Fate/the Atonement feel 改変版 作:悪役
シンは今、自分が住んでいる町を適当に歩いていた。
目的も理由もない歩行は最早、夢遊病のそれに近い。
ゆらりゆらり、と揺れる自分はまるで海に漂う塵屑のような気分で、酷く無様だ。
同じように流れる人々は、決して明るかったり、熱意があるような顔を浮かべているわけではないが……それでも、歩く為の理由を以て歩いていた。
仕事の為に歩いているものもいれば、買い物の為に歩いている人もいる。
自分みたいに学校帰りの人間もいれば、ただ遊びに行く為にものもいた。
あるいは主要の通りにはいないが、路地に通るような道には蹲る人間もいた。
誰も彼もが幸福を噛み締めているわけではない。
幸福なだけな人間が皆無で………しかし、逆に不幸なだけの人間は存在する。
それを理不尽だ、と弾劾する権利も無ければ、吠える勇気もない俺だが……
それでも、そんな両者に対して、醜い憎悪を生んでしまう自分の思考回路に、最早、呆れる事も出来ない。
人間にとって生きる事は苦痛の連続でしかない、というのを心底理解しても、俺にはそんな苦痛を当たり前に受け取れる人が余りにも憎らしく────乾いた笑みを浮かべるしかない程に羨ましかった。
「………意味のない嫉妬だな、シン」
思わず口に出して呟く言葉の軟弱なこと。
無味乾燥な嫉妬心では何一つ意義を生み出さない。
さもありなん。
シンはただ、他人を無駄に羨んで、不幸面を浮かべ、被害者ぶっている餓鬼でしかない。
不幸なだけはいる────けど、幸福なだけな人間はこの世にいない。
凡人だろうが天才だろうが怪物だろうが英雄であったとしても、必ず傷を抱えている。
同じ傷を抱えているモノもいれば、個人特有の傷を持って苦しんでいる人間もいる。
誰も彼もが、己の傷に対して苦しみながら、それでも足掻いている。
俺だけじゃない。
俺だけが特別、傷ついているわけでもなければ、俺だけが特別過ぎる、というわけではないんだ。
解っている。
解り切っている。
解り切っているからこそ………その解り切った事実に性懲りもなく拘っている自分の卑屈さがどうにも醜くて
「ぁ………!!」
────下らない思考が一つの小さな、しかし心に届く鳴き声によって断ち切られる。
反射的にそちらを振り返ると、そこには一人の、小さな少年が声を張り上げて泣いている光景があった。
人々がいる場所で、無邪気に泣けるのは子供の特権だな、と勝手に思うが、子供の涙には余程の事がない限り嘘はない。
今、少年が流している涙は、もしかしたら俺達にとっては酷く些細な理由によるものなのかもしれないけど………子供にとっては、それは慟哭を以て誰かに伝えねばならない苦しみだ。
………そんな少女の涙を、人々は気付きはしても、手を取ることもしなければ声を掛ける事もない。
何人かは振り向き、子供が泣いている事にどうしたのか、と眉を顰めるものもいるが結局、近寄らない。
酷い者によっては、そもそも無視している者もいる。
………国は違えど、どこにでもある光景だ
善意でもなければ、残酷な事に悪意ですらない形がそこにあった。
小さな子供が泣いても、それは自分には関係ないから、自分ではどうしようもないから、自分は忙しいから、で人は容易く悲しみを見捨てる。
………別に、そんな誰か達を責めるつもりはない。
こうして、何もしない自分も間違いなく同類であり………そもそも自分には誰かの手を取る資格がない。
だから、自分もその光景を胸に収めながらも、しかし目を逸らし、歩き出そうとし
「────ぱぱぁ………ままぁ………」
ああ、くそこの馬鹿………!
