ダンジョンにユグドラシルの極悪PKがいるのは間違っているだろうか?   作:龍華樹

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いつも誤字修正ありがとうございます。


第26話

戦争遊戯(ウォー・ゲーム)当日。

オラリオは年に二度ある大祭に負けず劣らず賑わっていた。

 

冒険者同士が戦うという、滅多に見られない見せ物を一目見ようと近隣から人が押し寄せ、その客を目当てに屋台や行商人が集まり、大きな黒板を持ち歩く無数の賭け屋(ブッキングメーカー)が声を張り上げる。

 

「さあ、張った張った!半日で勝負が付けば白有利!」

 

「おっと、そこ行く小粋なおっさん、ちょいと一口乗らないか?銅貨が銀貨に早変わりだぜ!」

 

「アポロン・ファミリア優勢だ!ヘスティア・ファミリアに賭ける奴は他にいねぇか⁈」

 

オッズは乱高下していた。

当初は5対104とあまりにも戦力差が明らかなので、そもそも賭けが成立しないと思われていたのだが、突如としてヘスティア・ファミリアに20人ものLv.2になる眷属が加入したという話が拡散し、持ち直す。

それでも戦力差は25対104。そもそもアポロン・ファミリアにはヘスティア・ファミリアを超える数のLv.2の眷属が所属しており、しかも他派閥から改宗してきた寄り合い所帯じみた有様に比べて、連携も期待できる。…と、ここまではアポロン・ファミリア優位と見られていた。

 

しかし、結局のところ、冒険者は量より質が重視される。

注目が集まったのは今回の特別ルール、各々のファミリアが一人ずつ他派閥から戦力を借り受けることができるという助っ人枠だ。

 

まず、発表されたのはアポロン・ファミリアの助っ人だった。

イシュタル・ファミリア団長にして第一級冒険者、『男殺し(アンドロクトノス)』ことフリュネ・ジャミール。曰く付きの二つ名を持ち、悍ましい噂の絶えない女傑。

アポロンとイシュタルの間に何か繋がりがあっただろうかと首をひねる者も多かったが、評判は最悪にしてもLv.5に至ったフリュネの強さは本物であり、雪崩をうつようにオッズが傾いた。

 

ところが、その後、ヘスティア・ファミリアから話題の冒険者『戦乙女(ワルキュリア)』の()()()を持つキルトが出ると発表されると、人気が爆発して一気に盛り返す。

 

現状のオッズはほぼ互角。

オラリオ中の冒険者が、どちらが有利かに首を捻った。

 

「…結局のところ、冒険者は量より質だ。その…キルトだったっけ?そいつがフリュネを抑えられなきゃ、アポロン・ファミリアの圧勝なんだよなぁ」

 

男殺し(アンドロクトノス)とか、金貰っても相手したくねーわ」

 

「18階層で俺はキルト本人を見たがな、あれはかなり()()。正直、どっちが勝つか分からん」

 

「そうなのか?…まあ、どっちが潰れても目障りな商売敵が消えるだけさ。そんなことより、おい!エールもう一杯追加!」「はい、ただいま!」

 

主要な飯屋や酒場は昼間から冒険者で溢れており、商人達は臨時ボーナスにうれしい悲鳴を上げている。

 

「うぃ~ヒック!昼から飲むのはたまらんね!」

 

普段はダンジョンにこもっている冒険者達も、今日ばかりは剣の代わりにジョッキを握り、酒びたりになっていた。

 

酒の肴はもちろん、『神の鏡』に映し出される映像である。

 

『…戦争遊戯開始まで残すところ後僅かです!なんといっても今回の注目株は話題沸騰中の女性冒険者、『戦乙女(ワルキュリア)』ことキルト氏でしょう!あの怪物祭のモンスター脱走事件解決の立役者にして、18階層の悪夢と呼ばれるゴライアス変異種を討伐した英雄!第一級冒険者にも引けを取らない偉業をなし、もはやその名を知らぬ者はほとんどいません!そんな彼女ですが、今回はヘスティア・ファミリアの助っ人として戦争遊戯に参加します!』

 

『神の鏡』は、 本来は神々が持つ神の力(アルカナム)の一つであり、天界から下界を覗くために利用される。神の力は下界では大幅な制限がかかるのだが、催しなどの際には例外的に『神の鏡』の使用が認められる。

今回もオラリオ中の主要な通りや大きな酒場、バベル前の大広場などに設置され、戦争遊戯を中継する手筈になっていた。

 

なお、画面にはビキニアーマーのオイランめいたリポーターが、艶かしく肌を晒しながらセクシーに映し出されている。その胸は豊満であった。

 

『ヘスティア・ファミリアは新進気鋭の探索型ファミリアです!怪物祭では逃げ出したモンスターの討伐に参加!最近はダイダロス通りの大火事で焼け出された市民の保護にあたるなど、奉仕活動も積極的に行っています!』

 

画面には子供達と戯れる笑顔のヘスティアが映し出され、ネオン文字が明滅する。

【善意の奉仕!】【市民の味方的な】【ヘスティア=サンは実際ブッダ】

 

…もちろん彼女は実況を()()で請け負った()()の冒険者であり、ジャーナリズム精神に基づき、実際中立的なレポートに務めている。

 

続いてグレーのスーツにサングラスという出で立ちの解説者が登場し、合いの手を入れた。

 

『対するアポロン・ファミリアは予てから冒険者の強引な勧誘がギルドでも問題視されていますネェ! ダイダロス通りの孤児院に押し入ったという情報もありますし、最近では闇派閥との関係も噂されています! 実際コワイですネェ!』

 

今度は画面に、高圧的な悪党顔のアポロンが映し出され、ネオン文字が再び明滅する。

【闇派閥との疑惑も!】【幼児誘拐未遂?】【実際アヤシイ!】

 

…もちろん、彼も中立的な報道を旨とする立派な冒険者である。

 

『…さて、冒頭で紹介させていただいたキルト氏ですが、その偉業こそ知られているものの、実際に何処のファミリアに所属している冒険者なのか、またどれほどのステイタスを持っているのか、一切が謎に包まれています。唯一分かっているのは、大鎌と魔法を使いこなす美貌の魔法戦士であることのみ!そこがまたミステリアスな魅力ですよね!』

 

画面中央にデカデカとピースサインをかますキルトの姿が映し出された。

【愛と正義の味方的な】【実際姫騎士】【カワイイヤッター!】

 

『そうですネェ!実のところ怪物祭の事件ではロキ・ファミリアの【剣姫】や【凶狼】を抑えて大活躍したという情報がありますネェ!18階層の事件でも、彼女がいなければ実際全滅していたという話ですし!それに引き換え、アポロン・ファミリアはよい噂を聞きませんネェ!まったく、本当に!』

 

画面を見ていた視聴者は怒りをあらわにした。

 

「ひでえ連中だな、アポロン・ファミリアってのは…!」

 

「ああ、前々から怪しいと思ってたんだ!」

 

「それに引き換え、ヘスティア・ファミリアってのは、なかなか気のいい奴らみたいだな」

 

『神の鏡』に映る司会者達の掛け合いは、リアルタイム映像メディアの存在しないオラリオでは非常に珍しく、視聴している市民の大半は流される情報を疑いもせず鵜呑みにしてしまっていた。

 

『ここで一旦CMです。CMの後は、限られた情報から、戦乙女の素顔に迫りたいと思います!』

 

『もしもダンジョンで必要な物資が途中で尽きてしまったら?冒険者ならそんな経験ありますヨネ!コワイ!でもアナタ、もうダイジョーブ!実際お得な朗報!なんでも揃う!実際ヤスイ!迷宮商店(ダンジョン・ストア)、18階層にオープン!』

 

画面が切り替わり、笑顔のキラキラした冒険者達が清潔な店内で和やかに買い物をする映像が流れると、多くの視聴者は今のうちにトイレや用を済ませるために席を立った。

 

 

 

 

 

