ダンジョンにユグドラシルの極悪PKがいるのは間違っているだろうか?   作:龍華樹

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いつも誤字修正ありがとうございます


第20話

「…ふと昔読んだ古い漫画(コミック)の台詞を思い出したわ。

"RPGで最高までレベルを上げてからラスボスに挑むと、こちらは硬くてボスからダメージを受け付けないけど、敵も硬くて微々たるダメージしか与えられなくて時間がかかる"

…こんな感じだったかな?」

 

そこは、薄暗い空間だった。

 

ワールドアイテム『山河社稷図』。

その効果は、使用者含む相手やそのエリア全体を、全100種類からなる異空間から選んで隔離するというもの。

決着を付けたい相手と横槍を気にせず戦ったり、あるいは敵対集団を分断して罠に嵌めるには便利な道具だが、ある特殊な方法で異空間に閉じこめた相手に脱出されると、所持権限が相手に移ってしまうというデメリットも存在する。

かつてアインズ・ウール・ゴウンはこの方法で敵対ギルドから、このアイテムを奪った。

返してほしいとの連絡が後を絶たなかったのを、せせら笑ったものだ。

 

今回は適当にフィールドを選んだのだが、ちょうど懐かしきナザリックの第八階層を思わせる荒野だった。

 

「今、ちょうどそんな気分ね。特効能力が効かない相手だと、ゴッズを使っても私の攻撃力はせいぜい中の上。苦しめてごめんなさい」

 

キル子は完全武装だった。

異形種としての姿と能力を開放し、装備しているのは自らのビルドを最大限に生かす為に、手ずから製作したアイテムの数々。

身に纏う白単衣は回避特化型神器級防具『白夜』。また、手甲、腰帯、脚絆、下駄…その全てが同じく神器級装備だ。

指にはシンプルな金の指輪がずらりと嵌められており、耳には小さな金輪の耳飾り、首にはお守りが下げられ、左右の手には数珠。アクセサリー類も最高位の希少なアーティファクトで構成されている。

肝心要の武器は、余分な飾りの一切ない白鞘の小太刀が一振りのみ。

傍らには様々な毒蟲の彫刻が施された、巨大な棺が鎮座していた。

 

「…ウ、アァ……」

 

穢れた精霊は、死にかけていた。

 

切創、裂傷、擦過傷、裂挫創、刺創、咬傷、挫創、熱傷、凍傷、電撃傷…ありと凡ゆる種類の傷がつけられ、グズグズの肉の塊と化した巨軀。

ゴライアスと融合していた本体の下半身は断ち切られ、残されたのは上半身のみ。さらに右手は千切られ、左手は溶かされ、顔は血と涙と鼻水に塗れて殴打痕が生々しい。肌は至る所が変色し、数多の毒や致命的な病原菌、さらに〈石化〉や〈腐食〉、〈壊死〉といった状態異常に侵されていた。

 

半死半生の相手に、キル子は漆黒に染まった刃を突き付けている。

 

「まあ、いろいろと試せてよかったわ。そろそろ終わりにしましょう」

 

Deathscythe(死神の一撃)】で問答無用に抹殺してもよかった。

実際、この空間に引きずり込んだ当初はそのつもりだった。

 

だが、途中で考えを改めた。

今後も、こういった自分に刃を届かせうる能力を持った敵は出てくるだろう。

今までのように油断、慢心、環境の違いに安心していては、足をすくわれかねない。

 

だから、試すことにした。

キル子の持つ特殊能力、魔法、武器、アイテムの全てを。

【死神の目】で残りのHP量を確認しつつ、決して殺しきってしまわないように加減しながら。

己を知り、敵を知れば何とやら、だ。

 

それは、やられる方にしてみれば極めて凄惨な拷問だった。

 

「…イヤァ…モウ、ヤメテ…許シテ……」

 

眼に涙を浮かべながら首をふる穢れた精霊。か細い声で、慈悲を乞うている。

哀れといえば哀れだ。 顔はいくらか爛れた痕があるものの、美しい人間の少女である。それがまるで凌辱後のような有様に成り果てていれば、まっとうな感性を持った人間なら躊躇するだろう。

 

だが、【擬態(ポリモリフ)】のスキルを解除し、アンデッドの精神性を取り戻した今のキル子にとっては塵芥、そこらの虫と同じ程度の感慨しか抱けない。

 

「ゴ、ゴメンナサイ…ゴメンナサイ…ゴメンナサイ……!」

 

相手はなおも地べたに顔面をこすりつけて、泣きながら謝り続けている。既に心は折れていた。

 

さて、ここで殺すのは容易い。HPは数ドットも残されていない。

そして、今のキル子は異形種(アンデッド)。久々に【精神作用無効】が働いて強制的に感情が抑制されたおかげで、つい先程まで燃え盛っていた怒りは既にない。熾火のように燻る感情も、張本人を時間をかけて嬲ったせいか大部分を発散していた。

他者が虫けらにしか思えない反面、いっそ冷酷なほどに冷静だ。今なら頭の中で算盤をはじき、損得を勘定することができる。

この感覚が好きになれなくて、最近では滅多に擬態化を解かない。思考も趣向も何もかも、落差が激しいのだ。

 

しばし、キル子は考え込んだ。

 

「……はぁ」

 

ため息を一つ。

 

白銀色に戻った刃をインベントリにしまい、代わりに液体の入った瓶を取り出す。

 

「ヒッ…!」

 

穢れた精霊はさらに怯えた。

先ほどまでこうやって取り出したアイテムの数々に散々苦しめられたせいで、学習したらしい。

 

