ダンジョンにユグドラシルの極悪PKがいるのは間違っているだろうか? 作:龍華樹
オラリオの町で最も巨大な建物、バベルの塔。
その中層の、おそらくは集合住宅の一室か何かのベランダに腰掛けて、キル子は途方に暮れていた。
ちなみに家主は不在なのか、締め切られたガラス戸の向こうに人の気配はない。もっとも、不可視化系の最上位スキルを使っているので、例え正面から直視されたところで、キル子の姿に気付くことはないだろう。
既に日は中天にさしかかっている。
手元の数珠型腕時計に目をやれば、サービス終了予定時刻から、既に半日ほどたった計算になるが、キル子は未だにこの世界に取り残されていた。
運営からシステムエラーやメンテナンスの告知はなく、コンソール画面はいっこうに開かない。ログアウト処理は実行されず、ゲーム外に連絡を取ることも出来ない。
藁にもすがる思いで《
何が何やら分からず、途方に暮れたまま現在に至る。
そもそも眼下に広がるオラリオという街、少なくともユグドラシルにこんな都市型フィールドは存在しない。キル子とてユグドラシルを隅から隅まで巡ったことがあるわけではないが、こんな大規模な都市ならば耳にしたことくらいはあるはずだ。
あるいは、新規に実装されたフィールドかとも思ったが、採算が合わなくなってサービス終了間際のゲームに今更新規アップデートもないだろう。
いや、それ以前にここは本当にゲームの中なのか、キル子は自信を持てなくなっていた。
ここがゲーム内だとすると、あまりにも違和感が大きいのである。
違和感を感じた切っ掛けは、ユグドラシルをはじめとするDMMOではシステム的にあり得ない、視覚以外の五感を感じることができたことだ。
キル子は日が昇るにつれて増えてきた人混みを避け、建物の屋上沿いを物理ステータスに任せて跳躍して移動しつつ、見慣れぬ町の風景を観察していたのだが、その際に頬をくすぐり、髪をなでる風を感じた。なにより、空気がうまかった。人工心肺を使わず、これほどの空気を思う様堪能できるのは、リアルではアーコロジーに住まう極一部の富裕層だけだろう。
どちらも、ユグドラシルの常識ではありえない。触覚や嗅覚といった感覚を感じ取る機能は、電脳法上の制約や技術的な困難さから、実装には未だ至っていない筈だ。
思わず自分の頬をつねってみれば、痛みを感じることすらできた。どうやら、夢ではないらしい。
流石にこれはおかしいと思い、その気になって差異を確認してみれば、いくらでも疑問が沸いた。
単なる画像データに過ぎず、決して無表情から変化しないはずなのにちょっとした動作や、内心に応じて自在に動く表情筋。
どれだけの数がいるのか分からないほど大量の、それも一人一人が決まり切ったルーチンを実行しているだけの単純なNPCだとはとても思えない、町の住民達。
極めつけは、そこらに軒を連ねる屋台から適当な総菜――ジャガ丸くんとか言うらしい、童顔で巨乳でツインテールという属性満載な売り子が声を張り上げているのを耳にした――を失敬した時のことだ。
本来、ユグドラシルでは、アンデッド系異形種は飲食不可のバッドステータスを持っているため、飲み食いすることはできない。だが、キル子はアサシン系職業を極めているため、【
擬態化している間は異形種の強みである種族固有の特殊能力が封印されるし、基礎ステータスも人間種に準じた値に変更されて大幅に下がってしまうので、滅多に使うものではないのだが、こういう時は便利だ。
キル子はジャガ丸くんなる揚げ物を、まず手にとってみた。生暖かく火ぶくれした表面のザラザラした手触りを感じ、香辛料のふんだんに使われていると思しき香ばしい臭いを嗅ぐ。食欲をそそられ、たまらず口中に放り込んで塩と芋、中に仕込まれたチーズの味を堪能した。
うまい。正直にそう思う。普段口にしている人造タンパク質をこねくり回して作られたマスプロ合成食品とは比べものにならない。
ついつい屋台からさらなる大量の総菜を頂戴して、貪るように食べてしまったのも仕方のないことだろう。
例の童顔巨乳ツインテールの売り子にはユグドラシル金貨を置いてきたので、何も問題はないはずだ。
「ジャガ丸くんが消えたと思ったら、なんか金貨がジャラジャラ降ってきた?!」という絶叫に、慌ててその場を後にしたのも全く問題はない…はずだ。
逃げ出した先の路地裏で、油でベトベトになった手をぬぐいながら、キル子はもう此処がゲームの中だとは思えなくなっていた。あまりにリアルに近すぎるのだ。
かといってゲームが現実になったなどと、他人に喋ったら頭がおかしいと疑われても仕方がないとも思う。
あるいはこれは現実に疲れ切った自分の脳が生み出した、都合のいい夢で、時間がくれば無慈悲に現実に連れ戻されるのだろうか?
