ダンジョンにユグドラシルの極悪PKがいるのは間違っているだろうか?   作:龍華樹

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いつも誤字修正ありがとうございます。


第21話

「海だ!」

 

ギラギラと輝く太陽。

 

「水着だ!」

 

どこまでも白く滑らかな砂浜。

 

楽園(パラダイス)だ!」

 

つまり、戦争だコラ!

 

 

 

メレン港。迷宮都市オラリオの外、南西に位置するオラリオと外海を繋ぐ玄関口として日夜大量の船と品々、そして人が行き交う港街。

眼前には海と繋がる汽水湖、ロログ湖が広がっている。

 

そこに、ロキ・ファミリアがほこる美女達は勢揃いしていた。

 

「うわ、ひろーい!」

 

「へえ…なかなか綺麗なとこじゃない」

 

レース付きの水着に身を包むアマゾネスの姉妹。

 

「リヴェリア様は?」

 

「渡された水着を見て呆然とされてたわ」

 

「おいたわしや」

 

パステルの可愛らしい水着を着たエルフの少女達。

 

「こ、この格好…ある意味、裸より恥ずかしいんですが…」

 

「これが『水着』。神々の発明した三種の神器の一つ…!」

 

他の有象無象の女性団員は置いとくとして。

 

「三種の神器、ですか?他はブルマかバニーかナースか…?…今度、ベート様に試してみよう!

 

キル子は水着だった。

赤いビキニと花柄のパレオが、白い素肌に映えている。

デッキチェアに寝そべり、ハイビスカスを挿した蛍光ブルーのサケ・カクテルをひと啜り。カメラ目線でサングラスを外し、そのツルを噛む。あざといアッピールだ。

適当なところで【変身(メタモルフォーゼ)】のスキルで、肌を小麦色にし、日焼けした感じにでもしてみようか。いや、それだとベート様の好みから外れる可能性がある。彼はアマゾネス姉妹に興味を持ったことはない筈だ。褐色属性はないとみた。どちらかと言えば…

 

と、キル子は隣で恥ずかしそうにモジモジしている金髪の小娘に、忌々しそうな視線を向ける。

 

「えっと…動きやすい、けど……」

 

白のビキニに身を包んだ金髪の小娘(アイズ・ヴァレンシュタイン)。少女らしさを強調しつつ、露出が多いので若さゆえの肌の白さときめ細かさをこれでもかと主張している。

そのアンバランスな魅力に加え、無意識の上目遣いのポーズがサマになりすぎる。チキショウ、天然か?この純真無垢な風情が、世の男どもにうけるのか。実際、主神のロキはメロメロである。あざとい。存在自体があざとい!

 

チッ…よくおにあいですね」

 

だが、負けてはならない。

そう、バカンスである。一夏のアバンチュール。この暑さでは四六時中水着が当たり前。アッピールの時間も急上昇!

触れ合う肌、高まる鼓動、普段はガードが堅い彼もイチコロよ!

 

…なのに、なんでベート様がいないんですか!」

 

途中から心の声を口にしていたキル子は涙目で訴えた。

 

「いや、だって女子限定イベントやし」

 

ニタニタといやらしい笑みを浮かべて水着姿の眷属たちを眺めているのは、スポーツタイプの水着に身を包んだロキ。

 

「眼福、眼福…っていうか、勝手に勘違いして付いてきたのはジブンやろ?一応、これ調査のついでの息抜きやから」

 

ロキは視線を眷属達に釘付けにしたまま、どうでも良さそうに言った。

 

眷属(みんな)引き連れて海いくで〜♪」なんて言われたら勘違いするに決まっているわい!くそうくそう!男性陣だけオラリオに居残りとか思わんじゃろ!

 

久々にバッシンバッシン砂浜を叩くキル子。

軽く地震が起きて、ロキ・ファミリアの低レベル層の団員達は怯えていた。逆に高レベルの幹部たちは哀れな珍獣を見る目で眺めている。

なお、群青色のワンピース…かつてペロロンチーノに無理矢理渡された『すくみず』なる水着をキル子に与えられたトビカトウが、そこに交じってジト目をしていた。

 

「ジブンはほんまに男が絡むとポンコツになるなぁ…」

 

やかましい!

だいたい、おたくの団員はやたら馴れ馴れしいんじゃい!あれだ、主神(ロキ)の影響じゃろ。着替えの最中にやたらめったらスキンシップされたわい。私はノーマルだ!……いや、よく考えたら競争率が下がるんだから、別にいいか。よし、許す。思う存分、百合百合するがよい。だから、私は巻き込むな。ついでに良い男は私んだ!

 

何やら悶えているキル子を他所に、ロキは恥じらうアイズから視線を外さないまま隣に並んだアマゾネスの姉妹に問う。

 

「…んで、どうやった?」

 

「着替えの時に肌を確かめたけど、()()はどこにも見当たらなかったわ」

 

ロキは細い目を薄らと開き、次にリヴェリアに視線を移す。リヴェリアは紐のような水着を手にロキを睨みつけていたが、変身魔法を使っている形跡はない、と言った。よほど特殊な能力(スキル)や魔道具で隠蔽されているかと念入りに調べさせたが、結果はシロ。少なくともオラリオにおいて既知の方法は残らず試させた。

 

「つまり、怪人(クリーチャー)やない。元々可能性は低かったし、そう考えてええやろ」

 

恩恵(ファルナ)も持たずに、異常な身体能力を発揮する異邦人、キルコ。ロキ・ファミリアには、そんな存在に心当たりがあった。

怪人(クリーチャー)。ここ最近、ダンジョン深層に関わる異変の際に必ず出てくる、人間と怪物の混合種。

ダンジョンのモンスター同様、自らの核となる魔石が存在し、他の魔石を吸収して自らを強化することができる。その実力は油断していたとはいえ、ガネーシャ・ファミリアのLv.4の冒険者を瞬殺し、当時はLv.5だったアイズを圧倒した。

