もし一人のオリキャラが増えることで、ユウキが生きるルートが生まれるなら   作:葦束良日

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17 SAOの残滓

 

 

 新川昌一。それが《赤眼のザザ》の本名だ。

 キリトから電話越しに伝えられた事実に、思わず携帯を持つ手に力が籠もった。新川昌一、とその名前をもう一度心の中で繰り返し、俺はGGOの中で見た赤いスコープとぼろマントを身に付けた姿を思い出す。

 

 BoBの予選が終わり、ログアウトした後。キリトはすぐに伝手を頼ってザザの身元を探ってもらったらしい。その結果出てきたのが、その本名と現住所だ。

 詳しい経歴については鋭意調査中ということらしいが、一応は重要参考人というような扱いで監視を付けたとのことだ。少し前に食糧を買いに外出したって話を聞いたとキリトが言う。

 正直、ザザの私生活なんざこれっぽっちも知りたくないが、ともあれこれで少しは安心だとキリトは言う。

 しかし、残念ながら殺人の証拠が何もない現状、監視以上の行動には二の足を踏んでいるらしい。それもそうだろう。証拠がないうえ、奴がザザかどうかさえ確証があるわけじゃない。証言が俺の「奴はザザだ」という言葉だけなのだから、全くの人違いである可能性だって考慮しているはずだった。

 もちろん俺はそれをありえないと断言できる。なにせ、あの襲撃の際に剣を交わし、殺し合った仲だ。だからこそ俺は奴のことを印象深く覚えていたし、覚え違いなどあるわけがない。

 しかし、そんな言い分が通じるのは同じような経験をしたキリトやアスナ、クラインぐらいなものだろう。キリトが言う伝手がそれを鵜呑みにすることはあるまい。立場があるならなおさらだ。

 とにかく、あとは奴の行動にかかっているというわけだ。怪しい動きをすれば即座に監視員は昌一のもとに踏み込む予定ではいるらしい。

 キリトは、とにかくあとは奴の動き待ちだと言った。そのためにも、明日のBoB本戦には出場すると。何故なら、ザザもまた出場をするはずだからだった。

 

 

 

 ――あれから、俺、キリト、シノンの三人はそれぞれ順調に勝ち進み、本戦出場を決めた。

 予測線を見てから避ける俺、弾丸を斬って銃撃を無効にするキリト、遠くから百発百中で仕留めるシノン。

 それぞれがある意味で一芸に秀でた俺たちだったが、それぞれの一芸には共通して一対一にべらぼうに強いという特徴があったため、予選はむしろ苦戦すら記憶にないほどだった。

 おかげで三人ともがストレートに本戦出場を決めたわけだ。

 

 しかし、その中でキリトとシノンの一騎打ちは見どころだった。

 一本道の崩れ落ちた高速鉄道を舞台に、遠くから撃つシノンとそれを正面から迎え撃ったキリト。

 致命弾を光剣で対処しようとしたキリトだったが、最初の一発を斬ろうとしてあまりの衝撃に吹っ飛んだのには正直笑った。

 アンチマテリアル・ライフルという兵器は、元々戦車の装甲を貫通してダメージを与える事を想定した武器だ。現代の戦車には既に通用しなくなっているものの、それほどの威力を誇る弾丸が当たれば、受ける衝撃は相当なものになる。まして、受ける相手は装甲も何もない人間だ。威力を殺しきれるはずもない。

 少なくないダメージを負ったキリトだが、しかしそこはさすがというべきか。すぐに立ち上がると、今度は最大速度でシノンの位置に向かってひた走った。

 シノンは当然それを狙って銃を撃つ。キリトは今度はそれを光剣で斬ろうとはしなかった。光剣を銃弾の前にかざしたキリトが取った行動は一つ。

 

 弾の側面をなぞって逸らそうとしたのだ。

 

 呆気にとられた。無論、弾の威力を殺すことなど出来ずに弾丸はキリトの肩に直撃した。しかし、やろうと思ったことがまず驚きだし、実際になぞることまでは出来て、そのうえで直撃は防げているのが恐ろしい。

 実際、試合が終わった後にシノンは異様に疲れた顔で俺に言った。「ふざけてるわ、アイツ……」と。その言葉にはもちろん、人間業じゃないというようなニュアンスが込められていた。

