そして少女は掴み取る   作:ニシウラ

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#06 目標とリミット

トレセン学園の保健室は、そんじょそこらの病院となんら変わりない程度には設備が充実している。

というのも、ウマ娘は人間とほとんど同じような見た目であるにも関わらず、トップスピードに乗れば車と同じようなスピードが出てしまう。そのような生き物であるから、例えばトレーニング中に転倒したりすると大怪我どころか最悪命にもかかわり、迅速な治療が求められる。

そういった事情から、学校施設とは思えないほど医療設備には大きく力を入れているのだ。

 

そんなわけで、メジロパーマーとダイタクヘリオスが返事のひとつもしなくなったツインターボを運び込んだのは、必然的にここであった。そもそも、救急車を呼んで大きな病院に運び込むよりも、ウマ娘の脚力で河川敷を学校までぶっ飛ばしたほうが早い。実際に、10分も経たないうちにツインターボはベッドの上の人になっていた。

 

「・・・うん、だーかーらーこの娘には私がいいって言うまで走るなって言ったはずなんだけど、やっぱり無視したのね」

白衣に身を包んだ明るい茶髪のウマ娘は、自分の言いつけをハナから守る気がなかったであろう元患者を目の前にして、ため息をついた。

 

「あのーせんせ、テンポイントせんせ」

「どうしたの、スパート」

腕に『保険委員長』と書かれた腕章をつけたドクタースパートが、おろおろした様子で校医であるテンポイントに助けを求めているような目をしている。

「ツインターボさんを運び込んできたあのふたりも、診てあげたほうがいいんじゃないでしょうか」

「え?」

ドアの外の廊下を指さすドクタースパートに従って外に出ると、そこには先程息を切らしながら問題児を運び込んできたウマ娘がふたり、仰向けのまま行き倒れていた。

「・・・あー、こりゃこの娘たちの保護者サンも呼び出さなきゃなんないかな」

もう一度深くため息をついて、スマホを取り出した。

 

・・・・・・・・・・・・

 

「・・・あれ?」

目覚めると、見知らぬ天井が見える。

ここは──保健室だろうか。脚周りの筋肉痛以外に痛むところはないが、身体を起こすと何かがのしかかっているように思えるほど、疲れが残っている。

なぜここにいるか、そのあたりの記憶が曖昧だ。えーと、わたしはどうして──

「あーそうか、ツインターボさんをヘリオスとふたりで運んで・・・それから──」

言いながら周囲を見回そうとして、ベッドの横に座っていたウマ娘に気づき、驚いて耳が跳ね上がる。

 

ヘリオスよりも短く切り上げたベリーショートに、大きな白い流星のウマ娘。

マックイーンの時と同じだ。また会いたくない相手が目の前にいる。

「やあ久しぶり、大丈夫?」

「ライアン・・・なんであんたがいるのよ」

ニコニコしているメジロライアンを、パーマーは睨みつける。

「だってわたし、保健室の常連だから。去年の秋終わりくらいまでずっと脚痛めてたし」

そういえばそうだったか。連絡もよこさなかった上に他のウマ娘にはあまり興味もないパーマーでも、GI戦線でも有力なウマ娘の故障情報くらいは、嫌でも耳に入ってきていた。

 

