今年度初めての雪が降った。外を覗けば銀世界、なんてことはなくちらちらと降っている程度。
だがちりも積もればなんとやら、明日まで降り続いていれば地面は雪に覆われることになるだろう。
雪が降ったから外に出てはしゃぐということはない。窓からゆっくりと積もっていく雪を見ながら炬燵に入り蜜柑を食べる。
あとはそこそこなバラエティー番組と猫さえあれば完璧な組み合わせ、実現すればの話だが。
実際の僕はインスタント珈琲を飲みながらブランケットに身を隠しゲームをしている。少しだけ理想と現実の差に悲しくなるが、まぁこれはこれで悪いものではない。
「掃除するから邪魔、折角雪降ってるんだから外でも行ってきたら」
そんな事を思っている矢先にそう言ってくるのは僕の母親。外は寒いことがわかりきっているので出たくないが、逆らってしまえば文句を言われるのに加え機嫌を悪くされる。
機嫌が悪くなった母親は一日中そんな感じになってしまうので、それだけは避けなくてはならない。なので大人しく言うことを聞くのが賢い選択だ。
ちびちびと飲んでいた珈琲を一気に飲み干して外に出る準備をする。きちんと時間を潰す道具を持ったか確認したいのは山々だが、さっさと外に行かないと母親の小言が炸裂してしまう。
終わったら連絡して、と母親に言ってから逃げるように外に出た。
「さて、どこ行くか」
吐く息には白の着色がされている。幸いというべきか風は強くないので体感的な寒さはそこまでではない。
目的もなくボーッと歩いていると着いたのは商店街、何か買い歩いてくかなと思うも財布が見当たらない、どうやら持ち忘れてしまったようだ。
はて困った、金もないし外は寒い。母親は掃除を終えてくれているだろうか、そう思ってスマホを確かめるも電源が入らない。どうやら充電が切れてしまったようだ。
これでは時間を確かめるすべはない。とはいえ体感時間はそんなにだし、母親はサボってテレビを見ているだろうから帰れるのはもう少し先になるだろう。
寒さに指がやられてきているので少しでも暖かい店に行きたいが、金無しで店に入れるほど礼儀知らずな人間ではない。
あぁどうするか、何か暇潰しになることは無かろうか、そう思い辺りを見渡すとあるものを見つける。
「犬……」
首輪はついてないし恐らく野良犬だろう。野良猫は結構見るが野良犬というのはあまり見ない気がする。
しかし可哀想に、こんな寒い時にどこかで暖まっていられないなんて。今の僕に少し似ている気がして親近感が沸く。
普段なら目もくれず通りすぎるのだが今は暇を潰すのに忙しい。一歩、また一歩と近づく。あと三歩、というところで吠えられる。
昔から動物にはなつかれない、僕はそんなに嫌な臭いでも出しているのだろうか。いつか香水でも買ってみるか、そう思っていると後ろから声をかけられる。
「加々美さんじゃないですか」
「氷川さん、今から練習ですか?」
「本当はその予定だったんですけれど、この空ですし」
まるで雪はまだまだ降りますよと言っているかのようで、青色は空に欠片も見ることが出来ない。そりゃこの天気で練習しに行くのはないか。
「それで、何をしていたんですか?」
「暇潰しを」
暇潰し? という顔をされたので犬の方を指差す。この少しの会話の間に折角詰めた距離も元通りになってしまって少しだけ悲しい。
警戒心が強いのか僕が嫌われているのか。そういえば氷川さんは犬に興味があったっけ、この前犬のバッチを取った記憶が新しい。
「ワ、ワンちゃ……」
氷川さんは咳払いして誤魔化す。犬好きなことはバレたくないのだろうか、まぁこの様子だと周りの人には隠しとおせていないんだろうが。
「犬、好きなんですか?」
「いえ、別にそんなことは……」
声が震えている、隠せてないですよ、とは言わないことにした。暫くすると氷川さんは犬に近づく。
撫でたりするんだろうか、と思っていたがそんなことはなく近くで腰を落として見ているだけだ。暫くすると氷川さんは犬からこちらに視線を向ける。
「加々美さんはこのあと予定とかありますか?」
「暇を潰す予定でいっぱいです」
「つまり暇ということですね」
回りくどい言い方をしているがつまる話そういうこと、冗談とか通じそうには見えなかったが、ある程度はわかってくれるみたいだ。
「少しだけ……話をしたいのですが、大丈夫でしょうか」
いいですよ、と了承すると氷川さんは犬と別れを告げる。氷川さんのやたら残念そうに犬の方を見る姿が印象的だった。
「外は冷えますし何処かお店の中に入りましょう」
「あー、今僕お金無いんですよね」
