ダンジョンにユグドラシルの極悪PKがいるのは間違っているだろうか?   作:龍華樹

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いつも誤字修正ありがとうございます。


第23話

キル子は予定を変更し、未だメレンのホテルに留まっていた。

 

「…というわけで、少しの間、ホテルを貸し切りたいのです」

 

「いや、その…大変ありがたい申し出でございますが……他のお客様のご都合もありましてですね…なんとも…」

 

ホテルの支配人は額の汗をぬぐいながら答えた。

彼の左右には威圧的な黒スーツに身を包んだ双子めいてそっくりな男たちが立ちすくんでおり、剣呑なアトモスフィアでプレッシャーを与えている。

視線がサングラスで隠れているのが救いだ。さもなければ失禁していたかもしれない。

 

この男たちを従えている、目の前の極東風の衣装に身を包んだセレブ・レディは、長らく使用者のいなかったスウィートを借り切った上客であり、多少の無理は聞いてやりたいが他にも客は泊まっている。

最近は近海にもモンスターがはびこって危険なため、高級ホテルを利用するようなセレブ層はもっと内陸か、オラリオ市内に宿をとっており、宿泊客は実際少ない。

しかし、だからと言って他の客を追い出すような真似をしてはホテルの信用に瑕がつく。

なんとか穏便にお断りしなければならない。

 

「一千万ヴァリスほどで足りるかしら?」

 

「ヨロコンデー!!」

 

相場の数十倍近い値段に、支配人は掌をグルングルンして狂喜乱舞した。

 

「従業員も最低限の人数を残して、しばらく退去して頂けるかしら?人が少ない方が落ち着くから」

 

「ヨロコンデー!!」

 

揉み手で火傷しそうな支配人をその場に残し、キル子は最上階のスウィートルームに戻った。

ベランダから外に出て、一服つけながら眼下を見下ろす。

一見、風光明媚な観光地の賑わいを見せているが、そこここに褐色肌の痴女めいた格好の連中が潜んでいる。すでにホテルの周囲は囲まれていた。

 

背後でフウマが膝をつき、頭を下げる。

 

「御方様。先ほどの奴輩ども、すでに周囲を取り囲んでいる様子。あれでも隠れているつもりのようですが」

 

「ええ。間抜けな連中だこと」

 

キル子もニンジャも尾行、待ち伏せ、潜伏からのアンブッシュは得意中の得意である。あんなミエミエの気配に気付かないわけがない。

 

恐らくこのホテルは戦場になるだろう。万が一を考えて借り切ったが、それなりの出費だ。一般人が意味なく巻き込まれるよりマシだが。

此方にきたばかりのころは単なるモブとしかみなしていなかった街の住民たちにも、今のキル子はそれなりに配慮している。

彼らはAIでもなければモブでもないし、暴力の世界で身を立てる冒険者でもない。血の通った、まっとうなカタギの人間…つまりは、かつて彼方(リアル)で慎ましくも細々と生きながらえていたキル子の同類だ。

 

だからこそ、あの褐色痴女軍団(アマゾネス)のやりようは、キル子の癇に障った。キル子が毛嫌いしているヤクザ・クランどもとゴジュッポヒャッポ。礼儀と奥ゆかしさの欠片も感じられない。

最初はカタギと思わせて近づき、同棲したらすぐに暴力を振るい、人の金で好き放題しながらバックのヤクザ・クランをひけらかして脅す。最後は違法ケミカルトリップで心停止したチンピラじみたクソDV野郎…未だに根強いトラウマを刺激され、キル子のカンニンブクロが少しだけあたたまっていた。

 

「今はまだ監視に留めなさい。身の程知らずに攻めてきたなら、貴方達の好きにしていいわ」

 

「ハッ!畏まりましてございます」

 

黒衣(くろこ)の頭巾の向こうから、フウマの嬉しそうな感情をキル子は察した。

 

「あと、()()()()の指揮権は貴方達に与えます。好きに使いなさい」

 

キル子は部屋の壁際にズラリと居並んだソレに胡乱な眼を向けた。

 

 

 

 

 

キル子はかねてより人手の足りなさを痛感していた。

キル子が既に呼び出しているユグドラシルの傭兵NPCは22名。これに、最近仲間にしたやたらと食費のかかる欠食精霊が加わる。質はともかく、使える手駒の数自体は実際少ない。

ニンジャ達は素晴らしく優秀だが、引き換えにお高く、キル子のお財布のユグドラシル金貨はかなり寂しかった。そもそもニンジャ系職業は最低60レベルに達しないと取得できず、傭兵NPCもそれに応じて高レベルで高額である。

 

ひっきりなしに人の出入りがあるリヴィラの拠点には少なくとも五名は残しておかないと安心できないし、オラリオ市内に設置した和風屋敷めいたグリーンシークレットハウスの限定エディションにも同じ数は残しておきたい。

キル子自身の護衛に、情報操作に回す人員、人造迷宮の調査に割く人員も必要だ。

今後、各地に拠点を設けることを考えると圧倒的に人手が足りない。かといって、信用のない外部の人間には任せられるものでもない。

 

「アリアのお目付け役も必要か。あいつ頭パッパラパーだし」

 

この際、強さ的には雑魚でも良いので、安くて数を補える手駒が欲しかった。秘匿性のいらない任務はそちらに任せてしまえばよい。

例えばリヴィラでボールス傘下のチンピラ相手に商売するのはニンジャでなくともよい。ニンジャの役目は警備だけに絞ってハイローミックスだ。

 

