ダンジョンにユグドラシルの極悪PKがいるのは間違っているだろうか?   作:龍華樹

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第24話

寄せては返す波の音だけが響く、ウシミツアワーのメレン港。

 

商人や船乗りで賑わうメレンの港も、この時間帯になると人通りが絶える。薄暗い中での操船作業は事故が起きやすいため、船は波止場にしっかりと係留するか、あるいは逆に沖で碇を下ろすかの二択であり、たまの陸地ではめを外す船乗り達も、さすがに寝入る時間帯だ。

 

いくつもの大型帆船が係留される波止場の一つに、カーリー率いるアマゾネス達が寝泊まりしている大型帆船があった。

 

「さすがに遅いのう。やはりアルガナは返り討ちに遭ったとみるべきかや?」

 

船倉に近い大部屋の中央、多くの眷属に囲まれながら、小柄なカーリーは両腕を組んで思案していた。モンスターの骨を模した仮面から覗く目元には、悩ましげな皺が寄っている。

アルガナが飛び出していったのが宵の口、それからすでに三刻以上も過ぎている。

 

「まったく、予定が台無しじゃ。とはいえ、止めても無駄じゃったろうしなぁ…」

 

さて、どうするかとカーリーは唸った。

カーリーには眷属達の奏でる闘争がすべてだ。神としての権能、存在意義、そのすべては闘争に集約される。

そんなカーリーの目下の関心は、かつて外界に飛び出しオラリオで揉まれたフィリテ姉妹と、逆にテルスキュラの蠱毒の中で鍛え上げられた生え抜きのカリフ姉妹。そのいずれが勝るか、である。イシュタルの誘いに応じてはるばるオラリオくんだりまでやってきたのも、それを確かめるために、良い機会だったからだ。

 

にもかかわらず、肝心のアルガナがオラリオの土を踏む直前で生死不明。相手があのキル子とかいう得体の知れない女でなければ、カーリーとて、もう少し鷹揚に構えられたのだが。

 

正直に言えば、アレと眷属共をぶつけてみるのも一興と、そう思わないでもない。

だが、頭の奥のどこかで、それはヤメロ!と警鐘が鳴るのだ。

 

昼間、カーリーはキル子の魂を見た。

薄汚れ、欲にまみれた典型的な俗人…なわけがない。あの斑模様に穢れた魂の奥底には、カーリーの親しむ血と殺戮とは別種の狂気が隠れ潜んでいる。

地上に降りきたり、アマゾネス達を従えテルスキュラを興して幾星霜、カーリーにして初めて見る異物だった。

 

さて、どうしたものかと思い悩んでいたその時だ。

ぱたり、と。

カーリーの周囲に屯していたアマゾネスの一人が、なんの脈絡もなく倒れ伏した。

 

「ん?…おい、どうした⁈」

 

そう叫ぶ間に、また一人。ぱたりぱたりと倒れていく。

 

この場に集っている眷属達はカーリーの供回りである。精鋭中の精鋭であり、全員がLv.3以上、【耐異常】の発展アビリティもH以上に達している。並大抵の魔法やスキルは通用しない。その筈だ。

 

「ドーモこんばんは、カーリー様。お早い再会で御座いましたね」

 

やがて最後の一人が倒れ伏し、後に残されたカーリーの前に、薄暗がりから滲み出るようにして現れたのは、アルガナを手玉にとって沈めた女、キル子だ。

 

「やはり、お主の仕業かッ…!」

 

キル子は両手を合掌すると、深々と頭を下げてアイサツした。

 

その手には虫の翅を模した優美な鉄扇が握られている。

それはカーリーの眷属達を睡夢の世界に誘った【睡眠耐性無効】のデータクリスタルを使用して作られたユグドラシル由来のアイテムなのだが、もちろんカーリーが知る由もない。

 

キル子の背後には手下どもが居並び、何やら大ぶりな荷物を抱えていた。

何か手土産でも持参したというなら少しは可愛げもあるのだが、とカーリーは思った。

 

「こんな時間じゃが…まあ、歓迎しよう。あいにく、眷属共は何故か眠りこけてしまったようでな。たいした持て成しもできぬがの」

 

カーリーはふてくされたようにそう言った。

実際のところ、手足たる眷属を纏めて無力化されてしまっては、カーリーにはできる事が他にない。

下界では神の力は大幅な制限を受ける。身体能力も恩恵を持たぬ只人のそれと大差はなく、この状況ではまな板の鯉のようなもの。相手の出方次第である。

 

「お構いなく。そちら様も何やらお忙しそうで御座いますし、ちょっとした用件さえ済めば、すぐにでも引き上げさせて頂きますので」

 

対するキル子は、笑っていた。

余裕の笑みであり、嘲笑の笑みだ。恩恵すら持たない只人の子に過ぎないくせに、本来敬うべき神たるカーリーを、路傍の石のように見なし、そのように扱おうとしている。不遜である。

 

そして、大した事ではないように、先程来客があった、と告げた。

 

「夜更けのことですので、大したオモテナシもできませんでしたが、カーリー様の眷属のようでしたので、こちらまでお連れさせて頂いた次第で御座います」

 

そう言って、背後の手下共に目配せし、彼らに担がせていたソレを目の前に並べて見せた。

さては無惨な死体を見せつけて妾を恫喝するつもりかと、カーリーは身構えたのだが、直後に呆気にとられた。

 

薄暗い船室のランタンに照らし出されたのは、十体ばかりの、アマゾネスを模した石像だった。

等身大のアマゾネス達の石像は、まるで生きているかのように皮膚の皺の一本一本まで掘り込まれており、名のある石工の手によるものと思われた。テルスキュラのコロッセオに並べたら、見栄えがすることだろう。

ただ、作品の出来自体は素晴らしいのだが、どれもこれも勇猛なアマゾネスにふさわしくない、苦悶の表情を浮かべているのが少しばかり気にかかった。

 

「フン、なかなか良い手土産だなキルコとやら。それで、用件とは何じゃ?」

 

カーリーの問いかけに、キル子はクツクツと嫌らしく嘲笑った。

 

「いえいえ、カーリー様。私、言いましたよね。お客様を()()()()()と」

 

「…?……いったい、何を………いや、まさか⁈!!!」

 

その意味を理解した瞬間、カーリーは雷に撃たれたかのように硬直した。

視線を正面に戻し、目の前に置かれた石像の一体を改めて観察する。その目、その顔、その体つき……これは間違いない、アルガナだ!