常にも増して人の溢れるオラリオだが、その中心部は少し前に焼け落ちたダイダロス通りの跡地だった。

焼け跡は()()()()()のおかげで急ピッチで整備が進み、瓦礫や燃えかすが残らず撤去され、綺麗に整地されていた。そして、戦争遊戯の期間は特設の広場として開放されており、大量の屋台や行商人で溢れかえって、過去に例のないお祭り騒ぎと化していた。

…なお、この場所は戦争遊戯が終わった後は『オミヤゲ・ストリート』なる極東風観光地に整備される計画が()()()()()により持ち上がっている。

 

「じゃが丸くん!じゃが丸くんはいかが!塩にチーズにチリペッパー、チョコ、クリーム、アンチョビ、アズキ味!」

 

「のどごし爽やかなエールだよ!キューッと一杯、たまらねえぜ!一杯50ヴァリスだ!」

 

「おせんにキャラメル、甘納豆!ラムネにレモネードはいかがっすか~!」

 

「肉汁たっぷりソーセージ!この暑さじゃ、水物だけじゃぶっ倒れちまうぜ!一本くわえて精を付けな!ケチャップとマスタードは付け放題だ!」

 

オラリオ名物のじゃが丸くんを大量に売っている屋台の横では、よく冷えたエールが売られており、長蛇の列ができている。

ほかにも輪切りのレモンと蜂蜜を入れた水売りや、井戸水でよく冷やした果実を売る行商人、肉汁溢れるソーセージを売る屋台。そして夏場の名物、脂ののった酢漬けニシンなどが売られていた。

 

「さあ、いらはい!ニシンの酢漬けだよ~!今朝、メレンで揚がったばかりのピチピチだ!酒によくあうよ~!」

 

屋台のおやじに注文すれば、その場で捌いて出してくれる。1匹を一口大に切ったニシンが4切れで80ヴァリス。刻んだタマネギとピクルスが添えられている。

ちょいと一工夫をした屋台では、客に各ファミリアのエンブレムが入った小さな旗付き楊枝を選ばせてくれる。食べた後はそれを応援旗めいて使えるときて人気がある。今日はヘスティア・ファミリアの売れ行きがダントツだった。

コレに目を付けた土産屋の若亭主が、安めの布をたんまり買い込み、適当に切ってヘスティア・ファミリアのエンブレムを入れ、汗ふき用のタオルとして販売していた。暑い季節だし、応援には持ってこいなので、これまたよく売れた。

 

…なお、これらの屋台や行商人が使用したエンブレムのコピーライトは、『迷宮商店』なる店舗が勝手に仕切っていたのだが、今は戦争遊戯のことで頭がいっぱいなヘスティア・ファミリアは気にしている余裕はなかった。

 

 

 

 

『さあ、いよいよ戦争遊戯開始まで1時間を切りました!』

 

元・ダイダロス通りの中央に設置されたステージでは、双方のファミリアの主神や眷属が集い、最後の準備に勤しんでいる。

 

「無理を言ってごめん、ヴェルフ」

 

「気にすんな。…まあ、流石に体にきたけどな」

 

ベル・クラネルは、ヘファイストス・ファミリアのLv.2鍛治師、ヴェルフ・クロッゾから注文の品を受け取っていた。

急に大所帯になったヘスティア・ファミリア全員分の武器と防具を、ヴェルフは短時間で一手に整備し、万全の状態にしてくれたのだ。

 

「客が増えるのは大歓迎だ。今後とも贔屓に頼むぜ」

 

そう強がるヴェルフだが、目の下にはべっとりと濃いクマが浮かんでいる。

本来ならファミリアの同僚の手を借りたいところだったのだが、ヘファイストス・ファミリアでは今、上級鍛治師(ハイスミス)が全員、修羅場に突入しており、その皺寄せが下級鍛治師に及んでいた。その為、ヘスティア・ファミリアの分はヴェルフ一人で対応せざるを得なかった。

しかも、ヴェルフは新たな剣まで用意してくれていた。

 

「銘、牛短刀(ミノタン)。お前が持ち込んだミノタウロスの角から打ち出した。ここ最近じゃ一番の自信作だ。他にも幾つか試作品を渡しておく。使ってみてくれ」

 

例の新たな魔剣の作製には、まだまだ時間がかかる。その間の、繋ぎの剣。刀身は短いが攻撃力は高く、微量ながらも火属性が付与されている。

残念ながらかつての剣には及ぶべくもないが、鞘から出すと吸い付くように手に馴染んだ。鍛治師として、今のヴェルフができる全てを込めた力作。

何より、その気持ちが嬉しかった。

 

「ありがとう、使わせて貰う」

 

「勝てよ、ベル。せっかく捕まえた大口の客を逃したくないしな。…さて、果報は寝て待て。俺は一眠りさせてもらうぜ」

 

そう言って、大あくびをしながら立ち去るヴェルフの背中を、ベルは見えなくなるまで見送った。

 

「じゃあ、手早く準備しちゃいましょう!」

 

物資の手配を担当していた副団長のリリルカ・アーデが、ソツなく対応してくれるのが、頼もしい。

 

武器に防具、そして魔剣。ミアハ・ファミリアから今朝方受け取ったばかりのポーションの数々。現時点でヘスティア・ファミリアに用意できるありったけをかき集めた。

 

…いや、それだけじゃない。

 

『豊穣の女主人』で働くシル・フローヴァとリュー・リオンは、戦争遊戯が決まってから、毎日のようにお弁当を差し入れてくれた。

18階層のリヴィラまでパーティーを組んだことのあるガネーシャ・ファミリアのマックダンは、仲間達を引き連れて(…ロイドの頭にゲンコツを落としながら)対人戦のコツを教えにきてくれた。

かつて怪物祭でベル達に逃げ遅れたところを助けられた市民達は、この場に駆けつけて、応援してくれている。

 

自分達は、多くの人たちに励まされ、助けられている。

その事に思いを馳せれば、不思議と勇気が湧いてきた。

 

「みんな、ボクは見ているしかできないけど、がんばろう!…ヘスティア・ファミリア、ファイト!」

 

「「「オォーーー!!」」」

 

「ファイト!!」

 

「「「オォーーー!!!!」」」

 

「ファイトォ!!!」

 

「「「オォオオオオオオオーーー!!!!!!」」」

 

ヘスティア・ファミリアの気力は十分。

主神と眷属は肩を寄せ合い、円陣を組んで熱い掛け声をあげている。

 

「ヒュアキントスよ、この期に及んで四の五のは言わぬ。我に勝利を捧げよ!」

 

「御身に勝利を捧げることを、ここに誓います。アポロン・ファミリアに栄光あれ!」

 

「「「勝利を!!」」」

 

その様子を横目に、揃いの軍服じみた黒い制服に袖を通したアポロンの眷属達は、一分の隙も無く整列し、主神に頭を垂れて勝利を誓った。

 

(ここまでは我が友の筋書き通り…ありがとう、ヘルメス。恩にきるぞ。必ずや勝利し、戦乙女(ワルキュリア)を手中に収めん!我が下に来たれ、英雄よ!)