「なるべく安くて大量に呼び出せて、死んでも良心が痛まないような…そんな都合のいいのがあったかしら?」

 

キル子は22世紀現在では古典と化した某猫型ロボットじみて、インベントリをまさぐった。

キル子は普段から自ら使用するアイテムについては、装備にしろ消耗品にしろ小まめに整理整頓する派だ。おかげでいつ使うか分からないような適当なアイテムはほとんど残っていない。

ダメ元で雑多なPKの戦利品や、課金ガチャのハズレなどをあさりだし、やがて一つのアイテムを引きずり出す。

 

「ゴブリン将軍の角笛?…なんぞこれ?」

 

雑魚のようなゴブリンを19体召喚するだけという効果しかないアイテムのようだ。ゴミである。

強さは雑魚でも構わないが、ゴブリンはダンジョンの下級モンスターとして悪い意味で有名なので…こんなものを引き連れていたら完全にヨタモノだ。

 

キル子はポイした。

 

「…え~っと、他には…?」

 

そして紆余曲折の末、一つの傭兵召喚アイテムを引っ張り出す。

 

「これがあったか!…暇な時の遊び道具にしてたやつ。すっかり忘れてたわ」

 

しばしして、その場に無数の人影が現れた。

 

「「「ドーモ、ヨロシクオネガイシマス!!」」」

 

同じ髪型、同じ顔立ち、同じサイバーサングラスと同じダークスーツに身を包んだ、クローンめいてソックリな屈強な男たち。それが12ダースほど居並んでいる。どこからどうみてもリアルヤクザだ。

おおブッダよ、なんと冒涜的な光景であろうか!

 

これはニンジャやサムライなどが強化された期間限定イベントで実装された雑魚エネミーであり、その名もずばり『レッサー・ヤクザ』。

レベル的には10台半ば程度で、種族はナザリックの9階層に配置されている一般メイドと同じホムンクルスだ。同レベル帯の他のモンスターよりやや弱いが、非常に低コストに調整されており、これだけ数を揃えてもニンジャ達を呼び出した後に余っていた金貨のおこぼれで事足りてしまう。実際ヤスイ。

リアルでヤクザクランを毛嫌いしているキル子が、あえて強さ的にも微妙過ぎるこのNPC召喚アイテムを持っていたのは、深い理由がある。暇なときに強制デュエルを仕掛けて、いたぶって遊ぶためだ。ざま見ろクソが!クケケケケ!

フレンドリィファイアが禁止されていたユグドラシル時代には、ダメージは一切通らなかったのだが、よい気晴らしになった。

こいつ等ならばニンジャたちと違っていくら殺されても、アダマンタイト程度の防御力を持つキル子のハートは傷まない。財布にも優しいのでいくらでも呼び出せる。用が済んだら血祭りにして遊ぶのもいい。

 

そんな哀れなヤクザ達のネクタイには家紋めいた紋章が刺繍されていた。『心臓を鷲掴みにする手(ハートキャッチ)』。ナザリックにおけるキル子の紋章だ。

最初は素直にアインズ・ウール・ゴウンのギルド章を使おうかと思ったが、キル子ひとりであれを背負うのは気が引けるし、傭兵NPCとはいえヤクザにくれてやるのも業腹だ。

それにユグドラシルから来ている人間が他にいたら一発で身元がバレる。その点、キル子の紋章なら、そうと理解できるのは身内だけだ。

 

これは課金ガチャで出るすごく微妙なアイテムによる効果であり、同じギルドやクランに所属していることを表す装飾という以外に、なんの効果もない。

フウマたちがうらやましそうにしていたので、ニンジャ装束にも同じ紋章を入れてあげたら、やたらと喜ばれた。福利厚生としては安いもので、大変に経済的だ。

 

クローンめいたヤクザ軍団を眺めると、キル子はヤクザ・クランの女オヤブンめいて指示をとばした。

 

「ガンバルゾー!」

 

「「「ガンバルゾー!!!」」」

 

「ガンバルゾー!」

 

「「「ガンバルゾー!!!」」」

 

ニンジャ達までもがそろって両手をバンザイし、儀式めいて「ガンバルゾー」を唱和する。

 

「アイエエエエエ!!!」

 

「ヤクザ!?ヤクザナンデ?!」

 

「コワイ!」

 

その禍々しきアトモスフィアをまとわせた雄叫びに、聞き耳を立てていたホテルの従業員らは残らず失禁。ホテルからの退去を渋っていた他の宿泊客たちも、慌てて逃げ出す始末。

 

そして、忽ちのうちにメレンの街中に不穏な噂が広がった。

 

「どっかの黒社会系派閥(ヤクザ・ファミリア)の女幹部が、ホテルを借り切ったそうだ!」

 

「いかにもボスの情婦って感じの美女らしい」

 

「さっそくロキ・ファミリアやカーリー・ファミリアと一悶着起こしやがった!」

 

「ファミリー同士の抗争に巻き込まれたら大変だわ!」

 

「何処もかしこもヤクザだらけ!いったいメレンはどうなっちまうんだ…!」

 

「平和なメレンを返しておくれ!」

 

…でも、わたしをたすけてくれたの

 

哀れな一般市民(モータル)の嘆きを他所に、騒ぎが起こったのはその日の深夜の事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

草木も眠るウシミツアワー。

 

「やるよ、お前達!!」

 

