ダンジョンにユグドラシルの極悪PKがいるのは間違っているだろうか?   作:龍華樹

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第25話

 

 

 

「ぷ、グフっ、アハハハハハハ!!!!」

 

ロキは爆笑していた。

指を指して爆笑していた。

 

「わーらーうなー!」

 

指を指されているのは、体育座りをしているカーリーだ。ムキーっと涙目である。ブザマ!

その周囲にはアマゾネス達が冷凍マグロめいて倒れ伏し、スピスピと安らかな寝息を立てている。

 

「よ、様子を、見に来たら…プククッ……ぜ、全滅て!」

 

プークスクスとわざとらしく口にすると、床をバンバンと叩き、ゴロゴロとのたうち、再び声を上げて笑い出した。腹を抱えているのは笑いすぎて腹筋を痛めたからだ。

 

この有様では取引にならず、呆れ果てたイシュタルは眷属を率いてオラリオに戻ってしまったという。

肝心の食人花についてもカーリーはシロ。ただし、イシュタルは何か知っている節があったらしいが…

 

「ひー、わらったわらった!これならわざわざオラリオから男連中を呼び寄せる必要なかったわ……ククク、キルコに手を出して不幸になる奴の見本やな!」

 

「うるさいのじゃ!!」

 

悔しそうに地団駄を踏んだカーリーがロキに飛びかかった。

ロキ無乳とロリ無乳は不毛な取っ組み合いを始めたが、ロキ・ファミリアの女性団員達は呆れたようにため息をつくだけで誰も止めようとしない。

 

「ダメです、全然起きません」

 

「薬でも使われたのかしら?」

 

「あるいはスキルか魔法か、さもなくば呪詛か。あの女のやることだ、どんな隠し球を持っていても不思議ではないか」

 

エルフの団員を率いたリヴェリアは眠りこけるアマゾネス達を調べていたのだが、やがて諦めたように頭を振った。そして、室内に無造作に並んだ石像を見る。

 

ぞくり、と。背筋が粟立つのが分かった。

 

アルガナを含む石にされた者達を元に戻すにあたって、キル子が請求した金額は1億ヴァリスという。とんでもない金額だ。

もちろん、基本的に金銭を必要としない生活を送るテルスキュラに、そんな大金は払えない。体で払っても良いので応相談とのことらしいが、いったい何をさせられることやら。

 

「危うい。流石に危険ではないか…?」

 

思わず、リヴェリアは口に出していた。

 

同じ疑念は、フィンやガレスも持っているだろう。今はロキ・ファミリアに貢献しているが、このまま野放しにしておくとどうなるか分からない。

そもそも恩恵も持たない人間が冒険者を凌駕する力を持っているという異常。それも猛者(オッタル)を一蹴したのだから事実上の都市最強であると言っていい。

 

リヴェリアは長い寿命を持つエルフの王族、ハイエルフだ。

故郷を離れて世界を見聞し、放浪した先でオラリオに行き着いた。

王族であるリヴェリアが里を出た理由は、自分の知らない世界を自身の目で見たいが為。

ロキによって半ば無理矢理ファミリアに加えられてしまったが、ゆくゆくはオラリオを出て世界を旅するつもりだった。

 

そんなリヴェリアにとって、『未知』は永い生を慰める無聊であり刺激でもあるが、恐れでもある。

キル子という、未知への恐怖。徐々にソレが勝り始めていた。

59階層では命を救われた身であるが、いずれロキ・ファミリアにとって、いやオラリオにとって致命的な災いを呼び込むのではないかと、その疑念がどうしても拭えない。

 

しかし。

 

「それはないやろ」「ないじゃろな」

 

互いにコブラツイストをかけようと試みていたロキとカーリーが、異口同音に断言した。

 

「…何故だ?」

 

リヴェリアは訝しんだが、ロキはカーリーの仕掛けたチョークスリーパーを外す作業に夢中になっている。

やがてロキが泡を吹いてバンバンと床を叩いた。タップアウト、カーリーが1ラウンドを制した。

 

「よしっ…!確かにあの女は少しばかり…いや、かなり狂っていたがの。魂は完全に、典型的な人間()のそれじゃよ」

 

「ぐぎぎっ…!そ、そやな。ある意味、あいつほど人間らしい人間はおらんかもな…」

 

見るものが見れば眼福のくんずほぐれつキャットファイトを演じつつ、二神は片手間に答えた。

 

「ぬぉりゃぁ…!!…ふぅ…()()()()()があんまりに常軌を逸しとるからわけわからんだけで、結果だけ見るとたいした騒ぎにはなっとらんやろ?」

 

第二ラウンド、やや体格に勝るロキがカーリーを床に押しつけ、エビ固めによるホールド。

何故かレフリーをやらされているアイズ・ヴァレンシュタインが「なんで私が…」とでも言いたそうな顔をしながら3カウント数えた。ピンフォール、これでイーブン。次で決まる。

 

ロキから見れば、キル子がオラリオで起こした騒動など、実は大した影響はない。

様々な物を持ち込み、配下と共に強力な戦闘力を垣間見せ、色々と好き勝手やっているが、ではそれでオラリオの何が変わったか?

強力なアイテムは、これまでもダンジョン深層への探索が進み、新たな素材が発見される度に齎されてきた。

戦闘力にしても、ロキのファミリアが名を上げる前、長い間オラリオに君臨していたゼウス・ファミリアやヘラ・ファミリアも相当なものだった。Lv.7を複数抱え、Lv.8すら居た。都市最強を謳われながら未だロキ・ファミリア、そしてフレイヤ・ファミリアもあの高みには至っていない。

それに比べれば、どうだという話だし、何よりキル子はダンジョンの探索や、ファミリアそのものにも大して興味を持っていない。

 

…それに、馬鹿な神がファミリアごと潰されるのも、そう珍しい事ではなかった。闇派閥が幅をきかせ、無数の神が消去されていた頃の方がよほどひどい。

それをよく知っているロキとしては、お行儀が良くわかりやすいキル子などは……まあ、恩恵無しというのを露骨に嫌がる神もいるだろうし、確かに脅威ではあるが、興味が勝る。最高の道化だ。

 

「よっしゃ!……ようは本人も自覚しとる通り、俗物なんや。男遊びが大好きで、リヴィラじゃアコギに荒稼ぎ、そしてダイダロス通りの孤児院やらに大金を寄付する篤志家でもある。本人は隠しとるつもりかも知らんが、な!」

 

ロキの大技、ジャーマンスープレックスが見事に炸裂!カーリーのKO負けだ。

 