胸に浮かんだ怒りは全て己に向けられたものであり───歩き出そうとしていた足を戻し、少年の方に近寄る己の偽善に対する殺意であった。
苛立ちから生まれるそれは、決して小さなものでもなければ、嘘でもない。
なのに、体は憎悪を無視して、泣きじゃくる子供の傍まで歩き、膝を着く。
地面に触れた膝は汚れるが、そんなのは至極どうでもいいと扱いながら、声を掛ける。
「────どうしたんだ坊主。迷子か?」
声を掛けられた子供は泣きじゃくりながら俺を見上げる。
しかし、泣く事に熱中している為、言葉を上げる事も出来ずに、やっぱり少年は泣き続けるだけで、口も動かすことも出来ない。
通常の手段では、今直ぐに少年から言葉を貰う事は出来ない────魔術を使えば、別だが。
勿論。そんなものを使う気は一切なく、俺は根気強く、少年が泣き止むのを待った。
すると少年も俺が待っていると理解したのか。
必死にひき付く喉を抑えようとしながら、少年は確かな言葉を作り出した。
「い、いえ………か、帰れ、なくて………」
「迷子か。家の道は分かるか?」
やはり、予想通りに迷子か、と思い、それならば家に帰せば問題は全て解決するが、問題は少年が帰り道を覚えていなかった場合、どうするか、との事だが……少年は違うと首を振った。
「ぱぱとまま……何時もおこってて……だから……」
かえりたいけどかえれないの
「────」
少年の慟哭は酷く普遍的なもので………しかし、だからこそ重みを伝えてきた。
軽く少年の肉体を診てみたが、傷らしき部分もないし、庇っている様子はない。
怒っている、というのは少年に対してではなく両親同士であるというのならば………確かに少年は帰る事が出来ないのだろう。
少年が帰りたい家は怒りの声ばかりが上がる辛い家ではなく、自分によく帰ってきた、と告げてくれる暖かな家なのだから。
「………」
ありきたりな家なのだろう。
ありきたりの形が幸福ではなく不幸なだけの、よくある家庭。
当然、そんなこじれた人間関係をどうにか出来る能力はシンにはない。
自分は余りにも無価値で………無意味である事を望んでいるのだから。
だから、自分に出来る事は精々、この子を家に戻すだけで………だけで………
「そっか───でも、大丈夫だ坊主」
「え………」
「お前の父さんと母さんは………ほんの少し疲れているだけだ。何なら俺からも頼んでみるよ。もう少し坊主の事を見てやれって」
だけなのに………口から洩れる言葉は無責任な言葉の羅列。
正しく、子供にしか通じない戯言であり狂言の類だ。
それを本当の子供に告げているのだから、呆れるしかない。
そんな恥知らずの自分は、最後まで恥知らずに、無責任な言葉を綴る。
「大丈夫だ──ここには妖精も、人攫いもいない。帰りたい、と思えるのなら、きっとまだ帰れる」
──どの口が言う
そんな吐き気を催すような言葉を吐き散らかす口に憎悪しながら………シンは一度めを閉じ、そして開く。
そこには先程までは碧色に光っていた瞳は、まるで刃のような銀色に光り、そして──
※※※
「おにーちゃん! ありがとうーーー!!」
シンは少年が嬉しそうに手を振ってさよなるを告げるのを、その傍で少年の父と母が頭を下げるのを風景にしながら、背を向けていた。
少年の言葉には一切の虚飾も無ければ嘘もない────が、当然、そんな言葉を受けても、シンの心が晴れる事は一切なかった。
「………ほんと、無様………心の贅肉にも程がある………」
ポツリと独り言を漏らす言葉には心底からの吐き気しか籠められていない。
何だ、これは。
こんな事をして、俺は自分を許せれるとでも思っているのだろうか?
それとも何だ? これを贖罪のつもりだとでも思っているのか?
「ふざけんなよド畜生が………」
これで誰かが救えているとでも?