 

首尾良くキルトを引きずりだしたアポロンは、ヘスティアの噛みつくような視線もなんのその、上機嫌だった。

 

「ハハッ、そう睨むなヘスティア。ところで我が戦乙女は何処にいる?」

 

「さあね!君の顔なんか見たくもないってことだろ!」

 

「「「Boooooo!!Boooooo!!」」」

 

ヘスティアは自分も同感だとばかりにそっぽを向き、彼女の眷属達は親指を下にして突き出した。

この場に集う市民達からも盛大にブーイングがあがったが、当のアポロンはどこふく風だ。アポロンの眷属達は主神ほど面の皮が厚くないのか、居心地悪そうにしている。

 

「へすてぃあしゃま、がんばえ~!」

 

「りりねーちゃん、がんばれ~!」

 

「ベルにぃちゃんがんばれ~!負けたらシルねぇちゃんに捨てられちゃうぞ~!」

 

「かりんねーちゃん、がんばえ~!」

 

「コナンにぃちゃん、ゆだんすんな~!」

 

「レックスにぃちゃん、しっぽふりしゅぎ~!」

 

「みんな、危ないから飛び出し過ぎないようにね!ここから心を込めて応援しましょう!」

 

幼い孤児達が、院長のマリアに引率されてこの場に駆けつけ、舌っ足らずな声を精一杯響かせて応援をしていた。

また、その周囲にはボロ布を不器用に繋ぎ合わせたあり合わせの応援幕が張られ、ダイダロス通りを焼け出された貧民や、その徳の高い行いに感服したオラリオの市民が声を張り上げてエールを送っている。

 

「ヘスティア・ファミリア頑張れ!」

 

「あんなロクデナシに負けるな~!!」

 

「引っ込め、アポロン!!」

 

「ナムアミダ、ヘスティア=サン、ナムアミダ、ヘスティア=サン」

 

オラリオ全体の9割以上がヘスティア・ファミリア贔屓に靡いており、アポロン・ファミリアを応援する声はほとんど聞こえない。

これはアポロン・ファミリアのやり方が強引過ぎて、これまでにも顰蹙を買っていたことが理由の一つ。

だが、他にも原因があった。

何処からともなく広がった(ニンジャの手による)悪い噂や、オラリオの各種新聞がアポロン(ヒール)ヘスティア(ベイビーフェイス)を比較し、巧妙にヘイトを煽った影響が非常に大きい。

…なお、オラリオのジャーナリズムは中立的で信頼性が高く、深夜に双子めいてそっくりな黒服で強面なサングラスの集団が、金貨の山(コーベイン)が詰まっていそうな重箱を持って訪問した事実と、新聞の論調は実際無関係である。イイネ?

 

「人さらい~!」

 

「人助けのフリして、ええ格好しいか!」

 

「偽善者ー!」

 

「…アナタ、ちょっとこっちに来いっコラー市民!」

 

「何をするんですか、我々はただの…アイェエエエエ!」

 

僅かにヘスティア・ファミリアに罵声を浴びせている者達もいたのだが、すぐさま双子めいてそっくりな黒服で強面なサングラスの男達に連れ出され、何処へともなく消えていく。

 

「騒々しい…皆々様、道を開けて頂けますか?」

 

不意に、声が響いた。

特設広場は喧噪が最高潮に高まっていたのだが、不思議とその声は真綿に水が染み込むように人々の耳朶に届いた。

次いで波が引くように静けさが訪れ、人ごみが左右に分かれていく。

その中を多数の黒服達を引き連れて歩むのは、白地の極東風ドレスに身を包み、艶のある黒髪を背まで垂らした美女。

 

一行はヘスティアの前まで来ると、深々と頭を下げてアイサツした。

 

「ご無沙汰しております、ヘスティア様」

 

「キルコくんじゃないか!久しぶりだね」

 

やってきたのは、ヘスティアと懇意の商人、つまりはキル子だった。

 

「陣中見舞いをと思いまして。無作法ですが押しかけさせて頂きました」

 

ヘスティアは満面の笑顔で歓迎したが、周囲で様子をうかがっていた他派閥の神や眷属達は、目を細めた。

 

「アレはまさか、リヴィラの魔女…!」

 

迷宮商店(ダンジョン・ストア)の店主が…何故…?」

 

「ロキのお手付きだと思っていたが…ヘスティアめ、意外に手が広い」

 

例の神の宴に出ていた神も、そうでない神も、皆ヘスティアを遠巻きにしてヒソヒソと何かを囁いている。

 

ヘスティアにとっては礼儀正しく親切で篤志家の商人に過ぎないのだが、キル子の別の顔、つまりはリヴィラの顔役であることを知る事情通の神々は別の考えを持った。

 

主神が地上に降り来たってから未だ一年も経っていないヘスティア・ファミリアは、これまで弱小零細派閥としか見なされていなかった。

水に落ちた犬はみんなで棒で叩くべし、というのは冒険者業界の鉄則であり、本来なら弱小派閥のヘスティア・ファミリアなど、戦争遊戯前にしゃぶられ尽くしてゴミ溜め行きになりそうなものだ。

ところが、幸運な奴ら(ラッキーズ)と呼ばれる若手冒険者集団をまるごと抱え込み、質も量も弱小派閥を一気に脱しつつある。しかも、話題の冒険者・キルトを助っ人に呼び込めるほどの伝手を持っていて、リヴィラを仕切る謎の商人とのコネクションまで確保しているとなれば…

急速に派閥を育てている油断ならない新神(しんじん)、ヘスティアはそう認識されつつあった。

 

当の本人はといえば、キル子が持参した大量のオミヤゲを前に、目をキラキラと輝かせている。

 

「ポーションがこんなにいっぱい!助かるよ!」

 

薬品類は戦争遊戯を直前に控えた今、いくらあっても困ることはない。

 

ぷくくっ…いえ、詰まらないものですが、お受け取り下さい」

 

キル子はヘスティアの無作法を鼻で笑った。

 

持参したオミヤゲをそのまま受け取るのはエド様式の作法に反しており、実際シツレイだ。

なお、正式な手順は以下の通りである。

 

『詰まらないものですが』『いえ、結構です。悪いです』

『そう仰らずに』『それでは』

 

一度断ったことで十分な奥ゆかしさが付与されるが、さらに受け取ったオミヤゲを二回にわけて、合計180度回転させ、向きを逆にしてから拝領しなければならない。

さもなければ「ヨクバリ」扱いで即座にムラハチだ。

 

日本を支配する暗黒メガコーポ内の熾烈な出世競争では、こういった複雑怪奇な礼儀プロトコルに精通する必要があり、作法を誤れば恥辱のあまり自らセプクするはめになるだろう。

マッポー時代のサラリマン社会は、こういった油断のならないトラップで満ちあふれており、これを誤ると即座にムラハチ!社内カーストから弾き出されるのだ!

 

キル子は礼儀マウントをとって、小物的満足感を覚えた。

 

「実はここ最近、私も何かと忙しなくて。先日もシツレイとは存じましたが、うちの若いのに幾らか粗品を届けさせましたが……何か粗相をしやがりませんでしたでしょうか?」

 

キル子は据わった目つきで、背後に居並ぶレッサーヤクザ共を眺めた。何かやらかしていたら、セプクさせるのもやぶさかではない。

新入社員(ニュービー)が失態を犯したら、管理責任を問われる前にケジメさせて放逐し、有耶無耶のアトモスフィアで保身に走りなさい、と古事記にも書いてある。

 

「そうかぁ…君のところの人だったかぁ…」

 

ヘスティアはレッサーヤクザ達を見て、なんとも言い難い引きつった笑みを浮かべた。

 

それを見たキル子は確信した。

やはり粗相をしやがったな、セプクしかあるまい。

 

「大変シツレイしました。今すぐセプクさせますので、お許し下さい」

 

キル子は懐からドス・ダガーを取り出し、レッサーヤクザに手渡した。

 

しかし、レッサーヤクザがその土手っ腹をセルフカットする前に「さ、さすがはキルコくんのところの人だね!スゴク礼儀正しかったよ!」と、空気を読んだヘスティアが慌てて取りなした。

 

「左様で御座いますか…」

 

キル子は、しぶしぶドスダガーを懐にしまった。

 

なお、そんなキル子の所作はヤクザ・クランの女オヤブンめいており、周囲で様子をうかがっていた者達は一斉にドン引いている。

 

「それで、ヘスティア様。勝ち目はありますかね?」

 

一通りの社交辞令が終わったところで、キル子はさらりと本題を問うた。

 

「絶対勝つ!ボクはみんなを信じてるよ!」

 

いいお返事である。

ヘスティアの鼻息は荒く、ツインテールも荒ぶっており、やる気満々だ。

 

ヘスティアの決意を聞き、キル子は満足そうにうなずいた。

そして、周りを見渡し、目を細める。

ヘスティアを慕い、集まった民衆。ボロで作られた拙い応援幕。温かい声援。

そのすべてが、キル子の目にはまぶしく映った。

 