それだけではない、よくよく見直してみれば、どれもこれもアルガナ共々襲撃に出て行った眷属達に生き写しなのである。

つまり、これは眷属に似せて作った石像ではなく、石に変えられた本人……!!!

 

「ご安心くださいませ。暴れられると厄介でしたので、些か静かになって頂きましたが、ちゃあんと元に戻せますよ。ただし…」

 

慇懃無礼を体現したようにドロリとした笑みを浮かべ、キル子はのたまった。

 

「手数料、高くつきますよ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、その次の日のことである。

 

 

 

アイズ・ヴァレンシュタインは覚醒した。

同時に、瞼の裏に白い光が漏れ出てくるのを感じる。頭の後ろに柔らかい感触があり、どうやらタオルか何かを枕代わりに倒れていたらしい。

ゆっくりと起き上がりながら、周囲を観察する。

 

「気が付かれましたか?」

 

真っ先に視界に入ったのは、ファミリアの協力者にして自称・遊び人、キル子。

煙管を片手に持ち、いつも通り路傍の石でも見るような目をこちらに向けていた。ベートに向けるものとは明らかに違う、こちらに何の関心も無さそうな目だ。

恐らくこの女は、興味のない他人など、心底どうでもよいと思っている。

 

隣には副団長のリヴェリア・リヨス・アールヴが苦虫をかみしめたような顔をしており、さらに隣には団員のレフィーヤが心配そうに此方を伺っていた。周囲には丁寧に世話されていると思しき草花が生え揃っており、何処か瀟洒な庭園を思わせる空間である。

と、そこでようやくアイズに直前の記憶が戻ってきた。ここはキル子が宿泊しているホテルの中庭だ。

 

そう、暇そうにしていたキル子に、アイズは自分から手合わせを申し込んだのだ。

LV.6に上がってから、まともに自分と手合わせできるのは同じファミリア内の幹部くらいしかおらず、力を持て余していたのが理由の一つ。それに、かつて都市最強(オッタル)を苦もなく一蹴したその力、今の自分とどれほど差があるものか、興味は尽きなかった。

ダメ元で腕試しの機会を求めたのだが、キル子はあっさりとそれを受けた。

その結果が、これだ。

審判を務めたリヴェリアの開始の合図を聞いて以降の記憶がまったくない。

 

アイズの記憶の空白、その間の一部始終を目撃していたらしきリヴェリアは、言いにくいことを口にするように眉を曇らせながら、しかし、彼女らしく飾ることのない言葉で一刀両断に言い放った。

 

「開始三秒、失神KO」

 

「…うわ」

 

アイズは頭を抱えた。

恥ずかしい。勝負にすらならなかったらしい。

 

「合図と同時に、突っ込んでいったと思ったら、体が硬直して倒れたように見えたが…すかさず頸部に手刀をくらっていた」

 

「いや、綺麗に倒れましたね。えーと…見事な受け身?だったですよ」

 

リヴェリアの辛辣な言葉に対して、キル子が目を泳がせながらフォローになっていないフォローを口にする。レフィーヤは何かを口にしかけて、結局は口をつぐんだ。かける言葉が見当たらなかったらしい。

 

何がどうして負けたのか、未だに混乱しているアイズをよそに、キル子は煙管に火をともしながら講評を始めた。

 

「レベルやステータスの差はさておいて。ぶっちゃけた話、貴女のようにビルドが固まってる人間に対して私がアドバイスできる事って、ほとんどないんですよね」

 

それでも言わせて貰えば素直過ぎる、とキル子は断言した。

 

「モンスター相手ならともかく、それなりに賢い人間様が相手だと、格下以外には通じませんよ。貴女には、致命的に悪意が足りない」

 

吐き気を催す邪悪な行為を平然と行える奴が対人では強い。

自分がされたら悍ましさに青ざめるようなことを相手に強いるのが基本、とキル子は続けた。

 

「そもそも正面からきたのがNGです。貴女と私では基礎に差がありますから、やり合うなら不意打ち、闇討ちを基本とするべきですよ。御飯時や風呂、トイレ、あるいは親しい知人との逢瀬のひと時。気を緩ませずにいられないタイミングであればなおよし」

 

いや、それは暗殺者のやり口ではなかろうか、とアイズは訝しんだ。別にアイズは殺し屋に転職する気はないのだ。

 

「ちなみに、私は特殊なカウンター系のスキルを展開できますから、馬鹿正直に突っ込んでくるとか、良いカモです」

 

言われて、アイズは目を凝らしてキル子を観察したが、特にこれといって見た目の変化は分からなかった。アイズの得意とする魔法などは、発動と同時に風が体を取り巻くのでわかりやすいのだが。

 

「【悪意のオーラⅤ】。エネミーが効果圏内に入ると完全にランダムで何らかの状態異常を付与します。今回は<硬直(スタン)>が発動したようですね。ちなみにこのスキル、発動中に見た目の変化はありません。というか、私の特殊能力のほとんどは、見た目に分かり辛いのがデフォなので」

 

アイズは試合開始と同時に抜刀し、最速の鋭さを持つ突きを全力で放った。

この相手にチマチマした小技を放っても意味がないと思ったからだ。冒険者として数々の修羅場をくぐってきたアイズの勝負勘は並外れている。自身の最強を初手に放つ、それが最適解だと確信していた。

実際、それは正しかった。強大なモンスター相手ならば。

 

だが、相手はユグドラシルという魔境で対人戦闘に特化し、『最悪』と称されたPK。

【耐異常】の発展アビリティを上回る異常状態(デバフ)をもたらす特殊能力を無防備に受けてしまっては、高ランクの冒険者とはいえ、ひと溜まりもない。

全力で突っ込んでいったところを<硬直(スタン)>を食らって地べたにキスし、間髪入れずに追撃されて意識を刈り取られてしまった。

 

「【耐異常】とやらを過信されないよう忠告させていただきます。対人系ビルドのカンストプレイヤーなら【耐性貫通】や【耐性無効】系の切り札の一つや二つ、持ってるのはザラです。ヤバいと思ったら迷わず距離を離しましょう」

 

例えば、ギルドマスターのモモンガなどは極めて広範囲な即死無効を貫通する即死能力を持っていた。

 

