ダンジョンにユグドラシルの極悪PKがいるのは間違っているだろうか?   作:龍華樹

23 / 32
いつも誤字修正ありがとうございます。


第22話

次の日、方々にせわしなく調査に駆け回るロキ・ファミリアの女性団員を他所に、キル子はある人物と会談していた。

 

「…で、景気よく花火をぶち上げたのは、お前さんだって話だが?」

 

頭部が見事に禿げあがった、五十路前後の大柄な男。もちろん、キル子の趣味からは完全に外れている。ビジネスの話をしにきたのだ。

ボルグ・マードック。このメレンを治める街長だ。

 

「はい、マードック様。オラリオで雑貨商を営んでおります、キル子と申します」

 

キル子は合掌すると深々と頭を下げてアイサツした。アイサツは大事だ。

キル子の背後に控えていたトビカトウとフウマも揃って頭を下げる。

実際にはキル子はダンジョン18階層にあるリヴィラに拠点を構えているわけだが、オラリオの中にあるのは確かなので嘘ではない。

 

「丁寧に痛み入る。知ってるとは思うが、街長のマードックだ」

 

マードックも軽く会釈してアイサツを返した。

 

「この度は勝手をしました事を謝罪いたします」

 

「いいさ。どうせ現物を見るまで信じられなかっただろうからな。それに、見事だった」

 

キル子は再度深々と頭を下げたが、相手は気にするな、と笑いながら答えた。

マードックの口元は笑みを浮かべているが、目は油断なくキル子を見据えている。

 

メレンは、昨日の夜に何の予告もなしに打ち上げられた、花火の話題でもちきりだった。

ここのところ交易船がモンスターに襲われたり、魚が思うように取れなかったりと憂鬱な話題ばかりだった市民には久々に明るい話だ。あれをやったのはいったい()()()()()()なのかと、誰もが知りたがっている。

何せ、花火というのはとても高価な趣向品である。貴重な薬剤を大量に使い、優れた職人が手間暇かけて作り出し、ほんの一瞬で燃えて消えてしまう。こんなものを入手し、実際に使えるのは、金の有り余っている人間だけだ。

 

「お気に召して頂けたならば、幸いでございます」

 

本来ならベートと共にベッドで鑑賞して雰囲気を盛り上げる小道具だった筈なのだが、肝心の想い人が不在でも惜しまず打ち上げたのには訳がある。

もちろん、ロキを喜ばせる為ではない。この男との交渉材料に必要だったからだ。

 

実は昨日、キル子は事前にアポなしでマードックを訪問していた。そして、見事に門前払いを食らった。

キル子はそれを当然のこととして受け止めた。この街を治める名士が、どこの馬の骨ともわからない女に易々と会うはずがない。

そこでひとまず出直す事にして、応対した使用人には手土産を託すとともに「今夜、メレン近海の洋上で花火を打ち上げるので、是非ご鑑賞ください」との伝言を頼んだ。使用人がそれを主に伝えるかどうかは、この際どうでもよい。実際に花火が打ち上がったなら、マードックはその理由を調べずにはいられないだろうから。

そうして、花火という誰の目にも明らかな財力の証を誇示したことで、ようやく相手は交渉のテーブルについたのだ。

 

実際に相対してみると貴族というより、ヤクザクランの頭目のような、妙な迫力を感じる男だとキル子は思った。

本質的に粗野な冒険者ともまた違う。本物の貴族なんぞ見たことないのだが、その印象はさほど間違っていないだろう。

 

「それで俺の船を使って荷を運びたいという話だが…?」

 

そう、この男はメレン港の船便を牛耳る船乗り達の元締めなのだ。地元の漁師達からも『ボルグ親父』と呼ばれて親しまれているという。街長というのはその延長上の役割に過ぎない。

 

「はい。どうか船の空きを都合いただけないでしょうか。そこまで嵩張る品ではないので、一口でもよいのですが…?」

 

「うちは一口1000キルロ以下の荷運びは引き受けない」

 

「存じております」

 

マードックはキル子の身に着けている黒地に彩り豊かな花火をあしらった着物や帯、髪を彩る金銀細工の簪、そして持参した手土産に視線を走らせ、僅かに眉根を寄せた。

遠い土地からやってきた金満商人か、あるいは単なる好事家か。さもなくば山師か、詐欺師の類か。キル子の正体を図りかねたのだろう。

 

荷船というのは利益を出すのにひどく時間と手間のかかる商売だ。

マードックの手がけている航路だと、一番近場でも片道10日はするだろう。それだけの航海をこなせる熟練の船乗りを確保しておくのがまず難しい。

金もかかる。船員たちの給料や航海に必要な消耗品の数々、船だって傷む。途中でモンスターに襲われるか、嵐に巻かれて船が沈むなんてのも珍しくはない。

その分、リターンは大きいのだが、どだい素人がおいそれと手出しできる商売ではないのだ。

 

さて、財力があるのは花火の件で証明済み。そこらの詐欺師が用意できるような代物ではないが、信用のない新参者を商売にかませるのはリスクが高い…とでも思っているに違いないとキル子は踏んでいた。

 

「船便の空きはないこともない。だがな、おいそれと見知らぬ人間の荷をうけるわけにゃいかねぇ。他の荷主の推薦か、それなりの身分の証が必要だ」

 

「こちらをどうぞ」

 

間髪入れずにキル子が差し出したのは、オラリオ市壁の通行許可証。昨夜、ロキから受け取ったばかりの品である。

 

マードックは一目見るなり、片眉を上げた。ギルド発行の正規の書類だ。信用が違う。

 

「…人が悪いな、あんた。最初からこれを見せていたら、話が早かったろうに」

 

「ギルドの回し者かと思われるのも躊躇われましたので。なんせ、ギルドは私ら商人に優しい方々ではありませんでしょう?これを手に入れるのも、それなりの出費でした」

 

