ダンジョンにユグドラシルの極悪PKがいるのは間違っているだろうか?   作:龍華樹

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第12話

女神フレイヤは、ここ最近、妙な胸騒ぎを覚えていた。

 

その始まりは、怪物祭だ。

 

あの日、思い人たるベル・クラネルへ試練を与えるため、モンスターを解き放った。

その件ではロキに軽く脅迫されたが、天界にいた頃に彼女に貸したまま持ち逃げされた鷹の羽衣をダシに、軽くいなしたので問題はない。

それはいいのだが、ガネーシャ・ファミリアの団員を魅了した件から手繰られたのか、ギルドから執拗に追及を受けたのは流石に辟易した。

 

確かにガネーシャ・ファミリアのところから何匹かモンスターを解放したが、極彩色の魔石をもつ食人花や、三つ首のモンスターが現れた件について問い詰められても、身に覚えが全くない。

完全な濡れ衣なのだが、かつてない程に激怒していたガネーシャには、魅了も言い訳も通じなかった。

結果的にソーマ・ファミリアが壊滅した件の責任を取らされ、ファミリア資金の半分を没収されたが、怪物祭でベルが飛躍的に経験値を稼ぎ、ついにレベルアップを果たしたのであまり気にはしていない。

 

気掛かりだったのは、ベルがアイズ・ヴァレンシュタインに続き、怪物祭で三つ首のモンスターに相対したというヒューマンの娘に強く感化されたことだ。彼はより高みを目指すようになったが、同時に魂に新たな想いを刻んでしまったらしい。

 

フレイヤは怪物祭でベルの様子を遠くから観戦し、彼に憧れを抱かせたキルトとか言うヒューマンの娘の魂も見ていた。

特にみるべきところのない、非常に平凡な、典型的な俗人で、興味がわかなかった。

幸い、あれから姿を消したらしいので、もう気にすることもないだろう。

 

後の問題は、ベルの魂にこびりついた微かな澱みだ。

それを取り除くために、最強の眷属(オッタル)の進言により、かつて彼にトラウマを刻み込んだ魔物、ミノタウロスをぶつけるべく手はずを整えさせた。

オッタルは手を抜かずにミノタウロスを実地で仕込み、強力な個体になったという。最近ではソロではなく、パーティでダンジョンに挑むようになった彼の為に、わざわざ取り巻きも揃えたらしい。

この試練で仮に彼が死ぬ事になっても、フレイヤは地上で築いた全てを捨てて、天上まで彼の魂を追いかけるつもりだった。

 

その一部始終を見守る為に、フレイヤは神の鏡まで用意していた。

本来は、いと高き天より遍く世界を見守る為に、地上では行使に大幅に制限のかけられる神の力(アルカナム)の一つだが、これはその数少ない例外である。

地上で使うには手続きが面倒なのだが、オラリオの勢力を二分するフレイヤの影響力を以ってすれば、さほど難しくはない。

 

そうして、フレイヤが命じ、オッタルが用意した舞台の上で、ベルと怪物(ミノタウロス)は激突した。

既に過去最速でLv.2に昇格していたベルは、ミノタウロスを圧倒。

止むを得ず巻き込んだ他のパーティ・メンバーの助力もあって、危なげなく勝ちを収めた。

魂の淀みは消え去り、トラウマは克服されたようだ。それはいい。

 

問題は、ベルとミノタウロスをぶつけている間、横槍を入れさせないよう人払いを命じたオッタルに起きた異変だ。

ベルの様子に満足して、オッタルに撤収の合図を送ろうと鏡を切り替えたところ、目に飛び込んで来たのは、あのオッタルが散々に嬲られている場面であった。

 

乱入の気配を見せた剣姫、アイズ・ヴァレンシュタインを一蹴して退けたまでは良かったのだが、その直後に現れた奇妙な童女と老人の“二人組”に、オッタルは一方的に追い詰められた。

彼らの行く手を大剣で遮った途端、いきなりオッタルの右手が、手首から切断されたのを見た時には、流石のフレイヤも目を疑った。

 

その後、オッタルは左手に持ち替えた剣を“何もない空間”に振るった。当然、空振りなのだが、直後に地面から伸びた無数の青白い腕に足を捕らえられ、そこを童女が放った鎖鎌に雁字搦めに囚われてしまう。

呆気にとられていたフレイヤだが、何処からともなく響いてきた声に、心胆を寒からしめた。

 

 

『いっぺん、死んでみる?』

 

 

あまりにも酷薄な女の声。

しかも、それはフレイヤの耳元から聞こえて来た。思わず後ろを振り返るも、当然、誰もいない。

フレイヤは背筋が薄ら寒くなった。

 

神は死なない。少なくとも、地上では現し身を害されたところで、天界に強制送還されるだけだ。

にもかかわらず、フレイヤはその時確かに感じていた。超越存在(デウスデア)たる神には何より縁遠い筈の、死の恐怖を。

 

鏡の向こうにフィン・ディムナに率いられたロキ・ファミリアの集団が現れた時には、むしろ胸をなでおろした。

その場を離脱したオッタルには、帰還後に詳しい事情を聞く必要があるだろう。

そんな事を考えながら、鏡を見守っていたフレイヤだったが、すぐに悲鳴をあげることになる。

 

鏡の向こうで、オッタルは倒れていた。

無残に血反吐を吐きながら。

 

「誰か!すぐにダンジョンに向かって!!」

 

 

 

 

 

