ダンジョンにユグドラシルの極悪PKがいるのは間違っているだろうか?   作:龍華樹

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第18話

リヴィラの町の元締め、ボールス・エルダーは黄昏ていた。

 

建前上、彼は顔役としてリヴィラの町の一切を仕切っていることになっているが、町の住人の商売については原則口を挟むことはない。客や店同士で諍いを起こしても、よほどの騒ぎにならなければ見て見ぬ振りをする。この町は客も商売人も地上で行き場を無くした悪党ばかりなので、その程度のことは問題にすらならない。

 

もちろん、余りに度が過ぎれば見せしめに制裁するし、あるいは町そのものの存続に係わるような厄介事にも全力で対応する。

ボールスが前任者から縄張り(シマ)を引き継いで以来、問題といえばもっぱら、他の階層から吹き出したモンスターの襲撃だった。ダンジョンのモンスターというのは放っておくと際限無しに増殖し、飽和して他の階層になだれ込むことがある。

18階層は滅多にモンスターが出現せず「迷宮の楽園(アンダー・リゾート)」とも呼ばれているが、過去リヴィラの町は300回以上もそうやって破壊されては再建されてきた。

 

ところが、最近のボールスは過去に例のない問題に悩まされている。

原因は、リヴィラにできた『とある店』だ。

 

その店が何か看過できない物騒な騒ぎを起こしているのかといえば、そんなことはない。いたって真っ当な商売をしている。

では、ギルドで取引が禁止されているご禁制の品でも扱っているかと言えば、否だ。別に扱っていてもこの町では問題にならないのだが、仮に扱っていてくれれば、それを口実にして出店許可を取り消すという(ブラフ)を使えただろう。

実際には、ありふれていて、何処でも手に入るものしか彼らは商っていない。武器、防具、傷薬、食料品に趣向品、衣服や雑貨、その他諸々。

問題は、リヴィラでは常に不足し高騰するはずのそういった物資を大量に、それもかなり安価な値段で売っていることそのものだ。

 

まるでオラリオの商店から今し方買ってきたばかりのような新品が、元の値段の二倍から三倍、つまりリヴィラの相場の半分以下で売られている。少々の量なら直ぐに売り切れて、同業者に高値で転売されて終わるのだが、売れるそばから大量の商品が即座に補充されていく。

ボロボロの中古品を10倍以上の価格で売るのが当たり前のリヴィラでは、それは価格破壊なんてものでは済まない。おかげで商売あがったりで怒り心頭の連中が、今のリヴィラには溢れている。

宿屋や酒場、飲食店を営んでいる者達はまだいい。仕入れ先を変えれば済むのだから。問題はそれ以外の、雑多な品物を扱っていた露天商だ。彼らは総数としてリヴィラの過半数を占めている。

 

本来なら、こんな真似をすれば、よってたかって囲んで袋だたきにされそうなものだ。

しかし、例の店の女主人もその取り巻き共も、その強さは化け物じみている。せいぜいLv.2から3程度のリヴィラの住人では鎧袖一触、実際にカチコミをした連中は例外なく魚の餌になった(その中にはボールス自身が手を回した者も多く含まれている)。

おまけにオラリオ最高峰の探索系ファミリア、ロキ・ファミリアがケツモチについているので、手が付けられない。

 

そのことが知れ渡ると、どいつもこいつも二の足を踏んだ。以来、顔役であるボールスの所に悲鳴のような陳情というか、抗議が殺到している。

 

つまり。

 

「アレをなんとかしろ、お前はリヴィラの元締めだろ!!」

 

…要約するとこうなる。

 

あまりこの声を蔑ろにするわけにはいかなかった。元締めとしての面子と信用にかかわる。ボールス自身がケツモチを務めている連中の支持を失えば、その地位も危うい。 ボールスの後釜を狙う者はいくらでもいる。

かといって、いくらボールスといえど、露骨にあの女の不興を買う真似は危なくてできない。 奴らは本当に容赦がない。

 

なんとか事態を丸くおさめようと、痛む胃を抱えながらボールスは根気よく店を訪れては腹芸を駆使し、まずはたわいない話にばかり明け暮れた。慌てるコジキはなんとやら。何事も相互理解、社交が大事だ。おかげで成果はあった。

ある程度気心がしれたところで、それとなく探りを入れたのだが、どうやら相手は今以上に商売の手を広げる気はないらしい。規模を拡大するには、おそらく純粋に人手が足りてないのだ。

 

実は、店員を買収して内側を探ろうと、ボールスは何度か仕掛けていた。結果は全敗だ。金にも女にも靡かず、酒や賭博にも食指を動かさないとは、あの"ニンジャ"とかいう連中は何が楽しくて生きているのやら。

まあ、リヴィラのような場所で店を広げるなら腕っ節だけでなく、信用も必要となる。かなり厳しく躾けられているのかも知れない。 信用できる人材というのは貴重だし、数が少ないというのは分かる話だった。

となると、女店主自身の目が届かなくなるような大商いには、本当に手を出す気がないのだろう。

 

そんなこんなで悩みに悩み、粘り強く根回しと交渉を繰り返した結果、ようやくある合意を取り付けつつあった。

手間のかかる個々の冒険者を相手にした小売りはやめて、今後は問屋のような形で卸売りを専門にしてはどうか、と。

 

後ろ盾のロキ・ファミリアや、既に付き合いのある冒険者にはこれまでどおり対応し、それ以外はボールス配下の露天商を中心に物資を卸す。

彼方としては卸売りに徹して窓口を絞った方が手間がかからず安定した収益が見込めるし、此方としてはカルテルを結んで末端価格を操作できる。しかも、卸先はボールスの意のまま。あの店の経済的な影響力を掠め取れる妙手だ。互いにWIN-WINの取引きである。

 

もっとも、これはこれで問題がある。一部の違法な御禁制の品を除いて、事実上、リヴィラの流通をあのキルコとかいう胡散臭い女に握られてしまう。

まったく、綺麗な顔をしているが手強い。背後にはロキ・ファミリアとは別に、かなり大きな黒社会系の組織(ファミリア)がついていると見て間違いない。おそらくあの女自身も幹部だろう。

苦肉の策で馴染みの腕利き冒険者を通じて、大規模な物資移送のキャラバンを依頼している。少しでも牽制になればよいが…

 

と、そこでボールスは頭痛を覚えて、手元の蒸留酒(頭痛薬)をあおった。これもキルコから差し入れられたものだ。いったいどこから聞きつけてきたのやら、彼の何より好物の銘柄だった。油断も隙もない。

 

痛飲していたボールスの下に、さらなる凶報がもたらされたのは、その時だった。

 

「おやっさん!! 大変です!!」

 

何やら慌ててやってきた手下をジロリと睨みつけると、ボールスはもう一杯、キツめの蒸留酒を干した。

 

「うるせぇ!ようやく例の話がまとまって、俺は一息ついてんだ。今日はもうテコでも動かねーぞ!」

 

既に強かに酔っている。肴は例の店から出前させた新鮮な肉や野菜を使った料理の数々。労働に対するささやかな報酬である。

 

「いいから、外出て見てください!このままじゃ、リヴィラが無くなっちまう!!」

 

「…ハア?」

 

ボールスの悩みは尽きない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同時刻。

突然、天蓋をぶち抜いて降ってきた小山のような巨人の偉容を見上げて、この場に集った神々は揃って顔を青ざめさせていた。

 

「おいおい…まさか、ボクらのせいだっていうのかい?別に神威を開放したわけじゃないのに…」

 

