いや、おかしいだろう。
一瞬なにがなんだかわからなくなっていたパーマーだったが、目の前で起きていることがおかしいことくらいはすぐに分かった。
走りながら、改めて整理する。
まず、このレース・・・みたいなものは、一周500mくらいのグラウンドを3周する。つまりマイルくらいのペースで走ればいいはずだ。というか、そうすべきだ。普通に考えて。
なんだあれは。
ペースという概念を知らないのだろうか。軽めに見積っても先行が激化した時の1200のスプリント戦くらい、いやもっと短距離じゃないと許されないような走りだ。
え・・・もしかしてこれでマイル持つのか・・・?
いやいやいや、と首を振る。さすがにこのペースで走り切れるようなウマ娘なら、あまり他のウマ娘に関心がないパーマーでも知っているようなとんでもない名バなはずだ。つまりあれはただの暴走。そう結論づける。
じゃあ、あれを放置するのか?
『レースに勝つ』だけならそれが最適解だろう。
幸い、あれはいわゆる『単騎逃げ』ではない。お互いがプレッシャーをかけあっているから、余計にスタミナを消耗しているだろう。大逃げしているウマ娘をそのままやすやすと勝たせてしまう、ということは稀にあるが、激しく競り合っている今回はさすがにない。
つまり、このペースでやりあっている以上最後の一周にでもなれば落ちてくるのは自明だ。
しかし。
(──いや、捕まえに行かないと余計に面倒なことになるかも・・・)
根拠はある。
ツインターボは『逃げウマとは何ぞや』などと言っていた。はっきり言って、勝負度外視としか思えないこんなペースで逃げるやつに逃げウマもへったくれもない。だって逃げ切れやしないのだから。
へったくれもないのだが、ツインターボとその弟子ヘリオスは大いなる勘違いをしている。パーマーは息を切らしながらそう推理した。
(あれ多分・・・勝つことより逃げること優先してる・・・)
信じられないがそうとしか答えが出せない。
と、いうことは。
(・・・無理矢理にでも先頭を奪わないと、これからもめんどくさい事に巻き込まれるかもしれない!)
理不尽なんてレベルではないが、彼女たちが勘違いをしているのはおそらく間違いない。そしてそのバカな土俵にわたしも乗らない限り、面倒事が続くリスクはつきまとい続ける。
『逃げウマ』がどうこう言う相手を封じるには、それ以上の逃げをかますしかないのだ。
パーマーもギアを一段階上げた。
今後の安寧のために、今は無茶をする。
先頭のふたりも、並んで走っている訳では無い。
前にいるのはツインターボ。1バ身ほど離れて、ヘリオスが追走していた。
「ししょ〜、今日いつもより速くないですかぁ〜?」
「へへ、気づいたか」
「あの娘がいるからですかぁ?」
「まま、そんなとこだな、あいつに逃げウマとは何か教えてやるつっただろ?やっぱりあいつも逃げとはなんなのか、結局分かってないみたいだからな!」
「ハイペースすり潰しってやつですねぇ」
「おっ、やっと覚えたか、そうだよ、ただ前にいるだけの逃げもどきなんてクソ喰らえだ」
風を切りながらそんな会話をしているうちに、ツインターボとヘリオスは2周目に入っている。
(そういえば、あの娘はぁ・・・)
レース運びのセオリーを名家で学んできたであろう今日のゲストにとっては、今の展開は異次元もいいところで面食らっているだろう。果たしてどういうリアクションを取っているのだろうか。
そのお嬢様を探そうとヘリオスは振り返るが、すぐに向き直って満面の笑みを浮かべる。
「ししょー、パーマーちゃんもすぐ後ろに来てますぅ!」
「ほぉ?」
いつの間にか、パーマーは必死の形相でふたりのすぐ後ろに取り付いていた。
「へへ、思ったよりやるじゃねぇか」
「・・・お二方、そこ・・・空けてもらって・・・いいですか・・・」
「なに甘いこと言ってんだ、力づくで奪いにこいよっ!」
「は〜い、わたしもいきま〜す、ししょー!」
残り半分ほどであろうか。三者の先頭奪い合いレースがスタートした。
ウマ娘レースの常識など通用しない、根性比べが。
(・・・ったくもう、なんでこんなことにっ)
パーマーは心の中で毒づく。
原因は面倒事に巻き込まれているから、だけではない。どちらかといえば、自分がやったことのないパフォーマンスをいきなり強いられているからだ。