耐性無効系能力や、逆にそれを無効とする対策はカンストプレイヤー間ではありふれていて、アイテムやスキルで常にメタを張るのは当たり前なのだ。決まると即死につながりかねない時間系の能力などはその筆頭である。

新しいジョブやアイテムが実装された時には、一刻も早く新たなメタ環境を手探りする検証地獄をしたものだ。

 

「状態異常対策に、専用装備を揃えるか、一時的な耐性薬を持ち歩くのをおすすめします」

 

その装備やら薬やらは、果たしてオラリオの何処で手に入るものなのだろうかと、アイズは訝しんだ。

 

「どちらも『迷宮の楽園』の私の店で取り扱っております。なかなか希少な品でして、少々値が張りますが買って損はありませんわ。18階層にご用の際は、是非ともお立ち寄りください」

 

キル子は満面の笑みで、ファミリア副団長のリヴェリアにもみ手をした。雑多なPKの戦利品に含まれている中途半端なアイテム類を高値で処分するいい機会なのである。

さてはこのために勝負を受けやがったか、宣伝効果抜群だなコンチクショウ、とでも言いたそうな苦々しい顔をリヴェリアはしていた。

 

「後は、対人専用武器なんかも想定しておいた方がいいでしょう。例えば、こんなのとか」

 

といって、キル子がどこからともなく取り出したのは、細身の刀身を備えた剣だった。

 

細剣(レイピア)?」

 

刀身は1メドルほどの細い棒状、先端は鋭いが側面に刃は無く、突くことにのみ特化した形状をしている。鍔が椀状になった刺突専用の剣だ。

 

「一見、そう見えますね」

 

キル子はその場で細剣を無造作に振り回した。狙いは、庭の片隅に植えてあった一本の植木だ。

次の瞬間、剣の間合いの僅かに外に生えていたそれが、真っ二つに切断されたので、アイズはあっけにとられた。

 

「とまあ、ぶっちゃけると透明な刃を備えた武器です。わざと見えるように作られてる部分で、刃渡りを誤認させて間合いと戦術を狂わせます」

 

キル子はその剣を片手で構え、刃先から数セルチほど離れた場所に指を滑らすと、その指先をアイズに示して見せた。パックリと裂け、血が滲んだ傷口を。

 

そこまでされて、ようやくアイズにも理解できた。

細剣に見えている刀身は、この武器のごく一部にすぎない。実際にはそこから更に長い刀身が伸びている。完全に透明な、視認できない刃が。

 

「これで接近戦をされると、分かっていても回避は難しいです。その代わり、攻撃力自体は低めですが」

 

これはレベル80台の透明な希少金属を使った暗器の一種で、キル子がまだレベル100になりたての頃に作ったものだ。度重なるアップデートによるメタ環境の変化や仕様変更に耐え、そのころから愛用している数少ない武器である。

見えない刃による斬撃というのも地味に厄介なのだが、見た目が細剣(レイピア)であるというのが嫌らしい。刺突属性の武器だと誤認させることができる。

ユグドラシルにおける物理攻撃は刺突、斬撃、殴打の三つに区分され、それらに対する物理耐性もこのいずれかに分かれているため、細剣という見た目で刺突属性と誤解させれば、実際には見えない刃による斬撃属性の攻撃で簡単に耐性を抜ける。これが意外に効果的なのだ。

 

キル子はそこまでの説明をしなかったが、アイズにもそれが殺人にのみ特化した凶悪な凶器であることは理解できたし、そんな代物を当たり前のように携帯している女のヤバさも理解できた。

 

「もちろん、相手がガチガチに防具で身を固めてたら、そもそもこれの出番じゃないです。あるいはHPそのものが異常に高いとか。そういう場合は、貫通力重視の武器に切り替えて、更に毒を塗ったりもします」

 

そう言いながら、キル子が取り出したのは、掌にすっぽりと収まるくらいの小ぶりなガラス瓶だった。

中身は不気味な真紅の液体で満ちている。

 

「ブラッド・オブ・ヨルムンガンド。私が知る限り、致死性の毒物の中では最も強力な代物です。ほんの数滴も貯水池に垂らせば、オラリオの人口が愉快なことになるでしょう」

 

大量殺戮できる劇薬をこともなげに取り出して見せびらかしたキル子を、アイズは狂人を見る目で眺めた。

 

「残念ながら、これは非常に希少なレアモノですので、いくら積まれてもお譲りできませんが」

 

金の問題ではない気もするが気のせいだろうか、とアイズは純粋な疑問を抱いた。

 

「ま、アレコレと申しましたが、要するに対人戦闘経験の差、とでもしておきましょうか。モンスター相手の真っ当な戦闘経験では、私じゃ貴女の足元にも及ばないので」

 

そう締めくくったキル子に対して、アイズは何やら言いたそうな顔をしていたのだが、隣で話を聞いていたリヴェリアが先に口を開く。

 

「お前はオラリオ随一の危険人物だと、改めて認識したよ……ところで、カーリー・ファミリアに襲われたと聞いたが、そちらはもういいのか?」

 

どうせそっちも何かやらかしたんだろう、とリヴェリアは疑いの目を隠しもせずにキル子に向けた。

 

「ご心配なく、リヴェリア様。おおよそ、あの方々とは手打ちで話がまとまると思いますわ」

 

なんせホテルに襲撃かましてきた馬鹿どもは、残らず<石化(ペトリフィケイション)>して送り返してやった、と狂気の笑みを浮かべて断言するキル子に、アイズとリヴェリアはドン引きした。

 

「愉快なポーズで固まった痴女の石像の群れを見れば、カーリー様の頭も冷えるのではないでしょうか?」

 

ユグドラシルにおいて<石化>は致命的な状態異常(バッドステータス)の一つで、ある意味死亡状態よりもタチが悪い。<石化>は解除できない限りその場に延々と足止めされるからだ。

大規模PVPでこれをされると非常に厄介で、しかも、高レベルのヒーラーかバッファーでないと解除も難しい。

 

「意外だな。殺さなかったのか?」

 

「私は平和主義者です。お金にならない殺しはごめんですよ」

 

実際、カーリーの率いるアマゾネス達と事を構えたところでキル子にはなんら、うま味がないのだ。

 