あの女は、ロマンだの憧れだの、夢だの希望だのからはほど遠い。神が待ち望み、冒険者が心の底で憧れる、英雄への願望を欠片も抱いていない。目が向いているのは徹頭徹尾、現世利益のみ。

色に溺れ、美酒に酔い、美を愛で、情に流される。欲望の形がわかりやすい。

 

「のじゃあ!……そうじゃな、結局、妾の眷属は一人も殺されておらんし。プライドは完全にボロボロじゃが…」

 

逆転負けしたカーリーは、トホホと項垂れた。

テルスキュラを出てから散々だ。お外は怖いところである。

 

「…まあ、あの女はやろうと思えば全員を石塊に変えて海に沈めることも出来たわけじゃよ。そうなっていたら今頃、魚礁としてタイやヒラメと戯れとったじゃろ」

 

面白くもなさそうにつぶやくカーリーに対して、だからこそ面白い、とロキは嘯く。

 

何処までいっても心根は矮小な凡人に過ぎないのに、力だけは有り余っている。広い下界には時たま出てくる異物だが、そういう人種の末路は大抵、力に振り回された末の破滅と相場が決まっている。ロキの大好物だが、さてどうなる事やら。

 

「キル子のやつ、ベートに惹かれるわけやで。あの二人、一見正反対に見えて、根っこの部分がよーく似とる」

 

愛と憎しみは紙一重、という言葉もあるようだが、愛の反対は憎しみではない。無関心だ。

多くの神や冒険者は、そもそも弱者に関心を持たない。特に成功した上級冒険者や大派閥の神は。ロキ自身やその眷属、アイズやリヴェリアなどもその点は変わらない。

 

「あいつらはな、違うんや。見てるものがな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ダイダロス通りの跡地に、土砂降りの雨が降り注いでいた。

未だに焼け焦げた匂いがわずかに立ちこめ、煙と雨で辺りは白くけぶっているが、ようやく熾火が鎮火して熱さが収まってきている。

家とも言えない荒ら屋は軒並み焼け落ち、そのあとに豪雨に押し流され、微かに名残を残すのみ。

炎は何もかも、焼き消してしまった。そこで暮らしていた人も。

 

灰を含んで黒く濁った水たまりに浸された焼け跡を、キル子は無表情に見つめていた。

 

暑く空気の乾燥したこの季節に火事は珍しくないが、今回のそれはあまりにも唐突に起こり、しかも火元が限定されすぎている。そして、瞬く間に延焼してしまった。

ニンジャ達の尻を蹴飛ばして集めさせた情報のすべてが、この火事が単なる自然発火や、過失によるものではないことを示している。

 

オラリオの司法に照らせば放火は重罪である。だが、都市の統治者を自認するギルドはあまりこの件に関心を持っていない。

彼らの第一義は派閥の利害調停と冒険者への支援であり、貧乏人が寄り集まった貧民窟(スラム)が数十ヘクタールほど焼けた程度、どうでもいいと思っている節がある。これ幸いと、焼け跡を再開発地区に指定して、出入り商人に入札させる計画すら持ち上がっているらしい。

標的の印(ターゲットサイン)】を介して盗聴した際に、嘆くようにそう呟いていた、とあるハーフエルフの受付職員の言葉が、耳から離れなかった。

 

キル子は煙管からキツめのメンソールの香りを漂わせながら、時折、数珠型の腕時計を確認し、白い煙を吐き出す。背後には護衛役のフウマとトビカトウが控え、蛇の目傘を頭上に差し出していた。

 

「…待ち人来らず雨が降る、か」

 

オラリオに雨を降らせたのはキル子だ。

第6位階魔法、《天候操作(コントロールウェザー)》。天候や気象現象の変化を起こすことができる、ドルイドの使う信仰系魔法。

雨や霧は視界を遮り、匂いを消す。暗殺(PK)に適しているので、結構な数の巻物(スクロール)をキル子は持っていた。

その日、キル子がオラリオに居さえすれば、たちどころに延焼を抑えていただろう。

 

雨は霧雨に変わり、やがて曇天に薄らと晴れ間が覗く。

キル子が憂鬱そうに煙管の灰を捨て、煙草を入れ替えようとした時だった。

 

「御方様、あちらを」

 

背後のフウマが警告するまでもなく、キル子の【聞き耳】スキルは、微かに水たまりや泥濘を踏む足音を捉えていた。まだ距離はあるが、確実に此方に向かっている。たまたま通行人が立ち寄るような場所でも時間帯でもない。

 

「あんたかい、あたしに用があるってのは?」

 

やって来るなりキル子に胡乱な目を向けたのは、乞食のような身なりをした長身の老婆だった。

 

至る所がすり切れたローブを羽織り、中途半端に伸ばした白髪頭は鳥の巣のようだったが、鋭い目つきには独特の迫力がある。

背後にはこれまたボロを着た男が二人、そして隠れているつもりのようだが、もう何人か老婆を守るかのように周囲の廃墟に隠れているのをキル子は感知していた。

 

キル子に八つ当たりめいた怒りを向けられたニンジャ達が一晩で探し出してきた、この辺りの顔役だ。

ダイダロス通りの界隈で長いこと暮らしている長老格で、スリや置き引き、物乞い達の相談役のようなことをしており、顔が利くという。

 

「ドーモ、ペニア様。初めまして、キル子と申します」

 

キル子は両手を合掌してアイサツした。アイサツは大事だ。

 

だが、深々と下げたキル子の頭が上がる前に、老婆は言い放った。

 

「…ここらでスリや巾着切りの手首を落とした女ってのは、あんただね?」

 

アイサツを返さないばかりか途中でアンブッシュめいて遮るのはスゴクシツレイであり、彼方(リアル)なら問答無用でセプクを迫られるケジメ案件だが、老婆は意に介さず、ギロリとキル子を正面から睨んでいる。

 

「?……あ~、そういえば、そんなこともありましたかね?」

 

キル子的にはどうでも良い出来事なので忘れていたが、そんなことをした気もする。

 

乙女の懐に手を突っ込み、柔肌に触れようとする愚か者には似合いの末路ではなかろうか。ちなみにキル子が手を下した愚か者の数は両手の指に余る。

 

「尊い仕事(シノギ)だよ。修行をして技を身につけ、汗水垂らして、有るところから無いところへ富を移すために働いている」

 

スリをそんな風に評するあたりに、この老婆の価値観が端的に表れている。

 

「そんな()()()()な商売をしている貧乏人の手首を切り取る、おっそろしい女がいるって、この界隈じゃみんな震え上がってるよ」

 

暗に手を出すのをやめろ、と言いたいらしい。

 