突如として雄叫びを上げ、カチコミをかけてきたカーリー・ファミリアを最初に出迎えるのは、コンマ一秒のズレもなくシンクロしたヤクザスラングだ。

 

「「「ザッケンナコラー!」」」

 

同時にチャカガンの一斉掃射。

どちらもアイサツを交わすことのないアンブッシュである。奥ゆかしさの欠片もないが所詮はヤクザふぜい、実際不寝番を命じられていた彼らは気が立っており、先陣を切って飛び込んできた白い髪のアマゾネスに、鉛玉の集中砲火を浴びせた。

ちなみにレッサー・ヤクザの標準装備である低位の魔導銃『チャカガン』は、弾切れ(アウトオブアモー)の危険がない代わりに威力は御察しだ。それでも相手が一般人(モータル)ならば確実にネギトロなのだが…

 

「ザッケンナコラグワーッ!」

 

「やかましい!!」

 

一斉掃射が終わった後、再びヤクザスラングを放とうとしたレッサーヤクザの頭がネギトロめいて爆散!

 

「アイエエエエエー!」「アイエエエエー!」「アババババーッ!」 

 

一瞬のうちにさらに三つ。首をねじ切られ、心臓を抉られ、股間を蹴りつぶされてのたうち回る。

 

「フン、雑魚が!」

 

それをやったのはカーリー・ファミリアを率いる双子の1人、アルガナ・カリフ。

キル子に苦もなく捻られた鬱憤を晴らすかの如く、全身をレッサーヤクザの血液に染めて吠えたける。

 

本来ならば今夜、彼女らはファミリアをこの地に呼び込んだクライアントと会談する予定であり、アルガナも主神・カーリーの警護に同行するはずだった。ところが昏睡状態から目を覚ましたアルガナは、僅かな手勢を引き連れて宿営していた大型船を飛び出した。

 

目標は言わずもがな、キル子だ。

衆目の前でベイビーサブミッションされるという、かつてない屈辱…お礼参りだ、ゴルァ!!

テルスキュラの『怒蛇』としての矜持、それに泥を塗りたくったアバズレにリベンジしなくては気が済まない。カーリーに指示されていたフィリテ姉妹との殺し合いなど、もはやどうでもいい!

 

「キルコとやら、出てくるがいい!!昼間の借りを返してやる!!」

 

「「「ナンオラー!!」」」

 

レッサーヤクザ達はチャカガンの効果が薄いと見てとるや、短剣型武器『ドス・ダガー』を引き抜いて接近戦を仕掛ける。

 

鼻先をかすめる刃を、アルガナは余裕の表情で人差し指と中指で挟み、受け止めた。

 

「アイエエエエー!」

 

レッサーヤクザはもがくが、ドス・ダガーは動かない。アルガナは無言で男の股間を蹴り砕いた。

 

「アバーッ!?」

 

アルガナはその手からドス・ダガーを奪い取ると、男の鼻面を斜めに切り下ろす。

 

「フンッ!」「グワーッ!」

 

さらに切り上げる。

 

「フンッ!」「グワーツ!」

 

顔面を惨たらしく切り裂かれたレッサーヤクザは白目を剥き仰向けに引っくり返った。

アルガナは噴き出すアドレナリンに高揚しながら顔面に降りかかってきた血を舐め取り、直後にひどく顔を顰める。

 

「グェ…⁈マ、不味い⁈」

 

苦いしエグいし、よく知る血の味とはかけ離れている。たまらす蛍光グリーンのバイオ血液を吐き出した。

アルガナは戦う相手に食らいつき、泣こうが喚こうが吸血しながら殺す事で恐れられ、テルスキュラの頂点に立った。だが、コイツらの血はまずくて吸えたものではない。

恩恵を持った者の血を吸う呪詛により、耐久力を犠牲に全能力を劇的に向上させるレアスキルも、これでは意味がなかった。

 

「緑の血だと!」

 

「人間ではないのか?」

 

「まさかモンスターか?」

 

「気味が悪いね」

 

溢れ出たレッサーヤクザの緑色の血液が、空気に触れて赤く染まるのを見て、カーリー・ファミリアの団員達は眉を顰めた。

しかも如何なるマジックか、しばしの時間を置いて、死体が次々に消えていく。実際にはユグドラシルの傭兵NPCなので、死体データがデリートされているだけなのだが、彼女らにはそんな事はわからない。完璧に怪奇現象である。

 

「…何なんだ、こいつら?」

 

流石のアルガナも不気味に思ったが、思考に耽る暇は与えられなかった。

 

「ザッケンナコラー!」「ザッケンナコラー!」「ザッケンナコラー!」「ザッケンナコラー!」「ザッケンナコラー!」「ザッケンナコラー!」

 

ただちにホテルの階段を駆け降りてくるダークスーツとサングラスの集団。全員が同じ姿勢でアルガナへ殺到する。レッサーヤクザのお代わりだ!

