ダンジョンにユグドラシルの極悪PKがいるのは間違っているだろうか?   作:龍華樹

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第11話

遠征当日、バベル前の広場には、Lv.2以上のロキ・ファミリアの団員が、ほぼ集結していた。

 

大多数はサポーターとしての参加である。

サポーターと言えば冒険者のドロップアウト組が転向するという印象がありがちだが、下層や深層への遠征を行う余力のある大手のファミリアでは、見込みのある若手を教育がてらサポーターとして高レベル冒険者に同行させる場合が多い。

 

サポーター達は中継地点である18階層の迷宮の楽園(アンダー・リゾート)に搬入するための物資が満載された大きな背嚢を背負っていた。

中身の大部分は消耗品だ。

回復薬(ポーション)万能薬(エリクサー)、毒消し薬、包帯に添え木といった医薬品。仮拠点の設営に使用する天幕に寝袋。後衛にして火力である魔法使いが精神力(マインド)を消耗していたり、詠唱が間に合わなかった場合に攻撃力を発揮する魔剣。そして、日持ちする食料や18階層で水を補給するための水筒だ。

何より消耗が予想される武器については、予備を含めて多数持ち込まれ、さらには迷宮内で修理や修繕に対応するために大手鍛冶系ファミリアのヘファイストス・ファミリアから団長である椿・コルブランドが上級鍛治師を率いて参加している。

 

「おおう、太陽が黄色い」

 

椿は目の下にべっとりとクマを浮かべていて、見るからにやつれているにもかかわらず、充血しきった目だけは妙に生き生きとしていた。

 

前回の遠征で確認された腐食液をまき散らす新型モンスターに対応するため、急ピッチで依頼した不壊属性武器(デュランダル)を納品してくれたのだが、流石に急がせ過ぎたかと、フィンは不安を覚えた。

 

「大丈夫かい? かなり調子が悪そうだけど……?」

 

「手前、このところ色々と忙しなくてな! だが、心配ご無用! 昨日は‪2時‬間も寝たし、出がけに万能薬(エリクサー)をがぶ飲みしてきた!!」

 

高笑いをあげる椿を見て、フィンはさらに不安になった。

 

ヘファイストス・ファミリアがひと月ほど前から未知の金属素材を手に入れ、その研究に血道を上げていることは、すでに大手ファミリアには公然の秘密となっている。

それもあり、今回の依頼はゴブニュ・ファミリアに回そうかという意見もあった。だが、遠征に同行してもらうには鍛治師としての技量に加えて冒険者としての能力がいる。数と質、双方を兼ね備える鍛治師を出してくれるとなると、少数精鋭のゴブニュには頼みづらかった。

 

「この短い期間に不壊属性武器を仕上げてもらったのには感謝しているよ。ところで、噂の素材を使った武器は、まだ見せてもらえないのかな?」

 

「ハハハ! 今更隠そうとは思わぬが、まだまだアレはまるでモノに出来ておらぬ故、勘弁くだされ! 今はようやく試作品の作成ができるかどうかというところでな!」

 

「……ほう、既にそこまで進んでおられましたか。流石は天下に名高いヘファイストス・ファミリアの皆様」

 

カランコロン、と乾いた木が打ち合うような軽い音が響き、会話に割り込まれた椿とフィンはそちらに視線を向けた。

 

「御機嫌よう、フィン様、椿様」

 

白い肌と黒い髪の女だった。

日傘を手にし、着ているのは小春めいた桜模様の小袖に、足元は金箔と黒漆で仕上げられた女物の下駄。肌には化粧をし、唇には薄く紅をさしている。

極東から出てきた良いところの令嬢に見えなくもないが、もちろんキル子である。

これからダンジョン深層に遠征しようというのに、まるで物見遊山に行くかのような空気読まない格好をして、朗らかな笑みを浮かべている。

 

その背後には、従者らしき老人と童女が佇んでいた。

白髪頭の老人は作務衣姿に大きな行李(こうり)を背負っており、おかっぱ頭の童女は紅色の雅な着物を着ている。

 

キル子が目で促すと、二人は口元を笑みの形にして無言で一礼した。

 

「こちらはカシンコジとトビカトウ。私の身の回りの世話をしてくれる者たちです。護衛として同行します」

 

フィンは目を細めて二人を眺めると、親指の根元を押さえた。疼きが止まらない。

 

「ああ、二人とも、私よりは強いですよ」

 

キル子はフィンに意味ありげに流し目をよこすと、今度は椿に話を振った。

 

「椿様、先日はお忙しいところをお手間を掛けて頂きまして、ありがとうございました」

 

この小袖はキル子が今日のためにヘファイストス・ファミリアに依頼してあつらえたものだ。

材料はキル子が持ち込んだ糸や布、染め粉や飾り紐に至るまで、それなりに希少素材を使っている。性能的には聖遺物級に掠るかどうかというところだが、キル子的にはデザインが気に入っていた。

 

「なんのなんの! それよりも、例の件はよろしく頼むぞ、キルコ殿!」

 

「ええ、お任せくださいませ」

 

豪快に笑う椿だったが、その目は赤く充血しきっていて、何より少しも笑っていない。

キル子もキル子で口元を袖で隠しながら上品に笑っているが、目は少しも笑っていない。

 

「………」

 

傍らで見守っていたフィンとしては、その「例の件」とやらが気になるところだったが、二人の間に流れる微妙に不穏な空気を感じ取り、敢えて何も言わなかった。

 

一通り椿と語らうと、キル子はロキ・ファミリアの団員達に向き直る。誰も彼もが、不審げな様子でキル子を見ていた。

 

「ロキ・ファミリアの皆さま、ご苦労様でございます。既にフィン様から伺っているかも知れませんが、今回の遠征に同行させて頂きます、キル子と申します」

 

日傘を畳んで深々とアイサツする。

風変わりな従者達もそれに合わせてお辞儀をした。

 

「ダンジョンというものに伺わせて頂くのは初めての事でございまして、何かとご迷惑をおかけするかもしれませんが、どうかよろしくお願い申し上げます」

 

キル子はこれ以上ないくらいドヤ顔を披露していた。

そんな内心を一言で言い表すと、こうなる。

 

(勝ったな!!)