キル子は問答無用で中身をぶっかけた。

 

「⁈‼︎……………?……イ、痛クナイ?…傷、ナオッテル?」

 

毒ではない。ナザリック9階層の副料理長謹製、ユグドラシル産の最高位ポーションだ。

さらにスキルを解除して状態異常(バッドステータス)を取り除いてやれば、土気色だった顔色がやや持ち直した。見る間にポーションの効能が発揮され、四肢が再生していく。

驚いたことに下半身には人間のそれと同じような足が生えてきた。アルラウネの一種でも、キメラ系のモンスターでもなかったらしい。

 

残念ながら顔の爛れはそのまま。既に癒着してしまった古傷を治すには高位階の信仰系魔法が必要になる。確か、手持ちの巻物(スクロール)にあった筈だ。

それにPKの戦利品をまとめて詰め込んでいるインベントリの一角に、似たような効果のアイテムがいくらかあったように思う。

なるべく使いべりしないのがあると嬉しいのだが、後で確認してみよう。あのグチャグチャとした雑多なアイテムの山を整理するのは骨が折れそうだが。

 

「あなた、名前は?」

 

「…エ?……ナ、名前?」

 

怯えながら此方を伺う少女に、キル子は無言で早く答えるよう促す。

 

「…ナイ。『デキソコナイ』トカ…『デミ』トカ…呼バレテタ……」

 

『出来損ない』もひどいが、『半端者(デミ)』もまたひどい。ブタ草だのぺんぺん草だの、ハエトリ草だのと呼ぶのも五十歩百歩だが。

 

さっき遭遇した黒覆面の不審者が残した意味深な言葉を思えば、結局、こいつも単なる下っ端に過ぎないのかもしれない。

 

「では、名乗りたい名前はある?これからは必要になるでしょうから」

 

顔に半信半疑の表情を浮かべながら、上目使いにこちらを見上げてくる。そんないじめられた子犬みたいな目をするなよ。

 

「…許シテ、クレルノ?」

 

うん、と頷くと相手はホッとしたように全身の力を抜いた。

 

「いいよ。私もちょっと耐性抜かれてテンパってたところあるし。あ、でも私の男に手を出したら次はないからね」

 

もちろん、物心両面においてである。

 

「⁈…ワ、ワカッタ‼︎」

 

尚も怯える相手のほつれた髪を整え、泥だらけの顔をぬぐってやると、ようやくぎこちない笑顔をうかべる。

チョロいなぁ…昔同棲してたチャラ男というか、DV野郎もこんな気持ちだったのだろうか。

 

「名前、『アリア』ガイイ」

 

しばらくして落ち着いたのか彼女、アリアはポツリと告げた。

 

「アリアね。私はキル子、これからよろしく」

 

握手を交わす。

それが、幕引きだった。

 

安心したようにメソメソ泣きだしたアリアを抱きしめ、ポンポンと背中を撫でながら、キル子は冷めた目つきをしていた。

まあ、生かしておけばなんかの役には立つだろう。

 

あるいは相手が人間だったなら、問答無用で殺していたかもしれない。

これでもキル子は同胞(異形種)には寛容だ。かつて異形種狩りにあい、よってたかって嬲られていたのを、同じ異形種の仲間達に救われたが故に。

 

「さて、外に戻るか。かなり時間かけちゃったし……ハンゾウめ、ちゃんとベルきゅんとヴェルフきゅんを最優先で守ってるだろうなぁ?」

 

それはそれとしてロックオンしたイケメンはキル子的に優先度が高いのである。

ベル達に万が一の事があれば、このアリアこと元ブタクサ娘の命もそこまでだ。

 

「あとはカシンコジに情報操作させて、リヴィラの連中にも飴をくれてやらないと…あの覆面の捜索もあったな……出費が痛い。そろそろ例の話を椿にしておくか……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

リヴィラは半壊した。

 

唐突にゴライアスが消えた後、残された冒険者は総出で大量に湧き出た食人花(ヴィオラス)や芋虫型モンスターにあたり、戦い続けた。

ニンジャと呼ばれる集団も奮戦していたが、多勢に無勢。魔法を封じられ、武器も溶かされてしまう状況で、少なくない犠牲が出た。

もうダメかと思われた矢先、下層に出ていたロキ・ファミリアが間一髪、間に合った。彼らはニンジャと合流し、凶悪なモンスターを瞬く間に駆逐してしまった。

辛くも生き残った者達は既に疲弊しきっていて、歓声を上げるでなく、ようやく終わったという安心感に満たされて、その場で大の字になって眠りについた。

 

そして目覚めた時、目の前に広がっていたのは、瓦礫の山。

木っ端や布切れで作られた掘立小屋ばかりのリヴィラは、激闘の余波に耐え切れなかった。ダンジョンの中では雨風をしのぐ必要はないが、誰もが途方に暮れた。

 

そこに飄々と登場したのは、最近何かとリヴィラを騒がせていた女、キルコ。 

 

当初、彼女はリヴィラの生き残り達の非難に晒された。

彼達の言い分を簡潔にまとめると、こうなる。

 

「何を今更ノコノコやって来たんだ!逃げ回ってたんじぁねぇだろうな‼︎」

 

実際には、キルコ配下のニンジャが凄まじい戦果を上げていたし、提供された武器防具などの物資も夥しいものがある。

そもそも、冒険者は自己責任。事前に街を留守にしていた事さえ、本来は非難されるようなことではない。

しかし、頭では分かってはいても納得しかねる者は多い。つまりは、感情論だ。それまでに集めていたやっかみが、吹き出したのである。

これを謂れないことだと切って捨てなかったのが、キルコという女の狡猾なところだった。

 