 

キルコは奴らの仲間の怪人で、地上での工作の為に送り込まれたスパイ。未知の能力や、オラリオの常識から外れた数々の品々も、未だ前人未到のダンジョン深層に由来する代物。その可能性もあった。

しかし、態度はあまりにも堂々としていた上に、自らの力を隠そうともしない。おまけに59階層ではロキ・ファミリアに合力して穢れた精霊と戦い、明確に敵対している。そこで一旦疑惑を保留にして観察していたのだが、確認が取れた形だ。

分かったのは益々訳の分からない存在だということだけ。まあ、今更だが。

 

ロキは敵である可能性は低いと見ていた。ロキにはキル子の魂がはっきり見えている。

薄汚れていたり、濁っていたり、透き通っていたり、斑らだったりと、つまりは典型的な俗人だ。大好きなのは金、美味しいもの、エステ、温泉、服、宝石、化粧品、アクセサリー…そして何より男。

好きなものを食らい、好きなときに眠り、好きなことをする。愛でるものがあればなおよし。まさに俗物の極み。

 

「ようは『ギルドの豚』の同類や。どっちも能力はあるくせに、俗世の欲に目が眩んどる」

 

『ギルドの豚』とはギルドの最高権力者であるギルド長、ロイマン・マルディールの渾名だ。

ギルドに1世紀以上勤めているエルフであり、今の地位に就いてからは豪遊・放蕩生活三昧で、でっぷりと太っている。更に金を使うのが好きなのかカジノに足繁く通っているという。

本来、エルフは容姿端麗で精霊に次ぐ魔法の使い手であり、矜恃の高さから他部族との馴れ合いを嫌う者までいる。当然ながら、ロイマンはオラリオにいる全てのエルフから忌み嫌われていた。

 

あの聡明なエルフでさえ、こうまで堕落する。子供達は何て愚かで愛しいのだろう。ロイマンを見る度に、道化をこよなく愛する女神はそう感じるのだ。

キルコなどはまさに、最高の道化。何をやらかすのか楽しみで仕方ない。

これだから下界暮らしはやめられないと、ロキは邪悪な笑顔で評した。

 

「…わざわざオラリオから連れ出して来て、よかったのか?」

 

同族の恥を引き合いに出されたことで、ようやくV字水着から意識を逸らしたリヴェリアが不快そうに問うた。

 

「かまへん、かまへん。こっちの知らないところで変な男にコロッと騙されて、敵対しかねんのが一番ヤバイ」

 

特にオリュンポスあたりの男神にはそういうの(N T R)が得意なロクデナシが多い。

 

「アレは、絶対になんかやらかす。目の届かないところで破裂されるくらいなら……目の前で大いに爆発させた方がええ。そうやろ?」

 

まったくの正論なので、リヴェリアは口をつぐんだ。

正直、キルコのあの性格というか性癖は、性に潔癖なリヴェリアとしてはどうかと思っている。具体的には贔屓にしている魔道具屋で彼女が買い漁ったという()の件で。

だが、幾つもの重要な情報をもたらす人物なのは確かだ。穏便に囲い込めるなら、それに越した事はない。

 

「怪しいのは目の届くところに置いとくのが吉やで……んじゃ、そろそろやるか。ティオナ〜、ティオネ〜、任したで〜」

 

「わかったー」

 

「ちゃっちゃと終わらせましょ」

 

アマゾネスの姉妹が準備を始めた。

 

二人は【潜水】の発展アビリティを持っているため、水中活動が得意なのだという。一時間は余裕で潜れるそうだ。水の抵抗、圧力にも強くなり、水中内での攻撃の威力が増すというので、海中の調査には確かにうってつけだ。オラリオに来る前には、海のモンスター退治を多く引き受けていたそうだ。

彼女らの水着も水中戦闘を考慮した特別製とのこと。あとは水中専用の武器も用意されているらしい。

 

キル子は首を傾げた。

 

はて?

ということは、水中の調査をしに来たのだろうか。

 

「水の中に、なんかいるんですか?」

 

「…ジブンは、ほんまに人の話を聞かんやっちゃな」

 

数日前、このバカンスの話をされた際に何やら色々とロキが話していた気もする。

ただし、その時にはキル子の頭は当日どんな服を着ていくか、どんな水着を用意するか、どうベートを落とすかで占められていたので、全然耳に入っていなかった。

 

食人花(ヴォイラス)や。湖や近海で目撃者がでとってな、確認しに来たってわけや」

 

「ああ、アリ……ハエ取り草の取り巻きをしていた植物モンスターですね」

 

ロキは面倒臭がって、幾つか説明を端折っていた。

長い間、存在を知られることなくダンジョン下層と繋がっていた湖底の大穴。かつてはそこから多くの水棲モンスターが外海に進出し、生態系を荒らしまわったという。だが、十五年前に当時最大勢力だったゼウス、ヘラ、ポセイドンの三派閥の合同作戦で、穴は塞がれている。

今回はその穴を塞ぐのに使われた蓋の様子を確かめにきたのだ。

 

「となると…私、暇ですね」

 

残念ながらキル子には水中活動の為のスキルはない。

 

ユグドラシルにも海や湖沼、河川といった水中フィールドは用意されており、水中活動に特化した職業や種族などもあった。マーマンやマーメイドのような水中種族で構成されたギルドなんてのもあり、海底の大型ダンジョンを支配していたが、どちらかといえばロール重視の人間が好む程度で、不人気だった。

理由としては、水中以外のフィールドでは、さほど意味あるビルドにならないからだ。多くのプレイヤーが活動するのはやはり地上であり、ユグドラシルが商業ゲームである以上、あまりニッチな需要にばかり応えてはいられない。結果として大多数のプレイヤーは泳げなかった。 キル子もその一人だ。