 

「しつこい!」

 

「グワーツ!」

 

当然ながらレッサーヤクザ如きでは相手にもならず、再びのアルガナ無双。蹴りや拳の一撃で、緑色のバイオ体液を周囲にぶち撒ける。

 

「アルガナに続け!」

 

「オラァ!!」

 

所詮、レッサーヤクザはレベル10台の雑魚NPCである。対するカーリー・ファミリアはオラリオを目指して精鋭を引き連れて来ており、最低でもLv.3の猛者がそろっている。

意表を突かれて怯んでいたものの、すぐに生来の勇猛さを発揮してボーリング・ピンめいてヤクザ達をなぎ倒した。まさにゴリラに蹂躙されるラビットの如し。

 

「………」

 

そんなアルガナ達を、姿を隠しながら離れて見守る影があった。

フウマにトビカトウ…キル子直属のニンジャ達だ。

戦闘能力の詳細な分析を行った上であらためて己のカラテをぶつけるべく、その為に捨て石めいた役割を担うのは配下のレッサーヤクザ達。まさに冷徹に成熟した組織的思考、合理的なフーリンカザンと言えよう。

 

彼らの主君であるキル子もまた、その様子をつぶさに眺めていた。

アインズ・ウール・ゴウンのギルド長・モモンガや、脇を固める策士・ぷにっと萌えは、PvPにおいて情報収集を何より重視する。もちろん、キル子も同感だ。

レッサーヤクザごとき、いくら殺されても構わない。金貨10Kにもならない消耗品である。

 

「武器は素手格闘のみかな?モンクかストライカーか…今のところ物理攻撃オンリーで、気功術も魔法もなし…」

 

おそらくはレベル60未満の純粋な徒手空拳の格闘家といったところ。物理攻撃力がやや高めに見えるが、そういうスキルなりを持っているのだろう。対人戦ではさほど怖い相手ではない。

 

キル子は今、メレン郊外の海岸沿いに設置したグリーンシークレットハウス・限定版『山城バージョン』の天守閣にいた。

曲輪や堀切、土類、幟旗で囲まれて堅牢。さらに足軽奴が待機するための二之丸、三ノ丸にはレッサーヤクザが詰め、本丸はニンジャ達が守っている。即席ながら、相手が弱小クランならユグドラシルの大規模レイドPvPにも幾らか耐えられるだろう。

ギルド長のモモンガあたりなら魔法を駆使してノーコストで似たような拠点や手勢を用意できただろうが、物理型アサシンビルドのキル子では、どう頑張ってもこの程度が関の山である。

 

天守の上座で床几に座り、煙管を吹かすキル子の両側は、特別にリーダーの証として赤と青のマフラーを与えられたフウマとトビカトウが固めている。

なお、このマフラーはユグドラシルでは、参加者をランダムにチーム分けするPvPイベントで頻繁に配布されるマジックアイテムであり《伝言(メッセージ)》の魔法が込められていた。彼らはキル子の護衛であると同時に、市内に散った各々の同類に対して、指示を伝える役目を任されているのだ。

 

キル子達の目の前には何枚もの遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)が置かれ、アルガナ達の狼藉や、メレン市内各所の映像を映し出している。普段はキル子がロックオンしたイケメンのストーキングに使っている便利な逸品だ。

遠隔視の鏡は、本来は建物の中までは見通せないのだが、キル子がマーキングした【標的の印(ターゲット・サイン)】を起点として連動することで、特定対象に限り、それを可能としていた。ただし、妨害魔法には弱いので、念のためにカウンター対策を施している。

 

キル子は遠隔視の鏡の向こうの戦闘とも呼べない一方的な蹂躙を眺めて、首を捻った。

レッサーヤクザが弱すぎるのを差し引いても、相手の褐色痴女軍団(アマゾネス)のレベルは高くない。

不意の遭遇戦で互いに手の内は何も見せないまま終わった、昼間のお遊びとは違うのだ。戦の準備を整え、策を巡らし、更にレベルの高い眷属を揃えるか、少なくとも何らかの対策をしてくる筈と予想していたのだが…?

 

ちなみに、一番警戒していたのは、大魔法でホテルごと潰されることだ。

あのホテルはユグドラシルのギルド拠点と違って要塞でもなんでもない。ユグドラシルで一般的(オーソドックス)な戦法をとるなら、転移対策をした上で、いきなり大火力を叩きつけてホテルを全壊。後は水を流し込まれた蟻の巣じみて逃げ出す連中を狙いうって、各個撃破が定番だろう。キル子ならそうする。

故に、まず間違いなくそうくるだろうと備えていたのに、まさか普通に正面から殴り込まれるとは。斜め上の反応すぎて拍子抜けだ。周囲をくまなく調べたが、伏兵の気配もない。派手な囮ではなく、これが本隊のようだ。奴らには常識がないのだろうか?

オラリオ市内で同じことをされたら困るので、わざわざメレンのホテルに留まったというのに。

 

キル子が呆れて新たな指示を下すと、画面の向こうに変化が起きた。

 

『ドグサレッガー!!!』

 

上級ヤクザスラングをシャウトしながらエントリーしたのは、レベル30越えのブラザーヤクザ!

スーツの色がやや青みがかっているだけで、レッサーヤクザのグラフィックを使い回した2Pカラーだ。ユグドラシルの運営的には実際経済的なモブである。

更に上位個体のグレーターヤクザやレジェンドヤクザ、ゴッドヤクザになるとレベルが跳ね上がるが、やはり見た目にさほど違いはない。

 

ブラザーヤクザはポン・ソードを振り回してアルガナに斬りつけた。

アルガナは余裕のステップでしめやかに回避。

 

『ナンオラー!』

 

そこにヤクザキックが炸裂する。

立って体を正面に向けたまま、足の曲げ伸ばしの反動に体重を乗せるだけの簡単な蹴りだが、ヤクザ系モンスターの得意技だ。ノーモーションから繰り出されるので初見だとかわしにくく、急所を一点集中攻撃するため意外とダメージもある。

 

『クッ…!見た目は区別が付かんが、コイツだけ妙に強い!』

 