キルコは言い訳を一つもせずに、街の危急に留守をした不手際を詫び、落とし前としてリヴィラが必要とする物資のすべてを用立てた。

何処に保管していたのか、衣服、食料、食器、医療品はおろか、天幕に毛布まで。いったいどれほどのヴァリスを投じたのかわからない。

さらに、これまで謎に包まれていたキルコの店も、主に怪我人の救護所として一時的に開放される。そう、あれほどの激戦を経て廃墟と化した街にあって、キルコのログハウスだけは小動もせず、新品同然の佇まいを維持していた。

 

冒険者達は、おっかなびっくり瀟洒な店内に通され、外見よりよほど広い室内に瞠目し、そこでの生活を堪能した。

清潔なシャワーを浴び、新品の服に着替え、旨い飯をたらふく食べ、暖かい毛布にくるまって屋根のある室内で寝る内に、キルコへの非難は瞬く間に鳴りを潜めた。

地上と何ら変わらぬ御殿のような暮らしを体験して、彼女を非難していた者の大半は事実上取り込まれてしまったのだ。逆らうより諂った方がよほど得だ、と。

 

何より評判が良かったのは、怪我人に無償で振舞われた回復薬(ポーション)だ。重傷者には惜しみなく万能薬(エリクサー)が使われたのが、殊の外喜ばれた。

驚くべきことに四肢欠損を負って絶望感に喘いでいた者すら、何らかの怪しげな手段で再生させてしまった。自在に動かせるが極めて高価な魔道具の義手に頼ることなく、再び冒険者として立つことができるようになった者の熱狂ぶりは、筆舌に尽くし難い。彼らは例外なくキルコの信奉者になった。

 

また、救援に駆けつけたロキ・ファミリアがキルコと親しくしていたのも判断に拍車をかける。長い物には巻かれろ、と。

特に極端なまでの実力主義者でとっつき難い『凶狼(ヴァルナガンド)』ことベート・ローガを、キルコがさも自分の男であるかのように振る舞い、またベートが否定も拒絶もしなかったというのが、驚愕をもって受け止められた。

「しばらく天幕暮らしを強いて申し訳ない」と謝るキルコにベートが頭をポンポン撫でながら「気にするな」と短く返した瞬間を目撃した者達は自分の目を疑い、白昼夢を見たのだと断じて疑わなかった。

 

これにはボールス・エルダーをはじめとするリヴィラの有力者達も舌を巻いた。

彼らはこの件を奇貨として、キルコの影響力を削ぎ、街の再建に利用するつもりでいた。

ところが、気がつけばキルコはあくまでリヴィラに拠点を構える一店主という立ち位置を崩さぬまま、大勢の傘下(シンパ)を抱えてしまった。街と自身の危機すら、逆手にとって利用したのだ。

挙げ句の果てに、当のキルコからリヴィラ再建の為に建材の提供を打診されるに至り、さしもの彼らも匙を投げる。

 

以来、誰が呼んだか『迷宮商店(ダンジョンストア)』。

地上で手に入るものなら、ここで手に入らないものはないと。

迷宮の楽園(アンダーリゾート)』に、新たな顔役が誕生した瞬間だった。

 

 

 

そしてもう一人。

悪評混じりに語られるキルコと対をなすように、あの戦いの最大の立役者と見做された人物の名が、まことしやかに噂されることになる。

 

「金の髪を靡かせて、薔薇の鎧に身を包み、赤い外套翻す。

異形の武具に呪われて、されど心は侵されぬ、誇り高き女騎士。

仲間を守り、怪物どもと渡り合い、ついには悪夢の巨人を討ち果たさん。

誉れは要らぬと立ち去りし、見目麗しき冒険者。

偉業を果たせし英雄、キルト。

諸人挙って『姫騎士(ワルキュリア)』と奉らん」

 

〜後年、定番となった吟遊詩人の歌より〜

 

神より与えられる『二つ名』ではなく、誰いうことなく自然に定着した『通り名』で知られる冒険者。

新たな英雄譚がオラリオの歴史に綴られた。

 

 

 

ベル・クラネルが意識を取り戻したのは、ちょうどそんな頃合いだった。

 

「…こ、ここは?…いったい…?」

 

どうやらベッドに寝かせられているらしいが、意識がはっきりしない。

最後の記憶は、モンスター達に向かって【英雄願望(アルゴノゥト)】でありったけの力を注ぎ込んだ一撃を放ったところまで。魔法を封じられた状況では、それしかなかった。

剣から凄まじい雷鳴が轟き、網膜を白く焼いた。そこから先の記憶がまったくない。

 

「ベルくん、気が付いたんだね!」

 

目に入ったのは、自らの主神だった。

ヘスティアは普段の丈の短いワンピースではなく、白い貫頭衣じみた衣服を着ている。

布を手桶から引き上げ、絞ろうとしていたところだった。水で冷やした湿布を取り替えてくれたらしい。

 

「か、かみ、さま…ぼくは、どのくらい…?」

 

思わず身を起こしかけて、激しい頭痛に襲われる。

ヘスティアに促されて、再び横になった。

 

「いいから、楽にしてておくれ。君は疲労困憊で二日も寝ていたんだ」

 

英雄願望(アルゴノゥト)】は能動的行動に対するチャージを実行し、威力を跳ね上げるが、その分消耗も激しい。体力と精神力を一気に使いすぎてしまう。

 