 

「好きにしとき。ただ、オラリオに戻るときはウチらと一緒やないと、門番に足止めくらうで」

 

今回のお出かけに男子が来れなかったのは、ギルドからの横やりのせいらしい。都市の最大戦力の一つであるロキ・ファミリアが、近隣とはいえ総出で都市外に赴くことに難色を示したのだそうだ。

 

オラリオは冒険者の街として、他所から新たに人が来ることに対しては寛容だが、逆に冒険者となったものが外に出るには制限がかかる。 戦力を外部に流出させないための措置らしい。

本来ならキル子のようにどこのファミリアにも所属せず、恩恵も持っていないような一般人(…逸般人?)はほぼフリーパスに近いそうだが、リヴィラで色々やらかしたせいでギルドの目が厳しくなっている。冒険者ですらないポッと出の怪しいヤツが、いきなりリヴィラを仕切りだしたら警戒されても仕方ない、とはロキの談だ。

今回はロキ・ファミリアの遠征隊に同行者として申請したので、一応の許可が出た。

 

なんということでしょう!これではベート様に会いにいけないではないですか!

もちろん、無視してオラリオに戻ることは容易いが、それでギルドにいちゃもん付けられるのは、ロキ・ファミリア。つまり、ベートを困らせてしまう。

キル子的にはいろいろな準備が台無しである。具体的には近場のホテルのスウィートであるとか、ダブルでキングなベッドであるとか、7区の魔道具屋『魔女の隠れ家』の婆から仕入れたびや…ゲフンゲフン…精力剤であるとか。

 

「目的は湖底にある『海竜の封印(リヴァイアサン・シール)』の調査や。場所は湖の底、ここからもうちょい南に下った湖峡寄りや」

 

ふくれっ面になったキル子を無視して、ロキは眷属たちと話を進めている。キル子を介入させる気はないらしい。

キル子とて興味はないし、不要な出しゃばりは敵を作るだけだ。目立ちたがりは早死にする。

 

「では、適当に時間をつぶしますか」

 

男がいないなら、せめて美味しいもの食べてお酒飲んで、ショッピングを満喫するくらいしかやることがない。

 

フラフラ遊びに出ようと踵を返したキル子の背中に、ロキが声をかける。

 

「…おっと、そうや。キルコ、後で時間作ってもらってええか?()の調査も大事やけど()()()の件も聞いときたいんや」

 

…アレか。 ロキめ、その為に呼び出したな。

オラリオ市内は色々と煩い。キル子も実質的にリヴィラを手に入れてから、目立っている。

 

「承知いたしました。では後ほど」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、その日の夜更けのことだ。

 

適当に街をぶらつき、新鮮な魚料理を賞味したり、海辺の景色を満喫したり、予約しておいたホテルのエステを受けたりと、そこそこ満喫していたキル子である。

今は風呂上がりの熱った肌を着心地のいいガウンで包み、ホテルの最上階からの夜景に見入っている。

 

昼間の海は透き通るようなコバルトブルー、その下を泳ぐ魚や珊瑚、雑多な生き物達がさらなる彩を加えていた。控えめに言っても絶景だったが、夜の海というのはまた一種独特な雰囲気がある。

満天の星明りに照らされて、深く静かな凪に揺蕩う広大な水面。それは不吉にも見えるし、神聖にも見える。そして、その下では数多くの生き物たちが、営みを送っている。

 

(ブループラネットが力説したはずだ…海は生命の源、すべての母か…)

 

残念ながら、彼方(リアル)の海は人類の行ってきた愚行のツケの象徴だ。

あらゆる汚染物質が最終的に流れ着く場所。人類の罪業のすべてをさしもの海も受け止めきれず、分解されないままに今なお大量の化学物質が溢れている。それは徐々に気化し、気流に乗って拡散し、海から離れた土地に住む者たちをも苦しめる。悍ましい悪臭と共に。

かつてそこで生きていた夥しい生命…魚類、貝類、ほ乳類等はほぼ死滅した。

 

此方の海は、かつて人類があらゆる表現で賛美し、ネットの中にその痕跡を残した美しい姿を、原形のままにとどめている。

こうした光景を目にする度に思うのだ。

この世界の神々は、形はどうあれ間違いなく子供達を愛している。羨ましい話だ。神のいない土地からやってきた身としては。

 

「…さて、そろそろかな?」

 

キル子が手元の数珠型腕時計を確認すると、時間ピッタリ。

ヒュルヒュルと気の抜けた音が鳴り、次の瞬間、夜空に大輪の花が咲く。

 

ユグドラシル最後の日、少なくない数のプレイヤーが、用意していたアイテム。カウントダウンに合わせて打ち上げられる筈だったそれは、その前に何処ぞのPKに襲われて奪われた。

結果として、キル子のインベントリには大量の花火が積み上げられたのである。

 

次々と打ち上がり、夜空を華々しく染めていく花火。

打ち上げているのは、ミズグモなるニンジャ特有のアイテムで、水面を滑るように移動しているトビカトウ。あとで褒めてあげよう。

 

できることならベートと二人っきりで、この素晴らしい景色を楽しみたかったのだが…

 

「たーまやー!ん~、花火を肴に飲む神酒(ソーマ)はまた格別やな!」

 

残念ながら今、キル子の向かいに腰かけて高い酒を食らっているのは、煮ても焼いても食えない大年増こと神・ロキである。

 

「ジブン、なんかめっちゃ失礼なこと考えとるやろ?」

 

「いえいえ、そのような」

 

「あからさまに目なんぞ逸らしよって。神じゃなくても嘘とわかるで」

 