「しかし、ヘスティアよ。これはどう考えても…」

 

ダンジョンからの刺客だろう、とタケミカヅチは苦々しそうに口にした。

ダンジョンは憎んでいるのだ。こんな地下に閉じ込めている神々を。そして、神がダンジョンに足を踏み入れれば、こうやって襲ってくる。

 

「そのまさかだろうな、タケミカヅチ。流石に神が三人もダンジョンに入れば、気が付かれても仕方ないか…?」

 

ただ一人、事情に通じているヘルメスだけは、別の理由で驚愕している。

 

(アレはロキ・ファミリアが遭遇したという、穢れた精霊の現し身(デミスピリット)!なんで18階層なんかに現れるんだ⁈まさか本当に俺たち(神々)を殺しに来たのか⁈)

 

ヘルメスはここ最近オラリオを騒がせている極彩色のモンスターの一件について、利害の一致したロキやディオニュソスと情報をやり取りしている。先ごろ59階層で起こったロキ・ファミリアの遠征の結果についても大凡は把握していた。

だからこそ、わかる。オラリオ最高の戦力を有するロキ・ファミリアですら、半死半生の目にあわされたという怪物。とてもではないが、この場の戦力では太刀打ちできない。

 

ヘルメスは少し離れたところで呆けているベル・クラネルに視線を向けると、盛大にため息をついた。旧主と仰いだ男が最後に残した義孫、果たして英雄の卵たるか否か、見極めようと色々と画策していた思惑が全てパァだ。

 

「…アスフィ、リヴィラに向かえ。応援を呼ぶんだ!」

 

ヘルメスは、傍らの眷属に命じた。

ヘルメス・ファミリア団長のアスフィ・アル・アンドロメダ。Lv.4の冒険者としてより、稀代の魔道具製作者(アイテムメイカー)として名が知られているが実戦経験も豊富で、ヘルメスの頼れる右腕だ。

自ら製作した魔道具をいくつも携帯しており、それを使えばこの場の誰よりも早く増援を呼べる。

 

それに戦力としてこの場で最も優れているのは…と、ヘルメスは彼らの一団に同行していた、とある女性を見やる。

その人物はフード付きのコートを羽織っており、その隙間から僅かに緑色をした短髪が覗いていた。口元を覆面で覆い隠しているので、目元くらいしか露出していない。腰には大小の剣を佩いている。

物腰は如何にも歴戦の冒険者を思わせるが、その正体を知るヘルメスとしては、この状況では頼もしい。

 

用意した『保険』がこんな形で生きようとは、夢にも思わなかったが、残念ながらまだ足りない。

 

「ボールスを動かせ。奴にとっても他人事じゃない。リヴィラ中の戦力をかき集めれば、あるいは…」

 

冒険者は量より質。 Lv.5、Lv.6クラスを豊富にそろえていたロキ・ファミリアが一蹴されたのだ。使えるものは全て使うしか、他に手はないだろう。

珍しく焦った様子のヘルメスに、一応、アスフィは確認を行った。

 

「…あなたの仕込みではないのですね?」

 

こんな状況下でもそんな台詞が出てくるあたり、自らの眷属にヘルメスがどう思われているかのよい示唆である。

 

「俺が小細工したって、こんなシロモノ用意できるもんか」

 

ヘルメスは引きつった顔で断言した。いつもの胡散臭さが微塵も感じられなかったので、逆にアスフィは不安を増した。

 

「アレと戦うというのですか?逃げるのではなく?」

 

「…見ろ、今や俺たちは逃げ遅れた間抜けなネズミだ。一人も生かして地上へ返す気はないらしい」

 

ヘルメスはある方向に顎をしゃくった。ゴライアスが落下してきた地点、地上へ向かう唯一の逃げ道(出入り口)が、見事に破壊され閉ざされている。

 

「それとも更に下層に逃げてみるか?少なくとも俺は生き残る自信はないな。それに、アレが後を追って来たらどうする?」

 

それを聞くと、盛大にため息をついてから、アスフィは駆け出した。

 

「もう!生きて帰れなかったら恨みますからね!!」

 

リヴィラを目指して一目散に掛ける背中を見守りながら、ヘルメス自身はどう退避するかを考える。地上ではあらゆる権能を封じられ、人の子と同程度の力しか持たない神がこの場でできることは何もない。

 

「…というわけだ、アンジェリカ。悪いが付き合ってもらうぞ」

 

「いいからとっとと安全なところに逃げてくださいよ、ヘルメス様。あんたに何かあるとあたしらの恩恵(ファルナ)がポシャるんすから」

 

赤毛の猫人(キャットピーブル)は普段の飄々とした態度を崩し、厳しい顔で槍をとる。

 

「可能な限り足止めを頼む。おそらく奴は魔法を使うぞ。このままリヴィラに殴りこまれたら、戦力を集めるどころじゃない」

 

「ま、適当にがんばります。…貧乏くじをひくのは、ロイドの付き合いで慣れてる()()♪」

 

わざと砕けた調子で死地へ向かおうとするアンジェリカの前に、ロイドが進み出た。

盾を構え、兜を被り直し、聳え立つゴライアスを見据える。わずかに震える膝頭を、叩いて無理やり黙らせた。

 

そして、精一杯の虚勢をはる。

 

「へいへい、貧乏くじに付き合わせて悪ぅござんしたね。…それとな、そのわざとらしい語尾、前々から似合わねーと思ってたんだ」

 

「黙れロイド!これくらいキャラ作りしなきゃ今時は目立てないのにゃ!」

 

「へっ!そんだけ憎まれ口叩けりゃ十分だ!お前はそのぶっといのを奴さんに突き刺すことだけ考えな!守りは俺に任せろ!」

 

そう言って、愛用の盾を掲げるロイドから顔をそらし、アンジェリカは明後日の方を向いて囁いた。

 

……馬鹿

 

そんな二人を見て、ベル・クラネルとリリルカ・アーデは、クスリと笑って目配せを交わす。

 

「やろうか、リリ」

 

「ですね」

 

「…二人とも、こんな状況じゃ無茶をするななんて言えやしないけど、無理だと思ったら引いてくれ。わかったね?」

 

彼らの主神、ヘスティアもそんなやり取りを見て、不安そうにしながらも、そっと背中を押す。

 

「…Lv.2に上がったばかりのヒヨッコ共が、一丁前にほえるじゃねーか!野郎共、若ぇ衆にばかりいい格好させてんじゃねえ!」

 

ガネーシャ・ファミリアのマックダンは豪快に笑った。

これでも都市の治安を任されているガネーシャ・ファミリアの一員、冒険(ヤクザ)者特有の義侠心は持っている。ギラギラと光る眼は「主神様(オヤジ)団長(姐さん)の面子を潰したら、どうなるか分かってんな?」と雄弁に語っていた。ここでケツをまくろうものなら小指一本では済まさないだろう。

 

「ガネーシャ様に恥をかかせるんじゃねーぞ!根性見せやがれ!」

 

一方、今回の件の主原因とも言えなくはないタケミカヅチ・ファミリアはと言えば、皆悲壮な決意を固めていた。

怪物進呈(パスパレード)によって命長らえたが、ファミリアの名誉は地に落ち、師とも親とも慕う主神に尻拭いを押しつけてしまった。危険なダンジョンに赴かせた挙げ句、あのような悪魔的な血判まで押させてしまう始末。

これ以上の恥の上塗りは許されない。

 

「状況は見ての通りだ。一戦せねばならんが、無理はしないでくれ。何とか騒動を収める算段がついた矢先なのだ、無事に皆で地上に帰ろう!」

 