 

今日のために毎日欠かさず温泉に浸かって肌を手入れし、最高級の化粧水と乳液で磨き上げた。歓楽街の武装娼婦御用達のエステにも通っている。

そして今朝は念入りに化粧し、眉を整え、薄く紅をさし、髪も結い上げてきた。

衣装はデザイン重視で今日の為に用意した特注品。

キル子の見たところ周りの女どもは無骨な武器や防具に身を包み、化粧の一つもしていない。内心でせせら笑うしかなかった。

 

もちろん、ロキ・ファミリアの彼女達だって、オフに思い人と共に街に繰り出そうとするならば、それなりの準備をするだろう。

だが、これから行くのはダンジョンである。しかも、未だ誰も到達したことのない深層。

状況を舐めきっているとしか思えないキル子に、周囲からどのような視線が突き刺さるかは、推して知るべしだった。

 

本来なら文句の一つも出たのだろうが、そこは事前にフィンが根回しをしている。

曰く、オラリオ外の未知の土地からやってきた異邦人。

オラリオの事情には疎く、だが秘めた能力は底知れず、常識では計り知れない強力な隠し球を幾つも持っている。

怪しいことこの上ないが、恩恵も持たず、特定のファミリアにも入っていないにもかかわらず、最低でもレベル6以上の力があるので、敵対的な行動は厳禁。

要観察対象であり、ちょっと突けば重要な情報をドバドバ漏らすカモ……もとい金の卵、みんなでうまくヨイショして欲しい、と。

故に、団員達は努めて笑顔で(引きつった笑顔にしかならなかったが……)キル子を眺めていた。

 

「各自言いたいことはあるだろうが、努めて抑えて頼む。……キルコさん、道中は我々の指示に従ってもらうよ」

 

「はい、何でもご指示くださいませ」

 

フィンにしてみれば、18階層に連れて行くくらいならば、わざわざ遠征に同行させる必要はない。幹部クラスならそれこそ日帰りで往復できる距離だ。

だが、それはあくまでダンジョンに慣れた上級冒険者が全力疾走したら、という前提である。ダンジョンに不慣れな素人、それも自己申告によれば、一度もダンジョンに入ったことのない人間を引率するとなると、日を複数またぐ可能性がある。

遠征を目前にしたタイミングで不測の事態に巻き込まれるリスクは負いたくないし、では幹部クラスを複数名引き連れて部外者を引率しては、流石に目立ちすぎる。

かといって、鴨がネギ背負ってやってきたような状況を、みすみす見逃す手はない。

 

だからこそ、遠征に同行させるのだ。

遠征時ならばそもそも人数が多いのは当たり前だし、他のファミリアの人間も数多く同行する。木を隠すなら森の中だ。

それに、仮に何か企んでいたとしても、これだけの人数に囲まれた中で下手な事はやりにくくなる。

 

『虎穴にいらずんば、やな』

 

この状況を、出発前に彼らの主神、ロキは偽悪的な顔でこう表したという。

 

「それと、貴女の同行を許可するのは18階層までだ。いいね?」

 

「はい。そういうお約束ですから。私は約束を違えたことはありませんよ、フィン様」

 

フィンに鴨葱扱いされているとは知らず、キル子は緩い笑顔で請け負った。勝手に後ろから付いていく分にはなんら問題はないだろう、と考えていたりする。姿を隠して後を追い、ピンチの際に劇的登場! ベート様もイチコロだね! たぶん、めいびー。

思わず口元が歪みそうになるのをキル子は袖でそっと隠した。

 

それはそれとして、流石のキル子も考え無しに18階層に行きたいなどとワガママを言っているわけではなかった。

 

「実は18階層のリヴィラとやらに、拠点を作りたいと考えておりまして。色々と準備して来ておりますのよ」

 

「リヴィラに?」

 

「ええ、建材や生活用品、食料、酒肴品、衣服に武器も。あちらでさばけそうな物は一通り仕入れてきましたわ」

 

オラリオの市街地で手に入れた品々に加えて、ユグドラシル由来のアイテムも存分に活用するつもりである。

限定版ではない、通常のログハウスのような外見をした拠点型アイテム、グリーンシークレットハウス。

2拠点間を転移回廊で結ぶことのできる転移門の鏡(ミラー・オブ・ゲート)

それに傭兵NPCを雇うための、本型アイテムも。

 

「便利なものだね。貴方の故郷由来の品を一つ手に入れられるとしたら、その収納能力を欲するよ」

 

フィンは本当に残念そうにため息をついた。

 

アイテムボックス、所謂インベントリはゲームを開始したプレイヤーなら誰もが初期状態で持ち得る共通能力だが、初期状態では収納量は多くない。課金アイテムによって段階的に拡張することができるのだ。収納量は課金していないプレイヤーとNPC、課金したプレイヤーでは圧倒的に違う。