まず、アマゾネスは金を持ってない。

基本的にアマゾネスは略奪民族だ。欲しいものは力で奪う。食べ物も衣服も奪うか、好みのものを攫った奴隷に作らせるという。

つまりは、ほぼ文無しである。

 

奪えるアイテムもない。

揃いも揃って防具はひどい軽装というか、水着か下着である。この格好でうろつくのはまんま痴女だ。

武器すらろくなものを持っていない。ではどうやって戦うのかといえば、ほぼ徒手空拳、ステゴロなのである。

しかも娯楽といえば戦うことのみ…というか、テルスキュラのアマゾネス達は基本的に、戦い以外には興味がないのだそうな。それでは奪って換金できるものが何もない。

なんだこの脳筋集団は、たまげたなあ…

 

キル子はPK(強盗)であって、戦闘狂でもなければ快楽殺人鬼でもない。

こういう場合はお金で解決するのが一番なのだが、相手は破落戸であり、貧乏人である。倒しても経験値もドロップもゲロマズいモブのようなものなので、喧嘩するだけ無駄。もうサッサと手打ちにしてお帰り願うのみだ。エンガチョである。

 

そんな算盤勘定をしつつも、涼しい笑みを隠さないキル子を見て、リヴェリアは目を細めた。

 

「怖いな。怨恨でもメンツでもなく、純粋な損得勘定で動く手合いは恐ろしい」

 

「いやいや、我ながら暗黒メガコーポの連中に比べたら、優しい対応だと思いますよ?痴女みたいな薄着をしているのは単に金がないせいだと知ったときは、まとめて魚の餌にしてやろうかと………おや?」

 

キル子は話の途中で何かに気付いたように視線を動かした。

 

釣られてアイズが振り向くと、背後で作務衣姿の老人が恭しくキル子に向かって頭を下げている。いつの間に現れたのか、全く気配を感じることができなかった。

 

「ああ、カシンコジ。早かったわね、アリアは連れてきてくれたのかしら?」

 

ニンジャ系傭兵NPCの一人、オラリオで留守番を命じた頭パッパラパーのぺんぺん草に付けたお目つけ役のニンジャだ。

 

「はい、アリア殿は旅籠の賄処に直行しました。朝餉を抜いて走り通しでしたので」

 

「もう昼過ぎだものね。ご苦労様でした、貴方も食事にしてちょうだい。ここの魚料理はいけるわよ」

 

キル子がわざわざアリアを呼びつけたのには、もちろん、相応の理由がある。昨夜、メレンの有力者達を覗き見した結果、ちょっと面白い事がわかったのだ。

 

近年、メレン近海はかつてダンジョンから逃げ出した水棲モンスターが自然繁殖し、魚を食い荒らしたり、商船に被害を出しているらしい。

そこに悩んでいたメレン街長・ボルグやギルドのメレン支部長、そしてニョルズ・ファミリア主神のニョルズがタッグを組み、オラリオの謎の黒社会勢力から食人花を借り受けて活用していたようなのだ。

食人花は魔石を持つモンスターを優先して襲って捕食するので、害獣駆除にはうってつけなのだが、そこをロキに嗅ぎつけられたというわけだ。

ただ、所詮は食人花もモンスターであり、他のモンスターを優先的に狙うといっても、人的被害はゼロではないそうな。

 

さて、最近、キル子の軍門に降った穢れた精霊の写し身とかいう厨二的な存在であるらしい欠食児童(アリア)は、例の食人花を制御できる。

アリアを使ってモンスター被害を適切にコントロールできれば、メレンの経済事情はV字回復重点間違いない。これぞまさにサイオーホース!

もちろん、逆に食人花を暴れさせることも可能であり、最早メレンの経済はキル子の胸三寸。 

そしてメレンはオラリオの玄関口であり、オラリオの経済の動向を左右している。つまり、間接的にオラリオ経済に影響を及ぼせるのである。

ブッダ!なんと邪悪な暗黒メガコーポじみた悪魔的発想であろうか!

 

「ああ、そういえば留守中、オラリオに変わりはなかったかしら?」

 

上機嫌のキル子はついでのように何気なく問いかけた。

問われた方のカシンコジはといえば、さて何かあったかと頭を巡らせたのだが、オラリオ市中で起きた、とある些細な出来事について報告することにした。

ダイダロス通りの貧民街(スラム)を焼き尽くした、大火事の話を。

 

「……当日は風が強う御座いまして、瞬く間に貧民街に飛び火し、延焼いたしました。中々の大火で御座いましたが、御方様が目をかけておられました例の孤児院の童達は全員無事で御座います。ヘスティア・ファミリアに保護されましたようですので、ご安心下さい」

 

淡々と報告したカシンコジであったが、それを聞いたキル子の顔からは瞬時に表情が消えた。

 

「…被害は?どの程度焼けたの?」

 

急に顔色を変えた主人にやや面食らいながらも、カシンコジは如才なく答えた。

 

「およそ半分ほどは焼け落ちたように御座います。火に巻かれ命落とした者の数、夥しく。また、焼け出されたものはその倍ほどかと…」

 

貧民街(スラム)では廃材をボロ布で覆った程度の荒屋が無数にひしめいている。当然、燃えやすく、しかも上下水道がないので消火も難しい。酷いことになっているのは、想像に難くなかった。

 

そこまで聞くと、キル子は手にしていた煙管の灰を乱暴に地面に叩き落とした。

 

「皆のもの、引き上げじゃあ!トビカトウ!」

 

「あい!」

 

護衛として背後に控えていたトビカトウはキル子に名指しされると、懐から巨大な法螺貝を取り出して、一息に吹き鳴らした。

市内に散っているニンジャやヤクザ達への緊急連絡手段であり、その意味するところは「全員集合、急げ!」だ。

 

「ハンゾウ、先触れとしてオラリオへ先行!フウマは足の遅いヤクザどもを取りまとめて後から来なさ……いや、アレを使えばいいか……。火急の用ができました、これにて失礼!」

 

最後の言葉はリヴェリアとアイズに向けられたものだったが、呆気に取られた二人が口を挟む暇もなく、キル子は配下を引き連れて駆け出してしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

眠りを忘れた大都会、オラリオ。

バベルを筆頭とする高層建築が立ち並び、そのすべてが魔石を使った照明に彩られ、夜の闇を切り裂いている。

だが、強い光はその真下に強い陰を落とす。一握りの強者と、その他大勢の弱者。世界がその二つにより構成されているのは、どこの世界でも変わらない。

 

