もし一人のオリキャラが増えることで、ユウキが生きるルートが生まれるなら   作:葦束良日

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お久しぶりです。
もうお忘れの方も多いかと思いますが、久しぶりに投稿したいと思います。



それから
11 横浜港北総合病院


 

 ユウキから彼女の姉にして俺とも親交のあったプレイヤー《ラン》の死を知らされた俺は、その際にした約束の通りに木綿季が入院しているという横浜港北総合病院へと足を運んだ。

 ALOの中でその事実を知らされてから、ほぼ一週間。かつて自分もお世話になったことがある建物の前に立った俺は、「よし」と一つ頷いてから足を進めた。

 病院の正面入り口をくぐり、まずは受付へ。そこで「紺野木綿季さんのお見舞いをしたいのですが」と声をかけた。「少々お待ちください」という言葉を返し、どこかに連絡をする受付の女性。

 「担当医師が参りますので、あちらに掛けてお待ちください」と待合席を勧められ、頷いて腰を下ろす。そうして数分待った後に訪れた白衣の男性は、俺を見るなりその細身の顔を驚き一色に染め上げた。

 およそ半年ぶりとなる再会。俺は立ち上がってその男性医師に会釈をする。

 

「お久しぶりです、倉橋先生」

「……これは……本当に、驚いた……。名前を聞いて、もしやとは思っていましたが……」

 

 どことなく震える声で俺を凝視するその人は、俺が骨髄移植手術を受ける際にお世話になった先生であり、同時に木綿季の担当医師でもある。

 互いの情報を決して明かさないという大前提がある移植手術において、こうして移植を受けた者同士の縁で再び顔を合わせることなどまずあり得ない。

 今の状況が非常に稀なケースであることを自覚している俺は、倉橋医師のそんな態度に苦笑を返す。

 やがて倉橋先生は驚きから回復して「いや、お久しぶりです。よく来てくれました」と笑って俺と握手を交わした。

 そして「ご案内します」と促されて歩き出す。木綿季の病室へと案内してもらう道すがら、互いの近況について話し合った。

 

「そうですか……やはり、木綿季君が言っていた《ソウマ》とはあなたのことだったんですね」

「ええ。本当に驚きましたよ、ユウキが俺の骨髄移植の相手だとわかった時は」

 

 俺がそれを知ることが出来たのは本当に偶然だったが、知った瞬間はそれこそ信じられない思いだった。

 まさか、ただ成り行きで出会って行動を共にし始めた少女がそうだとは、露ほども思っていなかったのだ。

 

「……僕は、あなたに感謝しなければいけませんね」

「え?」

 

 倉橋先生は神妙な面持ちでそう言うと、不意に立ち止まって俺に頭を下げた。

 

「木綿季君を救ってくれて、ありがとう。高谷君」

「い、いえ、そんな……もう半年以上前のことですよ」

「それだけじゃないんです。君は木綿季君の体だけではなく、心も救ってくれた。ALOの中で」

 

 俺はその言葉にはっとした。自分の命だけが仲間たちの中で助かったことに悩んでいたユウキの姿を思い出したのだ。

 

「僕は彼女の家族の担当医だった。彼女のご両親も、お姉さんも、僕にとっては家族のような人たちだった。患者にあまり心を寄せすぎるのは医師失格なのかもしれないですが……木綿季君のことを僕は娘のように思っているんです」

 

 だから、と倉橋先生は続ける。

 

「彼女を思う一人の人間として、言わせてほしい。ありがとう、高谷君」

「……はい」

 

 俺はただ深く頷いた。

 倉橋先生の感謝は本当に木綿季のことを思っているからこそだろう。なら、その気持ちを受け取らないのは失礼にあたる。そう思ったからだ。

 俺が頷くと、倉橋先生は顔を上げて微笑んだ。

 

「それにしても、現実世界と仮想世界。二つの世界で木綿季君とここまで深く高谷君が関わることになるとは、本当に驚きました」

「俺もですよ」

 

 そもそもが互いに互いを知らない状態で出会ったのだ。まさかこんなことになるなんて、予測できる奴なんていなかっただろう。

 全く同意だと応えると、倉橋先生はじっと俺を見た。

 

「……まるでお二人の出会いは、運命であったかのようだ」

 

 突然その口から出てきた詩的な表現に、俺は「よしてくださいよ」と僅かに笑む。

 