さもなければ、自分は既に死んでいるのか?ゲーム中に心停止とか、満足な食事もとれずに過酷な労働を強いられ、体中ボロボロになった低所得労働者にはよくあることだ。
となると、これはゲームをしながら死にかけた自分が見ている胡蝶の夢か、あるいはクソッタレな神様とやらが哀れんで、面白そうな世界に放り込んでくれたとでも言うのだろうか?Fuck!!
まあ、どれでもいいか、とキル子は思った。
どれが正解だったとしても、正直、かまいはしない。
キル子は天涯孤独の身だ。物心つかない頃に施設に放り込まれて、労働年齢に達するまではそこで暮らしていた。家族はいないし、親しい友人はゲームの中にしかいない。ついでに言うと、環境が汚染され尽くされ、格差社会のきわまった、あんなろくでもない世界にも今更未練はない。
アディショナルタイムがどれだけ残されているのかは知らないが、その時がくるまではこの状況を楽しんでしまえばいい。ただそれだけのこと。 諦観したとも言う。どのみち、ログアウトできないなら、どうにもならない。現実逃避だと笑うのなら笑え、だ。
そうして腹をくくってしまうと、なんだか楽しくなってくる。
こそこそ姿を隠して、遠くから眺めているだけでは物足りない。 適当に変装して、街に繰り出すことにしよう。
見てまわった感じだと、オラリオは複数の種族が入り交じった都市のようだが、アンデッドをはじめとする異形種の姿は見あたらなかった。あるいは目に付かないところには居るのかも知れないが、用心に越したことはない。このまま一番数の多そうな人間種に化けていれば、さほど騒ぎにならずにすむだろう。
念のために、【
さらに【
青白い肌は健康的な肌色に、血走った目はごく普通の黒い瞳に、黄ばんだ乱ぐい歯がびっしりと生えそろう口元は、薄紅色に色づく形の良い人間のそれに。ついでにボサボサの髪もそれなりに整えておく。
最後に【
これにレベルや職業を偽装するスキルを併用すると、野良パーティに参加して、だまし討ちPKを行う準備が整うのだが、今は別に必要ないだろう。
その気になれば体格や顔かたち、あるいは性別すら自在に変えることも出来るが、今はPKのリベンジを狙う連中に追われているとか、そういう切羽詰まった状況ではないので、この程度で十分だ。
「では、適当にぶらついてみますかね」
良いPKには、まず入念な下調べが必要不可欠。
我知らず、キル子はちろりと唇を舐めまわした。
キル子が真っ先に向かったのは、例の総菜の屋台だった。
「もし、そこの童顔で巨乳でツインテールの方」
先ほどの売り子の少女がキル子が置いていった金貨の山を前にして、難しい顔でうんうんと唸っている。
「ひょっとしてそれはボクのことかな?!未だかつてそんな端的に特徴をあげつらった呼ばれ方をしたことはないよ?!」
プルンプルンと身長に比べて大きな胸を揺らし、少女は抗議の声を上げた。
よく観察すると、白い超ミニのワンピースに、青い紐を纏わり付かせた珍妙な格好をしている。あるいはこれがこの町の流行の服なのかも知れない。
まず、キル子はペコリと頭を下げてアイサツをした。アイサツは大事だ。
「先ほどは大変失礼をしました。貴方の売っておられるお総菜が余りに美味しそうだったので、つい行儀悪くつまみ食いをしてしまいました。一応、代金は置いていったつもりなのですが、足りなかったでしょうか?」
「この金貨は君のかい!!逆だよ、多すぎるよ!!」
売り子の少女は涙目になって金貨の山を指さした。
「ジャガ丸くんは1個30ヴァリスだからね。さすがに貰いすぎさ」
