もし一人のオリキャラが増えることで、ユウキが生きるルートが生まれるなら 作:葦束良日
「――双方、剣を引け!!」
キリトから放たれた大音量の声が、緊迫した場に響き渡る。
片や既に抜刀を終えたシルフ・ケットシーの領主が連れた護衛集団。片や今にも彼らに襲い掛かりそうなサラマンダーの大集団。
そんな両者の中間地点に、さながら隕石のようなスピードで降ってきた俺たちは、さぞかし全員の度肝を抜いたことだろう。
まったくもって、キリトの奴に付き合うのはこれだから大変だ。
……ルグルー回廊を抜け、最高速度で飛翔した俺たちだったが、結局両者の激突には間に合わなかった。ならばどうする、という段になって、キリトがやらかしたのだ。
ニヤリと笑ったかと思えば、リーファを連れて会談場所へとスピードアップ。それを一瞬見送り、すぐさま俺も後に続いた。別にキリトの意図を理解したからではない。理解できないが、サポートぐらいは出来るかもしれないという思いでついていったのだ。
そして、ユウキも一歩遅れて俺たちについてくる。結果、四人が盛大な轟音を響かせての派手な登場と相成ったわけだった。
「指揮官に話がある!」
キリトは堂々とした態度で、サラマンダーに対して声を張っている。もうあそこまでくるといっそ清々しい。クソ度胸ここに極まれり、だ。
そんなキリトから俺たちは少し離れて、シルフとケットシーの領主の傍へと移動している。インプである俺たちだが、リーファと一緒にいることがよかったのか、領主さんたちも何も言ってこなかった。
美貌の黒髪女性が「リーファ! これは一体……」と問えば、リーファが肩をすくめ、「あたしにもさっぱり。ただ、シルフとケットシーの運命はあの人次第ってことね」と答え、蜂蜜色の肌をした猫耳の美少女が「何のことやら……」と困惑の声を漏らす。
この場は今、混沌のさなかにあると言って間違いないだろう。
「ねぇ、ソウマ。キリトってば、どうするつもりなんだろ?」
「さあなぁ。とりあえずは、様子を見ていよう。ただ、動けるようにはしといた方がいいかもな」
俺がそう返すと、ユウキは「うん」と答えてキリトのほうへと視線を戻した。
そして、話はどんどんと進んでいく。
キリトの呼びかけに対して現れたのは、豪奢な装備に身を包んだ偉丈夫だ。威圧的にこちらを睥睨する彼に、キリトは臆することなく「自分はスプリガン・インプ同盟の使者である」と告げた。そして「自分と敵対するということは、四種族と戦争をするという事である」と、半ば脅しとも取れる発言を行ったのである。
周囲の人間は例外なく唖然呆然だ。俺だけは、溜め息をつくだけだったが。
対してサラマンダーの指揮官は「大した装備もなく、護衛も少ない。信用できん」とバッサリだ。当然である。しかし、こうも続けた。
「オレの攻撃に三十秒耐え切ったら、信じよう」と。
瞬間、俺は思った。
なんだ、解決したじゃん。と。
「まずいぞ……! あのサラマンダーの提げた武器、見たことがある。《魔剣グラム》だ。ということは、奴が《ユージーン将軍》で間違いあるまい」
「あ、あたしも聞いたことがある名前だわ……」
「サラマンダー領主の弟。知の兄と武の弟ともいわれ、その実力はサラマンダーでもトップクラス。純粋な戦闘力に限ればサラマンダー最強の戦士だ。つまり……」
「全プレイヤー中……最強……!?」
「そういうことになる……」
驚くリーファと、現状のまずさに歯噛みするシルフの領主。その隣に立つケットシーの領主であろう少女も、二人の会話を聞いて、いかにも悔しげに表情を歪めていた。
そしてALOに詳しくないユウキもまた、この会話だけで今の状況を理解したのだろう。恐らくは様々な障害を乗り越えて今日この場を迎えたであろう領主二人の心情を思ったのか、気遣わしげな視線を二人に向けていた。
そんな、お通夜のような雰囲気の中、俺は剣を抜いた。初期装備の剣ではなく、シルフ領の街でキリトらと一緒に購入した剣である。
周囲は、すわ助太刀かと俺を見たが、俺はその剣をぶんぶん振ってキリトに声をかけた。