「まあ、今回は保健室に用事があったんじゃなくて、先生から直々に呼ばれたから来たんだけどね。あなたの姉妹が行き倒れてて、今寝かせてるから迎えに来て、って」

「なに、わたしの保護者があんたってわけ?」

「まあ同じメジロの姉妹だし、そういう扱いでも不思議はないんじゃない?」

「ふーん、いい迷惑でしょ、そっちからしたら」

「そんなつんけんしなくてもいいじゃないか、久しぶりの姉妹水入らずなんだから、さ」

「わたしは誰かに邪魔して欲しい気分だけどね」

皮肉たっぷりに返すと、パーマーはベッドから出ようとする。

「なんだ、もう行くのかい?」

「別にわたし病人でも怪我人でもないし、貴重なベッド占拠するわけにもいかないでしょ」

「ふーん、まあ寮まで送るよ」

「あんた美浦だから真逆でしょ、来なくていいから」

そう言って、ベッドを囲んでいるカーテンに手をかけた。

「まあ、今日のところは疲れてるだろうから帰って休んどくんだよ」

相変わらず明るいトーンでライアンは語り掛けてくる。

「・・・あんたは、マックイーンと違ってなんにも言わないのね」

「うん、言わないよ」

「高みにいるウマ娘様は、わたしみたいな落ちこぼれに興味なんてないってこと」

「まさか、単にパーマーの意志を尊重してるだけだよ」

「ふーん、物は言いようね」

「本気だって、パーマーがそんな簡単に生まれ育った家をポイ捨てするような子じゃないことくらい知ってるさ」

「知ったようなこと言わないでくれる?わたしのことなんてなにも知らないくせに」

振り返ってライアンを睨みつける。

理不尽なことを言っているとは、自分でも分かっていた。それでも、怨念か嫉妬かもわからない感情をぶつけたいのだ。

 

「・・・うん、そうだね、わたしはパーマーじゃないからパーマーが何を思って出ていったか、そんなこと分かるはずがない。だからわたしは何も聞かないし何も言わないよ」

「・・・」

「ま、もし戻りたくなったらいつでも帰ってきていいからね。家内に嫌がる人もいるかもしれないけど、わたしとマックイーンが力になれるなら、その時は協力するよ」

「おあいにくさまだけど、たぶん頼ることはないわね」

「まあまあ、待ってるからね、それじゃ次会う時はレースで、かな?」

「あんたがそこらへんのオープン競走にわざわざ出てくれるなら、そうかもね」

「いや、勝負服を着て待ってるよ」

勝負服──GIレースに出る時にだけ着ることができる、特殊なユニフォーム。毎レースのように着ているライアンやマックイーンと違って、パーマーは、1回しか着たことがなかった。

部屋の押し入れのどこにしまっただろうか。それすらわからなくなっていた。

「・・・まあ、考えとく」

ライアンには聞こえないような小さな声で呟いて、カーテンを開け外に出る。

 

「あれ?」

「あれ?」

そこにはまた見知った顔がふたつ。

「おね」

まんまるちっちゃな元気いっぱいウマ娘・エルカーサリバーは、そこまで言おうと──いや、叫ぼうとするとあわてて自分で口をふさいだ。

「おっ、リバーもちゃんと病院では大声は出さない、って学習したじゃないか」

トレーナーがそういうと、嬉しそうにリバーは口をふさいだまま首を大きく縦に振る。

「え?ふたりともなんでいるんですか」

「いや、保健の先生様からお電話いただいたからね」

「なんですか?わざわざ迎えに来てくれたんですか?」

「あーその・・・申し訳ないんだけど、キミもいることはたった今知った」

「え?じゃあなんで」

「・・・なんか保護者ってことになってるみたいだから、呼びに来たんだよ、彼女を」

そう言うとトレーナーは、パーマーがいたベッドの隣のカーテンを開ける。

 

そこには、バカみたいなランニングを共にした同志が、軽くいびきをかきながら枕を抱き布団を蹴っ飛ばして爆睡していた。

「・・・え?ヘリオス?」

「そう、この子を迎えに来たんだよ。倒れてるってか爆睡してるから迎えに来てくれ、あなたのチームの子でしょ?って先生に言われちゃったからなあ」

 

頭の中に疑問符が大量に浮かぶ。パーマーの知る限り、このチームには自分とリバーのふたりしか所属していなかったはずだが。

 

というかそれはリバーも同じだったようで。

 

「あーーー!!!この人おねーさんをさらった」

そこまで叫んでリバーはまたあわてて手を口に押し当てる。いや、もう保健室が軽くざわついているので手遅れなのだが。

 

「誰っ!?騒がしくしてるのはっ!?」

保険委員長の怒りに満ちた声が聞こえてくる。ここに長居するのはあまりいい結果を招かなさそうだ。

「あー・・・よし、こうなったらまだヘリオスくん寝てるけどクラブハウスまで移動させるか」

「え?」

混乱しているパーマーは思わず間の抜けた声を漏らす。

「どうせ近いうちに軽くミーティングでもしようと思ってたからね。正直彼女はいてもいなくてもどっちでもいいんだけど、連れ帰ってって言われている以上、担いでいくしかないか」

