「アイドル部のイメージビデオ?」
某日。とある会社の、一室にて。
アイドル部のプロデューサーであるばあちゃると、部員の夜桜たまはソファに座っていた。向かいには、今いる会社の社員が腰かけている。
既にばあちゃると社員は名刺交換などを済ませ、プレゼンに入った処だ。
内容を簡潔に纏めると、以下の通りである。
まずアイドル部一人一人に、様々なシチュエーションを演じてもらう。
それを編集し、発売したい。
一人称視点(目線カメラ)での撮影。普通の映像版と、VR版両方の発売を視野に入れている。
名付けて、『アイドル部イメージビデオプロジェクト』。
その一作目に、夜桜たまが抜擢されたのだ。
「えっと、私が演じる……? シチュエーションってなんですか?」
「はい、私たちが考えたのは『年上彼氏と年下高学歴彼女の同棲生活』です」
「……えっ、それを私がやるんですか?」
「はい。お願いしたいと思っております」
「で、でも私、演技とか上手じゃなくて。こういうのはなとちゃんとかがやった方が良いんじゃ……」
「あっ、その事なんですが……その、ばあちゃるさん」
「はいはいはい、聞いてますよーどうしたんですか?」
「すみません、少し夜桜さんと二人でお話ししたいことがあるんですが、よろしいでしょうか?」
「あ、了解ですはいはいはい、たまたまー失礼の無い様にするんですよーばあちゃるくんは席を外すんでねー」
ばあちゃるはそう言って部屋の外に出て行った。営業マンは姿勢を正し、手元のファイルから一枚の紙を取り出す。
「それで、話と言うのは」
彼女の天秤は、やりたくない方に傾いている。演技力に自信が無いたまは、しかし――。
「彼氏役を、収録時にばあちゃるさんに頼もうと思っております」
「詳しく」
「これは年上彼氏目線で撮影が行われます。カメラマンを起用しても良いのですが、それだと彼女役の自然な演技が引き出せません。なので、彼女役の方の身近な男性の目線にカメラを付けて撮影しようという事になったんです。後で男性の声は消させていただきますが、二人には撮影中に自然な会話をしてもらいたいんです」
「つまり私が彼女で馬Pが彼氏なんですか?」
「えっと、設定上は。……夜桜さんが良くて、ばあちゃるさんが許可をくれたらですが……」
その後。
夜桜たまの巧みな誘導により、ばあちゃるは彼氏役になった。
本人が「マジンガー!? いやダメっすよこれね、完全に燃やされちゃうんでね」と言う頃には、全てが遅かった――。
――☆――☆――
俺の……ばあちゃるの目元には目線カメラ。
目前には、ドア。
アパートの一室を借りて、撮影が始まろうとしていた。『彼氏役』のセリフは後で全て消されるが、リアリティを出すために『彼女役』と会話はしなければならない。
しかもいつも通りを追及するため、今日は普通に仕事があった。たまたまも恐らく学校があっただろう。休んだ、と言う連絡は来ていない。
たまたまの服装はなんだろうか。流石に3Dアイドルモードの服では無いだろうし。
……なんて事を考えてたら、監督からGOが入った。
ここからは俺とたまたまだけの撮影になる。
長い夜になりそうだ。ため息を吐こうとして、飲み込み、ドアノブを捻った。
「あ、おかえりなさい」
「はいはいはい、帰りましたよーたまたまー!」
ドアを閉じると同時に、奥の部屋から彼女が走ってきた。
たまたまの服装は、上下白のニット。いつも複雑に編み込んでいる髪は一つ結びにして、肩から胸へ流していた。
心なしか、今日の彼女は大人びて見える。
高校生の少女ではなく、大学生の女性の様だ。普段とのギャップに少し乱されるも、俺は直ぐに持ち直す。大丈夫。メンタルは強い方だ。