「ふむ。…私の財布に手を出さない限りにおいては、その方々に手を出さないとお約束しますよ、ペニア様。私の知りたい事を教えて下さるのであれば、ですが」

 

「安心おし。もう、あんたに手を出す奴はいないよ。おっかなくってね」

 

老婆の背後に控えて此方を睨んでいる男たちの手首がないことに、キル子は気付いた。どうやら愚か者…もといキル子の被害者らしい。

 

「それに、わざとらしく"様"なんて付けるのもお止め。敬称ってのは本当に敬いのある相手に付けるもんだ。あんた、神なんぞ屁とも思っちゃいないんだろ?」

 

当たり。キル子は心の中で舌を出した。

 

ペニアは神の一柱だ。人の子の嘘など、たちどころに見抜く。

 

『貧窮』の女神・ペニア。

ダイダロス通りに住まい、下界に降りていながら派閥(ファミリア)も眷族も持たないという変わり者。

 

下界の者たちから持ち寄られた金品を頂戴し、ダイダロス通りの貧民に恵んでいるという。そのため貧民街(スラム)の住民からの支持は高く、名実共にダイダロス通りの主として振る舞っている。

神々の間では悪い意味で有名で、天界ではよく他神の神殿から貯えを掻っ攫っていたとか何とか。神々の間では屈指の嫌われ者らしい。

 

「そこはそれ。私ら日本人は礼節を重んじますのでね」

 

キル子が不敵に笑うと、ペニアは不愉快そうに鼻を鳴らして、顎をしゃくった。

 

それが何の合図かは、すぐに分かった。

焼け落ちたレンガ造りの廃屋の影から、ぼろを着た浮浪児のような少年がひょこりと出てきた。キル子が感知していた反応の一つだ。

十代の半ばほどの年齢の少年は顔も服も、裸足の足も真っ黒で、歯が何本か欠けていたが、ニコリと笑う顔には愛嬌があった。

 

「リカルド、教えてやんな」

 

「あいよ、婆ちゃん」

 

リカルドは煙突掃除夫を生業にしているのだと話してくれた。

最近では魔石を使った装置が増えてきているが、まだまだオラリオの煮炊きと暖房は暖炉と煙突に頼っている。煙突一つで1000ヴァリス、そこそこの稼ぎになるという。

彼が黒いのは火事で焼け出されたのではなく、元から煤で汚れている為らしい。

だが、職業柄、見晴らしのいい場所から、色々と見聞きする機会がある。

 

「自慢じゃないけど、オラリオの煙突でオイラに登れないのはありやせん。あの日も、オイラはこの辺りの煙突に登ってやした」

 

リカルドは火事の当日、ちょうど煙突掃除に呼ばれていた。そこで火事に巻き込まれて慌てて逃げる前に、火元近くで怪しい集団を()()見たという。

 

白装束で全身をすっぽりと包んだ怪しい奴らと、黒い軍服じみた装束を着込んだどこぞの派閥らしき集団。どちらもボロを纏った貧民で溢れたダイダロス通りで活動するには、少しばかりドレスコードが不適切だった。

黒いのは初めて見たが、白装束は時折この辺りに出没しているという。

 

間の抜けた連中だ。素人さんに見咎められるとは。オラリオの冒険者は恩恵を持たぬ一般人(カタギ)を軽視しているので、今更だが。

 

「白装束の方は……典型的な闇派閥のそれですよね?」

 

「さあね。確かに何十年か前から、そんな馬鹿げた連中がいるけどさ。あたしゃ面倒が大嫌いなんだ」

 

惚けてみせているが、オラリオ中のスリや物乞いなどから報せが集まるので、ペニアは事情通だ。

 

昨夜、焼け跡辺りを彷徨いていた闇派閥らしき白装束は、怒り狂っていたキル子自身がたたきのめし、本拠の和風屋敷に備え付けられている座敷牢に拉致監禁している。

所詮は下っ端というべきか、大した情報は持っていない。せいぜい奴らの派閥の()()()()、そのくらいだ。

本拠地の場所だとか、他の構成員の数や質、どの程度の戦力があるのか、あるいは何を目的にして活動しているだとか、そういう肝心な事は何一つ知らされていないようだった。

洗脳系の魔法やスキルを使ってインタビューし、体にも聞いたから間違いはない。

死者に会いたいだとか、主神に仕えればそれが叶うだとか、新興宗教にハマった狂信者じみた戯言ばかりを口にしているキチガイだ。

 

ダイダロス通りの地下に張り巡らされた人造迷宮を利用しているらしき闇派閥、そいつらの本拠地の場所を特定するのが何より重要なのだ。

カチコミするにも相手の場所が分からなければ、どうにもならない。新たな情報、その黒い服を着た連中というのも気になる。

 

更に詳しい話を聞こうとしたキル子だったが、ペニアは抜け目なかった。

 

「おっと、そっから先は別料金だよ。卑しく稼いだ不浄な稼ぎ、浄財するいい機会さ」

 

がめつい婆様だ。そう思ったが、今は時間が惜しい。

時間を金で買う、というのは勝ち組サラリマンの特権だと思っていたが、まさか自分が買う側に回ることになろうとは。

 

キル子はインベントリから大量の金貨が詰まった袋をドサドサと取り出した。

慰謝料込みの値段だ。それに、棲家のダイダロス通りがこの有様では、金は幾らあっても足りるまい。彼方(リアル)では誠意と言えば、金額のことだった。

 

何故かペニアは顔を顰めたが、ペニアの連れてきた連中は袋の口からのぞく金貨の輝きに目の色を変えた。

 

「持ちすぎだね。豊かさは肉体から労働を奪い、富は精神を腐らせるよ」

 

キル子は嘲笑った。

馬鹿馬鹿しい。どうやらこの老神(ろうじん)とは、どこまでも意見が合わないらしい。

贅沢は敵ではない、素敵だ。

 

「私が生まれたところじゃね、そういうのは人を安くこき使うために、暗黒メガコーポがよく吹聴してましたよ」

 

『納期厳守』『顧客が大事』『コンプライアンス重点』『成せば成る』…etcetc

暗黒メガコーポが支配する欺瞞に満ちたマッポー社会。いつだって先立つものを大量に持っている方が強いのだ。金持ちがさらに金持ちになる経済メカニズムが世を支配する素晴らしき哉、暗黒社会。マッポーカリプスナァウ!