「え、いや待って、どういうこと・・・なんでヘリオス?」

「よし、俺上半身持つからリバーとパーマーくんで脚支えてあげて」

「ひーとーのーはーなーしーをーきーけーっ!!!」

「おねーさんっ!!!保健室ではしずかにしないといけません!!!!!」

「そこーっっっ!静かにしなさぁぁぁぁぁい!!!」

保健委員長・ドクタースパートの怒りの叫びから逃げるように、3人は相変わらず爆睡したままのヘリオスを抱えて、逃げるように保健室から飛び出した。

 

・・・・・・・・・・・・

 

「──さて、とりあえず説明してもらいましょうか」

「・・・イッタイナンノコトカナ」

 

ドンッ!!!

 

パーマーが机を勢いよく叩いた音に反応して、トレーナーとリバーは思わず肩を震わせる。

チームポラリスのクラブハウスに舞い戻った3人は、相変わらず爆睡を決め込んでいるヘリオスを隅っこのイスに横たわらせ、今は部屋の真ん中にある机に向かって膝を突き合わせている状況だ。

 

そして、目が泳いでいるトレーナーに対してパーマーは追及を行っていた。かたわらにはリバーもいるが、彼女もヘリオスのことについては何も知らないようで、まんまるな目でトレーナーをじぃーっと見つめている。

 

「で、わたしが知らないチームメイトがいるって、いったいどういうことですか〜???」

「そんな話しらなかったのです!!!」

「いや違うんだ・・・確かにヘリオスくんもチームメイトっちゃチームメイトなんだけど・・・」

「「なんだけど???」」

「いや、単に名前を借りてただけなんだよ、彼女の」

「なんで?」

「・・・あのね、『チーム』として学校から認定されて、設備や予算、練習場所を割り当ててもらうには最低でも2人の学園生が必要なんだよ」

「わたしが入るまではリバーとヘリオスのふたりでやってたってことですか?」

「まあそういうことだな・・・最も、ヘリオスくんについてはさっきも言ったように『名前を借りていただけ』だから、チームメイトとして僕とリバーと一緒に活動していたことはほとんどないんだけど」

「・・・リバーもこのこと知らなかったんだよね?」

「はい!しりませんでした!」

「リバーも知らないんだったらそれはもうチームメイトじゃないでしょう・・・」

「実際そんなんだから、今日呼び出されたのもちょっとびっくりしたんだよな・・・まあ確かに、チーム所属名簿に名前がある以上、僕のところに連絡が来るのも当然なんだけどね」

「・・・とりあえず事情は分かったんですけど、なんでヘリオスなんですか?というか、なんで幽霊部員になってんですか?」

「練習に来ないのは外に師匠──ってか、キミを連れ去ったもうひとりがいるからって言ってたな」

「もしかしてツインターボさんのことも知ってたんですか?」

「というかあのふたりについては、キミが知らない方がおかしいと思うんだけどな・・・レーススタイルが破天荒すぎるツインターボくんも、GIウマ娘にもかかわらずなぜか弟子ポジションにいるヘリオスくんも有名人なんだけど」

「・・・え?GI?」

「・・・ヘリオスくんは去年のマイルチャンピオンシップ勝ってるんだよ」

「このおねーさんそんなにすごいひとなんですか!!!」

「そうだぞ〜、リバーもGIくらいは知ってたか」

「授業でならいました!!!フラワーちゃんやブルボンちゃんよりもすごいんですか!!!」

「そうだなあ、そのふたりでもなかなか勝てないだろうなあ」

 