「先にご飯食べます? それともお風呂入っちゃいます? どっちでも良いですよ?」
「ご……はん……?」
「え、はい。私が頑張って作りました」
「GOHAN?」
「ああ、今日は豚と緑の葉っぱとお米ですよ。いい感じに出来たんです」
「……そういえば、たまたまは御飯食べたんすか?」
「馬P待ってたので、まだ食べてないです」
「待ってたんすか」
「待ってました」
「おなかは?」
「めめめちゃんくらいには空いてます」
「じゃあ、先にご飯食べましょうかね! いやあたまたまのね、手作り御飯とかご褒美っすねこれ完全にね!」
「ふふふ、じゃあテーブル拭いてお箸を並べてください」
「はいはーい、すぐに終わらせるんでねーすぐにたまたまを手伝いますからねー」
短い廊下を抜けて、彼女は台所へ。俺はリビングへと向かった。
バッグをソファに放り投げ、スーツのポケットからスマホを取り出す。素早くLINEを開き、少し悩んでからきそきそのトークへ。
『胃薬を買っておいて欲しいでふうううう!!』
『なんでですか』
『たまたまの手料理を食べることになったでふううううう!』
『何十個買います?』
『いや一個で十分っすからね完全にね』
『よろしくでふううう!』
よし。
明日は有給取ろうかな。
スマホもソファに投げ、スーツをハンガーに掛ける。ネクタイを取り、Yシャツの第一ボタンを外した。取り敢えずのラフスタイル。
丁寧にテーブルを拭き、箸も二人分用意する。
それと同時に、たまたまがリビングに入ってきた。重たそうなお盆を引き継いで、配膳を担当。その内にふりかけやお茶を持ってきた彼女と向かい合わせに座り、俺たちは手を合わせた。
「いただきます」
「いただきます」
見た目。大丈夫。牌もリー棒もない。
匂い。大丈夫。普通に美味しそうだ。
慎重に確認しつつちらりと前を見ると、たまたまはまだ食べずに俺を見ていた。心なしか緊張した様子で、お茶碗をゆらゆらさせている。
……ここで食わずして何が男か。
外でクラクションが鳴り響く。危険信号か、それとも決意の鐘か。俺は大口を開けて、肉をかみしめた。
「……馬P、どう?」
「……いや……これ美味しいっすよたまたまー! えー! いやめっちゃ美味い! 料理も出来るなんて凄いじゃないすか! いやーやっぱね、ばあちゃるくんの目に間違いは無かったっすよ!」
「ほんと!? やったー!」
予想外だった。
その豚肉はきちんと生姜焼きになっている。
その白米は柔らかく熱々になっている。
その葉っぱは食べやすい大きさに切られている。
その汁からは味噌の味がする。
美味い。風の噂に聞いていたパワー系料理はどこへ行ったのか、夜桜たまの作ってくれた料理はとても美味しかった。シロちゃんレベルだろうか。いや、うーむ。
「馬P、お仕事どうでしたか?」
「いやー、特に変わりないっすよ。シロちゃんの動画編集したり、アイドル部の皆のスケジュールを確認したり……これね、うれしい悲鳴っていうんすかね。アイドル部関連の仕事がどんどん増えてるんでね、いやーばあちゃるくんも嬉しいっすねこれね」
「ガリベンガーVとか、最近地上波にも出てますもんね」
「他人事みたいに言ってますけどねー、たまたまも凄いっすからね! もっと自信持ってね、楽しく活動してほしいなって思いますね」
「楽しく活動はしてますよ。アイドル部の皆もシロちゃんも居るし、馬Pも見ててくれますし」
「いやー、ばあちゃるくんは何も出来て無いっすよ。全部ね、皆自身の頑張りが実った結果ですからね!」
「そんな事無いですよ」
たまたまが、急に声を強くした。
思わず箸を止め、まじまじと彼女を見てしまう。やけに真剣な面持ちで、たまたまは口を開いた。