誤魔化す為に、キル子も手元の酒杯を傾ける。卓に並ぶツマミの数々はルームサービスだが、酒だけは自前の持ち込みだ。

昨今では一杯100万ヴァリスを超えたとも噂される神酒。

キル子が市内の流通を制限して値を吊り上げた影響だが、そこに投機目的で参入してきた商人達のせいで青天井になってしまった。

 

「最近じゃ高過ぎて流石のウチも中々口にできん。…にしてもソーマの奴、天界に戻ってないんやないか、ってこの間の神会で騒がれとったな」

 

「それはそれは。私の店じゃ隠しメニューにしてますね。…それよりロキ様、こちらがご依頼の品になります」

 

ちょっと話が怪しくなりかけて来たので、キル子は早々にロキの希望の品を、テーブルの上に広げた。

 

それは地図だった。ただし、地上の土地のものではない。ダンジョン、それも特殊な区間の地図だ。

 

「これが、モグラの巣穴ってわけやな?」

 

「ええ。前回お見せした時より、だいぶ調査済みの範囲が広がりましたが、未だに全容が掴めません。思っていたより、ずっと広い」

 

モグラの巣穴…つまりは人知れずダンジョンに作られていた『人造迷宮』とでも言うべき場所のことだ。キル子はロキからその調査を依頼されている。

正直、面倒くさいが小姑(ロキ)の指示とあらば断るのは得策ではないし、キル子もあの場所にはちょっとした用事がある。ニンジャを一人か二人ほど割り振って、片手間のやっつけ仕事にしていた。

そのせいで、調査はなかなか進んでいない。単純に広いというのもあるのだが、あそこを利用している者達に気付かれないようにするのが骨だ。痕跡を残さずコッソリやるには、それなりに時間がかかる。

 

「確かに広い。しかも、至る所に罠。例のオリハルコン製の扉も腐るほどある。迂闊に突っ込んだら、えらい目に遭いそうやな」

 

地図に書き込まれた罠や扉を示す記号の数の多さに、ロキは思わず唸り声を上げた。

 

「こいつを利用してる連中の正体は?」

 

「不明です。見張らせていた部下からの報告では、ごく稀に白尽くめの怪しいのが出入りしていたようですが」

 

「白尽くめ、な。格好は典型的な闇派閥やけど…」

 

「強行手段に打って出れば、どうとでもなりますが、どうします?」

 

つまりは誘拐して聞き出すという事だ。

キル子が《人間種魅了(チャームパーソン)》か《支配(ドミネート)》の魔法で聞き出してもいいが、いずれにしても魔法の効果が切れた後で記憶が残る。捕虜を返すわけにはいかないので、騒ぎになるだろう。

 

ロキは地図を睨みつけて髪をかきながら、別のことを口にした。

 

「扉の鍵は、どうや?」

 

「専用の鍵がありそうです。どうやら手のひらに収まるくらいの、小さな球形をしているらしいのですが…」

 

調査が進まない原因のひとつに、入口や通路内の至る所に設置された扉の存在がある。

最硬精製金属(オリハルコン)製の扉は、当然ながら不壊属性を持ち、オラリオの技術ではほぼ破壊不可能。しかもその構成素材である最硬金属(アダマンタイト)が回廊全域を囲うようにして補強されている。

仮に中に侵入できたとしても、閉じ込められたら袋のネズミ。下手したら死ぬまで出られない。

ロキが眷属達ではなく、調査をキル子に依頼した理由の一つだ。

 

「それ、奪えへんか?」

 

「可能です。しかし、おそらく鍵はかなり厳密に管理されているでしょう。奪えばすぐにバレますが、それでもよいですか?」

 

「…せやな。鍵は欲しいけど、奪われた事に気付かれたとして相手の出方が読めん。おんなじ理由で強行策も却下や。やるなら、こっちの手が空いてるタイミングで一気にやる」

 

食人花を使役している連中が、ギルドの管理している正規のルート以外を使ってダンジョンに出入りしているのは明白だ。

本命は十中八九、モグラの巣穴の方だろう。人造迷宮のような規模の大きいものを作るなんて、常軌を逸している。

ロキはこの事を未だに協力関係にあるヘルメスやディオニュソスに流していない。単純にあの二柱の神が信用できないからだ。情報漏洩を気にして、眷属にも最高幹部の三人以外には話していなかった。

 

昼間の調査では、実際に港や湖周辺に食人花(ヴォイラス)が現れたのを確認した。穴が二つある可能性も無視できない。まずは本命の前に、他方から潰すべきだろう。

それに調査の最中に出くわしたカーリー・ファミリアの立ち位置も気になる。果たして食人花の件とつながっているのかどうか。カーリーに刺激されたのか、フィリテ姉妹、特にティオネの方がかなり感情的になっている。放っておくと、暴走しかねない。

 

「…二兎追うものは何とやら。とりあえず、オラリオに戻るまでは今の調子で続けたってや」

 

「では、そのように」

 

口元をそっと押さえながら、キル子はほくそ笑んだ。もう少しダラダラしてくれた方が、キル子的には都合がいいのだ。

 

調査を隠密裏にやるとなると、手段は限られる。キル子はアサシン系のビルドをしており、鍵開け技能を持っているが、どうしても本職のシーフに比べると劣る。レベル30程度の鍵がせいぜいだ。残念ながら、オリハルコンの扉には歯が立たなかった。

オリハルコンなどより遥かに硬い金属で出来たユグドラシル由来の武具を使えば容易く破壊できるのだが、あまりやり過ぎてはそれこそすぐにバレる。ただでさえ、キル子の内職というか小遣い稼ぎの為にあちこちガリガリ削っているのである。()()()()()()()に気付かれるのも時間の問題だろう。

 

