消えないように、傷ひとつ。己の罪を刻むため。
消えないように、傷ひとつ。救えなかった罪のため。
消えないように、傷ひとつ。誰も罰してくれないの。
消えないように、傷ひとつ。誰も知らない罪のため。
「ねぇ、カーミラ。紅茶を飲みましょう?エミヤさんが淹れてくださるの。デオンもくるし、アマデウスとサリエリがピアノを弾いてくれるのよ?だから、どうかしら?」
「あのねぇ、マリー。誘いは嬉しいけれど、私はそういったことには参加しないって知ってるでしょう?悪いけど、他をあたって───」
「ごめんなさいね?言い忘れていたけれど、マスターも来るの。だから…」
「…わかったわよ。貴女って本当…私の扱いが上手いわよね」
「もう3年にもなる付き合いよ?当然でしょう?」
はぁ、と私はため息をひとつ吐く。彼女、マリー=アントワネットとはもう長い付き合いであった。人理が焼却され、カルデアが危機に陥ってから初めて召喚された英霊とあって彼女には私の行動規準などお見通しのようであった。
直接的な戦力であれば私やマリーなどは下も下。しかし、私達のマスター藤丸立香はこうして私達を再び召喚している。本来ならばそのリソースを他の強力な英霊を呼ぶために使った方がいいのは百も承知だろう。だがダヴィンチも、ゴルドルフなどという新しい所長も、シオンという見慣れない少女も、カルデアの誰も彼もそれに口を出そうとはしない。皆、薄々ながら気付いているのだ。
藤丸立香、彼女が病んでいることを。そしてそれは決して軽いものではないことを。だから、少しでも彼女の心を落ち着かせるために、私やマリーといった彼女に馴染み深い英霊を呼んでいるのだろう。
「──ミラ?カーミラ?聞いているの?」
「少し、考え事をしていて…。聞いてなかったわ」
むくれたような表情をするマリーに適当な返事をして流す。
「それでね。マスターはこのお茶会気に入ってくれるかしら?少しでも、気が晴れてくれればいいのだけど…」
「大丈夫でしょうよ。あの娘なら、貴女がくれるものなら大概気に入るわよ」
まぁ、これは事実だろう。あの娘はサーヴァントがくれるものをすぐに気に入るような娘だ。だから、今回の茶会も気に入ることは気に入るだろう。だが…
「気に入るでしょうけど、気が晴れるかはまた別の問題でしょうね…」
「そうよねぇ…。確か、私達サーヴァントが1度カルデアから退去した辺りからは落ち着いていたんでしょう?どうして、最近になってから再発したのかしら…?」
「いくつか予想することはできるけど…。多分、カルデアが形だけとはいえ復帰したことが一因ではあるでしょうね。私達が退去してすぐに今回の騒動が始まって、それからしばらくはシャドウ…ボーダー?なんて乗り物で過ごしていたんでしょう?
あの娘は…極限状況だと逆に病んだりしないのよ。気づいてないだけ、とも言えるけど。とにかく、自分がやるしかない、って状況だとあの娘は止まらないわ。でも、今は違う。今は新しい異聞帯に攻め込むための小休止ともいえる期間だもの。…確か、前にもあの娘が病んだことがあったでしょう?亜種特異点だかが生まれた時。あの時は人理修復よりも差し迫っていなかったからか中々にあの娘の容態も酷かったじゃない」
私がそう言うとマリーもあの頃を思い出したのか表情を固くした。
「ええ、そうね…。あの頃のマスターは本当に見てられなかったわ…。一晩中私やカーミラにすがりついていなくちゃ夜も眠れないほどだったものね」
マリーの言葉にあの頃のことがより鮮明に脳裏に浮かぶ。
あの娘が病み始めたのは確か人王ゲーティアを倒してからおよそ一月が過ぎた頃だっただろうか。初めは夜うなされる程度だったのだそうだ。次第にうなされる頻度が上がり、不眠へとつながり、終いにはブリーフィング中に幻聴が聴こえ、発狂しかけたのだという。
「マシュがその場にいなかったのがせめてもの救いだったよ」
とダヴィンチは語っていた。
何故あの娘が病むようになっていったのか。勿論、そこには理由があった。
始めから、あの娘は救えた者を慈しむより救えなかった者に胸を痛めるような娘だった。恐らくはそれに気づいていたであろう彼──ドクター、ロマン──の