「馬Pが何も出来てない、なんて事は無いです。絶対に。それは視聴者の皆さんも、アイドル部の皆も、シロちゃんも思ってます。何より私がそう思ってます」
ストレートな思いをぶつけられ、俺は呆気にとられた。
彼女の赤い瞳は俺を見据えている。綺麗な輝きに吸い込まれそうになり、そっと目を逸らした。
夜の街の音が、静かな部屋で消えていく。
寂しいわけでもなく、イライラしてるでもなく。ただどうしようもない、困惑した雰囲気は、どうにも収まらない。
「……たまたま、学校はどうっすか? 授業中に麻雀ばっかしてたらダメっすよー?」
「流石にノートとプリントは取ってますよー。もう。ちょっと真面目にやらないとなとちゃんに怒られちゃうから……まあ、控えめにしてます」
「あくまで控えめなんすね……」
その雰囲気を断ち切るべく、俺の方から話を振る。たまたまの学校の話は豊富で、聞いてて飽きなかった。購買でハマってるもの、生徒会のお仕事、アイドル部でのちょっとした事件など。めめめめが色んな人の靴下を無理やり変えている……と言うのは、注意案件だろうか。
あとでごんごんに任せよう。
「ごちそうさまでした」
「ごちそうさまでした。いやーたまたま滅茶苦茶料理上手っすねー、じゃあばあちゃるくんが食器洗うんでね、麻雀でもしてて下さいね」
「そこまで無責任じゃないですよー。二人でやりましょ?」
「いやあ、たまたま学校で疲れてるでしょうからね、ここはばあちゃるくんに任せてほしいっすね」
「馬Pだってお仕事してきたじゃないですか。二人でやった方が楽ですよ」
たまたまは調味料を持って、台所に小走りで入った。有無を言わさぬ行動に負けた俺は、お盆に食器を載せる。このアパートの台所は狭く、二人並ぶとぎゅうぎゅうだ。Yシャツの袖を捲り、スポンジに洗剤を付ける。
俺が食器の汚れを落とし、彼女が泡を流してから乾燥棚に戻す。
段取りを決めたわけではない。が、何度もこの行為を繰り返したかのように息が合っていた。
腕が当たるたびに、照れ隠しで笑いあう。暖房は台所に無いのに、やけに暖かい。一人暮らしの俺にとってこの感覚は新鮮で、少しくすぐったい。
「……馬P、馬P」
「どうしました?」
「一発芸。ごんごん」
最後の食器で渾身のネタを披露され、思わず素で笑ってしまった。
満足げなたまたまは笑い続けている俺の背を押して、リビングへと戻る。この部屋にテレビは置いてないが、最新型のノートパソコンはあった。彼女は部屋の隅で充電されていたpcをこたつの上で開き、俺を呼び寄せた。
「馬P、パソコンの前に座って」
「え? あ、うまーじゃんみたいな事するんすか~?」
「対局中の助言はルール違反ですからしませんよ。いいから、ほら」
「はいはーい、分かりましたよたまたまー」
こたつに入ると、中はかなり暖かかった。夕食前に使っていたのだろうか。じんわりと爪先が温められていく。靴下は履いていても、やっぱり冬は冷える。
ふいー、と息を吐いた。やっぱり、こたつは癒しだ。
「じゃあ、お邪魔します」
こたつのせいで完全に気の抜けていた俺は、直後の行動をブロックすることが出来なかった。
突然、たまたまが俺の足の間に入ってきたのである。中々の素早さ。彼女はこたつ布団を整えると、背を預けてきた。
「えへへ、馬P座椅子ー!」
「ちょいちょいちょーい! いやこれ完全にね、ばあちゃるくん燃やされちゃうんでね、これちょっとダメだと思うんすけどね」
「やばーしー?」
「やばーしーっすね」
「マジンガー?」
「マジっすよはいはいはいはい」
「だめー!」
「えぐー!」
このアイドル、にっこにこである。
見たことのないくらい幸せオーラを放っている彼女を、誰が止められようか。絶対前のめりになった方がパソコンを操作しやすいのに、たまたまは決して俺から背を離さない。代わりに俺がちょっと前のめりになると、余計にたまたまを包むような感じになってしまった。
