やはり俺が765プロで働くのは間違っている。 作:けえす@陸の孤島
キャラも増えてきたしキャラ崩壊してないか不安……
~4月の定期公演会の翌日~
昨日の盛り上がりを踏まえ、急遽伊吹のCD発売を早めることになった。
それ自体は喜ばしいことである。しかし、伊吹のレコーディングに向けて一つ大きな懸念がある。
―おい誰だ、レッスンのやる気とか懸念しかないだろとか思ったやつ。
……それはひとまず置いといて。大きな懸念、それは同じ曲であってもライブとCDとでは印象が大きく異なることに伊吹が気づいているかどうかだ。
まだ伊吹に確認を取ったわけではないが、十中八九、ライブの感覚のままレコーディングしようとするだろう。これまでのレッスンを見てきた限りでも感覚に委ねる部分が多かった。幸いにもその結果魅力的なパフォーマンスになったのだが、その場の雰囲気も重要なライブと違い、CDでは音ズレなどが目立ってしまう。要は感覚派の伊吹にとってレコーディングは苦手になる可能性が高いのだ。
そこで俺はとある人物に協力をお願いしようと思っていた。ミリPさんによると今日の仕事は既に終わっており、恐らく楽屋にいるだろうとのこと。
しばらく歩き楽屋の扉の前に立つ。リハーサルでの俺の件については伊吹が周りに何か言ったため悪評にはならなかったが、それでも良く思っていない人は一定数いるのだ。これから会うやつがそのうちの一人かどうかは分からないが少し緊張する。
そもそもこれまで人とほとんどかかわったことがないため、誰かに頼みごとをする時点で緊張しているのだが。
一息つき、心を引き締めて楽屋の扉を開いた。
公演の翌日ということもあってか、楽屋には目的の人物しかいなかった。これは多人数が苦手な俺にとってありがたいな。
「んっ? ハチじゃないか。どうかしたのか?」
「おう、お疲れさん。ちょっとお前に相談があってな」
「あたしに相談? まぁ力になれるかは分からないけど、とりあえず話してくれるか?」
そう、相談相手は765プロでは珍しい、765プロ以外でのライブ経験者、ジュリアである。
「なるほど。要はあたしのライブを翼に見せて、聴く側の感覚を養いたいってことだな?」
「理解が早くて助かる。レコーディングまでの時間を考えると、次の公演や765PRO ALLSTARSのライブまで待つ余裕が無くてな。」
「確かにそうだな。まぁあたしが次にライブするのは来週の日曜だからそれに翼を誘えばいいと思うけど……。ハチの思惑通りにするには演奏はあえて下手にしないといけないってことになるんじゃないか?」
「そこが問題なんだよなぁ……」
既にジュリアは上京してから知り合ったメンバーとCDを出している。それを聞く限り、メンバーの実力はプロの一歩手前レベル。CDでも十分聞き入ってしまうため、単純に彼女のライブを観にいくだけでは伊吹が問題点に気づくことはないだろう。とはいえ、わざと下手に演奏してもらうってのはなぁ……
「それなら、いっそのこと次のライブではハチが演奏してみるってのはどうだ? 確かギターに触ったことがあるって言ってたよな?」
「……はい?」
「だから、ハチが演奏したやつの音源とライブを伊吹に聴いてもらえばいいんじゃないか? まぁライブで盛り上げる必要はあるが、そこはあたしが何とかしてみせるよ」
「……悪いがそれは却下だ。俺の場合は本当にギターを触ったことがある程度、コードの種類をいくつか覚えたぐらいだ。人前で弾けるレベルじゃない」
なんであの時の俺はギターが弾ければモテると思ったんだろう……
「それでも素人よりは幾分マシだろ? 一週間とはいえみっちり練習すればリードギターならそれっぽくなるかもしれない。あたしも手伝うからさ」
「そう言ってもだな……」
「それじゃあ、ハチは他にいい案があるのか?」
「いや、他の案があるわけじゃないけど……」
「それじゃあ決まりだな。善は急げだ、さっそく練習始めようぜ!」
「えぇ……」
結局、ジュリアの勢いに押されて俺が演奏することになってしまった。それ以降、空いた時間は自主練したりジュリアに教えてもらったりした。予定外のことだったが、決まったからにはちゃんとやらないといけないしな。その甲斐あって、拙いところは残ってしまっているがなんとか形に持っていくことが出来た。ちなみに、感覚派だと思っていたジュリアが、実は意外と丁寧で教え方が上手くびっくりした。