「ははぁ、オラリオは物価が安いのですね。良いことです」
キル子が置いていった金貨はユグドラシルのゲーム内通貨である。ユグドラシルでは空腹のバッドステータスを緩和する飲食アイテムの、最下級のパンひとつがおよそ10枚なので、1000枚も置いておけば十分だと思ったのだが。
なお、キル子の手持ち資金は今現在10億を超えている。もちろん、アルフヘイムで最後にPKした連中から奪いに奪った分である。装備アイテムも、あらかた掠奪済みだ。
どうせ最終日なのに、何故わざわざそんなことをしたのかと問われれば、その方が愉快痛快だからだとしか答えられない。他人が汗水垂らして手に入れたレアアイテムを奪うのは格別である。奪われた連中の恨みと嘆きの声は、キル子にとって日々の仕事のストレスを癒す最高の清涼剤だった。
この分ならしばらく資金の心配はしなくて良いだろう。出来ればオラリオで使われているというヴァリスなる通貨に両替しておきたい。
そんな皮算用をたてているキル子に、少女は小首をかしげてみせた。
「…?君はもしかして、オラリオにきたばかりなのかな?」
「ええ、アルフヘイムのセントラルから飛ばされてきたばかりですが、勝手が分からず右往左往していたところです」
キル子は適当に答えた。まあ、嘘ではない。
「アルフヘイム?聞いたことないなあ。よっぽど遠い所から来たんだね」
売り子の少女は納得するように頷いた。どうやら、オラリオでは田舎からお上りさんが出てくるのは珍しくないらしい。
「そういうことなら、このお金は返すね。何にしろ先立つものは必要になるだろう。大事に使うんだよ」
キル子は驚愕した。世の中にこんな発想をする人間がいるなんて、想像だにしなかった。
「いえ、そういうわけには参りません。食べた分はお支払いしないといけませんし、私はまだこの町の通貨を持っていませんので」
「なーに、気にしなくていいよ。どうせ3000ヴァリスにもならないさ!」
朗らかに笑いながら、金貨を返そうとしてくる少女を、キル子は珍獣を見る目つきで眺めた。
キル子のいたリアルの会社は控えめに言っても、人間関係の良いところではない。ノルマに追われ、残業に追われ、週に一度あるかないかの休日は一日寝て過ごすのが当たり前。誰もが人を気遣う余裕など無かった。 その吐け口というか、ストレス解消の手段がキル子にとってのPKだ。
いや、このご時世、社会全体が環境汚染と極度の貧富の差によって形作られたディストピアのようなもので、どこもかしこも人の心は荒みきっている。
そんな荒んだ環境に生きてきたキル子にしてみれば、この少女はひどく奇妙な存在に思えた。
「…奇特な方だ。それでは、こうしましょう。御察しのとおり、私はこの町に着いたばかりで、右も左も分かりません。色々と教えて頂ければ大変に助かります。その謝礼ということなら、いかが?」
「う~ん、そういうことなら町を案内するのは、やぶさかじゃないよ。どうせ今日売る分のジャガ丸くんは、君が全部食べてしまったからね。でも、流石にそれは貰い過ぎかな」
チョロい。いや、いい情報源を捕まえられたのは、幸先が良いと思おう。
「ではよろしくお願いします。私はキル子と申します」
言ってしまってから気付いたが、迂闊である。わざわざスキルで変更しているのに、うっかりユニークネームを名乗ってしまった。
「キルコ君だね。ボクはヘスティア、こう見えても神様だよ。よろしくね」
…神?
あなたは神を信じますか、と宗教に勧誘されることはあれど、自己紹介で自分は神様だと言われたら、どう反応して良いのだろうか?