その時、穏やかな口調で語るタケミカヅチの透き通るような笑みを見たヤマト・命は、妙な胸騒ぎを覚えた。

タケミカヅチはダンジョンに潜るにあたって、護身用のためか腰に一振りの剣を佩いている。簡素な拵えをした、拳が十ばかり並ぶほどの長剣だが、その柄元を撫でる仕草がどうにも不吉に思えてならなかった。

 

「命、いくぞ!!」

 

「…!…あ、ああ。わかった」

 

嫌な予感を振り払い、黒い巨人へと向かう。背後は、振り返らなかった。

 

 

 

 

 

 

…そうして、つい先ほどまで互いに腹を読みあい、殺伐とした駆け引きを繰り広げていた集団は、ただ一つの強大な敵に協力して立ち向かう。

 

「みんな聞いてくれ!俺はガネーシャ・ファミリアのアレックス・マックダン。ひとまず、この場は俺が仕切らせてもらうぜ!」

 

ファミリアもランクもバラバラな多種多様な冒険者達だが、その場を纏めたのは、ガネーシャ・ファミリアのマックダンだった。

 

長く冒険者をやっていれば、ダンジョンで偶然出会った者同士が成り行きで組まざるを得ないことが稀にある。こういった時に不慣れな集団が何とか連携を成功させるか、あるいは諍いを起こして無惨にバラけてしまうかは、リーダーシップをとれる人間の有無にあった。

冒険者というのは腕っ節で生きる人種だ。なまかな人間では舐められてしまう。上に立つには相応の貫禄(カリスマ)がいる。

その点、ネームバリューのあるガネーシャ・ファミリアでLv.3冒険者を務める彼は最適だった。

 

マックダンは有無を言わせぬ迫力で全員の顔を見回し、異論が出ない事を確認すると、手早く指示を出し始めた。

まず声をかけたのは、白い軽装鎧と肉厚の片手剣を装備した人間族(ヒューマン)の少年だ。

18階層までのキャラバンに同行した者達の能力を、彼はおおよそ把握していた。誰に何をやらせればよいかは、瞬時に判断をくだせる。

 

「ベル、切り込み役を任せる。最初にきついの一発いれたれ!」

 

「はいっ!」

 

ベル・クラネルはまだ若いが、天性のスピードファイターだ。剣に雷撃を纏わせて攻撃する手段を持っていて、ヒットすると属性ダメージに加えて、少しの間モンスターの動きを止められる。頼れる切り込み役だ。

 

彼の持つ片手剣自体が特殊な能力を秘めているらしいのだが、その強力な電撃は、剣を伝って使用者も焼く。一度マックダンも試しに使わせてもらったが、腕が痺れてしばらく剣が握れなくなった。

そんなロクでもない欠陥品を涼しい顔で使っているのは、電撃を無効化する特異体質か、そういうスキルでも持っているのだろう。このことがキャラバン内で知れ渡ると、高価な特殊武器(スペリオルズ)持ちに対する羨望の眼差しは、珍獣を眺める生暖かい視線に変わった。

 

細身の体付きをしているくせに意外とパワーもあるし、威力は弱いが速射性の高い魔法も使える。ただ、マインドの消費がやたら大きいらしいので、直接殴りに行かせた方が効率は良い。

今は未だ荒削りだが、総合力は半端ではなかった。短い付き合いだが、いずれは第一級冒険者にまで上り詰めるだろう、とマックダンは見込んでいる。

 

「やっこさんの足が止まったら、仕掛ける。階層主狩りの要は魔法使いだ。リドゥ、悪いが精神疲弊(マインドダウン)ギリギリまで粘ってくれ」

 

自らのパーティで長年連れ添った相方の魔法使いに声をかけると、相手も承知したもので、肩をすくめて頷いた。

 

「覚悟はしてるよ。精神力回復薬はガブ飲みすっから、必要経費でおとせよ」

 

「俺が奢る。いくらでも使え」

 

強靭極まりない階層主討伐戦において、強力な攻撃魔法を放てる魔法使いの存在は何より心強い。

特に発展アビリティ【魔導】を発現した者は威力強化、効果範囲拡大、精神力効率化の補助をもたらす魔法円(マジックサークル)を作り出すことができるため、たった一人でも戦局を覆す力を持った戦場の主役だ。

 

「残りの連中はリドゥを守りながら、囲んでボコれ。リヴィラの荒くれ共がやってくるまで時間を稼ぐんだ」

 

「了解にゃ!」「おうさ!」「あいよ!」「わかりました」「はーい!」

 

残りの面子は前衛が足止めに成功したら、とにかく殴って殴って殴りまくるだけの簡単なお仕事である。

 

「リリルカ、お前は周囲のモンスターの警戒も頼む」

 

マックダンは黒いフード付きマントを羽織った小人族の少女に、別途で指示を出した。

 

「?…警戒ですか?迷宮の楽園(アンダーリゾート)って、ほとんどモンスターがいないんですよね?」

 

「ああ、だがまったく出現しないわけじゃないし、別の階層からやってきて居座ってるのもいる。階層主やら希少種ってのは、周囲のモンスターを引き寄せて怪物の宴(モンスターパーティー)を引き起こすことがあってな。あのデカブツの相手してる最中に、後ろから群がられたら厄介だ」

 

「なるほど。了解です」

 

さらに、先程見せつけてくれた弟分に、からかい半分の視線を交えて指示を出す。

 

「それとロイドは…まあ、アレだ。誰とは言わねぇが、狙われたら死ぬ気で守ってやれ。つうか死んでも守れ、盾だけは手放すんじゃねーぞ!」

 

「ガッテンだ!」

 

ガネーシャ・ファミリア所属の人間種、ロイド・マーティンは全身鎧を着て大盾を持った典型的な前衛壁役(ウォール)だ。あまり器用ではないが、モンスターの攻撃をひるまず受け止める根性は誰もが認めるところだし、意外と機転も利く。

 

「ヴェルフ、お前は絶対にゴライアスにゃ近づくなよ」

 

最後に、一人だけLv.1で参加していた赤毛の鍛冶師に釘を刺す。

 

「わーってるって。俺だけLv.1なんだ、階層主相手に無理はしねーさ」

 

「ならいい。こっちだってヘファイストス・ファミリアと余計なしこりは作りたくねえ」

 

ヴェルフは【鍛冶】の発展アビリティを獲得するのが目的で、ここまで同行している。ヘファイストス・ファミリアくらいの大手なら、ランクアップの手伝いくらいどうとでも都合がつきそうなものだが、何故かこんな零細ファミリアの寄り合い所帯に参加している変わり者だ。

だが、生産系最大手の鍛冶士、しかもあのクロッゾの末裔とくれば、マックダンとしては今のうちにコネを作っておきたいという欲目があった。下手に参加させて怪我などさせられない。

 

「装備を整えろ!リドゥの魔法に巻き込まれたくなきゃ、火精霊の護布(サラマンダー・ウール)は忘れんな。急げよ!」

 

各自が武器や防具を確認したり手持ちの消耗品を融通しあったりするのを尻目に、マックダンは一人離れたところにいたフードを目深に被った女性に歩み寄った。

 

「…お久しぶりです、『疾風』の姐御」

 

長かった髪を切り、緑に染めて変装していたが、マックダンがこの人を見紛うことはない。

かつて共に都市の治安維持に努めたアストレア・ファミリアの、たった一人の生き残り。まだ駆け出しの頃に世話になった相手だ。冒険者としてのランクも自分より高い。

生きていることは知らされていたが、まさかこんなところで再会するとは思ってもみなかった。

 