GIウマ娘。誰もが憧れる称号を持ったウマ娘がすぐそこにいると知ったリバーは、見るからにテンションが上がっているようだ。

そして、パーマーも何故かどこかでヘリオスの顔を見た事がある気がしていたが、理由がやっと分かった。おおかた、新聞なりニュースなりでその時の顔を見ていたのだろう。

リバーとは違ってGIウマ娘どころか、他のウマ娘に全然興味がないパーマーは気にも留めていないつもりだったが、無意識のうちに脳裏のどこかにその顔がこびりついていたのだろうか。

 

「ふぁ〜あ、ここどこ?」

 

パーマーの背後から気の抜けた声がする。声の主はようやく長い眠りから醒めたようだ。

 

「あ〜、トレーナーさんにパーマーちゃんもいる」

「・・・あんたのチームのクラブハウスじゃないの、ここ」

「へぇぇ、そうだったんだねぇ、来たことないから知らなかったよぉ」

まだ眠いのか、目をこすりながら気の抜けた声で返事をする。

 

「一応形の上ではチームメイトなんだから、これからはキミも来てくれていいんだぞ?」

「うーんどうしようかなぁ、じゃあたまにお昼寝しにくるねぇ」

「あのあのあの、はじめまして!!!あたしエルカーサリバーっていいます!!!」

「ええっと、サリバーちゃん?よろしくねぇ」

「サリバーじゃないです!!!リバーです!!!」

「あ〜、リバーちゃんはかわいいねぇ〜」

名前のアクセントを間違えられてむくれたリバーの頭を、やさしくヘリオスは撫でる。

精神年齢はどちらも幼く見えるが、こうやって見ると親子にも思えてくるような身長差だ。

 

「ねぇ、あなたがわたしのこと知ってたのってもしかして・・・」

リバーのほっぺをぷにぷにして遊んでいるヘリオスにパーマーは声をかける。

「そうだよぉ、このまえトレーナーさんが、新しくキミと同い歳の子が入ってきてくれたって教えてくれたから、パーマーちゃんのこと知ってたんだぁ」

「そのトレーナーさんってのはこの人で間違いない?」

「ふふ、他に誰がいるのぉ」

「・・・ツインターボさんと一緒にわたしをさらったのもその情報があったから?」

「いや、それはたまたまだよぉ」

「ほんと〜?」

 

非常に胡散臭い。そこのトレーナーが暴走逃げウマ軍団にわたしの脚質を漏らしたせいで、無駄な面倒事に巻き込まれるハメになったのではないだろうか。

そんな疑念がふつふつと湧いてきて、パーマーは白い目でトレーナーの方を見る。

「いやいや、本当になにも言ってないんだって・・・この前、中庭でばったり会った時キミが新しく加入したことは近況報告的に伝えたけど・・・」

パーマーから疑いの視線を向けられたトレーナーはあわてて両手を振り否定する。

 

「・・・まあ、そこ問い詰めてもなにか変わるわけでもないからもういいです」

「ほんとに潔白なんだって、信じてくれよ〜」

「まあまあパーマーちゃん、これからはチームメイトとしてよろしくねぇ」

「あんた練習来ないんだったらチームメイトもなにもないでしょ」

「う〜ん、でも師匠も身体ガッタガタみたいだからあんまり走ってもらいたくないしなぁ」

 

そこまで言って、ふたりはようやくそのことに気づいた。

 

「「あれ?ツインターボさん(ししょー)は?」」

「わたしとパーマーちゃんで病室に運んでぇ・・・そこまでしか記憶がないなぁ」

「わたしもすぐ疲れて倒れちゃったみたいだから、記憶がそこまでしか・・・」

「保健室で寝たままなのかなあ?」

「いや、あんた連れ出した時には少なくとも見当たらなかったけど」

「ししょーいびきものすごく大きいから、いるなら気づくと思うよぉ」

いびきはあんたも大概だけどね。

それはいいとして、ヘリオスの証言からするとツインターボは既に保健室にはいなかったことになる。

もしかしてもう帰されたのだろうか。いや、保健室の先生の怒りを取り繕った笑顔を見る限り、そんなことが許される空気ではなさそうだが・・・

 