当然、キル子は最大量まで課金していたし、一部の領域には極めて希少な課金ガチャアイテムでドロップ防止対策を施していた。

 

「こればかりは再入手は不可能でして。既に生産技術の喪失した遺失道具(ロスト・アイテム)というやつです。お貸しした無限の背負い袋(インフィニティ・ハヴァサック)でご勘弁ください」

 

「いや、これだけでも貴女を今回の遠征に加えた甲斐はあった」

 

ロキ・ファミリアの何人かは、小さな鋼板製の背嚢を背負っている。

背嚢そのものは頑丈さを優先して作られた単なる入れ物で、中身はキル子が貸し出した無限の背負い袋の予備品である。

 

あの日、歓楽街の酒場で会った後、色々とユグドラシルについて聞かれたのだが、その時にフィンが何よりも食いついたのが、この総重量500キロまで収納できる魔法の鞄だった。

ロキ・ファミリアの団長として、遠征の指揮をとるフィンにしてみれば、物資の搬入は目標の階層と人数を鑑みて、適切な量を見極める必要がある。だが、これを使えばその量を飛躍的に増大させる事が出来る。

 

いくら出しても惜しくはない、とフィンが真顔で断言したときには流石のキル子もドン引きした。

手持ちに三桁ほどあることだし、一つ貸し出す毎に少なくない額を支払う約束で、深層域へサポーターとして同行する人数分を引き渡していた。

 

無限の背負い袋を防護するために、ロキ・ファミリアは専用の軽くて丈夫な保護道具まで作成してきたので、気合いが入っている。

鉄鋼製で頑丈であるため重いのだが、物資を普通の背嚢にいれて持ち歩くより軽くてかさばらない。

 

「いざとなったら、モンスターの攻撃に晒される可能性もあるからね。肝心な時に荷物を取り出せなくなったらコトだ」

 

「私の経験ではそういう場合は、中身が外にぶちまけられますので、運が良ければ回収できますよ」

 

「うん、その場合に備えて作ってある。一応、普通の背嚢も折りたたんで持ち込んでいるよ」

 

フィンにぬかりない。

頭いいなぁ、とキル子は感心した。まるでモモンガやぷにっと萌えが指揮を執っているかのような安心感があった。

 

「さて総員、これより遠征を開始する!」

 

フィンの一言で、団員達に緊張が走る。

 

ダンジョンは構造的に下に行くほど広くなる円錐形をしているらしく、上層部が一番狭い。さらに、上層部は下級冒険者の稼ぎ場でもあるので、かなり混んでいる。

大人数で突入すると迷惑になるので、18階層までは二班に分かれて時間差で突入するという。

 

キル子も気合いを入れなおした。

そう、いよいよベート様とラブラブハネムーン大作戦の幕開けなのである!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二手に分かれたロキ・ファミリアは、ダンジョンを疾く速やかに踏破していた。

ダンジョン内部をするすると慣れた様子で進んで行く。その歩みは速くもないが遅くもない。至る所に下級冒険者がひしめく狭い上層部を、縫うようにして最短ルートを選んでいる。

 

キル子は二人の従者を従えて、ロキ・ファミリアの幹部達に守られながら歩いていた。

 

「……とまあ、そんなわけで、結果的に敵対ギルドのレアアイテムを奪う形になりまして」

 

「それでそれで! どうなったの?!」

 

「ええと、奴らが攻めて来る前に、まずは私らの拠点の周囲に点在する毒の沼地でゲリラ戦をしまして、周りに生息していたモンスターを掻き集めてMPKを……」

 

……あるぇ?

 

ベート様とラブラブな道中の筈が、何で私はヘソ出しルックの褐色元気娘に纏わり付かれてるのだろうか。

 

「えむぴーけー?」

 

「モンスターを引き連れ集めて、プレゼントフォーユーって感じです」

 

「ああ、怪物進呈(パスパレード)のことだね!」

 

困惑しながらもわりかし丁寧に説明するキル子であるが、実はすぐ前を歩いているベートの犬耳がピクピク動いていて、話に興味津々らしいのが見えているので、途中で打ち切る事も出来ない。

 

「ごめんなさいね、この子、冒険譚に目がないのよ」

 

キル子を挟んで両隣を走っているアマゾネスの姉妹、元気に纏わり付いてくる短髪が妹のティオナで、性格がお淑やかで髪を伸ばしているのが、姉のティオネというらしい。

キル子にしてみれば同性の相手なんざどうでもよく、早くベートに甘々ラブアタックしたいのにぃ! と内心ではホゾを噛んでいる。

 

「お気になさらずに、私と仲間達の話を聞いてくださるのですから」

 

だが、やはり、キル子の中でアインズ・ウール・ゴウンは特別である。

聞かれれば、問われれば、応えずにはいられない。

 

「……仲間か。お前は、いやお前たちは神に恩恵を刻まれたわけじゃないんだったな」

 

ずっと聞き役に回っていたベートが、初めて自発的に口を挟んだ。

これ幸いと、キル子はベートに寄り添うように隣に並ぶ。

 

「ええ。むしろ、オラリオに来て驚きましたね。恩恵とか神様とか、聞いたこともありませんでしたので」

 

「それなら、恩恵もなしにどうやって、そこまで力を手に入れた?」

 

「そうですねぇ、フィン様にも似たような事を聞かれましたが、改めて問われると説明に困ります。私らも意識してやってるわけじゃないので。でも、しいて言うなら情報量の差ですかね……?」

 