数日後、俺とジュリア以外のメンバーも入れて合わせることになった。どうやらジュリアとバンドを組んでるわけではないが、時々一緒に演奏したりしているとのこと。急なことであったにも関わらず、事情を説明したら皆乗り気になってくれた。何故そこまでしてくれるのかとジュリアに尋ねた所、『たとえバイトであっても、ギターが素人よりはマシな程度でも、一度始めたらそれを貫き通そうとするハチの姿勢に惹かれたんだ。他の皆もそうだってよ』と真正面から言われてしまった。そんな大層なものでもないんだが……。初志貫徹してるものといったら専業主夫志望というとこだけだしな。
そして伊吹を誘う前日である土曜日、ジュリアの伝手があるスタジオでレコーディングを済ませて音楽データを無事入手した。改めて聞いてみるとやっぱり俺の下手さが気になるな……。俺以外は実力者であるだけに惜しいものになってしまった。
明日に向けて今日は休みますか……と思っていると、ジュリアが俺に近づいてきた。
「それじゃあハチ、これからもう一発かましてやろうぜ!」
「えっ? 今から?」
「あぁ。あたし達は慣れてるからいいけど、ハチは人前で演奏するの初めてだろ? だから雰囲気に呑まれないようにしないとな」
「なるほど……。言ってることは理に適ってるが、どこでやるんだ? 正直今の俺の実力だと色々厳しいと思うんだが」
まぁその拙い状態で明日ライブするつもりなんだけどね。考えるとやっぱりやめた方がいい気がしてきた……
「大丈夫、客からお金をとるようなところじゃないしな」
「えっ、まさか路上ライブ?」
「まぁそれでもいいんだが……。今日は別の場所だよ」
そう言ってジュリアはニヤリと笑った。
「あたし達のホーム、765プロライブシアターだよ」
そんなこんなで、俺たちは劇場のステージで演奏準備をしていた。なお、ジュリアのバンド仲間の中で時間がある人も一緒に来てくれている。
どうやらジュリアがアイドル達に声をかけていたらしく、客席にはレッスン終わりの人も含めて20人くらい集まっていた。俺が演奏するというのは予め聞いていたのか、もの珍しそうにしている。
「ステージからの景色はどうだ?」
慣れない景色にそわそわしていた俺にジュリアが話しかける。
「すっげぇ落ち着かない。たかが数十人でこれなのに、もっと多くの観客の前で歌ったりできる皆って凄いんだな」
俺がそういうとジュリアが小さく笑った。
「最初は誰だってそんなもんさ。この一度で慣れるとは思わないけど、多少はマシになるよ」
ジュリアの言う通りである。ホントに明日いきなり本番とかじゃなくて良かった。数十人でこれなのだ。いきなり明日演奏することになったらどうなることやら。
「ハチ、心の準備は出来たか?」
「正直今すぐ帰りたいが……まぁやるだけやってみるわ」
「全く……」
苦笑するジュリア。
「それじゃあ、始めようか」
そうして、俺の初ステージが幕を上げた。
*
~日曜日・ライブハウス~
昨日劇場で一回やっといて良かったなぁ……
そう思いながら、サングラス越しに観客の方を見ていた。
もしいきなりこの場に立たされたら頭の中が真っ白になったりしていただろう。流石にあの一回だけでこの雰囲気に慣れることはなくしっかり緊張はしているが、周りの音はちゃんと聞こえるし、頭の中もはっきりしている。
ふと端の方に見慣れたアホ毛を見かけた。その張本人である伊吹は俺の方を驚いた顔をしている。サングラスを掛けているからばれずに済むかなっと思っていたのだが。
「そろそろだが……準備はいいか、ハチ?」
「まぁ緊張はしているが……どっかの誰かが荒療治してくれたおかげで何とかなりそうだ」
「そりゃ良かった。……分かっていると思うが、今までのことは全て前座だ。これから翼の心に残るような演奏をしないと意味がない」
「何で直前にプレッシャーを掛けてくるんですかねぇ……」
こっちはまだ二回目のステージだって言うのにこいつは……
「ははっ。雰囲気もいつものハチだし大丈夫そうだな。まぁ変に気張ろうとせずにいつも通りにすれば十分だ。まぁそれが難しいんだけどな」
そう言ってジュリアは笑った。もしかして彼女なりに緊張をほぐそうとしてくれたのか?