「初めてお会いした時から思っていましたが、あなた様は奇特な方で御座いますね」

 

「……?」

 

突然、何を言い出すのかと首をかしげるヘスティアに、キル子は苦笑した。

 

「焼け出された者達の為に、ホームを開放して寝起きする場所を与え、炊き出しを振る舞う。何の得にもならないのに。…なかなか出来ることでは御座いませんよ」

 

キル子は金を出し、物資を渡したが、実際に汗をかいて動き回ったヘスティア達に比べれば、大した働きはしていない。

自分が怒りに駆られ、報復のために動いていた時、彼らは助けるために働いていた。それを、少しだけ後ろめたく思う。

 

「なーに、人間(きみ)達が困っていたら、できる限りなんとか手を伸ばしたい。それがボクら神ってものだよ」

 

ヘスティアはなんの気負いも無しに、そう言った。

 

困っている人を助けるのは当たり前。ギルド内で唯一、キル子が密かに嫌っていたメンバーが、ことある毎に口にしていた言葉。

未だに好きにはなれないのだが…何故だろう? 同じ言葉の筈なのにヘスティアの口から出ると、素直に受け止められそうな気になってしまうのは。

ブッダを見たことはないし祈りを捧げたこともないが、おそらく目の前に居たとしたら、こんな感じなのかも知れない。

 

「君も色々助けてくれたしね。物入りだったし、正直助かったよ」

 

「それは良う御座いました。でも、私のは単なる偽善ですよ」

 

満面の笑みを浮かべたヘスティアを、キル子は悪党のように頰を吊り上げ、嘲笑う。

 

"施し"こそは至高の贅沢。

持たざる者に上から目線で恩着せがましく、財力を見せびらかし、賞賛と羨望と嫉妬の視線を集めまくれる、俺SUGEEEEEEの極み。有り余るほどのものを持つ者にしか許されない究極の愉悦だ。

 

この際、貧民の皆様にちょっとした振る舞いをして、名と恩を売っておくのも悪くない。そのための偽善はやぶさかではないのだと。

キル子という女は、賢しらに語った。

 

「君ってやつは、素直じゃないなぁ……キルコくん、神に嘘は通じないよ」

 

人の悪い笑みを浮かべて揶揄するヘスティアから、キル子は顔を背けた。

照れたのではない、恥じたのだ。そんな資格はないことを、キル子は誰よりも知っている。

 

ヘスティアは自らの足で避難民を回り、その手を取って労いの言葉をかけ、手ずから料理した食事を振る舞い、天幕をこさえるのを手伝い、毛布を配った。

神がやる事ではない、そんな仕事は眷属に任せた方がいいと、人は言うかもしれない。

だが、彼らが本当に欲しかったものを、ヘスティアは与えた。

辛い時に寄り添おうとする気持ち…真心を。

それを打算無く行動にうつせるのが、ヘスティアだ。だから、人がついてくる。こんな風に。

 

自分にはとても真似できそうにない、とキル子は思った。

 

「…では、これにて。皆様のご武運をお祈り申し上げます」

 

キル子は合掌し、深々と頭を下げた。

 

常日頃からしているように一般的な日本人としての礼儀、形ばかりのアイサツと見た目は同じでも、込められた意味はまるで違う。

キル子は相手が神だから頭を下げたのではない。そもそもキル子は人と神とモンスターを区別することに、たいした意味があると思っていない。

力ではなく、徳によってキル子に頭を下げさせたのは、ヘスティアが初めてだった。

 

「ああ、ありがとう、キルコくん!」

 

祈り、という行為の本質は利己的な物だ。

物事がうまくいきますように、あるいは不幸を避けられるように、と。

まして神が下界におり来たり、空想上の産物ではなくなってしまって以降、祈りという行為自体が廃れている。

眷属(ファミリア)に入れば、引き換えに恩恵(ファルナ)という現世利益が享受できるのだから。

 

キル子は祈った。

この小さくも慈悲深い神のために。

 

 

 

 

 

 

 

『戦争遊戯、開始30分前!!各ファミリアはスタート位置に移動してください!』

 

 

 

 

 

 

 

…まあ、それはそれとして。

安心しろ、ヘスティア。戦争はガチでやっからな!

 

キル子は、ヘスティア・ファミリアの置かれた状況に、覚えがあった。まるで、いつか何処ぞの極悪PKが出くわしたようなシチュエーションではないか。

彼方(リアル)で味わい尽くした理不尽、そこから逃げ出した先のゲーム内ですら味わった異形種狩りの理不尽。そんな自分に手を差し伸べてくれた、かつての仲間たちの姿が、彼らに重なって見えて仕方がない。

おかげで思わず我を忘れて飛び込んでしまったが、後悔はなかった。

 

ここで手を貸さなきゃ、女が廃るってもんよ!

 

だから。

 

「愛と勇気の美少女戦士、キルト参上!戦争遊戯は初めてですが、今日は精一杯頑張りますですわ!」

 

「キルトさん!」

 

「姐御!よろしくお願します!」

 

「また一緒に戦えるなんて光栄です、お姉様!」

 

カールした金髪をなびかせ、漆黒の毛並み輝く巨大な黒駒を駆って現れたキルトの姿は、まさに姫騎士と呼ぶにふさわしかった。

黄金細工の薔薇が象眼された見目麗しい鎧を着込み、頭にはヘッドドレスめいた薔薇の意匠の防具。その手には大鎌に代わり、長大な騎兵槍(ランス)と盾が握られている。

完全武装の騎士の出で立ちだ。

 

「しかし、姉御。まさか騎乗したまま戦争遊戯に出られるとは…」

 

「あら、騎馬を持ち込んじゃいけない、なんてルールはなかったわよね?」

 

実際、過去にはテイムしたモンスターを持ち込んだ冒険者も居たらしいので、この程度は許容範囲内なのだろう。少なくとも、どこからも文句は出ていない。

 

キル子は怪物祭で、騎乗してオラリオ市内で戦ったときの事を教訓とした。

騎乗スキルを持たないキル子では、馬に乗った状態では武器を振り回す程度の事しかできず、しかも大鎌というのはその状態では取り回しが難しい武器だ。

そこでインベントリに放り込んでいたPKの戦利品の山を漁り、適当に持ち出したのがこの騎乗槍だ。等級は神器級(ゴッズ)の一つ下、伝説級(レジェンド)なので性能はお察しだが、見た目はなかなか悪くない。

鍔の付いた3(メドル)にもなる騎兵槍は振り回すのに適していない形状だが、これなら馬に乗った状態で突き出せば、そのまま突き刺す攻撃となる。また、盾は騎乗状態では回避に難があるので、防御を補える。

騎馬にしている動物の像・戦闘馬(スタチュー・オブ・アニマル・ウォーホース)もパワーやスピードがそこそこあり、勢いをつければ精々レベル20程度の相手なら、鎧ごと貫通するのも容易い。

 

もちろん、キル子のビルドとしては馬なんぞをパカラせずに、そのまま戦った方が遥かに強い。

しかし、だ。

今回の()()()は、あくまで助っ人。

こういう場合、日本人的には目立って戦果を上げると逆に顰蹙をかう。戦績が集中しないよう気を使う必要があるのだ。

仮にキル子がアポロン・ファミリアを開始早々に全部食ってしまったとしよう。すると、参加者も観客も敵味方関係なく盛大なブーイングを飛ばし、即座にムラハチされてしまうのは疑いがない。マッポー社会に生きてきた負け組サラリマンにとって、それはコーラを飲んだらゲップが出るくらい当たり前のことだ。

それに『神の鏡』とやらでオラリオ中に映像が中継されているのだ。あまり手の内を晒したくはない。

 

ここはオクユカシサを発揮してヘスティア・ファミリアをサポートしつつ、主役を食うぐらいの活躍を。それがベスト。

なら、見た目と格好良さ重点だ!素敵なあの子(ベル)の好感度も爆上がり間違いなしだコレ!