確かに先程の家族は運よく両親が確かに少年を愛していたからこそ、軽い暗示と魅了でどうにか出来たが、それでも他者の心情を弄んだ事には変わりないし、何よりもその場鎬だ。
焦点を今の状況から息子に少しだけ向けさせただけで、何れ暗示では誤魔化し切れない現状が、再びあの家族を襲う。
その結果、再び手を取り合うのか、離れるのかは流石に予測出来ないが………つまり、どっちにしろ自分がした事は無価値だという事だ。
無駄に掻き乱してるだけだ。
それを、まるでさも良い事をした、みたいに振舞うのだから、本当に殺したくなる程の屑だ。
はぁ………と大きな溜息を吐きながら、シンは空を見上げる。
何時の間にか、空は夜に塗り替えられ始めており、今の暦は二月である事を考えれば、まだまだここから冷え始めるだろう。
とっとと家に帰るのが吉なのだろうが………何となく今は帰る気が起きない。
かと言って、外食したり、人通りがある所を歩きたいわけではないので、どうしたものか………と思っていると視界に一つの建物が映った。
「教会か……」
日本では余り見る事がない神の家。
日本では神社の方が土地柄的に合っているが、欧州では当然、こちらがメジャーだ。
小さい物から大きい教会まで幾つもあるが、共通点として、教会は静謐だ。
痛いくらいの沈黙は最早、一つの境界だ。
今の気分には丁度合っている、と思い、足を向ける。
───信仰心など欠片も持ってはいないが
※※※
歯ぎしりするような音で開く扉を潜り抜ければ、そこは予想通りに沈黙の園。
普通の教会であるから、そこまで装飾過多ではないが、それでも日本の常識で見れば、十分に美麗な一部屋。
十字架に張り付けられた主を中心に、世界は今、凍った時の中にあった。
「────」
極限を超えた静けさは、それだけで一つの異常だ。
無音もまた一つの表現なのだろうが、完全完璧な無音は最早、現代には存在する事はほぼ不可能となっている。
その中で、この教会は現代で許される限りの無音を表現していた。
その余りの
静かであるという事は何もない、という事だ。
自分以外の誰もいない、という事がどれだけ救いか。
勿論、一番の幸いは自分という存在がこの世に一切の傷も残さずに消え去る事なのだが……それを成し遂げるには、自分には才能が無い、とよく理解していた。
だから、自分に許されるのは出来うる限り誰にも関わらず、ひっそりと暮らし、そしてとくに何も残さずに死んでいく事。
この世の誰もがしている事だ。
なのに………
「何で………」
そんな簡単な事も出来ないのだろう。
恥ずかしくて仕方がない。
そこまで考えて、ふと先程の子供を思い出し………泣いていた理由を思い出す。
家族。
自分を生んだ血の繋がった両親であり………子供が帰る場所。
どちらもシンが捨てて、逃げたモノだ。
それを思い出すと………本当に心の底から死にたくなる。
母さんからは託される筈だった魔術師としての夢と強さを捨てた。
親父からは本来、歩む筈だった理想と生き方を奪い、壊した。
本当に、散々な結果しか残していない。
せめて最後に残した"あの人"だけは笑ってくれているだろうか、と思うが………"あの人"も、母さんも親父も、無駄に………苦しいくらい優しい人達だから、気にしなくてもいい子供の事を、今も探しているのだろうか。
そんな事しなくていいんだ。
母さん………貴方の子は、魔術師としては欠陥品だ。
忘れて、無くして、出来るのならば次の子に託してほしい。
親父………あんたの子は、正義という観点からしたら落第品だ。
昔みたいに迷わず切り捨ててもいい存在だ。
否、それだと切り捨てられた他の人に失礼だ。
なら、自分は切り捨てられる価値すらない塵だと思って欲しい。
だから、と思い、見上げた先には何も映らず、それにホッとしながら
「────もう、いいんだ」
そんな下らぬ独り言を漏らし
「────良くはないだろう。君はまだ、何一つとして断ち切っていないのだから」
甘えた戯言だと、切って捨てる言葉が、己の体を切り裂いた。
「────────────あ」
思わず胸を押さえ、膝をつける俺は本当に斬り付けられた仕草をしており、他人から見たら大袈裟な、と言われるようなリアクションだろう。
しかし、シンを襲う衝撃は決してまやかしではなかった。
「ほぅ………流石、と言うべきか。如何に忘れ去ろうと君の魔術回路と魂は■■が刻まれている。で、あるならば君と私の位階はそう変わらない………いや」
全身が痙攣するような衝撃に抗いながら、ノイズが走る視界で前を見るとそこには何時の間にか人が立っていた。