「おーい、キリト。俺のこれ、貸すぞ」
「え? いや、けど……」
「なんでもあのサラマンダー、ALOで一番強いんだってよ。使うだろ?」
キリトは一瞬驚くと、すぐに好戦的な笑みを浮かべた。
「なるほどな……。わかった、ありがたく借りるよ」
「おう」
俺は剣を投げる。キリトはそれをしっかりキャッチし、左手に持った。
それを見届け、俺は一歩下がる。
「よし、んじゃあとは見物といくか」
「見物といくかって……ソウマくん、本気!? 二刀を扱うのってすっごく難しいのよ!? しかも長剣を二本だなんて! ただでさえ相手はALO最強のプレイヤーだっていうのに……!」
リーファが泡を食ったように俺に詰め寄る。
周囲の視線も大概はリーファと似たり寄ったりだった。こいつは一体何を考えているんだと言わんばかりの空気が周囲から向けられている。まぁ、普通はそう考えるんだろう。そこらで買える装備の無名のプレイヤーが、魔剣なんていう武具を装備した最強プレイヤーに挑もうとしているというのだから。
そんなわけで周囲の視線がそんな感じだから、隣にいるユウキの存在が今はありがたかった。
ユウキの視線は、そんな周囲と違っていたのだ。
どこかワクワクとしたような、そんな目。そして「じゃ、ボクもよく見てよーっと」なんて言って、俺の横で対峙する二人を眺めはじめる。
初心者であるから、ALOで知らぬ者はいないらしいユージーン将軍を知らないゆえか、はたまた俺たちへの信頼か。どちらでも構わないが、そんなユウキの態度に表情を緩め、俺は切羽詰った表情をしているリーファたちに顔を向けた。
「大丈夫だって。キリトは負けないさ」
だって、ユージーンがALO最強だとしたら。
あの時、ヒースクリフを破ったキリトはきっと。
――VRMMOの中で、最強だ。
声に出さず俺がそう付け足した直後。黒の剣士は打倒すべき敵に向かって、跳躍した。
キリトとユージーンの決闘は、そうであるのが当然とばかりに荒々しく、洗練されていて、素晴らしかった。
このゲーム内を見渡しても抜きんでた実力者であろう二人の戦いは、見る者を惹きつける魅力があった。高レベルで行われる戦闘は、もはや一種の芸術だった。本来野蛮であるだろう戦いに似つかわしくない、美しいという形容詞を当てはめてしまうほどに。
であるから、キリトの勝利で決闘が終わった時。シルフやケットシーはもとより、敵であるはずのサラマンダーですら拍手を贈った。
キリトとユージーン。類稀なる戦いを見せてくれた二人に対して、種族を超えた共通の価値観がそうさせたのだ。
「……ソウマが言っていたこと、わかったかも」
「ん?」
万雷の拍手の中、笑ってユージーンの蘇生を周囲に頼むキリトを見ながら、ユウキがふと呟いた。
「現実の自分と今の自分は一緒だ、って。ボクたちの種族はいま違うけど、こうしてキリトたちを讃えてる気持ちは、みんな一緒なんだよね」
感慨深げに言うユウキに、俺は頷いて「そうだな」と返した。
「大事なのは、自分に自信を持つことだと思う。種族をロールするのはいいけど、それに呑まれちゃ、それはもうロールプレイとは言わないだろ? ロールプレイをするにしても、土台の自分がいなくちゃ役割もクソもないんだからな」
役になりきることと、役にのめり込むことは違うことだ。どちらだろうとゲーム自体は楽しめるだろうが、それでも前者の方が俺はきっとプレイしていて楽しいだろうと思う。
そして前者であるためには、現実の自分との比較が必要だ。つまりは現実の自分と切っては切り離せないわけで……結局一緒になるわけだ。
「ま、難しいことを言ったけど、要するにだ」
俺は蘇生されたユージーンと握手を交わすキリトを見た。その周囲をシルフ、ケットシー、サラマンダーが楽しそうに囲っている。
「下手に偽るぐらいなら素直になれ、ってことさ」
そうすれば、例えどんな違いがあろうと、きっと俺たちはああして笑い合える。
少なくとも、俺はそう思っているのだった。
「――素直になれ、かぁ……」