というのも、距離適性がどちらかといえば長距離に寄っていたパーマーは、トップスピードに乗るまでにどうしてもかなり時間がかかる。それは自分でも分かっていたし、マイル程度の距離でも自分からハナにいくために、今日はいつもよりスタートから足を使うことを意識した。
ただ、それくらいの心意気ではこのふたりのダッシュ力には通用しなかったということだ。それは認めるしかない。
だから、今は強引に身体に鞭打って相当早い段階から全力トップスピード、いやそれ以上のスピードを強いられているのだ。
「・・・ただ逃げるだけなら、確かにわたしより・・・お二方のほうが・・・才能あるみたいですね・・・」
「だーかーらー言ったろ?逃げ教えてやるって」
「・・・いや、いいです・・・自分で理解しますから・・・」
息も絶え絶えになりながら、強引にパーマーは先頭に立った。スタミナには自信があるのだが、想定外のペースで相当体力はすり減っている。
「うわぁ〜すごい根性だねぇ」
「へへ、こりゃー負けてらんねぇぜ!」
パーマーの先頭はすぐ終わった。どこに隠し持っていたか知らないが、第2のギアを発動させたであろうツインターボとダイタクヘリオスが更に加速して抜き返して行く。ほぼ同時に、ファイナルラップに突入した。
既にトップスピードもいいところであるパーマーはこれについていけるはずもなかった。
(ああ、こんなところでもわたしは負けるのか・・・)
意識が朦朧とする。少しずつ遠ざかるふたりの背中を見ながら、自己への嘲笑が漏れる。
しかし。
「・・・あー、これアレだ、ダメなやつだ」
「わたしはもうちょっといけますよぉ〜」
「おー、がんばれよ」
ひゅん。
下を向いて走っていたパーマーだが、何かを真横に置き去りにした気がする。
なんだ?ポール?いや違う。じゃあ──
振り返って真顔になる。
完全に死んだ顔で、止まっているようなスピードにまで落ちているウマ娘、ツインターボその人だった。
「あー・・・、やっぱダメだったわ」
「・・・でしょうね!」
・・・・・・・・・・・・
「・・・ふー、やっと終わったぜ」
そう言うとツインターボはうつ伏せで倒れる。パーマーがゴールしてから10秒ほどは離されていたのではないだろうか。
結局、パーマーは先頭でゴールすることとなった。
ツインターボと同じようなペースでぶっ飛ばしていたヘリオスも残り200mほどで力尽き(こちらは満面の笑顔であったが)、スタミナでは勝っていたらしいパーマーが漁夫の利を得た形だ。
もっとも、パーマーも最後にはヘロヘロのジョギングのようなペースになっていたが。
「ハァハァ・・・いやー、しかし、あのペースに、食らいつきながら、完走できるなんて、お前、スタミナ、すげぇな」
「・・・いや、最後、わたしも、歩いてましたし」
「ふたりともぉ、今はしゃべらないほうがいいんじゃないかなぁ」
スタミナは完全に切れている。あまり喋らない方が回復は早いだろう。
パーマーは思いっきり四肢を投げ出し、仰向けに倒れ込んでいた。
苦しい。しんどい。でも、久々に本気で走ったような気がする。
目的は不純でも、強引に前を目指して脚を出した。
でも、また才能の壁、自分が持っていないものの存在を知ってしまった。結果的に大失速しているしバカにしか見えなかったとしても、あれだけ飛ばせるのは間違いなく才能だ。
まあ、今更これくらいで折れるようなことは無いのだけれど。
「ああ、お水なくなっちゃったぁ」
不意に素っ頓狂なヘリオスの声が響いた。水の入っていたボトルをさかさまに振りながら、首をかしげている。
「おいおい・・・水分補給だけは・・・ちゃんとやれよ」
「う〜ん、じゃぁ買ってきますねぇ」
「あー・・・どうせすぐなくなるんだ、アタシとこいつの分も頼むぜ・・・」
「はぁ〜い!」
ヘリオスはそう言うと小走りで空き地から出ていった。まだ息が上がりっぱなしで動けないパーマーとツインターボと比べると、異次元の回復力であると言わざるを得ない。
「・・・ヘリオスさん・・・どうなってんですかね・・・」
「・・・さすがにあいつは・・・おかしいな・・・連闘でGI走るくらいできるぜ、あれ・・・」
レース中に発揮できるスタミナは勝っていたかもしれないが、体力・回復力というところで見ると、どうやっても敵わない相手であるようだ。もっともそれは、ひとつひとつのレースというカテゴリーだけで考えれば、あまり活きるとは思えない才能なのだが。
5分ほど経っただろうか。
しばらく冬の冷風を浴びていると、息も整ってきた。横にいる小さな少女は未だに突っ伏してゼェゼェ言っているが。