「特異点で失われた命は特異点修正と共に元に戻る」
という嘘で一先ずあの娘の心の平穏は保たれていた。でも、第七特異点、バビロニア。あそこで真実を知ったあの娘は徐々に心を磨り減らしていったのだ。
あの娘に真実を教えたギルガメッシュを責めるつもりなど毛頭無い。あの娘に頼らざるをえない状況であの娘に頼り続け、あまつさえ真実すら伝えなかったのは他ならぬ私達とカルデアだ。だから責められるのであれば、我々全員が責められるべきなのだろう。
あの娘は今何を考えているのかしら。私達は人理を救い、人理を保ち、人理を取り戻すために余りにも多くのものをあの娘の細く、小さな肩に押し付けてきた。
たとえそれがあの娘にしかできなかったことだとしても。たとえあの娘はそれをするしかなかったにしても。魔術にも争いにも縁遠い、着飾って遊びたい盛りの少女を、私達は傷つけすぎた。
「カーミラ。そろそろ食堂よ?ほら、そんな暗い顔をしてたらマスターだってよけい落ち込んでしまうわ。笑って、ね?」
「あのねぇ、マリー。貴女、私が笑うの苦手だって知ってるでしょう?」
「ええ、知ってるわ。でも、マスターのためなら笑えるということも知ってるのよ?私」
本当に、貴女には敵わないわね、マリー。なんて言葉は、気恥ずかしくて言えそうにもない。だから、胸の奥にそっと仕舞う。
食堂に入ると私達以外のメンバーはそろっていたようで、あの娘が私達の元へ駆け寄ってきた。
「マリーに、カーミラさんまで!マリー、お茶会のお誘いありがとう。カーミラさんも…来てくれるなんて珍しい、ね。えへへ。なんだか嬉しいや…」
照れ臭そうに笑う立香を見て、顔をしかめそうになるのを必死にこらえ、微笑みをつくる。なけなしの化粧技術で隠したのだろう。不自然な目許の肌の色は化粧の下に隈があることが容易に想像できた。きっと眠れていないのだろう。隈を隠そうとするその健気さが私の胸を痛くさせる。隈を隠さなくたって誰もこの娘を責めたりなどしないのに。それでもこの娘は隠すのでしょうね。私達に心配させまいとして。
「ええ、たまにはこういったことに参加するのも悪くはない、と思ってね。それにマリーの誘いを断ると後が面倒ですもの」
「まぁっ!酷いわカーミラったら。私、そんな面倒な女ではなくてよ?」
「さぁどうでしょうね?そんな訳だから飛び入りだけど構わないかしら?エミヤ、デオン?」
立香の事情に薄々気付いているであろう二人に声をかけると、二人とも私の意図を察してくれたのか快く受け入れてくれた。
「ねぇ、カーミラさん。こないだのレイシフトで───」
年相応の少女らしく快活に話すこの娘を見て、どうしようもなく、胸が痛む。
何故、この娘でなくてはなかったのだろうか。人理を守るために他の繁栄を滅ぼし尽くすなど、こんな少女に背負わせるには余りに重すぎる使命だというのに。
そんな使命を背負わせるしかない世界にも、現に背負わせている私達その物にも嫌気がさす。
そんなことを考えていたからだろうか。折角の紅茶も、あまり味がしなかったように感じた。
「じゃあカーミラ。マスターを部屋まで送ってちょうだいね?」
そんなマリーの一言で私はこの娘を部屋まで送っていくことになってしまった。
「今日、楽しかったね…。私、カーミラさんとあんなに話したの久しぶりで。変なとことかなかった…よね?」
「気にしすぎよまったく…。付き合いも3年になるんだから何かあればその場で言うに決まってるじゃない。…そうね。私も、楽しかったわよ」
そう言うと、この娘の顔が花が開くかのように笑顔になった。
「えへへ…よかった。よかったなぁ…」
嬉しそうに目を細めるこの娘を、もう少しだけ喜ばせるのも悪くはないか。そう思って頭を軽く撫でた。
「ありがとう、カーミラさん。もうマイルームに着くし後は一人でも大丈夫だから」
「そう。わかったわ。…夕飯まであと二時間くらいだけど、一人で食堂まで来れるわよね?」
そう言うとばつが悪そうに目を伏せた。
「実は今日…あんまり食欲なくて…。お茶菓子もマリーから沢山貰ったし、今日は夕飯いらない、かな…」