ということは、ベルはモンスター達の前で意識を失ったのだ。ようやく意識がはっきりしてきて、思わずゾッとした。

あの巨大な牙を剥き出しにした植物型モンスターに、溶解液を噴射する芋虫型モンスター、どちらも恐ろしい怪物だ。ベルの目の前で、何人もの冒険者が無惨な姿に変えられた。

慌てて全身を確かめたが、どうやら()()()ところはない。五体満足なのを確認して、ホッと息を吐いた。

 

「…み、みんなは?無事、ですか?」

 

だんだん意識がはっきりしてくると、気になったのは仲間たちのことだ。

 

「安心してくれ、戦いは終わった。みんな無事だよ。むしろ、ベルくんが一番重傷だったくらいさ。君の最後の一撃が、みんなを守ったんだ」

 

「そう、ですか…よかった…」

 

枕に深く頭を押し付け、天を仰ぐ。

しばし、安心感に浸っていたが、やがてベルの脳裏に別の光景が映し出された。

あの戦いの最中、助けられなかった者達の末路。

次から次へと死んでいった、名も知らぬ冒険者達の顔。

彼らが最期に叫んだ悲鳴が、次々にフラッシュバックしてくる。

 

何か、もっと何かができた筈なのに…!

 

一度意識してしまうと、後悔の念が後から後から湧き出て来て止まらない。

我知らず、体が震えた。

 

「…君はよくやったよ、ベルくん。今の君ができる最善をやりとげたんだ。誇っていいんだぜ」

 

ヘスティアはそう言いながら、静かに涙を流すベルの体を抱きしめる。

 

初めて会って恩恵を刻んだ日から比べて、ずいぶんと筋肉がついてガッシリとしていた。背も伸びている。ほんの数ヶ月前のことなのに、子供達は目まぐるしいスピードですぐに変わってしまう。それは永遠不変たる神々の世界にはなかったものだ。

でも、その優しく真っ直ぐな心根は変わらない。困難に挫けず立ち向かい、時に笑い、泣き、激しく傷つく。

人のために悲しむことができる子なのだ。冒険者には不似合いなほど、優しい。そこに、ヘスティアは惹かれた。

 

ベルの震えが収まるまで、ヘスティアは幼児(おさなご)を安心させるように、その頭を自らの胸に押しつけ、背中をさすってやった。

 

やがてベルは顔を赤らめながら、涙を拭って身を離した。

 

「…ありがとうございます、神様。もう大丈夫です」

 

すこし照れ臭そうにしながらも、ようやく笑顔を見せてくれた眷属に、ヘスティアも胸を撫で下ろした。

 

「ところで、ここは何処です?いつの間に地上に戻って来たんですか?」

 

ようやく周囲に注意を払う余裕ができたのか、ベルは不思議そうに室内を見回した。

 

そこそこ広さのある個室、床も壁も天井も木目の鮮やかな木板で、真新しい木の香りが漂ってくる。

家具はベルの寝ているベッドに、手桶と水差しの乗った脇机、ヘスティアの座っている柔らかそうなクッションの付いた椅子、床には柔らかそうなカーペットが敷かれていた。レースのカーテンがかけられた窓からは柔らかな光が漏れていて、暖かい。

奥には長椅子と机が応接間のように配置されている。長椅子には毛布が畳まれていて、どうやら寝台代わりにされていたようだ。壁際には書類の山が乱雑に積まれたデスクと豪奢な椅子があり、商社のオフィスか何かに見える。

ただし、部屋の隅には小さいながらも食器やグラス、酒瓶などが並べられたホームバーが設えられているのが目を引いた。

 

ベッドも糊のきいたシーツに、柔らかな花柄の羽毛布団が敷かれていて心地いい。いつのまにかベルもピンクのパジャマらしき服装に着替えさせられていて、少し恥ずかしくなってしまった。

 

少なくとも迷宮内ではない。

ヘスティア・ファミリアの本拠地(ホーム)である廃教会地下室でないのも明らかなのだが、ちょっと見当がつかなかった。

 

ヘスティアはそんなベルの混乱を察したのか、苦笑した。

 

「ベルくん、君がそう思うのも無理ないんだけど、実はボクらはまだ迷宮の中にいる」

 

「…え?」

 

「ここは18階層にあるリヴィラの街だよ。ボクの知り合いのキルコくんが開いたお店の中なんだ。ここは今、怪我人の救護所として使われているのさ」

 

そういえば、ほのかに薬品と消毒液の匂いが漂っている。

ヘスティアもベルの様子を見ながら、合間に他の患者の看病もしていたらしい。

既にベル以外のパーティーメンバーは体調を取り戻し、力仕事や炊き出し等を手伝っているそうだ。

 

「ちなみに、ここはキルコくんの自室だそうだよ。ボクの眷属のためだからって、特別に使わせてくれたんだ!」

 

正確には「ベル・クラネル様()()でしたら、幾らでも使って頂いて構いませんわ」と言われたのだが、ヘスティアは微妙なニュアンスの違いには気づかなかった。

「持つべきものは頼れる人物とのコネクションだぜ!」と得意そうに鼻の穴を膨らませている。

 

「…すごい。リヴィラにこんな立派な建物があったなんて。流石は冒険者の街ですね」

 

「そうだね。ボクもリヴィラについては聞いていたけど、これは噂以上だよ。くやしいけどボクらのホームより……いや、下手な中堅ファミリアのホームより立派かな」

 

ヘスティアもたまに他の神が開催する『神々の宴』に招待されることがあるのだが、この建物はそういったファミリアの本拠地(ホーム)と比べても遜色がない。

 

なお、この言葉を真っ当なリヴィラの住人が聞いていれば、盛大に首を横に振って否定した筈である。

 