「あのー、もしかしておふた方はスプリントのレースに普段出てるんですかね?」
不意に走りながら浮かんだ疑問を、自分が持っていないもののルーツを知りたくなった。
ツインターボは未だに死んだ目をしていたが、気だるそうにして口を開く。
「・・・いや、アタシは専ら中距離、ヘリオスは・・・レース出まくっててよくわからん」
「・・・」
じゃあやっぱり暴走だったんだな・・・
「普段のレースでもあんな感じで?」
「アタシは・・・そんな器用じゃねーよ・・・」
「・・・勝ててないですよね?」
「・・・まあ、アタシは・・・あんまり勝てねえかな・・・」
「もっとペース考えた方がいいと思うんですけど」
少し間が空いて、返事の代わりに、大きなため息がひとつ聞こえてきた。
「お前・・・どうしても勝てないって相手いねえのか?」
「・・・いますよ、いくらでも」
「まさかとは思うが、勝てないって諦めてんじゃねぇだろうな?」
思わずふーっと息をつく。
ふたりして嫌なところをピンポイントで踏み抜いて来るとは思っていたが、こんなことまでしっかり当ててくるとは。
「そうですね・・・今は諦めてるかもしんないですね」
今は、だ。
「アタシはいくら勝てないって思っても、勝ちを諦めたくはないんだ・・・だからぶっ飛ばすんだよ・・・」
「だから?」
「これは例え話だけどよ・・・前半も後半も58秒で走るスーパーウルトラウマ娘がいたとするだろ?じゃあ、そいつになんとか勝とうとするなら、どうしたらいい?」
「・・・わかんないです」
「勝とうと思うなら、そいつの前にいるしかねぇんだよ・・・前にさえいれば・・・息が切れても死ぬ気で脚を前に出せば、抜かせさえしなければ、勝つ可能性は潰えねえ。でも、ペースを気にして優等生みたく前半を60秒で流したら・・・アクシデントでもねぇ限りそいつには絶対勝てねえじゃねーか・・・」
「それが逃げの矜恃ってやつですか」
「・・・どんな相手にも勝てるかもしれねぇのは・・・逃げだけなんだよ・・・」
──どんな相手にも、か。
レースに賭ける意地、というようなものだろうか。
なんだ、とても強いじゃないか。
リバーにだって同じようなものを感じたじゃないか。
「あの、もうひとつ聞いてもいいですか」
「それ・・・今じゃないとダメか?」
「できれば」
「・・・言えよ」
「ツインターボさんの勝てないって思う相手って──」
「お水買ってきましたぁ〜!」
急に後ろから声がしたので普通に驚く。
そこには、10本くらいの500ミリリットルペットボトルをいっぱいに抱えて、満面の笑みを浮かべているダイタクヘリオスが立っていた。さすがに過剰な気がする。
「あのねぇ〜、すぐ近くにあったコンビニがいつの間にかマッサージ屋さんになってたから結構遠くまで行ってたんだぁ」
「あー・・・おつかれさまです」
「せっかく買ってきたんだから、パーマーちゃんも飲んでねぇ」
ヘリオスから水の入ったボトルを受け取る。買った時には冷たかったであろうそれは、体温と時間経過で少しぬるくなっていた。
「ヘリオスさんは──」
「呼び捨てでいいよぉ、パーマーちゃんわたしと歳いっしょでしょ?」
「え、わたしのこと知ってるんですか」
「タメ口でいいよぉ〜、あのね、最近わたしのトレーナーさんに話聞いたことがあったんだぁ」
「・・・さっき河川敷で『知らないなぁ〜』みたいなこと言ってませんでしたっけ?」
「『会ったことありますか?』じゃなかったかなぁ、確かに会ったのは今日が初めてだと思うよぉ」
「・・・まぁいいや、ヘリオス──は、なんで逃げるんで・・・逃げるの」
「ん〜、わたしはししょーみたいになんでもかんでも逃げるわけじゃないよぉ」
「え?」
「だってぇ、毎回なにも考えずに逃げても勝てるわけじゃないんだから、まわりの子の得意戦法とか考えて走らないとねぇ・・・あ〜、でも逃げるのがいちばん好きだよぉ、目の前に誰もいないのは気持ちいいし!」
「・・・じゃあなんであの人についてるの?」
「う〜ん、わたしも逃げて勝ちたい子がいるからだねぇ」
「それは逃げないとダメな感じなの?」
「そうだねぇ〜、わたしには振り向いて欲しい子がいるんだけどねぇ、その子はわたしにはあんまり興味がないみたいで、知らんぷりされちゃうんだ・・・でもねでもね、先頭に立って逃げてたら、その子にずぅっと見てもらえるでしょ!だから、逃げもできるようになりたいんだぁ」
「うーん、ごめんよくわからない」
