たをやめ   作:ユージ・ラム

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そのっちのお話です。
文中の「園子様」は「えんしさま」とお読みください。


グッデイ・グッバイ

 乃木園子が気がついてみると、壁の電子時計は十七時を指していた。神世紀二九九年九月一日。

 

(あれ〜、もうそんなに経ってたっけ〜)

 

 改めて自分の趣味が「ぼーっとする」だったことを神樹様に感謝する。きっとあの子だったら、いやあの子でも。

 

(やっぱり、こんなになるのがわたしで良かったよ〜)

 

 病室の異様さにはもう慣れた、というより気にするとよりストレスだとわかった。そうしていると不機嫌に見えるようで、大赦の人の態度がいっそう嫌なものになる。まぁ普段から気持ちのいいものではないが、とため息をつこうとすると一条の光が差した。しずしずとよってくるのは、あの気持ちの悪い仮面をつけた人である。

 

「園子様、午後の按摩でございます」

 

 

 精霊の力によって「死なない身体」になったとは言え、やはり血が通う肉体である(心臓は止まっているが)。筋肉の萎縮はどうしようもないが、うっ血して身体のどこかが壊死でもしたらお役目にも支障をきたす。そのため、一日に二回、午前と午後に大赦お抱えの整体師によるマッサージが執り行われる。

 

「は〜い、おねがいしま〜す」

 

「お体にお触り致します」

 

 整体師はうやうやしい態度で彼女の体を揉む。が、そもそも感覚がないので気持ちいいのかどうかもわからない。

 

(大赦のお抱えだから、腕はいいはずだけど〜)

 

 手のひらから腕、肩、胸、胴を回って腰、太もも、つま先まで行くと今度は背中側。あの大合戦以来、彼女の身体はそのほとんどが失われてしまった。今や彼女は自力では動かない。そのため、整体師は介護士の資格も持つ。お祭りでもなし、「かみさま」の御前にドヤドヤと多人数で押しかけては無礼に当たるのだろう、という予想は果たして的中しているだろうか。時々感覚の残っているところが刺激されて、それがちょっとしたアクセントになるのだが、それのせいで心臓が跳ねることもある(跳ねる神経がもうないが)。

 

 

「園子様、明日のお食事の献立ですが、何がよろしいでしょう」

 

「あぁ〜……う〜ん、おかゆでいいかな〜、たまごがいいかも〜」

 

「承知いたしました。他に付け合わせなど、ご希望がありましたら承ります」

 

「ううん、そっちで適当にバランス取っといて〜」

 

「承知いたしました」

 

 最近はおかゆばかり頼んでいる。うどんを食べたくても、あの食感を味わうのに今の状況はあまり適していないと、この生活のはじまり頃に思い知った。自分で体を支えられないなら、麺類はあまり向かない。うどんを食べられないことは苦痛だが、食事のたびに服やベッドを汚していてはキリがない。何より、他人ひとに迷惑をかけることを彼女はあまり快く思わない。

 

 

 この時間は手持ち無沙汰だ。

 

 ふと視線を可能な限り巡らせてみると、ベッド横の棚に小さなストラップを見つけた。

 

(わぁ〜、懐かしいなぁ〜)

 

 ほぼ一年前だろうか。

 

 石灯籠、坂道、子供たちのはしゃぐ声、お姉さんのあやし声、赤い光。

 

――ちょっとやめて! ほんと恥ずかしいから!

 色とりどりの屋台、りんご飴、焼きそば、チョコバナナ、牛串。

 

――む! イケてる香り!

 コルクの感触、鳥のぬいぐるみ、わっしーの暖かさ、引き金の冷たさ。

 

――あとは気合!

「……わっしー、元気にしてるかなぁ」

 

 今でもありありと思い出せる、あの懐かしい日々。セピアになんてあせたりしない。あの日々は確かに彼女の中で息づいている。だから今、ぼーっとしていられる。彼女が、泣いてなんかいないと、笑って日々を過ごしていると信じているから。彼女が彼女の幸せを信じているから。こうしていられる。

 

(わっしーには感謝感謝だね〜)

 

 今の園子にとって、精神的な支柱は鷲尾須美の存在、幸せだ。

 

 

「……施術が完了いたしました」

 

 整体師が頭を下げたまま下がる。医者の不養生、紺屋の白袴とは言うが、あの体勢は辛くないのだろうか。例えば、腰がきしんだりとか、そういった不調があるならやってもらわなくてもいいのだが。

 

「失礼いたします」

 

「あ、そうだ」

 

 園子が声を出すと整体師と大赦仮面が体をわずかに震わせ、振り向く。「かみさま」とはそんなに自分勝手で人間を振り回す存在だと思われているのだろうか。わたしも元々は人間だけどね、と微笑を貼り付ける。

 

「いかが致しましたか」

 

「そこのストラップをとってほしいんよ。後ででいいからね〜」

 

 これは早く行動に移したほうがいいと、希望を口にする。

 

「整体師を外へ送ってから、すぐに伺わせていただきます」

 

 

 眼の前にあのストラップがある。紫色の風呂敷を背負った犬。わっしーはこれをまだ持っているだろうか。それとも大赦の検閲で「鷲尾須美を思い出しうるもの」として処理されてしまっただろうか。

 

(だとすると、あのリボンも捨てられちゃったかな〜)

 

 あははと力なく笑うが、あの辛い思い出までなくしてくれるなら、それはそれでいいのかもしれない。もうわっしーが戦わなくても済むのなら、いらない記憶なのだから。

 

 

――そのっちは変じゃないよ。素敵よ。

 

 

 待ち受け。

 

「――あれ?」

 

 花火。

 

「あれあれ?」

 

 三つ並んだストラップ。

 

「おかしいな」

 

 笑顔。

 

「なんで泣いてるんだろう」

 

 頬を伝う幾筋の涙。かつてのあの子のように。泣きじゃくる子供のように。涙に遅れて悲しみが訪れる。どうして涙をながすのか、どうして、しようもなく悲しいのか。わけも分からず泣きじゃくる子供。泣きわめこうにも、もうそんな力はない。そもそもどこに吐き出せばいいのか。天の神にか、バーテックスか、大赦にか、神樹にか。友にか。

 

 彼女の叫ばなければ行けないものはもうどこにもないというのに、この悲しみはどうしてやまないのか。園子にもわからず、去来する思い出の渦はただ彼女に涙を流させる。楽しかった思い出も、辛かった思い出も、全て彼女を攻め立てる。どうして泣かない、どうして叫ばない。どうして笑っている。どうして、どうして。どうしてお前はそこにいる。

 

 病室には、永遠に園子のすすり泣きが響いた。

 

 

 服もシーツも布団もびしょびしょだ。もう涙は出ない。きっと一生分出し尽くした。だから、もう泣かない。泣かないために、しなければいけないことがある。あの子のために、強くあるために、しなければいけないことがある。

 

「お願いがあります」

 

 ぴしゃりと声が闇に響く。柱の影から大赦の面が現れる。

 

「これを、処分しておいてください」

 

 目でストラップを指す。

 

 それが必要だから。もう過去にとらわれないために必要だから。

 

 きっと、大赦の中の誰か、私のことを「あわれ」だと思ってくれた誰かがしてくれたんだろう。でも、もう終わりだ。だって、私は未来永劫に渡ってあの子の世界を守らなくちゃいけないから。あの子が守ったこの世界を守らなくちゃいけないから。

 

 私も前をむくよ。

 

 だから、笑っていてね。

 

 私も笑っているから。あの時みたいに。

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