「本来なら姐御に指揮を取ってもらうのが筋なんでしょうが、鉄火場に余計な混乱は持ち込みたくねえんです。勘弁してやってください」

 

マックダンは深々と頭を下げ、詫びを入れた。

 

「…相変わらず義理堅い男だな、アレックス。だが、気にしないで欲しい。今の私は一介の助っ人だ」

 

素顔を覆うマスクから覗いた目が、困ったような笑みを浮かべたのを見て、マックダンは思わず口から飛び出しそうになった言葉を飲み込んだ。

5年前、闇派閥との抗争が最も激しかった頃に、この女性が所属するファミリアを襲った悲劇には思うところが多々ある。あの時代の闇派閥の外道どものアコギなやり口にも、それと通じていたギルド職員の腐敗にも。

この人…リュー・リオンが落とし前をつけたのも当然だと思っている。結果として、当時、幅を利かせていた闇派閥がほぼ壊滅したのにも助けられた。

だが、当然、割を食ったのもこの人だった。身内に被害が及んだことでギルドはリューをブラックリストに載せ、冒険者の権利を剥奪した。以来、この人は変装無しでは表を歩けない。

 

「私の能力は知っているな?いざとなれば、囮を引き受ける。気にせず使ってやってくれ」

 

「…へい」

 

そう告げて背を向けた相手に、マックダンはかける言葉が見つからなかった。

 

「…今は、ある店で店員(ウェイトレス)をしている。落ち着いたら、食べに来るといい。味は良いと評判なんだ」

 

「ウ、ウェイトレスですか⁈姐御が⁈」

 

まさかと思った。想像もできない。この五年の歳月をこの人がどう過ごしたかはわからないが、そう悪い日々ではなかったのかもしれない。

 

「必ず、行かせていただきやす!」

 

後でまた話す機会もあるだろう。その為にも、生き残らなくては。

パンと自分の頬を打ち据えて、気持ちを切り替えた。

 

「よし!…行け、ベル!野郎ども、ベルを援護しろ!」

 

号令一下、先陣を切ったのは、ヘスティア・ファミリアの剣士、ベル・クラネルだった。

 

「わかりました!!」

 

まずベルが俊足を活かして切り込みを行い、先制攻撃(ファースト・アタック)から『感電びりびり丸』による〈硬直(スタン)〉を入れるのは、彼達のパーティーの必勝法だ。

 

「間近で見ると、やっぱりおおきい!!」

 

突貫しながら、ベルは絶叫した。本当に大きい。それが地響きを立ててこちらに突撃し、今や目の前に迫っている。

実際にはそれは錯覚だった。彼我の距離はいまだ100メドル以上は離れている。だが、ゴライアスがあまりにも巨大であるため、ベルは実際の距離よりも近くにいるように感じてしまった。

ゴライアスは、通常の個体でも7メドルはあろうかという身長があり、17階層で初めて出くわした時にはベルは頭が真っ白になって、思わず腰を抜かしかけた。

この黒い肌をしたゴライアスはそのさらに倍、いや三倍ほどもある。それが18階層の上から下まで貫くほどに屹立しているのである。

足がすくむのをかろうじてこらえ、ベルは攻撃を繰り出した。

 

「ヤアァアアアアッ…!!!」

 

踏み潰されるのではないかとヒヤヒヤしながら、巨木のようなゴライアスの脛を駆け抜けながら切り裂く。ユグドラシルから齎された伝説級武装の片手剣は恐るべき切れ味を発揮し、刃渡りいっぱいに肉を切り裂いた。同時に、雷属性のダメージとともにその筋肉を痺れさせる。

 

後は魔法使いやリリルカの矢の邪魔にならないよう、そのまま走り抜けようとしたベルの上から、巨大な拳が隕石のように落ちてきた。頭上を見上げ、思わず呆然とする。

あまりの巨体故に〈硬直(スタン)〉が全身には行き渡らないのだと、気付いた時にはもう遅い。これまで何度となく繰り返してきた〈硬直(スタン)〉が入った敵への対処法、身に染み付いていたそれがベルの反応を一瞬だけおくれさせた。

 

「馬鹿、ぼうっとすんな!」

 

間一髪、後ろから襟首を掴まれて強引に引っ張られる。

 

「ごめん、ロイド!!助かった!!」

 

狙い外れて拳は大地を叩いた。足元が爆発したかのような衝撃を尻目に、ベルは自分が死にかけたことに気づき、思わず全身の毛が総毛立って、慌てて距離を取る。

ゴライアスの一挙一動で風が巻き、大地がうねる。まさに動く自然災害だ。余波に身体が吹き飛ばされそうになるのをベルは必死に耐えた。

ここまで体躯(スケール)が違うと、まともに攻防が成立しない。単に歩いただけでも、まとわりつく小虫を十分に蹴散らせる。

 

そのベルの頭上を、幾本もの矢が通り過ぎた。

 

「リリ…!!」

 

「一旦引いて!こいつ、大きいけど素早いです!」

 

リリルカはゴライアスの真正面に立ち、浅い呼吸を繰り返していた。

大丈夫、自分ならヤレる。そう自らにに言い聞かせた。

かつてのファミリアと決別し、再び冒険者として立つと決めた日から毎日、弓使い(アーチャー)としての訓練は欠かしていない。元々高かった器用(DEX)のアビリティもさらに伸ばしている。

結局のところ、射手の道を志す者は常に自らとの戦いだ。必要とされるのは、どんな時でも動揺を表に出さない忍耐力と、心を澄ませ、指先の動きから感情を切り離す冷静さ。

その領域ならば、リリルカは誰にも負けない。かつてサポーターとして泥水を啜りながら這っていたリリルカが、唯一持っていたものなのだから。

 

精心弓手(アルカディア)

弓による攻撃時、命中率に高補正。さらに器用のアビリティ数値が矢の威力に加算される。

 

ヘスティア・ファミリアに改宗し、レベルアップした際に、リリルカが得た新たなスキル。

ベルの持つ【英雄願望(アルゴノゥト)】のような爆発的な火力は期待できないが、使用時に体力や精神を消費しない恒常型パッシブスキルなので、常にアシストが掛かるのが強みだ。

かつてアレほど望んだ冒険者としての力を、リリルカは得ていた。

 

今やリリルカの指は感情と切り離され、精密機械のように淀みなく矢を番え、撃ち放つ。全ての指に矢を掴み取り、続け様にクロスボウに装填しては弾幕の如き矢を放つ絶技。

 

「いけェエエエー!!!」

 

四本の矢がゴライアスの頭上、弱点に見える女性の人型に向かう。2発は胴に当たって弾かれ、1発は顔面を掠めて空に消える。そして、残り1発は見事に顔のド真ん中を射抜いた。

だが、頬が醜く裂けたように開き、口で受け止めた矢をへし折って凄惨な笑みを浮かべたのを、リリルカはつぶさに見てとった。

 

その唇が何事かを呟く前に、背後で魔法円が輝く。味方の魔法使いが、杖をゴライアスに突き出していた。

 

【現世に出でよ、煉獄の炎。猛り狂いて、全ての影を焼き尽くせ】

 

たっぷりと時間をかけて詠唱されていた魔法が、解き放たれた。

 

【インフェルノ】!!