 ちなみに、その後はキリトも完全に威力を殺すのは無理と悟ったのか、ひたすらにかわし続ける道を選んだ。

 それだけでも超絶技巧であったのだが、その前の神業を見ているだけに少し見劣りしてしまうのは否めなかった。その技術が精一杯な俺としては立場がないが。

 光剣、ファイブセブン、そして持ち前の反応速度を行使していよいよシノンの目前に迫ったキリトは、サブウェポンである小銃に切り替えたシノンに圧勝。接近戦に持ち込めば、キリトに負ける要素はなかった。

 結果、キリトとシノンがいたブロックはキリトの勝利で幕を閉じたわけだ。

 

 各ブロック上位二名が本戦に出場できるので三人ともが出場権を得たわけだが、シノンはキリトに雪辱を晴らしたいと思っているようだ。明日の本戦に向けて息巻いていた。

 と同時に、彼女は俺やキリトの話を聞きたがっていたが、俺たちはすぐにログアウトした。ザザの奴がその死銃が起こしたという事件に関わっているのだとすれば、奴の情報をキリトの協力者に伝えるのが先決と思ったからだった。

 そしてログアウトしてきた俺は、そのままキリトと連絡を取り合い、まずはザザのことを協力者へと伝えてもらい、その間で詳しい事情をキリトから聞いた。

 

 死銃(デス・ガン)。彼がゲーム内で撃った相手が二人、現実世界でも帰らぬ人となったという恐ろしい存在。

 もともと、街中でテレビに向かって銃弾ぶっ放すなんて変な奴、という意味で噂は広まっていた。その後、撃たれた《ゼクシード》や《薄塩たらこ》がログインしていない事から、相手は本当に死んだなんていう噂も流れてはいたが、当然誰も信じなかった。

 

 それがまさか本当に現実世界でも死んでいるとは……。

 

 俺はキリトとの電話を終えて、手に入れた情報を整理しながら指で眉間を揉んだ。

 《赤眼のザザ》。SAOでは殺人(レッド)ギルド《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》に所属し、ボスである《PoH》に従う幹部だった男。その名の通り、赤い眼が特徴的なエストック(刺突剣)使いだった。

 言葉を短く切りながら話す癖があるらしく、それが赤眼と合わせて印象に残っている。なにせ切り結んでいた時でさえそうだったのだから、特徴として覚えてしまうのも無理はない。

 その結果、今回の人物特定に至ったわけだから、世の中いったい何がためになるのかわからないものだ。

 

「ラフコフ、か……」

 

 自室の椅子、その背もたれに身を預けて天井を仰ぎ見る。

 俺たちSAOプレイヤーにとって、その名が持つ意味は大きい。それは俺たちのような討伐戦に参加したメンバーは言わずもがな、その他のプレイヤーにとっても一緒だ。

 当時、積極的にプレイヤーを殺すプレイヤーが現れたという情報は、全階層の人間を余すことなく戦慄させた。攻略組、職人、一般人。レベル、強さ、立場、そのどれも一切合財関係なく。

 ある意味では、ラフコフという存在こそがSAOを本当のデスゲームにしたと言っても過言ではない。

 かつて殺された俺の仲間も、そして俺が殺した相手も、全てがラフコフに関係している。そういう意味でも、俺にとっては忘れられない相手だ。それはきっと、キリトにとっても似たようなものだろう。

 最早、切っても切れない関係になっているのだ。俺たちと奴らとは。

 

「どうしたの? なんか怖い顔してるよ」

 

 突然、そんな声が耳に届く。

 俺は上を見上げていた視線を下ろした。

 そこには、部屋の入口からこちらを気遣うように見つめる一人の少女がいた。

 

「木綿季」

 

 呼ぶと、木綿季はにこりと笑って部屋に入った。

 

「そうだよ。総真ってば、ずっと潜ってるんだもん。もっと相手してくれてもいいのに」

 

 どことなく拗ねたような口調に、俺は小さく噴き出す。

 

「そうか。それは悪かったな」

 

 それで何の用だ? そう言おうとして、その前に木綿季は俺の後ろに歩み寄ると、俺の頭を抱えるようにしてぎゅっと抱きついてきた。

 

「……木綿季?」

 