「そうですね、神様。…あ!…そう言えばキルトさんはどうしているんだろう?」

 

思わず、といった風にベルはその名を口にした。

戦いの最中にはぐれてしまったが、あの人のことだ。ベルの仲間たちと一緒に、この街のどこかで手伝いでもしているのだろう。

 

そう尋ねると、ヘスティアは顔を曇らせた。

 

「…その、キルト(なにがし)なんだけど。街中の噂になっているんだ。あの巨人型モンスター…ゴライアスの特異個体だったらしいけど、それと相打ちになったらしい」

 

「あ、相打ち⁈」

 

そういえば、頼みの綱だったヴェルフの対抗魔法が封じられた状態で、あの雷撃魔法の餌食になるしかないのかと、戦々恐々としたのを朧げながら覚えている。

その後すぐに、ゴライアスは姿を消した。てっきりリヴィラの高ランク冒険者達が倒したのだろうと思っていた。

ベルも大量の食人花や芋虫型モンスターとの苛烈な戦いに明け暮れていたので、あまり気にする余裕はなかった。

では、あの時すでに…

 

「安心してくれ、ベルくん。人伝に聞いた話だけど、ちゃんと生きているそうだよ。何でもきつい代償のある特殊なスキルを使ったとかで、しばらく人前に出られないみたいなんだ」

 

現場に居合わせたという神、ヘルメスからの報告により、ゴライアス特殊個体を討伐したのは冒険者『キルト』であるとの話が伝わっていた。神の証言である、これ以上の信憑性はない。

その直後からヘスティアが耳にしたような噂話が、生き残った冒険者の間で(まこと)しやかに囁かれ始めた。いったい何処から流れた話なのかわからないにも関わらず、既にリヴィラではそれが真実であるとされている。

複数の目撃者からもたらされた、キルトが『呪い』を帯びた悍ましい武器を使っていた、という話もこの噂を補強していた。

 

ヘスティアは若干引っかかるものを感じていたが、他に有力な情報源がない以上、その噂を信じるしかない。

 

それにしても魔法を封じられた状態での階層主撃破は、第一級冒険者の業績と比べても遜色がなかった。ロキ・ファミリアの『剣姫』が37階層の階層主『ウダイオス』を単独で討伐したとの噂があるが、勝るとも劣らない偉業だ。

 

「キルコくんの部下のハンゾウくんに、伝言を残していったそうだ。しばらく会えなくなるけど心配するな、ってさ」

 

それは遺言じゃないのか、という疑問をベルは飲み込んだ。その手は無意識のうちに、右手の薬指に嵌めた翠と白の指輪を撫でていた。

 

陰鬱な表情で沈み込むベルを、ヘスティアは殊更明るい口調で励ました。

 

「大丈夫だよ、ベルくん!あんなに強い冒険者なんだ、生きていれば、また何処かで会えるさ」

 

「そう、ですね」

 

その『キルト』に関して、今回同行した友神達の間で不穏な話が聞こえてきているのだが、ヘスティアはあえて口には出さなかった。

これからベルには少々、辛い話をしなくてはならない。これ以上、心配事の種を増やしたくはなかった。

 

「…それより、君に話さないといけない事があるんだ」

 

ヘスティアはベッドの下に置いてあった物を、脇机の上に取り出してみせた。

それはベルの装備一式。

ヴェルフの鍛えた軽装鎧(ライトアーマー)兎鎧(ピョンキチ)』に、短刀『牛短刀(ミノタン)』。いずれも激しい戦いを経て、傷だらけになっている。

ある程度覚悟していたが、思っていたより消耗が激しい。

 

中でも、ひどく傷ついていたのは…

 

「…⁉︎こ、これは…まさか僕の…剣?」

 

「うん、どうやらあの芋虫みたいなモンスターに、溶かされてしまったみたいでね…」

 

愛剣『感電びりびり丸』は、ほぼ破壊されていた。

刀身は原形を留めているものの、切先から柄元に至るまでの刃は残らず崩れ、溶けている。武器としてはほぼ死んだも同然だった。

手入れ知らずの自慢の逸品で、今まで刃こぼれの一つもなかったが為に、逆にショックが大きい。他の装備が壊れようとも、これだけは無事だろうと、無意識のうちに思い込んでいた。

 

「…す、すみません、神様……せっかく頂いた武器なのに…こんな風に…壊して、しまって…」

 

そう謝りながら、ベルの顔は目に見えて青ざめていた。

これまで冒険を共にしてきた愛剣の無惨な姿に、動揺を隠せない。

 

「ベルくん、ヴェルフくんから聞いたけど、もうこの剣は……」

 

魂が抜けたような顔のベルに、ヘスティアが言いにくい事を口にしかけた、その時だった。

不意に、ノックも無しに部屋の扉が開いた。

 

「…取引額が破格なのは理解しているがな、キルコ殿。しかし、物が物だ。さすがに手前達、ヘファイストス・ファミリアでもそこまでの量は買い取りきれんぞ。例の件もある」

 

「ええ、それは分かっております。ただ、今回の件で私も少なくない被害を受けて、手持ちの現金に不安を覚えていまして。できれば少しずつでも良いので、安定した取引の契約を交わしておきたいのですよ。今のところ、無名のユグドラシル産素材よりか、需要はありますでしょう?」

 

「それはそうだが……ん?」

 

「あら?……これはお騒がせして申し訳ありません」

 

話しながら室内に入って来たのは、この部屋の本来の主人であるキルコと、黒髪と褐色の肌に、左目の眼帯が特徴的な女性だった。

 