俺との話が終わったのか、ジュリアはステージの真ん中に向かった。他のメンバーを見渡すと、全員準備が完了しているらしい。
そうして、俺たちのライブが始まった。
「ヒッピーさん、カッコよかったです!」
「そりゃどうも……」
ライブが終わってから、俺と伊吹は近くのカフェに来ていた。
結局、ジュリアや他のメンバーのおかげでライブは何とか無事に済ませることが出来た。最初は俺を除くメンバーで一曲歌うことで場を盛り上げ、続く曲での俺の技量をうやむやにしたのだ。その場の空気ってマジで大事なんだなって実感した瞬間だった。まぁ俺が演奏する前にジュリアが
『実はハチは一週間前までギター初心者だったんだ。だけど、とある人に想いを届けたいって練習して今この場に立ってる。お世辞にも上手いとは言えないが……皆、ハチの想いを聞いてやってほしい』
なんてことを言ったせいもあるのだろうけど。あれは正直今日一番恥ずかしかった……。ライブの後、客からは他の曲も聞きたいだとか、メンバー達からはもう一度一緒に演奏しようだとか誘われてしまったしな。
「まさかヒッピーさんがわたしに想いを届けるためにギター弾いてくれるなんて、ビックリしました♪」
「全部間違っているわけじゃないが、あれはジュリアが勝手に盛り上がるように言い回しを変えただけだ。そんな熱いもんじゃない」
「む~。それじゃあヒッピーさんは何でギター弾いたんですか?」
「簡単に言うとだな、CDとライブの違いを実感として知ってほしかったんだよ。」
そう言うと伊吹は首を傾げる。もしやこいつ、この前俺が言ったことを覚えてないな?
「翼、正直に言ってほしいんだが、俺が参加したライブはどうだった?」
「とっても良かったです! 目も隠れてヒッピーさんが別人みたいでカッコよかったし!」
「そ、そうか……」
図らずも中学生の頃の目標は達成されたようだ。そうか、あの時の俺に足りないのはサングラスだったのか……
「んじゃあちょっと話を戻すが、サイゼで聴いた時はどうだった?」
「えっ?」
伊吹は一瞬きょとんとすると俺から視線を逸らした。
「う~ん……。ちょっと言いにくいですけど、イマイチって感じちゃいました。もしかして……」
「あぁ、あの音源は今日と同じメンバーで取ったものだ」
「やっぱり……」
「おそらく、翼が違和感を感じたのは俺が下手だったからだろう。つまりだな、ライブだとその場の雰囲気やらなんやらで目立たなくなるすることも出来なくないが、音源だけだとその音以外が一切無くなるからどうしようもないんだ。今回のライブだって、ジュリアや他のメンバーが場を温めてくれたからそれっぽくなっただけだ」
「そういうものなんですね~」
「この前お前言ってたよな? ライブと同じ感じでレコーディングしたらダメなんですか?って。その答えがそれだよ」
「なるほど……。って、それわたしの歌が下手ってことですか!?」
「お、落ち着け、そういう意味じゃない。より極端な方が分かりやすいと思って今回は素人同然の俺がやっただけだ。……俺はお前の歌声が結構好きだぞ」
「えへへ~」
最後の方は気恥ずかしくて小さく言ったのだが、伊吹には聞こえていたらしい。
「だけど、今回はボイトレの先生の指示に従ってやった方が無難だ。なんたってその道のプロなんだから。まぁお前はお前でもっといいと思う歌い方があるだろうが、そういったのはライブに取っとけ。そっちのほうがスペシャルな感じがするだろ。多分」