マードックは満足そうに頷いた。

いきなりコレを見せられて、さあ如何だと居丈高に切り出されたら、マードックは問答無用で叩き出していただろう。

彼にしてみれば、ギルドは都市の玄関口であるメレンに対して何かと口を出そうとしてくる鬱陶しい連中だ。商売に必要な相手として付き合いはするが、決して好いてはいない。

この話の持っていきかたは、マードックの面子に十分に配慮していた。

 

サラリマン時代に鍛えられた接客スキルのおかげでキル子の腰は恐ろしく低く、マードックの自尊心を満足させるものだったし、外面がよく見た目だけなら絶世の美女だ。美人に煽てられたら、誰だって悪い気はしない。

その上で、花火という手札で財力を誇示してもいる。詐欺師や山師ではない、あくまでビジネスが目的だと、わかりやすく主張しているのだ。

いけすかないギルドの手先なら、こんな迂遠なことはしないだろう。

 

ようやくマードックは相好を崩し、人好きのする微笑みを見せた。

 

「いや、試すような事を言って悪かった。昼前にロキ・ファミリアの奴らが押しかけてきてな。食人花がどうとか訳の分からん事を聞いてきたが、ギルドと連んでる連中に話すことは何もないと追い返してやった。てっきりあんたもそうかと早合点しちまったよ」

 

「いえいえ、お気になさらずに」

 

キル子は笑顔で相槌を打ちながら、内心で首を傾げていた。

ギルドを嫌っていることまでは予想していたが、それを理由にオラリオ最強勢力の一端であるロキ・ファミリアまで門前払いとは、想像以上に当たりがキツい。

オラリオに出入りする商人達の間では『下手な王侯貴族より神の派閥(ファミリア)に手を揉め』とされている。キル子がロキ・ファミリアやへファイストス・ファミリアとそうしているように、強大なファミリアとの繋がり(コネクション)は何かと便利なのだ。

或いは、何か後ろ指を指されると困るような商売にでも、手を染めているのだろうか。

 

「いいだろう、新しい顧客は歓迎するよ」

 

「ありがとうございます」

 

まあ、マードックが裏でどんな悪事に手を染めているか知らないが、キル子自身に関わりが無ければ無問題(ノープロブレム)だ。

 

「だがな、お嬢さん。新しく枠を入れるとなると、少しばかり割高になるんだが、それは勘弁してくれないか」

 

マードックの目の輝きが変わった。余所者を警戒する街長ではなく、ビジネスチャンスに沸き立つ商売人の目だ。

 

「そうでございましょうね。ここは天下のメレン港。オラリオ特産の魔石道具を世界に運ぶための玄関口ですから」

 

「まあ、そういうことだ」

 

そこからは商談の時間だった。

船荷の中身、船の選定、荷を運ぶ場所、出航の日程、現地で受け渡しに同行する随行員の数、それに何より大事な代金に関する諸々。

最初、マードックが提示した金額は、キル子が当たりをつけていた額のほぼ二倍だった。花火の件で金があると見られたらしい。ボッタくる気なのは明白である。

そこからやんわりと食い下がり、三割ほど値引かせたが、キル子の交渉スキルではそれが限度だった。

 

おおよその内容で合意が取れると、マードックは部下に命じて羊皮紙に文書を書き起こし、キル子に差し出した。特に問題がないことを確認して、最後に互いのサインを入れる。

これでひとまずの契約は成った形だ。後は規定の金額を為替でやり取りすれば、正式に発行される。

 

「お手間をおかけいたしました、マードック様」

 

柔らかく微笑みながら頭を下げたが、キル子は内心穏やかではなかった。禿げ爺め、ボリ過ぎだろう。

 

「いやいや、なかなか手強いお嬢さんだ。今回は勉強させて貰うよ」

 

とか何とか言っているが、おそらくマードックには最初から折り込み済みの妥協点だったに違いない。万年ヒラ事務員だったキル子とは、さすがに年季が違う。相手の方が一枚も二枚も上手だ。

 

「またまた、お上手ですわね」

 

「本気さ。俺がもう十も若けりゃほっとかないんだがな。それにやり手だ。船荷のリストを見せて貰って驚いたよ。まさか神酒(ソーマ)とは!…よく手に入ったな」

 

キル子が提示した書類を眺めて、マードックは探るような視線を飛ばした。

 

「ええ、うちの目玉商品です。何かと値上がり気味の神酒(ソーマ)ですが、ラキアか海洋国(ディザーラ)辺りに持っていけば更に値が跳ね上がると聞きましたので。それに極東由来の商品の仕入れもと思っております」

 

ダンジョンを抱えるオラリオは豊かな土地だが、稼ぎ頭の主役は冒険者だ。

そして冒険者が何より金をかけるのは武器や防具、ポーションなど。高価な嗜好品の需要は都市外の方が高い。

収入面でも安定した荘園を抱える貴族達の財力は、大手派閥のそれと比べても遜色がない。

 

「なるほどな、それで俺もお溢れに与れたってわけだ」

 

マードックはニンマリと笑ってキル子の手土産、神酒入りの小瓶を手に取った。

これが、マードックの心証をよくした最大の理由だった。この男、大の酒好きなのだ。

 

「このご時世、高級品志向で差別化を図らないとやっていけないもので。物が物ですので、くれぐれも扱いは丁寧にお願いいたしますね。詳細は船に同行させる、このフウマとトビカトウに一任します」

 

キル子がアイコンタクトをすると、ニンジャ達が頷く。

 

「払うものを払ってくれれば何だろうが、誰だろうがキッチリ運ぶさ。ご禁制のもの以外ならな」

 