……急いでいるところを邪魔され、頭にきていたユグドラシルのカンストアサシンが、半ば本気で仕掛けた状態異常、〈壊死(ネクローシス)〉。

一定以上の傷を穿たれた際に発動し、痺れと吐き気、熱と朦朧状態を同時に引き起こす。さらには傷口を腐らせ、部位欠損を引き起こし、HPの絶対量を低下させる。

しかも、第9位階魔法以上の治癒能力でしか解呪不可能な上に、解除されない限り徐々に体力を奪いながら全身を侵し続けるという、タチの悪さである。

キル子の怨念の塊とも言えるそれは、オッタルの【耐異常】を貫通し、切断された右手の傷から徐々に全身を蝕み、ついに地上への帰還を許さなかった。

 

そうなることが分かっていたからこそ、アッサリとキル子が引いたのだと理解できた者は、勿論、オラリオには一人もいない。

 

その後、都市最強はしばし表舞台から退場を余儀なくされるのだが、それは別の話である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ミノタウロス。

ダンジョンの15階層以下を寝ぐらにしている人型モンスター。牛頭にして身の丈十尺を超える巨躯に、あらん限りの筋肉を纏った怪物だ。

身体能力は強靱にして俊敏、筋肉は火にも冷気にも強く断ち難い。また、強制停止(リストレイト)を起こす咆哮を放つ。

斧や剣といった天然武装(ネイチャーウェポン)を膂力に任せて振り回してくるので、攻撃力もかなり高い。

下級冒険者の天敵とされるシルバーバックの上位互換のようなものだ。前衛ならばLv.2、後衛職ならばLv.3はなければマトモに相手をするべきではない。

 

何よりやっかいなのは凶暴性が高いことだ。

ダンジョンのモンスターの本当の怖さは、その強靱な肉体と攻撃力ではない。命を惜しまないということにある。

地上ではどんな生き物も、いよいよとなれば死を厭う。致命傷を負うことを恐怖し、ある程度になれば逃げるものだ。ところが迷宮で生み出されたモンスターは、よほどパニックにでもならない限り、ほぼ例外なく傷も痛みも無視して命潰えるまで冒険者に攻撃を加える。

真っ当な生き物の摂理からは外れているのだ。

 

 

 

 

 

キル子達が現地に着いたとき、勝負は佳境を迎えていた。

 

荒ぶるミノタウロス、その数は三匹。

一匹は無数の矢を射かけられてハリネズミになって沈んでおり、既にHPはゼロ。

もう一匹は関節がズタズタになった右足を引きずりながら、見当違いの方向に向かって岩石で出来た手斧を振り回している。よく見れば、その両目には矢が突き立っており、視界が奪われていた。矢に毒でも塗られているのか、HPが少しずつ減っているので、放っておいても大丈夫だろう。

 

最後の一匹は、ひときわ巨大な体を持ち、鋼の大剣を持っていた。

未だ致命傷は一つもなく意気軒昂だが、巨大な盾を構えたヒューマンの男によって攻撃を受け止められ、その合間から剣や槍、弓矢による攻撃を加えられて徐々に体力を削られている。

 

どうやらベルは一人ではなかったらしい。

キル子はホッと胸をなでおろした。

 

「良かった。あのガチムチめ、今度邪魔したら必ず首チョンパしてやる。まあ、それまで生きてればの話だけどね」

 

キル子は袖で顔を隠しながら、ケケケ!と不気味に笑った。ガチムチ死すべし慈悲はない。

 

〈壊死〉は発熱や朦朧状態を引き起こし、対人戦で隙を突くのに向いている呪いのようなスキルだが、第9位階クラスのヒーラーかバッファーでも無ければ解除できない。

しかし、これでもキル子にしては有情な措置である。ロキ・ファミリアの団員が巻き添えになったり、感染したりする可能性がなければ、ブラッドオブヨルムンガンドあたりの致死性の超猛毒か、危険度最大レベルの疫病でも使っていたところだ。

オラリオにも呪い解除の専用具はあるらしいが、果たしてどこまで通じるものか。そもそも地上まで体力が持つのかも怪しい。

 

何やら情報系魔法で“覗き見”していた不埒者が居たようだから、あるいは回収したかも知れない。

逆探知をかけていたので、覗き見していた相手の居場所は割れているし、逆にこちらは情報対策が十全に働いていたので、大した情報は漏れていない。オラリオに来て初めてこの手の対策が役立った。何事も用心は大事である。いずれ御礼参りに行くとしよう。

まあ、今はそんなことより、ベルの方が重要だ。

 

ベル達の攻防を見据えながら、キル子は背後に佇む従者達に目配せした。二人とも承知したと言うように頷く。

カシンコジはいつでも幻術を仕掛けられるよう備え、トビカトウは着物の袖から暗器を取り出せるよう身構える。

キル子もまた短刀『セクハラ殺し』をインベントリから手元に引き出した。

 

まだ手を出すべきではない。他のパーティーが戦闘している場に、呼ばれもしないのに手出しするのは、『横殴り』と言って、あらゆるMMOで嫌われる行為である。

ピンチには直ぐ介入できるよう、キル子は備えていた。

 

よく見ればベルは白い部分鎧(プロテクター)を着けて、防御力を補っている。見たところ、軽くて動きやすそうだ。

俊敏性が武器のベルにとって、重くて体の動きを阻害する防具はNGなので、悪くない選択である。

残念ながら、キル子の持つ伝説級以上の防具はどれもそれなりに重量がある。あまり高価な武具を与えても使いこなせないし、悪目立ちするだけだ。いずれベルがレベルを上げるまで、ご褒美はお預けにした方が良いだろう。

武器も防具も今のベルの力量に見合ったものを使っている気がする。

 

「もう一踏ん張りだ!!ベル、かましてやれ!!」

 

「はい!」

 

ヒューマンの男に促され、ベルは愛剣『感電びりびり丸』を肩に担いだ。

本来なら使用者にフィードバックをもたらす強力な電撃の影響は、その指に輝く『風神と雷神の指輪』のおかげで欠片もない。

 