「…わかったわ。一応、エミヤに言ってお粥でも作ってもらっておくから。食べれるようなら食べるのよ?」
そう言うと、マスターはうっすらと微笑みマイルームへと入っていった。
「本当に、何事もなければいいのだけれどね…」
疑念を拭うようにそう呟いてみても、胸の奥に蟠る嫌な予感は消えたりなどはしなかった。
───ふと気がつくとオルレアンの城の中にいた。たった一人で、裸足のままで。
周りには誰もいなくて、だから何処かへ行こうと思って行くあてもなく歩きだす。とても小さな足音が、虚ろな城でいやに響く。
ひたひた、ひたひた、ひたひたと。
出口を目指して歩いてみても、ひたすら廊下が続くので、いやになって座り込む。
「お前のせいだ」
不意に耳許で声がした。びっくりして振り返るとそこにはフランス兵の、死体が。
「お前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のお前のお前のお前のお前のお前のお前の────」
周りはいつの間にか死体で満ち満ちていた。フランス兵が、ローマの軍人が、ロンドン市民が、アメリカ兵が、聖都の騎士に殺された人々が、ウルクの民が、ヤガが、北欧の少年が、少女が。そしてスパルタクスが守ったあの少年が。みんなみんな死体になって私を責める。私が救えなかった人々が、私が切り捨ててきた人々が、お前が悪いのだと。お前のせいで俺は、私は、僕は、死んだのだ。と。
声もあげれず私はその場を逃げ出した。追ってくる死体の群れを振り返ることもできず、私はひたすらに走り続ける。
いつの間にか景色はローマに移り変わって、アステリオスの迷宮になり、ロンドンの街になり、アメリカのホワイトハウスになり、聖都の中を走っていたかと思えば、ウルクの街を走っていた。景色が変わる度に私を追いかける死体は増えて、私を責める怨嗟の声も増えていく。
そんな声を聞きたくなくて、耳を塞いで走っていたからだろうか。些細なものに足をとられ私は転んでしまった。顔をあげると、そこは忘れられないあの場所。時間神殿だった。
見覚えのある影がゲーティアの玉座から此方へ向かって歩いてくる。その影を見たくなかった私は下を向くけど私に追い付いた死体達はそんなことを許してくれなかった。
髪を掴まれ、無理矢理前を向かされる。私に歩み寄ってきたその影は懐かしいドクターロマンその人だった。顔の半分が焼け焦げて、虚ろな瞳で此方に歩いてくる。
「いや、いや、いやだよぉ…。やめてよ…ドクターぁ…」
私が顔を背けようとすると死体達は益々強い力で私の顔を押さえつけた。
「立香ちゃん、君はさ…」
「やだ、やだ…。やめてよ…ドクターぁ…。言わないで…そんなこと…」
その先を言ったりしないで、という私の願いは聞き入れられることなんてなかった。
「どうして…。どうして、僕も救ってくれなかったんだい?」
そこで、目が覚めた。掛け布団をはね除け、体を起こす。心臓は早鐘のように脈打ち、呼吸は荒く、パジャマは汗に濡れていた。
「…夢、か。夢だよね。ドクターは…あんなこと言ったりしない、よね…」
とりあえず、汗を洗い流そう。そう思ってベッドから立ち上がろうと、壁に手をつく。そこで、見てしまった。
私の手は、どうしようもなく血で汚れていた。今まで救えなかった人達の血で。今まで切り捨ててきた人達の血で。パツスィの、ゲルダの、あの少年の、そして、ドクターの血で。私の手は、汚れきってしまっていた。
今まであげたこともないような金切り声をあげて、私は浴室に走っていた。血を、血を洗い流さないと。ただそれだけを思って。
私は、眠りは浅い方だ。本来サーヴァントとは魔力供給が充分であれば食事も、睡眠も必要とはしない。そして生前からの体質もあってのことだろうが私は他のサーヴァントよりも更に眠りを必要とせず、それ故に眠りも浅かった。ほんの些細な物音で目を覚ましてしまうくらいには。
それぞれの部屋に備え付けられた通信機が着信を知らせる微かな電子音も私の眠りを覚ますには充分であった。この通信機は現代機器に疎い英霊が多いこともあってか、余程の緊急事態でなくては使われることはなかった。