「言われるとそっちの方がいいかもですね……」
そう言って伊吹は考え込むような仕草をする。伊吹の方でも思うところが出来たのだろう。
どうやら、一応今回の作戦は成功したようだ。そういった実感のあるなしではレコーディングの姿勢が大きく変わるだろうし、上手くいってほしいものだな。
*
俺のライブから一週間後、伊吹のCD発売日である。俺はショップで購入してきた伊吹のCDをもって劇場の事務所にいた。
ライブの後だが、結局レッスンとレコーディングには悪戦苦闘することになったものの無事に終えることが出来た。
レッスン中では、先生から言われたことを伊吹は伊吹で分からないなりになんとか理解しようと頑張っていた。
レコーディングでも、同じ曲の繰り返しだったため飽きやすい伊吹のモチベーションを保つのに苦労した。(あれ、これ俺の方じゃね?) それに初めてのレコーディングだったため色んなことを業者から言われたりして混乱していたようだった。一度休憩を取り、いっそ一回だけいつも通り歌ってみろ、と言ったところどうやらノって来たらしくその後すんなりOKとなった。
「おつかれさまで~す!」
数時間仕事をしていると、伊吹が事務所の方へやってきた。何故かここ最近頻繁に事務所にやってくるようになっている。
扉をくぐった伊吹はそのまま俺のところにやってきた。
「ヒッピーさん、わたしのCDどうでしたか~? ……って、まだ開けてないじゃないですか~!? わたしのプロデューサーなんですから早く聞いてください!」
そう言って俺の机の上にある未開封のCDを指さした。
その言葉を聞いて青羽さんがこちらにやってきた。
「あれ? 比企谷くんは翼ちゃんのCD既に持ってませんでしたっけ? デモ用の」
「えっ?」
あっ、ちょっと止めて青羽さん。
「どういうことですか?」
「デモ用のCDはレコーディングが終わって直ぐ出来るんですよ。それでこちらには二枚届いたんです。一枚は事務所に保管しているんですけど、もう一枚は比企谷さんが持ってますね。わざわざミリPさんや社長にお願いして」
……。今日はもう帰ろう。残りの仕事は明日の俺に任せる。
そう考えて戦略的撤退をしようとした俺の前に伊吹が立ちふさがった。
「ねぇ、ヒッピーさん」
「な、なんだ?」
「わたしのCD、そんなに待ちきれなかったですか?」
「……」
「そうですか。待ちきれなかったんですね♪」
「いや、何も言ってないだろ」
「それじゃあ、なんでデモCD持ってるんですか~?」
「いやそれは、そのだな……。そう、レコーディングで付き添ったのは俺だけだったからな。初めてで不安だったんだ」
「あれ? 比企谷さんは伊吹ちゃんの曲をプレーヤーに入れてるんじゃないんですか? 時々それっぽいリズム取ってますし」
ここでまさかの青羽さんからの横槍が入る。
「えへへ~、やっぱり待ちきれなかったんですね♪ それで、わたしの歌はどうでしたか?」
「……。まぁ良かったんじゃねえの? ライブと違ってちゃんと丁寧さが出てたし。」
そう、レコーディングでノっていたようだが、ちゃんとレッスン中に言われたことは意識していたのだ。ライブのようにアレンジを入れたりするのもいいが、やはりCDで聞く分にはこっちの方がいいだろう。
「それはだって……」
そう言うと、伊吹は体を少し傾け、人差し指を口に近づけてあざとくウインクする。
「どこかの誰かさんから、大きい想いを受け取っちゃいましたから♪」