「未知を踏破する」がコンセプトのユグドラシルでは、公式からの情報提供は恐ろしく少ない。

その欠落を補ったのは、ユグドラシルwikiを始めとする有志による検証サイトだ。効率的な狩場、効率なビルド、強力なスキルや魔法、武器や防具の作成法……検証厨のワールド・サーチャーズを中心に情報が広く公開されていた。

そういったノウハウが、オラリオではファミリア単位で秘匿されているので、表に出てこない。

 

「重要な情報は晒せる筈がない、とファミリア内で抱え込む。だから、みんな知らない。どんな強力なスキルがあるか、どんな便利な魔法があるか、どんな使い勝手の良い道具があるか……そら、千年も足踏みする筈ですわ」

 

ロキ・ファミリアの面々は首を傾げた。

スキルにしろ魔法にしろ、ステイタスの情報は冒険者にとって生命線。隠すのが当たり前なのだから。

 

「お前らのところは、違うってのか?」

 

ええ、とキル子は頷いた。

 

「さすがに何もかも、というわけではありませんが、スキルや魔法、その取得条件はよほどの隠されて(エクストラ)でもなければ、大抵のものは手に入ります」

 

そこまで口にした時、キル子は気付いた。

ロキ・ファミリアの冒険者達は、全員がキル子の話に耳を傾けている。その心臓はやや早めに鼓動を打っていて、彼らがどれだけ緊張感を抱いているか告げていた。

なるほど、先程からやたらとアマゾネス姉妹が纏わり付いてきたのは、こうやって話を聞き出すための前振りか。

 

「………」

 

中でも剣姫と渾名されるアイズ・ヴァレンシュタインは非常に強い興味を抱いているようで、一言一句を聞き漏らさないよう、集中しているのが手に取るようにわかる。

 

人様から見せ場を奪った金髪小娘だが、今は花より冒険に燃える年頃のようだ。若いなぁ、とキル子は思った。

仕事ばかりが人生じゃないと彼女が気付くのはいつになる事やら。時間は淀みなく残酷に流れてしまうというのに。

 

まあ、ベート様やベル君に手を出さない限りは大変結構だが、とキル子はほくそ笑む。

 

「あとは無数の選択肢から、有限のリソースに対して、何をどう組み合わせるか、それこそセンスが問われますね」

 

そう言ってキル子はコロコロと笑った。

 

「おかげで我々プレイヤー……オラリオで言うところの冒険者が保有するスキルや魔法は、最低でも百はくだりません」

 

「は…?!!」

 

この発言には、その場の全員が絶句した。

 

「特に魔法使いは、最上位のプレイヤーなら最低300、多ければその倍は魔法を取得しているものです。実用性のない小技から、驚天動地の大魔法までね」

 

「それ、リヴェリアが聞いたら発狂するかも」

 

「こちらの魔法使いが三つ四つしか魔法を使えないなんて聞いたら、彼方の魔法狂いも発狂しますよ」

 

モモンガとか、何気に自分が使える魔法を全部暗記している変態だった。

一見常識人ぶっていたが、アインズ・ウール・ゴウンの中でもキル子やるし★ふぁーみたいなガチキチ勢に次いで、リアルに狂っていた気がする。

 

「私自身は、仲間内では斥候(スカウト)のような役割をしていました」

 

さすがに暗殺者(アサシン)と口にしない程度の分別はキル子にもある。

 

「感知や探知、索敵は得意でして。逆に身を隠すのも、このとおり」

 

言い終わると同時に、キル子の姿が空気に溶けるようにして、その場から消えた。

 

「え……?!」

 

そして、ティオナが手にしていた巨大な大双刀、ウルガが彼女の手を離れ、勝手に動き出す。

重量を感じさせない軽やかな動作で剣の舞を披露し、ピタリと止まる。

次の瞬間、その場には大双刀を手にしたキル子が現れた。

 

「自らを不可視状態にするスキルです。失礼しました、ティオナ様」

 

目を瞬かせて驚くティオナに大双刀を返却すると、武器を勝手に借りた非礼を侘びる。

 

「モンスターが徘徊する危険地帯をやり過ごすには便利な能力ですが、奴らは鼻がきくし勘もいいので、過信はできません」

 

姿が見えなくなる能力を持っている、というカードを一つ渡した形だ。

酒場の一件で、そういう能力なりアイテムがあるとはバレているので、自分から申告した方が信頼感を演出できる。

単に姿が見えなくなるだけの能力だと、ミスリードできれば更にいい。

 

「どちらかといえば、私にとっては索敵系スキルの方が生命線です。範囲は狭いですが、精度には自信がありましてよ」

 

ちょうどその時、キル子が常時オンにしているパッシブスキルは、敵の出現を捉えた。

ダンジョンの壁面から、今まさに生まれ出てくるのは、白くてフサフサした体毛をもつウサギ型モンスター、アルミラージ。数は4つ。

 

一番近い位置にいるのは、小柄な体躯に特徴的な長い耳をしたエルフ種の少女。

ポニーテールをフリフリしながら背嚢を背負って歩いている。おそらくレベルは30前後だろうか。まだ、モンスターのポップには気づいていない。

 

それなりにレベルがあるので放っておいても大した事にはならないだろうが、ここは印象を改善しておこうとキル子は思った。

 

「右側の壁15メートル……いえ、15メドル後方、あと少しでモンスターがポップします」

 

キル子が口にしたまさにその瞬間、壁の一部が盛り上がり、モンスターの形を取り始めた。

 

「トビカトウ」

 

「あい」

 