黒衣のようなモノを着ながら、しかししっかりと立つ様は普通の人の姿の筈なのに………シンの感覚からはまるで数千年を超えても尚、勇壮と立つ偉大なる世界樹のように見えた。
人の姿でありながら、人の姿を超越した偉大なる何か。
人の視覚ではピントすら合わないのか。
顔も見えないまま相対するが………声を聴く限り、年は老境に差し迫っているらしい。
最も、声が老いていても、その強さは微塵とも揺るがず、老いてもいないのだが。
存在するだけで、世界を拉がせる存在を前に、シンの意識は混濁していく。
何もしなければ、それだけで倒れそうな存在を前にシンは何も出来ずに────
「その臆病な分だけ劣化はしているか────中途半端に
────唇を噛み千切り、その流血と痛みを以て不確かな己を繋ぎ止める。
他の罵倒ならまだしも未練を残している、というのは聞き捨てられない。
確かに自死を選べていない時点で未練があるのではないか、と言われても仕方がないが、かと言って、それ以外は自分は確かに捨てた筈だ、という思いが、怒りとなって目の前の存在を睨む力となる。
その事実に、ほぅ、と感嘆を吐き出していやがるが、そんなの知った事ではない。
俺は捨てたんだ。
家族も、初恋も、友人も、未来も、魔術も、生き方ですら捨て去った。
これ以上、何が俺に残っているという。
何時の間にか鋼の色に変貌している瞳に気づかないまま、その思いを視線でぶつける。
ただの人間ならば、それだけで串刺しになり、動きが止まるはずが、しかし目の前の存在は一切、気にも留めずに
「異な事を言う────君は何も捨てれていないではないか」
まだ言うか、という思いが意地となり、開くことも難しい口が勝手に喋り出す。
「何が………残っている、と言うんだ………!!」
「何もかもが。未だに魔術回路が全て残っているから、君の魔術師としての人生は何も途切れていない。君の家族と初恋の少女は、未だ諦めていない以上、君達は未だ繋がったまま。友も未来も────生き方も、君が今、こうして生きている以上、確かにあるものだ。ほら、君は何も捨てれてはいない」
両親の事どころか、自分の初恋の人ですら知っている様子に焦りを覚えながら………言われた言葉に絶句する。
………それは、確かにそうだ。
この■が言う通り、自分が捨てたと思っていた事柄は全て、己の内と外に残っている事になる。
無論、その気になればどれも今から捨てれるものだ。
魔術回路は焼き切ればいい。
大事な人との縁も、それ以外の全ても、■■シンという存在を全て抹消させれば、あっという間に全て捨て去れる。
だけど………だけど、それをすれば………
「君の両親が、君に注いだ全てが無価値と消えるだろうな。つまり───結局の所、君は君自身を裏切ることは出来ても、家族を裏切れ切れていない」
裏切れ切れていない────
それは呪いのような言葉であった。
ここまで裏切っておいて、最後の最後に踏み止まるなんて裏切り切るよりも性質が悪いではないか。
そんなどうしようもなさが………つい弱音となって口から吐き出された。
「じゃあ────どうしろってんだよ!!」
思わず教会の床を叩く。
床がひび割れたのを見ると無意識の内に強化の魔術を使っていたのかもしれないが、そんなのは知った事じゃない。
「あのまま突き進めば良かったって言うのか!! 魔術師のお題目の根源の渦とやらに!! 下らない!!」
凡百の魔術師が聞いたなら、百回殺されても文句を言えないような言葉を、臓物を吐き出すように叫ぶ。
「あんなモノに、何の価値があるって言うんだ!! 無限の叡智か!? 強大な力か!? 現代の科学技術では達成出来ない偉大なる魔法の力か!? 馬鹿か!? 全部………全部全部全部全部全部塵だあんなの!!」
そうだ。
あんなの塵だ。
好きで欲しがるようなものなんかじゃ絶対ない。
だって
「誰にも出来ない事なんて────ただ苦しいだけじゃないか!! 誰かにしか出来ない事なんて………! そんなの……いらない………いらないだろ………」
────オンリーワンがいい、とよく言葉としては聞く。
だけど、それは
それは………
「………ああ、全く。全く以てその通りだ。普遍、と言われると人間はつい嫌がるがね。だけど、人間は………
そう────誰にも出来ない、という事は、誰も同じことが出来ない、という事。
それは一つの頂点なのかもしれないが………翻して誰もそこに辿り着くことが出来ない、という結果に陥る。