ベルが構えを取ると、どこからともなくゴーンと、鐘が鳴るかのような低い音が鳴り響いた。

英雄願望(アルゴノゥト)】……ベルがLv.2に上がった際に獲得した、攻撃や魔法の威力を蓄積(チャージ)して一度に解放することのできる強力なスキル。

それはあの日、三つ首の巨犬・ケルベロスに対して、大鎌を携えた女が使った能力に酷似していた。

 

「ヤァアアアアアア!!!」

 

ベルが振り上げた剣が雷を纏って輝く。

 

ミノタウロスの脇腹を抉りながら走り抜け、一撃を入れる。

剣は毛皮を易々と突き破って肉を穿ち、骨と内臓を焦がす。さらに感電による硬直(スタン)状態を引き起こし、ほんの数秒、ミノタウロスの動きを止めた。

 

「ベルさん、下がって!!」

 

間髪入れずに、フードを被った小柄な人物が何処からともなく現れて、黒い石弓に番えた矢を放つ。

それは見事にミノタウロスの片目に刺さった。視界がふさがれたミノタウロスは絶叫を上げる。

 

「ロイドさん、お願いします!」

 

「ほいきた!」

 

ほぼ同時に大盾を持った男が前に出てミノタウロスの視界を遮り、ベルはその後ろに隠れた。

ミノタウロスは手に持った大剣を執拗に振り回して、盾を構える男を鬱陶しそうに追い払おうとしたが、却って翻弄されるだけだった。

 

盾持ちが場を繋ぐその隙に、槍使いの女が脇から攻める。

 

「アンジェ、今だ!」

 

「了解にゃ!!」

 

目の潰れた側から忍び寄った猫人(キャットピープル)の女戦士は、手にした槍の穂先をミノタウロスの脇腹に突き立てた。皮膚と肉を貫き、肋骨を避けて重要な臓器の位置を貫き、大出血を招く。

槍は身をよじるミノタウロスの筋肉に捕らわれ、柄が半ばからへし折れてしまったが、十分な深手だ。あの出血量、おそらく心臓か、太い動脈を絶ったのだろう。いずれ失血でミノタウロスは動けなくなる。勝負あり、だ。

 

なかなか連携が取れている、とキル子は思った。

ヒーラーがいないのが、やや危うく思えるが、時折ポーションを取り出して適度に口に含んでいるので、さほど問題はなさそうだ。

 

「手堅いな。あのヒューマンの盾持ち、なかなか場を仕切るのが上手い」

 

顎に手を当てながら、いつのまにか追いついてきたフィン・ディムナが、そう評した。

 

「だが、キーマンはあの黒い外套を着た野伏(レンジャー)だ。目や耳、首元、手足の関節……ミノタウロスの弱点に的確に矢を撃ち込んでいるね。威力も凄まじいが、何より恐るべきは命中精度。おそらく器用のステイタスが並外れて高いんだろうけど……」

 

フィンは探るような視線を小柄な黒マントに向けた。

 

「矢をばら撒きすぎじゃないですか?何処にあの数を仕舞ってるんだろ。スキルかしら?」

 

「あの子の剣、斬りつけるたびに雷撃が出てるよ!すごい!でも魔剣?にしては回数が多いし威力も高いような……スキル?魔法?」

 

「ああ、下手くそ!相手は力押しのモンスターなんだ、全部盾で受ける必要ねーだろ。フェイントの一つも混ぜろや」

 

いつの間にか、フィンだけではなくベート達、ロキ・ファミリアの面々が追い付き、戦いの趨勢を見守っている。

 

傷口から噴水のように血を垂れ流し、口からも盛大に吐血するミノタウロス。そこへ、トドメの一撃が繰り出された。

 

ベルが右手を差し出す。

 

「【ファイア・ボルトォ】!!!」

 

途端に、掌から稲妻のように弧を描きながら吹き出した炎の槍が、ミノタウロスの顔面に迫った。赤い角の片方を吹き飛ばし、頭部を包む。

 

「なんと…?!」

 

思わずキル子は目を見張った。

 

男子三日会わざれば刮目して見よ、とはまさにこの事。

ほんの十日ばかり会わない合間に【蓄積(チャージ)】系スキルはおろか、攻撃魔法まで取得していたとは。ユグドラシルではさほど珍しくもないが、オラリオ基準では、ちょっとすごいことではないだろうか。

いやはや、若い子の成長は早い。

 

蓄積系スキルの使い勝手は分からないが、魔法の方は中々面白そうだ。

威力はせいぜい第2位階か第3位階程度だが、速攻性が高く、出だしが速い。あれなら対人戦では不意打ちで体勢を崩すのに使えるし、目潰しにもなる。モンスター相手なら牽制か、今みたいにトドメにも使えるだろう。軽量ファイターの奥の手としては悪くない。

 

酸欠による窒息効果も狙えそうだが、既に半死半生のミノタウロスには十分すぎるほどの致命傷だったようだ。

残った片目が白く白濁し、瞳孔から生気が失せる。キル子の【死神の目】には、HPがゼロになったのが分かった。

巨体が傾ぎ、音を立てて倒れる。同時に、力つきたようにベルの体も大の字になって倒れて荒い息を吐いた。

 

「ベルは休んどけ!よくやった!」

 

「私らは、最後の奴にトドメ刺しちゃいましょう」

 

「槍が折れたから、ぶん殴るにゃ!」

 

冒険者達が最後に残って呻いていたミノタウロスに、よってたかってトドメを刺すのを見ながら、ティオナが楽しそうに目を細めている。

 

「懐かしいなぁ、昔はあんなだったよね〜」

 

「ええ」

 

「何のことはねえ、奴らはやるべきことをやっただけだ」

 

ベート・ローガがそう締めくくる。何時ものように、他者を見下す風ではなかった。

 