男殺し(アンドロクトノス)』とかいうゲテモノが出て来るそうだが、所詮はLv.5。ユグドラシルでいうところのレベル40台なぞ、どうとでもなるだろう。…キル子は慢心していた。

 

騎士の出で立ちのキルトが前に進み出ると、見晴らしの良い都市を囲む城壁の上に陣取った市民達から、大歓声が上がる。

 

戦乙女(ワルキュリア)だ!!」

 

「ついに出てきた!!」

 

「すげぇ!見た目は【剣姫】にだって負けてないぜ!」

 

「まさに姫騎士だ!」

 

「きるとしゃま、がんばれ~~!!」

 

どの声も、キルトやヘスティア・ファミリアに好意的なものばかり。事前の仕込みはバッチリだ。メディア操作に金を使ったかいがあった。 相手も何やら慌ててサクラを使い、対策しようとした形跡があったが、そんなもの焼石に水。

PKとは何もフィールド内だけで決まるものではない。SNSを駆使した盤外戦術によって、煽れるだけ煽った相手を不利な戦場におびき出すのは、キル子が好んで使った戦術だ。

 

(神の宴とやらでは、うちのヘスティアが世話になったようだな!今度は貴様らがアウェーの洗礼を受けるがいい!)

 

インガオホー!

まさに、悪党は悪党を知るのである。

 

「…さて。みんな!予定通り、まずはわたくしが一当てして相手の出鼻を挫きます。その隙に例の拠点の制圧を頼むわね」

 

「姐御こそ気をつけて!」

 

「ご武運を!」

 

今回の戦争遊戯の舞台に選ばれたのは、オラリオ郊外に広がる荒野。

その両端から各陣営が一斉にスタートすることになるのだが、かなり見通しがいい地形の為、そのままぶつかると戦力の少ないヘスティア・ファミリアが不利だ。

 

ただし、戦場の中心には、放棄された太古の城砦跡地がある。

ここを取られたら、ただでさえ戦力差があるのに厄介な攻城戦を行うはめになる。攻守三倍則である。

逃げ場のない荒野で高所を取った上、堅固な城壁を自在に活用して好きな時に攻撃し、好きな時に守れる。やられる側はたまったものではない。

 

キル子の見るところ、このルールを考えた奴は、かなり性格が悪い。

殲滅戦となると、劣勢に陥ったファミリアが逃げに回って負けを回避するダラダラした展開になりかねないが、設定された戦場は遮蔽物のない荒野。下手をすると序盤から両軍入り乱れた大乱闘にすらなりかねない。

しかも、その中心に強固な拠点があるというのがいやらしい。

寡兵のヘスティア・ファミリアはここを押さえられたら厳しくなるので取りにいくしかないし、そうなれば相手も動かざるを得ない。

序盤から荒れる展開を、意図して狙っているとしか思えなかった。

 

「こ、こちらは任せてください!」

 

ベル・クラネルも力強く頷いた。だが、その声はやや震えている。

 

キル子の【聞き耳】スキルは、ベルの心臓の鼓動が平常心とは言いがたい状態にあるのを捉えていた。

無理もない、と思う。15歳の少年がファミリア団長として、いきなり24人もの指揮をとる事になったのだから。しかも、決して負けられない大勝負。

プレッシャーがモロに出ている。

 

「…ベルくん、慌てるチェリーはラブチャンスを逃すわよ。落ち着きなさい」

 

キル子は馬上から手を伸ばし、ベルの手を引き寄せた。

その右手の薬指にはめられた、翠と白の螺旋が複雑に絡みあった美しい指輪に、軽く口付ける。

 

「キ、キルトさん?!」

 

真っ赤になったベルの顔こそ見ものであり、キル子はクスリと微笑んだ。

 

(かわい〜♡やっぱベルきゅんラブリャー!!うへへへへ!もうね、お肌ピッチピチやぞ!頬擦りしたいわぁ!)

 

…などといった内面はおくびにも出さず、外面は凛々しい姫騎士のアトモスフィアを取り繕う。

 

「大丈夫、あなたならやれますわ!自信を持って!」

 

それで幾らか緊張がほぐれたのか、ベルの顔にいつもの笑顔が戻ってきた。

 

「ハッ、ハイ!」

 

若い子に慕われてご満悦のキル子だが、その背後ではリリルカ・アーデが悔しそうにハンカチを噛んでおり、さらに背後ではやたらとキルトにスキンシップをしたがるヘスティア・ファミリアの新人女性冒険者達が「お姉様ぁ…!」と悔しそうにハンカチを噛んでベルを睨んでいる。

もちろん『神の鏡』の向こうでは紐神様がツインテールを荒ぶらせてハンカチを噛んでいた。

 

「キルトさんこそ気をつけてください。貴女が一番危険なんですから!」

 

「その為の騎馬よ。機動力で引っ掻き回して差し上げますわ!」

 

ヘスティアを認めたキル子だが、恋の勝負を譲る気は欠片もなかった。

 

「さあ、ちょうどいい頃合いだし、そろそろバフを配っておきましょう!」

 

 

 

 

 

 

 

 

『戦争遊戯、開始10分前!!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アポロン・ファミリア団長、ヒュアキントス・クリオは覚悟を決めていた。

 

都市外の戦場からオラリオの市壁を見渡せば、見物している市民の右を見回しても、左を見回しても、ヘスティア・ファミリアを応援する声ばかり。逆にアポロン・ファミリアには罵倒と嘲笑が降りかかっている。苦肉の策で幾らかサクラを雇ってはみたが、効果はなさそうだ。

オラリオそのものがアウェーになったような感覚におちいり、団員達にも動揺が走っている。

 

「もうだめだぁ…おしまいだぁ…黒髪の白い殺し屋にみんな殺されちゃうよぉ…!」

 

「いい加減にしなさい、カサンドラ!だいたい、黒髪の白い殺し屋なんてどこにもいないじゃない!」

 

どうやらストレスで正気を失いかけている者もいるようだ。この有様では、普段の力を出せるかどうか…

 

無理もない、とヒュアキントスは思う。

それだけのことをしてしまった自覚もある。

だが、敬愛する主神が悪評と汚名を被るような事態に至ってしまったことだけは、後悔しきりであった。

 

あのとき、もう少しうまくやれていれば。

あるいは、自分がアポロン様を諫めていれば。

 

…否!否!否!…すべての元凶は、キルト!!

 

戦乙女(ワルキュリア)などと持て囃されているが、所詮は田舎から出てきたばかりのポッと出の小娘。まともに姓も持たないのがその証拠だ。

そんな者に敬愛するアポロン様が心奪われ、このような騒ぎにまで発展してしまったとは…内心忸怩たる思いがあった。

機会さえあれば自らの手で叩きのめしてやりたい。

醜い嫉妬と笑わば笑え!

 

だが、ヒュアキントスは全身全霊で内心の激情を押さえつける。

戦争遊戯の敗者は勝者にすべてを奪われる。これまで血と汗を流して築き上げてきたファミリアのすべてが。詰めを誤ることは許されない。

 

全てはアポロン様の為に!