アルガナは意表を突かれたらしく、まともに食らった。

しばしの間、拳とポン・ソードの応酬が繰り広げられたが、ステータスの差は明白なので、いずれ倒されるだろう。それまでにスキルか魔法の一つでも暴ければ万々歳である。

まあ、大凡のアマゾネス達の能力は見れたので、キル子的にはヤクザどもは用済みだった。

 

「よほどの隠し玉や切り札がなければ、私が出張るまでもないわね」

 

キル子はホテル内を映している鏡から、その隣の鏡へと目を移した。

 

そこには何やら密談しているらしきロキとフィンの姿が映し出されている。

わざわざ団長のフィンをオラリオから呼び出しての密談とは、相変わらず食えない(ロキ)だ。

彼らの関心はもっぱら食人花(ヴィオラス)とやらを操っている謎の勢力と、そいつらが利用しているらしき人造迷宮(クノッソス)に向けられているらしい。

 

なお、鏡からは映像だけで音声は拾えないが、会話を読み取るだけならキル子にはこれだけで十分だった。唇の動きから会話内容を読みとる【読唇術】の効果である。

対象の尾行や追跡、偵察が得意なアサシン系職業『シャドウチェイサー』で得られるスキルだ。

 

『そういう意味では似合いの二人だな。初々しいというか何というか…』

 

『そうやな。せいぜい生暖かく見守ってやろうやないか』

 

むきゅー…!キル子は自分の顔が、みるみる赤面していくのを自覚した。人の恋路を酒の肴にされているのを見るのは、なかなか堪える。いや、決して嫌じゃないというか、その…ウヘヘへ!

 

キル子はキョドりながら、更に隣の鏡へと視線を移した。

 

『ヤクザをメレンに呼び込むなんて!ボルグ、いったいどういうつもりだ!』

 

『まさか、例の密売の手を広げるつもりじゃないでしょうね!!』

 

『濡れ衣だー!!』

 

二人の男達に詰め寄られ、弁解しているのはキル子と船荷の契約を結んだ街長のマードック。握手された時にマーキングしておいたのだ。

マードックに抗議している二人のうち一人は管理職めいた雰囲気の七三分けの中年男で、ギルドのメレン支部長らしいが、もとよりキル子の目には入らない。ブサメンに人権はない。

 

問題はもう一人である。

夏めいた爽やかなパーカーとハーフパンツを着こなした、極上のイケメン!

ファッションモデルのように均整が取れ、肌も髪も美しい。しかも、彼らの会話から判断する限り、神様らしい。ニョルズ・ファミリア主神のニョルズ様…漁師系ファミリアの釣り男子…尊い!

もし、キル子がオラリオに来て早々に出会っていれば、是が非でも眷属にして貰っていただろう。それほどの爽やか系イケメンのアトモスフィアを放っている。

 

『…もう、限界なのかもしれない』

 

『どういう意味だ?』

 

『昼間、ロキ・ファミリアが探りに来ただろう?彼らはオラリオでも一、二を争う探索系ファミリアだ。例の件が探り出されるのも時間の問題だ』

 

悲壮な顔をするニョルズ。

他の二名はなおも、なんやかやと話していたが、既にキル子の耳には入っていない。

 

要約すれば、彼らは談合して、オラリオの謎の勢力から例の食人花を借り受け、水棲モンスターが大繁殖して荒らされた海を何とかしようとしていたらしい。食人花は魔石に反応するので、人間よりも他のモンスターを積極的に襲うので、有害獣(モンスター)の駆除には最適らしい。なるほど、考えたものだ。

その見返りに、その謎の勢力から密輸の片棒を担がされているとのこと。

 

キル子としては別にさほどアコギな話には思えない。全ては生活の糧を得る為。密輸に目をつぶっても、誰かに迷惑をかけているわけでもない。世知辛い、身につまされる話だ。

しかも…これはビジネスチャンス兼いい男に恩を売るチャンスでもある。

 

邪な笑みを浮かべながら、キル子は次の鏡に向かった。

 

最後の鏡に映し出されているのは、無数の褐色痴女軍団(アマゾネス)。昼間出会った連中の何人かにマーキングしておいたものだ。

画面の中では、アマゾネス達が何やら二派に分かれて睨み合っている。

すわ派閥の内乱かと思いきや、どうやら全く別のファミリアと会同しているだけらしい。

 

鏡の向こうでは、褐色肌のたいそうな美女が、高飛車な風に演説を奮っている。

 

『オッタルが半死半生で、動けない今がチャンスなのさ!』

 

…ん?

なんかどっかで聞いたガチムチ野郎の名前がでたような気もしたが、キル子は思い出せなかった。好みの男以外のことを、キル子の脳みそが記憶し続けるのは稀である。

 

なお、カーリー達と睨み合っている美女は、歓楽街を支配する美の女神、イシュタルというらしい。

よく見れば、イシュタルが取り巻きに引き連れている眷属達には、チラホラとキル子の見知った顔があった。何を隠そう、キル子はイシュタル・ファミリアが誇る戦闘娼婦(バーベラ)御用達のエステサロンの常連なのである。

 

会話内容を斜めに解釈するに、カーリー達をオラリオに呼び寄せたのはイシュタルで、目的はフレイヤ・ファミリア主神のフレイヤ。美の女神として何かと比較されるフレイヤを、カーリーの力を借りて排除したいらしい。つまりは抗争の密談である。

それだけなら勝手にやってくれと放置したいのだが、明確にキル子に敵対してきた以上、看過できない。

 