さて、いきなりの神様発言はともかくとして、町の要所を案内されながら、 キル子はヘスティアにオラリオの成り立ちをかいつまんで話してもらった。
曰く、オラリオは世界で唯一「迷宮」が存在する都市。
迷宮内に発生するモンスターを倒して得られる魔石や素材を求めて、世界中から人が集まってくる世界一の大都市であるらしい。
千年前に天から降りてきた神々の多くがここに居を構えていて、人の成長を加速させる神の恩恵を施しているという。これにより、人間はモンスターに対抗する力を得ることができるのだとか。キル子の目の前で、ツインテールと巨乳を揺らしている少女、ヘスティアもその一人らしい。
商店街を通りかかる時など、マスコットのように神様と呼ばれ慕われていて、老人に握手されたり、子供らにつきまとわれたりしている。てっきり自分を神様だと思い込んだ頭の痛い子だと思っていたのだが…
ちなみに、同じ神に恩恵をもらう徒党を『ファミリア』と呼び、基本的にファミリア単位で迷宮に挑んでいるそうだ。
「そしてボクらが恩恵を与えてステータスを獲得した人間を、冒険者と呼ぶのさ!」
ヘスティアは胸を張った。身長に比べて大きな胸がプルプルと揺れている。先程からすれ違う通行人の目の半分は、彼女の胸に注がれている。神の威厳とやらは胸に現れているのだろう。
「しかし、見たところ、この街の住人の方々が全て恩恵を受けているようには見えませんねえ」
キル子は【死神の目】を使って、道行く人間をつぶさに観察していた。ほとんどの住人は、ユグドラシルのレベル1程度の力しか有していない。
「それはそうさ。ボクらも恩恵を与える相手は、それなりに選ばせてもらうからね」
「でもボクにはベルくんさえいてくれれば!」などと叫んで妙にクネクネしだした乳神様はさておいて、聞いた限りでは冒険者とはダンジョンに潜ってモンスターを退治することで日銭を稼ぎ、経験値を貯めてレベルを上げ、武器や防具を揃えて武力を備えるアウトローのようだ。つまり、ユグドラシルのプレイヤーとやってること自体は大差がない。
冒険者は恩恵を与えた主神ごとにファミリアなる徒党を組み、戦力の拡張に努めつつ、神の暇つぶしという名の気まぐれに従い、争うこともあるという。これも、恩恵と主神という部分に差異があるが、ユグドラシルのギルドやクランと似たようなものらしいので、わかりすい。
一応、冒険者ギルドとやらがオラリオの治安維持を務めているようだが、戦力としては第一級冒険者を抱え込んだ大手ファミリアには遠く及ばず、事実上の無法地帯とくれば、まんまヤクザか暴力団である。一瞬、「修羅の国オラリオ」なる謎のパワーワードが脳裏をよぎった。
とはいえ、聞いた限りでは彼らのやってることはユグドラシルに比べればずっとお行儀がいい。
なんせ、あちらでは唐突に街中でギルド同士のPK合戦が始まったり、機嫌の悪い魔法職がストレス解消に超位魔法ブッパして町ごと吹き飛ばしたり、召喚魔法や創造スキルで街中をモンスターだらけにしてMPKしたりする傍迷惑なDQNが割とよくいたものである。キル子などはその筆頭だった。
さて、ここまでの知識を得て、今後どうするかと考える。
順当にオラリオをプレイするならば、何処ぞのファミリアの門を叩き、恩恵とやらを受け取った上で、ダンジョンに挑む、といったところか。
だが、これにはいくつか懸念がある。
まず、仮に恩恵を受けたとして、それがユグドラシルのステータスとどのように噛み合うのか分からない。
恩恵は受け取った時点では誰であろうとレベル1、ステータスは最下級として記録されるという。もし、ユグドラシルのレベル100プレイヤーとしてのステータスが、恩恵に上書きされて、レベル1に戻されてしまったりしたら、さすがに困る。
次に、ファミリアである。本音を言えばこちらも辛い。
なにせ、キル子は基本ぼっちである。
ユグドラシルではフィールドを気ままに徘徊し、獲物を見繕って即PK、アイテムを奪って売り払うという、タチの悪いモンスターのようなものだった。
ギルドには所属していたが、ギルメンとは誘われれば一緒に行動する程度の仲である。アインズ・ウール・ゴウンは社会人ギルドなので、それなりにみんな空気が読めたし、ゲーム内でも特に行動を拘束されることはなかった。例外は敵対ギルドに対峙する時だったが、それこそPKフリークのキル子には望むところ。
そんなフリーダムなプレイスタイルを、アインズ・ウール・ゴウンは許容してくれた。本当に得難い連中だったと思う。
ヘスティアから聞きかじった限りでは、このオラリオのファミリアで、同じことができるとは思えない。
何より致命的なのは、キル子が異形種だということだ。
ヘスティアの話では、オラリオには、やはり異形種はいない。
エルフやドワーフ、獣人種などはいるようだが、ユグドラシルでは全て人間種に分類される。亜人種すらダンジョンのモンスターとしてしか出現しないようだ。アンデッドのキル子など、とても受け入れられまい。あるいは、人間種に化けて適当なファミリアに潜り込むというのも手だが…
「……」
「?…何だいキルコくん?」
「…いえ、ヘスティア様、お気になさらず」
そういう意味では、この目の前にいる神、ヘスティアは論外だ。
未だ恩恵を授けた眷属を一人しか持たないという小さな女神は、仮にキル子がファミリアに入りたいと申し出れば、快諾してくれる可能性が高い。そうすればアレコレと世話を焼いてくれるだろう。ヘスティアの面倒見の良さは、現在進行形で確認している。
つまりは、恩恵も持たせずに、眷属をダンジョンに放り込むような真似は、絶対に承諾しない筈だ。
…まあ、いい。知識は得た。次は、とにかく先立つ物が必要である。
所詮世の中お金が全て。金でできないことなどそうはない、というのはリアルでもユグドラシルでも共通した価値観だったのだから。
「ヘスティア様、故郷から持ってきた品、武器や防具なのですが。それを買い取ってもらえそうなお店に、心当たりはありませんか?」
"ボクのとっておきのお店を紹介するよ!"