華のある戦いではない。だが、手堅く、危うくはなかった。

個々の力量はミノタウロスに伍するには明らかに足りていない。つまり、勝敗を決したのは、単純なステイタスの差ではなく、パーティとしての連携だ。

 

その場で見守っていたロキ・ファミリアの冒険者達は、思い出していた。かつて、彼らが駆け出しだった頃のことを。

武器も防具も足りなくて、スキルも魔法もなくて、それでも何とか工夫して補って、上を目指して駆け抜けていたあの頃を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ベル・クラネルは地べたに仰向けになって、ゼェゼェと息を吐いた。もう立ち上がる力も残っていない。

 

今朝は、パーティ・メンバーと共に9階層に足を踏み入れた時から、何やら嫌な予感がしていた。妙な静けさに包まれていて、モンスターの数が少なすぎたのだ。

そこに出くわしたのが、ミノタウロスだった。かつて5階層でベルを襲い、殺されかけ、アイズ・ヴァレンシュタインとの出会いをもたらした、因縁のモンスター。

 

激闘だった。何故かミノタウロスはベルを執拗に狙ってきたので、無我夢中で争った。そして、倒した。

パーティの力を借りたが、それでも結果には満足している。かつては一方的に嬲られ、殺されかけた相手を、文字通りレベルで追いついたのだから。

何より、ベルは知っていた。ミノタウロスなどより遥かに強大で、強力なモンスター(ケルベロス)がいる事を。即席の徒党を纏め上げ、それに立ち向かった冒険者(キルト)の勇姿を。

 

最後に使った魔法には、我ながら手応えを感じている。精神力(マインド)の消費が大きいので、乱発はできないがうまく使えば決定打になる。

数日前、豊穣の女主人に放置されていたところを譲り受け、それとは知らぬままに読み込んでしまった魔道書。読みさえすれば強制的に魔法を発現できるが、その代わり一度使うと二度と使えなくなる貴重品によって得た魔法の力に、ベルは酔っていた。

主神に授けられた剣の力ではない、自らの精神力を削って発現する自らの力だ。初めて使ったときには、調子に乗って連発して、精神力枯渇(マインドダウン)を起こしてしまった。

 

その全てを絞り出し、精も根も尽き果てていた。

 

「……?」

 

気がつけばベルは後頭部に、何か柔らかい感触があるのに気が付いた。

ゆっくり瞼を開くと、黒い瞳と目が合う。

黒く長い髪に、白い肌、水蜜桃のように柔らかな肌の感触。

見知らぬ女性に、膝枕をされていると認識した瞬間、思わず起き上がろうとして、脳が爆発した。

 

「……ガッ!!!」

 

全身の神経を刃物で抉られるような痛みに呻きながらも、体は疲れ切っていて指一本動かせない。

女性は憂いの表情を浮かべ、動かないようにと唇を動かす。

 

呻いていると、口元に何か液体を流し込まれた。思わず飲み込むと、それは甘く、冷たく、喉に優しかった。

すぐに体が火照り、傷口が甘噛みされているかのような、むず痒さが襲う。ポーションを飲んだ時の特有の症状だ。

唇を動かして礼を言う。女性は柔らかく微笑み、ベルの額を撫でてくれた。

 

不思議な気分だった。

初めて会う人のはずなのに、初めて会った気がしない。

ベルには母がいない。幼い頃から、祖父が面倒を見てくれていた。自分の両親はどんな人なのか、祖父に聞いたことはない。

あるいは、自分に母親がいたのなら、こんな綺麗な人だったらいいなぁと。そんな益体もない事を考えながら、ベルは微睡みに落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ベルの頭を膝に乗せたまま、キル子はインベントリから取り出したポーションを口元に飲ませてやった。

ベルは全身傷だらけで、力無く横たわっているが、【死神の目】に映るHP量は目減りしているものの、命に別状はない。

これはディアンケヒト・ファミリアとやらで纏め買いした、オラリオ産の万能薬(エリクサー )だ。ユグドラシル産と違って経年劣化するが、悪目立ちせずに済む。

 

「……あ、ありが…とう、ござい……ます…」

 

蚊の鳴くような声だった。よほど疲労しているのだろう。

 

「お気になさらず。すぐにポーションがきいてきましょう。今はお心安らかに」

 

掠れた声で礼を言うベルの額を撫でる。頑張ったね、と。

やがて、ベルはすぅすぅと寝息をたて出した。

キル子は手拭いをポーションで湿らし、ベルの額についた傷を拭ってやった。

 

その横には、巨大な骸が横たわっている。

 

牛頭人身の魔物、ミノタウロス。

ミノタウロスはベルに向かって伸ばした腕を切り落とされ、巨体を前のめりにして沈んでいる。

毛皮は至る所が切り裂かれ、傷口は雷撃により肉が焼かれて焦げ臭く、激戦の様子を物語っていた。

片目には矢が突き刺さり、もう片方の目は瞳孔が開ききっていて、大ぶりの赤い角も半ばから折れている。

 

膝枕をしていると、ベートがやって来て、ベルの顔を覗き込んだ。

 

「そのトマト野郎は、知り合いか?」

 

「トマト?いえ、直接の面識はないのですが……ヤキモチを焼いて頂けるので?」

 

「アホ抜かせ、そんなんじゃねえ」

 

心なしかいつもよりぶっきらぼうなベートに、キル子はクスリと笑った。

 

「この子の神様、ヘスティア様にはオラリオに来たばかりの頃に世話になりまして」

 

それだけのことですわ、と。そう告げる。

 

これは見込みアリだよね、とキル子は機嫌をよくしたが、ベートは鼻を鳴らしただけだった。

 

「じゃあ、後は私が診る」

 

金髪の小娘、アイズ・ヴァレンシュタインがベルの頭を奪うようにして自らの膝に乗せた。何故だか手慣れている。

しかも、生意気にもこちらを睨んでいるではないか。やはり、こやつもベルを狙っているらしい。

 