「やや、これはヘスティア様。お久しぶりですな」

 

へファイストス・ファミリア団長、椿・コルブランド。

極東出身のヒューマンとドワーフのハーフで、神を除けばオラリオ最高の鍛冶師だ。自らの作品の試し切りにダンジョンに行くという変わり者で、冒険者としても一流の実力を持つという。

 

「や、やあ。久しぶりだね椿くん」

 

かつて神界から地上に降りた際に、ヘスティアは神友のへファイストスのところで何ヶ月も食っちゃ寝のぐーたら生活をしていた事があり、椿とはその頃からの付き合いだ。

かつての自分の行いを省みると、少々顔を合わせ辛かった。

 

一方のキルコは、ベルの寝ているベッドに近づくと、深々とお辞儀した。

 

「以前お会いした時には名乗りそびれましたね、ベル様。当店の主人のキルコと申します。意識を取り戻されたのは何よりでございますが…失礼」

 

キルコはベルの額に手を当てた。

 

顔を近づけられて、ベルは思わずドギマギしてしまった。

綺麗な人だ。腰まで伸ばされた艶のある黒髪、屈んだ着物の胸元からわずかにのぞく白い肌、薄く化粧をして色づいた唇。いかにも大人の女性の魅力である。額に当てられた手のひらの柔らかさも、冒険者の硬い手とは明らかに違う。

そういえば、もしかして、普段このベッドを使ってるのは…⁈‼︎

 

「…特に問題なさそうですね。後で消化の良いものでも持ってこさせましょう。今はお心安らかにお休みくださいませ」

 

目を白黒させているベルを楽しそうに眺めると、キルコは改めてヘスティアに向き直り、これまた深々とお辞儀をした。挨拶は大事だ。

 

「ヘスティア様、ご苦労様でございます。実はここに置いてあるものに用がありましてですね」

 

ヘスティアは満足そうに頷いた。

キルコは豊富な食材を惜しみなく使い炊き出しをしたり、店舗を怪我人に開放したりと気前がいい。出会ったばかりの頃も、じゃが丸くんに大量の金貨を払おうとした。壊れてしまったベル愛用の名剣を譲ってくれたのも彼女だ。

それだけでなく、会う度にこうやって丁寧な挨拶をする礼儀正しい人柄なのだ。

 

「いやいや、気にしないでくれ、キルコくん。ボクらは居候の身だからね」

 

「そう言ってもらえますと、気が楽です。すぐに済ませますので」

 

キルコはそそくさとデスクに積まれた書類の山に向かった。

 

「…ええと、確かアレは…このあたりにしまったはずなんだけど……ちゃんと整理しとくんだったわ…」

 

何かの書類を探しに来たらしい。あまり目がよくないのか、キルコは銀縁眼鏡を取り出してかけ、中身を一枚ずつ確認している。

この散らかり具合を見るに、少し時間が掛かるかもしれない。

 

その間、椿は手持ち無沙汰にしていたのだが、脇机に置かれたベルの愛剣に目を留めると、鋭い視線を向けた。

 

「ふむ、察するにこれはお主の武器か?」

 

「…はい」

 

ベルは死んだ魚のような目をして、抑揚のない声で応えた。

 

「手前はへファイストス・ファミリアで鍛治師をしている椿・コルブランドという。ちと拝見させてもらってもよいかな?」

 

「へファイストス?…あの生産系最大手の⁈」

 

「ベルくん、椿くんはヘファイストスのところでも一番腕のたつ職人だよ」

 

ヘスティアの言葉に、やや生気を取り戻したベルがうなずくと、椿は壊れた剣を手に取り、つぶさに見てとった。

溶けた刃の断面に指を走らせ、匂いを嗅ぎ、小さなハンマーを当てて音を聞く。

やがて得心がいったのか、残骸を机の上に戻した。

 

「…やはり、いつぞやキルコ殿がうちの店に持ち込んだものだな。魔法並みの雷撃付与を常時纏うとは恐れいるが、基礎性能も第一等級武装に匹敵する…それがこうも無残に破壊されるとは、例のモンスターの溶解液か。ロキ・ファミリアに同行して下に降りていたのは、運が良かったか……」

 

つい先頃、椿は第一等級武装すら瞬く間に溶かしてしまうこの溶解液対策の為に、ロキ・ファミリアから不壊属性(デュランダル)武器の大量注文をこなしたばかりだ。

むしろ不壊属性でもないのに、あれを受けて形が残っているだけでも凄まじい耐久性だと、椿はやや悔しそうに言った。

 

「椿さん…何とかこの剣を直せないでしょうか?」

 

ベルのすがるような視線に、椿は顔を歪めた。

 

「はっきり言うが、無理だ。これには未知の素材と技術が使われている。ちょっとした修繕程度なら、同じ素材があればなんとかなるやもしれぬが、ここまで破損してはな…」

 

椿は「それに」と続ける。

 

「仮に修復できたとしても、決して元通りにはならん。少なくとも、剣に込められた特殊能力は失われる。それではよく似た別の剣を手にするのと変わらぬ。恐らく修復された剣を手にして、誰よりも違和感を感じてしまうのはお主自身だ」

 

項垂れるベルを他所に、椿は未だに書類の山と格闘しているキル子を横目で睨んだ。

 

「これを渡したのはキルコ殿か?あまりに強い武器は使い手の成長を妨げるぞ」

 

咎めるような口調の椿だが、キルコはどこ吹く風だった。

 

「ええ。以前、ヘスティア様にお譲りしたものですね。ベル様が使われていたとは知りませんでしたが」

 

その会話に驚いたのはベルだ。

 