 

「選抜隊、前へ!事前の作戦通り、開始直後に突撃する!」

 

ヒュアキントス自身が指揮を執る、高ランクの眷属だけを選抜した強襲部隊。うまくいけば、それだけで勝敗が決する。

 

「ダフネ、お前は別働隊を率いて先に城塞に到達しろ」

 

「了解!」

 

ダフネ・ラウロスにランクアップしたての眷属や、Lv.1の者を別働隊として纏めさせ、先んじて城砦の占拠を命じる。ダフネは冷静沈着かつ気の強い性格のヒューマン。Lv.2にしてダンジョン探索時にも度々指揮官を務めており、能力に不足はない。

 

戦力を分散させるのは用兵上の愚とは言うが、際だった強さを持つ冒険者が相手となれば話は別。 ヘスティア・ファミリアは数は少なくとも、ほぼ全員がLv.2に達している。侮ってよい敵ではない。 しかも、数少ないLv.1の眷属といえばヒュアキントスの男の象徴を大変なことにしてくれた例の化け物小僧共である。ぶっちゃけコワイ。

 

対してこちらはLv.1がファミリア全体の7割を占めている。正面から当たれば彼らが真っ先に犠牲になるだろう。

一生のうちにランクアップを果たせる冒険者はほんの一握りとされているので、これでも多い方だ。何せアポロン・ファミリアでは、これと見込んだ冒険者を主神があの手この手で他派閥から引き抜くのだから。

 

もちろん、肉の盾としてあえて彼らを犠牲にするのも手だ。すべては派閥のため。彼らも覚悟は出来ている。

数は圧倒しているので、極端な話をすればこちらのLv.2冒険者が確実に一人一殺すれば、それだけで勝てる。

ただ、そんなことは机上の空論。

結局のところ勝負を決めるのは、高レベル冒険者の存在だ。

 

即ち、Lv.3のヒュアキントス自身と、もう一人。

 

「ジャミール殿、開始直後に我らは突撃する。そちらも予定通り頼む」

 

ヒュアキントスは感情を感じさせない瞳で、傍らの巨大な人物に語りかけた。

 

一方の相手はヒュアキントスを無視して、手にした大皿から焼いた肉の塊を頬張り、ムシャムシャと口に入れながら、五月蝿そうにヒュアキントスを睨む。

おかっぱ頭の2(メドル)を超える巨女。大きな目と裂けた口、短い手足、顔と胴体がずんぐり太っており、モンスターと思われても無理のない体格をしている。しかも、そんな全身にピタリとフィットしたドギツいピンクの全身鎧に身を包んでいるので、なおさら見るに堪えない。

初めて紹介されたときはモンスターと間違えて、危うく剣を抜きかけた。

 

それがイシュタル・ファミリアが誇る戦闘娼婦(バーベラ)にしてファミリア団長、フリュネ・ジャミールだった。

 

「ゲェーップ!……フン、お前らがどうしようが、知ったことじゃないね!」

 

咀嚼した肉を飲み込み、とどろくようなゲップをしながら傲岸不遜に答える。

とても助っ人に応じてくれた人物のものとは思えない言い草だが、仕方が無い。下手に出ざるを得なかった。何せ、相手はヒュアキントスを上回るLv.5の第一級冒険者なのだから。

 

(化け物めっ…!)

 

この相手と連携を取ることを、すでにヒュアキントスは諦めていた。

これの仕事はただ一つ。それさえ果たしてくれれば、何も問題は無い。

 

「アタイの獲物は戦乙女(ワルキュリア)だ!そっちはそっちで勝手にやんな!」

 

「…ああ、それでいい」

 

この戦争遊戯の勝利条件は、いずれかの派閥の眷属全てを撃破、または行動不能にすること。

他派閥からの助っ人は、戦力ではあるが、勝利条件には含まれない。

双方の助っ人が潰れてくれるなら、相対的に戦力の多いアポロン・ファミリアが有利になる。

 

「アタイの美貌の足元にも及ばないブスの分際で、少し名が売れた程度で調子に乗って!その顔、ズッタズタに刻んでやるよ!」

 

そう気炎をあげるフリュネの傍らには、異形の兜と靴が大事そうに置かれていた。

 

 

 

 

 

 

 

そして。

 

『戦争遊戯、開始!!!』

 

ついに、宴の幕が上がる。

 

 

 

 

 

 

 

 

先制の一撃は、ヘスティア・ファミリアの助っ人、キルトにより齎された。

 

ヒュアキントスの目が無謀にも一騎駆けしてくる武者の姿を捉えた時には、相手は高らかに名乗りを上げている。

 

「やぁやぁ、遠からんものは音に聞け、近くば寄って目にも見よ!姫騎士・キルトここにあり!我が槍にかかりたいものから、前に出なさい!」

 

ヒュアキントスの判断は早かった。

 

「奢ったな戦乙女(ワルキュリア)……鶴翼に広がれ、左右から包み潰す!盾持ちは前へ!」

 

「ハイッ!!」 「お任せをっ…!」「抜かせないぜ!」

 

「何とか受け止めろ!……【我が名は愛、光の寵児。我が太陽にこの身を捧ぐ!】」

 

大型の盾を構えた団員達を前に出す。

その影に隠れて剣を抜き、同時に呪文の詠唱を始めた。

 

キルト本人は冒険者として凄まじい力を持っているのだろう。だが、この場合、突撃の衝撃力を生み出しているのはあくまで()

そして、盾を構えているのはいずれもLv.2に至った精悍な眷属で、モンスター相手に攻撃を受け止める役割を果たす前衛壁役(ウォール)をこなしている者達ばかり。日々、迷宮のモンスターを相手にし、その凄まじい膂力と打ち合っている冒険者にとって、ただの馬の突撃など脅威にはならない。

 

「【我が名は罪、風の悋気。一陣の突風をこの身に呼ぶ。放つ火輪の一投!来たれ、西方の風!】 」

 

勢いを殺された騎兵に待つのは死あるのみ。

最大火力である魔法を至近距離でたたきつけ、足が止まったところを左右から包み、囲い、群がり潰す。

うまくいけば、これで勝負が決まる…筈だった。

 

「ギャアアアアアアアア!!!」

 

盾を密集させた即席の防御陣が、軽く吹き飛ばされる。

キルトの突き出した騎兵槍(ランス)は紙のように盾を突き破り、さらに持ち手の胸を貫通して抉り抜く。

凄まじい暴威!

 

"まず一つ"

 

キルトの唇が嗤い、そう呟くのをヒュアキントスの瞳は捕らえた。

まるで虫ケラを見るような目も。

 

「【アロ・ゼフュロス!!】」

 

大量に出血して倒れる部下達を尻目に、ヒュアキントスは魔法を撃った。

太陽の如き円盤状の光弾が突き出した腕から飛び出し、キルト目掛けて一直線に吸い込まれる。

キルトが左手にした盾で防ごうとするのを見届けたところで、更にもう一手。

 

赤華(ルベレ)!!」

 

爆散鍵(スペルキー)を唱えることで、放った魔法を任意のタイミングで起爆させる奥の手。

円盤が炸裂し、爆炎をまき散らした。

盾で防御したとしても爆風が回り込んで大ダメージは避けられない。

 

ところが。

 

「精々第3位階ってところね……もう、毛先が焦げたじゃないの!!」

 

爆炎を突き破って勢いよく現れたのは、ほぼ無傷のキルトの姿。その乗馬にすら目立った傷はない。

 

「何故だ…?!!」

 

ヒュアキントスの誤算は二つ。

 

キルトの操るユグドラシルから齎された伝説級武装の力は、最上級の第一等級武装に匹敵、あるいは凌駕する。

騎兵槍(ランス)の一撃を受け止めるには盾の防御力が全く足りず、逆に盾と鎧を抜くには魔法の威力が足りなかった。

 

何より、騎乗する戦闘馬は確かに()()だろうとも、槍を突き出し盾を構えるキルトのステータスは、人間種に擬態して大幅に弱体化しているとはいえ、物理型カンストプレイヤーのそれ。レベルにして10や20そこらの相手はゴミに等しい。

たかがLv.3でしかないヒュアキントスの手に負える相手ではないのだ。

 

「せ、接近戦では歯が立たない!なんとか魔法や飛び道具で牽制しろ!」

 

ヒュアキントスの指示は少しだけ遅かった。

 

鶴翼に広がっていた中央を突破して分断したキルトは、即座に馬首を翻し、左翼に陣取っていた団員達に襲い掛かった。

その勢いは凄まじく、しかも仲間がゴミのように殺されかけたのを間近で目撃したせいで及び腰になり、とても立ち向かえるものではない。

 

キルトは馬の勢いを乗せた一振りで、一度に二人をたたき伏せた。

打たれた者は身に纏っていた金属鎧をひしゃげさせ、血の泡を吹いて悶絶している。あの有様ではもはや戦えまい。

 

「いやぁあああ⁈」

 