「あ、馬Pこれいい。離れないで」
行動が読まれている。姿勢を正そうとしていた身体を止め、俺は彼女の頭上からパソコンを覗き込んだ。
pcの画面には、PUBGが。
鼻歌を歌いながらマッチングを開始。振り向いた彼女は俺の額を小突き、悪戯っぽく微笑む。
「馬P、PUBG下手だから教えてあげます」
「いやー、たまたま知らないかもですけどね、男はステゴロ! っていう名言があってですね、ばあちゃるくんはそれを信条にしてるんすねはいはいはい、REALITYの配信でもね、素手で十位まで行ったんでね、これはもうPUBG上手いと言っても過言じゃないと思いますねこれ完全にね」
「へーたーでーすー。ほら、馬Pが上手になったらアイドル部の皆ともコラボ出来るじゃないですか」
「いやー、ばあちゃるくんとコラボしたい子なんて居ないっすよ」
「何で私が教えると思いますか?」
「……え?」
「あ、始まりました! えー、じゃあサンメイで良いかなあ……」
丁寧なPUBG指導。教師は夜桜たま先生。
武器の取り方やアイテムの使い方、AIMの合わせ方などを教えてもらい――さらっとたまたまはドン勝を食べ――。
幸せそうな、楽しそうなたまたま。
一緒に居るだけでなんだか嬉しくなってきて、気付けば二時間ほど経過していた。
「……あ、キリが良いですし、お風呂入って寝ましょうか」
「そうっすね。お風呂、どっちが先に入ります? いやね、たまたまがね、自分の入ったお湯にばあちゃるくんが入るのは嫌だー! とかならね、全然遠慮せずに言ってほしいっすね。ばあちゃるくん普段シャワーだけ何でね、全然問題ないっすからね」
「え、馬Pきたない」
「ちょいちょいちょーい! ちゃんと全身洗ってますよー! ただね、どうも忙しいしめんどくさくてね、お風呂とか省略したくなっちゃうんすよねー」
「もしかして夕ご飯とかコンビニですか?」
「良く分かりましたねー、いやー、やっぱ多くなっちゃいますよコンビニ弁当。楽ですからねー」
「……その、私作りに行きましょうか? えっと、ほら! 女子力上げたいですし! 練習させてくださいよ!」
「いや、それはたまたまに悪いんでね、料理は是非りこぴんとかに作ってあげてくださいね」
「馬Pは食べてくれないんですか?」
「あー、じゃあね、食べてくれ! って時は連絡してほしいっすね。ばあちゃるくんがね、会いに行くんでね」
「約束ですよー? ……お風呂、馬Pからどうぞ? 私、後で入りますね」
「はいはーい、じゃあささっと入ってきちゃいますからねー」
「ちゃんと湯船につかるんですよ! 百秒は数えてくださいね?」
「いやこれ完全にね、子供扱いされてますねばあちゃるくんね」
タオルと着替えを持って、脱衣所まで歩く。
そうだ。すっかり忘れていたが、この撮影は彼女の寝起きの挨拶で終わる予定。つまりは、今日ここでお泊りすることになる。
だが、ベッドはアパートの奥に一つだけだった。
押入れも無いし、俺はどこで寝ればいいんだろうか。後で確認しよう。
「……いやこのお風呂緑色濃いっすね」
入浴剤が入っているらしい。いい香りの中に身を沈め、凝った肩を軽くほぐす。仕事が仕事なだけに、どうも運動不足だ。体の節々も凝り固まっている。久々にサッカーでもしたいが、かつての旧友も忙しいだろう。
……ピーナッツくんは運動苦手そうだ。
アイドル部で言えば、もちにゃんが一番運動出来るだろうか。その場合はキャッチボールとかかな。
いや、サッカーがしたい。フットサルでもいい。真面目に探してみようか。
「たまたまー、お風呂あがりましたよー」