そう大見得を切ったヘスティアに案内されたのは、この町で一層目立つ高層建築、バベルだった。
高さ50階はある摩天楼だが、元々は周囲の建物と大して変わらなかったらしい。下界に降りてきた最初の神々によってわざと破壊されるというお約束をされた後、そのお詫びとして再建された結果、巨大な塔になったそうだ。
建物自体はギルドが保有していて、20階層までは公共施設や換金所、各ファミリアの商業施設が軒を構えているという。
そのうちの一軒、ヘファイストス・ファミリアなる鍛冶師系のファミリアが経営する店舗が目的地だ。
ヘファイストスは鍛冶の神としては他の追随を許さないほどの技術を持っていて、それに裏打ちされたファミリアのブランドは冒険者の間で最も信頼が厚いという。
キル子のみたところ、店内は大型ホームセンター程度の広さがあり、いくつもの武具が種類別に丁寧に陳列されていた。高級な品はガラスのショーウィンドウに並んでいるようだが、一握りの高レベル冒険者が必要とする更にハイグレードな装備は受注生産方式になっているらしかった。
キル子は店内で一番目立つショーウィンドウに展示されていた、大ぶりの刀剣に《道具鑑定》の魔法を発動させた。鑑定系の魔法は、本来は魔法使いや商人系の職業に就いているものが取得できるのだが、PKで奪い取った武器や道具を品定めするのに便利なので、キル子は魔法を発動できるアイテムを常に持ち歩いている。
「武器属性、両手剣。特殊効果なし、基礎性能は精々おまけしてレリック級、耐久力だけはやや高め…ゴミだな」
ボソッと思わず口から出てしまった台詞を、耳ざとく聞いていた店員の額に青筋が立ったが、キル子は気付かなかった。
「素材はアダマンか。柔らかすぎるねぇ…」
鍛冶の神が直接経営していると聞いたので、超希少金属くらいは当たり前のように使っているのだろうと早合点していたせいか、落胆も大きい。残念ながら、この分ではキル子のメイン武装はおろか、補助武装のメンテナンスを任せられるかすら怪しかった。
キル子はアサシン、大枠で分ければ物理系攻撃職に分類される。手になじんだ近接武器の性能は命綱だ。
最高の性能を誇る神器級アイテムですら、お手入れは必須だ。レベル90台のMOBが大量に沸いて出る狩り場で、半日も狩りをすればすぐに耐久値に響いてくる。不朽不滅の世界級アイテムならその必要はないのだが、キル子がナザリックから持ち出してきた世界級アイテムは直接攻撃力のあるタイプではないし、何より純粋な武器性能は特化した神器級の方が上だ。
「ラインナップを見る限りでは、精々伝説級が任せられるかどうか。受注生産の方は一見さんお断りっぽいしなあ。しばらく型落ちの伝説級予備武装に変えて我慢するか…?」
時には妥協も必要だろう。それに、もう少し見て回れば腕の良い職人を見つくろうことも出来るかも知れない。今は、先に換金を済ませてしまおう。
「済みません、買い取りを希望しているのですが、よろしいですか」
何故か苦虫を噛んだような顔をしている店員に声をかけ、キル子はインベントリから取り出した武器や防具をカウンターの上に無造作に転がした。
重量のある片手斧、神聖属性を帯びた鈍器、オーソドックスな片手剣、身軽さを重視した軽戦士用の革鎧等々。全てユグドラシル産のアイテムだ。全部、アルフヘイムでのPKで手に入れた戦利品だ。
「え?!…今、何もないところから?」
「査定をお願いします」
「は、はい!少々お待ちください!」
店員は目を白黒させると慌てて店の奥へと引っ込んだ。
「キルコくん、なんかどれもこれもすっごく強そうなんだけど…」
ヘスティアも目をむいている。
「故郷から持ってきたものです。せいぜい二級品ですよ」