「ヒイッ…!!」

 

「に、逃げるな…ギャアアア!!!」

 

もともと戦争遊戯とは、負けた際のリスクが大き過ぎて、格下相手にしか仕掛けないのが鉄則。

アポロン・ファミリアもまた、これまで戦った相手は例外なく格下であり、量でも質でも圧倒していた。今回もまた、本来ならそうなる筈だった。

故に、彼らはコレが初めてだったのだ。圧倒的に格上の敵に挑むという経験は。

 

その隙を見逃すような相手ではなく、無造作に繰り出される槍は、アポロン・ファミリアの団員達を散々に打ち据える。

瞬く間に左翼は半壊。ものの数分で半数近くが脱落させられてしまった。

しかも、やった当人はつまらなそうに自ら手に掛けた者達を眺めている。まるで虫ケラを踏み躙ったかのように。

 

「おのれ…!怪我人を下がらせろ!ポーションを使え!」

 

内心、恐れていた事が起きてしまった。

これが恩恵(ファルナ)によって強化された冒険者の理不尽だ。どれほどの数を用意しようとも、突出した質を持つ個には蹂躙される。

 

同時に、はっきりと悟る。

この女は市井で謳われているような、高潔な騎士などではあり得ない。

人を、ゴミのように殺すことになれている!

 

…実際にはキルトは【死神の眼】なる能力によって相手の残ライフ量を確認し、むしろ死なないように手加減していたのだが、そんな事は理解の範疇にはなかった。

 

(化け物めっ…!)

 

化け物の相手は、化け物がするのが妥当だろうに…!

歯軋りしてこちらの助っ人、フリュネの姿を探したが、一体どこに雲隠れしたのか見当たらない。

 

そして、ついにその矛先が、ヒュアキントスに向けられた。

 

「少し食い足りないけど、ヨクバリはダメ……これでオワリ!」

 

ヒュアキントスは突き出された槍の穂先に剣を合わせ、同時に力を抜いて威力に逆らわず、吹き飛ばされた。

数十メドルは空を舞い、地べたに叩きつけられる。肺の空気が残らず搾り出され、肋骨が折れる音がした。

だが、ギリギリで意識を留められたのは僥倖だった。

 

立ち上がり、睨みつける。

 

あら、中々美形の坊や♪…フフ……その覇気に面構え、雑兵では無さそうね。名乗りなさい!」

 

「ゲボッ…ゴホッ…ア、アポロン・ファミリア団長、ヒュアキントス・クリオ!二つ名は【太陽の光寵童(ポエブス・アポロ)】!!」

 

血の塊を吐き出しながらも、つかえることなく言い切った。

この様子は『神の鏡』をとおしてアポロン様も見ているのだ。

無様は晒せない。

 

「我が名はキルト!満身創痍にもかかわらずその闘志、敵ながら天晴れよ!」

 

戦場で朗々と口上を述べるなど、舐めているとしか思えなかった。…いや、これは余裕か。いずれにしろ、聞く耳を持つ必要はない。

ヒュアキントスは腰のポーチからポーションを取り出して口にした。飲みながら背後の団員に目配せし、この隙に態勢を立て直させる。

 

「そちらも噂に違わぬ武勇だな、戦乙女(ワルキュリア)…」

 

この相手を褒める言葉など口にしたくもないが、今は少しでも時間を稼ぎたかった。

 

「賞賛の言葉はありがたく受け取っておきましょう。…しかし、太陽の光寵童(ポエブス・アポロ)。貴方は自分達の行いに胸を張れるのかしら?」

 

ヒュアキントスの秘めていた内心の葛藤を、見透かしたかのような物言いに、虚を突かれる。

真っ直ぐこちらを射抜く視線に、唇を噛み締めた。

 

「…言うな。貴様に、何がわかる!」

 

「貴方の態度は恥を知る者のそれよ。ならば、答えなさい。あの日、ダイダロス通りで何をしていたのかを!」

 

「……⁈」

 

このやり取りは、『神の鏡』を通して神々も見ているだろう。

故に、ヒュアキントスは何も答える事が出来なかった。

 

「………」

 

「沈黙もまた"答え"よ。貴方は、仕えるべき主を間違えた」

 

「私は何と罵られようと構わん。だが、アポロン様への侮辱は許さぬ!」

 

「その忠義は見事と言っておくわ。……惜しい。アポロンには過ぎたるものね」

 

 

 

この戦争遊戯の後、ヒュアキントスはランクアップを果たし【過ぎたる者(ヴァスタム)】の二つ名を新たに得る事となるが、それはまた別の話である。

 

 

 

「嬲るな、キルト! ここは戦場、剣を以って己の正義をたてるのみ!」

 

「潔し。なら、せめて一太刀で………ッ!そこォ!!!」

 

突然、キルトは明後日の方向に向かって騎馬槍(ランス)を突き出した。

 

何もない虚空を穿った筈の穂先は、()()に火花を散らして受け止められた。金属同士が強い力で打ち合わされる特有の不協和音が響く。

 

大気を揺るがす衝撃が、さらに三度。

 

「チッ…舐めプし過ぎた!騎乗したまま勝てる相手じゃない!」

 

キルトは虚空に向けて目まぐるしく視線を変え、手にした槍を突き放つ。その度に火花が散った。

それを見て、ようやくヒュアキントスは()()()()()と激しく打ち合っているのだと気付いた。

 

「一度馬を降りて……しまった!!」

 

キルトが何かに気付いた瞬間、その体が乗馬ごと宙に舞う。

攻撃は土砂を撒き散らし、真下からきた。

騎兵の絶対死角、馬の足元から。

 

「ゲッゲッゲ!どうやらお前には見えない相手を見る力がありそうだね!せっかくカス共をヤっていい気分の絶頂を、無様に叩き殺してやろうと思ったのにさ!」

 

舞い上がった土埃が、襲撃者のシルエットを浮かび上がらせる。

ずんぐりと丸く、育ち過ぎたカエルじみた姿を。

 

男殺し(アンドロクトノス)!貴様、我らを囮にしたな!」

 

憤るヒュアキントスを、フリュネは気味の悪い声で嘲笑った。

 

「そのくらいしか役に立ちゃしないんだ、ありがたく思いな゛ッ…グェエエエ!!」

 

姿を消して得意げに高笑いするフリュネだったが、突如として悲鳴を上げた。

同時に、強い衝撃を受けたのか、凄まじい勢いで吹き飛ばされるフリュネの姿が、ヒュアキントスにもハッキリ見えるようになった。まるで童子の戯れで水溜りに叩きつけられるカエルのようだった。

 

思わずザマみろ!と思ってしまったヒュアキントスだったが、恐る恐る背後を振り返れば、そこには騎兵槍(ランス)を投擲した姿勢のまま怒り狂うキルトの姿。

 

「ザッケンナコラー!!この腐れツヴェーク擬きがぁあああ!」 

 

先程までの清廉な騎士のような態度は何だったのかと疑いたくなるほど、狂犬じみた恐ろしい形相をしている。

ヒュアキントスの見るところ、おそらくこちらが本性だ。

 

「…っぐはぁあああ!!よくもやってくれたねぇえええ!このアタイの美しい美貌に嫉妬するクソ虫がぁああああ!!」

 

一方の化け物ガエルも起き上がった。

腐っても第一級冒険者というべきか、めぼしい傷は見当たらない。

 

…ヒュアキントスは知らなかった。

先の一撃がフリュネの頭部を覆っていた『漆黒兜(ハデス・ヘッド)』を破壊していたことを。

装着した者を透明状態とし、隠密行動や奇襲を可能にする世にも稀なる魔道具だが、気配や視線を消すことは出来ない。そんなものでは、キルトが常時使用している感知系のスキルは誤魔化せなかった。

 

「嫉妬?…ヒキガエルの感覚は理解できませんわね。鏡を見たことがないのかしら?」

 

ビキビキとキルトの額に特大の青筋が浮かんだ。

 

「フン?アタイは強いィ!硬いィ!美しいィ♡」

 

フリュネが気色悪い仕草で投げキスを放った。

ヒュアキントスは吐き気を催した。

 

「はぁ〜?馬っ鹿じゃないかしら!人に聞いたら100人中100人が醜いトードマン擬きと答えてよ。ヘソで茶が沸きますわ!」

 

「ハッ!よく聞く台詞だね、アタイの美しさに嫉妬した連中はみんな同じことしか言わないんだ!聞き飽きたよ!」

 

「ああ、なるほど。失礼、あくまで人間にアンケートを取った場合よね。ガマガエルに聞いたら違う回答もあるでしょう!」

 

「気に食わないねぇ、こんなブサイクがアタイより美しくって強いだってぇ…ブッ潰してやるよォ!!」

 

狂犬とカエル…正直、頭の中身はどっちもどっちだとは思ったが、ヒュアキントスは賢明にも口には出さなかった。

そんなことより化け物共が睨み合っている今がチャンスだ。

 

コッソリと態勢を立て直していた部下達に指示を下す。

 

…おい、今のうちにヘスティア・ファミリアの方に向かうぞ!