 

「さあ、対価は払いました。タイムイズマネー、ビズはクールにいきましょう」

 

忌々しそうにペニアはキル子を一瞥したものだが、不意に懐から酒瓶を取り出し、ラッパ飲みをした。唇からこぼれた赤い液体を袖で乱暴に拭うと、蠱惑的な香りがキル子のところまで漂ってくる。

 

おや、とキル子は思った。かなり上等な葡萄酒だ。

おそらくは、キル子が一手に商っている神・ソーマの遺した神酒とは、別系統の神酒。

何せ、飲み干したペニアに【酩酊(神酒)】なる状態異常(バッドステータス)がくっついたのだから。

 

「ちっ、いい味してるねぇ……本当に生意気な小娘だが、マリアの所の子供達が世話になったって話だし。ちぃとばかし足りないが、残りはまけといてやるよ。―――その代わり、ここをこんな風にしちまった奴らを見つけたら、あたしらの分までヤキ入れとくれ!」

 

その後、ペニアは、キル子の知りたいことをあらかた教えてくれた。

恐らく、例えばロキあたりが真っ当に尋ねたところで、この偏屈な老神は何も答えなかったのではなかろうかと、そう思う。

 

ペニアの態度は実際シツレイだったが、何故かキル子は嫌いになれなかった。ペニアは単にキル子自身の行動や言動が気に入らないと、ただそれだけだったのだから。

相手を人間だからと格下に見なかった神は、キル子の知る限り、ヘスティアに次いで二神目だった。

 

 

 

 

ペニア達が去った後、キル子はその場で煙管を蒸していた。

やがて、煙管の中身が全て灰になった頃合いには、考えがまとまっている。

 

「ハンゾウ」

 

「ハハッ、御前に!」

 

赤いスカーフを首元に巻いたハンゾウが、おくゆかしく平伏しながら進み出た。適当に選んでリーダーに任命した一体だ。

背後には、同じく青や緑、黄色のスカーフを巻いたトビカトウ、フウマ、カシンコジが並んで平伏している。

 

(黒い服……闇派閥(イヴァルス)とは別口か?)

 

否、とキル子は頭を振る。状況的に、そいつらも闇派閥の一派なのは間違いない。

 

そもそも闇派閥が四六時中、白装束なんて目立つ格好をしている道理はないのだ。

闇派閥とは『邪神』を名乗る複数の過激派ファミリアの総称。傘下の団員は幹部格を除いて一様に顔を隠した白装束に身を包んでいると聞いていたが。

むしろ、そんな如何にも闇派閥で御座いと言わんばかりに目立つ囮を泳がせて、裏でごく普通の一般人や冒険者の格好をした奴らが動いている、そうみるべきだ。黒服共はその一味。ピタリ、とピースが嵌まった気がした。

 

チクショウ、こんな単純なことにナンデ気付かなかったのか!

となると、やはり昨日ひっ捕まえたのは囮だ。大した情報を渡されていないに違いない。

 

やってくれた(のう)、タナトス・ファミリア=サン!

 

怒りに燃えるキル子は、自らの常識に照らし合わせ、明後日の方向に推理を働かせた。

 

「リカルド君から聞き取った黒服どもの特徴、頭に入っているわね?」

 

「ハイッ、何処の家中の者どもか、直ちに調べまする!」

 

キル子は満足そうにうなずいた。

 

リヴィラとオラリオ、そしてメレンに必要最低限の人員を置き、残りはすべてこの探索に投入する。

レッサーヤクザどもを呼び出しておいて良かった。おかげで人員不足をある程度補える。

 

「それと、人造迷宮(クノッソス)の地上側の出入り口を特定しなさい。穴は一つ二つじゃない筈よ」

 

キル子は追加の命令を下した。

その手の中では「D」の一字が刻まれた球形のマジックアイテムが弄ばれている。捕らえた闇派閥から奪った、人造迷宮の鍵だ。

かつてロキにも話したように、鍵は厳密に管理されているだろう。ことが露見するのも時間の問題、奴らは相当焦るに違いない。あまり時間をかけてはいられない。

 

「畏まりました、必ずや!」

 

ハンゾウは首を垂れた。

 

おそらく闇派閥の本拠地は、人造迷宮の何処かにあるとキル子はみている。

だが、あのだだっ広い穴蔵を隅から隅までしらみつぶしに探すというのは、現実的ではない。 ならば、地上との行き来を押さえるまで。

かつてユグドラシルで猛威を奮ったPKの妙、今こそ見せてくれよう。

 

下調べにもう少々、準備にも時間がかかるだろうが、致し方ない。

PVPの基本は相手の情報をとにかく収集し、奇襲でもって一気に勝負を付けること。これが『誰でも楽々PK術』によるギルド、アインズ・ウール・ゴウンの基本戦術である。

何度この場にぷにっと萌えかモモンガが居てくれれば、と思ったことか。正直、キル子はこういった頭脳労働は苦手なのだ。ソロで遊撃に回るのが一番強い。

腹黒策士・ぷにっと萌えか、万能の天才・モモンガならば、こんな手間暇かけずにズバッと解決してくれただろう。

かつての仲間に対して、キル子は無条件の信頼を寄せている。

 

「幸い戦争遊戯とやらのおかげで、オラリオ中の目はそちらに向いている。……準備ができ次第、カチコミだ。気張れ!」

 

「「「ハイッ、ヨロコンデー!!」」」

 

ニンジャ達は闇の中に溶けていった。

 

一人残ったキル子の手には、町中でバラ撒かれている戦争遊戯なる見世物のチラシが握られていた。

 

「戦争遊戯ねぇ。公式PVP大会ってとこかしら?」

 

ルールは殲滅戦というらしい。お行儀のいいユグドラシルの公式PVPよりも、どちらかというとルール無用の盤外無差別PK合戦に近い気がする。

要するに、何も考えず全員キルすればいいのだ。そういうのはキル子の得意中の得意である。

 

「ちょっとだけ、ベルきゅん達の様子を見て来るかな」

 

ヘスティア・ファミリアとアポロン・ファミリアの戦争遊戯。気にならないと言えば嘘になるが、今はやる事がいくらでもある。闇派閥のクソ共殲滅が最優先だ。

それに、死人の出ないルールらしいから、単なるスポーツ的なお気楽イベントなのだろう。

 

あくまでも様子見のつもりのキル子だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヘスティア・ファミリアのホームの一室は、重苦しい空気に包まれていた。

 

どうしてこうなった、と。

主神、ヘスティアは辛そうに頭を抱えている。

 

彼女の頼れる眷属、ベル・クラネルの瞳は静かな怒りを湛えており、リリルカ・アーデは口元に苦悩を浮かべて押し黙り、最近ファミリアに加入したばかりの元孤児、カリンは頭をかきむしっていた。

なお、カリンと同時期に加入した見習い冒険者のレックスとコナンは、逆に目を輝かせている。

 