ここでロキが大々的に動いてあの便利な鉱山の存在が広く認知されたら、キル子と同じ事を考える奴が確実に出る。

そうなったら買取相場は駄々下がりになり、あるいはギルドに根こそぎ没収されてしまうかもしれない。いざとなれば、エクスチェンジボックスを使えば無駄にはならないのだが、それは最終手段だ。

こっそりひっそりと甘い蜜を独占するためにも、もう少し時間を稼ぎたい。

 

「ジブン、なんか不埒なこと考えてへんか?」

 

「オホホホ、滅相もない」

 

「ふ〜ん?…まあ、ええわ。それより、約束の報酬やけどな」

 

一転してニタニタと人の悪い笑みを浮かべながら、ロキは幾つかの紙切れを取り出し、キル子にヒラヒラと見せびらかす。

 

「そ、それは!」

 

市壁の通行証、販売業営業許可証、不動産取得許可証、迷宮入場許可証、魔石取扱許可証… etc。

いずれもキル子が喉から手が出るほど欲しい代物である。

 

オラリオは意外なほどに社会基盤が整備されていて、市民の合法活動には必ず様々な文書が必要となり、取得にはギルドの審査が伴う。

例外は主神の裁量が全ての各ファミリアへの加入と、冒険者の権利だけ。

 

「ウラノスに話つけてコイツを手に入れるんは苦労したで。なんせ、ジブンは神から見てもツッコミ所満載のオモシロ生物(ナマモノ)やからな」

 

キル子の存在を他の神々、特に暇を持て余している暇神どもが正しく認識すれば、ちょっとした騒ぎになるだろう。

なんせ、何から何まで狂ってる珍獣だ。その癖、人格的にはさほど珍しくもない俗人。見ていて飽きないし、娯楽としては悪くない。眷属として取り込もうと、取り合いになるかもしれない。

…あるいは馬鹿な神の数だけ、血の雨が降るかも。あの愚かなソーマのように。

ロキは顔色ひとつ変えず、逆に面白そうに唇の端を釣り上げる。

 

「…?」

 

「なんでもない。それより、何でこんなもんが欲しいんや?」

 

ロキは邪気のない笑顔を浮かべ、純粋な疑問をぶつけた。

 

「いや、私もいつまでも根無草では、色々不都合がありましてね」

 

そう、キル子には今現在、公的な身分証明が一つもない。

だからこそ、リヴィラに店を出した。あそこだけは、オラリオにあって不動産の保持にも、営業活動にもギルドの認可がいらない。

ロキ・ファミリアやへファイストス・ファミリアとのコネクション、そして実質的なリヴィラの顔役としての影響力。それらはいずれも、目に見えない非公式なものに過ぎない。

よく言えば何処からかやって来て都市に居着いた異邦人、悪く言えば住所不定無職の浮浪者だ。

オラリオに根付く為の、あくまでリーガルな身分証明。キル子はそれを切実に欲している。

 

「…そういえばジブン、リヴィラに店を出したらしいな?」

 

「ええ、ロキ・ファミリアの皆様のおかげを持ちまして、そこそこ繁盛させていただいております」

 

キル子は謙遜してみせたが、実際には転移門の鏡によって物資を大量に運び込み、オラリオとリヴィラの物価差を利用して荒稼ぎしている。

 

「商人じゃない、なーんて言ってたわりには、やるやないか。リヴィラで大盤振る舞いしたって話、聞いてるで」

 

ロキは細い目をうっすら開けてコチラを見ている。どうせ情報を色々と仕入れていただろうに、白白しいことだとキル子は思った。

 

「いえいえ、自分の食い扶持を稼ぐための、ささやかなものですわ」

 

お金はあればあるほどよい。幸せの総量はお金の総量によって決まる、というのはリアルでは絶対普遍の法則だった。

 

「それに、お金は貯めるより使う方が楽しい性分ですので。恥ずかしながら、オラリオに来てからは放蕩三昧をさせていただいておりますよ」

 

キル子は優雅に笑った。

正直、今はやることなすこと全てが面白おかしくてたまらない。

汚染とは無縁の新鮮な空気や水を思う存分味わえるし、三度の食事は100%オーガニックの食材を使用していて美味。労働からは解放され、好きなときに寝て好きなときに起き、気ままに温泉につかってエステに通い、暇ができればそこらを適当にうろつくだけで、珍しい出来事が向こうから寄ってくる。

まるで、はるか昔に実在したという伝説の特権階級『ニート』になった気分だ。

 

それに、目をかけた良い男には、そろそろリーチをかけられる。

その為にも身分の証は必要だ。市民証さえ手に入れば、()()届出が受理される。

 

「ほーん?…まあ、なんや。ウチも鬼やないで。ひとまず一枚な」

 

いい笑顔でロキがキル子に渡したのは、市壁の通行証。

キル子が一番欲していたものではないが、実は意外に入手が難しく、オラリオではこれ一枚でも身分証の代わりになる。

調査にかけたコストに比べると、そこそこ釣り合いが取れるのが、見透かされているようで面白くはないが。

 

「ううう…くやしい。でも受け取っちゃう」

 

ビクンビクンとのたうつキル子に珍獣を見る視線を向けながら、ロキは空いた酒杯に神酒を注いだ。

もちろん老獪なロキには、キル子の狙いなどお見通しだ。

 

「しかし、ジブンも難儀なやつに入れ込んどるな」

 

話の切れ目を感じさせないほどなめらかに、ロキはそう口にする。

 

「そら、ウチのファミリアは自慢じゃないけど、イケメンが勢揃いやで。ウチが厳選しとるから」

 

思わず目をパチクリと瞬かせたキル子から目を離さず、ロキはグラスの中身を一気に飲み干した。お代わりを注ぎながら話を続ける。

 

「せやかて中には不器用な子もおる。()()()はその筆頭や。実際、ファミリアの中じゃ当たりがキツイ。あの性格やし、無理ないけどな」

 