勿論、何時かは辿り着く事が出来るのかもしれない。
しかし、何事でも………終わりが見えない終わりは、延々と砂漠を歩くような虚しさしか与えない。
良い事なんて一つもない………それを今、目の前の存在は肯定した。
思わず見上げると、やはり、男の顔は
「勘違いさせてしまったかもしれんが………何も私は君が逃げる事を否定するわけではない。ただ、君が余りにも窮屈な迷路に入って勘違いしているようだから、見ていて我慢が出来なくなってきてな」
強さはそのまま温かさに。
偉大さはそのまま肯定に。
どこまでも確かな姿は────そのまま■■シンへの許す言葉として吐き出された。
「────いいのだ。君にはまだ可能性がある。わ■しのようにならなくていい。君は、君が成りたいものになるがいい────」
自分が成りたいものになれ───
その言葉にはやはり、偉大な強さと………どうしようもない哀切が込められていた。
これ以上なく応援しながら………心の底から自分がこれから辿る道を憂いていた。
それは賢人の優しさであり、絶望でもあった。
これ程、偉大な人が、まるで背負うように闇を持っている事が余りにも哀しくて、何かを言おうとするのだが、張り詰めていた意識がぶちぶちと千切れる感覚によって視界は暗転しかけていた。
シンは気付いていないが、この存在が持っている存在感は確かにシンの自意識を圧迫しているが、意識を失いかけているのは、催眠の、厳密に言えば安眠の暗示をかけているからである。
本来ならば生半な暗示や催眠はシンの強靭な魔術回路が弾いてしまう筈なのだが……当然、生半なぞ軽く超えた魔を前にすれば、例え人の領域外に手を伸ばしつつある魔術回路であったとしても、敗北を喫する。
故に、叱咤激励を行う存在は、叶うのならば少年にとって最後の言葉になるよう、人の言葉を吐いた。
「覚えておくがいい────君の人生は、不運の為に生まれたのではないのだと。他人の為でもなければ、■の為でもない。君が君として花開く為のものなのだ」
その言葉を最後に、シンの意識はテレビが切れるように落ち、そのまま暗闇に呑まれていく。
だけど、最後に生まれた感情は理解された安堵でもなく、激励された喜びでもなかった。
浮かび上がったのは何故、という怒り。
好きかって言われ、勝手気ままに意識を閉ざされた事への怒りではない。
勝手に人を理解して、上から目線で同情された事────でもない。
思うのはただ一つ。
俺のような屑の為に、もういいのだ、と言ってくれるような凄い人が────どうして誰にももう大丈夫だ、と言って貰えない孤独を受け続けなければいけないのだ、という世界に対する憎悪であった
「────」
男は、眠りに落ちた少年が唐突に勢いよく立ち上がるのを見て、硬直した。
専門外の魔術ではあったが、それでも男の魔術は常人と比べれば
偽神の書などに比べればお飯事ではあったかもしれないが、今の少年にならば十分に効く魔術だった筈なのに、そう視線を向けると
「────」
少年は決して魔術に対して対抗出来たわけではなかった。
目を瞑り、意識は眠りに落ちている────ただ肉体がそれに逆らうように立ち上がっただけだった。
「────全く」
折角、しっかりと眠れていない童の為の安眠の術式を掛けたというのに、そんな納得がいかない、という怒りの形相で寝るでない。
そんなんだから、何時までも己の業に苦しむのだ。
「馬鹿者。それ程の意地があるのならば、死ぬまで生きるくらい容易かろうに」
聞こえていないと分かっても言わずに入れない愚痴を少年に呟きながらも、苦笑し、そのまま少しだけ目を開き、そして閉じる。
それだけで立っていた少年は姿が消え、この場からは居なくなった────もしもこの場に魔術師がいれば、感涙して声も出ないような奇跡である空間転移が、正しく瞬きと共に発動されたのだが、男は……老人は意にも介さない。
意に会するのは別の事であった。
「全く。何時まで馬鹿笑いしている。盗み見とは趣味が悪い」
「えーー。それ、爺さんが言う? まぁ、それが爺さんの役目なんだけど、少しは許してちょーだい。何せ爺さんが孫に優しいいい爺さんをやっていたんだもの。私じゃなくても爆笑モノよ」
静謐な教会に、新たな風が生まれる。
風の主は赤い髪をした女性であり、それ以外は特に特徴もない服とジーンズを着た大人ではあるが、年を経ているというわけでもない、それこそ爺さんと呼ばれた老人に比べれば酷く普通の人間のようであった。