「きっと、運命なんかじゃないですよ、木綿季と会ったのは」

「では、一体なんだと?」

 

 倉橋先生はそう尋ねてくる。

 俺はどう言ったものかと少しだけ思案する。

 確かに俺たちの出会いは意図したものではなく、たまたまだったし、偶然だったのは事実だろう。しかし、それは決して運命なんていう他人任せなものではなかったと思う。

 これはあくまで俺の個人的なこだわりなのかもしれない。しかし、木綿季が抱いていた悩みを知った身からすれば、これは運命という定められていた事ではなく――、

 

「そうですね……みんなの力、ですかね」

「みんなの力?」

「ええ。木綿季に生きて欲しいと願う、みんなの」

 

 彼女のご両親、姉であるラン、スリーピング・ナイツという仲間たちに倉橋先生、そして俺は知らないが必ずいたであろう木綿季に生きてほしいと願った人たち。

 そんな人たち全員の願いが、俺という希少な遺伝子を持つ存在とめぐり合わせ、彼女の命を救ったのだと思う。

 それこそが運命だと言われればそうなのかもしれないが、最初に言ったようにこれは俺のこだわりだ。

 木綿季を救ったのは誰とも知れぬ運命ではなく、ただ生きて欲しいと願ったその想いなのだと、俺はそう思いたい。それだけだった。

 そんな俺の言葉を聞いた倉橋先生は、大きく頷いた。その表情は満面の笑みだ。

 

「僕はいま、改めてあなたに感謝しています。あなたが木綿季君と出会ってくれたこと、そのものに」

「だから、よしてくださいよ。そういうのは」

 

 俺はむず痒い感謝の言葉を述べる倉橋先生に、再び居心地の悪い思いをするのだった。

 

 

 

 

 そうして会話をしながら進むこと、僅か。倉橋先生は一つの病室の前で足を止めた。

 必然、俺も足を止めて病室の扉を見つめる。その扉の横には小さなネームプレートが付けられている。

 

『紺野 木綿季』

 

 かつてプライベートメッセージとして受け取った表記と同じ名前が書かれていて、我知らず少しだけ鼓動が早くなる。

 

「ここです。木綿季君だけでなく、藍子君にもよろしくお願いします」

 

 藍子とは《ラン》の現実世界での名前である。

 もともと今日ここを訪ねたのは、俺が知らない間に既に他界していた木綿季の姉――藍子さんの見送りをするためだ。

 最後まで妹のことを考えて心配していた姿が脳裏によぎる。俺は在りし日の彼女の姿を少しだけ思い起こしてから、神妙に頷いた。

 

「はい」

 

 そして倉橋先生が扉の取っ手に指をかけ、ゆっくりと横にスライドさせていく。

 徐々に露わになっていく扉の向こうが俺の視界に染み込んでくる。

 

 淡いクリーム色で統一された室内。一面、それこそカーテンに至るまで同色で構成されたその個室は、温かな陽光に照らされていることもあってか気持ちのいい温かさを感じさせてくれる。

 そんな眩い光に包まれた一室の壁に寄り添うように設置された一台のベッド。その上には、クリーム色の布団で下半身を隠して病院着に上半身を包んだ黒髪の少女が身を起こしてこちらを見ていた。

 俺が知る姿よりも髪は短く、肩の辺りまでで毛先は途切れている。それでも艶のある髪は光をよく反射して、黒真珠のようにしっとりと美しい光沢を放っていた。

 

 そして、初めて見る現実での木綿季の顔。

 

 ALOはSAOとは違って自動生成でアバターが作られる。そのためALOでのインプ《ユウキ》は現実世界の姿とは異なるものであるはずだったが、なんの偶然なのか。その顔つきは瞳の色などに違いはあれど、ALOで見慣れた《ユウキ》の顔立ちによく似ていた。

 俺はそのことに少しだけ驚く。そのため思わずじっと見つめてしまっていると、視線の先で木綿季は照れたように指先で頬を掻いた。

 

「えーっと……そ、そんなに見られると、さすがに恥ずかしいんだけど……」

「あ、ああ、悪い」

 

 不躾な真似をしていたことをようやく自覚した俺は、ささっと居住まいを正す。そして改めてユウキ――木綿季と向き直った。

 

「こっちでは初めまして、だな。《ソウマ》こと高谷総真だ。よろしくな」

 