最後に握手をして、キル子はマードックの館を辞した。

脂ぎった中年男の手の感触が不快だったので、館を出るなり入念に手を清める。

白地に金魚をあしらった手ぬぐいはユグドラシル産のアイテムで、汚れを落とす第1位階魔法《清潔(クリーン)》と同じ効果がある。汚れや返り血などを落とすと、地味に探知系能力にかかり辛くなるのだ。

 

やがて納得いくまで手を拭うと、キル子は煙管を吹かしながら港町の雑踏を歩き、思索に耽った。

まあ、こんなところだろう。

結局のところ神酒の輸出は小遣い稼ぎを兼ねたブラフ。あまり舐められても面白くないので食い下がってみせたが、何ならマードックが最初に提示した金額を丸呑みしても、キル子としては何ら問題がない。

本当の目的は()()()()を持たせたフウマ達を、現地まで送り届けてもらうこと。それさえできれば御の字だ。

 

「フウマ、トビカトウ。貴方達に転移門の鏡(ミラーオブゲート)を託します。《伝言(メッセージ)》を使えるようになるアイテムも渡しておくから、道中は連絡を絶やさないように」

 

「ハッ!必ずやご期待に沿います!」

 

「あい!」

 

地味だが大事な任務である。

海の向こうに、新たな拠点を設置する為に。

 

キル子はユグドラシル時代、PKをやる必要からナザリック9階層の自室は滅多に戻らず、フィールド上を転々としていた。その為、グリーンシークレットハウスや転移門の鏡等のアイテムをそれなりの数、所持している。それを使えば、さほど難しくはない。

 

「期待していますよ」

 

オラリオをそうそう離れる気のないキル子だが、それはそれとしてこの世界には他にどんな珍しい物があるのかと、気にならないわけではない。

自在に転移可能な拠点を各地に作っておけば、何かと便利だ。遠隔地貿易で、それなりに利ざやを稼ぐこともできる。

まずは手堅く船舶を使った大陸沿岸の輸送路の把握から始めるが、いずれはオラリオ南東の陸路、大砂原(グランド・サンド・シー)『カイオス大砂漠』の方面から数多くの国がひしめく大陸中央にまで進出する気でいる。

 

かつて、未知を探索する、というのがユグドラシルというゲームの醍醐味だった。

プレイヤーには必要最低限の情報しか与えられず、最初期はコンソールの使い方ぐらいしか情報がない状態で世界に放り込まれたそうだ。あまりにも未知な事が多すぎるのでプレイヤーからは「製作元まじ狂ってる」とか「糞運営」などと呼ばれ、「限度という言葉をどこかに忘れてきたのだろう」と言われていたらしい。生憎、キル子がユグドラシルを始めたのはサービス開始から何年か経った後のことだが。

今この状況は、それに近い。モモンガあたりなら大喜びしただろう。

或いは、この美しくも広大な世界の何処かに、キル子と同じようにかつての仲間たちか、あるいは仇敵が流れ着いているのかもしれない。そう考えるのは愉快だった。

 

それに、キル子にはどうしても手に入れたい食材があった。

コメだ。日本人が愛してやまない作物、コメ。

リヴィラで親しくなったタケミカヅチ・ファミリアの連中から、極東にはコメがあると聞いた。やたらニンジャに食いつくポニテ女子で、知りたいことは何でも素直に答えてくれる便利な奴だ。

そして、コメさえあればスシができる。実際スシは栄養豊富な完全食だ。ニンジャ達や、最近仲間にした腹ペコの精霊も喜ぶだろう。

かつてキル子が口にできたスシといえば、合成加工したバイオ・サカナの粉末に、化学調味料スープを加えてペースト状にし成形したものだが、此方なら至高の贅沢、オーガニック・スシが食べられる。

ユグドラシルから持ち込んだ食材アイテムもいずれ先細りすることが目に見えている今、コメの確保は急務である。

キル子は期待に胸膨らませた。

 

「さて、用は済んだし、オラリオに戻るかなぁ。ホテル代がもったいないけど、ダブルの部屋に一人で泊まるのもねぇ…」

 

数日はバカンスに滞在するつもりで部屋をとっていたので、根が小市民なキル子は宿賃がもったいないと思ってしまう。だが、ホテルの人間に、彼氏にドタキャンされた哀れな女だと思われるのも憂鬱である。

ロキから受け取った通行証があればオラリオには出入り自由。マードックとの交渉が長引いたせいで、日は大きく西に傾いているが、キル子とニンジャ達の足なら日暮れまでにオラリオに辿り着けるだろう。

 

「…決めた。夕飯に魚料理でも買って帰りましょう。これからはいつでも来れるわけだし、リヴィラで留守番してるハンゾウ達のお土産でも……⁈」

 

不意に、常時発動している聞き耳系スキルが、魂消るような悲鳴を捕らえた。

隣でキル子の護衛を勤めるフウマ達も、ほぼ同時に気が付いたらしく、騒ぎの起こった方を眺めている。

 

「?……ッ!!!」

 

何事かと《千里眼(クレヤボヤンス)》の魔法を使って現地を覗き見した瞬間、キル子は全力疾走した。

瞬時に屋根の上まで飛び上がり、一蹴りで数十メートルを跳躍。その背後には二人のニンジャが周囲を警戒しながら続く。

三歩も()()を蹴り進めば、瞬く間に現場に到着する。そこでキル子が目の当たりにしたのは、惨劇の瞬間だった。

遅れず着いてきていたフウマとトビカトウを抑え、キル子は自ら飛び込んだ。彼らでは間に合わない。

 

「【刹那の極み】!!」

 

瞬時にキル子の時間が極限まで加速され、相対的にそれ以外の時間の流れが鈍化する。

 

ゲームじゃないんだぞ、クソが!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ティオネ・ヒリュテは歯を食いしばった。

 

街中で、肩がぶつかったと因縁をつけて地元漁師を甚振っていた同族。思わず止めに入ったが、やはりというべきか、それでは収まらなかった。力こそ全て、強いものこそ美しい。それがテルスキュラの流儀なのだから。