「お風呂上がりの馬Pだ。拡散しちゃえ」
リビングに戻ると、いきなりシャッターを切られた。
「ちょいちょいちょい、ばあちゃるくんのそんな写真拡散したらね、寧ろたまたまのアカウントが凍結されちゃうんでね、やめた方が良いっすね完全にね」
「なんで?」
「……ガイドライン違反?」
「馬Pも考えてないじゃんもー!」
ぱたぱたと足を揺らして笑う彼女。ひとしきり笑った後、彼女はソファから立ち上がった。
「冗談ですよ馬P。拡散はしませんよー」
「いやあ、たまたまならしかねないですからねー危険っすよー」
「あー、そういう事言ってるとやりますからね? ……じゃあ、お風呂行ってきます。覗きはぱいーんですからね」
「たまたまのお風呂を覗いたりはしないっすよー。 ゆっくり温まってくださいねー!」
何故かティッシュボックスを投げられた。
彼女がドアを閉めて、少し経ってからスマホを開く。
LINEに通知が来ているので見てみると、アイドル部の子たちから数件メッセージが届いていた。
『ばあちゃるさん大丈夫ですか!? 会長の手料理って大丈夫なんですか!?』
『うまぴーだいじょうぶ?』
『おうまさん、辛かったら明日は有給使ってくださいね?』
『ばあちゃる号、強く生きろよっ!』
『胃薬、一個と言っていましたがいろんな人に相談したところ一ダースになりました。』
『うまP、今日出勤したら時給205円にしてあげるからね。休んでも有給扱いにしてあげるからね』
たまたまはアイドル部の中でも一目置かれているらしい。
取りあえず全員に美味しかったという旨を送り、スマホを充電器に繋げる。仕事の資料を広げてチェックを終えた頃に、彼女が帰ってきた。
「お風呂出ましたー」
「はーい。いやー、たまたま結構長風呂っすね。勝手に烏の行水だと思ってたんすけど」
「……セクハラですか」
「えー!? いや違いますよたまたまー!」
「まあ……いいです。あ、ちょっと宿題やっちゃうんで、少し待っててください」
「じゃあばあちゃるくん本読んでるんでね、終わったら言ってくださいね! 質問されたら答えたり答えなかったりしますからね!」
「私の方が勉強出来ると思いますけど」
「えぐー!」
いやまあ、設定を除いてもあり得そうな事ではある。
それから三十分間くらいは、無言の時間が続いた。彼女がカリカリとペンを走らせる音と、俺がページをめくる音だけが聞こえる。これが知らない人との一時であれば落ち着くも何も無いだろう。
けど、今はとても安心出来ていた。
家族や友人と一緒に居る時とはまた違う。淡く明るい色が、雰囲気を彩る感覚。
本には集中していた。内容も、普段よりすっと頭に入ってきた。
……それよりも、俺には、彼女がよく見えていた。
三十分後。どうやら終わったらしい彼女が、ぐーっと背を伸ばす。
「馬P、終わりましたー。そろそろ寝ましょ?」
たまたまはそう言うと、勉強道具を片付け始めた。俺も読んでいた本を閉じ、時計を見上げる。時刻は夜の十一時。いつもより全然早い就寝時間だ。
あ、そういえば。
「たまたまー、ばあちゃるくんのベッドどこすかねー?」
「そこにあるじゃないですか」
彼女はソファの上にあったぬいぐるみを確保すると、奥のベッドに腰かけた。
可愛らしく、小さなあくびを一つ。赤い目に滲んだ涙をぬぐい、たまたまは目覚まし時計をいじり始める。
……なんてことの無い様に言っているが、この部屋にベッドは一つ。
いくら見回しても、敷布団すらない。というか、それをしまうスペースすら無いだろう。
「え、まさか床で寝ろってことすか!? いやたまたま、ちょっとね、ばあちゃるくんに対しての扱いが雑すぎると思うんすよねーはいはいはい」
「いや、だからここにあるじゃないですか」