「……ホホホ。左様ですか」

 

キル子は笑顔の下で殺意を押し隠し、裾を払って立ち上がった。

アイズのあの細っこい首とか、切り飛ばしがいがありそうだが、ここは引きさがろう。

二兎追うものは一兎をも得ず。ベルには、いずれまた『キルト』として会いに行けば良い。

 

ひとまずベートの見ている方に視線を移すと、ベルと共に戦っていた冒険者達が騒いでいた。

 

「チキショウ、肩がイカレやがった!馬鹿力め!おまけに鋼板貼り直したばっかの盾までぶっ壊しやがって!」

 

「お疲れ〜、こっちは槍がポッキリだにゃ!せっかく新調したのに、トホホ」

 

敵意(ヘイト)を取ってもらったおかげで、こちらは楽させてもらいましたね」

 

半ばから拉げた盾を構えて大量の汗を流すヒューマンの男に、穂先の欠けた槍を持つ獣人の女、 そして彼らに守られながら黒い石弓を携えた小柄な女性には、なんとなく見覚えがあった。

激しく疲労しているようだが、命にかかわる傷はなさそうだ。ベルの傷が一番重いくらいだろう。

 

ヒューマンの男は三十路前後。

二メートル近い長身に、面の開いた兜を被り、傷やへこみの目立つ金属鎧を着込んで、大ぶりな盾を携えている。典型的なタンクだ。

盾は所々破壊されており、表面に張られた金属は拉げ、木目がのぞいている。武器は持っていない。いや、半ばからへし折れた鉄製の剣が近場にうち捨てられている。おそらく、この男の物だろう。

面長の容貌に焦げ茶色の頭髪を中途半端に伸ばし、鎧からのぞく麻のシャツはよれていて汗で変色しているし、若いが無精ひげを生やしている。

身なりは典型的な中堅冒険者のそれで、身だしなみがだらしなく、清潔感がない。

キル子はすぐに興味をなくした。趣味ではないからだ。

 

後の二人は女だったが、キル子は大いに興味を持って彼女らを観察した。

万が一、ベルをたぶらかす泥棒猫なら、不幸な事故が起きるかもしれない。ダンジョンは危険である。

 

一人は獣人の女だ。短い赤毛の髪の合間から、猫科の獣の耳がのぞいている。

ゆるい笑顔を浮かべながら、ピクピクと耳を揺らす仕草には愛嬌があった。

スレンダーな体躯に軽装の革鎧を纏い、半ばから折れた長物の柄を杖のようにして、内股座りにへたり込んでいる。

革鎧は動きやすさを重視しているためか、胴と胸を覆い、下はミニスカートのように半ばから途切れている。その下に部分的にハードレザーで補強した脚絆を付けているのだが、革鎧と脚絆の隙間から真っ赤な下着がのぞいていた。

……この女、あれか、私のベルを誘惑する気だな。地獄送りだクソが!と、キル子は柔らかな微笑みを維持したまま、心の中でギルティを下した。

 

もう一人は小柄な体躯の少女で、どこかで見たような黒い石弓を携え、フード付きのマントを目深に被っている。

フードのせいで顔はうかがえないが、常時【死神の目】を発動しているキル子に正体を隠すことなどできない。

そのユニークネームは……リリルカ・アーデ。

HP量からして、レベルにして10前後はあるだろうか。最後に会った時より、かなり増えている。

 

そういえば神酒(ソーマ)の販売をリリルカに丸投げしてからこちら、何かと忙しなかったので放置したままだった。そろそろ連絡をとろうかと考えていた頃合いだが、結局、リリルカはどこぞのファミリアに入り直して、冒険者として身を立てることにしたらしい。

キル子が与えた装備を使っているので、野伏(レンジャー)弓職(アーチャー)としてはそこそこ働けるし、見たところパーティの司令塔もやれている。後ろから戦場を俯瞰できる後方火力がリーダーを兼務するのは良くあることだが、まさかベルとパーティを組んでいようとは……リリルカ、恐ろしい子!!

事と次第によっては、尋問(OHANASHI)する必要があるだろう。

 

「これは、ずいぶんと大物を討ち取られましたね」

 

そんな内心は微塵も表に出さず、キル子は何気ない様子で彼らに話しかけた。

 

「うお!って、ロキ・ファミリアじゃねえか?!なんだなんだ?!」

 

ヒューマンの男は、ようやくこちらに気が付いたようで、ロキ・ファミリアの精鋭を前にして、目を白黒させている。

 

「ありゃ、ロキ・ファミリア?遠征かにゃ?でも、冒険者には見えないのもいるようにゃあ…?」

 

獣人の女は、華やかな着物姿のキル子や、その従者達を訝しげに眺めた。

僅かに瞳孔が縦に裂けた獣特有の瞳の先は、人間種に擬態し、その上で地道に整えられたキル子の玉の肌に向けられている。細く白い手、綺麗に整えられた艶のある髪、シミひとつない肌を見て、面白くなさそうに鼻を鳴らした。

まあ、気持ちはわかるw(愉悦)。女冒険者は体を張る職業の為か、一般女性に比べて大なり小なり肌荒れが多いのだ。

 

「ああ、気にしないでくれ。お察しの通り、遠征に向かう途中さ」

 

フィンが笑顔を浮かべながらリリルカの前に出た。

 

「…?何ですか?」

 

フィンは興味深そうに眺めた後、おもむろにリリルカが目深に被っていたフードを脱がせる。

 

「な、何を…?!」

 

顔が露わになり、リリルカは驚いたように目を見張った。

 

「やはり、君は同族(パルゥム)か」

 

「え?……ええ」

 