高額な税金を納める大手ファミリアが居を構える主要区画は明るく清潔に整備されている一方、貧しい者達が寄り集まる貧民街(スラム)では、うち捨てられたかのように雑多なゴミと悪臭に満ちている。

つい先日、炎によって何もかも焼かれる前までは。

 

住処を焼かれ、追われた貧民に他に行く当てはなかった。

男は身売りして郊外の大農園に農奴として流出し、女は老いも若きもセックスビズで凌ごうとして辻に立つ。

そのいずれにも行き場のない者達は人知れず元の焼け跡に戻り、冷たくなっていった。

 

そんな中、ほんの一部だが、運良く受け入れられた者達が集う場所があった。

 

 

 

「リリ先輩、食事休憩終わりました。あんた達、今度は私が相手よ!」

 

「おや、早かったですね」

 

「カリンねーちゃんだ~!!」

 

「ねーちゃん、アレやって!ぐるぐる!」

 

「ぐるぐるしゅき!!」

 

幼い兄弟達がじゃれついてくるのを、カリンは右手に持った鋼鉄製の槍にぶら下がらせ、そのままぐるんぐるんと振り回した。子供達はキャッキャと歓声を上げた。

 

ここはヘスティア・ファミリアのホーム。

元は神が架空の存在だった時代に作られ、うち捨てられた廃教会であったものだ。ヘスティア・ファミリアの手に渡ってからは、多少なりとも痛みのマシな地下部分だけが利用されていたのだが、今は地上部も綺麗に改装されている。

 

玄関から続く朽ちた礼拝堂は広めのホールに。ゴミと汚物が散乱していた小部屋の幾つかは眷属の個室に。日当たりの良い庭に面した一室は主神の部屋へと改装されていた。

風呂や炊事場もきちんと手を入れられ、使用可能になっている。

かつては何かのホーリーシンボルが掲げられていたとおぼしき天窓付近の出窓には、ヘスティア・ファミリアのホームであることを示す、竈と炎のエンブレムが掲げられていた。

 

少し前までは、眷属達が主神と共にアットホームに過ごしていた、小さいながらも楽しい我が家だったのだが、今やそこはダイダロス通りの孤児院から移ってきた孤児達が所狭しと走り回っており、てんやわんやの活気に満ちている。

 

「リリねーちゃんもっとあそぼー!」

 

「あそぼーあそぼー!」

 

「ごほんよんで!」

 

「あんた達!あんまりリリ先輩を困らせるんじゃないわよ!」

 

「子供の相手って、何でこんなに体力使うんでしょうね……」

 

カリンが食事休憩に行っている間、一人で子供らに取り囲まれていたリリルカはげんなりとぼやいた。

 

「しゅみません、先輩。苦労をかけます」

 

頭を下げるカリンに、リリルカは気にするなとばかりにその頭をポンポンとなでた。

 

「いいですよ、かわいい後輩の兄弟なんですから」

 

それに大家族というのには少しばかり憧れがあったのだ、と。同じ小人族(パルゥム)の先輩冒険者は快活に笑う。

 

「さて。じゃあ、私はベルさんの手伝いに回りますね」

 

「了解です!」

 

いそいそとファミリア団長のもとへ向かうリリルカの後ろ姿をカリンは生暖かい目で見送った。

これでもカリンはこの先輩冒険者の恋を、陰ながら応援しているのである。

 

カリンはヘスティア・ファミリアに入団し、すでに恩恵(ファルナ)を授かっていた。

ヘスティア・ファミリアは行き場のなかった兄弟達をホームに受け入れ、寝食の世話までしてくれている。大変な恩を受けてしまった。

この恩を返すためにはヘスティアの眷属となり、身を張る以外のことをカリンは思いつかなかった。

 

一度は都市最強のロキ・ファミリアの門をたたき、入門を許された身でありながら、義理を欠いた行いであるのは重々承知している。

だが、ここで兄弟達を見捨てて一人でロキ・ファミリアに戻るなど、カリンにはできなかった。カリンの憧れる()()()だって、許してくれないだろう。

それに、例の火事場泥棒と思しき黒装束の悪漢共、どうやらアポロン・ファミリアとやらの冒険者だったようなのだが、あれからもしつこく何度もやってきては改宗を迫るので、そいつらから兄弟達を守る必要もあった。

ロキ・ファミリアへは、落ち着いたらいずれ詫びを入れに行くつもりだ。

 

そんな訳で、ヘスティアの眷属となったことには何の後悔もないのだが、カリンには幾つかの誤算があった。

その一つは、恩恵を授かるや前代未聞のレアスキルを二つも発現してしまったことで、口外厳禁を主神に言い渡されている。

暇を持て余している暇神どもにバレたら、厄介なことになるそうなのだ。…おそらく()()()が姿を隠しているのも同じ理由なのだろう。

 

そして、もう一つはといえば。

 

「カリン、稽古しようぜ!」

 

「新しく覚えた魔法を早く試したい!」

 

「あんた達、油売ってないで手伝いなさいよ!」

 

兄弟分のコナンとレックスまで、どさくさ紛れにヘスティアの眷属になってしまったことだ。

 

どうやらヘスティアは彼らもカリンと同じ小人族で、見た目より年上なのだと勘違いしたらしい……というより、こいつらが勘違いするように仕向けて、済し崩し的に眷属になってしまった、というのが真相だ。

レックスなど、魔法使いだからとローブを目深に被って耳を隠し、尻尾をズボンにしまい込んで誤魔化したらしいので、完璧な確信犯である。

カリンは後であの人に告げ口をして、シメて貰うつもりだった。慈悲はない!