ぽんぽん、とベッドが叩かれる。
「それじゃなくてですね、ほら、ばあちゃるくん用のベッドというか布団と言うか」
伝わってなかったのだろうか。もう一度声を掛けるも、彼女の動きは変わらなかった。
言葉の代わりに、背中を冷や汗が伝う。眠気なんぞ一瞬で吹き飛び、俺はぎこちない笑みを浮かべた。
「あー、えっとですね、さすがにそれはね、Pとアイドルとして不味いんじゃないかなーってね、ばあちゃるくん思いますねーはいはいはい」
「………」
彼女は返事をしてくれなかった。
目覚ましをベッドの上に。たまたまはぬいぐるみと入れ替えに枕を抱え、俺と目線を合わせた。
そして、右腕を振った。
「んぐぁっ」
唐突に飛んできた枕に顔面を打たれ、くぐもった声が出る。
「ちょ、ちょいちょいちょーい! 何するんすか急にー!」
「馬P、それ私のだから持ってきてもらっていいですか?」
俺のプロデュースしてるアイドル、清楚を目指してたのにな。
シロちゃん路線……清楚(Vチューバー)っすねこれ完全にね。
「じゃあ、投げますからねー? しっかりキャッチするんですよー」
「あ、直接持ってきてください」
「えぐー! 人使い荒すぎっすよたまたまー!」
結構がんこなたまたまは、こうなると動かない。それは良く分かっていた。
……観念して、俺は立ち上がる。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
たまたまは微笑み、手を伸ばした。
その手は枕に向かい。通り、越し。
「じゃあ、一緒に寝ましょうか」
「えっ? うわっ!?」
俺の腕を掴んだたまたまは、急に引っ張った。かなり強い力。突然に体を寄せられ、体勢を崩した。
慌てて手をベッドに着く。ぎしっ! とベッドが軋んだ。二人分の体重を支えるそれの上で、彼女は俺を見つめていた。
「――顔、近いですね」
赤い瞳が、すぐそこにあった。
彼女の頬は赤い。シャンプーか何かの、良い香りが、脳を撫でた。
俺の目には、彼女しか映っていない。美しい銀の髪と、うるんだ赤の瞳と、白い肌が……夜桜たましか、映っていなかった。
「……たまちゃん、離してください」
「いやです」
「たまちゃん、あのですね――」
彼女はいつの間にか、俺の背に手を回していた。
いつの間にか、彼女に、掴まっていた。
「私たち、”同棲”してるんですよ?」
「っ」
それは設定だ、と。
ここで言える人間であったら、どれだけ良かっただろう。
彼女の赤い目は、それ以上の事を伝えてきていた。
その思いが何か、俺には分からない。
だが、その思いの強さは分かってしまった。
「……分かりました。一緒に、寝ましょうか」
「はい。……電気、消してもらっていいですか?」
「はいはいはい、ばあちゃるくんにね、任せてくださいね!」
俺はいつも通りの口調で、せめていつもと同じようにして、電気を消す。
「じゃあたまたま、明日も遅刻しない様にするんすよ」
「分かってますよ。ふふ、おやすみなさい」
「はいはいはい、おやすみたまたまー!」
小さな、ベッドの上。嫌でも感じる温もりを気にしない様に、俺は目を閉じた。
繰り返す針の音が、耳に響く。
アパートの外を走る車の音が聞こえる。
目を閉じていても、なかなか眠れない。いつもより大分寝るのが早いからか、体が起きてしまっているのだ。
……ううん。これからの方針でも考えるか。
そう、考えたとき。
――ふわり、と。良い匂いが、鼻孔をついた。
それと同時に、何かが唇に触れた。
温かく、柔らかく、甘い何か。ゆっくり押し付けられたそれが離されると同時に、俺は目を開いた。
……近くには、吐息が当たる程度に近くには、夜桜たまの顔があった。