それまで無言だった童女が、初めて口を開いて返事をすると、ふぅわりと浮かぶように飛び跳ねた。

ひと蹴りで天井近くまで飛び上がり、壁面に対して"真横"に着地する。

そのままスタスタと壁を90°の角度を保ったまま歩きつつ、流れるような動作で袖口から取り出したのは、クナイと呼ばれる東洋の短刀。

 

件のエルフの少女が驚いたように足を止めた時には、既にトビカトウはモンスターの首をはねていた。

お手玉のように首が舞うのを尻目に、トンと軽快な音を立ててエルフの少女の隣に着地する。

 

「……あ、ありがとう」

 

相手は何故か怯えたように頰を引きつらせた。

 

トビカトウは無言で再び跳び上がり、今度は天井に足をつけた。

着物や髪も、着地した天井に対して、そこが地面であるかのように、垂直に垂れている。

トビカトウは逆さまになったまま早足に歩くと、キル子達のところに戻った。

 

「ご苦労様」

 

何やら驚いたように眺めている一堂に、トビカトウはペコリと頭を下げた。

 

「すごいね。どうやったの?」

 

ティオナが尋ねたが、童女は無言でキル子の背後に隠れて澄まし顔をしている。主人に命令されない限り、愛想を振りまくつもりはないらしい。

 

「この子は内気なもので、ご勘弁を」

 

その頭をキル子が撫でると、嬉しそうに目を細めた。

 

「私の感知能力にしろ、この子の移動能力にしろ、彼方ではさほど珍しくありませんことよ」

 

オホホホとキル子は陽気に笑った。

 

人間種に擬態化しているためにアンデッドの基本能力である【暗視】などは失っているが、アサシン系職業由来のスキルは生きている。

聞き耳系スキルはもとより、【気配察知】や【敵意察知】、【罠感知】に【地形把握】など。こういう薄暗い閉所環境はキル子のビルドがもっとも得意とするフィールドだ。

 

「なら、貴方達に教えて貰えば、新しいスキルが手に入る?」

 

アイズは熱意のこもった目でキル子を見た。

 

「さて……? 私は私の得意とするビルドの転職アイテム……秘伝書だの奥義書だのは持ち歩いてますが、それ以外は、ほぼ手持ちがありませんから、どうでしょうね?」

 

キル子のインベントリに放り込んである雑多なPKの戦利品の中には、探せばあるかもしれないが。

 

「剣士やモンク、バーサーカーや魔法使い、そういった真っ当なビルドにはとんと縁がありませんので。貴女は斥候には興味はないのでしょう?」

 

コクリ、とアイズは頷いた。彼女が求めるのは、あくまでモンスターを狩るための力だ。

 

「あるいは故郷に戻れば手に入るかもしれませんが、私は偶然こちらに落ちてきたようなものです。帰り方はわからないし、知りたくもない。むしろ二度と戻りたくないですわ」

 

キル子は真顔で断言した。

 

「どうして?」

 

不思議そうに尋ねるアマゾネス姉妹の妹に、キル子は人の悪い笑みを浮かべながら答えた。

 

「貴女達の故郷、テルスキュラとやらと似たり寄ったりの地獄だから、とでも言えば納得されますか?」

 

「はァ?」

 

ビキリと、物柔らかな態度を崩していなかった姉のティオネの顔付きが、一変する。

空恐ろしい表情を浮かべて凄むティオネを、キル子は涼しい顔で眺めた。

 

「猛毒の大気に包まれ、一切日のささない暗黒の世界。大地は腐れてマトモに植物が育たず、食べ物は全て専用の魔道具で人工的に作り出す。人は小さな岩窟じみた地下空間に逃れてせせこましく生きている。そんな場所です」

 

こちらにも辛い事やしんどい事はあるだろう。リリルカの境遇を見ればわかる。

だが、少なくとも人工心肺を必要としなくても誰もが美味しい空気を好きなだけ味わえ、海や大地からは天然(オーガニック)の食材がいくらでも取れて、汚染物質による奇病を恐れる心配もない。住むところにも不自由はしない。

何より、世界は自然に満ち溢れ、とても美しい。

 

「そんな劣悪な環境でも、一握りの支配階級は何不自由ない暮らしをしていて、残りは全て奴隷です。最低限の労働教育を施されたら、死ぬまで働き続けなければならない。逆らえば食料を断たれ、飢えて死ぬ。なかなかステキなトコロでしょう?」

 

ケタケタとキル子はキチガイじみた顔で笑った。

 

「知も武も富も、支配階級が独占し、パイの分け前は増やさせない。弱者は弱者であり続けることを強者から強要される。愚民化というやつですかね。その方が、支配しやすいから」

 

ベートの顔が、一瞬にして嫌悪感に歪むのがわかった。

 

「お前は、どっちだったんだ?」

 

「もちろん、支配される側です。それも最低辺でした」

 

「そんだけの力を持っててもか?!」

 

キル子は思わず吹き出した。

その辺の事情を話したところで、決して理解されないだろうし、信じられることもないだろう。何せキル子自身、他の誰かに話されたとしても、とても信じられないだろうし、実際、何が起きてこうなったのか把握もしていない。

 

「こんなもの文字通り遊戯(ゲーム)ですよ……私程度が何千人、何万人集まろうが、どうにもなりゃしませんて」

 

笑い過ぎて、泣き笑いのような顔になったキル子を見て、ベートは顔を背けた。

 

「……狂ってるな」

 

キル子のいた世界をさしているのか、キル子自身を揶揄しているのかは、わからない。

 