冷ややかな視線を送るパーマーをよそに、ヘリオスは目をきらきらさせながら熱弁を続ける。
「それにねぇ、ししょーくらいずぅっと全力で走ってるウマ娘なんて他にいないしねぇ、歳下だけど尊敬してるんだぁ」
「・・・え?ちょっと待って歳下?」
「あれ、言ってなかったかなあ、ししょーはわたしたちのひとつ歳下、去年クラシックに出てた学年だよぉ」
「絶対歳上だと思ってた・・・」
少し後ろで突っ伏したままの小さな娘を見る。小柄な身体に大きなふたつのおだんごヘアー、それに高めの声と、確かに言われてみればむしろ歳下属性の要素は揃っていた。ただ言動や行動がとてもそうは見せなかった、ということなのだろうか。
「・・・あ、そういえばツインターボ・・・さんのお水もあるんじゃなかったっけ」
「あぁ〜、そうだったねぇ、ししょーのぶんも買ってありますよぉ!」
しかし、ふたりの視線の先にいる水を欲していたはずのツインターボからは返事が返ってこない。そういえばさっきと同じように地面に突っ伏したままであるが、ずっとゼェゼェ言っていたはずの呼吸音はいつの間にか収まっている。
「おーい、ツインターボさーん・・・」
ぺちぺち。
反応がない。
耳を掴んでみる。
反応がない。
ペットボトルを開けて頭に水をかけてみる。
反応がない。
「・・・あのー、ツインターボさん意識ありません」
「はぁ〜、やっぱりドクターストップは本当だったんだねぇ」
そんなことを言っている場合ではなさそうだ。
・・・・・・・・・・・・
暮れからの吹雪続きの天気もひと段落して、洞爺湖畔にも太陽がたびたび顔を出すようになっていた。
もっとも、地面が一面雪景色なことには変わりはないのだけれど。
「帰郷早々あまり穏やかな話でなくてすみません、姉様」
屋敷の外、湖畔の雑木林の中をふたりのウマ娘が歩いていた。
確かに晴れてはいたが、木々の中を寒風が吹き抜けていくことに変わりはない。おかげで、どこか声にも刺がある。
「う〜ん、パーマーちゃんにそんな行動力があるとは思わなかったわね、若気の至りってだけじゃないでしょうし」
「・・・放っておいて宜しいのですか?」
「いいのよアルダン、今は好きにさせてあげなさい」
「お言葉ですが、姉様」
アルダン、と呼ばれた中性的な出で立ちのウマ娘──メジロアルダンは畏まって口を開く。
「当家にも名門としての格というものがあります。見逃したままだと、『メジロ』という名に傷がつくようなことが起きないとも言い切れないのでは?」
「そうねえ・・・じゃあアルダンはなんでパーマーちゃんが出ていったと思う?」
「それは・・・マックやライアンとの比較に耐えられなかったという事ではないのですか?」
「う〜ん、たぶん30%くらい正解ね」
「と、いいますと?」
「まあ、私はパーマーちゃんじゃないから確証はないけど、遠からず近からず、ってことよ」
怪訝な顔をしているアルダンをよそに、大きな帽子からのぞく長い黒髪を靡かせて湖の方に足を進める。
「まあそれに、あの娘が、いえ、あの娘に限らずメジロの名を持つものが最後に帰ってくるところは、いつだって変わらないのよ」
「しかし、それではおばあ様が・・・」
「な〜に、あの耄碌おばあちゃんが何か言ってるの?」
「いえ、まだ何も」
「ふ〜ん、まあその何も言ってこないってのが答えなんじゃない?・・・あれ、噂をすれば」
湖のほとりに老婆が立っていた。ふたりが今話題に挙げていたその人であることに疑いの余地はない。
「はるばる帰ってきましたよ〜おばあちゃ〜ん」
声をかけられた老婆は、驚くことも無くゆっくりと振り向く。
「帰っておったのか、ラモーヌ」
「いや〜、たまには後身の育成をと思ってね?」
「心にもないことを」
「え〜、そんな薄情に見える〜?」
「ふん、情云々の前に元より教えベタのお前にそこは期待しとらんわい」
「にしてもここ寒すぎでしょう・・・みんなであったか〜いとこでも行きましょうよ、今どき雪上トレーニングなんて流行らないわよ」
「そんな戯言を言いに戻って来たのか?」
「ふふっ、まさかね〜」
飄々としていたラモーヌは、途端に真剣な目付きになった。
「マックなんだけど、私に預けてくんない?おばあちゃん♡」
「・・・後身の育成ってのは、戯言じゃないんじゃな」
「うふふ」
不敵な笑みは、吹き付ける風に乗ることなく留まっていた。
桜花賞、◎シゲルピンクダイヤで0円でした。
皐月賞は◎アグネスタキオンです(錯乱)