呟かれた言葉には、苦悩が滲むような色合いがあった。
横目で見たユウキの表情からそのことを突っ込むのが何となく憚られた俺は、視線を元に戻した。そして、話がついたのか飛び立っていくサラマンダーの集団を目で追うのだった。
*
どうやら今回の会談場所がサラマンダーに漏れていた件は、先刻リーファに絡んできた元パーティメンバーの男、シグルドが画策していたことだったらしい。
一大勢力であるサラマンダーに魅力を感じていたシグルドは、今後実装されるという噂の他種族への転生機能が実装された際、サラマンダーが便宜を図ってやろうという言葉に乗せられてしまったようだ。
無論、重大な種族への裏切り行為であるので、シルフ領主であるサクヤはシグルドを領から追放。サクヤ曰く「シルフ領が嫌いらしいから、彼のためだ」だそうだ。領から追放されるような輩を拾う勢力などなかろうに……なかなか言うものである。
しかしキリトの力を認めたユージーンがキリトのでっちあげた嘘を嘘のまま通してくれたことで、これでどうにかシルフ・ケットシーの同盟も無事結ばれる運びとなった。リーファの懸念は解決したと言っていいだろう。
最後にキリトが、長く領主として蓄財を進めているだろう二人が目を剥くような金額を二人にプレゼントし、俺たちは再び世界樹へと向かう道程に戻ることになった。
ちなみにそれだけの金額を渡したのは、この二種族の同盟が世界樹攻略の足掛かりであるためだ。勢力の拡大、装備やその他戦力の拡充を行うには、一種族では厳しいと言うのがその理由だったようだ。
無論、それらには莫大な金がかかる。そのため、キリトは自分の目的のためにも世界樹攻略の手は多いほうがいいと判断して自分の有り金を渡したのだった。
しかし……。
「なぁ、キリト。お前、なんであんなに金持ってたんだ?」
俺と同時期に始めたはずでありながら、それほどの大金があることに疑問を持った俺はそう尋ねる。
すると、キリトはバツが悪そうに頭を掻いた。
「いや……なんか、SAOでのデータがまだ残っててさ。コルが全部ユルドに変わってたんだよ」
「はぁ!? ってことは、お前まさかナーヴギアからログインしてるのか!? ……ってちょっと待て、ということはまさかステータスも――」
「……はい、そのままです」
「……このチーターめ!」
「は、はは。今回は、さすがに言い返せないなぁ」
笑みをひきつらせて、かつて《ビーター》の悪名を望んで背負った男はそう苦笑するのだった。
*
さて、そんなわけで再び進路を世界樹が坐す《央都アルン》にとって出発した俺たちは、空の旅を高速の中で楽しんでいた。
しかし、時間というのは過ぎるもので。気がつけばもう日付が変わろうという時間になっていた。さすがにこれ以上のログインは明日に差し障る。
ちなみに俺はまだSAOから復帰したばかりで大学も休学状態に近いため影響はない。キリトもほぼ同じ理由で大丈夫だろう。しかし、リーファやユウキは違う。はっきり聞いたわけではないが、会話の内容などから恐らく二人は学生、それも中高生ほどの年齢だと思われる。なら、このままプレイし続けるのはキツイはずだった。
そのため、俺たちはアルンに向かう途中の森に見えた小村に、これ幸いと降り立った。ここの宿屋でログアウトしようという考えだったのだが……。
「――まさかあれが罠で、象クラゲに乗ることになるとは。人生わかんないなぁ」
「こら、ソウマくん! この子の名前はトンキー! ね?」
リーファがそう言って足元の白い芝生を撫でると、くぉぉおおん、と応えるような声が響き渡った。俺たちの足元から。
白く毛で覆われたクラゲの頭部には六個の瞳が光り、瞳の配置を左右対称にした真ん中からは象のような鼻が伸びている。下半身は鉤爪がついた触手が幾本も生えており、現実にいようもんなら生物学者が卒倒するような謎進化を経た動物。それがこのトンキーだった。
その正体は俺たちが現在いる地下世界《ヨツンヘイム》に暮らす《邪神》と呼ばれるモンスターの一種である。