おまけに相手はかつてティオネに戦い方を仕込んだ師、カーリー・ファミリア団長のアルガナ・カリフ。この女の血の気の荒さは嫌になるくらい知っている。一度戦い出したら血を見るまで止まらない。

それに、突っかかってきたアルガナを凌ぐうちに、ティオネ自身も抑えが利かなくなってしまった。この女と顔を合わせたのなら、故郷での因縁を精算しないではいられない。

 

徐々にヒートアップする戦いの最中、ソレが目に入った。

 

「いやぁあああー!!」

 

幼い悲鳴。巻き込まれ、逃げ遅れた子供。ティオネは思わず振り返っていた。

 

瞬間、脳裏に思い起こされるのは、あの日、故郷でこの手にかけてしまった親友。

酷く怯えた子供の表情は、彼女と似ても似つかなかったが、あの頃とほぼ同じ年の女の子。

しまった、と思考が行動に追い付いた時にはもう遅い。ティオネはアルガナに殴り飛ばされていた。懐に、少女を庇いながら。

 

「…なんだイマのは…?かばったのか、ソレを?」

 

訛りのきつい共通語(コイネー)からでも、アルガナの困惑が読み取れる。

 

「変わったな、オマエ。強くなったのか、弱くなったのか…少なくとも、センシではなくなった」

 

この女には、いやテルスキュラのアマゾネスには理解できない行動なのだろう。他者を、弱きものを守るということが。かつて自分がそうだったように。

 

そもそも闘い、強くなることはアマゾネスの本能。

テルスキュラで生まれたアマゾネスは立って歩けるようになれば恩恵を刻まれる。言葉を覚えるより先に闘技場(アリーナ)に放り込まれ、ゴブリンと戦い、殺し方を覚える。

徐々に戦うモンスターは強くなっていき、闘技場と寝食を行う石の大部屋、二つの場所を移動するだけのシンプルな日々が全てになる。モンスターを殺すか、自分が殺されるか、それだけだ。

そうやって物心ついた時にはモンスターと、そして時には捕らえられた人間と殺しあう生活に疑問を持たなくなる。

 

最終的には、同じく恩恵を刻まれた同族同士での殺し合いだ。互いに仮面を被り、誰が敵となるかもわからない状況で、殺しあう。

同胞の少女を得物で殺し、素手で殺し、技で絞め殺す。闘技場の観客席からは絶えず歓声が響き、女神が笑う。いつからかティオネの心には、乾いた風が吹いていた。

心の支えは、同じ大部屋に放り込まれた同年代の仲間達。毎日同族同士で殺しあうテルスキュラでも、同じ部屋で育った仲間とだけは殺し合わずに済む。そのことが心を楽にした。

 

だが、ある日。

いつものように闘い、いつものように殺した。

剥がれ落ちた仮面の裏に見た顔は…

 

慟哭の中、ティオネはランクアップを果たした。

 

「お前、まだセルダスを殺した事を後悔しているのか?アイツを殺して、オマエは強くなったのだろう?」

 

―――おかえり、ティオネ

 

呆れたように投げかけられた一言が、ティオネの逆鱗に触れた。

 

「言うなッ…!!!」

 

「ククッ…!!!」

 

ティオネは背後に庇っていた少女を放り出して全力でアルガナに打ちかかり、アルガナはそんなティオネを見て満足そうに笑いながら迎え撃つ。

互いに実力はオラリオでも最高峰とされるLv.6。

拳の一撃で衝撃波が発生し、蹴りは大地を穿つ。

遠巻きにしていた住民達から、悲鳴が上がる。

今度は本当に、どちらか死ぬまで止まらない……筈だった。

 

だが…

 

「…カタギの皆様を巻き込んだ喧嘩は、ご勘弁願います」

 

ティオネが振り抜いた拳は、白く華奢な手に止められている。

 

「キルコ?!」

 

二人の間に割り込んだのは謎多き女、キルコ。

ティオネの拳を片手で受け止め、もう片方の手にした煙管で、振り下ろされたアルガナの蹴り脚を防いでいる。

曲がりなりにも第一級冒険者の繰り出した本気の攻撃だ。しかも、挟撃された形になったので相当な衝撃が生じた筈だが、キルコは涼しい顔をして、微動だにもしていない。

ティオネは触れられた手のひらの冷たさに、思わずゾッとしながら拳を引いた。

 

「何だ、貴様は?」

 

対してアルガナは鼻を鳴らし、無視して振り払おうとしたのだが…すぐにそれが不可能であることを悟った。

 

「フン…?……ッ……?!!」

 

どれほど力を込めようと、添えられた煙管はビクともしない。まるで大地に根が生えているかのように。

数合の後、アルガナは諦めて足を退けた。

そして、改めて相手を観察する。

肌は透けるように白く、烏の濡れ羽色をした髪を長く伸ばした女。薄手のガウンのような長衣に身を包み、肌の露出はほとんどない。

勇猛を誇るアマゾネスとは対局に見える手弱女だが、Lv.6のステイタスを誇るアルガナの全力を、白く細い白魚のような指先でつまんだ煙管を操り、容易く抑え込んでいる。かなりの実力者だ。

キルコと呼ばれた女は、底なし穴のように黒く深い瞳で、アルガナを無機質に眺めている。

 

「おもしろい…!!」

 

アルガナは再び攻撃的な笑みを浮かべると、今度はキルコを標的にして、目にも止まらぬ連撃を繰り出…

 

「いいから、寝ててどうぞ」

 

…そうとする寸前で、パタリと倒れた。

唐突にその場に沈み、そのまま動かない。

 

「…は?」

 

「ア、アルガナ⁈」

 

「嘘だ⁈」

 