 

うっかりやらかしてしまったヘスティアは「子供を眷属にしてダンジョンで戦わせられるもんか!」と、ツインテールを荒ぶらせて怒ったものだ(これを見たカリンは、ソーマ・ファミリアの糞共とは違うのだと、ますますヘスティアに信頼を寄せた)。

 

小人族の先輩冒険者、リリルカ・アーデが宥め、取りなしてくれなければ大事になっていただろう。

リリルカに言わせれば、働かざる者食うべからず、というのが助け舟を出してくれた理由らしい。 未だ幼い兄弟はともかくカリン達はこの数ヶ月、()()()の教えに従ってダンジョンで戦うすべを磨いていた。あの火事場泥棒を撃退した際に、その腕前を見て、認めてくれたのだ。

ファミリア団長のベル・クラネルは渋っていたようだが、最終的には折れてくれた。

 

一人の女の子がコナンに肩車をねだった。コナンが肩車をしてやると、女の子がはしゃぐ。

 

「すごい、すごーい。たかい!」

 

コナンは、自分も!と頭の上に這い上がろうとする他の子達を慣れた様子で擽りながら、高い高いと持ち上げ、そっと地面に下ろす。

 

「順番だ、順番。それにお前ら、そろそろ日が落ちて暗くなる。おとなしくしろよ」

 

「えー、レックス兄ちゃんの魔法があるじゃん!」

 

「あれ明るいよねー」

 

「ねー。兄ちゃんおねがい!」

 

「しゃーねーなあ!」

 

レックスは兄弟達の賞賛のまなざしにノリノリで《光源(ライティング)》の魔法を使い、小さくも明るい光の球を浮かべるのだった。

 

「レックス、ちょうどいいから、ありったけ灯りを付けて回ってきなさい。魔法の練習のついでに照明が節約できるわ。コナン、あんたは体力が取り柄なんだから、この子達が疲れて眠くなるまで肩車してあげなさい。体力トレーニングになるでしょ」

 

「りょうーかーい」

 

「うっ…わ、わかったよ」

 

カリンが眉を怒らせて指示を出すと、男共は決まり悪そうに返事した。まったく、目を離すとすぐサボろうとする。

 

子供らの相手を二人に押しつけてしまうと、カリンは別の手伝いに回ることにした。実際、仕事はいくらでもあるのだ。

 

正面の扉から外に出ると、辺りは夕闇が降りつつあった。

黄昏時、嫌な時間帯だ。もうすぐ夜になる。カリンが大嫌いな夜闇が。

オラリオの裏路地を彷徨っていた浮浪児時代、闇の中で飢えと寒さと孤独を抱えて泣きながら寝た記憶。寄る方のない辛さは、身に染みて理解していた。だから、()()の気持ちも理解できるのだが……

そんな感慨を抱きながら、カリンは辺りを見回し、ため息をついた。

 

ヘスティア・ファミリアのホームの敷地内は、古い毛布や雑多な布を継ぎ接ぎして作った急増の天幕で埋め尽くされ、その合間を大勢のボロを着た人間が一列になって並んでいた。どの顔も煤で薄汚れ、その身に饐えた匂いをまとっている。

彼らはダイダロス通りの火事で焼け出され、家を失った者達だ。孤児院のみんなと共に、ぞろぞろとくっついて来てしまったのである。

ヘスティアの性格からして、彼らを追い返すことなんて出来ず、おかげでホームは難民キャンプの如き有様を呈していた。

 

「さあ、熱いから気をつけて下さいね」

 

「ありがとうございます」

 

そのキャンプの中央、湯気の立つ大鍋の前には、ファミリア団長のベル・クラネルが元気に炊き出しをしていた。

鍋の中身は煮えたぎった油であり、その中に大量に浮かんでいるのオラリオ名物のじゃが丸くんだ。じゃが丸くんは偉大である。はやいしうまいし安い。

 

「団長、手伝います!」

 

「カリン、ちょうど良かった!ジャガイモの皮を頼むよ!」

 

「ベルさん、次揚がりました!」

 

リリルカが穴あきのお玉を握りしめて、次から次へと香ばしく揚がったじゃが丸くんを古新聞の上にのせていき、ベルは差し出された皿に揚がったばかりの熱々を盛っていく。

 

「アンジェリカ、ゆで上がったぜ!」

 

「んじゃ、潰すにゃ!」

 

「相変わらず息ぴったりだなお前ら」

 

「ちょっと、大きさがバラバラじゃない!」

 

「腹に入れば同じだろ?とにかく手早く量を作ろうぜ!」

 

「しっかり油で揚げちまえば腹を壊すこともねえしな」

 

「衣は分厚く味付けは濃く。これがオラリオのいつもの味ってやつさ」

 

湯が煮えている鍋の前で大量のジャガイモを次から次へと茹でているのは、ガネーシャ・ファミリアのロイド・マーティン。その隣でジャガイモを親の敵のように潰している赤毛の猫人(キャット・ピープル)はヘルメス・ファミリアのアンジェリカだ。二人ともベルのパーティ・メンバーらしい。

それ以外にも数多くの冒険者が、マッシュしたポテトを適当な大きさに丸めて小麦粉をまぶしたり、付けダレを作る作業にいそしんでいる。

 

彼らは俗に"幸運な奴ら(ラッキーズ)と呼ばれ(あまり名誉な渾名ではないらしく、こう呼ばれることを嫌がる人もいるから要注意だ)ている冒険者らしい。ベル曰く、背中を預けて戦った大切な仲間、とのこと。

みんな、ヘスティア・ファミリアの窮地を見かねて応援に駆けつけてくれたのだ。

ちなみに主神のヘスティアは、急遽、神の宴とやらに呼ばれたらしく不在だが、さっきまで自らバイトで鍛えた腕前を発揮していた。そもそも炊き出しを始めたのも主神様である。

 

「…うめぇなあ」

 

「まさか俺たちに手を差し伸べてくれる神様がいるなんてな……」

 

「ありがてぇ、ありがてぇ」

 

焼け出され行き場を失った難民達の多くは、被災した際のショックを引きずっていたり、先の見えない未来への不安でマグロじみた目をしているのだが、熱々のじゃが丸くんを頬張るときだけは、生き生きとしたエネルギーに満ちていた。

 

石を投げれば神に当たると言われるオラリオにあっても、これまで日陰者たるダイダロス通りの貧民に手を差し伸べてくれる神など皆無だったので、ありがたさもひとしおである。

粗末な木の皿に盛られたじゃが丸くんを受け取る際には、全員が両手を合わせてヘスティアを拝んだり、土下座じみた勢いでお辞儀をしていた。

そんな彼らにヘスティアは気さくに笑いかけ、気にするなと肩をたたくのである。これはもう、神徳(じんとく)のなせることだろう。

 