 そう言って右手を差し出すと、木綿季はにこりと顔全体が輝くような笑みを見せる。

 

「うんっ! ボクは《ユウキ》あらため、紺野木綿季だよ! こちらこそよろしくね、総真!」

 

 俺が知るユウキと同じ笑顔で、木綿季は笑う。

 俺もまた普段と同じ態度で木綿季と接した。たぶん、顔は自然と笑っていることだろう。その証拠に、こちらを見ている倉橋先生の目はひどく優しげである。

 差し出した手を握り返してくるのは、小さな手だった。まだどこか骨ばっている感触が、否応なく彼女のいた境遇を思い起こさせる。

 

 しかし、彼女はいま生きている。そしてこれからも生きていくのだ。

 

 爛漫な笑顔を見せる木綿季の姿を眩しく感じたのは、きっと太陽の光のせいだけではない。

 溢れ出る生への希望が感じられるその小さな少女の姿に、俺は深い感慨を抱きながら伝わってくる熱に心から感謝するのだった。

 

 

 

 

 それから暫くは倉橋先生を交えて三人での雑談となった。といっても、互いの情報や近況を話す程度の短いものだったが。それというのも、俺と木綿季は昨日もALOの中で会っているので、そんなに話すこともないのである。

 であるから会話はある程度で切り上げられ、今日病院を訪ねた本来の目的を果たす。

 木綿季の部屋に飾られていた位牌。そこに向かって全員で手を合わせる。

 紺野藍子。木綿季にとっては最愛の姉であり、最後の家族。俺に縋りついて涙を流した姿は未だに記憶に残っている。そんな木綿季にとって何よりも大切な存在に、俺は真摯に祈りを捧げた。

 願うのはもちろん、木綿季の幸せ。そして、俺もそのために出来ることはするという決意だった。

 友人を助ける事に理由なんて必要はない。俺の仲間たちがそうするように、俺もまたそうする。SAOの中で学んだ仲間との絆で、きっと木綿季の力になってみせる。

 そう藍子に誓ってから目を開ける。

 と、こっちをじっと見ていた木綿季と目が合った。はわっ、と慌てて目を逸らす木綿季だったが、全く誤魔化せていない。今度は俺が木綿季を見た。

 

「どうした」

「あ、いやーその、いったい姉ちゃんに何を言っていたのかな、って。その、気になって……」

 

 それがあまり良くない詮索だと思っているのだろう、木綿季はどことなくバツが悪そうだった。

 まぁ、神社でのお参りでもそうだろうが、こういうことはみだりに話すようなことでもないからな。その気持ちはよく分かった。

 しかし、俺が願ったことは別に当たり前のことであるし、そこまで神経質になるつもりはなかった。

 だから、「それぐらい、気にするな」と前置いてから、俺が藍子に向けた言葉を口にする。

 

「お前を幸せに出来るよう、俺も頑張るからって言っただけだ」

「――ぇ、……ぇえぇええええ!?」

 

 木綿季は顔を真っ赤にして叫んだ。倉橋先生も驚きで目を丸くしている。

 ……いや、なんでそうなる?

 二人の予想外の反応に、俺は自分が何を言ったのか思い返してみる。

 

 “お前を幸せに出来るよう、頑張る。”

 

 ………………。

 

 あれ、これ告白みたいじゃね?

 

 思い至った途端、額に汗がにじみ出す。

 し、しまった。言葉のチョイスがまずかった。

 自分が言い放った言葉が持つ意味に気がついた俺は、焦りながら言葉を重ねる。

 

「い、いや、そういう意味じゃなくてだな! 仲間として、友達として、お前が幸せになれるように、力を貸していくって意味で……!」

「し、幸せにかぁ……って、ああ、うん! そ、そうだよね! あはは、あーびっくりしたなぁ、もう!」

「は、ははは、いや、すまん。ち、ちょっと言葉足らずだったな」

「ホントだよ、もー! あはは……ちょっと、残念だけど」

「え?」

「なな、なんでもないよー!」

 

 あははー、と顔を赤くしたままとぼけたように笑う木綿季に、俺もまた自らの失敗を誤魔化すように笑う。その声はどう聞いても乾いたものだっただろうが、それはまぁ致し方あるまい。

 しばし、俺と木綿季の奇妙な笑い声が病室に響く。

 そんな俺たちを倉橋先生はなんとも生温かい目で見つめつつ、微笑んでいた。

 