 

白熱した巨大な炎の塊が、巨人の全身を襲う。ゴライアスは両手を交差させて炎を防いだが、とても防ぎ切れるようには思えなかった。

とにかく凄まじい熱量だ。ゴライアスの足元の地面は焼け焦げ、溶けている。かなり長い時間をかけて炎は吐き出され続けた。

周囲で見守っていた冒険者達も熱に炙られたが、中層を突破するのに必須となる火精霊の護布(サラマンダー・ウール)を全員が装備していたおかげで、凌ぐことができている。せいぜい網膜に残像が残って目がチカチカしたくらいで実害はない。

やがて炎が止んだ時、杖を突き出していた魔法使いは、ガックリと膝をついた。

 

「…アレックス、看板だ。魔力が回復するまで、しばらくかかる…!」

 

「十分だ!よくやった!お前ら、いくぞ!」

 

「「「オウ!!!」」」

 

これは詠唱の仕方によって、照射時間を自在に変えることのできる魔法だ。魔力をギリギリまで絞り出して、時間を稼いでくれたのだ。

未だ爆煙がゴライアスの全身を包んでいたが、冒険者達は鬨の声を上げて一斉に斬り込みをかけた。

 

「一番槍頂きィ!!!」

 

真っ先に仕掛けたのは赤毛の槍使い。

猫人特有のしなやかさと瞬発力を発揮し、アンジェリカは長槍を掲げて、パーティ最強の一撃を放つ。

 

乾坤一槍(デサイシブ・スピアー)

自身より強大な敵と対峙した際に、力と敏捷のアビリティに高補正。敵が強ければ強いほど効果上昇。

 

アンジェリカはL v.2に上がった際に獲得したこのスキルにより、攻撃力だけなら格上の相手に届きうる。

 

「獲ッた……?!!!」

 

刹那、黒煙の向こうから覗いたドス黒く濁った瞳と目が合い、アンジェリカは思わず悲鳴を飲み込んだ。

 

【突キ進メ雷鳴ノ槍。代行者タル我ガ名ハ雷精霊、雷ノ化身、雷ノ女王】

 

直後に完成する短文詠唱。

 

【サンダー・レイ】

 

何本もの稲妻を捩って纏めたかのような極太の極光。たかがLv.2の冒険者ならば一瞬で消し炭にしてあまりある明確な死のビジョン。

穢れた精霊より放たれたそれは、瞬きする間に不届きな冒険者に迫る。アンジェリカは思わず目をつぶり…

 

「やらせるかァ!!!」

 

寸前に割って入ったロイドが盾で受け止めた。

 

盾は融解され、鎧は弾き飛ばされ、ロイドは光に飲み込まれた。踏ん張ることも出来ず、威力に押されて明後日の方向に吹き飛ばされる。

  

「ロイド!クソ、誰か回収して回復してやれ!」

 

マックダンの指示が飛ぶ前に、アンジェリカが血相を変えて飛び出した。何人か後に続こうとしたが、マックダンは止めた。その目は、黒煙の向こうを見据えている。

 

大量の煙の中から、のそりと現れたゴライアスは全身を焼け爛れさせていた。特に穢れた精霊本体を防御していた両腕は、半ばから溶け落ちている。

これならいけるかも、という僅かな希望は、次の瞬間には消え失せた。

爛れた皮膚を突き破り、植物の根か茎のようなものが、瞬時に傷口を覆い尽くしたのだ。極彩色をしたそれは、黒いゴライアスの全身に絡みつき、欠損部を補い、時計を逆回しにしたかのように復元させた。

 

「自己再生⁈…あの魔法だけでも厄介なのに、タフな階層主が持ってて良い能力じゃねーぞ!!」

 

その場の全員が目を見張り、絶望感に喘いだ。

 

一方、吹き飛ばされたロイドが猛烈な勢いで頭から突っ込んだのは、18階層に点在する小さな湖沼のうちの一つだった。

 

「ごめんロイド、あたしを庇って!!あたしが先走ったから!魔法があるかもって、聞いてたのに!」

 

アンジェリカは泣きながら、ずぶ濡れのロイドを岸へと引き上げた。

落下場所が良かったのだろうが、ロイドは鎧にしろ兜にしろ、くまなく焼け焦げ、未だに余熱が抜けきっていない。その下の皮膚が相当に酷いことになっているのは、容易に察せられる。

アンジェリカは悲鳴を上げながら、ロイドの全身にありったけのポーションをぶち撒けた。さらに口にポーションを含み、口移しで中身を流し込む。同じ事を何回か繰り返すと効果があったのか、ロイドは弱々しくも自分から嚥下しだした。

 

「へへ…俺の、しぶとさは、知ってるだろ?このくらい、大したこと、ねぇよ」

 

ゴホゴホと口に入り込んだポーションにむせながら、強がりを言って起きあがろうとするロイドを、アンジェリカは黙って抱きしめた。

実際、あれほどの魔法を正面から受け止めたにしては、軽症の部類に入るだろう。本来なら一撃で即死の筈だ。その不可能を覆したのは、ロイドがLv.2に上がった際に発現したスキルによるものだった。

 

堅牢心慕(エイジス)

仲間を守る際に、耐久のアビリティに高補正。また、被ダメージを大幅に軽減する。思いの丈により効果上昇。

 

「俺の目の黒いうちは、お前にゃ指一本、触れさせやしねぇ」

 

くっ付いたり離れたり、身を寄せ合ったり喧嘩したりで、それでも共に冒険者になった幼馴染。素直になりきれなくて互いに違うファミリアに入ってしまったが、結局、同じパーティで馬鹿をやっている。不思議なくらいに息はピッタリだ。

そんな友人以上恋人未満な二人の関係には、鈍いと言われるベルですら、とっくに気付いていた。

 

「ロイドぉ…」

 

「アンジェリカ…」

 

思わず下腹部にキュンキュンきていそうなアンジェリカと、満身創痍ながらキメ顔のロイドこそ見ものだったが、状況は切迫している。

 

不意にロイドの頭に冷たい何かがぶっかけられた。

 

「冷てぇ⁈」

 

それは付着した箇所から、みるみるうちに全身の火傷痕を癒していく。体力も急激に回復していったので、ロイドは目を見張った。いつも使っている安物のポーションでは考えられない効能だ。

 

ロイドに冷や水ならぬ、冷や高等回復薬(ハイポーション)をぶっかけたのは、肩で息をしているリリルカだった。

 

「そういうのいいから!二人とも早く戻ってください!手が足りないんですぅ!!」

 

言うが早いか、空の瓶を投げ捨てて、二人の首根っこを掴んで前線に引きずっていく。その顔は「ラブコメは他所でやれ!肉盾(タンク)はよう!」と如実に語っていた。

…別に勝負下着まで用意した自分のラブチャンスを不意にされた鬱憤を、他人の恋路で晴らそうとか、そういう意図は全くない。見つめ合う二人にジェラシーを燃やして、虎の子の高価な高等回復薬(ハイポーション)を使ってまで邪魔してやろうとか、そんなことはないのだ。イイネ?