部屋の外からは対照的に、焼け落ちたダイダロス通りの孤児院から移ってきた孤児達が元気に駆け回って遊ぶ声が響き、窓の外からはホームの敷地内で生活する避難民の喧騒が絶え間なく届いている。

 

「ごめんよ、みんなぁ……ボクが、ボクがふがいないばっかりに……!」

 

涙を浮かべて項垂れる主神を責める者は誰もいなかった。

ヘスティアが悪いわけではないのだから。

 

全ての原因は、急遽、呼び出された神の宴にあった。

 

その名の通り神のみが参加を許される会合だが、主催する神も開催時期も無原則であるこの宴は、特に目的意識もなく、ただ騒ぐためだけに開かれることが多々あるのだが、今回のコレは異色だった。

 

宴というには会場に華やかさがなく、広さもない。

申し訳程度の飲み物や食べ物が壁際に並べられており、卓は真ん中を開けるようにして配置されている。

左右を見回せば、見知った顔はほとんどなく、せいぜいがヘルメスくらいのもの。

おまけに居並ぶ神共は、何故かこちらを見てクスクス忍び笑いを漏らしているとくれば、流石に鈍感なヘスティアでも、これは何かあると気付くというもの。

 

その予感は当たっていた。

何せ、いきなり訳も分からず中央に引っ張り出されたと思ったら、いつも通り外連味たっぷりのア()ロンから 『ヘスティア・ファミリアにステイタス偽装の嫌疑あり!』と指を突きつけられたのだから。

 

ヘスティアにとってアポロンは出来れば相手にしたくない神の筆頭格で、ぶっちゃけ苦手である。

天界に居た頃から、色恋沙汰にうつつを抜かしまくり、気に入った相手は老若男女問わず手を出す色情狂。しかも、やたらめったら執念深い。

お近づきになりたくない相手なので、ヘスティアは近寄ろうともしなかった。それは下界に降りてからも変わらない。というか、存在そのものを忘れかけていたくらいだ。

だから、決して恨みを買うような相手ではなかったのである。ついさっきまでは。

 

アポロンの主張はこうであった。

『過日、ダイダロス通りで痛ましい火事があり、()()()()通りがかった我が眷属は、直ちに救助活動を行った。ところが逃げ遅れた可哀想な孤児達を避難させようとしていたところを、ヘスティアの眷属に妨害された。

これだけでも非難されるべき大問題だが、あろうことかヘスティアの眷属、それも申請ではLv.1にしか過ぎない者達の手でアポロン・ファミリア団長にしてLv.3にもなるヒュアキントスが、男として致命的な重傷を負わされた。これはあり得ない事態であり、ヘスティア・ファミリアがステイタス偽装に手を染めているのは確定的に明らかだ』…と演説をふるった。

 

その時はまだカリン達三人はヘスティアの眷属でも何でも無かったのだが、アポロンはその事を意図的に無視していた。

もっとも、あの時、現場にはヘスティアも居り、またカリン達は悪名高いソーマ・ファミリアからの改宗(コンバート)組の為、この事を主張しても無駄だっただろう。

 

アポロンが槍玉に上げているステイタスの偽装とは、ギルドに報告すべき眷属のレベルを、実態と偽って報告することである。

冒険者にとって恩恵によって与えられるステイタスの内容は本来隠すべきものであるが、レベルだけはギルドへ正確な報告の義務がある。どの程度のレベルの眷属を何人抱えているかで、ギルドへ納める納税額が決定するからだ。

 

冒険者はダンジョンに探索に出向き、モンスターから素材や魔石を得て換金することで収入を得るが、実際にはどの程度の収益を得ているのか正確に算出するのは難しい。換金はギルドの買い取りだけでなく、大小無数の商店でも可能だからだ。また、生産系のファミリアに属する者は、そもそもあまり探索に出かけないことも多く、判断が難しい。

そこで、かなり大雑把な措置ではあるが、ギルドでは抱えている眷属の数と質により納税額を決めている。

 

これを過小に申告することは、重大な犯罪である。脱税だ。

派閥からの収益によって公共サービスが成り立つオラリオでは、ある意味一番罪が重い。

何かにつけて腰の重いギルドだが、このステイタス偽装にだけは目を光らせており、少しでも疑いがあれば即座に査察を派遣する。

神の中には、戦力を秘匿して悪さを企む者もいるからだ。

 

そこを突いたアポロンは、重ねて言った。

ステイタス偽装ではないとすれば、何らかの特殊な能力を持っているのではないか。疑いを晴らすためにも、それを明らかにすべきだ、と。

 

「そ、それは…!」

 

一瞬、ヘスティアは言葉に詰まった。

 

ベル・クラネルの前代未聞のレアスキル【憧憬一途(リアリス・フレーゼ) 】。

カリンの同系統のスキル【憧憬淑女(マイ・フェア・レディ)】。

さらにはレックス、コナンにカリンを加えた三人に同時に発現してしまった正体不明のスキル【Yggdrasill System(世界樹の加護を受けた者)】。

前回のリヴィラへの遠征から帰ってから、リリルカ・アーデまで新たな特殊スキルに目覚めており、これを明らかにしたら周りで爛々と目を輝かせている暇神(ひまじん)共が、どんな反応をするか分かったものじゃない。

そもそも、そんな希少なスキルを持った眷属ばかり、どうやって手に入れたのかという話に発展したら、収拾が付かなくなるだろう。

 

…ちなみに、だいたいの原因と言えなくもないユグドラシルからの来訪者は、その時、唐突なくしゃみに襲われていた。

 

ヘスティアが言葉に詰まったのを見て取ったアポロンは、ここが攻め時とばかりに、更なる口撃を浴びせた。

「何故、答えられないのか!」

「やはりステイタス偽装しているのか! 」

「孤児院の子供達はヘスティア・ファミリアに無理矢理、拉致されたのだ! 」

「悪逆非道な派閥に可哀想な孤児達を預けておくことは正義に反する! 」

「我がファミリアにより救い出されねばならない!」

と、言いたい放題である。

 

この謂われのない誹謗中傷に、流石のヘスティアも黙ってはいられなかった。

ヘスティアは竈の女神にして処女神。だが、もう一つ司っているものがある。

それは、全ての孤児達の保護者。弱く恵まれない子供達は、彼女にとって須く守り愛すべきもの。アポロンの暴言は、神格(じんかく)の否定に他ならない。

その為、ヘスティアは常になく激怒した。黒幕の描いたシナリオのままに。

 

「ボクらがそんなことするわけないだろ!っていうか、あのときの人攫いは君の眷属だったのか、アポロン!!!」

 