背後で様子を伺っていたカーリー・ファミリアの団員から、うめくような悲鳴が上がる。アマゾネス達は目を見開き、信じられないものを見るように、無様に倒れて動かないアルガナを見つめた。

何が起きたのか、一番近くで見ていた筈のティオネにも、訳がわからなかった。

 

 

 

飛びかかろうとしたアルガナの機先を制し、目にも留まらぬ速さで動いたキル子が、意識を刈り取っていたのだが、この場でそれを認識できたのは高いレベルを持つニンジャ達のみ。

煙管の羅臼で顎先をこづいて脳震盪を引き起こし、対象を〈気絶〉状態に陥らせるアサシン系のスキルである。

キル子が手ずから製作した他の武具と同様、この煙管も『暗器』の一種。素材には高価なデータクリスタルや、宝物庫から無断で持ち出された超希少金属がふんだんに使われており、武器性能はそこそこ良い。

さらに接触の瞬間に〈睡眠〉〈麻痺〉〈朦朧〉等の状態異常を叩き込み、それがアルガナの【耐異常】を貫通して抜群の効果を発揮したことも、ティオネには知りようがなかった。

 

 

 

「………」

 

アルガナは白目を剥き、ビクビクと泡を吹いている。完全に意識を刈り取られていた。

 

キルコが「お前もやるか?」とでも言いたそうに胡乱な目を向けてきたので、ティオネは慌てて首を振った。

 

「さ、先に手を出して来たのはそいつよ!」

 

「左様で。まったく街中で非常識な人です」

 

非常識なのはお前の方だと言いたかったが、ティオネは賢明にもその言葉を飲み込んだ。

何せ相手はアルガナどころか、都市最強(オッタル)すら雑魚扱いできる怪物だ。背後に従えたニンジャとかいう連中も、59階層で共闘したことがあるが、油断ならない強者である。

 

そんなティオネを他所に、キルコは傍らで怯えていた少女に微笑みながら手を差し出した。

 

「大丈夫?怪我はない?」

 

「…ゔ、ゔん!」

 

少女はその手を借りて立ち上がると、キルコに抱きついて泣きべそをかきだした。

よほど怖かったのだろう。キルコはその頭を撫でてやり、高価そうな刺繍のされた薄手のハンカチで涙や手足の汚れを拭っている。

やがて少女はキルコとティオネを交互に見て頭を下げると、近場で見守っていたらしき両親のところに駆け出した。

 

その間、誰もが動けずにキルコの一挙手一投足を冷や汗を流しながら見守っていた。

 

「で、何なんですか、あの人?」

 

今更のようにキルコが問うてきたので、ティオネは呆れながら答えた。

 

「カーリー・ファミリアよ。あなたもどういう連中か知ってるんでしょ?」

 

「ああ、噂のテルスキュラですか。……迷惑な」

 

キルコは周囲を見回し、破壊された民家の軒先や商品がぶち撒けられた露店、怯えて遠巻きに見守る住民達を見て、眉を顰めた。

そして、徐に煙管を一服つける。

キツいメンソールの香りが、ティオネのところにまで漂ってきた。キルコの全身から不機嫌さが滲み出ている。

 

そんなやり取りをしている間に、辺りには双方の派閥(ファミリア)の団員が集まりだしていた。

カーリー・ファミリアからは、アルガナの妹であるバーチェ・カリフが姿を見せており、ロキ・ファミリア(こちら)も幹部格は全員集合している。

互いに睨み合って一触即発の雰囲気だが、ちょうど間に不気味な存在感を放つキルコがいるせいで、どちらも迂闊に動けない。いや、カーリー・ファミリアはむしろキルコの方を警戒している。

 

キルコは周囲に目をやると、無言で手をパンと鳴らし、何事か合図をした。

すると、何処からともなく配下のニンジャ達が姿を現した。

キルコの背後に佇む赤い着物の幼女に、全身をすっぽりと黒衣に包んだ男とも女ともわからない正体不明の人物。それとまったく同じ姿、同じ背格好をした者達が五つ子めいて現れ、周囲を取り囲む。

 

…魚の餌が穏当かな?

 

ボソリと呟かれたキルコの言葉に、ティオネは冷や汗を流した。

 

キルコの漂わせる不穏な気配を察したのか、そこでようやく仲裁の声が入った。

 

「はい、そこまでや。街中ではっちゃけ過ぎやで、ジブンら。洒落にならんわ」

 

「バーチェ、お主も止めよ」

 

別々の方向から異口同音に発せられたのは、己が眷属を諌める主神の声。

路地裏からポケットに手を突っ込みながら現れたロキと、通りに面した二階屋の踊り場から、腕を組んで眼下を見下ろす奇妙な仮面を被った幼女。

カーリー・ファミリア主神、カーリーだ。ティオネも久々に顔を見た。決して再会したい相手ではなかったが。

 

そんなティオネの葛藤を他所に、二柱の視線が空中にて交わる。

 

「お初にお目にかかる。妾がカーリーじゃ」

 

「ロキや。ウチが今のこの子らの親や。よく覚えとけ」

 

ロキはティオネに向けて視線をよこした。

ティオネが頷くと細い目をさらに細くして笑い、再びカーリーに向き直って睨みつける。

当のカーリーは余裕の笑みでロキの視線を受け止めた。

 

「知っておる。妾のテルスキュラまで名声は聞こえておるでな。知っておるのじゃが……?……ロキは男神だったのか?」

 

話の途中で、何故か首をかしげたカーリーの視線は、ロキの胸に注がれている。

 

「女神や‼︎めちゃめちゃ麗しい女神‼︎どこ見て判断しとんねん‼︎」

 

久々にこの手の侮辱に晒されて、ロキは激昂した。荒ぶり、絶壁を振り乱して絶叫している。

それを見てキルコが袖で口元を隠し、小刻みに体を揺らした。

 

カーリーすらも道化を見るようにクスリと笑う。直後、視線をこちらに向けてきた。

 