 健康的な石鹸の香りと、温かな体温。それに包まれながら突然のことに困惑しつつ首を動かして上を見ると、そこには俺の顔を見下ろす木綿季が見える。

 その顔には先程までの笑みはなく、どこか愁いを滲ませた切なげな表情だけがあった。

 

「……ボク、あんまり頭良くないから、こういう時なんて言えばいいのかわからないんだけど」

 

 ほんの僅かに赤みを帯びた黒い瞳と視線が絡む。

 その時、俺は気づいてしまった。木綿季の瞳と表情に表れている感情、それは怯えだった。

 しかし、なぜ木綿季は俺を見てそんな顔をしているのだろう。答えがわからずに黙ったままでいると、木綿季の口がゆっくりと動く。

 

「今の総真、ちょっと怖かったよ。まるで、ここじゃない何処かに行っちゃっているみたいだった」

 

 はっとした。

 それは、確かに俺の意識は今ここにはなかったのかもしれない、と俺自身思ったからだった。

 僅か一時だが、ラフコフのことを考えていた時、きっと。俺の意識はあのかつて過ごした《鉄の城》に存在していたように思う。

 その時の俺は《高谷総真》ではなく、《ソウマ》でもなく。攻略組の数少ないソロの一人、黒の剣士と双璧を為す切り込み隊長として戦い続けた、《剣士ソウマ》であったのかもしれなかった。

 よくSAOサバイバーは総じて独特の浮世離れした雰囲気があると世間から評される。今の俺はまさしくそのような状態だったのではないだろうか。

 俺たちにとって忘れられない体験として自分自身の根幹にまで影響している、《アインクラッド》での二年間。大なり小なり、誰もがあの時のことを心に抱えて生きている。

 その最たる存在がきっと、《死銃》――ザザなのだろう。あれから様々なことを経験して尚、色濃く残る記憶と感覚。

 あるいは俺がこうも奴を意識するのは、たんに討伐戦での因縁というだけではないのかもしれない。

 あの時の体験を過去のものとして過ごす俺と、まだその時の感覚を捨てられないザザ。相反しながらも、しかし俺の中にも微かにかつての感覚が残っているのもまた事実だった。

 ともに未だにどこかあの鉄の城に囚われたままの意識が存在すること、そのことへの同族嫌悪もあるのかもしれなかった。

 

「何があったのかは、知らないけど。でも、総真が何処かに行っちゃうのは嫌だよ」

 

 ぎゅっと、俺の頭を掻き抱く腕に力が籠もる。

 思考が中断され、木綿季の存在が殊更強く意識される。

 肌を通して伝わってくる体温。それは、ALOの中で彼女こそが自分の骨髄移植の相手だと判明した時に感じた感情を俺に思い起こさせていた。

 殺されて、殺して。とても人には言えないような陰惨な事実であり、俺にとっても自身を縛る鎖であった《ラフコフ討伐戦》。

 その時から常に心にあった泥のように沈殿していた重みを軽くさせてくれた温かさ。それを再び感じて、俺の意識は急速にあの城から離れていく。

 

 ああ、俺が今生きている場所はここなんだ。鉄の城の中ではなく、殺し合いを起こした迷宮の中でもなく、ただこの子の隣こそが今俺がいるべき場所なのだ。そう強く思う。

 胸の内に満ちる温かい感覚。安堵と嬉しさが混ざった確かな実感は、俺にとっての木綿季という存在の大切さをより一層意識させた。

 

「ボクじゃ、あんまり頼りにならないかもしれないけどさ。でも――」

「そんなことない」

 

 続けられた自虐的な言葉に、反射的に俺は木綿季の言葉を否定していた。

 今も触れている手の温かさ。ただそれだけが、俺にとってどれだけ救われるものであるか。

 それをどう言葉にして伝えていいものか、考える。いったいどうすれば俺が感じている気持ちを木綿季に伝えられるであろうかと。

 けれど、結局咄嗟にそんな気の利いた言葉を思いつけなかった俺は、ただ腕を伸ばして頭上にあった木綿季の頭を俺に近づけた。

 木綿季の顔が近づき、互いのおでこがコツンと当たる。椅子の背もたれを挟んで、頭の上下が反転したまま額だけを合わせた状態。そのまま、言葉をかける。

 