彼女は俺の顔を、恐らく開いている目を確認した。目を見開いた彼女は布団を頭までかぶり、すすすと移動。俺から一番遠い位置で、小さいベッドのせいで割と近くだが、丸まった。
一層、静けさを増したような部屋の中。
俺は腕で目を覆い、息を吸い込んだ。
「……寝れないよ俺……」
小さく、呟きと共に息を吐く。
やけに、耳が熱かった。
……目覚ましが鳴る。目を開ける。体を起こす。
横には、綺麗な彼女の顔があった。寝ぼけ眼をこすり、俺を認識する。
「……っ!」
昨晩の事を思い出したのか、彼女は直ぐに顔を布団で隠した。……が、それも少しの間だけ。
ゆっくりと顔を出した彼女は、朝日に銀髪を煌めかせ。
「おはよう、ございます」
――太陽にも、星にも負けない、輝くような笑みを浮かべた。
――☆――☆――
「……完、と。えー! たまちゃんかわいいー! これは時給もアップだよー!」
「裏切ったなたまちゃん! 料理出来ないと思ってたのに!」
「いやあ、大変趣深いと言いますか」
「分かる。分かるよもちにゃん」
「え、これ可愛すぎないですか? 寝起きたまさん半端なくないですか?」
「とても可愛らしかったですわ! たまお姉ちゃん、お疲れ様です!」
「これは……牛巻の……生きる糧になるなあ……」
「過去最高に可愛い、と思います」
「すごーい! たまちゃん、すごいかわいいー!」
アイドル部の部室。
たまの必死の抵抗もやむなく、撮影された映像は全員に観られた。
絶賛され、照れている生徒会長。……そこへ、同じ生徒会からナイフが飛んできた。
「……これ、カメラだれ?」
「え? 自撮りみたいに撮ってるんじゃないの?」
「ふ、双葉ちゃん? 何言ってるの?」
「ごんごんお姉ちゃん、自撮りでしたらお迎えシーンは撮れないですよ?」
「そっかー! えー! 誰々? めっちゃ身長高かったよね!」
「それにたまさんの演技……? も凄く自然でしたよね」
双葉が話題を出し、いろはとピノが言及する。最後にすずがぼそっと呟き。
「わかっちゃったあ……」
「えー!? 何々!? 誰!? 教えてよみんなー!」
いろはと双葉とたま、そして風紀委員長を除く全員が声を揃えた。
「……うまぴーと一日過ごしたんだ……ふーん……」
わいわいと盛り上がるアイドル部。少し苛立つゆるふわナイフ。
そんな中、ただ一人――某風紀の芸人は、ごくりと生唾を飲み込んだ。
(……私、撮影予定入ってるんですけど!? これ皆の前で公開されるんですか!?)
脳内で叫ぶ八重沢なとり。顔にも出てしまう八重沢なとり。
「はいはいはーい、ばあちゃるくんがね、お菓子持ってやってきましたよー」
丁度入ってきたばあちゃるによって、八重沢なとりの変化に気付く者は居なかった。
お菓子をテーブルに並べるばあちゃるの横で、ビデオを再生し直すめめめ。両サイドを抑え、逃げられない様にするいろはともち。
「今日はね、チョコレートを沢山持ってきたんでね! どんどん食べてください……あれ? なんでばあちゃるくん囲まれてるんすか?」
「ねーえ、うまP-?」
「はいはいはい、なんすかちえりーん」
「……このビデオー、撮影したのだあれ?」
「……」
「……」
「……いやー、ばあちゃるくんにはちょっとわかんないっすね」
「たまちゃんの唇どうだった?」
「柔らかくて……あっ」
「馬P!!」
「うまPを逃がすなよ、捕まえておけ」
「任せて!」
「へっへっへ、ちえりさんに全部話しちまえよお……?」
「ごんごんお姉ちゃんノリノリで草」
「じゃあーうまP! 全部吐いてね」
「た、助けてシロちゃーん!」
「馬Pの、馬Pのばかー!」
結論から言うと、シロはばあちゃるの声を聴いて駆けつけた。
そして勿論、尋問側に回ったのだった。