アルンへの道中で降り立った小村が実はモンスターの擬態であり、そのモンスターに呑みこまれることでこの地下世界へと強制転移させられた俺たちは、そこでこのトンキーと巨人型の邪神が争っている場面に出くわした。
その際、トンキーを助ける行動をとったことで俺たちは彼に気に入られたらしく、長い鼻で器用に俺たちを自身の上に乗せると、そのままこうして移動を開始したという次第なのだった。
ちなみにキリトは前方をユイと見つつ俺たちの様子にも気を配っており、リーファは楽しそうにトンキーを撫でている。ユウキはというと……。
「ぅあー……この子、最高に気持ちいいー」
ふわふわの毛皮の上に寝っころがり、ものの見事にだれていた。
「ユウキ、お前は今モンスターの上にいるわけなんだが……」
「そうだけど、この子は襲ってこないし、安全でしょ? ソウマは気にしすぎだよ」
そう言って、ユウキはケラケラと笑った。
ついでに足もパタパタと元気に動いている。
ふむ。
「ユウキ」
「んー、今度はなに?」
「足はそんなに動かさない方がいいぞ。パンツみえる」
「――。……ぅえ!?」
一瞬ぴたりと動きを止めた後、ユウキは弾かれるように居住まいを正して座りこんだ。やたらと変な声もあげつつ。
「冗談だ。一応ここは危険地帯らしいからな。気を緩めすぎちゃいけないぞ」
「……も、もっと他に言い方があったと思うんだけど?」
若干頬を赤くしながら言うユウキに、俺は肩をすくめてみせた。それ以上は何も言わない。何故ならユウキをからかうつもり満々だったからだ。言えるはずもなかった。
そしてそんな俺の沈黙をどう取ったのか、ユウキは「リーファぁ! ソウマにいじめられた!」と言ってリーファに泣きついた。
そして驚きながらもユウキから事情を聴いたリーファは、こちらを冷え冷えとした目で見つめて、一言。
「さいてー」
「ごめんなさい」
本気で怒ってはいなさそうだったが、女の子的にはやはり怒ることだったのだろう。俺は素直に頭を下げた。隣でユウキは満足そうに頷き、キリトはそんな俺たちを呆れたように見ていた。
その後、俺たちはトンキーの気の向くままにヨツンヘイムを移動した。リーファ曰くの最難関フロアであり、かのユージーンでさえ邪神モンスター相手には単独で十秒持たなかったという強さの敵が蔓延るステージであるが、トンキーが彼らとニアミスしても不思議と襲われることはなかった。
その際に遭遇したモンスターが全てトンキーのような非人間型であったことと、最初に巨人型と戦っていたことから、人間型と非人間型で敵対関係にあるのかもしれないとキリトは推測していた。
そうして移動していると、不意に空が光っていることに気がついた。いや、ここは地下世界であるから、空というよりは天井とでも言った方が正しいかもしれない。
ともあれその光に気付いた俺は上を見上げる。すると、そこには何とも幻想的な光景が広がっていた。
幾重にも重なった巨大な木の根はあれだけ遠くに見えた世界樹のものだろう。気がつけばもう真下にまで来ていたのだ。そしてその根が不規則に絡まり、地下世界の上部を覆っている。そしてその中から飛び出すように、淡く発光する水晶体が顔を覗かせていた。
ピラミッドを逆さにしたようなその構造物は、よくよく見れば通路のような道が中に見て取れる。ということは、あれはダンジョンということだ。それも、これだけ離れた位置から確認してなお巨大と表現できるダンジョンである。一体どれだけ広大なマップになっているのか、見当もつかなかった。
俺の視線に気がついたキリトとリーファも感嘆の声を漏らしていた。あれが本当にダンジョンなら間違いなくALOで最大のダンジョンだ、とリーファは断言する。まさかこんなところでそんなものを発見するとは夢にも思わなかった。
「すごい……」
ユウキからも感極まったような声が聞こえてくる。確かに、こんな光景は早々見られるものではない。VRMMOならでは、といえるのかもしれなかった。