それに、神どもの会話には、不穏な内容が入り混じっている。

 

『…報酬の件じゃが、金は要らなくなった。代わりに、ロキ・ファミリアと戦いたい』

 

『ふざけるな! フレイヤの眷属どもは馬鹿げているが、あそこの連中も大概だ!』

 

イシュタルが吠えた。

まあ、そらそうだよな。作らなくていい敵を、わざわざ増やそうとしてるんだから。

 

『何、ロキの眷属全てを敵に回したいわけではないのだ。とある姉妹と、こちらのバーチェとアルガナを…?はて、アルガナはどこじゃ?』

 

ここに居るわい、馬鹿め。

 

『…例の女のところだ』

 

カーリーの隣に控えていた、顔の下半分をベールで覆った女が答えた。

こいつも、あの突撃馬鹿ゾネスとレベルは同じくらいあるだろうか。ただ、こいつの方が冷静そうに見える。

 

『なんじゃ、結局、収まらんかったのか。まあ、無理もないがの』

 

『?…ロキのところの、アマゾネスの双子のことか?』

 

『まあの。それに、こちらに来てからアルガナが執着しておる者もおってな。確か…キルコ?だったか。アレも愉快な存在よの』

 

カラカラと笑うカーリーだが、引き合いに出されるキル子としては、たまったものじゃない。

 

『きる…?誰だソレは。まあ、好きにしろ』

 

『とりあえず、その姉妹と戦う場を整えたい。団員を人質に誘き出す。…お前達も協力せよ』

 

どうやらカーリーはロキ・ファミリアの褐色巨乳娘と褐色無乳娘の姉妹にご執心らしい。

かつて自分の下を離れて外界で強くなった眷属と、自分の手元で鍛え上げた眷属、どっちが強いか比べたいとか調教(テイミング)モンスターの品評会じゃないだろうに…。ナザリック6階層のアウラだって、そんな悪趣味なことはやらない筈だぞ。フレーバーを決めたぶくぶく茶釜ちゃんの性格的に。

 

平和主義者のキル子としては、これ以上の面倒事はごめんである。一銭にもならないし、何より不毛だ。どちらも一般市民(モータル)を巻き込むことに躊躇がない。

 

キル子はため息をついた。ヤンナルネ。

 

「…少し、警告しておくかな」

 

それにはオミヤゲが必要だ。

時にはPKした相手のドロップ品を返すなどして恨みを抱かせない行動は必須だと、キル子はぷにっと萌えからことあるごとに言い聞かされていたものだ。

 

キル子は再びホテル内を映し出している鏡に目を移す。

ヤクザを粗方片付けたアマゾネス達が、最上階を目指して階段を駆け上がっていた。

なんて単純なお頭なのだろう。あんな見え透いた監視を配置しておきながら、こちらが密かに拠点を変えているくらいの想像がつかないらしい。脳筋ゴリラめ。

ホテルの内装が散々に破壊されたり、汚れた為に、後でクリーニング代を請求されてしまうかもしれない。後でカーリーに請求書まわしてやるからな!

 

なお、実際ホテルの被害の八割は、無造作に発砲されたレッサーヤクザのチャカガンだったが、キル子は見て見ぬふりをした。

 

「…トビカトウ、奴らを生かして捕らえなさい。口がきければいいわ」

 

キル子はそう呟きながら、室内に控えていたトビカトウの一人に指示を出す。赤い着物の童女は無言で頷くと、己の同類に《伝言》の魔法を発動した。

 

即座に画面の向こうに動きがあった。

 

『キェーッ!!』

 

『キャアアア!!』

 

『キェーッ!!』

 

『ンァーッ!』

 

気炎を吐いていたアマゾネス達の四肢に、何処からともなく飛来したクナイ・ダートが突き刺さる。

的確に関節を破壊され、もんどりを打って倒れたところにトドメの手刀が振り下ろされ、即座に意識をオタッシャ。素晴らしく手早い手際だ。

 

『何だ貴様ら! 何処から湧いて出た⁈』

 

辛うじてアンブッシュを察知したアルガナ以外のアマゾネスは瞬時に床に無力化された。やったのは赤い着物を着たトビカトウと、黒衣(くろこ)の衣装のフウマだ。

 

『キェーッ!!』

 

四人のトビカトウが放つ鎖鎌に四肢を絡め取られ、アルガナも動きを封じられてしまう。猛獣じみて身を捩るが、ビクともしない。

それもそのはずで、トビカトウのレベルは80台に達している。何かのスキルで多少(STR)敏捷(AGI)を強化しているようだが、所詮はレベル60にもならないステータスでは焼け石に水。

ユグドラシルではレベルが10も離れていては、まず一対一(サシ)でPvPに勝つことは不可能。オラリオでもランクが一つ離れれば戦闘力の差は絶対と見做されているようなので、妥当なところだろう。

しかも、今は力量で上回る相手に一対四。はなから勝負にもならない。

 

『御方様がお主に用があるとのことだ。しばし、寝ておれ』

 

『グハッ…!?』

 

身動きを封じられたところで、二人のフウマがシンクロじみたポン・パンチを浴びせた。

 

「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」

 

一発耐え、二発耐え、三発耐える頃にはさしものアルガナの意識も朦朧。なおも激しく前後じみて繰り出されるパンチに体がのたうち、血反吐を吐く。

サンドバッグのようにされるがまま拳打を浴びせられ続けると、やがて敢えなくダウンした。

 