カリンはありがたさと申し訳なさで、小さな胸が締め付けられるような思いを感じていた。

ホームは元から大きな建物ではないし、そこに孤児院のみんなで押しかけてしまい、ただでさえ手狭である。その上、焼け出された者が大勢詰めかけてしまった。

孤児院のマリア院長は、どうにか他に空き家を借りられないかと、今も東奔西走している。

 

だが、この光景を見る度に、神や人もまんざら捨てたものじゃない、とカリンは思いを改めるのだ。

 

「よし、やるか!」

 

気合いを入れ直して、ジャガイモの皮をむき始めた、ちょうどその時。

見覚えのあるツインテールがカリンの視界に映った。

 

「やあ、ただいまカリン」

 

「お帰りなさいませ、ヘスティア様」

 

カリンは芋を手放すと、両手を合わせてアイサツした。アイサツは大事だ。

 

神の宴とやらに呼びつけられ、留守にしていた主神のヘスティアが帰宅したのである。

ヘスティアは愁いを帯びた表情をしており、元気がなさそうだ。トレードマークのツインテールも力なく垂れ下がっている。何かあったのだろうか?

 

「何か、あったのですか?」

 

「ちょっとね…アポロンの奴が……いや、後で話すよ」

 

ヘスティアは言葉を濁した。この明るく快活な主神様がここまで悩んでいるとは、どうやらかなりの厄介事らしい。

 

カリンが訝しんだ、その時だった。

ブオオオーン!!と、聞き慣れない爆音が轟いたのは。

 

何事かと目を見開いたその場の一同の前に現れたのは、黒塗りの威圧的なリムジン。

如何な魔石技術で世界の先端をいくオラリオでも、あり得ざるハイテック。しかも、これはただのリムジンではない。ルーフに家紋入りの瓦屋根を備えた家紋タクシーなのだ!

 

なお、彼方(リアル)の家紋タクシーは特定のヤクザクランに仕える忠実な足だが、ユグドラシルでは製作可能なアイテムの一つに過ぎず、戦闘力を大幅に引き上げるサポート装備であるパワードスーツと同じく新規ユーザー獲得のため、後発プレイヤー用に導入された装備の一つだったりする。

複数のプレイヤーを中に搭載して移動する事が出来、防御力もそこそこある。主に騎乗系スキルや長距離転移能力を持たないプレイヤーがフィールド移動の足として利用していたのだが、そんな事情を知るものは当然、この場にはいなかった。

 

心臓を鷲掴みにする手(ハートキャッチ)』のエンブレムを刻まれた家紋タクシーは、あろうことかホームの前で急停止!

そして、中から現れたモノを目にすると、善良なるオラリオの市民達は目を剥いて仰天した!

 

「アイエエエ!!ヤクザ、ヤクザナンデ⁈!!!」

 

タクシーからはまるで揃えたように同じ髪型、同じ顔立ち、同じサイバーサングラスをかけ、同じダークスーツを着込み、同じ家紋をネクタイに刺繍したヤクザめいたアトモスフィアの男達が、無数に吐き出されたのだ。

明らかに車体の大きさを超えた人数であり、鮨詰め状態に詰め込まれたまま移動してきたとしたら狂気の沙汰である。

 

なお、説明するまでもなく、ヤクザとは暴力や威圧などの非合法手段によって裏社会に巣くう者達だ。

主な収入源は違法薬物の流通、地上げ、マイコ・ポンビキ、ミカジメ料徴収、違法賭博、ボッタクリショップ運営、マグロ漁船襲撃などなど。一般市民が聞けば身の毛もよだつような恐ろしいビズにばかり手を染めている暗黒集団である。

 

大抵はドロップアウトした冒険者が落ちぶれて行き着くものであり、一般市民が相手ならば十分な力を持っている。

主神自らそのようなビズに手を染め、眷属達を思いのままに操る暗黒ファミリアまで存在するという。

おお、ブッダよ!昼寝をしているのですか?!

 

「べ、ベルさん、まさか借金の取り立てじゃないですよね⁈そういえばベルさんが持ってた剣て、すごく高そうでしたけど⁈」

 

「い、いや、アレは貰い物だから大丈夫な筈だよ!」

 

「世の中、タダより高いものはないですよ⁈」

 

まさかベル可愛さにヘスティアが何億ヴァリスもの借金をして有名ファミリアにオーダーメイドしていたのじゃあるまいな、とヘスティアの金銭感覚をいまいち信頼しきれないリリルカはベルを問いただした。

 

「吐けぇえええ、ロイドォ!!お前、またヤクザから借金したにゃああああ!!」

 

「濡れ衣だー!!ギ、ギブッ!俺はやってない!ちょ、やめっ、信じてくださいアンジェリカさん!!」

 

最近、同棲を始めたカップルの片割れが金遣いの荒い恋人を締め上げて、破局の危機に直面していた。

 

「お、俺は借金なんてないぞ!」

 

「そ、そうだぜ!アイシャちゃんの店はツケが効くから大丈夫…の筈だ!」

 

「わ、私もよ!そりゃ、ちょっとイケメンホストに貢ぎ過ぎて借りたけど!」

 

他の冒険者達も急に身に覚えのない借金を抱えていないか、気になり出している。

生馬の目を抜く冒険者の世界では、勝手にファミリアのメンバーの名前を借りて、ヤクザクランに借金をすることなどチャメシインシデントなのである。

実際ヤクザの情け容赦ないトリタテは冒険者だってコワイ。

 

「アイエエエ!アイエエエ!」

 

「ナムアミダ、ヘスティア=サン、ナムアミダ、ヘスティア=サン」

 

炊き出しに並んでいたホームレス達は錯乱し、敬虔な老婆がネンブツチャントを唱え出す。

 

「ボ、ボクのホームにヤクザがぁあああ?!ナンデ?!」

 

当然、ヘスティアも驚愕した。

 

「ヘスティア様!!」

 

カリンはヘスティアの前に立ち塞がり、守るように槍に手をかけた。

そして、レックスとコナンに目配せし、ホーム内部の兄弟達を守るように促す。

 

自らの生み出したマッポーめいた光景を見ながら、ヤクザ達は同時に肩を震わせて含み笑いをし、同時にサングラスを指で直すと、同時に手を叩いて拍手した。

 

「「「「Congratulation!(コングラッチュレーション)Congratulation!(コングラッチュレーション)」」」

 

「へっ?」

 