だが、キル子にはベートが眩しく映った。

初めて会った時から、暇さえあればスキルや魔法を駆使してストーキング……ゲフンゲフン……もとい遠くから見守ってきたのである。

彼は弱者が嫌いだと公言しているが、その裏にあるのは、単なる強者故の傲慢さではない。

強さを得る為の努力を、あえて上から見下すことで、他者にも強いている。見下されたくなければ強くなれ、と。

 

なんて歪で、不器用で、まっすぐな心根だろうか。やはり、彼は良い。

 

「そんなわけで、あんなロクでもない場所には、二度と戻りたくありません。できることならオラリオに骨を埋めたいので、これでも新参者として弁えているつもりなのですよ?」

 

キル子は上目遣いでそう言うと、さりげなくベートの腕に手を絡ませた。

もし、拒否されたらと思うと少し怖かったが、ベートは振り払いはしなかった。

しなやな筋肉が幾重にも重なった太く逞しく、熱い腕。キル子の細くて白くて冷たい腕とはまるで違う。

できればベッドの中で、この腕に抱かれたい。

 

「見てよ、ティオネ。ベートってば固まってるよ」

 

「ええ、珍しいわね」

 

アマゾネスの姉妹は面白がって、困惑するベートをニヤニヤ眺めていた。

ティオナはキル子に親指を上げ、ティオネは、もっとキル子の話を聞きたそうにしている剣姫の肩を叩いて、邪魔しないように袖を引っ張る。

キル子の中でこの姉妹がいい人認定された瞬間だった。

 

「なんか、お前には毎度調子を狂わされるな……」

 

「お嫌ですか?」

 

「歩きづれぇ」

 

ベートはボヤいたが、キル子のさせるがままにさせている。

 

キル子は知っていた。

ベートが、ロキ・ファミリアの幹部達から、出来るだけキル子から情報を引き出すように促されていたことを。ベートが、そんな彼らに反発していたことも。そして、あの日、怪物祭で彼が気付いただろう真実を、誰にも話さずにいることも。

 

……嗚呼、夢なら覚めるな。素晴らしきかなオラリオ。私はこんなヒトデナシだが、どうか受け入れておくれ。

 

このままいい気分でいたかったのだが、キル子の卓越した聞き耳スキルは、性能を遺憾なく発揮してこちらに近づく不審な物音を捉えていた。

 

ため息を一つ。そして、ベートから離れる。

 

「……前方で複数の人間が、何やら騒ぎたてながら此方に走って来ます。闇討ちだとか、そういう感じじゃありませんが、ご注意を」

 

途端に、二人の従者がキル子の前に出た。

 

程なくして、薄暗がりの奥から、複数の人影がこちらに全力疾走してくるのが見えてくる。

 

「げぇ?! ア、大切断(アマゾン)!!」

 

「ティオナ・ヒリュテぇっ!?」

 

「ていうかロキ・ファミリア?! え……遠征?!」

 

やってきたのは下級冒険者らしき風体の男が3、4名。いずれもキル子が【死神の目】で見たところ、レベル一桁台の半ばというところだ。

何やら慌てていたようだが、ロキ・ファミリアの有名どころが揃っているのに気が付くと、こちらを見て呆然としている。

 

「ねー、どうしたのー?」

 

「やめなさいって。ダンジョン内では他所のパーティには基本不干渉よ」

 

ティオナが問うのをティオネが咎めたが、ベートは知ったことかとばかりに彼らを遠慮会釈なく問い詰めた。

 

「お前ら、何してんだ!」

 

恐怖に駆られたように、彼らは叫んだ。

 

「み、ミノタウロスだ! ミノタウロスがいたんだよ!!」

 

ミノタウロスといえば、ギリシャ神話の有名どころのモンスターで、ユグドラシルにもダンジョン型のフィールドに実装されていた。

一種のレイドボスであり『豪傑の腕輪』という筋力(STR)が微増するアクセサリー系アーティファクトを稀にドロップするので、ユグドラシル全盛期にはレベル20台あたりのプレイヤーが、湧き待ちをするくらいには人気だった。

 

察するに、そのミノタウロスから逃げてきたのだろう。

 

「あの化け物が上層でうろついてやがったんだ! ()()のガキが襲われてるのを見て、俺たちは必死に逃げてきたんだ!」

 

……なんだと?

 

嫌な予感がして、思わず登録してある【標的の印(ターゲットサイン)】の反応をたどれば、ベル・クラネルは確かにダンジョン内に、それもキル子の位置より下にいる。

 

思わずキル子がその男の胸ぐらを掴みあげる寸前に、アイズが叫んだ。

 

「そのミノタウロスを見たのはどこですか?! 冒険者が襲われていた階層は?!」

 

「きゅっ、9階層だ!!」

 

その言葉を聞くやいなや走り出したアイズを、キル子は追った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

“ミノタウロスに襲われているのがあの子なら、万に一つも勝ち目はない”

 

アイズの思考を占めているのは、それだった。

だから、最速で9階層を目指して突き進んだ。

 

遠征までのここ数日、彼に特訓を申し出て付き合い、鍛えた。

最初はまともにアイズの攻撃から身を守ることすらできなかったが、最後には一矢報いるまでに成長していた。だからこそ、わかる。

まだ、早い。アレ(ミノタウロス)には、勝てない。

 

「剣姫、手合わせ願おう」

 

だから、こんな場所で都市最強(オッタル)に出くわすのも、邪魔をされるのも、想定外に過ぎた。

 

「そこを、どいて!!」

 