「まあ、でもツインターボくんはどっちにしろ体調よくないみたいだし、今日倒れたってんならもう無理に外で走らなくてもよくないかな?」

「う〜んそうだねぇ、うん、それにパーマーちゃんもいるから、ししょーが帰ってくるまではここで走ることにするよぉ」

「パーマーくんも良かったな〜、これで同い歳の併走相手ができたぞ」

「いや、ヘリオスの併走って絶対ペースもなにもないような暴走ですよ・・・練習にならないとしか・・・」

「え〜、わたしふられちゃったぁ?」

「ヘリオスおねーさん!!!それじゃパーマーおねーさんのかわりにあたしと走ってください!!!」

「いいよぉ〜よろしくねぇ」

「やったー!!!」

「あーその、盛り上がってるとこ申し訳ないんだけど、パーマーくんはヘリオスとやってもらう、あとリバーはさすがにまだ古ウマとやるのはダメだ」

「そんなー!!!」

「・・・分かりましたよ、でもさすがにあんたもペース考えて走ってよね」

「そうだね〜努力するよぉ」

「いや、ヘリオスくんはその暴走ペースのままでいいぞ、というかパーマーくんも併走の時は同じようなペースで走るように」

「え?」

 

意味がわからない。あの暴走ペースで走ることをこともあろうにトレーナーという立場の人間が推奨するのか?

レースで勝つことを考えるなら、あの無茶苦茶な暴走に意味があるはずがない。「前にいれば可能性はある」というツインターボの考え方には感心したが、それとこれとは別だ。現に今日のランニングではツインターボはもちろん、横にいるGIウマ娘(であるらしい)ヘリオスだってしっかり急失速した。

 

「うーん、ご不満かな」

「・・・ヘリオスやツインターボさんには悪いけど、あんなものがなんの練習になるってんですか?理解できないです」

「その説明も含めて今から軽くミーティングしようと思ってたんだ、とりあえずリバーとパーマーくんはこのプリントを見てくれないか」

そう言ってトレーナーから手渡されたプリントを覗き見る。そこには、今後一週間のトレーニング計画や次走予定が記されていた。

 

記されていたが。

 

パーマーは次走予定のところを見て目を疑った。

 

「よーし、とりあえずリバーは次2月頭のつばき賞だ」

「はいっ!!!」

「もしここを勝てたら、チューリップ賞かアーリントンカップを経由して目指せ桜花賞!だな」

「フラワーちゃんと走れるんですか!!!」

「そうだなー、でも全てはつばき賞を勝ってからだ、トレーニング頑張ろうな」

「はいっ!!!」

 

「あの〜・・・」

 

「で、ヘリオスくんは・・・」

「勝手にマイラーズカップに行こうと思ってましたぁ」

「まあやっぱ勝手に決めてたよな・・・まあ、それで問題はないから明日からは僕のメニューに従ってくれるかな?プリントもまた渡すから」

「いいですよぉ、パーマーちゃんとの併走楽しみだなぁ」

 

「あの〜・・・」

「ん、パーマーくんどうした」

「これ・・・間違いじゃないんですか?」

「うーんどれどれ・・・いや、全然間違ってないね、ここに向かってしっかりトレーニングしていこうな!」

「無理に決まってんでしょうがあああ!!!」

絶叫したパーマーは目の前のトレーナーにつかみかかり、胸ぐらを激しく揺らす。

「え〜と、3月29日、阪神のコーラルステークス・・・芝1400m。」

 

パーマーの手からこぼれ落ちたプリントをヘリオスが読み上げる。

 

「マイルでも短いなんてもんじゃないのに、スプリントとか論外なんですけど!!!」

「痛い痛い、離して離して!!!」

「ふたりとも、けんかしないでください!!!」

半泣きのリバーの絶叫が部屋中に響き渡った。

 

・・・・・・・・・・・・

 

保健室が騒々しくなってから少しあと、戻ってきたテンポイントはふたつのベッドがもぬけの殻になっていることを確認して、一息をついた。

いや、窓側にあったベッドの横には未だに客人がひとり、座ったままであったが。

 