キル子は苦笑した。自分の眷属に対してあんまりな言いぐさだが、間違ってはいない。

 

「そうですね、確かに器用な方じゃありません。でも、恋人にするならあのくらい性根のまっすぐな人の方がいいじゃないですか?」

 

「まっすぐ、ね。二言目には()()()()やで。それ以外にはほんと興味をしめさん。弱い奴はあからさまに見下す。そら疎まれるわ」

 

「下手なお為ごかしを口にされるより、ずっとマシです」

 

ムッとして、反射的に言い返してから、気付いた。

 

ああ、ダカラかも知れない。

キル子は世界が理不尽だと知っている。人は不平等だと知っている。それは彼方(リアル)でも此方(オラリオ)でも変わらない真実だ。

例えゲームの中の戯れだとしても「困っている人は助けるのが当たり前」だとかいうブラックジョークは口にしたくもない。

あのリア充バッタ野郎と相性が悪かったはずだ、と今更ながらに納得した。

そして、()に惹かれる理由も。

 

「…そういう人だから、自分に振り向かせたくなるじゃないですか」

 

キル子こと、田中桐子は知っている。つくづく自分は、本当に嫌になるくらい平凡なのだと。

辛く苦しい逆境においても自分を貫き、立ち向かえる者は多くない。少なくとも自分には無理だった。

現実(リアル)では弱くて、卑小で、ちっぽけで…自分を誤魔化して漫然と生きていた、最底辺の労働者。挙句、何の因果かこうなったら、チートに頼って好き放題。こんなザマを晒している。

だから本物の強さ、魂の輝きをもつ男達が眩しくて、尊くて、憧れて…どうしようもなく惹かれてしまう。花に誘われる蝶、いや、炎に焦がれ焼かれる蛾のように。

 

キル子は細く柔らかく、儚く笑った。

あの時、優しく頭を撫でてくれた、手の暖かさを思い出しながら。

 

それは思わずロキが目を見張るほど、優しい微笑みだった。

 

「…本気、なんやな」

 

なまなかな気持ちで可愛い眷属に言い寄っているなら、ロキは一言釘を刺そうと思っていた。

はっきり言ってロキから見ても、キルコは眷属として傘下に収めるには劇薬過ぎる。付かず離れず、今のビジネスライクな距離感がちょうどよいのだが…

 

ロキには、もう何も言えなくなってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

キル子がロキと酒盛りに興じていた同時刻。

オラリオ市内でも、ささやかな宴が開かれていた。

 

「…では遅まきながら、みなさんのランクアップ記念兼遠征成功記念兼無事に集まれた記念兼その他何やかやの記念ということで…乾杯!!」

 

「「「乾杯!!!」」」

 

グラスが突きだされ、声が唱和される。

 

音頭を取ったリリルカと同じテーブルを囲んでいるパーティメンバーの4人だけではない。周囲のテーブル席から一斉に酔客が声を合わせた。

酒場の中では宗派(ファミリア)の違いもさして意味はなく、無礼講が冒険者のお約束。たまにこうやって羽目を外し、酒場で見知らぬ誰かと杯を交わすのは嗜みとも言える。

 

ベル達も声を揃えて喝采し、カチンとグラスを合わせると、冷えたエールを飲み干した。

 

「ぷっはぁ~~!!うめ~~!!」

 

「この一杯のために生きてるって感じだにゃ!」

 

「…おやじ臭いですよ、二人とも。店員のお姉さん、ジョッキ三つ追加でお願いします!」「はい、ただいま!」

 

そう言うリリルカも早々にジョッキを空にしている。

意外にもリリルカはザルである。いくら飲んでも酔っ払ったところを見たことがない。

 

「あ、この豚肉おいしい」

 

腹肉(ロース)の揚げ物は柔らかく、揚げたてではないが甘酢の(スープ)で揚げ浸しにしてあって、よく味が染みている。付け合わせのニンニクと玉ねぎも、ほどよい歯ざわりだ。

 

ベルはあまり酒が得意ではない。特にエールは少し苦みがあって苦手なのだが、こういう如何にもな冒険者の酒場で最初に飲むのはエールがいい。冒険者の様式美というやつだ。

なので、二杯目以降はあまり甘くないワインの水割りをチビチビ空けながら、料理をつつくのが定番だった。

 

「このエビの炒め物もいけるな」

 

ヴェルフは器用にチョップスティックを操って、大皿に盛られた川エビの塩炒りに舌鼓を打っている。

 

「はい、ベルさん。どうぞ」

 

「ありがとう、リリ」

 

リリルカがベルの皿にハッシュパピーの山を取り分けてくれた。皿を受け取る際に肌が触れ合い、爽やかな香水の香りが漂ってくる。唇にも薄いピンクのリップ。

最近のリリは綺麗だな、とほんの少しだけ頰を染めたベルは、照れ隠しに唐黍の揚げ団子を口いっぱいに詰め込んだ。ほんのりした甘味に塩が効いていてうまい。

 

この町の大衆食堂はどこに行ってもそうなのだが、きつい肉体労働をこなす冒険者の為に、油と塩気の強い料理が多い。量も盛りだくさんだ。それがまた安酒とあう。

ベルが時折食べに行く『豊穣の女主人』もいい店なのだが、人気店なだけに早々に席が埋まってしまうし、少々お高い。今回は人数が人数なので、リリルカが見つけてきたという穴場の店をチョイスしたが、当たりのようだ。

何処のテーブルも人であふれていて、活気がある。そのほとんどが冒険者だ。堅気らしいのは一人もいない。

 

一つだけ、気になるのは…

 

「コレ、モウ一皿!」

 

奥のテーブルを占拠して、一人で大量の料理を食べている白いワンピースを着た少女。

空いた皿が天井にまで達するように積み重ねられている。あの細身のどこにあんな量が入るのだろう。

 

「美味シイ!美味シイ!魔石ト違ッテオ腹膨レナイケド、美味シイ!」

 

どこかで見たような顔の気がするのだが、気のせいだろうか?