「そんなことない。いてくれるだけでも十分、頼りにさせてもらってるよ」

「ホントに?」

 

 腕の力を緩めて木綿季の頭を離すと、俺の言葉を確認しようと顔を覗き込んでくる。

 それに俺は小さな笑みと共に大きく頷いてみせた。

 

「ああ。嘘ついてどうする」

「えへへ……、そっか。うん、それなら嬉しいかな」

 

 照れ臭そうに、だけど嬉しそうに破顔する木綿季。その姿を見ているだけで、俺もまた嬉しくなる。

 ただこれだけのことに幸せを感じることが出来る今は、今だからこそ感じられるものだ。心をあの場所に残してきたままでは決して得ることが出来ないものだ。

 

 俺が今いる場所は、浮遊城アインクラッドではない。木綿季の隣――現実世界なのだ。ここはあの世界ではないのだから。

 俺の居場所はここだ。心も体も、ここにある。そう実感と共に確信を得た俺は、また先程までとは異なる気持ちでザザという存在に向き合うことが出来ていた。

 

 俺まで奴に引きずられることはない。俺は今の俺のままで、奴に対する。剣士ソウマとして片を付けるのではなく、今を生きる高谷総真として未だ過去に縛られているSAOの残滓に決着をつけるのだ。

 

 そう気持ちが固まると、不思議と心は穏やかになった。迷いや不安といったものがなくなった末の結論だったからかもしれない。

 それをもたらしてくれた木綿季には感謝する他ない。そしてその木綿季はというと、まだ俺の頭を胸に抱えてぎゅっとしていた。

 

「ああ、ほら。そろそろ離れろ、木綿季。もう十分、力は貰ったから、な?」

「んー……もうちょっと」

 

 言って、木綿季は回した腕に力を入れる。

 何がもうちょっとだ、と訊けば、俺が木綿季に頼るなんてことは普段あまりないから、貴重なこの時間を最後まで満喫したい、というのが返ってきた木綿季の主張だった。

 なんだその理屈は。残念ながらその主張は俺に共感を覚えさせるには難しく、俺は諭すように声をかけた。

 

「俺だって男なんだぞ、あんまりくっつくんじゃない」

「……もし、があってもボクは嬉しいんだけどなぁ」

 

 小さく呟かれた声だったが、密着しているのだから当然聞こえた。

 

「こら」

「あいた」

 

 ぺし、と腕を叩く。

 力を込めてはいないが、それがきっかけにはなるだろう。案の定、木綿季は俺の頭を抱えていた腕を離した。

 もし、なんてことはない。木綿季が俺の家に来て泊まっていったりするのを、倉橋先生やうちの両親が禁じていないのは何故だと思っているのか。

 それは全て、俺なら大丈夫だろうという信頼があるからこそなのだ。それがあるからこそ、木綿季の外泊は認められているのである。

 ここでそんなことをすれば、木綿季は確実に出禁を食らう。いや、そもそも俺と会えないようにさせられるかもしれない。それに、俺は両親や倉橋先生の信頼を踏みにじることになってしまう。そんなことは出来なかった。

 だから、きちんと周囲に認められるような年齢になるまではそういったことをするつもりはない。

 それは俺にとって譲れない部分であるし、木綿季もそれはわかっている。

 だから、今の木綿季の言葉は本気ではない。それがわかったから、俺も軽く腕を叩く程度で木綿季に合わせたのだ。

 腕を離した木綿季は、部屋の入口のほうに後ろ手を組んだまま下がると、にっと笑った。

 

「じょーだん、だよっ。それはもう少し先のお楽しみだもんねー」

「……ノーコメントだ」

 

 木綿季はさっき《そういった行動》のことを、もし、と表現したが、その内容を本当にわかっているのだろうか。

 ただ嬉しそうに笑ってその時を待ち望む少女に、俺は照れを隠すことも出来ずにただ憮然とそう返すしかなかった。

 

 

 

 




ちょっと短め。
本当はもう少し進むはずだったのですが、二人のことを描いていると楽しくてつい。

総真にとってSAOという過去も今の木綿季も、今や切っても切れない関係ですが、大切なのはSAOは「過去」であり、木綿季の存在は「現在」であり「未来」であることですね。
総真はようやくSAOという過去に(心理的な面で)一つの区切りを見せたことになるかなと思います。

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