恐らくはあの娘絡みだろう。嫌な予感がする。通信機を通話状態にすると今まで聞いたこともないほどに焦ったダヴィンチの声が聞こえてきた。
「あぁ、よかった!繋がってるよね!…カーミラ、緊急事態だ。さっき、寝ているはずの立香ちゃんの心拍数が異常な数値を見せてね。立香ちゃんの部屋のカメラを繋いだら1年前と同じか、それ以上の恐慌状態だ。悪いけど、今すぐあの娘の元へ向かってくれ。私もホームズとナイチンゲールを連れて向かうから!立香ちゃんの部屋のロックは解除してある。だから!」
「…わかったわ」
通信機を元に戻す手間さえ惜しく、矢も盾もたまらず部屋を飛び出した。
ダヴィンチとシオン曰く、カルデアの防音性はとても高いらしい。それでも、あの娘の部屋に近づくにつれ、少しではあるがあの娘の叫び声が漏れ聞こえていた。
「マスター!マスター⁉……入るわよ!」
あるはずもない返事は待たず部屋に入ると今まで見たこともないほどに取り乱したあの娘が、そこにはいた。
マイルームの中は酷い有り様だった。テーブルも観葉植物もひっくり返っており、観葉植物の土が床にぶちまけられていた。破片を踏んだのだろうか。床中に血色の足跡が点々としていた。
「ごめんなさい…ごめんなさい…ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい…………。私が、私が悪かったんだよね…?わかったからやめてよぉ…もう、もうやめてよぉ‼」
悲痛な、耳を塞ぎたくなるほど悲痛な叫びだった。あまりに錯乱しすぎてこちらにも気がついていないようだった。いったいあの娘には何が見えているのか。あの娘はユニットバスでひたすらに腕を、手を擦っていた。
「マスター…。私よ。わかるわよね?カーミラよ。今から、そっちに行くから───」
「やだ、やだ、やだやだやだやだやだやだぁ‼カーミラさんも、カーミラさんまで私を責めるんだ…。もうやだよぉ…」
これはまずい、と思った。まさか幻覚や幻聴と実際の私の区別すらついてないなんて。これほどとは想像だにしていなかった。
「大丈夫、大丈夫だから。私は本物よ…。だから、落ち着いて…?」
ゆっくりとあの娘の側に近づき、やさしく抱き寄せた。マスターはしばらく私にすがり付いてうわ言のようにごめんなさいと繰り返していたけれど、やがて恐る恐るといった様子でこちらを見上げてきた。
「ねぇ、カーミラさん。……血がね、落ちないの。パツスィの血が、ゲルダの血が、ドクターの血が。私の手にこびりついて落ちてくれないの。どうしよう……。どうすれば落ちるの…?教えて、助けてよ……。もう、いやだよぉ…」
消え入ってしまいそうな声で私に助けを求めるマスターの手は、彼女自身の手で真っ赤に染まっていた。どれ程擦ればこうなるのか。手の皮膚はあちこちが擦りきれ、そこからは血が滲み、流れ落ちていた。
手首に目を向けると今まで必死に隠してきたのであろうリストカットの跡が何本も、何本も刻まれていた。
「大丈夫、大丈夫よマスター。それは貴女自身の血よ。もうすぐダヴィンチがナイチンゲールを連れてくるわ。そうすれば、今に血なんて止まってまた綺麗な貴女の手に戻るわ…」
気休めになってるかすらわからない言葉をとにかく吐き続ける。少しでもこの娘の心が休まるように、そう思って励まし続ける。
「本当に…?本当に、私の血だよね?本当だよね?」
それでも、この娘の震えは止まらず、呼吸もいまだ荒かった。もう、どうすればいいのかわからなかったが、それでも彼女の背中をさすり、励ます。
…不意に、私の口から励ましの言葉とは違う何かが零れ出た。
子守唄、だった。サーヴァントになる遥か前。生前の、朧気な記憶から私は子守唄を歌っていた。乳母が歌ってくれた物なのか、実母が歌ってくれたものかすら覚えていなかったけれどそれでもこの娘を落ち着かせる助けになればと。そう思って私は子守唄を歌い続けた。
気がつくと彼女の震えは止まり、呼吸も落ち着いていた。それでも、私は彼女の背を撫で続けていた。
「本当に助かったよ。Mrs.カーミラ。貴女がいなければいったいどうなっていたことか」