 

実際、瞬く間に傷口を塞いだゴライアスは、何事もなかったかのようにノシノシとリヴィラに迫っている。しかも、ロイドを焼いた怪光線を時折薙ぎ払うように乱発するので、危なくて迂闊に近づけない。

踏みつけや拳の一撃を受けかねない足元だけが、ある意味唯一の安全地帯だったが、おかげで前衛盾役(ウォール)の手が足りなかった。生きてるのなら、高価なお薬をガンガン使って無理矢理にでもコキ使わねばならない。

 

「邪魔スルナァアアア!!アノ女以外ニ用ハナイ!!!」

 

いい加減鬱陶しくなったのか、頭頂部から生えている穢れた精霊が、身の毛もよだつ咆哮を上げた。

しかし、「あの女」とは、よほど憎い仇なのだろうかと、叫び声を聞いた者は首を傾げた。こんなとんでもない怪物にここまで憎まれているとは、よほどの悪魔的所業をしたのだろう。

 

「煩ワシイ!纏メテ消エロ…!!」

 

それまでは適当に反撃していたのを一転、穢れた精霊は眼下の蛆虫(冒険者)を睨みつけると、明確な敵意をむけて魔法を詠唱し始めた。どうやら本命の前に、小うるさいのを片付ける気になったようだ。

 

【火ヨ来タレ────】

 

その場に集った冒険者たちは、またあの光線が来るかと身構えた。だが、詠唱は途切れることなく続いていく。一斉に血の気が引いた。

基本的に魔法というものは、詠唱が長ければ長いほど効果が強い。

さて、たった数文の詠唱ですら、あの雷を束ねたかのような凄まじい威力の魔法となった。なら、それを超える超長文の詠唱から繰り出される魔法の威力は、いったいどれほどか?

 

「ぜ、全員退避!!!逃げろ!!」

 

マックダンが叫ぶと同時に、全員が脱兎のごとく駆け出したが、一人だけその場で呆然と見上げるものがいた。 リュー・リオンだ。

百戦錬磨のエルフの戦士は、目を見開き、口を半ば開けたまま自失している。その顔は如実に語っていた。「あ、コレ撃たせたらアカン」と。

リューは理解してしまった。人が扱える量をはるかに超える、おぞましいまでの魔力が集積しているのを。

 

「ダメだ!撃たせるな!!」

 

そう理解した瞬間には、駆け出していた。

 

穢れた精霊は詠唱を続けながら、駆け寄るリューに巨大な右腕を振り上げた。ヒラリと回避し、その伸び切った関節に鋭く斬撃を放つが、まるで堪えていない。

これでも並みの下層モンスターが相手なら、当たり所が良ければ致命の一撃(クリティカル・ヒット)となるくらい威力があるのだが、あの黒いゴライアスは大きすぎるし硬すぎた。必然的に、狙いは限られる。

 

リューは勢いをつけて跳躍した。飛翔するかのようだった。

当然、穢れた精霊は反応する。リューの勢いが衰え、無防備になったところを今度は両手で薙ぐ。

ところが寸前でリューはその指先を蹴って軌道を変えた。身体能力、バランス感覚、目の良さ、度胸、何もかもが尋常ではなかった。

呪文を詠唱する最中の穢れた精霊の本体めがけて、何度も体表を蹴り距離を縮める。いよいよあと十歩あまりの距離に達したとき、腰の二刀を両手に引き抜いた。

 

「……ッグ!!」

 

そこで、横合いから地に叩き伏せられた。

悲鳴を噛み殺して己を襲ったものを見据えれば、緑色をした触手のようなものがゴライアスから生えている。

 

遠目に見守っていたヘルメスはその正体を見抜いた。

 

食人花(ヴィオラス)…!!」

 

黒い皮膚を突き破り、無数の触手が吹き出した。見る間に巨体を覆い尽くし、鎌首をもたげて威嚇する。

 

そうこうするうちに、長い長い詠唱が完了した。

穢れたの精霊の口元に生じた蝋燭の火を思わせるような小さな焔。穢れた聖霊は悪意に満ちた表情で、それに息を吹きかけようとしている。それが魔法を完成させる、最後の動作。かつて59階層で猛威を振るい、都市最高のロキ・ファミリアを壊滅寸前に追いやった超広域殲滅魔法。

 

【ファイア・スト……!!】

 

絶望の炎が放たれ、18階層そのものを焼き尽くさんとした、その時。

 

【燃え尽きろ、外法の業】!!!

 

今まさに形を成そうとしていた大魔法が、一瞬にして崩れた。さらに、制御を失った魔力は巨大な爆発となって、穢れた精霊自身を襲う。

 

「ギャィアアアア!!!」

 

誰もが魂消るような悲鳴を上げながら仰反るゴライアスの巨体を、呆気にとられて見守っていた。

 

「…あ、あれ?うそ、決まっちまった?」

 

むしろ困惑するように、魔法を放った姿勢のまま首を傾げたのはこの場において唯一人、最弱のLv.1。しかも戦闘を得意としないへファイストス・ファミリアの鍛治師、ヴェルフ・クロッゾだった。

 

穢れた精霊の魔法を食い止めたのは彼が使える唯一の魔法、対魔力魔法(アンチ・マジック・ファイア)『ウィル・オ・ウィスプ』。

対象が魔法あるいは魔法属性の攻撃を発動する際、タイミングを合わせて発動する事で自動的に失敗(ファンブル)させ、魔力暴発(イグニス・ファトゥス)を誘発、自爆させる。

その威力は対象の魔力の量に比例するのだが、人間が使う魔法とは比べ物にならない魔力の込められたソレは、絶大な威力を発揮して穢れたゴライアスの半身を吹き飛ばした。

 

「オォォマァエェエエエ……!!ジャ、邪魔シタナ!!ワタシノ魔法ヲォオ!!アイツミタイニ!!アノ女ミタイニ、邪魔シタナアアアア!!!」

 

ダメージは穢れた精霊本体にも及んでいる。本来は美しいといって差し支えない顔は焼け爛れ、煤に塗れて薄汚れていた。だが怒り心頭に発し、表情は悪鬼のように歪み、在らん限りの憎しみを湛えてヴェルフを睨む。負ったダメージ以上に、かつて受けたトラウマを抉り出される行為への憎悪が、遥かに勝っていた。

 

「き、傷が!」

 

「嘘だろ、これでも治っちまうのかよ!!」

 

遠巻きに見守っていた冒険者達から悲鳴が上がる。

ゴライアスの抉れた傷口から、原色の緑をした肉塊が溢れた。無数の触人花が、ゴライアスの巨軀を苗床として爆発的に成長。本来のゴライアスの魔石から滋養を搾り取り、魔力に換え、傷を癒し、侵す。

今や触手の集合体のような有様になった異形の巨人は、歩き出した。怒りに我を忘れ、獰猛な獣さながらに、ヴェルフを目指して。

 

こんなのに追いかけられる方こそ、たまったものではない。

 

「うおおおお〜!!ふざけろッ!こっち来んな!!」

 

文字通り、レベル違いの相手に全力で敵視されたヴェルフは、涙目で逃げている。必死である。が、悲しいかな彼は未だLv.1。ステイタスの差は歴然で、忽ち追いつかれてしまう。

ゴライアスから生えた食人花(ヴィオラス)の一本が伸びて、ヴェルフを食い殺そうと不揃いの牙が生え揃った口を開いた。

 

その鎌首は大剣の一撃で逸らされる。

 

「野郎ども、ヴェルフを守れ!!あの魔法に対処できるのはあいつだけだ!」

 

マックダンが大剣を振り切った姿勢のまま吠えると、その場の全員が一斉に動く。剣を構え、槍を突き出し、盾を備え、弓を引き絞った。

 

だが、止まらない。

 

あるいは、通常のゴライアスならば十分に押し留められたのかもしれないが、穢れた精霊に寄生された異形の魔物の足を止めるにはまるで足りなかった。打撃は通らず、刃は切り裂けず、矢は表皮に刺されど相手は構わず動き続ける。