「あれ、パーマーちゃんはひとりで帰ったの」

「いやあ、寮まで送っていこうと思ったんですけどふられちゃったみたいです、ヘリオスといっしょにトレーナーさん?がついていってくれたみたいですよ」

「ふーん」

「先生こそ、人を呼び出しておいてどこにもいないのはひどいんじゃないですか?スパートさん、疲れて死にそうな顔してましたよ」

「まあ私にもいろいろあるのよ・・・脱走犯を地下室に縛り付けたりね」

本当に病人なのか疑わしいほど元気すぎる患者が、ふたたびテンポイントの脳裏に浮かぶ。幸い気を失ったままだったので今回の拘束には手こずらなかったが、目を覚ましてからのことを考えて今から憂鬱になる。

 

「というか、呼び出した案件が片付いたのなら帰ってもらっててもなんの問題もなかったのだけれど」

「いや、わたしもちょうど話したいことがあったんで待ってました」

「というと?」

「わかってるくせに、脚のことですよ」

「・・・見せてみて」

ライアンを先程までパーマーが寝ていたベッドに腰掛けさせ、テンポイントは触診を行う。

ライアンの右脚の腫れは一見治まっていたが、直接触れてみるとなるほどまだ軽くしこりがあった。

 

「・・・まだ痛むの?」

「そうですね」

「本当は?」

「・・・まだ、というよりはずっと」

「じゃあ自分でも痛みをわかってて黙って復帰したのね、あなたもあの地下室にいる娘と同じじゃない」

「夏のグランプリを勝ったウマ娘が冬のグランプリから逃げていいはずがないじゃないですか、それにもう一度決着をつけなきゃいけない相手もいたんですから当たり前ですよ」

「・・・まあその件については、腫れが消えていたとはいえ、あなたの自己申告を鵜呑みにしてゴーサインを出した私にも責任があるわね」

 

そう言うとテンポイントは、ベッドの下から何かを取り出そうとする。

「なにしてるんですか?」

「あなたの脚を固定するのよ、医者としてそれは見過ごせないからね」

そう言って引っ張り出したものは、簡易的な固定具であった。

「そんなことをしてもらうために私は先生を待っていたわけじゃないですよ」

「私は私の仕事をするだけよ、時には患者の意志を無視することだってあるわ」

「今月末、レースに出るんです」

「じゃあそれは回避するしかないわね」

「嫌だと言ったら?」

「いい加減にして!」

不気味なほど静かだった室内に怒声が響き、間を開けずまた冷たい静寂が戻る。騒音を注意する保険委員長ももういないようだ。

 

「今無理をして、走れなくなることがどれだけ辛いことか貴方は知らないでしょう!私はもう、そんな思いを誰にもさせたくないの」

「・・・先生は優しいですね。でも私にとっては、将来走れなくなるよりも、今走れない方が苦しいです」

「・・・何をそんなに急いでいるの?今ダメでも、しっかり治しさえすれば──」

「いや、もうどちらにしろ元の脚には一生戻らないと思います」

「・・・随分刹那的ね」

「他人のことはわからなくても、自分のことは自分が一番わかるんです。脚を壊して選手から裏方にまわった先生も、そうだったんじゃないですか?」

 

また重い静寂が訪れる。

沈黙を破ったのは、テンポイントのほうだった。

 

「・・・どれくらいだと思うの?」

「具体的なところまではわからないですけど、どちらにしろもう長くないです。持って半年──ですかね」

「それでどうするの、引退するって言いに来たんじゃないでしょう?」

「もちろんしないですよ、本当に走れなくなるまではやります」

「・・・何があっても見過ごしてくれって言いたいの?」

「はい、あと痛み止めでもくれたら嬉しいなって」

寂しそうに笑うと、ライアンは外を眺める。1月の太陽は既にどっぷり落ちて、月明かりと中庭の街灯の光だけが窓から部屋の中を照らす。

 

最後にもうひとつ、あとひとつだけやりたいことができた。

 

自らの終着点を決めたライアンの顔は、晴れやかにも泣きだしそうにも見えた。

月は薄雲に覆われて、先ほどよりも少し暗くなった光が窓から保健室内を照らしていた。




えらく更新が遅れてしまいました。。。
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