そうこうしていると、不意にトンキーが高度を下げ始めた。唐突な動きに俺たちは振り下ろされないようにしっかりしがみつく。そしてやがて地上に降りると、トンキーはそこで丸くなって固まった。
HPカーソルに変化がないことから、恐らくは休んでいるだけだろう。しかし、俺たちとしてはこれからどうすればいいのかと途方に暮れるしかなかった。
このまま真っ直ぐ上に行けば目的地である世界樹、央都アルンに辿り着くことは間違いないだろうが、地下世界で俺たちは飛べない。トンキーが連れて行ってくれるのであれば、これほど助かることもないのだが……。
どうしたものかと俺たちが頭を捻っていると、不意にキリトの胸ポケットに収まっていたユイが顔を出して警告を発した。
「プレイヤーの集団が近づいて来ています! これは……大人数です、合計で二十四人!」
「ッ、二十四人!?」
ルグルー回廊で遭遇した人数の倍だ。いくらなんでも四人で切り抜けるには厳しい数字である。何よりあの時と違うのは、ここが最高難度フロアであるということだ。そこに進軍してくるということは、すなわち全員が高レベルプレイヤー。そんな彼らが戦隊を組んでやってきたのだ。四人では、勝てないだろう。
戦う、という選択肢を選びたくはない。そもそも同じプレイヤーだ。頼めば、一時的にパーティに加えてくれるだろう。そして地上世界まで連れて行ってくれるに違いない。
しかし、それをするわけにはいかない。
それだけの大規模なパーティを組んでいるということは、彼らの目的は恐らく一つ。
「狙いは、邪神の討伐か……」
ここに蔓延る邪神モンスターは手強いの一言だ。しかし、プレイヤーに倒せない設定のモンスターは存在しない。ということはつまり、強さに見合っただけのリターンがあるのだ。経験値しかり、コインしかり、ドロップしかり。
彼らの目的はそれで間違いないだろう。
なら、俺たちの後ろにいるコイツは、今は休んで動きを止めているコイツは、格好の餌食になってしまう。
俺とキリト、リーファはその未来を想像して、ぐっと唇をかみしめた。
トンキーとは、何も言葉を交わしたわけではない。それどころか意思の疎通さえしていないし、ただ俺たちをここに運んできたってだけのモンスターだ。
しかし、愛着があった。憎めなかった。そして、気を許していた。なら、コイツはもう俺たちにとってただのモンスターではなかった。
「トンキー……」
ユウキが、そっとトンキーの灰色がかった白い短毛を撫でた。
これから迫りくる死を前に動こうとしないトンキーを、まるで慰めるような仕草だった。平坦な声にはどこか諦めにも似た感情が混じっていた。少なくとも、俺はそう感じた。
その寂しくも仕方がないと言わんばかりの表情を見た瞬間、俺は何故だか自分の中で感情が爆発するのを感じた。
気がつけば、ユウキの肩を掴んでぐいっと押しのけていた。
驚いて、ユウキが俺を見た。
「ソウマ!?」
「起きろ、トンキー!」
俺は声を張り上げた。キリトとリーファも驚いて俺を見る。
構わず、俺は続けた。
「起きろよ、トンキー! このままじゃお前、死んじまうぞ! 足止めぐらいはしてやるから、さっさと起きてとっとと逃げろ!」
多勢に無勢だ。足止めは出来るだろうが、きっと俺はここで死に、シルフ領のスイルベーンから再スタートとなるだろう。
けれど、だからといってこの状況を見過ごすことは出来なかった。
人の死には、SAOでさんざん遭った。仲間が死んだことだって、何度もある。けれど、そのたびに俺は悲しかった。悔しかった。次の攻略では死なせないと奮起した。
きっと、誰もがそうだったと俺は思う。隣の仲間を殺させないために、俺たちは必死に自分を鍛えてあの世界の攻略に挑んでいたのだ。
リーファにも言った。友達を裏切るなんて、絶対にしない。SAOの頃からずっとそうだった。だから、トンキーを見捨てるなんてことはあり得なかった。
やがて、キリトとリーファも俺に続いた。トンキーを見捨てることは簡単で、トンキーの為に邪神討伐パーティに挑むことも簡単だ。けれど、彼らは正当にこのゲームをプレイしているだけだ。どちらかといえば、非は我儘を言う俺たちにある。