「そうですか、それならいくらかお貸ししましょうか?」
「お金を借りるのは遠慮しておきます」
お金を借りるのは好きじゃない。どんな人も金を前にすると汚くなる。持っているのに返さない、出来るだけその人と会わなくしだす、そういう生き物だから。
でもお金は貸す、金は恩を売るのに最適だから。金を貸している間は上下関係が出来る。まぁ返ってこないことも何度もあるのだが。
「それなら……あそことかどうでしょう、あそこのパンは妹が好きでよく行くんです」
指を指した店は『やまぶきベーカリー』と書いてあった。あそこのパンは何度か食べたことがある。
あそこの店のパンはたまに親が買ってくるから知っている、僕は行ったことはないが。向かいに喫茶店、その隣には精肉店、なんとも商売争いになりそうな並びだ。
「日菜さんと仲悪いんじゃなかったんですか?」
「いや、別にこれくらいは……って、日菜の名前何で知ってるんですか?」
仲が悪いと言ってもそこまでではないようだ。そもそも妹の為にパンを買うくらいなら、むしろ仲がいいのではないか。
僕は姉にそういうことをされたことがないのだから、少なくともそれよりはいいと思うのだが。
どうやら好きの反対は嫌いではなく無関心、というのは本当らしい。
「あー、日菜さんとはこの前の後偶々会って……」
「偶々、ですか」
偶々です、と言って店に入る。入るなりいい匂いと暖かい空気が襲ってくる。僕はこういうパンの匂いが好きだ。気分がよくなる気がする、それは刺激的とは違う。
なんと言うのだろうか。気持ちがいい、安心する、心地いい……それだ、心地いい。他にそう思うことは殆どない。
「それで、話ってなんですか」
パンの匂いを嗅いでいると頭がおかしくなりそうだ。おかしくなるといっても薬で覚醒するとかそういった感覚ではなく、ふわふわするというか気が抜けるとかのもの。
音楽が耳から僕を侵略するなら、パンの匂いは鼻から僕を征服する、という感じだろうか。
「……日菜の事なんですが」
そう言って氷川さんは慣れた手つきでパンを取っていく。素直になりたいのに素直になれない、妹と仲良くなりたいのになれない、そう言われた。
この姉あってあの妹あり。どちらもどちらと仲良くなりたいのに、プライドか緊張か、それとも別の原因か。もしかしたらその全てが邪魔をしているのか、不思議に仲が悪いまま続いているようで。
何故仲良くなれないのだろう、むしろ悪くなっている方がおかしいだろうに。
「素直になんてなれる人のが少ないですよ」
恐らく僕がいなくたって二人の仲は戻るだろう。時間や経験がゆっくりと溝を埋めてくれる。僕が下手に仲良くさせようとするよりも、自然と直った方がきっといい。
僕がすることは、できることは、やるべきことは、何一つとして存在しない。
ふとどうしてそんなことをしたいのかと考える。僕には欠片の得もない、僕がいなくてもどうにかなると思っている。それなら僕はなぜ、二人の事を手伝いたいと思ったのか。
「そういうものですか……」
「そういうものだと思います」
思考を中断し話しながら会計を済ませる。座るところも腰を掛けるところもないため立ちながらの会話だが不思議と嫌ではない。外に出ようにもやはり店の中の暖かさを知ると出たいとは思えない。
「加々美さんと話してると不思議と落ち着きます」
「きっとここの匂いのせいですよ」
この匂いのせいか知らないがだんだん眠くなってきた。帰ったら布団にくるまろう。温かい飲み物を飲んで誘惑に身を任せて眠りにつこう。今は物凄くそうしたい。
そろそろ帰りますか、と言われたので帰ることにした。そろそろ親の掃除が終わってくれていれば嬉しいのだが。氷川さんに途中でパンを一つ貰った。
最初は悪いからと断っていたが、この前のバッチのお礼と言われてしまったので遠慮なく受けとることにした。あげると言ってなかなか受け取られなかったら向こうとしてもいい気はしないだろう。
紗夜さんと別れ靴跡だらけの雪を踏みつけながらパンを食べる。貰ったのはクロワッサン、ささっと食べ終わりそうだ。
歩きながら食べるのは行儀が悪いと言うが折角少しばかり温かいのに冷えてしまうのは勿体無いだろう。温め直すのはちょっと嫌だ、理由はない。
雪が降る、冷たいそれが降ってくる。ああ、あの店のパンは本当に美味しい、コンビニのそれとは大違いだ。
帰るまでの間スマホは充電がなく弄れないのでとても暇だった。だけど不思議と不快な気はしない、むしろ上機嫌と言ってもいい。その理由は、よくわからなかった。
パンというかパン屋の匂いっていいですよね、うまく言い表せないですけど。