 

何とか思い出そうと頭を捻っていたベルだが、不意に隣で楽しそうにジョッキをあおっていたロイドが、悲しそうな表情を浮かべて呟いた。

 

「それにしても、キルトの姐御はどこに行っちまったんだろうなぁ…」

 

「そうだね。いろいろ探してみたんだけど…」

 

ベルも眉を曇らせる。

 

あの日から再び、冒険者・キルトは姿をくらましていた。

代わりにリヴィラで囁かれていた噂が、冒険者たちを経由してオラリオ市内でも広まり始めている。

曰く、ゴライアス討伐の立役者。

曰く、リヴィラの守り手。

曰く、呪いに侵された姫騎士。

若干、脚色されている気もするが、噂なんてそんなものだろう。

 

怪物祭に引き続き、新たなキルトの英雄譚は噂好きの市民から喝采を受けた。

ギルドには当然のごとく様々な冒険者や神々から問い合わせが殺到しているらしいが、大した情報は出てこない。

 

「ゴライアスと相打ちって噂、聞いたにゃ」

 

「傷が深くて療養中って話ですよね?」

 

「俺は呪いのせいだって聞いたぜ。なんでも意識を乗っ取られかけて『闇のキルト』の人格が表に出てきそうだとか」

 

現場にいたベル達にしてみれば、どれもこれも信ぴょう性の高い噂ばかりである。

残念ながら本人には会えずじまいだ。今日の打ち上げにも、出来れば誘いたかった。無事ならいいのだが…

 

場の空気が少し沈んだ、その時だ。

 

「なんだなんだ⁈何処ぞの目立ちたがり女が、有名になったなんて聞こえてくるぞ!」

 

少し離れたテーブルから、そんな声が聞こえてきたのは。

 

ギリっと、ベルは誰かが歯軋りする音を聞いた。自分だった。

 

キルトの噂に対して、何も好意的な反応ばかりではない。もともと目立つ同業者というのは、冒険者にとって目障り以外の何物でもないのだ。

 

新人(ルーキー)は怖いもの無しで羨ましいぜ。目立つところで騒いだだけで、さも自分が英雄様みたいに吹聴しやがる。呆れてものが言えねぇな」

 

その声は不思議なほど店内に響き渡り、ベルの周囲のテーブルで騒いでいた冒険者たちは、一斉にそちらを睨みつけた。

当の本人は気が付いていないのか、それともワザと煽っているのか、一向に止める気配がない。

 

「そしたら今度はゴライアスを倒してリヴィラを守ったって?嘘もインチキもやり放題!オイラ恥ずかしくて、とても真似できねぇよ!」

 

ちょうどベル達とは通路を挟んで向かい側の大テーブルを占拠している、黒っぽい軍隊じみた制服に身を包んだ集団の1人。栗毛の髪を撫でつけた小人族(パルゥム)の男。

あの辺りのテーブル席の一団は、どうやら全員が同じファミリアに所属しているらしい。

 

「オイラ知ってるぜ、『姫騎士(ワルキュリア)』なんて煽てられてるけど、運よく他の派閥(よそ)の手柄を掠め取っただけじゃねーか! カスみてぇな屑ファミリアの連中を掻き集めて、新進気鋭のラッキーズでござい! ときたもんだ! ま、運はいいな。運だけはな!」

 

憧れの冒険者を悪し様に罵られるのは、気分のいいものではない。それが根も葉もない誹謗中傷となればなおさらだ。

 

()()()だったっけ?どんなアバズレか、顔を拝んでみてぇよ。面の皮だけで1メドルはあるんじゃないか?…いや。案外、顔だけは良かったりしてな!じゃなきゃ、他の派閥の連中を咥え込んで手柄を横取りなんざ、できねーもんな!」

 

とうとう、ベルは席を立ちあがった。

 

「どっちにしろ、とんだ売女…ぶふぇっ!!」

 

ベルが動くより早く、景気よく演説をぶっていた小人族は、横合いから伸びてきた腕に張り倒された。

 

「…おい、チビ。幸運な奴ら(ラッキーズ)がなんだって?」

 

テーブルを囲って談笑していた冒険者の1人が立ち上がり、拳を振り上げている。その額には幾重もの青筋が浮かんでいた。

さらに、彼の仲間と思しき冒険者たちも立ち上がる。

 

「…そりゃあ、俺たち全員に喧嘩売ってるってことだよな?」

 

「…キルトお姉さまを侮辱したわね、この〇〇野郎!!」

 

「…一度吐いた唾は飲めねぇぞ!」

 

さらにはその奥のテーブルからも、そのまたさらに奥のテーブルからも、次々に冒険者が立ち上がる。

 

「え…ちょ?…え?」

 

栗毛のパルゥムは鼻血を流しながら身を起こし、首をめぐらして自分に集まった敵意の視線を数えた。

 

「まさか…このあたりのテーブル全部…?!」

 

遅まきながら状況を理解したらしく、浅薄な小人野郎から血の気が引く。

 

過日、怪物祭にて冒険者キルトに率いられ、ソーマ・ファミリア酒蔵前の決戦に参加した下級冒険者は、全員がランクアップした。そう、()()だ。

ヴェルフを除くベル達4人はたまたま同じパーティを組んでいたが、俗に『幸運な奴ら(ラッキーズ)』と呼ばれる冒険者は、ほかにも大勢いる。

そして、今日はあの時のほぼ()()が集った打ち上げだった。

 

当然、ベルと同じテーブルを囲んでいた彼の仲間たちも面白いはずがなく、全員が無言でその小人族を睨んでいる。

 

うわ…あの人の悪口をあんな堂々と…命がいらないんでしょうか?