だから、その我儘を通すために必要な最低限のことはやる。戦闘が回避できるのならそれが一番いいのだ。彼らは邪神を発見できず、俺たちはトンキーを助けられる。それが一番だ。
だから、接敵する前にトンキーを逃がす。キリトとリーファもそれが最善だと思ったのだろう。そのために、俺たちは声を張り上げた。
「トンキー! 早く起きろ! ここは危険なんだ!」
「起きて、トンキー! 早く!」
「プレイヤー、近いです! あと十秒ほどで戦闘範囲に入ります!」
ユイの言葉に、焦りが募る。このままなし崩しに状況が進むのを認めざるを得ないのか。
そう思った時に、俺の隣から鋭い声が上がった。
「トンキー! お願い――生きて!」
ユウキの声だった。
振り絞るような声で願われたその言葉に、まるで応えるかのようにトンキーの体がぶるりと震えた。
そして直後、空気を引き裂くような高い啼き声が響き渡る。脳にまで届くような甲高い声に思わず身を引いたその時、トンキーの体面にまるで卵が割れるかのように無数の罅が刻まれていった。
まさか、このまま死んでしまうのでは。そんな懸念が脳裏によぎったが、罅割れたその下から表れたのは、眩いばかりの純白の閃光だった。
再び響き渡るトンキーの声。それに合わせて、トンキーから円状に白い光が広がっていく。その直後、俺たちの後方数十メートル先に、突如としてプレイヤーの大集団が姿を現した。
「隠行魔法が……!? 範囲解呪能力だと!?」
リーダーを務めているのだろうウンディーネの男性が驚愕の声を上げ、同時にトンキーがふわりと宙に浮かんだ。
そして体に残っていたかつての殻を弾き飛ばすと、白く発光する体毛で覆われた体と、鉤爪がなくなり長くしなやかな二十本はあろう触手が広がる。そして四対八枚の翼が白く輝き、大きく広げられた。
そしてその顔に備わった長い鼻は健在で、その鼻をぶおんと振ると、たちまち一か所に固まっていた俺たち四人をするりと掴んだ。
「へ?」
思わず漏らした声が誰のものだったのか。それを確認する暇もなく、俺たちはそのままトンキーの上へと放り投げられた。どすんと音を立てて俺たちが着地した直後、トンキーから極太の雷撃が迫っていたパーティに向かって放たれた。
空気を削り、地面を削りながら襲い掛かるそれらは未だ戦闘態勢に入っていなかった彼らを躊躇なく蹂躙し、その多くはHPを削り切られてアバターを四散させた。
直後、ウンディーネの男性が撤退の合図として黒い煙を出す矢を放ち、次いで大声で「撤退、撤退!」と繰り返した。
討伐隊の面々は速やかにその指示に従って撤退を開始する。トンキーはそれを追うことはせず、ただ誇らしげに啼き声をあげるだけだった。
「は、はは……」
俺は思わず笑い声を漏らした。
恐らく、トンキーは今の羽化とでもいうべき状態になるのを待っていたのだろう。動かなくなったのは、サナギのような状態だったというわけだ。
そして、ユウキが声をかけたタイミングでちょうど羽化に必要な設定時間が過ぎ、目を覚ましたということなのだろうが……。
「よかった……! よかったね、トンキー!」
「そうです! 生きていれば、きっといいことあります!」
ユイと共に、嬉しそうに白い体毛に体を埋めて……たぶん抱き着いているつもりなのだろうが、そうして喜びを露わにしているユウキを見ていると、そんなシステム的な云々はどうでもよく感じる。
ユウキの必死の呼びかけに、トンキーが応えた。それでいいような気がした。
象クラゲ改め、純白の象クラゲとなったトンキーは、俺たちを乗せて再び移動を開始した。しかし、今度はフィールドを移動するというよりは、空を移動している。すなわち、直上に向かって飛んでいるのだ。
それはつまり、世界樹へ向けて、ということでもある。ヨツンヘイムなんて、とんでもない場所に連れられてきてしまったが、結果として一日で世界樹まで到達できそうなのだから、結果オーライといったところだろう。