 

 

 

 それから幾らか時間が経って落ち着いた俺たちは、更に色々なことを話した。徐々に時間が過ぎていく中で、倉橋先生は仕事もあって退席。二人だけとなった俺たちだったが、それでも構わずに話し続けた。

 互いのこと、ゲームのこと。話す話題は沢山あったし、知りたいこともいっぱいあった。

 だからこそ会話も弾んだが、しかし。楽しい時間ほど早く過ぎ去るものだ。

 気づけば夜も近くなってきており、俺は時計を確認して椅子から立ち上がった。

 

「……さて、それじゃそろそろ帰るよ」

「あ……そっか、もうこんな時間だったんだね」

 

 木綿季が時計を確認して、驚きと同時に少し寂しそうな声を出す。

 病室にひとり残される木綿季のことを思うと心苦しいが、帰らないわけにもいかない。俺は少しだけしゃがんで上体を起こしている木綿季と視線を合わせた。

 

「明日も来るさ。まだ話し足りないしな。それに、ALOでも会える」

 

 俺はそう言って、笑った。

 

「うん……うん、そうだね」

 

 木綿季もまた同じように笑う。寂しさがなくなったわけではないようだったが、それでも無理を言うのは本意ではないのだろう。笑ってくれた。

 

「そのうち、キリトたちとも会わせてやるよ。オフ会やろうぜ。エギルの店で」

「あはは、いいね。確かカフェをやってるんだっけ?」

「ああ、あの顔でな」

「もう、怒られるよ?」

 

 互いに小さな笑い。

 それが納まると、俺は一拍置いてベッドから一歩下がった。

 

「それじゃ、また明日」

「うん、また明日。今日は本当にありがとう、総真」

「ああ」

 

 俺は背を向けて扉に手を掛ける。そして僅かに開いたところで、

 

「総真!」

 

 少しだけ強い声が背中にかかる。

 振り返ると、そこには夕日に照らされた木綿季の姿。ふと、俺にランの死を伝えた時の姿がだぶって見えた。

 少しだけ必死な様子。俺は、どうした、と声をかける。

 すると、木綿季は何事かを言おうとして口を開きかけ、閉じた。

 俺がじっと待っていると、木綿季はベッドから静かに降りて、スリッパをはく。そして俺に近づいてくると、そのまま俺に抱き着いた。

 

「なっ、おい!?」

「………………」

 

 無言で顔を服に押し付ける木綿季は、俺の動揺にも反応を示さない。

 これは一体どういう事なのかと、随分年下とはいえ可愛い女の子に抱き着かれているという事実に心底狼狽していると、ぱっと木綿季は俺から離れた。

 困惑が消えない俺。ただ呆然と離れる木綿季を見つめていると、木綿季は柔らかく微笑んだ。

 

「――ありがとう、総真」

 

 再びのお礼に、俺はなお一層困惑を深めた。

 

「い、いや、そんな気にするなって。俺が好きでここに来ただけだし……」

 

 どことなく調子が狂い、歯切れの悪い言葉しか出てこない。

 相手は女の子とはいえ、七つも下の相手に何をどぎまぎしているんだ、俺は。

 自分をそう叱咤させるも、しかしそれで動揺が消え去るわけでもなし。

 俺はごほんと咳払いをすると、「あー、じ、じゃあ明日な!」と言って今度こそ扉を開いて外に出た。

 

 ぶっちゃけ逃げたともいう。

 

 「うん、また明日ね」と手を振りながら俺を見送る木綿季の姿を視界の端に捉えてから扉を閉めて、俺ははぁと息を吐いた。

 廊下には誰もいない。木綿季も扉に遮られてもう見えない。俺はゆっくりと歩き出して、一人ぼそりと呟く。

 

「なにやってんだ俺、十四歳の女の子に……」

 

 曲がりなりにも成人しているというのに、まさかここまで動揺を誘われるとは。

 まだまだ自分も子供という事だろうか。そんな自分にやれやれと内心で溜め息を吐きながら、俺は出入り口に向かって歩くのだった。

 

 

 

 

 

 

 ―― 一方、総真を見送った木綿季は小さく振っていた手を下ろして同じように息を吐き出していた。

 異性に抱き着くという行為は、天真爛漫な彼女をしてもハードルの高い行動だった。今でも自分の心臓が激しく脈打っているのを感じることが出来るほどだ。きっと顔は赤いに違いない。夕陽で隠されたのは不幸中の幸いだった。