「僕はフィン・ディムナ。ロキ・ファミリアの団長を務めている。君の名前を教えてくれないかな?」

 

「フィン?!……し、失礼しましたっ!!り、リリはヘスティア・ファミリアの、リリルカ・アーデと申します!」

 

途端に態度を変えるリリルカ。フィンは小人族の間で英雄視されているらしいから、そのためだろう。

 

「うん、よろしくね」

 

フィンは朗らかに微笑んだ。リリルカも顔を赤くしている。初々しいなぁ。

 

ああ、これはアレだ。

キル子はピンと来た。恋はいつでもハリケーンなのだ。少々惜しいが、腹黒ショタはリリルカに譲るとしよう。

いつの間にかヘスティア・ファミリアに入っていたようだが、ベルくんからは手を引くのだリリルカよ。

 

キル子と同じ結論に至ったのか、アマゾネス姉妹の巨乳の方が、ムスッとした顔でリリルカを睨んでいる。こちらもこちらで分かりやすい。頑張れ!

当のリリルカ本人は、間近でフィンに迫られて、それどころではなさそうだ。

 

お見合い状態に突入した二人(プラス1)はさておき、獣人の小娘(アンジェリカ)金髪の小娘(アイズ)の膝で寝息を立てるベルの顔を、心配そうに覗き込んだ。

 

「今更ですけどベルっち、死んでないかにゃ?」

 

「大丈夫、今は疲れて寝てるだけ」

 

その位置だと、ベルが目を覚ませばあやつの下着がバッチリ見えてしまう。あざとい。クソが!

 

キル子は涼しげな笑みを浮かべつつも、額に青筋を立てた。

 

「ホホホ……ベル様、と仰られるのですね。やはり、この方は怪物祭でご活躍されたという、評判のベル・クラネル様でございましょうか?」

 

怪物祭では一般市民の目の前で大立ち回りをした為か、ロキ・ファミリアの第一級冒険者や『キルト』に並び、ベルの名前も市中ではそこそこ噂話に上がっている。

 

「ああ〜。多分、そのベル・クラネルにゃ。やっぱ、ベルっちは名前が知られてるにゃあ。一応、あたしらも、あの時いたんだけどね」

 

獣人女が少しだけ残念そうに頭をポリポリかいた。

 

「仕方ねーだろ。結局、キルトの姐御があの場に居なけりゃ、俺たちみんな御陀仏だったんだ。しかも、お零れとはいえ、ランクアップまで……姐御ぉ、どこいっちまったんだよぉ……!」

 

ヒューマンの男が急に情け無い声を出して、その場にへたり込んだ。

 

「そりゃまあ、あんだけ騒がれたら出ていきにくいだろうにゃあ。うちの主神様も見かけたら連れて来いって、うるさいし……」

 

察するにこの連中は、怪物祭の時にキルトに扮したキル子が唆して、ソーマ・ファミリアの拠点まで連れて行き、目撃者に仕立て上げた下級冒険者のようだ。

 

そう言えば見たことがある気もするが、基本的にキル子は趣味でない男など記憶に残らないので、自信がない。

 

「皆様はパーティを組んでおられるのですね。見たところ、ファミリアはバラバラのご様子ですが…?」

 

「そうだにゃ。あたしはヘルメス・ファミリア、このバカはガネーシャ・ファミリア、ベルっちとリリっちはへ……へ……?ジャガ丸くんの屋台の神様のとこだにゃ」

 

哀れヘスティア、名前も覚えてもらってないらしい。

 

「多分、お姉さんも知ってるだろうけど、あの怪物祭で討伐に参加した下級冒険者は、みんなレベルが上がったにゃ」

 

ああ、そう言えばノリで奮発して、経験値取得増加の課金アイテムを使ったからなぁ。

 

「それは良かったんだけど、あたしらみんな上手いことやったって、古参連中からやっかまれてハブにされたのにゃ。だから、こうしてハブにされた者同士でパーティ組んでるってわけにゃ」

 

なるほど。何処に行っても職場の人間関係というのは世の常らしい。身に覚えがありすぎる。

 

「まあ、リリっちは事情が別だけどにゃ」

 

その一言に、フィンが訝しげな表情を浮かべてリリルカを見た。

 

「どういうことだい?」

 

リリルカは、少し迷うそぶりを見せたが、ややあってから口を開いた。

 

「……リリは元ソーマ・ファミリアですから。色々と悪い噂が出回って、元ソーマ・ファミリアの団員を受け入れてくれる所は、なかなかありません……」

 

それでヘスティアのところに入ったか。

あの面倒見のいいお人好しなら、リリルカを見捨てる真似はすまい。

 

「ていうか、あんたもロキ・ファミリアなのかにゃ?見ない顔だし、そんな格好だし?」

 

露骨に怪しげなものを見る視線の小娘に、キル子は手を差し出した。

 

「私はキル子と申します。お察しの通り、冒険者ではありませんが、よろしくお願い致します」

 

「あたしはアンジェリカ、ヘルメス・ファミリアの所属だにゃ」

 

差し出した右手を無視して、こちらを探るような目で見るアンジェリカ。チッ……この女、惚けた様子だが、なかなか勘が鋭い。

 

「冒険者じゃないにゃ?」

 

「ええ、見ての通りの道楽者の遊び人ですよ」

 

アンジェリカの隣で、リリルカもまたジト目でキル子を眺めている。

視線の先はキル子が身に着けている桜柄の小袖や漆塗りの下駄、金銀細工の簪や耳飾り、指輪など。これは、売ったら幾らになるか見定める、盗っ人の目だ。

 

……500万ヴァリス……いや素材がいい、もう少し上かな……?