そうして俺たちは地上から見上げていた逆ピラミッドに近づいていく。ちょうど世界樹の真下に位置するそれは、近づいて分かったが水晶というよりは氷で出来ているようだった。
そしてそのピラミッドの先端にあたる最下層は黄金色に光っている。それに疑問を持ったリーファが遠見の魔法で確認すると、その正体がわかった。
《聖剣エクスキャリバー》。ユージーン将軍が持つ《魔剣グラム》を超える、ALO最強の武器。あの氷で出来たダンジョンは、エクスキャリバー入手のためのものだったというわけだ。
トンキーの飛ぶルートはその入り口と思われるバルコニーに接するようだ。そしてルートの最終地点と思しき天井部分には階段が見えている。更に言えば、ダンジョンとその階段には繋がりがない。つまり、一度ダンジョンの入口に降りてしまえば、もうその後地上に出ることは叶わないということだ。
ならば、ダンジョンに入るわけにはいかない。とはいえゲーマーとしての血が騒ぐのはキリトも俺も、恐らくはリーファも、そして少々意外だったがユウキも同じだったようだ。
入口を通過する瞬間、揃って一瞬体を動かしそうになり、俺たちは顔を見合わせて笑い合った。
いつかまた来よう。そう誓って、俺たちは地上へと続く階段に辿り着く。ここまで連れてきてくれたトンキーに一人一人声をかけて、別れを惜しみながらも俺たちは階段を駆け上がった。見送るように響いた声に背を押されながら。
そうして階段を抜けた先。魔法の扉とでも言おうか、水面がそのまま直立したような空間に向かって、迷わずに飛び込んでいく。その水面の向こうに見えている街の景色が本物であると信じて。
そうして飛び込んだ先にて視界に広がった光景は、スイルベーンとはまた異なった異世界の風景だった。
遺跡じみた石造の建物に、西洋風の意匠を施された噴水。足元は石畳で覆われ、その街中を往くのは多種多様な種族の男女である。九種族全てが入り乱れて暮らしている様は、ここが央都と呼ばれるに相応しい。
そして、街の中央にそびえる、天を貫く巨大な樹――世界樹。
ついにここまで来たのだ、と俺は同じく世界樹を見上げるキリトの肩を叩いた。
キリトは俺に顔を向けると、力強く頷く。ここからだ、とその瞳が物語っていて、俺もまた同じく気合を入れ直すのであった。
もう時間も遅い。というわけで、俺たちは早速宿屋に入ってログアウトすることにした。現実時間ではもう朝の四時に近い。さすがに限界だった。
そしてALOは週に一度の定期メンテナンスに入るらしく、午後三時まで入れないらしい。そのため明日は午後三時に集合しようと約束を交わし、俺たちはそれぞれALOからログアウトしていった。
*
「ふぅ……」
アミュスフィアを頭から外し、俺は息を吐いた。
いま俺の胸の内には様々な思いが溢れていた。SAOからしばらく離れていたVRの世界。もっと言うならば、ゲームの世界。そこに触れて、仲間と一緒に冒険をして。モンスターと戦って。それらを通して感じたこの思いを、一言で表すのは難しかった。
気分は高揚している。それは間違いがないことで、やはり俺にとってSAOとは苦い記憶であると同時に、大切な記憶でもあるのだと改めて実感する。
リーファに、ユウキ。彼女たちもとてもいい仲間だった。始めた直後にああいったメンバーに出会えたのは、幸運と言う他ないだろう。
明日もまた皆に会えると思うと、正直心が躍る。
だが、そうも言ってられないのが現状である。
アスナを助け出す。その目的を見失うことなどありえない。
だからこそ、メンテナンスが終わる午後三時までに、俺は俺で何かするべきだろう。
俺に出来ることは何なのか。その時、ふと思いついたことがあった。実行可能かどうかはわからないが……まぁ、何もしないよりはマシだろう。俺はそう決め、明日の予定を決めた。
瞬間、忘れていた眠気が襲ってくる。俺はこみ上げる欠伸をかみ殺し、シャワーだけでも浴びてから寝るかと呟いて、のろのろと部屋を出て行くのだった。
ユウキのこと、ソウマの行動。
そのあたりの描写はこれからになりそうです。