力強く一歩を踏み出しながら、アイズは細剣(レイピア)を抜き放つ。

ぴたりと呼吸を合わせたように、オッタルも大剣を抜く。長い剣だ。ちょうどアイズの身長ほどもあるだろうか。

二歩目を踏み出しながら呪文を唱えた。

 

目覚めよ(テンペスト)!!」

 

たちまち風の魔力刃がアイズの細剣に纏わり付いて渦を巻く。

生半可な攻撃が、目の前の男に通じるはずがない。

 

アイズは駆けた。

すさまじい勢いでオッタルに跳びかかり、大上段から必殺剣(エアリアル)を振り下ろす。

オッタルが頭上に大剣を構え、アイズの愛剣『デスペレート』と打ち合う。まぶしく火花がはじけ飛び、アイズの剣とオッタルの剣が拮抗した。

 

(あんな大剣が私の細剣より速く……強い!!)

 

オッタルが間髪入れず剣を引き、右足を蹴り上げてくる。

 

目覚めよ(テンペスト)!」

 

再度呪文を唱え、風の力を利用してアイズは後ろに跳びすさった。ばさばさと、服がはためく。

 

低い声でオッタルが唸りながら突進してきた。その速度はアイズよりはるかに速い。

逃げるアイズにたちまち追いついたオッタルは、大剣を頭上からたたきつけてくる。

細剣で受け、その威力に逆らわず、アイズは後ろに跳び、ダンジョンの壁に足をついた。

 

「あッ?!」

 

その時、微かに聞こえてきた。この先で行われているだろう、戦闘音が。

 

ぎしり、と奥歯を噛み締める。

 

「リル・ラファーガ!!!」

 

限界まで精神力を注ぎ込み、風で無理矢理加速する。

アイズはすでに地上に降り立っており、右回りに振り向きつつ右手の細剣を腰だめに構えた。

足のバネすべてで地を蹴り、体をひねりながら、まっすぐに剣を突き出す。剣が風を巻き込んで渦が生じ、アイズの剣がオッタルに突き込まれた。細剣は大剣の隙間を縫うように、オッタルの額を狙う。

 

次の瞬間、オッタルが吠えた。

 

「オオオオォォ!!!」

 

奇をてらわぬ、愚直なまでに真っ直ぐな大剣の一撃。それが、正面からアイズの技をねじ伏せる。

 

「止め、られた……!!」

 

信じがたいほどの衝撃がアイズを襲った。

それほど、オッタルの一撃には威力があった。魔法を使い、不壊属性武器を用い、アイズの全力の剣技を乗せた一撃を、腕力だけで弾いたのだ。

 

大剣は威力こそあるものの、重く取り回しづらい。防御には向かない武器だ。全身の力を使って振り回すことで、初めて真価を発揮する。

ところがオッタルは腕の力だけで、細剣の刺突に大剣を合わせてみせた。オッタルの膂力と反射神経は、アイズの想像を絶するものだった。

 

負けた、とアイズは瞠目する。

技に頼らない、純粋な力押し。これがLv.7、これが猛者(おうじゃ)、冒険者都市の頂点。

 

「……なぜ、じゃまするの?」

 

「敵対する積年の派閥と一人、ダンジョンで相見えた……殺しあう理由には足りんか?」

 

オッタルは大剣を正眼に構え、淡々と答えた。その瞳はアイズを捉えて離さない。

間違いなく、オッタルは本気だ。

 

「なら、私らは関係ありませんね。通して頂きましょうか」

 

カラン、コロンと東洋の木靴を打ち鳴らし、ヒョコリと姿を現したのは今回の遠征に同行している謎の女性、キルコ。背後には従者達を引き連れている。

 

「なんせ、ファミリアなんてものには、入った覚えがありません」

 

キルコはアイズとオッタルの殺し合いなど気にしていない風に、気楽な調子でオッタルの脇を抜けようとした。

 

「で、これは、なんの真似ですか?」

 

そのキルコの前に、大剣の刃先が差し出される。

 

「俺はお前の言葉を信じる気はない。見知らぬ顔だが、ロキ・ファミリアの団員でない保証などなかろう」

 

その瞬間、キルコの纏う雰囲気が一変したように感じられた。

 

「ふ〜ん、あっそう」

 

何気なく呟かれたその声を聞いた時、アイズは全身の毛が総毛立ち、思わず細剣をキルコに向けた。

アイズの位置からは、黒髪を背に垂らしたキルコの後ろ姿しか見えない。だが、心なしかその行く手を塞ぐオッタルが、冷や汗を流したように見える。

 

「ガチムチは好みじゃないんで。とっとと死んでどうぞ」

 

いうが早いか、オッタルがその場を飛び退るのと、鮮血が飛び散るのは、ほぼ同時だった。

カランと大剣が滑り落ち、ダンジョンの床に突き刺さる。その柄元に、切断された手首を残したまま。

何が起こったのか、その一部始終を身じろぎもせずに見守っていたはずのアイズにすら、理解が及ばない。

 

「へえ、首斬り必中攻撃(ヴォーパルスラッシュ)を避けるか……ちっとだけ本気だすかな」

 

それをやったと思しきキルコはいつのまに抜刀したのか、赤黒い血錆の浮いた包丁を手にして、オッタルを睨みつけていた。

 

手首を失い、盛大に出血したオッタルの顔色は、当然のごとく悪い。

いや、切り飛ばされた腕の先から、肌が変色しているのがアイズにはわかった。あの包丁に毒でも塗ってあったのかもしれない。

 