 

ボソッと呟く。流石、目の付け所が違う。

かなりの小声だが、キル子の聞き耳スキルは聞き逃さない。

 

「……冒険者でもない人が、こんな階層まで何しに来たんですか?」

 

ハッキリとした遠慮会釈ない物言いである。

 

キル子は苦笑した。

なるほど、リリルカにとっての恩人である『キルト』として接するのではないのだから、この態度も仕方なかろう。

とはいえ、出会ったばかりの頃の、饐えた目で値踏みするようにこちらを窺っていた彼女よりは、こちらの方がまだマシだ。

あるいは、これが彼女の生来培ってきた素の性格なのかもしれない。

 

「ぶっちゃけた話をさせて頂きますと、18階層のリヴィラの町に、趣味の店を開こうと考えておりましてね」

 

「趣味…?」

 

リリルカはおろか、獣人の娘もヒューマンの男も、何やら不可解そうな顔をしている。

 

「ええ、そこで大枚払ってロキ・ファミリアの遠征に同行させて頂いている最中なのです。趣向品に日用品、武器に防具に、その他諸々。開店の折には、是非お立ち寄りくださいませ」

 

キル子は優雅に一礼した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ダンジョン18階層、迷宮の楽園(アンダーリゾート)

ダンジョンに幾つか存在するモンスターのほぼ出現しない安全地帯(セーフティポイント)の一つである。

 

この階層は巨大な一個の空間になっていて、天井が水晶で埋め尽くされ、そこから光が降り注いでいるため、魔石灯が必要ないくらい明るい。

不思議なことに光は外界の日の運行に連動して、ここにも昼夜が存在しているという。夜の合間も仄かに発光していて、それは幻想的な光景が見られるそうだ。

その下は至る所に大小無数の湖沼が存在する森林地帯で、モンスターは滅多に現れず、小動物が溢れている。

 

それなりの広さのある階層の東部には、高さにして数百メドルはあろうかという高台が存在し、その上にリヴィラの町はある。

 

リヴィラはこの階層に到達可能な冒険者によって作られた町だ。

直下に大きめの湖が広がっているので水の補給には事欠かないが、それ以外は何もかも不自由する所である。

酒場も飯屋も武器や道具を売る店も、一通りそろってはいるが、売られている物がすべて非常に高額なのだ。あらゆる物が地上の10倍から100倍は当たり前、しかし、それなりに需要はあり、ダンジョンでの補給の厳しさを物語っている。

 

その町の片隅、断崖に面した一角に、瀟洒なログハウスが出現していた。

 

切り出してきたばかりのような真新しい丸太が組み合わせられた壁材は、木のぬくもりが感じられ、出窓には白いレースのカーテン。屋根はモスグリーンに塗られ、玄関周りの広々としたサンデッキには、揺り椅子が置かれている。

地上で見かけたなら、ちょっとした小金持ちの別荘かと思う程度の作りだが、それがここリヴィラにあるとなるとなると、話が違う。

 

リヴィラの町は危険である。モンスターが比較的出現しづらい安全地帯とはいえ、まったく出現しないわけではないし、モンスターに襲われないという意味でもない。過去300回以上も破壊され、そのたびに再建されてきた。

そのためか、リヴィラの建物はどれも掘っ立て小屋に毛が生えたようなものばかりで、いざとなればすぐ再建できるように簡素な作りになっている。

そこにいきなり出現した、キチンとした職人の手によって作られたであろう建物は、住人達の目を引いていた。

 

つい昨日までは何も無かった筈の場所に、いきなり一軒家が出現していれば 誰だって驚くし、興味を持たれても仕方がない。

しかも、煙突からは香辛料をふんだんに使った料理の、なんともいえない良い匂いが漂ってきていて、 保存食ばかりの簡素な食事しかしていないリヴィラの住人の胃袋を刺激する。

匂いにつられて、今にも押しかけそうな様子のガラの悪い冒険者もいたが、ログハウスに近づくと、揃って踵を返して、遠巻きに見守るのだった。

 

「何か用?」

 

サンデッキの揺り椅子に寝そべり、昼寝を楽しんでいた人物は、人が近づく物音に反応して目を覚ますと、声をかけた。

 

「あ、大切断(アマゾン)!!てことは、これはロキ・ファミリアの……?!」

 

「うちの遠征隊なら、今日はここに泊まってるよ〜」

 

「し、失礼しました!」

 

冒険者が踵を返して去るのを見届けると、ティオナは再び昼寝に戻った。天井から注ぐ水晶の光はやや陰り、そろそろ日が落ちる頃合いだ。

お腹はいっぱいで、柔らかなクッションが気持ちよく、眠気を誘う。

 

ロキ・ファミリアの遠征隊は、9階層で出会った冒険者達と別れた後、予定通り18階層のリヴィラで宿営していた。

別れ際に、アイズが後ろ髪を引かれたように白髪頭の冒険者を見送っていたので、気になって聞いてみたら、ひと月ほど前に遠征帰りにミノタウロスに出くわし、上層へ逃がしてしまった時に、襲われていたのを助けた子らしい。

ティオナもその話はベートが酒場で吹聴していたので知っている。

以来、縁があるらしく、今回の遠征に出発するまでの間、密かに彼に訓練をつけていたのだそうだ。すわ、アイズにも春が来たかと、姉と一緒に盛り上がった。それをベートが面白くなさそうに見ていたが、何も言わなかった。おそらく、あのキルコという女性が近くにいるからだろう。あちらはあちらで、なかなか見ていて面白い。

ちなみに、今日の宿と食事を提供したのも、キルコである。

 

先程堪能した料理は実に美味しかった。

出された料理はどれも、まるでオラリオの料理店からそのまま出前でもされてきたかのように美味だった。

酒も飲み口軽く、酔い軽く、それでいて腹の底からキューっと温まる代物。一度飲んだことのある神酒(ソーマ)に似ていた気もするが、あれは最近やたらと高いので、流石にそんなはずはないだろう。