「この剣の元々の持ち主って、キルコさんだったんですか⁈」

 

「はいな、オラリオに来たばかりの頃にね」

 

キルコは書類にむけていた視線を上げると、ばつの悪そうな顔をしているベルに、優しげに微笑んでみせた。

 

「ベル様、武器(それ)は所詮、道具です。こんなになってまで使い手を守ることができたのですから、むしろ本望でしょう。貴方が無事で、本当に良かった」

 

椿も真顔で顔で頷いた。

 

「そうだな。手前が言うのもなんだが、あまり一つの武器に入れ込まないことだ。常に戦い続ける冒険者の武器の寿命は、短い」

 

もちろん、大事に使って貰えれば職人としては嬉しい。しかし、どれほど会心の一本を鍛えようと、徐々に朽ちていき、やがて必ず壊れる。

まだ駆け出しの頃は、作った武器が消耗して修繕に持ち込まれる度に誇らしく思う反面、ひどく切なくなったものだ。作ったばかりの武器が、すぐに壊れてしまった時などは特に。先達からは、すぐに壊れるナマクラを作ったお前が悪い、と鉄拳をくらったが。

 

オラリオ郊外の貴族の中には美術品として飾るだけの武器を欲しがる者もいる。だが、そんな物は武器ではないと、へファイストス・ファミリアの鍛治師ならば口を揃えて言うだろう。

自らの作品が摩耗していくのを見守り、次に繋げるのが武器職人の宿命。

使われてこその武器。それこそ職人冥利に尽きる。使い手にほんの一時寄り添って、道を切り開く力を与え、泡沫のように消えゆくもの。

 

数回も使えば砕け散る魔剣など、その筆頭だろう。椿も主神と同じく魔剣はあまり好きではないが、それによって命をつなぐものがいる事も知っている。

目をかけている団員の中には魔剣作りを毛嫌いしている者もいるのだが、その事に早く気付けばな、と思わないでもない。ただ、今回の件であの男も思うところがあったらしく、あまり心配はしていなかった。

 

まあ、それはそれとして。

 

「…キルコ殿。手前どもとしては、貴女の持ち物をあまり無闇にばら撒いてほしくない、というのも偽らざる本音なのだ」

 

キルコ自身は職人ではないので製造法の知識はないというが、持っている武器や素材を調べれば、いくらでも学べるものはある。

生産系最大手ファミリアを率いる身としては、情報は一つでも多くほしいし、独占したくもあった。

 

実際、キルコが故郷から持ち出したというインゴットを買い取った際に、それを使って作られた『神器級』なる武器を参考用として極秘裏に貸り受けている。へファイストス・ファミリアの上級鍛治師(ハイスミス)達は、主神共々その研究に血道を上げていた。

 

同じ生産系のゴブニュ・ファミリアなどは引っ切り無しに探りを入れている。彼らもあの手この手で情報を得ようと必死だ。

 

「善処いたしますよ、椿様。私も自分の()()を安く売るつもりはありませんので」

 

情報もまた武器の一つ。

チラリと意味ありげな視線を椿に向けると、キルコは再び書類を探す作業に戻った。

 

レジェンドでこれなら、ゴッズも危なかったか。卑猥な芋虫め…っと、ありましたわ、椿様。貸倉庫の預け証」

 

キルコはようやく一枚の紙を引っ張りだした。

 

「ハンゾウ達が手隙の時に()()してもらってる精製済みのアダマンタイトとオリハルコンの塊。私がリヴィラに不在の時はなるべくボールスの旦那に預けるようにしてましてね。幸いあそこも()()()難を逃れたようですし、まあ、持ちつ持たれつというわけで。魔石なんかの換金も任せてますから………ああ、結構な量になってる。頑張ったわね」

 

椿はキル子から書類を受け取ると、食い入るように目を通した。

 

「…()()()()最硬精製金属(オリハルコン)がどうしてダンジョンから採掘できるのか大いに疑問だ、キルコ殿。疑うわけではないが、現物は確かめさせてもらうぞ」

 

「ご随意に。続きはボールスの旦那のところでいたしましょう。…ではベル様、ヘスティア様、失礼いたします」

 

二人は連れだって部屋を出て行った。

 

ベルはしばらく黙って扉を見つめていたが、やがて何かを吹っ切ったような顔をした。目には光が戻っている。

そんなベルを見て、ヘスティアも嬉しそうに目を細めた。本当に、子供達の成長は早い。

 

それにしても、今やキルコくんも立派な商人なのだな、とヘスティアは思った。

椿もキルコも知り合いだが、先程のやり取りを見る限り、中々に気の置けない間柄のようだ。

同時にヘスティアは彼女らがちょっとした嘘をついた事にも気が付いていたが、口をつぐんだ。商売上のかけ引きかもしれないし、あの程度の些細な嘘までいちいち咎めるほど、神の了見は狭くない。

 

キルコ達が出て行っていくばくもしないうちに、室内にノックの音が響いた。

 

「うちの団長がここにいると聞いたんだが、入っていいか?」

 

入れ替わるように入ってきたのは、ヴェルフ・クロッゾだった。

 

「ベル⁈目が覚めたのか!」

 

「ああ、ついさっきね」

 

大事なさそうなベルを見てヴェルフは嬉しそうに笑ったが、机の上の物に気がつくと、途端に顔を曇らせる。

 

「入れ違いだったね、ヴェルフくん。椿くんならちょうど今しがた出て行ったところだよ」

 

「いいさ、ついでにベルに話したい事があるんでな」

 