キル子は白けたようにカウンターに並べたアイテムを眺めた。神器級は一つもない。補正も微妙なものばかりである。狩りの成果としてはハズレだった。
伝説級でも補正がよくまとまっていると、最栄期のユグドラシルならプレイヤー間で10M単位で取引されることもあったが、神器級なら最低でも桁が一つ違う。果たしてオラリオではどの程度の値がつくことやら。
まあ、捨て値でもいっこうにかまわない。インベントリを圧迫するクズアイテムは早々に処分したかった。キル子はギルマスのモモンガのように、使わないアイテムを溜め込む癖はない。
やがて店の奥から、わらわらと人が集まってきた。みんな一様にキル子の出した武器を手に取ると、難しい顔で唸っている。彼らも冒険者なのだろう、一般人とは文字通りレベルが違う。キル子のみるところ全員レベル10から20の間くらいだろうか。
中には一人だけレベル40台が混じっているのが目を引いた。小柄な女性で、黒髪赤眼で左眼に眼帯を装着している。周囲の反応からして、この店でもそれなりの地位にいるらしい。
急にざわめきだした店内をよそに、キル子はマイペースにインベントリから煙管型マジックアイテムを取り出すと、一服つけだした。
ユグドラシルでは煙草はバフを得るためのアイテムだが、他の飲食系アイテムと異なり、飲食不可のアンデッドにも使用可能なので、キル子もよく使っていた。煙管も見た目重視で大枚はたいてあつらえた趣味の一品だ。
リアルでは重度の大気汚染のために人工心肺を取り付けなければ酸素供給すらままならないご時世だが、煙草などと言うのは一部の富裕層が完璧に環境を整えられたアーコロジーの中でのみ楽しめる望外の贅沢。しかも、楽しみのためにわざと心肺機能を汚すという無駄の極み以外のなにものでもない行為である。それを好きなだけ心ゆくまで味わえるのだから、贅沢な話だ。
ちなみに今ふかしている煙草は素早さが40%アップするバフを得られるというもので、甘いバニラミントの香りがいたくキル子の琴線に触れた。ユグドラシル時代に愛好していたクリティカル発生率アップの煙草は、きついメンソール味だったのでふかした瞬間にむせかえったが。
優雅に一服を楽しみながら、しばらく店員達が大慌てで右往左往する様を眺めていたのだが、不意にざわめきが止んだ。
「いったいどこの誰、これをもちこんだのは?」
周囲にそう尋ねたのは、男装をした赤髪の麗人だった。女にしてはタッパがあり、右目に眼帯をつけている。店員達が揃って頭を下げているので、たぶん店の中で一番偉い人間なのだろう。
「御店主ですか?それの査定をお願いしたのは私です。キル子と申します」
キル子は両手を合唱して深々と頭を下げた。アイサツは大事だ。
「ヘファイストス・ファミリアの主神、ヘファイストスよ」
なんと、神様だったらしい。言われてみれば自らの徒党を率いるその姿は、威厳に溢れている。どこぞのギルドの腰低すぎるお骨様に見習わせたいくらいである。
「これは私が故郷から持ち込んだものですが、もう必要がないので処分に困っていたところ、ヘスティア様にこちらのお店を紹介されましたもので」
「ヘスティア?」
ヘスティアの名前を出すと、ヘファイストスの雰囲気が明らかに変わった。
「や、やあ、ヘファイストス」
何故かキル子の背後に隠れていたヘスティアが顔だけ出して挨拶した。それを見たヘファイストスも何とも言えない顔をしている。
「…ひとまず、場所を移させてもらえないかしら?店先でこれ以上の騒ぎになると収拾がつかなくなるから」
はて、単に要らないものを売り払いたかっただけなのだが、何やらやらかしてしまったのだろうか?
どうにもユグドラシルのゲーム感覚が抜けておらず、知らぬうちに色々やらかしていたと気付いたのは、それからすぐのことだった。