いずれもリヴィラにしては安価な価格で、町の住人にも振舞われるというが、評判になるに違いない。

 

「ティオナ、そろそろ始まるわよ」

 

「はーい!」

 

戸口から顔を出した姉に声を掛けられ、ティオナは揺り椅子から起き上がる。チリンチリンとドアベルを鳴らして、扉を潜った。

 

「これなら天幕いらなかったね」

 

「まあね。でも、まさかこんな事になるなんて想像もしてなかったじゃない。団長も驚いてたわ」

 

ログハウスの中は、外見からは想像もできないほどの広さがあった。

 

玄関から続くホールには柔らかな絨毯が敷かれ、いくつものソファが置かれていたのだが、今はそれは片付けられて、無数の木箱や麻袋が置かれている。

その合間をサポーターとして遠征に同行したメンバーが動き回り、深層への突入に必要となる物資を詰め替えていた。

 

奥にはいくつもの部屋があり、男女分かれた相部屋にすれば、遠征隊全員が寝泊まりできるだけのスペースがある。

流石にベッドの数は足りないため、半数は寝袋を使うが、キチンとした床の上に寝られるというのは、体力回復の観点からありがたかった。

さらに風呂やトイレ、キッチンに宿堂まで設備が整っていて、至れり尽くせりだ。

 

いずれ此処は商店として機能させるという話である。

主に扱うのは、リヴィラでは非常に高騰しやすい食料品や嗜好品。しばらくは町の品揃えや価格を見て、商品の出し方を決めるらしい。もちろん、素材や魔石の買取も行うという。

ロキ・ファミリアの遠征の際には、宿屋として部屋を提供するのも吝かではないとのことで、代わりに彼らはロキ・ファミリアの後ろ盾とお墨付きを受け取る。

実際、この町を仕切る顔役のボールス・エルダーという眼帯をした中年男に、フィンが口を利くとすぐに出店の許可が得られた。ボールスはもみ手をせんばかりだった。

 

姉妹が先程まで宴会を楽しんでいた食堂に入ると、そこはすでにあらかた片付けられ、地図や書類が広げられて、打ち合わせの準備が整えられつつあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「見かけと容積がまるで違う。いったいどうなっているんだ?!」

 

大きな机の片隅で、発狂しそうな様子で頭を抱えているのは、ロキ・ファミリアの最高幹部であり、オラリオ最高位の魔法使いであるエルフ、リヴェリア・リヨス・アールヴ。

いつもの如才無いクールなキャラが見る影もない。

 

「そう言われましても、私らにしてみれば、これはこういうものでして。何度も言いましたが、作り方だの原理だの聞かれても私らには分かりませんよ。これは買ったものですから。あ、そこの台拭き取ってくれますか、リヴェリア様」

 

エプロン姿のキル子は、茫然自失のリヴェリアが差し出した布巾で、大テーブルの上の食べカスを拭った。

なお、このテーブルはグリーンシークレットハウスに備え付けの備品ではなく、オラリオで買い求めたもので、中々お高かった。

 

実際、キル子は辟易している。

先刻、設置したばかりのグリーンシークレットハウスに案内した際には、他のロキ・ファミリアの団員同様、目を飛び出さんばかりにして驚かれた。

その後、リヴェリアに質問責めにあったために、食事の準備が遅れてしまった。どうやら、このエルフの女は所謂魔法ヲタクらしい。

もちろん、キル子はその人物が、オラリオ最高の魔法使いであることなど知らなかった。いい男ならともかく、美人などはみんな敵、争奪戦の競争相手である。

 

「よし、と。ああ、ありがとう」

 

キル子はトビカトウの差し出した手に、空のサラダボウルを渡した。

レベルにして80を超えるニンジャ系職業の童女型傭兵NPCは、キル子と揃いの白いエプロンを着用して、食事の後片付けに勤しんでいる。同じレベルの老人型NPCであるカシンコジは、洗い場で皿を片してもらっている。

 

なお、先程ロキ・ファミリアに振る舞った料理は、2拠点間を転移回廊で結ぶことのできる転移門の鏡(ミラー・オブ・ゲート)で地上から取り寄せたものだ。

こればかりは流石のキル子にも、表沙汰になると悪影響が大きいことがわかっていたので、ロキ・ファミリアの面々にも秘密にせざるを得ない。

 

料理スキルを持たないガチビルドのキル子は、料理に関する凡ゆる行為が、自動的に失敗(ファンブル)する。

実際、肉を焼く程度のこともできなかった。実験した時に出来上がったのは、炭状態の黒焦げ肉。肉を焼き始めてからの記憶すら漠然として覚えていない。ゾッとする体験だった。

キル子達ユグドラシルの法則の影響下にある存在は、専用のスキルを持たなければ、その程度のことすら出来ないのだ。

 

そこで、拠点にしている市内のグリーンシークレットハウス限定エディションから、その防衛のために置いている傭兵NPCに命じて、料理や惣菜を購入したり、調達させて、こうやって運び込んでいた。

 

やがて机の上をすっかり綺麗にして、人数分のお茶を配ると、キル子はペコリとお辞儀して、その場を辞する。従者達も、キル子の後に続いた。

 

「さて、では最後の打ち合わせを始めよう」

 

これからは、ロキ・ファミリアの遠征に関する、大事な仕事の時間。部外者のキル子が関わるべきではない。少なくとも、そのポーズは大事だ。

そこは一線を引かなければ。良い女は引き際もわきまえているものなのだから。

 

だから、一言。

 

部屋を出る際、扉の横の壁に背をついていたベートにのみ分かるように、キル子は囁いた。

 

「お早いお帰りを、お待ちしております」

 

まあ、隠れて付いて行く気は、満々だったが。

 

 

 

 

 




中途半端ですがキリが良いところで投稿。

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