「別に礼なんていいわよ、ホームズ。……それより、マシュに伝えたりなんかしてないでしょうね?マシュがこの部屋の惨状を見たら腰を抜かすだけじゃすまないわよ?」
「それに関してはご心配なく。マシュ嬢がこれを見たら彼女自身がまた病みかねない…。そう考えて彼女には伝えていない」
「そう…。ならいいけれど」
あれから数分。あの娘は今、遅れてやって来たナイチンゲールに傷の手当てをされていた。私はといえばダヴィンチ、ホームズと共に部屋の片付けをしている。サーヴァントが三騎揃いも揃って部屋の片付けなど、シュール極まりない光景ではあったが現状動けるのが私達しかいないのだし仕方ない。私達と違って睡眠を必要とするカルデアスタッフを叩き起こして部屋の片付けをしろ、などと言うのも横暴な話だ。
横目であの娘の方を見ると、幾分か落ち着きを取り戻しているようであった。顔色はお世辞にも良いとは言えないが、少なくとも先程までのような恐慌はそこには見られない。
むしろ、顔色の話をするならばナイチンゲールの方が酷いものだった。あの娘の傷を治療している彼女は唇を噛み締め、己の無力さを痛感しているようだった。ナイチンゲールは自分のマスターすら救うべき対象と認識している節がある。そんな彼女は今の憔悴しきったあの娘を見てどう思っているのだろうか。救うべき対象を救えなかった。その無力感は、あの娘が感じているものと似ているのだろうか。
「……もっと、Ms.立香のことを気にかけるべきだったと思っているよ。尤も、こんなことを言ったって言い訳にすらならないのは理解しているがね。今回のクリプター達との戦いは各々に余裕が無さすぎたのもあったが、それにしても私は至らなさすぎた。探偵として、カルデアを預かる者の一人として、浅薄な行いだったと。そう、思っている」
「そんな事を私に言ってもしょうがないでしょう。でも……そうね。至らなさで言えば私やマリーだって同じことよ。あの娘の奥に踏み込むのが怖かった。なけなしの虚勢で被った笑顔の仮面を、私の手で剥ぎ取ってしまうのが怖かったのよ…。これも、今更言ったって言い訳にすらならないでしょうけど、ね」
小さな体でテキパキと片付けをしていたダヴィンチがこちらに近づき耳打ちしてきた。
「片付けが終わったら私達は1度部屋に戻るよ。ナイチンゲールとホームズ。それにゴルドルフ君も起こして立香ちゃんの今後のことについて話さなきゃいけないからさ。だから───」
「わかってるわ。あの娘の側にいてやれ、でしょう」
「さっすが、話が早いね。何かあったらベッド横のモニターで私の部屋に繋いでくれ。すぐに向かうよ」
「治療、終わりました」
「じゃあ、私達も早く片付けを済ませちゃおうか」
ダヴィンチ達がいなくなった途端、部屋は静かになった。私はベッドに腰掛けながらマスターの髪を撫でる。何時だったか、前にこの娘の髪を撫でた時はこんなにパサついていなかったように思う。年頃の少女らしいことすらできないほどに追い詰められていたのか。髪を撫でるのとは逆の手を、固く、固く握り締める。それこそ、血が滲む程に。
「……あの、カーミラさん。1つ、お願いがあるんだけど…いいかな?」
「別に…。今日くらいは1つと言わず幾つだってきいてあげるわよ」
「…そっか。嬉しいな。じゃあ、さ。さっきみたいに、その…子守唄を歌ってほしいな。カーミラさんの子守唄があったらね。私、眠れる気がするの」
そんなことでいいの?なんて聞くのは野暮な気がした。深呼吸を1つしてから、子守唄を歌い出す。自分でも意外な程に優しい声が出た。マスターが嬉しそうに微笑むのを横目で見ながら歌い続ける。
……もしかするとこれは私に課せられた罰なのかと考えてしまう。かつて私が食い物にしてきた無垢な少女達。彼女達を殺してしまった罰が、今の私に降りかかっているのだろうか。私が仕えるべきこの娘の心を壊す、という形で。
無論、そんな筈はないのだが。それでもそんな風に考えてしまう。私と契約さえしなければ、この娘はこんな目に遇わなかったのではないかと。
そんな思考に埋没していた私は、いつの間にかマスターが眠っていることにすら気付かず、子守唄を歌い続けていた。