「誰が人攫いだ!人聞きの悪いことを言うな!」

 

「誰がどう見ても人攫いじゃないか!マリアくんは君の眷属に大怪我させられて大変だったんだぞ!謝れ!」

 

「おおかた、火事に動転して救助の邪魔をしたんだろう!そんな事まで知るか!!」

 

徐々にテンションをエスカレートさせたアポロンは、挙げ句の果てにダイダロス通りに火を付けたのはヘスティア・ファミリアで、被災者達を囲っているのは自作自演を誤魔化すための欺瞞、とまで言い放った。

 

「ふざけるなっ!!」

 

もちろんヘスティアは反論したが、ここで思わぬ妨害にあった。

普段は面白がりながらも大して口を挟んでこないギャラリーの暇神どもが、今回に限って全面的にアポロンの肩を持ったのだ。

いちいち野次を入れてくるおかげでヘスティアの反論は遮られ、言いたいことの半分も口に出来ない。 完全なアウェーだ。

 

そして、いよいよ舌戦に熱が入り、佳境に突入した時のこと。

 

「まあまあ、二人とも頭を冷やせよ」

 

したり顔で間に割って入ったのは、神・ヘルメス。

 

「どっちの言い分もわかるけどさ、証拠は何もないんだぜ。言うだけ無駄じゃね?」

 

神の嘘は同じ神にすら見抜けない。どっちが正しいか、などと不毛な言い争いをしても意味が無い。

証拠は何もなく、その場に居合わせた眷属達の証言には信憑性が担保されない。論ずるに値しない、とヘルメスは言い切った。

 

冷静に考えれば、これはおかしな話だった。

確かに神の嘘は神にも見抜けないが、眷属()達の証言は別だ。この場(神会)に呼び寄せればいいだけのこと。

そうなれば都合の悪いことを聞かれた方は沈黙するに決まっており、どちらに非があるかなど、たちどころに明らかになるだろう。

それに眷属の証言が信用できないというのなら、その場に居合わせた孤児院の院長や、孤児院出身の『豊穣の女主人』の店員からも詳しい話は聞ける筈である。

 

残念ながら、ヘスティアは冷静さを失っていて、そのことに気がつかなかった(実際には、巧みな煽り術で激高させられていたのだが)。

また、この場でそれを指摘する神は居なかった。

神友であるヘファイストス、公平さに定評のあるガネーシャ、あるいは腐れ縁のロキといった、多少なりともヘスティアの味方をしてくれそうな神々は、一人も出席していなかったのだから。

それもまた黒幕のシナリオ通り。アポロンすらも役を演じるだけの道化にすぎない。

 

善意の第三者気取りで二神の調停に乗り出していた、その黒幕は、わざとらしくため息をつきながら、こう言った。

 

「こりゃあ、もう収まりがつかないなぁ…」

 

やれやれ、とばかりにヘルメスは頭を掻きながらアポロンに目配せした。

頃合いだ、とばかりに。

ツインテールが荒ぶり過ぎて、文字通り怒髪天を突いていたヘスティアは、そのことに気づかなかった。

 

大袈裟な身振り手振りを交えながら、アポロンは片手の手袋を投げつけた。

 

「ならば、ヘスティアよ!もはや言葉を尽くす段階は過ぎた!後は剣によって互いの正義を示そうではないか!―――戦争遊戯(ウォーゲーム)だ!!」

 

つまり、決闘裁判だ。

 

「望むところだ!!」

 

ヒートアップしていたところで、思わず応じてしまったのがヘスティア痛恨のミスである。

 

ヘルメスは密かにほくそ笑んだ。

 

「諸君、ここに両者の合意はなった!戦争遊戯(ウォーゲーム)の開催だ!!」

 

面白そうに観戦していた暇神達から、やんややんやの喝采が上がった。

 

そして話は冒頭へと戻る…

 

 

 

「戦争遊戯!うぉー!かっけー!」

 

「やってやるぜ!!」

 

無邪気にはしゃぐお子様二名はさておいて、残る三名は事態の深刻さを正確に認識している。

 

戦争遊戯(ウォーゲーム)、それは神と神が己の威信と誇りを賭けて眷属同士を争わせる代理戦争。

ファミリアの総力を結集して挑む仁義なき闘争であり、賭けられるのはその派閥のすべて。勝者は敗者の全てを奪う権利がある。ホームも、資金も、眷属すらも。利害を争うヤクザの抗争と本質的には変わらない。

暇を持て余した神々にとって、何よりの娯楽だ。勝者を讃え、敗者を嘲笑う。

 

この戦争遊戯は速攻で承認されると同時に、ギルドを通じて大々的に布告されてしまった。

あらかじめ刷っていたらしいチラシがバベル最上階から大量にまかれ、町中にポスターが貼られ、大通りでは賭けの予想屋が現れてレートを声高に叫ぶ。

何もかもが、あまりにも早すぎる。最初から仕組まれていたかのように。

 

「戦力差は…ちょっと考えたくないですね」

 

リリルカが重苦しい口調で言った。

 

相手は探索系中堅派閥のアポロン・ファミリア。

Lv.2の団員がそれなりに所属しており、団長であるヒュアキントスに至ってはLv.3に至っている。

いや、単純に所属する眷属の数だけみても、ヘスティア・ファミリアが5名なのに対し、アポロンの眷属は104名。

彼我戦力差は5対104。質の差を考慮すればさらに開くだろう。

 

「形式が殲滅戦だって事も痛いでしゅ…」

 

カリンが呻くようにつぶやいた。

 

戦争遊戯には決まった形は存在しない。

全員が制限時間までひたすら殴り合い、ポイント数を競う総力戦方式。

ファミリア代表の最強戦力が一対一で勝負を決める決闘方式。

決まった数のチームを出し合い、勝ち星を競うトーナメント方式。

過去には神々が審査員を務める料理勝負や歌勝負なんてのも存在したらしい。

 

そして、今回はどちらかの戦力が無くなるまで時間無制限で行われる殲滅戦方式。

明らかに戦力に劣るヘスティア・ファミリアに不利である。 しかも、開催まで時間が無い。

 

さらに、妙なルールが追加されているのも不可解だった。

 

「この助っ人枠っていうルールも良し悪しだね。うまくいけば強力な味方が増えるけど、逆に強力な敵も増える」

 

ベルが険しい顔をして唸った。

 

基本的に戦争遊戯に参加できるのは所属ファミリアの眷属のみなのだが、今回は特別に他派閥から一人だけ助っ人を呼び込めることになっていた。

弱小派閥のヘスティア・ファミリアへの温情措置に見えなくもないが、コネや資金力で上回るアポロンの方が、より強い助っ人を呼べる道理。大派閥から1級冒険者を呼ばれでもしたら、それだけで蹂躙されかねない。