 

何故かリリルカだけは、冷汗を流していたが。 

 

「チッ… ルアン、どけ。もう、これは収まらん」

 

事ここに至り、小人族のファミリアの団員達も席を蹴倒して立ち上がる。

 

一触即発。

 

誰かが振り下ろした酒瓶が、ゴングの代わりだった。

 

「やっちまえ!」

 

「地獄に落ちろ!」

 

「返り討ちだ、クソが!」

 

皿やらジョッキやらが宙を舞い、椅子やテーブルが凶器に変わる。

酒瓶が飛んできたのを誰かがつかみとり、投げ返してストライクを決める。

誰かが高笑いを上げて椅子を振り回し、別の誰かがそいつの横面を張り倒す。

 

誰も商売道具(武器)には手をかけていない。せいぜい机や椅子、その場にあった食器のみ。それが冒険者同士の喧嘩の、暗黙の了解だ。

多少の喧嘩ならお目こぼしされるが、刃傷沙汰はご法度。ギルドが動いて面倒なことになる。

 

店の人間は頭を抱え、巻き込まれてはかなわないとカウンターの後ろに退避していた。文句を言う度胸はない。何せ相手は恐ろしい冒険者、下手に止めては何をされるかわからない。

酒場の建物はそこそこ立派で頑丈だが、ドアやテーブルはオンボロを使っている。冒険者が暴れて、壊されるのも計算のうち。その分の勘定は、酒と料理の代金に含まれている。

 

迷宮で命を張り、大いに飲んで騒ぐ。それが冒険者だ。

血の気が荒く、酒場でちょっとしたことで喧嘩をする。それも冒険者だ。

 

双方はさほどレベルにも人数にも差がなく、いい勝負になっていたが、一人、黒い制服を着た連中の側に、頭一つ抜きんでた男がいた。

実力は幸運な奴ら(ラッキーズ)より上、Lv.3はあるだろう。複数のLv.2冒険者を相手取って、見事にいなしている。

大喧嘩に発展してしまったのは本意ではないのか、なんでこうなった、と顔に書いてあった。

彼の主神である『守備範囲の広過ぎる変神(へんじん)』が、『姫騎士』と謳われた冒険者を見初めたため、何とか誘き出そうと至る所で挑発紛いの行動をしていた…なんて事情は、この場の誰の理解の範疇にもない。

残念ながら、こうなってしまっては不毛な殴り合いに興じるのみである。

 

だが、いつ終わるとも知れない大乱闘は、唐突に終わりを迎える。

 

「ゴ飯ノ邪魔スルナ!カエレ!!」

 

奥のテーブルで騒ぎを気にせず食い、飲んでいた例の少女が、突然キレた。

直接的な原因は、顔面に向かって飛んできたスパゲティの皿だろう。端正な顔はトマトソースに塗れ、艶を放つ金髪の上には茹で上がった麺が乗っかっている。

 

【…大気ヲユラス轟、幽ケキ稲光ヲココニ。我ハ雷ノ精霊】

 

喧噪が支配する酒場の中でも、その声は不思議なほどよく響き渡った。

思わずその場の全員がギョッとして振り返る。

 

冒険者の表道具を使うのは禁じ手だが、店ごと破壊しかねない『魔法』を使うのはさらにまずい。確実にギルドに目を付けられる。

 

「や、やめ…!!」

 

近場にいた男が手を伸ばしたが、残念ながら詠唱が完成する方がずっと早かった。

 

【エレクトロ・バインド!!】

 

解き放たれた電撃の網が、その場にいた冒険者達の視界を埋め尽くした。

その一本一本が、電撃で構成された細い糸。雷属性攻撃としてはかなり微弱で、せいぜい皮膚や髪の毛の先端を焦がす程度。

しかし、同時に齎される〈硬直(スタン)〉の状態異常の効果を食らい、冒険者達の体は反り返り、その顔は激痛に歪み、堪らず床に倒れ伏す。

 

「怒ラレルカラ、一人モ殺サナイ。アリア、手加減覚エタ。コレデ落チ着ツイテ食ベラレル」

 

酒場の冒険者は、陣営を問わず全員まとめてノックアウトされた。

命を落としたものはいないが、筋肉が痺れてしまって、床で呻き声をあげている。

例外は、右手にはめた指輪の力で〈硬直(スタン)〉を無効化したベルと、その腕の中に庇われて雌顔になっていたリリルカのみ。

 

喧嘩には加わらず壁際に退避していたベル達は、得意満面に目の前を横切る少女を呆然と見守った。

 

「コノオ肉、モウ一皿チョウダイ!」

 

惨劇を引き起こした主犯は、カウンター裏にいたために難を逃れたコックを捕まえ、豚肉のフライのおかわりをねだっている。

 

「…アリア殿、もう十分に食されたじゃろう。そろそろ戻りまするぞ」

 

何処からともなく現れた、作務衣を着た白髪の老人が、空の皿を眺めて呆れたように窘めた。

アリアと呼ばれた少女は頬を膨らませたが、反抗することなく素直に従う。

 

「ウ…分カッタ。帰ッテ甘イノ食ベル」

 

「腹八分目と申しますじゃ」

 

老人は少女が食べた分のヴァリスを支払うと、連れだって去って行った。

 

「な、何だったんでしょうね?」

 

「さ、さあ…?」

 

 

 

 

それが幸運な奴ら(ラッキーズ)とアポロン・ファミリア、そして、その他一名の因縁の始まりだった。

 

 

 




こたつが手放せませぬ。甥っ子に腹の肉をプヨプヨされて、笑われる瞬間が切ないんや。

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