それを見届けると、キル子は新たな指示を出した。

 

「お礼参りに行くわよ、準備なさい」

 

「ハハァー!」

 

「あい!」

 

イクサの予感に、興奮気味に畏まるニンジャ達に対して、キル子は唇を吊り上げて邪悪に微笑むと、更なる命令を下したのだった。

 

「それとカシンコジに連絡して、アリアをメレンに連れてきなさい。あの子向けの仕事ができたわ」

 

少しばかり、陰謀の時間だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オラリオ市内某所。

 

アポロン・ファミリア主神、アポロンは憂いていた。

 

「うーむ…それほど効果はなかったか」

 

「申し訳ございません。ご指示通り、各所を巡りましたが、成果は皆目…」

 

土下座せんばかりの勢いで無念そうに項垂れたのは、アポロン・ファミリア団長、ヒュアキントス・クリオ。

アポロンに対する忠誠心はファミリア一高く、主神の如何なる無茶な命令にも顔色一つ変えずにこなす為、アポロンからの信頼も一際厚い。

結果、付けられた二つ名はそのものズバリ『太陽の光寵童(ポエブス・アポロ)』。

なお、アポロンからの命令というのは大凡の場合、自分が見初めた者を眷属として派閥に引き入れるようにというもので、その度に彼は色々と頭を悩ませている。

 

アポロンは恋多き神であり、天界にいた頃には数多の神々に求愛し、ほぼ全てから振られたことで、嘲笑を込めて『悲恋(ファルス)』なる渾名を付けられている。

地上に降りてからもその性癖は変わらず、今では恋愛対象を子供達へと変えて、男女に関係なく見初めた相手は地の果てまで逃れても絶対に手に入れようとする。

ただし、自身の愛を受けた者には紳士な態度で接する一面があるせいか、団長のヒュアキントスを始め、眷属の中にはアポロンに熱狂的な忠誠を捧げるものも少なくはない。

一方で、アポロンの偏執的な求愛に晒されて、半ば無理矢理に派閥を移らざるを得なかったものも多く、愛憎入り混じった複雑な思いを抱くものもいる。

 

そんなアポロンの目下の関心は、ここ最近オラリオを騒がせている冒険者、『姫騎士(ワルキュリア)』なる通り名を奉られた『キルト』に向けられていた。

神々から賜る二つ名ではなく、その偉業からごく自然に奉られた通り名を持つ冒険者は、そう多くない。その為、恋多く惚れやすいアポロンのみならず、数多くのミーハーな暇神(ひまじん)がキルトの行方を追っている。だが、未だに居所を特定するには至らない。

キルトはダンジョンや市内各所に神出鬼没に現れては消えている為、何処か有名ファミリアの高ランク冒険者が変装しているのではないか、などという埒もない噂まで出回る始末だ。

ここ最近ではリヴィラの街に現れ、『18階層の悪夢』と呼ばれる事件の解決に尽力したそうだが、それ以降の足取りは不明。ギルドに照会するも、なしの礫だ。

 

おかげで、他の神に遅れを取ってはならないとやや焦っていたアポロンから、少しばかり荒っぽい方法をヒュアキントスは示唆されていた。実行してみたが、散々な結果に終わってしまった。

具体的には、方々の冒険者御用達の酒場や道具屋、人通りの多い広場などで、わざとキルトの評判を貶すように振る舞ったのだ。

噂通りの誇り高く高潔な性格ならば、出て来られずにはいられまい、と踏んでのあからさまな挑発だった。だが、これがキルトと縁深く、俗に『幸運な奴ら(ラッキーズ)』と呼ばれるLv.2に上がったばかりの若手冒険者集団の反発を招き、つい先日、とある酒場での大乱闘に発展してしまった。

騒ぎは当然、ギルドの耳に入る事になり、アポロン・ファミリアは『警告』のペナルティを突きつけられた。これに付随する具体的な懲罰は何もないが、次に何かあれば厳罰に処すという事実上の脅迫だ。

 

この通告を受け入れる際、ヒュアキントスは青ざめていた。

敬愛する主神の望みを果たせぬばかりか、恥までかかせてしまったからだ。

 

以来、ヒュアキントスはなりふり構わずキルトの行方を追い、それはとうとう実を結んだ。

 

「しかし、お喜びください、アポロン様。代わりに、姫騎士(ワルキュリア)の手掛かりを得ました」

 

「何!誠か、ヒュアキントス!」

 

アポロンはやや興奮気味にヒュアキントスに尋ねた。

 

「はい、アポロン様。実は、キルトが最初に現れた怪物祭の事件での、ギルドの調査報告を入手致しました」

 

「?…ああ、確かソーマが送還されたというアレか。…しかし、ギルドの調査報告だと。姫騎士の行方を追っているのはギルドも同じ筈だが…?」

 

アポロンは一瞬、意表を突かれたような顔をした。

ギルドは怪物祭の事件、そして『18階層の悪夢』での最重要参考人として、キルトを探し求めている。だが、未だ行方を掴めていないというのは、半ば公然の秘密だ。

 

ヒュアキントスはアポロンに、分厚いファイルを捧げ渡した。その目元にはベッタリとクマが張り付いていて、満足に何日も寝ていないことを示していたが、アポロンは気が付かない。

それはかなりの量の書類の束だった。所々に付箋紙が挟まり、赤いインクで下線が引いてある。ヒュアキントスや眷属達の寝る間を惜しんだ地道な努力の成果だった。

 