ヘスティアの知己で助っ人を頼めるとすれば、真っ先に思い付くのは神友・ヘファイストスの眷属にしてファミリア団長の椿・コルブランドだ。協力してくれたらこれ以上なく戦力として頼もしいのだが、主神共々、新素材を使った武具の作成が佳境に入っているとかで工房に引きこもり、会うことも出来なかった。

では、他の派閥はといえば、付き合いのあるミアハ・ファミリアやタケミカヅチ・ファミリアでは、いいとこLv.2が精々だ。

質の差は如何ともし辛く、かといって開催まで時間が無いので新たな眷属を増やして数を補うことも難しい。そんなすぐに眷属が集まるのなら、ヘスティアは苦労していない。

 

「ルールも開催日も、てっきり後で話し合うのかと思ってたよ…」

 

ヘスティアが力なく項垂れた。

 

街中にバラ撒かれたチラシやポスターには、さも当然のように戦争遊戯の詳細が記されていた。

神の宴からの帰り道、足元にハラリと落ちてきたチラシを何気なく拾い上げたヘスティアは、それを見て唖然とした。

 

当事者を無視して重要事項が決められているという状況は、通常の戦争遊戯ではあり得ない。

事ここに至り、ヘスティアにも彼女の眷属にも、ハッキリと分かった。

これは、明らかにヘスティア・ファミリアを陥れるために用意された罠だと。

 

戦争遊戯の勝者は、敗者に如何なる条件も突きつけられる。

この戦争遊戯に負けることは、犯してもいない罪を認めるということ。

当然、オラリオ市民の悪意は、負けた方に傾く。ギルドだって黙ってはいないだろう。

負けた方はすべてを失うのだ。

 

絶望感に澱む室内。

その時、空気を振り払うかのようにパチン!と乾いた音が鳴った。

 

「みんな、やろう!どのみち後には引けないんだ。前に進むしか、ない!」

 

自分の両頬を叩き、気合いを入れて宣言したのは、ヘスティア・ファミリア団長、ベル・クラネル。

 

ベルは奮起していた。

自分たちが置かれている状況は、明らかに理不尽だ。

不名誉な誹謗中傷にさらされ、不利な状況に追い込まれ、不意打ちのように優勢な敵との戦いの場に引き出されてしまった。正義は何処にあるのかと、叫びたくなる。

 

だが、ベルが憧れる英雄達は、理不尽な状況に置かれなかったか?

フェアな状況でなければ勝てなかったのか?

メソメソと負け犬のように恨み言を募らせるだけだったか?

断じて、否だ!

ベルの密かな憧れ…()()()だって、きっとこうするに決まってる!

追い詰められたネズミは二度噛めばライオンをも倒すという。いまこそアナフィラキシー・ショックを起こす時だ!

 

そう力説し、闘志を漲らせる思い人を見て、思わず目がハートになったリリルカも腹を括った。

 

「ベルさん…… もう、仕方ないなぁ……やりましょうか!」

 

どうせ、一度は捨てた命。

サポーターとして先の見えない未来を呪い、ソーマ・ファミリアの下で泥水を啜っていた頃に比べれば、この程度は苦境とも言えない。

せっかく手に入れた力、思う存分振るってやろう。サポーターではなく、冒険者として!

 

「わ、私も頑張りましゅ!」

 

カリンには、もとより否応はない。

幼い兄弟達を救ってくれた恩。

ここで返さずしてどうするというのか!

 

なお、レックスとコナンはテンションが上がったのか「よろしい、ならば戦争だ!」「一心不乱の大戦争を!」などと申しており、「やかましい!」とカリンから鉄拳をくらって沈黙した。

 

「み、みんな…!」

 

ヘスティアは心の底から思った。ボクは、よい眷属を持てた。 

感動に打ち震えるヘスティアの内心に呼応して、ツインテールが喜びの舞を舞っている。

 

その時である。

 

「よぉ、ベル。なんか不景気なツラしてるな」

 

「よっ、ベルっち」

 

ノックもなしに扉が開き、入って来たのはベル達のパーティー・メンバー、ロイドとアンジェリカだった。

彼らは勝手知ったる他派閥のホームに、いつも通り、ずかずかと踏み込んできた。

そして、炊き出し用のジャガ丸くんをつまみ食いしながら、今日はヘスティア様にお願いがある、と言った。

 

「実はな、俺らファミリアやめてきたんだ」

 

「へ?」

 

昨晩のおかずの話をするような、気楽な口調だった。

 

ヘスティアは何かの冗談かと思ったが、二人は揃って後ろを向くと、背中の恩恵を見せてくれた。改宗可能な状態になっている、それを。

どうやら冗談ではないらしい。

 

「元々、ファミリアの古参からはハブにされてて、ホームじゃ居心地悪かったんだ。だから、ちょうどいいかなってさ」

 

「ヘルメスの野郎のクソ無茶ぶりに付き合わされるのは、うんざりしてたにゃ!」

 

などと二人は語ったが、派閥というのはそう簡単に抜けられるものではない。

しかも、このタイミングでの派閥異動が意味することは、ただ一つ。

ヘスティア・ファミリアへの助太刀だ。

 

実際、ロイドはファミリアの兄貴分のマックダンから、ケジメとして小指をエンコ詰めするよう迫られていた。スゴク怖かった。ちびるかと思った。

だが、ヘスティア・ファミリアに行くと告げると、主神のガネーシャ様は憤る団員達を抑えて、快く送り出してくれた。今回の戦争遊戯について、あの方なりに思うところがあったようだ。

 

一方のアンジェリカは、今回の黒幕が某主神様であることを知っている。だから、抜けるのを決めた。

元々胡散臭いファミリアであることは知っていたが、流石にやってはいけないことの一線を越えている。最後の奉公で、その事を余所に漏らしはしないが、ハッキリ言って愛想は尽きていた。

団長のアスフィ・アル・アンドロメダは、諦めたようにアンジェリカを送り出した。

 

「根無草になっちまったわけっす。…っつーわけで、ヘスティア様!俺ら()()名、どうかヘスティア・ファミリアに入れてやってくだせえ!」

 

「もちろんだ!歓迎する…よ…?……え?……20人?」

 

ヘスティアは小首をかしげた。"2人"の聞き間違いだろうか。

 

そんなヘスティアに対し、ニヤリと小悪党じみた笑みを浮かべたロイドとアンジェリカの顔こそ見物だった。

 