「ティオネもティオナも久しぶりじゃのう」

 

カーリーはティオネとティオナを懐かしそうに眺めて、目を細めた。

その目を、ティオネは正面から睨みつける。

 

「無視‼︎無視か⁈ええ度胸してるなドチビ2号の分際で‼︎」

 

「…ロキ、黙って」

 

なおもチンピラじみて気炎をあげるロキを、空気を読んだアイズが諌めて引きずっていった。

 

「カーリー…!!」

 

「カーリー、何しに来たの?」

 

歯を食いしばって怨嗟を呑み込むティオネの隣で、妹のティオナは純粋な疑問を問いかける。ティオネと違い、ティオナは必ずしもカーリーとの仲は悪くなかったのだ。かつては忌々しかったが、今はそれがありがたい。

今更テルスキュラから出てきて、何をしに来たんだコイツ?

 

「何、ただの()()じゃよ」

 

カーリーは薄ら笑いを浮かべて、そう嘯く。

 

ティオネは激昂しかけた。

この忌々しい戦女神が、そんな理由で血に塗れたあの土地を離れるわけがない。

残念ながら、神は子らの嘘をたちどころに見抜くが、神の嘘は同じ神にすら見抜けない。

 

「しかし、流石にオラリオの冒険者は粒が揃っておるな。まさかアルガナが赤子の手を捻るように一蹴されるとは。よほど強者が……って…えぇ?」

 

カーリーの視線は、我関せずと煙管を吹かしていたキルコに向けられたのだが、不意に何かに気付いたように目を見開き、ポカンと口を開ける。

 

「……待て。そやつ、恩恵を持っておらんではないか!どうなっておるんじゃ⁈」

 

まあ、その気持ちは分からなくもない。

 

「ドーモ、カーリー=サン。キルコです」

 

その場の全員の視線が集中する中、キルコは両手を合掌し、深々と腰を折った。キルコの手下のニンジャ達も同じような動作で頭を下げている。

ティオネの知る限り、この女はどんな相手にも敬語を使い、挨拶を欠かさない。こう見えてかなり礼儀正しいのだ。

 

「…カーリーじゃ。それで、お主いったい何者じゃ?」

 

問われたキルコは、少しばかり考えるように目を閉じ、やがて紫煙を吐き出しながら答えた。

 

「D'ou venous-nous? Que somm es-nous? Ou allons-nous?」

 

「は?」

 

カーリーは思わず素で突っ込んだ。

 

「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか、という意味のフランス語だそうで。シジュウテンスザク…何処ぞのインテリ爺の遺言です。自分自身が何者か、本当に知っている者が世にどれだけいることでしょう?」

 

キルコはそう言って韜晦した。

 

「まあ、少なくとも私は冒険者ではありませんね。恩恵もなく、ファミリアにも入っておりませんし。趣味の店を営んでおりますが、生粋の商人というわけでもない。では、何者かと問われたら……ただの美人とか?」

 

『遊び人のおキルさん』というのはどうでしょう、などといけしゃあしゃあと曰うキルコに、流石のカーリーも眉根を寄せて困惑しているようだ。

 

「…冗談にしか聞こえんな。だが、こやつ、まるで嘘をついておらん。本気でそう思っておる」

 

「ええ、本音ですよ。あなた方、神には嘘は通じないのですから」

 

キルコは冷笑を浮かべながら、こともなげにそう口にする。

神に対して慣れたものは、沈黙こそが真偽を守る唯一の手段だと知っている。ところがこの女は、本音だけを口にして神の問いを煙に巻いたのだ。

ザマをみろ。ティオネは溜飲が下がる思いだった。

 

だが、続くカーリーの一言は、予想外に過ぎた。

 

「ふ〜む……少なくとも派閥には入っておらんのだな。ならば、キルコとやら。お主、我が眷属になる気はないか?」

 

思わずティオネは目を見張った。カーリーめ、気が狂ったか!

 

隣に佇むティオナやアイズ、ロキ・ファミリアの面々、さらにはカーリーの眷属、そしてロキまでが唖然とした表情を顔に貼り付けている。

 

当のキルコはといえば、間髪入れずにハッキリと拒絶した。

 

「遠慮させて頂きます。私の想い人はロキ様の眷属です。他所様のファミリアに入るわけには参りません」

 

一切の迷いなく告げられた言葉に、ティオネは落雷に撃たれたかのように体が震えた。

 

神には嘘はつけない。その言葉に嘘はない。

キルコがベート・ローガに入れ込んでいるのはロキ・ファミリア内では周知の事実だが、それをあのカーリーに対して堂々と惚気てみせるとは!…恐れ入る、としか言いようがなかった。

 

ティオネにも、好きな人がいる。

かつて妹と共にテルスキュラを離れ、オラリオにやって来たばかりの頃、荒んでいた自分達を打ち倒し、ファミリアに誘ってくれた恩人だ。

控えめに言っても、最初の出会いは最悪だった。貧弱な小人族(パルゥム)なんぞに舐められてたまるかと思った。喧嘩を売られて、買って、気がつけば床を舐めていた。

自らを倒すほどの強い異性に強く惹かれるのは、アマゾネスの本能。以来、ティオネは団長フィン・ディムナにぞっこんだ。

でも、それだけではない。ファミリアに入ってからその背を見つめ続け、育んできた想い。それもまた本物だ。

あの女、キルコと同様に。

 

今、初めてティオネはキルコのことを本心から認めた。

 

「あ〜、男かぁ…それだけは、なんともなぁ…」

 

キルコの言葉に、カーリーは苦笑いを浮かべた。

テルスキュラは男子禁制だ。繁殖に必要な男は、あくまで種馬として攫ってくる。

アマゾネスは自身を打ち倒した雄に惚れてしまうので、下手に強い男を入国させるわけにはいかないのだ。

 