今まで眠れていなかった分を取り戻すかのように、朝になってもマスターは目覚めなかった。ナイチンゲールやダヴィンチがやって来て色々と調べてはいたものの、眠っている以外に異常はないらしく何かあれば呼ぶように、とだけ告げて部屋を後にした。
私はといえば、昨夜から変わらずこの娘の側で髪を撫でていた。あれからこの娘はうなされることもなく、本当に穏やかに眠っていた。
「マスター、マスター?…まだ眠っているのかしら?」
「マスターならまだ眠っているわよ。それと、ロックなら外れているから入ってきたらどう?マリー」
あら、そうなの?と言ってマリーが部屋に入ってくる。昨夜の事をダヴィンチあたりから聞いていたのか。うなされることもなく眠っているこの娘を見て、安心したかのように息を吐いていた。
「こうして静かに眠っているのを見ると、世界も、人理も関係ない。ただの女の子ね。マスターは」
「ええ、本当に。昨晩あれだけ取り乱したのが嘘みたいよ」
「ねぇ、カーミラ。少しだけ突拍子もないお話をしてもいいかしら?」
マリーはためらいがちに言葉を続けた。
「私達、こんな形じゃなかったら普通の友達みたいになれたのかしら。こんな、世界の危機だとか…人理を取り戻すなんて重荷を背負わせず…普通の女の子みたいに、おめかしして…カーミラも私も、マスターと一緒にお出かけしたりなんて、出来たのかしら…?」
声が震えているマリーなんて、初めて見た。目の端に涙を浮かべて、この娘のために本当に心を痛めていた。
「……難しいんじゃないかしらね。だって、私と貴女なんて真逆じゃない。こんな形じゃなかったら、この娘が間にいたって友達になんてなれないわよ。こうやって、世界の、人理の危機で手を取り合うしかない状況じゃなかったら理解しあって友達…と呼べるような関係になんてなれなかったわよ。……皮肉な話だけれど、ね」
「そう、よねぇ…。私達サーヴァントは仮初めの存在だからこそ今ここにいられるというのに、これ以上なんて、それこそ普通のお友達になりたいだなんて高望みがすぎるわよねぇ。……それにしても、貴女、私のことを友達と思ってくれているのね。嬉しいわ、カーミラ。」
「…別に。こんなとこで意固地になって友達じゃないなんて言い出すほど野暮じゃないのよ。私だって」
改めて考えると恥ずかしいわね。マリーに面と向かって友達だと言うなんて。でも…友達、友達。ね。
「悪くない響きだわ」
「何か言ったかしら?」
「いいえ、何も。それより、この娘が起きた時のために何かしていた方がいいのかしら?」
何かする、と言っても何をするあてもないのだけど。
「なら、紅茶でも淹れましょう?私はエミヤさんにティーセットを借りてくるから、貴女はここでマスターを診ていてくださる?」
そう言って部屋を後にしようとしたその時、部屋の扉を遠慮がちに叩く音がした。
「藤丸、おい藤丸。…起きているかね?」
「あら、マスターならまだお目覚めでないけれど。折角だし、お入りになっては?ゴルドルフ所長?」
「…そうか。…では入るぞ」
妙に身構えながら入ってきたのは都合よくティーセットを携えたゴルドルフと彼の陰に隠れるようにしながらおどおどしているマシュ=キリエライトだった。
鼻腔をくすぐるいい香りに、私の意識は覚醒させられた。部屋の明かりに目を細めながら昨夜ずっと隣にいてくれたカーミラさんの姿を探そうと、ベッドから体を起こす。
「お、おお!目を覚ましたか藤丸。顔を洗ってきなさい。私が直々にムジーク家秘蔵の紅茶を淹れてやるぞ」
部屋にはカーミラさんだけじゃなくてマリーにマシュ、所長までいた。もしかして、昨夜の事を問い詰められるのだろうか。そう思って気が沈みかけるが言われたままに顔を洗いにいく。
顔を洗って洗面所の鏡を見ると、昨夜の私が知らぬ間に傷つけていたのか、皹が入っていた。皹のせいで歪んで映る私の顔は、そのまま今の私を表しているかのようだった。
……あれだけ頑張って隠してきたのに、昨夜のあれのせいで台無しだ。1年前のあの時よりもずっと酷く取り乱してしまった。カーミラさんにも、マリーにも、マシュにも、ダヴィンチちゃんにも、ホームズにも、所長にも、ムニエルさんにも、皆に迷惑をかけてしまう。それが嫌だった。