 

了解です!ここにいたら命がいくつあっても足りません…!

 

今なら先行したダフネの部隊と挟み討ちにでき…危なッ…!!

 

ヒュアキントスは咄嗟に頭を下げ、飛んできた巨大な瓦礫を避けた。

 

見れば、化け物共が盛大な殴り合いを始めている。

何処から取り出したのか、キルトは薔薇の意匠が施された巨大な大鎌(サイズ)を振り回し、これまた巨大な斧槍(ハルバード)を携えたフリュネと打ち合っていた。

その一撃が大気を震わせ、大地を抉り、周囲の岩や瓦礫を吹き飛ばす。

 

向こうでやれ!と、ヒュアキントスは怒鳴りたかった。

 

「オーホッホッホ!そらそら!口ほどにもないブタガエルですわね!」

 

「クソがァアア!!」

 

あの細腕のどこにそんな剛力が宿っているのか、力ではキルトが圧倒しているらしく、大鎌を軽々とぶん回してあのフリュネの巨体を鎧ごとズタズタに切り刻んでいる。

防戦一方のフリュネだが、奴は力と耐久に特化している上に【治力】の発展アビリティを備えている体力お化けだ。まだまだ戦える筈、と思いたい。遺憾ながらあれが倒されたら試合終了である。

 

「チイィ…!!ち、チキショウ!覚えてろ、戦乙女(ワルキュリア)!!」

 

フリュネが無様に逃げ出した。あの体躯で凄まじく素早い。

逃げる時までカエルじみて飛び跳ねている。

 

「オーホッホッホ!ブザマな捨て台詞ですこと!ザマァですわ!オーホッホッホ!!」

 

キルトは逃げ出したフリュネを嘲笑い、腰に手を当てて高笑いに興じている。

 

「さて、予想外に時間を食いましたが、そろそろベルくん達に合流を……って、ア゛ア⁈」

 

突然、キルトは何かに気付いたかのように、ダッシュでフリュネの後を追いかけ始めた。

 

「ヤッベ!あいつベルくん達を先に倒すか…いや、人質に取る気だな!」

 

「ゲッゲッゲ!今さら気づいても遅いんだよォオ〜〜!!」

 

既にかなり遠くまで逃げていたフリュネの煽るような声が、それが正解だと告げている。

それにしても、何故そんな直ぐにフリュネの思考をトレースできたのだろうか?

ヒュアキントスは訝しんだ。

 

「格下相手に無双して嬲ろうだなんて、卑怯者めェ…!」

 

ついさっきまで自分が似たようなことをしていた記憶はキルトから綺麗さっぱり消えているらしい。

お前が言うな!と、ヒュアキントスは言ってやりたかった。

 

「ゲッゲッゲゲゲゲ!」

 

独特の笑い声をあげたフリュネの体が天高くジャンプした、次の瞬間。

フリュネの履く()から、金色の翼がはためいた。

ニ翼一対、左右合わせて4枚の翼を広げて自在に空をかける巨大なカエルじみたその姿は、まるで神話に登場する怪物のようだ。

 

「仲間がグチャグチャに潰されるのを、指を咥えて見てるがいいさ!ゲッゲッゲゲゲゲ!!…おっと!」

 

それは装備者に飛行能力を与える魔道具『飛翔靴(タラリア)』。

レアアビリティ【神秘】を保有する稀代の魔道具作製者、アスフィ・アル・アンドロメダの手による、天外の能力を持った逸品。

悔し紛れにキルトが投げつけた盾を軽々と避け、天高く羽ばたき、あっという間に飛び去っていく。

 

「させるかァ…!空を飛べるのが貴様だけの専売特許と思うなよ!」

 

言葉と共に、キルトもまた空を舞った。

 

同時に、その背に翼が展開される。

陽の光を受けて艶やかな漆黒に輝く、大きな翼が。

 

  

 

 

誰が知るだろう。

これこそギルド、アインズ・ウール・ゴウンのエロゲーマスター、ペロロンチーノから受け取った悪役令嬢ムーブ用コスチュームの、真の能力。

大鎌『真紅(しんく)』と対になる伝説級の鎧『薔薇の処女(ローゼンメイデン)』に備わった第一の機能(ドール)

堕天使の如き漆黒の翼による、飛行能力。

 

その黒翼はバードマンであるペロロンチーノ自身の飛行モーションデータを参考に非常に見栄えよく作り込まれ、着用者の動きに合わせて稼働し、何処から撮影されようと最適のカメラ写りを保証してくれる。

ぶっちゃけた話、実際には翼は単なる飾りであり、空中移動そのものは仕込まれた第三位階魔法《飛行(フライ)》によるものだ。

単に空を飛びたいだけなら、より小さな鳥の翼を象ったネックレスといったアイテムがあるため、性能的にはかなり微妙だった。

 

しかし、視覚効果は絶大である。

 

 

 

 

 

「なん、だと…!!」

 

ヒュアキントスは、一瞬、ここが戦場であることを忘れた。

 

カールされた金髪を靡かせ、大鎌を携えて、薔薇の鎧を身に纏い、漆黒の翼を持つ、美しき堕天使。

これまた神話の一場面を切り取ったかのような光景。

その美しくも妖しき姿は『神の鏡』を通してオラリオ中に中継され、見るものを悉く魅了する。

 

「「「オォオオオオォオオオ〜〜!!!!」」」

 

特設会場で見守っていた観客からは大歓声があがった。

 

『アイェエエエ!!』

 

オイランじみたアナウンサーは興奮のあまり豊満なブラのホックを弾けさせた。

 

そして、バベルにて観戦していた神々もまた、然り。

 

「 ( ゚д゚)」

 

「やべーよやべーよ、キルトたんマジ洒落になってねーよ!」

 

「マジパネェ!キルトたん、ちょっと盛り過ぎだろ!」

 

「俺らの贈る二つ名は『†漆黒の堕天使(るし★ふぁー)†』で決まりだな!」

 

「厨二力53万…恐ろしい子!」

 

「…俺の目がおかしいのかね、キルトたん、恩恵なくね?」

 

「…実は神威隠してる神だったりしてな?」

 

「馬ッ鹿、魂よく見てみ。どう見ても人間だ」

 

男殺し(アンドロクトノス)も、よくあんな貴重な魔道具ばっかそろえたよなぁ…幾らかかってるんだか」

 

「ヘルメス、これもお前の仕込みか?」

 

「アポロンに泣きつかれて仕方なくね…アスフィには散々渋られたよ」

 

やれやれとばかりに軽口を叩きながら観戦しているヘルメスだが、その目はまったく笑っておらず、食い入るように画面を見つめていた。

 

 

 

 

「待っててね、ベルくん!」

 

戦場を、黒き翼の堕天使が征く。

 

 

 

 

戦争遊戯(ウォーゲーム)は、まだ始まったばかりである。

 




今年の雪は殺しに来てる。
なお、これで入院中の書き溜めストック使い切りなり。

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