アポロンは無言でその部分に目を通した。

すると、彼方此方に散見する文言から、一つのキーワードが浮かび上がる。

 

「…ダイダロス通りの…孤児院?」

 

意味が分からず、首を捻った。

 

「はい。冒険者・キルトの名義で、極めて高額が振り込まれています。…具体的には1億ヴァリスほど」

 

「い、1億ヴァリスだと⁈」

 

アポロンは普段の芝居がかった仕草を忘れて、素でビビった。

1億ヴァリスといえば、かなり稼いでいる商業系ファミリアですら、それなりに覚悟のいる金額だ。

 

「その孤児院、キルトの喜捨で財政を持ち直すまでは、経営破綻寸前であったとか。つまりは…」

 

意味深い眷属の言葉に、すぐさまアポロンの顔にも理解の表情が浮かんだ。

 

「そ、そうか!そんな金額を投げ渡すとは、キルトはその孤児院の関係者ということ!」

 

「あるいはかつて孤児院に在籍していた元孤児、という可能性もございます。孤児というのは、あまり職を選べるものではありません」

 

立場の弱い孤児達に、選択できる仕事は多くない。

最近になってようやくキルトの寄付により、読み書きや計算、職業訓練などが充実してきた矢先であるが、かつては食べていかせるだけでカツカツで、文盲も同然だった時代もある。

そんな孤児達の仕事といえば、いくらいても困らない農奴か、原始からある職業、娼婦。あるいは命をかける冒険者だ。

 

「でかしたぞ、ヒュアキントス!」

 

感極まり、ヒュアキントスを抱擁するアポロン。

苦労が報われたヒュアキントスは、目に涙を浮かべてされるがままになっている。久々に褥を共にすることを許されるかもしれない。ヒュアキントスは歓喜したが、今だけは、このまま久しぶりに睡眠を貪りたかった。

 

しかし、すぐさまアポロンから次の指示が飛んだ。

 

「よし、ヒュアキントスよ。その孤児院の者達を丸ごと我が眷属として迎え入れよう!」

 

主神の突飛な発言に、流石のヒュアキントスも理解が追いつかなかった。

 

「ぜ、全員でございますか?」

 

「そうだ。この重要な手掛かりを、他の神どもに知られる前に囲い込んでしまうのだ。あるいは、それこそ目当てのキルトを誘き出すこともできよう」

 

つまりは、体の良い人質である。

 

「それは流石に…孤児達は、未だ幼い者達ばかりです。あのソーマ・ファミリアの悪行を冒険者も市民も忘れてはおりません。アポロン様の御名に傷がつくかと」

 

いくらアポロンの言葉でも、こればかりは見過ごせない。アポロン自身の為にならない。

 

孤児狩りをして無理矢理眷属を増やし、派閥を強化しようとした旧ソーマ・ファミリアの行いは、既にギルドの手で白日の下に晒され、市民の知るところとなっている。

この不埒な悪行は、善良な神々や眷属、市民達から盛大にバッシングを受けた。当のソーマが不慮の事故で帰らぬ人となった為に、残されたかつての眷属達は肩身の狭い思いをしている。

 

孤児院にキルトの関係者がいるのは明白なので、後は地道に孤児院を見張り、キルトが現れるのを待てば良いのだ。

ヒュアキントスはそう主張した。

 

「で、あるか…」

 

しばし、その場を彷徨いて考えを纏めていたアポロンだが、やがて静かにヒュアキントスを見つめた。

その目は座り、狂気が見え隠れしている。

 

「ヒュアキントス…今日は暑いな」

 

「は?…た、確かに。何か冷たいものでも持って来させましょう」

 

季節は初夏。

オラリオの気候は乾燥しているため、さほど暑さを意識せずに済むが、小まめに水分を補給しなければならない。

恩恵の力で常人より頑丈な冒険者が、我慢をして脱水症状を起こして倒れるのは夏の風物詩だ。また、火事も起こりやすい。

 

水を取りに、誰か呼びに行こうとしたヒュアキントスを、アポロンは止めた。

 

「いや…この季節だ。()()()()()()()()珍しくもなかろうな」

 

…まさか!

 

ヒュアキントスの額を、暑さ以外の理由で冷たい汗が流れた。

 

「ヒュアキントスよ、焼き出された可哀想な孤児達に、手を差し伸べるのはどうだろう。暑い日差しは幼い者達には堪えよう。冷たい果実水でも振る舞えば、喜びそうではないか」

 

ああ、やはり…。

 

ヒュアキントスは次の一言を予想し、瞬時に覚悟を決めた。

ギルドの調査書類を読み進めるうちに嫌でも理解した、孤児達の悲惨な境遇。

せめて、彼らを眷属として迎え入れた暁には、団長として何不自由させることなく面倒をみようと決意しながら。

 

「ただし、我らがファミリアのホームへと迎え入れるのだ。()()()()我が眷属になってもらわねばならぬ。そうであろう?」

 

「…良きご案かと」

 

ヒュアキントスは首を垂れて、愛する主神の下知に従うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…ま、こんなもんかな。馬鹿は動きが読みやすくていいなぁ」

 

ギルドの調査ファイルを、然るべき神物(じんぶつ)の下へと流した黒幕は、影でそう嘲笑う。

 

「藪を突いて蛇を出しかねない役目は、それに相応しい奴に任せるべきだよね」

 

神、ヘルメスは邪な笑いを浮かべていた。

 

 




今年最後かも。皆様、よいお年を。
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