暗く沈んだ気持ちで席につき、所長に勧められるままに紅茶を口に運ぶ。
「……美味しい、です」
私の呟きにいっそ大袈裟とも言える仕草で所長は息を吐いた。
「いやよかったよかった…。実のところ、紅茶を淹れるのはかつてコヤンスカヤ君に淹れた時以来でな。これで不味いなどと言われては私に紅茶の淹れ方を教え込んだトゥールに殴られるところだった…」
所長が紅茶を淹れてくれるのは嬉しいけど、いまいち狙いというか…何がしたいのかわからなかった。まさかただ紅茶を淹れにきたというわけでもないだろうし…。そんなことを考えて紅茶を啜っていると、所長が途切れがちだけど、口を開いた。
「藤丸…。私は、いや私だけではないな。私やムニエル君を含むカルデアスタッフは…お前のように前線に立って戦うことができない…。ダヴィンチ技術顧問やホームズだって、それぞれが重要な役割を担っている以上…頻繁に前線に立つ。ということも難しいだろう。…今まで、私は多くのものをお前に背負わせてきた。ロシアでも、北欧でも、中国でもだ。何時だって、重要な決断はお前に委ねてきた。お前が切り捨ててきたもの、救えなかったものの重みは、残念ながら私達にはわからない。
……だからな、藤丸。せめて、話してくれ。お前が何を辛いと感じ、何を苦しいと感じているのか。私は今更だが所詮はお飾りの所長だ。前線に立つこともまともな作戦を立案することもできん。精々がこうやって紅茶を淹れてやるくらいだ。だから、たまにでいいのだ。お前が背負えなくなったと思った時、胸のうちに溜まったものを吐き出したいと思った時だけでもいい。私やムニエル君を呼べ。呼んで思う存分吐き出せ。そんなことくらいで私達はお前を迷惑だと思ったりはせん。秦でも言っただろう。若僧がカッコつけるなと。気張るのはいい。だが、私は大人だ。大人は、若者を守るものだ。自分が守られる身で何を言うか。なんて思うだろうがな。それでも、私は大人なのだ。大人でカルデアの所長だ。だから、辛いときくらい愚痴でも何でも聞いてやるとも。
…藤丸。大人を、仲間を、カルデアを頼れ。月並みな言葉ではあるがな。お前は、一人ではないのだ。藤丸」
「…先輩。先程、ダヴィンチちゃんとホームズさんから先輩の事をお訊きしました。異聞帯が発生していたあの頃から苦しんでいたことも。私は、知らされていなかったとは言え先輩一人に罪の意識を押し付けていたんですね…。先輩…いえ、マスター。私、強くなりますから。今より、ずっとずっと強くなりますから!先輩が背負ってるものを少しでも背負えるくらいに、先輩が笑って頼ってくれるくらいに強くなりますから…。だから、だから…一人で苦しまないでください、先輩。私を独りから救ってくれた先輩が独りで苦しんだりしないでください…。どうか…どうか、私を頼ってください…先輩…」
泣きながら訴えるマシュに、何も言えないでいた。今まで自分一人で背負っていた罪の意識を、皆に押し付けていいのか、わからなかった。何を二人に言えばいいのか、言いあぐねていると、カーミラさんが手をとってくれた。
「マスター。いえ、いい機会だから名前で呼びましょうか。…立香、貴女が何に対して罪の意識を抱いているのか。どれ程の罪の意識を抱いているのか。それは貴女以外にはわからない。推し量ることは出来ても、完全に理解するなんてことはできないわ。まぁ、大方救えなかったもの、切り捨ててきた命。そんなとこなんでしょうけど。
……誰も、貴女を責めたりしなかったんでしょう?そんなの当然よね。だって、大前提として、貴女が戦わなければ今の世界はなかった。その救えなかった命があった。それを誰が責められるというの。貴女のようなただの少女に、全てを完全に救いきれ。なんて誰が言えるというのかしら。今の戦いだってそうよ。端から他の世界を否定して自分達の世界を取り戻そうとする私達が、そのために戦う貴女を否定して責めたりなんてできるはずがないもの。でも、貴女にはそれが辛かったのよね。誰も裁いてくれない。自分で背負って、背負って、背負い続けるしかない罪だもの。そんなもの今まで耐えてきただけでもすごいことよ。