二人が左右に分かれると、そこに勢揃いしていたのは幸運な奴ら(ラッキーズ)と呼ばれる若手冒険者達。

全員がヘスティア・ファミリアへの改宗(コンバート)希望者だ。

 

「ここでベル達を見捨てたら、キルトの姉御に顔向けできねえ!」

 

「俺もダイダロス通りの出身なんだ。ヘスティア様の情けは身にしみたよ」

 

「あんたみたいな神様なら、付いていっても悔いはない!」

 

「アポロン・ファミリアってあれだろ、酒場で俺らに喧嘩ふっかけてきたクソ野郎どもだ!」

 

「きっちし、白黒つけてやりましょうぜ!」

 

「よろしく頼むぜ、ヘスティア様!」

 

「及ばずながら頑張らせてもらいます!」

 

ヘスティアの瞳に、思わず涙が浮かんだ。

 

「き、君たち……ありがとう!ありがとう!」

 

ヘスティアの視界は、溢れる涙で霞んでいた。

Lv.2にもなる戦力が一気に20名も加入。これはひょっとすると、ひょっとするかもしれない。

光明が見えた気がした。

 

『オーッホッホッホ!!その意気やよし、ですわ!』

 

その時だった。

一同の耳に、聞き覚えのある高笑いが聞こえたのは。

 

「こ、この声は!」

 

「まさか…!」

 

「ヤッター!」

 

「これで勝つる!」

 

「来てくれると思いましたわ、お姉様!」

 

轟音を立てて部屋の天窓を突き破り、掲げられていたヘスティア・ファミリアのエンブレムを巻き添えにしつつ、華麗に着地したのは、薔薇の鎧の戦乙女!

 

「祝・キルト復活!…話は聞かせて貰いましたわ!助っ人の空きは十分かしら!」

 

キルトはカールした金髪の髪を優雅に靡かせて、派手なポーズを決めたのだった。

 

単に少しだけ様子を見るつもりで盗み聞きしていた筈が、ベル達の熱血なノリにテンション上げつつ感化され、諸々の段取りやら思惑やらを投げ捨てて、思わず勢いのまま飛び込んでしまったキル子であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オラリオ南東部、歓楽街に拠点を構えるイシュタル・ファミリアのホーム。『女主の神娼殿(ベーレト・バビリ)』 。

その最上階に位置する主神の私室にて、二柱の神がまみえていた。

 

「これがご依頼の品だ」

 

ヘルメスはイシュタルの前に、一抱えほど有る小箱を差し出した。

 

「確かに」

 

イシュタルは中身を一瞥すると大事そうに手ずから仕舞い込んだ。

 

「ヘルメス、分かっているとは思うがこの件は他言無用だ」

 

「大丈夫、信頼は裏切らないよ。ただし、報酬はいただくぜ」

 

「もちろんだ。…だが、変わった報酬だな、ヘルメス?」

 

イシュタルはヘルメスの背後に回ると、蠱惑的に顔を引き寄せ、細く滑らかな指先で顎をなで、耳元に囁いた。

 

紫色の髪と褐色の肌を有する美の女神は、非常に扇情的な露出の多い格好をしており、仕草も歴戦の娼婦のそれ。

 

だが、ヘルメスは余裕の表情を崩さない。

 

友神(ゆうじん)のアポロンに泣きつかれたんだよ。残念ながらウチのアスフィは切った張ったは苦手でね。だから、得意そうな眷属を持っている貴女に頼んだ。それだけさ」

 

イシュタルは胡散臭そうに眺めた。

 

神の言葉の真偽は同じ神にも分からない。

 

「本当に? 例の茶番劇は私も見せてもらった。なかなか笑わせてくれるわ」

 

お前の仕込みだろうに、と遠回しに揶揄するイシュタルに、ヘルメスは変わらず薄笑いを浮かべているのみ。

 

「ヘスティアも可哀想にな。元から戦力差は明らかなのに、その上我が眷属が加わるのだ。悪趣味な見世物になるぞ」

 

()()()の趣味は知っているだろう?

 

言葉とは裏腹にイシュタルの唇は邪な笑みを浮かべている。

これで嵌められた相手がヘスティアではなく、イシュタルにとって何より憎い、同じ美の神でありながら格上扱いされているフレイヤならば最高だった。

 

「イシュタル、そっちこそ何を企んでるんだ?あんなものを注文するなんて」

 

ヘルメスは目を細めた。

探られたくない腹を持っているのはそちらも同じだろうに、と言わんばかりだった。

 

「フン……よかろう。例の戦争遊戯には我が眷属、フリュネを出してやる」

 

男殺し(アンドロクトノス)が出てくれるなら、アポロンもさぞ心強いだろう。恩にきるよ、イシュタル」

 

さて、これで大凡の仕込みは整った、とヘルメスはほくそ笑む。

 

アポロン・ファミリアの眷属達は、当時はまだ恩恵が封印状態にあった一般人の子供にすら後れを取ったと耳にしている。

馬鹿げた話だとは思うが、念には念を入れた。その方が、本命をつり出しやすくなるだろう。

例の人物が、噂通りの人格の持ち主であるならば、食い付かずにはいられないはずだ。

 

今回の戦争遊戯の特別ルール、例の助っ人枠はアポロン陣営を強化する為であると同時に、ヘルメスの本命をつり上げるための仕掛けでもある。

 

(さあ、ここまでお膳立てしたんだ。出て来るがいい、キルト!)

 

真なる人の英雄か、あるいは神と眷属の物語(ファミリア・ミィス)を汚す化け物か。

いずれにしろ表舞台に引きずり出し、見定めねばならない。

 

ヘルメスは無意識のうちに首筋をなでていた。

あのとき、大鎌の刃を突きつけられ、薄皮一枚を切り裂かれた際に、生まれて初めて感じた感情。

超越存在(デウスデア)たる神には、最も縁遠いはずの死の恐怖。

あのとき確かに感じていた。

 

(そして、ベル・クラネル。

このヘルメスが用意した神の試練、見事乗り越えて、英雄への道を駆け上がれ!)

 

神々にとっては下界の救界(マキア)こそ悲願。新たな英雄を誕生させることが急務なのだから。

 

 

 

全ての役者は彼の記す脚本のままに動き、ヘルメスは脚本家の悦に浸っていた。

 

その帽子に、一瞬だけ闇色の髑髏が浮かぶ。

 

深淵をのぞく時、深淵もまたお前を見返しているのだと、ヘルメスはついぞ理解できなかった。

 

 

 

そして、戦争遊戯の幕が開く。

 

 




大分間が開いてたのに、感想ありがとうございます。やっぱり気力がわきます。

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