「それよりも、街中ではお行儀良くされるよう、ご忠告申し上げます。さもなければ、その()()()()と同じように対処させて頂きますので」

 

そう口にするキルコの視線は、未だ倒れ伏したままのアルガナに注がれていた。次いで、カーリーの眷属達を眺め、あからさまに蔑んだ視線を送り、鼻で笑う。

見え透いた挑発だが、もとより血の気の荒いテルスキュラのアマゾネスを激昂させるには十分だ。

 

「舐めんじゃないよ!!」

 

「アルガナやったくらいでいい気になるな!!」

 

「ブチ殺すぞ!!」

 

舐められたのを理解したのか、カーリー・ファミリアの眷属達が額に青筋を浮かべて沸きたった。

 

それに応じて周囲に展開しているニンジャ達が身構えたが、彼らを従えるキルコは無言で片手を上げて、それを制止する。

 

高く掲げられたキルコの手は、いつの間にか異形の籠手で覆われていた。

黄色と黒と赤が入り混じり、蜘蛛の意匠を象った不気味な籠手(ガントレット)

それを見た瞬間、ティオネは無意識のうちに大きく後ずさっていた。何故かは分からないが、細切れに惨殺される自身の姿が脳裏によぎり、汗が吹き出て止まらない。

見れば、カーリー・ファミリアのバーチェも同じようにキルコから距離を取っている。バーチェは常に口元をマスクで隠しているので表情を読み辛いのだが、遠目にも大量の汗をかいているのが分かった。

 

「郷に入っては郷に従え、とも言います。観光は、穏やかにするものですよ。ねえ?」

 

そう言い放つキルコが浮かべたのは、あまりに凶悪な笑み。

この時、ようやくティオネはキルコが静かにブチ切れていたことに気が付いた。

 

「ハハハハ!言うではないか!……いや、愉快愉快!」

 

その場の全員を問答無用で黙らせる鬼気。

だが、カーリーはむしろ面白いとばかりに手を叩いて笑う。

 

「ククク…妾達はしばらくこの街に滞在する。気が変わったら、遠慮なく訪ねるが良いぞ。強者は歓迎する。……ティオネ、ティオナ、そなた達もまた会おうぞ。愛する子供(ムスメ)達よ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その夜、ロキは宿の一室で、一人酒をしていた。

 

普段は眷属達と共に賑やかに酒席を囲むのを好むロキだが、今は一人きり。酒もツマミも宿で適当に注文したものだ。

酒は普通だったが、魚介類の煮込みがなかなかうまい。付け合わせのニンニクで焼いたパンにもよく合う。サクリと音を立ててパンを食い千切り、手酌で空いたグラスに酒を注ぐ。

開け放たれた出窓から月明かりが降り注ぎ、寄せては返す渚の音だけがロキの耳朶を打つ。

 

やがて、ロキはグラスをもう一つ取り出すと、黙って酒を注ぎ、対面に置いた。

 

「一人酒とは珍しいな、ロキ」

 

不意に横合いから伸びてきた手が、酒杯を掴む。

 

「まあ、たまにはな」

 

ロキ・ファミリア団長、フィン・ディムナだった。

 

一息に酒を飲み干したフィンのグラスに、ロキはお代わりを注いでやった。オラリオにいる筈のフィンが、深夜にメレンに現れた事には何の疑問も持ってはいない。

 

「わざわざ来てもらって悪かったな。色々あったから、一度話を整理しときたかったんや」

 

フィンを呼び寄せたのは、ロキ自身だ。内緒話をするには、直接面を合わせた方がいい。

 

ロキはメレンで得た情報をつぶさに話した。

食人花が現れたこと。動きの怪しいギルドのメレン支部長や街長マードック、そしてニョルズ・ファミリアのこと。タイミングよくやって来たカーリー・ファミリアのこと。

全てを語り終えると、ロキは机の上に一枚の紙を広げた。

 

「これが例の人造迷宮の地図や。キルコから受け取ったばかりの最新版やで」

 

一目見るなり、地図に記された領域の余りの広さに、フィンはため息をついた。

 

「…これは、一筋縄ではいかないな。こっちの調査も成果があった。この人造迷宮、クノッソスと呼ばれているらしい。ダイダロス通りに出入り口らしきものがある、という情報を得た」

 

キルコの探索能力は恐るべきものだが、それはあくまで個人の能力に依るもの。この手の情報の捜査は、長年築き上げた人的繋がり(コネクション)がモノを言う。

フィン達はオラリオに残り、地道な調査にあたっていた。

 

「これを利用しているらしき闇派閥(イヴィルス)にも、いくつか見当が付いた。イケロス・ファミリア、タナトス・ファミリア、それにイシュタル・ファミリア……元から叩けば埃が出るような派閥ばかりだけど、最近になって妙な動きをしている」

 

「そいつは重畳。こっちもキルコが掻き回してくれよったで。おかげで、カーリーの動きが読みやすいわ。あれだけ挑発されたら、必ずキルコにちょっかいかけるやろうからな」

 

「それこそ、狙い通りに?」

 

「まあな。ティオネがカーリーに刺激されて、かなりナイーブになっとるから気を逸らすにも都合がええ。……そういや、ベートの奴はどないしとる?」

 

「相変わらずさ、ダンジョンに潜ったり、自主トレに励んだり。自らを磨き上げるのに余念がないが……聞きたいのは、キルコさんとの事かい?」

 

フィンも二人の関係には注意を払っている。

色恋沙汰の諸々が拗れて潰れたファミリアの話を聞かないでもないからだ。

一応、彼女はどこの派閥に入っているわけでもなければ、恩恵も受けていない。冒険者と一般人との恋愛や結婚は、ファミリア内で奨励されている訳ではないが、禁止されてもいないので、問題はない筈だ。あくまで、アレを一般人とするならば。

 