オッタルは残る左手に大剣を持ち替えると、片手で振り回した。

もはや腕力だけでは剣の重量を支えきれないのか、全身の筋肉を淀みなく動かし、アイズが見惚れるほど鮮やかに、ダメージを感じさせない動作でキルコの肩口に一撃を見舞う。

目にも留まらぬ速度でくりだされた大剣は、キルコの体を真っ二つに突き抜け、迷宮の床に刺さった。胸の中央から切り飛ばされたキルコの体が、ゆっくりと後ろに倒れ……

 

「あ?!」

 

アイズは息を呑んだ。キルコの体が、幻影のごとく消え失せたからだ。

その背後に陣取る作務衣姿の老爺が、いつの間にか幻術なる能力を行使していたことに、アイズは気づかなかった。

 

「【冥府の手(ネザーハンズ)】」

 

何処からともなく響いてきた声が何事か囁くと、無数の青白い腕が地面から伸びてきて、オッタルの足首を掴む。

 

「トビカトウ」

 

「あい」

 

さらに、童女が袖口から取り出した鎖鎌を振り回した。

先端に巨大な分銅の付いた鎖は、とても童女に振り回せるような代物には見えなかったが、軽々と放られたそれは生き物のようにオッタルの左手に巻きつくと、ガチガチに拘束する。

 

「……ッ?!!!」

 

四肢を完全に押さえられたオッタルは、抜け出そうともがいていた。しかし、あの青白い腕にしろトビカトウにしろ、どれほど強靭なステイタスをしているのか、とても外れる気配はない。

 

「チャージカウント、3(トリプル)

 

そして、迷宮の闇から染み出すようにしてキルコが、オッタルの背後に現れた。

手には、包丁に代わって巨大な太刀が握られている。オッタルの手にする大剣をさらに上回る、全長3メドルはあろうかという異常な長身の刀。

 

「人の邪魔する野暮天男、首をはねられ地獄行き」

 

その武器の名は、素戔鳴(スサノオ)

かつてアインズ・ウール・ゴウンのギルドメンバーである弐式炎雷が愛用し、引退する時にキル子が受け継いだ、超巨大な忍刀型の神器級武装。

様々なペナルティーが付いていて、止まっている相手くらいにしか当たらないほどに攻撃速度が遅いが、威力はまさに一撃必殺。ボスモンスターの攻撃力すらも凌駕する。

 

「いっぺん、死んでみる?」

 

凍える目付きをしたキルコが、今度こそ無防備なオッタルに、凶器を振るう。

 

致死の刃が意外なほどゆっくりと、首筋に吸い込まれ……

 

「待った! キルコ、ストップだ!」

 

その寸前で、停止した。

 

「はいな」

 

気の抜けた返事をしながら、キルコはあっさりと長刀を引いた。

後方に飛び退り、いつの間にか追い付いてきたフィンの隣に並ぶ。二人の従者も、主人の両側に並んだ。

 

「やけに親指が疼いていると思ったら、これも含まれていた……ということか、オッタル」

 

フィンは油断なく手槍をオッタルに構えた。

 

「さて、敵対派閥のオラリオ最強が、手負いで一人。こちらは遠征前で、色々準備は万全だ。好機といえば好機かな?」

 

「……ならば何故止めた?」

 

声を絞り出すかのようなオッタルに対して、フィンは涼しい顔をしている。

 

「確認したかったからさ。この戦いは派閥の総意、ひいては君の主人の意思と受け取っていいかな? 女神フレイヤは全面戦争をお望みで?」

 

その言葉に、アマゾネスの姉妹が武器を抜き、ベートは拳を握り、アイズは再び細剣を構えた。

 

「……いや、俺の独断だ」

 

無念そうに、オッタルはうな垂れた。

 

「なるほど。こちらも遠征の途中でね、フレイヤ・ファミリアとのゴタゴタを、今この場で起こされても困るな」

 

その言葉に、ロキ・ファミリアの面々は明らかに気をぬいた。

ただ一人、キルコだけは先を急ぎたそうにイライラして言った。

 

「では、その雑魚はそちらでどうぞ。私はこの先で襲われているという冒険者の方が気掛かりでして」

 

いうが早いか、従者達を引き連れて、一目散に駆け出す。後に置かれた者達が、何か言葉をかける暇もない。

思わずアイズが呆然とキルコの後ろ姿を見送っていると、クスッとフィンが吹き出した。

 

「いや、久々に愉快痛快な気分だ。いやはや、彼女は天然だね」

 

何やら思うところがあるのか、クツクツと人の悪い笑みを浮かべている。

逆に、オッタルは苦渋に満ちた顔をして頷いた。

 

「どの道、お前たちが徒党を組む以上、俺に勝ち目はなかった。とどめられなかった不覚を呪おう」

 

その場に大剣を残し、オッタルは無言で歩き出す。

フィンの横を抜ける際に、オッタルは視線を合わせぬまま問うた。

 

「……アレは、何だ?」

 

「うちのファミリアの客分だ。何者か、という意味なら、僕の方が知りたいね」

 

「……そうか」

 

言葉少なく、猛者は去った。

 

その背中に、闘志が陽炎のように纏わり付いているのを、アイズは束の間幻視していた。

 

「さて、色々手札を見せてもらったが、まだまだいくつの切り札や奥の手を隠し持っていることやら。興味は尽きないね」

 

フィンが呟く。

口元は笑みの形に歪んでいたが、目は先程から少しも笑ってなどいない。

その目は、オッタルが去った方ではなく、逆側、キルコが向かった方向に固定されていた。

 

 

 

 

 

 


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