。教えて貰っているのだし何かお菓子でも持ってくるかと思いそれを取ってきて紗夜さんに渡す。
「……聞きたいことがあるんですけれど、いいですか?」
「答えられる範囲内なら」
ありがとうございます、紗夜さんはそう言ったが俯いたまま次の言葉は投げ掛けられなかった。
もしかして聞きづらい事なのか、しかしそんな質問に思い当たることは……ないとは言えない。
「……悠さんは日菜と、どこまでいったんですか?」
「……変わりないですよ、前までと」
「付き合ってないんですか?」
「ないですよ」
やはりあの時、プールの時のあれを見てそう思ってしまったのだろうか。
あれは思い出すだけで恥ずかしい、なんて程度のものではない。そんな事を考えているだけで少しだけ顔が熱くなるのを感じた。
「ということは、まだ答えてないんですね」
「……来月の27日、答えます」
「その日は確か悠さんの誕生日、でしたよね?」
「言いましたっけ?」
「日菜から聞きました」
誕生日、そのくせ貰うのではなく答えを渡す側。それに不満はない。今まで、今でさえ決められていない自分が、全て悪いのだから。
「それなら私も……その日にお願いできますか」
不意打ちのようにかけられたその言葉は、鈍器で殴ってきたかのように僕の頭を揺さぶったかのような気がした。
何をとは言われていない。だけどそれは流れ的に……これしかないだろう。
ああ、全部自分が悪いんだ。決められないのが悪い、逃げてきたのが悪い。だからこんなことになってしまう。
「…………わかりました」
「申し訳ありません、待ってますって言ったのに……」
「大丈夫ですよ」
そろそろ再開しませんか? そう言って課題を再び始める。
教科が変わったとはいえ問題は難しくなったわけではない、むしろこちらの方がやりやすいとも思える程度。しかし明らかに解く速度が遅くなってしまった。
一ヶ月後、そんなものこなければいいのに。寸分の狂いもなく動く時計に、少しのイラつきを覚えた。
「今日はありがとうございました」
「いえ、私の方こそ勝手に押し掛けてしまって申し訳ありません」
時刻は7時を回っていてそろそろ悠さんの両親が帰ってくる時間帯になったらしく私は帰ることになった。
まだ悠さんの課題は終わりきってないが、明日明後日とサボらずやれば恐らく終わる量。彼ならきっと大丈夫だろう。
そう思って扉に手をかけ、それを開けようとしたところで振り返る。
忘れ物をしてしまったから。ただ少し物足りないと思ってしまったから。
「あの、明日も今日みたいなことって……」
「明日は一日中親が家にいるらしくて」
「……そうですか」
ちょっとの期待を孕ませた問い。それに対する答えはとても悲しくて、無念としか表しようがなかった。扉に手をかけ直した所で声をかけられる。
「明日も暇なので図書館とかでよければ」
何故その内容を言ってくれたのかはわからない。だけどそれは嬉しくて、つい振り返ってしまう。
こんなこと初めてかもしれない。夏休みが終わってしまうことを寂しいと思ってしまうのは。
今までは十分といえる程満足は出来ていた。でも今回だけは終わってほしくないと思う。
「それでは、また明日」
「ええ、また明日」
自分から決めたのに、悠さんが決めるまでと言ったのに結局こうやって求めてしまう。日菜の後を追ってしまう。取られたくなくて、失いたくなくて……我慢できなくて。
日に日に思いが膨れていって、恐怖が破裂しそうになってしまう。
綺麗な事だらけの理想を抱えそれを心の端に捨てる。綺麗事だから叶えられないのなら、そんなものいらない。
あなたはどちらを選ぶのだろう。私を選んでくれるのか、日菜を選んでしまうのか。選ばない、なんて選択肢は……取らないでくれると思う。
譲り合って、奪い合う。だけどそれには何の意味もない。どちらかを選んだら、あなたはもう片方のことは忘れ去ってしまうのだろうか。
あなたがそうしたいのならそれでもいい。でも私は、多分日菜も忘れない、忘れられないと思う。
だって今の私達がいるのは、あなたがいたからだから。
泣いて笑って、日々を過ごした。
あなたの選択に私はどうするのだろう。私は、笑っていられるだろうか。