 木綿季は、それでも気持ちに突き動かされた行動をとったことに後悔はなかった。

 総真への好意、そして感謝。それによって動かされたその行動は、総真たちが病室を訪れる前、彼女が少しだけ散歩に出ていたことに起因する。

 そこで木綿季は見て、聞いていたのだ。総真と倉橋との間で交わされていた話を。

 

 総真こそが、自分の骨髄液提供者だったという話を。

 

 驚き、一瞬頭が真っ白になった。それでもすぐに病室に戻って、木綿季は二人が来るのを待った。

 自然に対応できるだろうか、という不安はあった。しかし、実際に真正面から総真と会って、顔を見て、声を聴けば、現実世界で会えたという嬉しさと喜びが心を満たし、その不安はすっかり鳴りを潜めてくれた。

 けれど、総真が帰ると聞いた途端。心の中にあったものが表に出てきたのだ。

 喜び、嬉しさ、寂しさ、そして感謝。

 それらの気持ちが、彼女にあの行動を取らせたのだった。

 

 ――お礼を言いたい。面と向かって、ボクの命を助けてくれてありがとう、って。

 

 けれど、木綿季に出来たのはお礼を言う事だけ。その理由までは言えなかった。

 案の定、総真は今日ここに来たことへの感謝と受け取ったようだった。

 そして木綿季もまたそれを否定せずに見送った。

 なぜならふと、木綿季の心によぎった思いがあったからだ。

 

 ――ボク、総真に助けられてばっかりだ。

 

 ALOでのグランドクエストの冒険からずっと。総真に自分は助けられてきたが、自分は総真に何をしてあげられただろう。

 そう考えた時、木綿季は思ったのだ。まだ面と向かって言うのはやめようと。

 命を助けてもらったことへの感謝は、せめて総真がボクを助けて良かったと思えるほどにボクが自分を認められてからにしたい。

 きっと総真はそんなことを気にしない。そういう人じゃないことなど分かっていた。

 けれど、それでは木綿季が納得できなかった。助けられてばかりだと自覚した木綿季の心には、ある一つの願いが宿っていたからだ。

 

 ――総真に、認めてもらいたい。

 

 それがどういう形でのものであれば自分は納得できるのか、それはわからない。けれど、少なくとも自分で自分を認められるようにならなければいけないと思えた。

 助けられてばかりの今では駄目だ。もっとしっかりして、七つある歳の差だって気にならなくなるほどに認めてくれたのなら。

 その時は。

 

 ――きちんとお礼を言おう。この気持ちと一緒に。

 

 ぎゅっと胸元で手を握る。

 この奥にしまってあるこの想いを、きっとその時に伝えよう。

 そんな決意を胸に秘めて、木綿季は茜色に染まる空を見つめるのだった。

 

 

 

 

 

 

 コンコン。

 控えめに扉を叩いた音に、木綿季はベッドの上で上半身を起こして目を落としていた文庫本から、顔をぱっと上げた。

 

「どうぞー!」

 

 元気よく扉に向かって声を上げる。

 すぐに扉がスライドし、その向こうに立っていた人物が病室に入ってきた。

 その姿を確認して、木綿季の表情は満面の笑みを形作る。

 

「よ、木綿季。元気か?」

 

 片手を上げてそんな簡素な挨拶をする、木綿季よりも六つ年上の青年。

 木綿季はその見慣れた姿を前にして、両手を見せつけるようにぐっと力強く握りこんだ。

 

「もちろんっ! いらっしゃい、総真!」

 

 心の底からの歓迎の言葉で迎えれば、総真は「それは何よりだ」と小さく笑んで、ベッド脇の椅子に腰を下ろす。

 肩から掛けていたカバンを床に置き、その際に少し重たそうな音がした。

 たぶん教科書が入っていて大学の帰りなのだろう。忙しいだろうに、毎日のようにこうして顔を出してくれる総真の優しさに、木綿季は胸の中で温かくなる確かな熱を感じていた。

 いつかこの気持ちとお礼を伝えられたら、その時は……。

 

 ――今度は恋人同士のデートがしたいな。

 

 そんな小さな夢を胸に、木綿季は「ねぇ、今日は何があったの?」と心からの笑顔を総真に向けた。

 

 

 

 

 


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