「いや、ウチはもうこの件に関しては何にも言わん。他の派閥が絡まんのなら、後は当人同士の問題や。好いた惚れたは、好きにしたらええよ」

 

ロキには、自らの子の心が手に取るように分かっている。

ベートは戸惑っているのだ。人から純粋な好意を向けられることに慣れていない。キルコを相当に意識している癖に、一歩が踏み出せない。

チキンめ、モンスターに食ってかかる度胸の半分、いや更に半分程度もあればキルコを押し倒して、ものにしてしまえるだろうに。

面倒くさいが男としての矜持(プライド)もあるのだろう。何せ、キルコは()()()()。『強さ』に拘るベートならば、尚更のこと。

 

一方のキルコも、アレだけ熱烈にアタックしておきながら、案外臆病なところがある。以前、変な男にでも引っかかったことがあるのかもしれない。だとすると、過剰なアピールはその反動か。

情緒面ではベートとそう大差ないと、ロキは見抜いていた。

 

「そういう意味では似合いの二人だな。初々しいというか何というか…」

 

「そうやな。せいぜい生暖かく見守ってやろうやないか」

 

二人は人の悪い笑みを浮かべた。他人の恋バナというのも、酒の肴としては悪くない。

 

「そういうフィンは、ティオネのこと。どうする気なんや?」

 

「どうもこうもないよ。僕は伴侶を同族から選ぶ」

 

至極、あっさりとした口調だった。

フィンの夢は、小人族の復興。その為に全てを捧げている。

そんなフィンの一番の応援者を自称しているロキとしては、それ以上何を言うつもりもない。

 

この話はそれで終わりとばかりに、フィンは話を変えた。

 

「そういえばロキ、留守をしている間に入団希望者が来た」

 

「お!久々やな。フィンがウチに話すってことは、合格ってことやろ?」

 

ロキ・ファミリアでは、ホームの門番を担当するのは新入りの仕事だ。かつて自分がファミリアの門を叩いた時にされたのと、同じ対応をする事になる。つまり、誰が来ようが()()()()だ。

そこで何度断られようと諦めずに食い下がった者には、熱意をかって手隙の幹部が直々に対応する。そこで見込みがあれば最終的にロキの面接を経て合格になる。

意志薄弱な者は不要。ロキ・ファミリアでは、強い意志を要求する。

反りが合わない人間を加えても、派閥に馴染めず腐ってしまうだけなので、やむを得ない措置だ。程度の差はあれど、何処の派閥でも似たようなことをしている。

 

「ああ。だが、ちょっと今週の門番担当は少しやり過ぎたらしくてね。まあ、ある意味、無理もなかったというか…」

 

「なんや、怪我でもさせたんか?」

 

なるべく手をあげる前に心を折るつもりでやれ、とは指示してはいるが、別に多少は暴力沙汰になっても問題ない。

冒険者というのは所詮、荒事稼業である。その程度のことで折れるなら、端から見込みはあるまい。

 

そうひとりごちるロキだが、続くフィンの一言には、軽く目を見開いた。

 

「いや、逆だ。返り討ちにされた」

 

「は?……ああ、派閥替え(コンバート)の希望者やったんか?」

 

いくら門番が新入りの役目とはいえ、恩恵のない人間にやられる筈はない。…いや、例外もいるが、あんな珍獣がそうそういてはたまらない。

常識的に考えれば、既に恩恵を受けていた他の派閥の眷属が、派閥を変更して入団しようとしたのだろう。

さほど珍しいことではない。ロキ・ファミリアでも、ベート・ローガやフィリテ姉妹などが同じように他の派閥から移ってきたクチだ。

 

その場合は、その派閥の主神の許可を得て、恩恵を書き換え可能な状態にしている筈だが、ステイタスを失ったわけではないので、まだレベルの低い新入りが返り討ちになっても不思議ではない。

それに相手が他派閥の人間なら門番を担当する新入りが、頑なに追い返そうとしたのもわかる話だ。他派閥の人間をそう易々とホームに入れるものではない。

 

「いや、たしかに恩恵は持ってはいたんだが…既に効力を失っていた」

 

「…なんやて?」

 

つまり、元のファミリアを放逐されたか、あるいは主神が天に還ったかして、恩恵が封印状態にあるということだ。

その状態で、いくら新入りとはいえ恩恵を持った眷属を一蹴したというなら、よほど場数を踏んだ百戦錬磨の猛者に違いない。

 

「オラリオに戻ったら、ひとまず本人に会ってみてくれ。入団希望者ということで、ホームに引きとどめている」

 

そう語るフィンの言葉に常にない熱を感じとって、ロキはおや?と首を傾げた。

いや、これは期待感か。何故かはわからないが、フィンはその希望者とやらをいたく気に入ったらしい。

 

「実は軽く組み手をしてみたんだが…あるいは彼女なら、僕の後継者になれる器かもしれない」

 

ロキは絶句した。

フィンともあろう男が、未だステイタスの定かにならない人物を、えらく高く買ったものである。

しかも、その口ぶりからして、相手は小人族だ。

 

「…それは、今から会うのが楽しみやな。さっさと片付けてオラリオに戻るで!」

 

 

 

 

 

 

 

…ところが、ロキはその見込みある新人とは、結局、会えずじまいにおわる。

 

ちょうどフィンがオラリオを抜け出してメレンにやってきたのと時を同じくして、()()()()は出て来たばかりの孤児院が焼き討ちを受けたとの話を聞きつけ、居ても立っても居られずロキ・ファミリアのホームを飛び出したからだ。

そして、現地で救援に当たっていた()()()ファミリアへと、なし崩し的に入団してしまうこととなる。

後に、そのヘッポコな女神本人から話を聞かされたロキは、大いに悔しがるのだが、それはまた別の話である。

 

 




朝のお布団が至高の嫁の季節ですね。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。