とにかく体表が硬い。生半可な攻撃は弾かれる。しかも、魔法や魔剣で傷つけても、すぐに治ってしまう。チクチク攻撃してはいるが、足止めもままならない。

怒りに我を忘れた穢れた精霊は、地響きを立ててヴェルフに迫っている。もう距離は一歩もない。

 

「アハハハハ!!潰レロォオオオ!!」

 

突進のスピードを殺さぬまま、虫けらのように踏み潰すつもりだ。

もうダメかと思われた、次の瞬間。

 

「《束縛する地獄の鎖(バインド・オブ・ヘルズチェーン)》!!」

 

何処からともなく赤色に輝く鎖が群れを成して現れ、ゴライアスの全身をガチガチに拘束した。

それは、かつて怪物祭にて三つ首のモンスター(ケルベロス)を捕らえるのに使われた、対象のカルマ値がマイナスであればあるほど強い拘束効果を発揮する第八位階魔法。

 

「こいつ、案外カルマ値は低くねーですわ。……ま、それはともかくとして、高いところから失礼致します!」

 

突如として、謎の声が響き渡る。

 

「誰だ?!」「どこよ?!」 「あそこだ!」

 

誰かが指差したのは、リヴィラに続く高台の先端。

 

「来てくれたんだ!!」「姉御ォ!!会いたかったっす!!」 「…ちょっと、ロイド?」「…うへ、あの人来ちゃったんですか⁈」

 

歓喜の声を上げるもの、悲喜交々に顔色を変えるもの。

あるいは純粋な困惑、さもなければ希望。

その人物に向けられた感情は千差万別であった。

 

「天が呼ぶ、地が呼ぶ、人が呼ぶ! 悪を倒せと私を呼ぶ!」

 

長く伸びる豪奢な縦ロールの金髪。

薔薇の細工も見事な鎧。

背にはベルベットのマントがはためく。

その突き出された両手からは、赤く輝く鎖が伸びていた。

 

「お聞きなさい、邪悪な怪物!!愛と正義の美少女戦士、キルト!新たな時代に誘われて、華麗に活躍ですわ!!」

 

暇つぶしに眺めていた古今東西の映像プログラムから、適当にチョイスした台詞を並べ立てたド派手な登場。

当然のごとくその場に集った冒険者達は、口を開けて呆然とした様子でキルトを眺めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…さて、話はキル子が18階層に設置したグリーンシークレットハウスへ、転移門の鏡を通り抜けてやってきた時に巻き戻る。

 

「うぉおおおおお!!ベルきゅんはどこだぁあああ!!」

 

雄叫びを上げて飛び込んできたキル子を、ニンジャ達は頭を下げて出迎えた。

 

「おかえりなさいませ、キル子様」

 

「ご苦労様!とりあえず状況を教えて…ん?この連中は何?」

 

床の上にリヴィラの冒険者らしき男達が数名ほど倒れて、ニンジャ達に取り押さえられていた。ここ最近増えている同業者の嫌がらせだろうか。

 

「幻術トラップにかかった不審者で御座います。どうやら透明化の能力を持っている様子。ひとまず対処を伺うべく捕らえました」

 

「ほぅ?」

 

どうやら脇に置かれたダサい形をした奇妙な兜が、透明化できるマジックアイテムらしい。姿が透明になるだけで音や臭い、気配等は遮断できず、感知系の魔法やスキルも誤魔化せないようだ。それでは感知能力に長けたニンジャ達が相手では、何も対策していないのと同じである。

 

キル子はたちまち興味を失うと、適当に処理するように申し付けた。つまりは魚の餌だ。今はそんなものに関わっている暇はない。

 

「そんなことより、ベルきゅんよ!!」

 

標的の印(ターゲットサイン)】で確認したところ、ベート・ローガはすでにリヴィラを離れているようなので、もっぱらキル子の関心はベル・クラネルの身の安全に注がれている。

ぶっちゃけた話、ベルさえ無事ならリヴィラが壊滅しようが、巻き添えになって冒険者が何人死のうが、どうでも良い。 いざとなればグリーン・シークレット・ハウスを畳んでインベントリに突っ込んで、ベルだけ抱えて逃げればキル子的には被害はゼロだ。

 

だが、ここで尻をまくると後でボールスあたりのリヴィラで幅を利かせているヤクザ・クランに後ろ指を差されてしまう。おそらくあの隻眼の強面ならこう言う。「オドレ、落とし前どうつけんねん?二度とリヴィラのシマ使わさんぞ、ゴルァ!」

つまりは、ムラハチ案件である。

 

流石のキル子も身に染み付いた日本人としての本能で、ムラハチは恐ろしい。

マッポー社会を睥睨する上級国民(カチグミ・サラリマン)ですら恐れるムラハチは、キル子のような下層民にとっては魂レベルで恐怖が染み付いており、実際コワイ。

かつての会社時代、ニュービーに命じられる伝統のオチャクミにおいて、チャを出す順番を間違えて社内カーストを前後し、ムラハチされたのは悪夢の記憶だった。あなおそろしや、オツボネサマ。

 

それにリヴィラに開いたキル子の店は今や貴重なドル箱である。

転移門の鏡を使ってオラリオ市内で買い叩いた商品を、適当に値付けをして並べておくだけで次から次へと売れていく。ウハウハだ。

ここまでボロい小遣い稼ぎになるとは思わなかった。気分はイノベーション的にロクロを回す意識高い系経営者だ。 このベネフィットを理解できない心無い同業者の嫌がらせが増えた気もしたが、些細なことだから気にしない。

おかげでキル子の懐は暖かいが、やたら忙しくなった。バッファがオーバーでフローしそうだったが、ここで頼れる外部のアライアンスが、有益な提案をもたらした。ボールス・エルダーの手下のサンシタを、下請けとしてアサインしたのだ。手間のかかるところは、コストカットでアウトソーシングである。もちろん、イケメンはキル子が個別対応重点!

 

これを捨てるなんてとんでもない!何とかしてこのビッグなイッシューのソリューションをひねり出さなくては!!

 

と、天井からハンゾウの一体が下りてきて、その場に平伏した。どうやら偵察に出ていたようだ。

 

「御注進致します。巨人はリヴィラの手前にて居合わせた冒険者と交戦中、されど劣勢にて総崩れは時間の問題かと。また、リヴィラの住人は未だ大半が混乱し、統制はとれておりませぬ。なお、意中のベル・クラネル殿はお仲間ともども最前線におられます」

 

如才ないハンゾウの報告に、キル子は頭を抱えた。

 

ガッデム!なんということでしょう!

 

「うう…まあ、ベルきゅんならそうするよなぁ…ベルきゅんだもんなぁ…そら魂のイケメン行動しますわぇ…ウヒヒヒヒ!」

 

マジ爽やか系王子様!惚れた、抱いて、うちに来て私をF○ckしていい!

 

「…っといけない。混乱してる場合じゃねーわ。マジどうすっか?」

 

ひとまず《遠隔視(クレヤボヤンス)》を発動して現場を確認する。

キル子が【死神の眼】で見たところ、あのどっかで見たようなのを頭から生やした巨人型は、見た目ほどHP量は多くない。ただし、HP回復というボスモンスターに許されざるチートに手を出していやがる。回復するボスとか、流石にユグドラシルの運営ですら滅多に出さなかったぞ、クソが!