普通ではあったが……しかし、それは人であった少年が圧迫されていた老人に対して、普通に語り合える、という前提を持った"普通"であった。
「年の事を言うならば、お前さんとて私にとっては孫
「ま、そりゃそうねー。重ねた年月語ったら、それこそお互い面倒が積み重なるか」
老境に至っている男はともかく女性の方は大人とはいえ、見かけは若い年齢だ。
それこそまだ20代になったばかりと言っても通用するような外見年齢なのだが……女性の口調は軽くはあったが、冗談を言っている緩さは無かった。
他人が聞いたら、ああ、そうなのだろう、と深く納得するような語り口がそこに存在していた。
「しっかし、まぁ………あの子が例の? 正直、本気で疑ってはいたけど……それに若いわね」
「………蒼崎の。逆光源氏はするでないぞ?」
「そうそう、あれくらいの若い頃が反抗期抜群で可愛い盛りなのよねーー──って、するかーー!! 人をどんな変質者にしてんのよ!!」
「前科者の言葉を信じるのは難しいぞ」
「くっ………!! 草十郎については別件よ別件。それもイレギュラーのね! あんなの二度もしないわよ!」
「殺人貴の件も含めたらどう………ぬ。いや、
「勘弁してよー。色々と
余人が聞いたら意味が通らない会話を、二人は愉快そうに笑いながら話し合う。
無論、特に意味はない。
お互いがここで会う理由になる話でも無ければ、別にここで殺し合う為の前振りをしているわけでもないのだから。
だからこそ、本題は酷くあっさりとしたものであった。
「で、どうするのあの子。見た感じ、普通には生きれそうにないけど?」
「やはり、そう思うか?」
「完全に起動していない回路だけで爺さんの魔術に対抗してたのよ? あれじゃあ生きてるだけで魔を引き寄せるわ。
だろうな、と頷く老人もその言葉には納得している。
事実、少年の魔の気配は酷く色濃い。
回路を開いていない状態でアレなのだから、それでは日常生活にしっかりと入り込めまい。
まだ学校という閉鎖的な場所にいるからマシではあるが、あのままでは社会に溶け込むのは不可能だろう。
「志貴も似たようなものだったけどね。でも、あの子は死に触れている分、達観していたから折り合いをつけていたけど、シンだっけ? あの子は駄目ね。酷く純粋な分、納得も折り合いも出来ていないわ………綺麗な目だったわ。ずっと苦しんでいたけど、親や魔術からは逃げても、苦しみにはずっと向き合っているわ」
「馬鹿な話であろう? あそこまで逃げたのだから、後は放り出せばいいものを。最後の最後に視たものを捨てきれていないのだ。気にしなくていいものを」
「気にしてくれたから、爺さんも気にしているんでしょう?」
「そんな柔い爺に見えるか?」
さぁ? と笑う互いが互いに苦笑し
「で、今回の聖杯戦争はどうするの?」
「何時も通りだ。私は傍観する」
そのままの口調で、あっさりと重大事を口から放り出した。
ふぅん、と第五の魔法使いが赤い髪を手で梳きながら、老人の答えを咀嚼する。
確かに、この老人がこの手の事件を傍観するのは何時もの事だが………生憎と己の魔法はそんな風に見通す事も出来なければ、役に立つわけでもないものなので、とりあえず聞いてみる。
「今回はやけに広範囲っていうか
「残念ながら。私の分野とはいえ、気軽に視れば、それが確定するのは知っておろうに。それに、この世界………というより、彼が存在する世界は私には視え辛い。脚本も結末も、既に
「そりゃ難儀な……ああ、それで爺さんは傍観なのね。となると、この世界の行く末は本当に立ち上がる人間と這い回る怪物、そして星に名を刻んだ英霊達による群雄割拠か。さてさて、どうなるやら」
「───さてな。願えるとすれば、よりマシな答えに辿り着く事を祈るくらいだ」
その言葉と同時に、老人は姿を消した。
比喩ではなく存在すら消え去った。
それだけならば、先程の少年と同じように空間転移をしたのか、と思ってもいいが、女性………蒼崎青子は真実、老人がこの世から居なくなったのを理解している。
死んだ、というわけではないが、今はまたどこかの世界を見て、より良い結末があるように観測しているのだろう。
その超人の在り方には正直、辟易するが
「そりゃ過保護にもなるわね。爺さんにとっては視れない
そうボヤき、教会の中心で磔にされている主を見る。
見はするが………教会の連中と違い、信仰心なんて持ち合わせていない為、祈る気はない。
泣いて祈れば降ってくるような奇跡なんて、随分と前から品切れなのである。
前作同様、出来る限り型月が作り上げてきた設定は拾い上げていきたい………!!