ヴェルフは神妙な顔をして壊れたベルの剣を手に取り、これを引き取らせてほしい、と言った。

 

怪訝な顔をするベルとヘスティアに、ヴェルフは語った。

これは自分が理想とする『魔剣』を作り出す為の、足掛かりになると。

 

「ヴェルフ、確か魔剣は…」

 

「ああ、俺は魔剣が大嫌いだ。理由は、前に話したよな」

 

ヴェルフの一族は精霊の血を宿しており、その影響で彼は強力な魔剣を作製出来るスキルを発現している。こと魔剣においてはオラリオ最高の鍛冶師である椿・コルブランドすら凌駕するだろう。

だが、ヴェルフは魔剣が嫌いだ。

安易な力、使い手に驕りを与え、鍛治師(スミス)さえも腐らせる。そして使い手を残して、絶対に砕けて散っていく。

 

「でもな、少し考えを改めた」

 

そう言って、着流しの懐からヴェルフが取り出したのは、砕けた魔剣の残骸だった。

魔剣『火月(かづき)』。ヴェルフの作品だ。

ファミリアの主神に預けてあった筈のそれは、戦いの直前にリュー・リオンの手でヴェルフへと届けられた。主神からの伝言と共に。

 

"意地と仲間を秤にかけるのはやめなさい“

 

今、ヴェルフの手に残っているのは、自身の手でモンスター目掛けて撃ち放たれ、砕け散った欠片のみ。

 

「ゴライアスに追いかけられて、芋虫みてーなモンスターに囲まれて、死にかけて……俺、その時に思っちまったんだ。魔剣があればってさ。虫の良い話だよな。分かってる。さんざん魔剣を否定して啖呵きっときながら、いざてめえの命がかかった途端にこれだ!」

 

「………」

 

ベルは知っていた。

ヴェルフがやむなく魔剣を使ったのは、魔法を封じられた状況で危機に陥った仲間達を助ける為だったことを。

ヴェルフが魔剣で一掃しなければ、モンスターの数に押し切られ、全滅していただろうことを。

 

「魔剣は嫌いだが、もし使()()()()()()()()魔剣なんてモノができるなら、俺はそいつを作ってみたい」

 

ヒントはあるという。それが、ベルの使っていた剣だ。

 

刃渡りは短め、大型の盾と共に用いられることが多い片手剣(ショートソード)

片手剣というのは基本的には軽量で取り回しの良さに比重が置かれるのだが、この剣は切れ味も頑丈さも、これまで見たこともないほどに極まっている。

何より驚嘆させられたのは、強力な電撃を発生させる魔剣だということ。しかも、モンスターに無残に破壊されるまでは、何度使おうと壊れなかった。

 

魔剣とは、言ってしまえば剣の形をした消耗品だ。武器というより兵器の類で、数回も使えば必ず破損する。しかも、威力は冒険者の使う魔法(オリジナル)に及ばない。

ところがこれは高位冒険者が扱う付与魔法(エンチャント)に勝るとも劣らない威力の雷撃を纏い、何度でも繰り返し使えるのだ。

初めて見た時は我が目を疑い、思わず強奪してファミリアのホームに持ち帰りたくなったという。

しかも、武具としても未だ彼が到達しえない高み、第一等級武装に比類する。

 

これこそが、自分が目指すべき頂きなのだと、ヴェルフは語った。

 

「…けどな、今の俺にはまだ何もかもが足りてない」

 

まずは【鍛治】のアビリティを手に入れなければ話にならない。

剣の仕組みを解き明かすのも、一朝一夕には行かないだろう。素材も吟味する必要がある。

あるいは【神秘】のレアアビリティを持つ人間の助力も必要かもしれない。

だから、時間が欲しい。

 

胸のうちを吐露するように語るヴェルフの話を聞き終えると、ベルは笑顔で快諾した。

 

「…待つよ、ヴェルフ。その剣に負けないように、僕も自分を鍛え直したい」

 

二人は不敵な笑みを交わし合った。

 

「なあ、ベルくん。まずはステイタスの更新から始めようじゃないか。あれだけ激しい戦いを潜り抜けたんだ。きっと大幅に上昇しているはずだぜ!」

 

「はい!」

 

そんなやり取りを微笑ましそうに見守っていた女神の提案に、元気よく頷くベル。

 

部屋の扉が勢いよく放たれたのは、その時だった。

 

「ベル、目が覚めたんだって⁈」

 

「やっほ、ベルっち。だいぶ寝坊助だったにゃあ!」

 

「ベルさん、お粥持ってきたんですけど、食べられますか?リリが食べさせて差し上げましょうか?」

 

「クラネルさん、無事でよかった。これで私もシルに顔向けができる」

 

「クラネル殿ご無事か!ヤマト・命と申します!怪物進呈(パスパレード)の件について改めて謝らせてください!いや、決してクラネル殿をダシに使って、ここに残って本物のニンジャを見たかったわけではないのです……!なあ、千草!ニンニン!」

 

「…命、浮かれすぎだよ。やっぱりニンジャが見たかっただけじゃ?」

 

「ちょっと待った!みんな、これからベルくんはボクとステイタスの更新をするんだぞ!出てけ〜!」

 

一気に騒がしくなった室内。

ベルは思わず吹き出して、声をあげて笑った。

とにかく、みんなで生き残ったのだと、ようやく実感できたから。

それが、どうしようもなく嬉しかった。

 

 

 

この後、ステイタスの更新を行ったベルは、新たな能力を得た事が発覚するのだが、それはまた別の話である。

 

 

 




コタツでハーゲンダッツがマイジャスティス。気のせいかお腹がポヨポヨと…

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