キル子のビルドは徹頭徹尾、対人特化。MOBが相手では相性次第で格下相手にも不覚を取りかねない。ニンジャ系NPC達も人間タイプとして街中での使いやすさで選んでいるので、多人数相手の戦闘ならともかく、ボス相手の討伐戦は苦手だ。

 

そういうのは、ボス狩り特化型のガチレイド勢にでも任せるべきだ。

奴らはキル子のような対人戦に燃えるガチ勢とはまた別の方向性に極まった廃人様で、新規実装されたワールドエネミーの最速討伐や、最高難易度のボスエネミーの討伐レコードを1秒でも短くすることにのみ関心を持つキチガイだった。

最栄期のユグドラシルにはそういう連中が一定数いたもので、しかも対人向けのビルドでは決してない癖に、いざやり合うとやたらめったら強かった。まあ、歯応えのある獲物だった。

 

「…!そうだ、ロキ・ファミリアは?!確か、まだここに滞在してるよね?」

 

そう、こういう時は餅は餅屋。専門家に丸投げしてしまえばいいのだ。

ベートは下層に降りているようだが、幹部クラスが何人か残っていれば儲けもの。この際、あの小癪な金髪小娘(アイズ・ヴァレンシュタイン)でもかまわない。

 

「それが解毒治療が終わったと同時に、皆さま総出で下層に向かわれました。おそらく、あと半日は戻ってこないものかと…」

 

チキショウメー!にゃろう、いざというときに役にたちゃしねぇ!

 

つい先日、ロキ・ファミリアは一人も失うことなく59階層の死闘を制し、遠征を成功させた。しかし、その代償は大きい。

参加者は軒並み高価な武具を損壊させ、魔剣や万能薬(エリクサー)といった消耗品も消費しつくした。しかも帰還途中で多くの団員がモンスターから毒を受けたために解毒薬が必要となり、なけなしの貯えまで払底する始末。挙句の果てに、よりによってキル子などに借金を背負ってしまった。まさに踏んだり蹴ったりだ。

事実上、現在のロキ・ファミリアは財政破綻している。当然、オラリオに帰還する前に、稼げるだけ稼いでおきたい。

拠点にしているキル子のグリーン・シークレット・ハウスには、下手な団員より強いニンジャ達が常駐している。後顧の憂いがないため、動ける団員は一人残らず引き連れて、彼らは下層で金策していた。

 

キル子としてはなるべく多く借金を背負わせてカタにはめ、愛しの旦那様(ベート)の職場との仲を円滑にしたかったのだが、債務者(ロキ・ファミリア)だって馬鹿ではない。胡散臭い女(キル子)からの借金は、早く返したいに決まっている。至極当然だ。自業自得である。

 

「…ということは、レイドボスとマジでガチンコしながら、リヴィラの屑どもの手綱を握らなあかんのか?!」

 

以前、顔役のボールス・エルダーが指摘した通り、普段は反目していても街そのものの危機には共に立ち向かうという暗黙の了解がある。だが正直、あの荒くれどもと肩を並べるなど、キル子としては論外だ。

 

何故かリヴィラの住人どもには、キル子には身に覚えの全くない逆恨みを抱く者が数多い。キル子が戦場に現れたら、これ幸いと後ろから卑劣なバックアタックを仕掛けてくるだろう。乱戦中だ、言い訳なんぞどうとでもなる。変装して野良パーティーに潜り込んでからのMPKとか、昔はよくやったからなぁ!

あるいは騒ぎに乗じ、手薄な店の方に突撃して火事場泥棒を働こうとするかもしれない。クソが、こちとら善良な商売しかしとらんのだぞ!

実際、スキルで変装して味方のふりをし、バックアタックを決めるのはキル子の18番。相手がやられたら嫌なことは、自分がやられて嫌なこと。任せろ私は詳しいんだ!

 

「…やっぱりニンジャの半分は拠点に残さざるを得ない。人間の敵は所詮、人間だね」

 

いざとなればナザリックの自室や宝物庫からたんまりと持ち込んでいる巻物(スクロール)や魔封じの水晶を使って、第10位階魔法クラスを絨毯爆撃かませば、あの程度のボスならどうにかなる。

その際は、ボスに群がる有象無象の冒険者どもも、巻き添えになるだろう。それは一向にかまわないが、うっかりベル・クラネルを巻き込みかねないうえに、出費が痛い。

何せ、ユグドラシル由来の消耗品アイテムは、現状、再入手できない。腐るほどある中級ポーション程度ならともなく、キル子の使えない呪文が詰められたクリスタルや巻物(スクロール)類は、今や貴重な虎の子だ。

こんなことなら生産系NPCの召喚アイテムを持ち歩いておけばよかったと後悔したが、今更の話である。ユグドラシル金貨だけなら、手に入れる目算があるのだが…

 

それに、問題はそれだけではない。

 

「…あの小姑(ロキ)に気付かれないわけがないんだよなぁ。手の内は隠しておきたいけど、ついさっきまでホームでおしゃべりしてたわけだしねぇ。これ以上弱みを握られるのは避けたい、マジで」

 

地上から18階層までは、慣れた第一級冒険者の足でも半日はかかる。つい先ほどまで黄昏の館でロキと会談をしていた筈のキル子が、時をおかずしてダンジョン18階層のリヴィラに現れるというのは、オラリオの常識に照らせばあり得ない。そんな状況でキル子自身が派手に暴れると、ロキは間違いなく聞きつけるだろうし、いらんことに気付くだろう。

忌々しいが、あのツルペタ女はやたらと頭が切れるし、勘もいい。伊達に千年クラスの大年増はやってない。

 

リアル頭脳チートの「ぷにっと萌え」や「モモンガ」あたりならともかく、少なくともキル子にはロキを誤魔化せる自信は無かった。万が一、秘匿している転移門の鏡あたりがバレたら目も当てられない。

 

「…むしろギルマスあたりなら口八丁で騙くらかして、ベート様とかファミリアから引き抜いたりしてくれたり結婚式の準備とかしてくれるはず…流石ギルマス、マジチートェ…!」

 

かつてのギルメンに対する謎の信頼感を発揮して現実逃避するキル子だったが、そこで天啓が下った。

 

『トリニティに喧嘩を売られた?キル子さん、2ch連合に成りすまして奴らにその罪をなすりつけましょう。後は適当に双方を煽って潰し合いさせればいいんです』

 

キル子のニューロン内に突如として降臨した某お骨様の幻影が、実際適切なインストラクションを授けた!

まったくもって荒唐無稽な妄想であるが、溺れる者は藁をもつかむのである。

 

「それだ!!!」

 

さっすがギルマス!!素敵!!でも抱かれたくない。だって所詮骨だし、中身は残念なモブ男の匂いがするから。多分、童貞だし。

本人が聞いたら挙動不審になりながら慌てて否定したであろう。

 

そう、何も馬鹿正直に『キル子』が矢面に立つ必要は無いのだ。『キル子』は生憎留守だったことにすればいい。あとはニンジャ達に適当に支援させれば、ボールスへも面目は立つ。

だいたいベートのいない今『キル子』が出張って活躍したところで、何のメリットもないではないか。そして相手がベルならば、うってつけの外装がある!

 

というわけで…

 

「オーッホッホッホ!オラリオよ、私は戻ってきた!!悪役令嬢キルト、恥ずかしながら出戻りデビューですわ!!」

 

かくして、その場には豪奢な金髪縦ロールの髪を靡かせて、『キルト』が出現したのだった。

 

テンションを爆上げして高笑いを放つキル子だが、それを「何やってんだコイツ」とでも言いたげな目をしたニンジャ達が呆れながら眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 




低気圧が来ると、右足に埋め込んだ金属プレートがうずくんや。天気予報人間になった気分。

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