指切り
「明日は絶対に来てくださいね」
「行きますよ、絶対に」
一番最初は、紗夜さんの音に惹かれた。見た目に魅力がなかったというわけでは勿論ないが、やはり意識し始めたのはそのせいだ。
であれば紗夜さんのライブを自分の事のように楽しみに思ってしまったとしても何もおかしなところはないだろう。
ライブのチケットの当選率はこの前でもあれだというのに更に厳しくなり、手に入れられるのか不安ではあったがリサさんから、友希那と紗夜にはバレないようにねと渡された。
そんなの悪いと断れるほど僕は人間できていない。とりあえずお金は渡しておいたから大丈夫な筈だ。
外はすっかり寒くなっていて、左手は少しだけ痛いなと感じてしまう。だがそれに反して右手は少しだけ暖かい。それはこうして手を繋げているからなのだと思う。
「……日菜は、どうなんですか?」
「何も言ってません。来ないのならそれでいいですし、来たのなら……」
紗夜さんの足が止まる。この時期になると日が沈むのが早くなってはいるが、周りの家から漏れだす光や、近くの自販機のお陰でそこまででもない。
「……来たのなら、それでもいいです」
見惚れてしまうかのような小さな笑顔は、周りの明かりなんか比にならなかった。
まだ来てほしくない。そう言っていた彼女が、来たのならそれでいいと言った。
来てほしいではない、誘えてもいないのだからまだまだなのだとこの人は思っているかもしれないが、それでも十分だろう。
「……何かおかしいですか?」
「いや、なんでもないですよ」
つい小さく笑ってしまう。これは時間が埋めてくれたのか、それとも二人が進んだ結果なのか。
ふとポケットが揺れる。何かと思うが今は二人きりなのだしやめておこう、そう思っていたが視線でバレてしまったのか、大丈夫ですよと言われたのでスマホを確認する。
『悠君明日一緒に行こ!』
どこに、日菜と何処かに行く約束などしていないからそんなものは一つしかない。
タイミングがいい、もしかしたら隠れて聞いているのか、そんなことすら思わされる。わかったと送ってスマホをしまう。
「……何だったんですか?」
「秘密です」
顔に出てしまっていただろうか、だがきっと教えない方がいいだろう。
あの時はバレた時に面倒くさいというのだったが、今回は違う、バレたって問題はないだろう。
秘密と答えると紗夜さんは少しだけムッとしたような顔をして、繋ぐ手に力が加わってきた。
隠し事をされるのがそんなに嫌だったのか、それとも相手が日菜だとわかったからなのか。
ほんの少しだけこちらも手に力を加えると、お互いにちょっとだけ顔が赤くなってしまった。
気づけば、寒さは消えてなくなっていた。
はじめて聴いた時は、どこか焦りを感じさせた。次に聴いた時は、更なる焦りが感じられた。
音楽のプロでも、エスパーでもないのだから完璧にそうだとは言い切れない、でもそんな風に感じさせられたのは事実だった。
だけどだんだんとその焦るようなものは溶けて、どこか楽しそうな音に変わっていった。
「次で終わりかぁ、早いなぁ」
隣にいる日菜がそんな声を漏らす。早い、確かにそうだ。だけどそれは事実としてではなく、感覚の話。
聴き入って、夢中になって、心から楽しめた。そういったことを感じている間はなんとも時間の進みが早くなる。ゲームをしている時にも感じるが、それより遥かに早く感じていた。
あの音から焦りを取り除けたのならどうなるのだろう、欠片も残さず溶かしたのならどんな音になるのだろう。そしてその為に行動したのならば、僕も変われるかもしれない。
なんてあの時は思っていた、その為だけの関係だった。だけどそれは変わっていって、いつしか好きだから、それだけの理由になっていた。
演奏が始まれば、やはりというべきか心を掴まれる。他の人とバンドを組んでいた時には邪魔だと感じられた他の音も、Roseliaの人達ならばそうは思わない。
誰も負けていない、しかし誰が飛び抜けているというわけでもない。合わせている、全ての音は邪魔しあわずに、重なって、膨れ上がる。
息を忘れる、不思議と手に汗が浮き出てくる。まるで吸い寄せられるかのように視線が固定される。
その視線の先にいるのはやはりというべきか紗夜さんで、聴こえてくる演奏も少しだけギターが強調されて聴こえてくる。
焦りを取り除いたその音は、変わらず正確な音だった。だがつまらないかと言われたらそれは違う、機械的かと言われたのならそれも違う。
自分を見ろと、まるでそう主張しているかのような音。
この瞬間でさえも永遠であればいいのに。そう、思わされた。
「ありがとうございました」
その言葉と共に少し暗かった部屋に光が戻ってくる。もう終わりなのか、残念に思いながらもステージの上を眺めていると、紗夜さんと目があった。
演奏前、演奏中に目があわなかったわけではない。だけどその時の紗夜さんは演奏に集中するためというのもあると思うが、特に反応をしなかった。