…ねぇ、立香。どうしても、どうしても罪の意識に耐えられないのなら、私を頼りなさい。私は貴女のサーヴァントだもの。主の罪くらい、共に背負ってあげるわよ。だから、独りになろうとなんてしないで頂戴。生前の私は、誰かから奪うことしかしなかった。そんな私がようやく誰かのために戦えるのよ?善いことを為せるのよ?それなのに、肝心の貴女がそんなんじゃだめよ。いい、立香。世界を、人理を救う前に、誰よりもまず貴女が救われて頂戴な。私を、マリーを。貴女を慕い、貴女についてくることを選んだサーヴァントを信じて、頼って頂戴な。お願いよ、立香。私の…愛しいマスター」
何かが、とても熱い何かが堰を切って溢れだした。泣いていた。ドクターがいなくなったあの日以来、私は今初めて泣いていた。みっともなく、わんわんと。今まで溜め込んできた何かを吐き出すように、泣いていた。
「…本当は、本当はね。ずっと辛かったの…!人理を救った。世界を守った。なんて言われても、私が守れなかった人は沢山いて、それでも色んな人の思いを背負って戦わなくちゃいけなくって…。
今回だって、戦いたくなかった!…誰が、誰が好き好んで世界を、そこに住む人たちを切り捨てたいなんて思うのよ…!パツスィは私を庇って死んじゃって…ゲルダの、スパルタクスが守ったあの子の未来も私が奪ってしまったのに!でも、私が弱音を吐いちゃいけない。って思って…マシュの前では頼れる先輩でいなくちゃ、皆の前では何があっても挫けないマスターでいなくちゃ…って思って。私の存在意義なんて…戦って、戦って戦って。皆を守ることだから、立ち止まって、皆に迷惑をかけちゃいけないって思って…。だから、だから!」
「もう、いいわ…。充分に伝わったもの。辛かったのね、立香。大丈夫、これからは私も共に背負っていくから。…いいえ、私だけじゃなかったわね。皆、貴女と共に背負っていくわ。…知ってるかしら?カルデアにはね、貴女が思ってる以上に貴女のことが大好きなやつばかりなのよ。だから、大丈夫。話せばきっと一緒に背負ってくれるから…」
「…いい、のかな。私は、一人で背負わなくてもいいのかなぁ…。本当に大丈夫、かな…」
「大丈夫よ。大丈夫…」
そうやって、私を慰めるように大丈夫と繰り返すカーミラさんにすがり付いて、私はずっとずっと泣いていた。
常夜灯が照らす薄暗いマイルームで、私はベッドに座ってカーミラさんに上半身を晒けだしていた。
「本当に、いいのね…?」
向かい合うようにベッドに座るカーミラさんが念を押すように私に問う。私は、覚悟を決めて頷いた。
「…じゃあ、いくわよ」
私の左肩に1度口づけして、カーミラさんは私の肩に牙を突き立てる。まず、牙が皮膚を突き破る痛みが。数秒して血が吸われていく奇妙な感覚が私に去来する。思わず背を仰け反らせる私をカーミラさんが抱き寄せる。…熱に浮かされたかのように茫とした意識の中、痛みだけが確かだった。
永遠にも感じられる刹那の吸血が終わり、カーミラさんの口が私の肩から離れる。
「はぁっ…はぁっ…ありがとう…。カーミラさん。私を、裁いてくれて。私の罪を、一緒に背負ってくれて。本当に、ありがとう」
「別にいいのよこれくらい。それにね、私を誰だと思っているの?稀代の悪人、吸血夫人カーミラよ。今更背負う罪が1つ2つ増えたところで変わらないわ。だから、一人で背負ったりしちゃだめよ、立香…」
カーミラさんを抱き締めて、カーミラさんに抱き締められて、ベッドに潜る。カーミラさんがくれた罰(いたみ)は、私をよく眠らせてくれる気がした。
消えないように、傷ひとつ。あの娘の罪を背負うため
消えないように、傷ひとつ。あの娘の罪を裁くため
消えないように、傷ひとつ。あの娘の罪を許すため
消えないように、傷ひとつ。いつか私がいなくても、
あの娘が一人で歩けるように
終
読んでくださりありがとうございました。救世主を救うのは救世主とは真逆の悪人なのか。多分答えなんてなくて、だから書きたいように書けました。楽しかったです。また書くことがあればその時もぜひ読んでってください