固まるヘスティアの前で、ヤクザ達は同時に拍手を止めると、同時にオジギをした。

両手を揃えて腰を九十度の角度に曲げるスゴク丁寧なアイサツだ。アイサツは大事である。

 

「ドーモ。エート、あなたはヘスティア=サン?はじめまして、我々は善良な市民です」

 

「あ、これはご丁寧にどうも。ヘスティアです」

 

丁寧なアイサツに、ヘスティアは思わずオジギを返してしまった。

 

「我々はヤクザではないです。善意の寄付をしに来た市民の集団です。極めて合法的な、クリーンな、実際安全な」

 

『合法的』『クリーン』『安全な』を強調しており、カリンはあまりの胡散臭さに眉をしかめたのだが、彼女の主神は別の見解を持ったようだった。

 

「そ、そうだったのかい!ありがとう、助かるよ!」

 

あっさりと信じてしまった。本人達がそう言っているんだし、見た目で人を判断しちゃいけないよね!とでも言わんばかりである。

ちなみに、どう見てもヤクザにしか見えない自称・善良な市民どもは悪党めいた含み笑いを漏らしており、怪しさがとどまるところを知らない。

 

「アイェッ⁈ヘスティア様、信じるのでしゅか?!」

 

カリンは「私の主神様、チョロすぎ!」とでも言わんばかりに驚愕した。

 

「落ち着くんだカリン。ボクはこれでも神だよ。嘘くらいちゃんと見抜け…見抜け…ううん?…まあ、たぶん大丈夫さ!」

 

実際、ユグドラシルの最下級傭兵NPCであるところのレッサーヤクザ達は人の子の範疇にはないため、神すら言葉の真偽を見抜くことは出来なかったのだが、下界に降りてまだ一年足らずしか経っていないヘスティアは経験が足らず、そんなこともあるのかとスルーしてしまった。

なお、ヘスティアにはつい最近まで恩恵の隠蔽方法すら知らなかったという前科がある。

 

しかし、不安そうにやりとりを見守っていた冒険者や難民達は、ヘスティアが笑顔で断言するとあっさり納得してしまった。

冒険者達は当然のことながら各々がファミリアに属しており、神というものがどういうものか普段から親しく接してよく理解している。神を前にすればどんな嘘もたちどころに見抜かれてしまうことを知り抜いているので無理もない。

また、一方の難民達はといえば、ヘスティア様が言うならば、とそれだけで納得している。彼らのヘスティアに対する信頼感は、既に高すぎて天元突破しているのである。

 

「では受け取ってください、市民」

 

そう言いながら、明らかに家紋タクシーの容積に収まり切らないほどの物資を積み出し、次から次へと並べていく。

中身は食料品や衣類、簡易テントに毛布などなど。実際ありがたい物資の数々であり、それを見たヘスティアや難民達の顔に笑顔が浮かんだのだが……カリンの目には後ろ暗い企みを誤魔化す為の欺瞞行動にしか見えなかった。

 

「(ダメだこいつら、私が何とかしないと…!!)」

 

カリンの小さな胸に新たな決意が宿った瞬間だった。

 

 

 

なお、この後、神の宴にて決定したアポロン・ファミリアとの戦争遊戯について知らされたカリンは思わず髪を掻きむしるのだが、それはまた別の話である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同時刻。

ダイダロス通り焼け跡にて。

 

 

 

「…久々ね、私をここまで怒らせたおバカさんは」

 

キル子の髪はワナワナと物理的に逆立ち、目は真っ赤に充血し、口は怒りのままに耳まで裂け、乱杭歯が剥き出しになっていた。

 

足元には、白装束を着た集団が、無惨に倒れ伏して呻いている。人造迷宮(クノッソス)を利用していた闇派閥だ。

 

「やってくれたな…!闇派閥(イヴァルス)とやら…!」

 

ダンジョンに張り巡らされた人造迷宮。その調査を行なっていた最中に、地上への出入口のあるダイダロス通り周辺を焼き尽くした大火。しかも、事はキル子がオラリオを離れたタイミングで起こった。あるいはロキ・ファミリアが人造迷宮を調べている件から手繰られた可能性もある。

いずれにしろ、証拠隠滅を図ったとしか思えなかった。

この不埒な蛮行、万死に値する!

 

…もちろん、当の闇派閥からすれば、濡れ衣も良いところである。

彼らにしても、人造迷宮の出入口を隠すのにダイダロス通りほど適した場所は他になく、わざわざ焼き払って衆目を集める危険を侵す道理はない。

この場に倒れている連中にしても、焼け跡の様子を調べに来たところを、運悪く怒れる怪物に出くわしただけなのだから。

 

だが、キル子は手に入れた情報から、あくまで状況をそのように判断してしまった。

情報を収集をする能力と、収集した情報を整理して事態を把握する能力は、また別物なのである。

あるいは老獪にして頭脳明晰なロキがいれば、適切なアドバイスを授けたかもしれない。しかし、ロキは未だメレンにあり、キル子は冷静さを欠いている。

その為、外見に難のあるレッサーヤクザ達だけでヘスティア・ファミリアに物資を届けさせる、という普段ならやらないミスも冒していた。

 

キル子は怒り狂っていた。

目をかけていた三人の孤児達…彼らを預けた孤児院の子供達…孤児院に何度か通う内に嫌でも目に付く貧民街(スラム)の状況…そこにきて、かつての自身と同じか、それ以下の境遇に身を置きながらも慎ましく生きていた者達への、惨い仕打ち。踏み躙られる、モータル(同胞)の嘆き。

それがキル子自身にも不思議なくらい、怒りを掻き立てていた。

 

「私は此奴らにインタビューします。お前達は再度情報を集めなさい。……今度は仔細も漏らすな!」

 

「ハハッ、承知いたしました!」

 

怒れる主人を前に、ニンジャ達は脂汗を流しながら土下座めいて平伏する。

状況を軽視していたカシンコジの一体は、キル子に八つ当たりめいて中指を一本ケジメされていた。

 

「おのれ…闇派閥!…生かしてはおかんぞ!!!」

 

 

 

 

 

 

 




キル子「全部、闇派閥って連中の仕業に違いない!」
闇派閥「ナ、ナンダッテー?!」

大分間が開いてすみません。
気管支がね、コロナって花粉症よりコワイ。

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