だけど今回は紗夜さんはこちらに向けて、少し恥ずかしそうに片目を瞬かせてきた。ぎこちない仕草のそれはもしかしてウインクのつもりなのだろうか。
普段の彼女からは想像ができなくて、見惚れてしまった。紗夜さんはやはり恥ずかしかったのか、メンバーの中では一番最初にステージから降りていった。
「あれ、絶対悠君に向けてだよね」
「……日菜かもしれないよ?」
「だったら嬉しいんだけどなぁ~」
そんな会話をしながら外に出る。胸の高揚は未だに収まる気配はなくて、夏も終わり涼しくなり始めた季節に肌寒さを感じさせられるが、体の中は未だに熱いまま。
それはこの高揚のせいなのは間違いないだろう。ではそれは演奏のせいなのか、それとも先ほどのあれのせいなのか。
それは僕にはわからないし、もしかしたらそのどちらもなのかもしれない。
「悠君はおねーちゃん達の演奏ほんとに好きだよね」
「まぁね、次回は自分でチケットを手に入れられたらいいんだけど……」
「そういえば気になったんだけど、悠君ってパスパレのライブには来てくれないよね」
「……そういうとこの運はなくてさ」
そう、僕はPastel✽Palettesのライブに行ったことは一度もない。
応募してもどうせ受からないから、なんて理由で応募をしないことは多少あるが、バイトもしていないし金が足りないということもある。
当然応募をしたことがないわけではないが、物の見事に全て落選。僕の運はこういうところで発揮してくれない。
「う~ん……そうだ! あたしがチケットあげようか?」
「いや、流石にそれは……っていうよりも頼んで貰えるものなの、それ」
「あー、そっかぁ……」
もし貰えたとしても受け取る勇気は僕にはないかもしれない。バレた時にファンの人に何をされるかわからないし、パスパレにも酷い迷惑がかかるだろうし。
Roseliaならばいいという話ではないが、そちらはプロではないし、値段も全然違う。それに僕とリサさんの個人的な取引なのだから漏れることもない。
「悠君にあたしのギター聴かせたいのになかなかその機会がないよぉ~」
日菜のギターを聴いたのは駅前のあれの一回しかない。休みの日に家に突入しだして引き出そうとしたことはあったが、近所迷惑になりかねないので止めていた。
テレビやCDでなら聴いたことはあるが、どうやら日菜は僕に直接聴いて欲しいらしい。
「まぁ応募はしてるんだし、いつかは受かるでしょ」
「まぁ仕方ないか、絶対に毎回応募してよね!」
「ま、毎回かぁ……」
これまた財布が薄くなりそうなことを言ってくれる。そろそろバイト始めないといけないのかなぁ、そんなことを思っていると日菜がこちらに向けて人差し指を差し出してくる。
「約束、だよ」
「これって小指じゃなかったっけ」
「あれ、そうだっけ。まぁどれでも変わらないでしょ」
そんな会話をしながら僕も人差し指を引っ掻ける。そうすると日菜はその手を上下に振り始めた。
「指切りげんまん嘘ついたら……」
少し考えるようにする日菜、もしかしたらこの後は知らないのだろうか。僕がその先を言おうとしたところで日菜は言う。
「キスしちゃう! 指切った」
「あのなぁ……」
「別に毎回応募してくれればいいんだよ」
あ、でもと日菜は付け足してくる。
「されたいんだったら、しなくてもいいんだよ?」
「……はぁ」
さっきまで引っ掻けていた指を唇に当てながらそんなことを言ってくる。冗談だろう、そう思ったがどうかはわからない。
「絶対応募してよね!」
「日菜、あまり悠さんを困らせないで」
「あれ、おねーちゃん。どうしたの?」
「飲み物を買いにきたのよ、あなたが変な事を言っていないか見にきたのもかねてね」
そう言って紗夜さんは自販機で何かを買ってこちらに近づいてくる。
「でもおねーちゃんも悠君がいた方が嬉しいでしょ、さっきだってウインクしてたし」
「あ、あれは目にゴミが入っただけよ……」
「え~、ほんとかなぁ~」
ニヤニヤとしながら日菜は紗夜さんにそう言う。紗夜さんは咳払いを一つし、僕の方に小指を差し出してくる。
どういう意図なのかわからなかったが、先ほどのやつを見られていたとすればすぐにわかる。こちらを向かずに頬が赤くなっているのが見えるので、恐らくそれなのだろう。
僕も小指を出して、引っ掻けた。
「もし日菜とするならば……私ともしてもらいます……」
何を、わからないはずがない。思わず僕も顔が赤くなってきたかのような気がしてしまった。
「も~、見せつけてくれるな~」
「い、今井さん! どうして……」
「紗夜があんまりに遅いから見にきたんだよ」
「……今のは忘れてください」
「どうしよっかな~」
リサさんとそんなことを話ながら紗夜さんはライブハウスの中に戻っていく。涼しいはずなのにどこか暑い、それは先程よりも遥かに。
「おねーちゃんの事待つ?」
「そうするか」
ライブの応募忘れないようにしとかないと、そう思っていたというのに今では、忘れるのもいいかもしれないなと思ってしまった。
こんな感じで中身すっからかんでやっていきます。