ダンジョンにユグドラシルの極悪PKがいるのは間違っているだろうか?   作:龍華樹

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第28話

 

 

 

 

 

 

 

「アポロン様、あと少しで宿場町に辿り着きます。もう少しのご辛抱をお願いいたします」

 

「ああ。それにしても暑いな…」

 

アポロンは額から流れ出る汗を拭った。

 

夜明け前の涼しい時間帯に都市を出て一日歩いた。

アポロンの体力を気遣い、途中で木陰を見つけては休憩をとって来たので歩みは遅く、もうすぐ日が沈む刻限。だが、そろそろ今日の宿場に着くはずだった。

 

夜逃げ同然にオラリオを出てきたので、馬車を捕まえることは出来なかったが、ひとまずメレンまで出れば船が使える。

水に落ちた犬はみんなで棒で叩け、というのは冒険者業界の不文律であり、こうでもしなければどんな目に遭わされることやら分からない。

身に覚えのない借金の請求や、謂われのない難癖、はたまた直接的な略奪行為…数え上げればきりが無い。

アポロン・ファミリアとて、これまで似たような事をしてきた。今度は此方が叩かれる番が来たというだけの話。それが分かっていたからこそ、脱出は速やかに行った。

 

ファミリア資産は全て差し押さえられてしまったが、個人名義で登録されている資金や不動産は手つかずのままなので、ひとまず都市外のとある温泉保養地に確保していた別荘に向かい、再起を図るつもりだ。

 

今この場で付き従っている者達は皆、アポロンを慕い、ギルドの制止を振り切ってまで付いてきてくれた者達ばかり。正真正銘の忠義の士だ。

勿論、その筆頭は団長のヒュアキントスだろう。あの戦争遊戯では負けたものの、ファミリア団長の名に恥じない戦いぶりを見せつけて逆に名を上げ、ランクアップを果たしていた。次の神会では新たな二つ名を賜るだろう。

残念ながらアポロンはオラリオを追放されたので、神会でどんな二つ名を付けられるかに関わることは出来ないが、一応の候補は友神に託してきた。【過ぎたる者(ヴァスタム)】…まさにヒュアキントスにふさわしき二つ名だ。

 

アポロンは離れていった眷属達にも、十分な金額を渡していた。

戦争遊戯で無理をさせてしまったし、例の悪評のせいで他の派閥への改宗にも苦労するだろうから。

一人一人に、これまでありがとうと伝えながら、残らずヴァリスを分配した。

 

「申し訳ありません、アポロン様。我らが不甲斐ないばかりに、このようなご苦労を…」

 

悲壮な表情で告げるヒュアキントスに、アポロンは微笑んだ。

 

「よいのだ、ヒュアキントス。お前達はよくやってくれた。…むしろ

 

あの化け物(キルト)()()を目撃した今となっては。

 

「思えば、あの者達にも済まぬ事をしてしまった……いや、今となっては、詮無いことか」

 

アポロンはそこで口をつぐんだ。

 

彼も恥というものくらいは知っている。

貧しい者達を、そして幼く恵まれない人間()達を数多く巻き込んだ挙げ句、分かったことと言えば自分が最初から最後まで道化だったことのみ。

言い訳だが、まさかあれほどまでに火の手が燃え広がるとは、予想だにしていなかった。少し煙でいぶすだけで十分と思っていたのだが、この季節の暑く乾いた空気と、燃えやすい物で溢れていた貧民街の有様を、まったく考慮していなかった。

 

愛し子欲しさに目がくらむと、どうしても視野狭窄に陥ってしまう。

悪い癖だと自分でも思うのだが、こればかりは天界に居た頃から改まらない。

 

「?…アポロン様?」

 

不思議そうにこちらを見返すヒュアキントスに、アポロンは力なく微笑んだ。

 

「…先を急ごう」

 

左右に広がる麦畑は刈り入れの時が近づき、緑から枯れ草色に変わりつつある。麦秋と呼ばれる時節だ。麦の穂が生ぬるい風に吹かれて、ザワザワと波打っていた。

血のような色をした太陽が小麦畑の向こうに沈み、炭を溶いたような闇が東の空からあふれ出ている。

極東では、逢魔が時と呼ばれる刻限。

 

アポロンはクンと空気を嗅いだ。土の匂いが入り交じっている。これは、一雨来るかも知れない。

そう思った矢先に、頬に冷たいものが落ちた。

 

「降り出したようです。こちらを」

 

「いや、よい」

 

同じく隣で空を見上げていたヒュアキントスが傘を差し出すのを断り、先を急ぐ。

 

唐突な土砂降り、凄まじいスコールだった。

人の歩みが道を作るという言葉のとおり、踏み固められた土の街道は連日の猛暑で乾ききっており、水を吸って瞬く間に泥濘と化した。

バシャバシャと泥道をかけると、猛暑にあぶられて火照った体がほどよく冷える。

晴れていた時はすぐ近くに見えた丘が、水煙に紛れて見えなくなるほどの豪雨だ。視界が利かず、方向感覚が狂う。

 

「これはたまらんな。……ぬ?」

 

ひとまず街道沿いから逸れぬように、注意しつつ駈けていると、不意に向かいから無数の人影が現れた。

アポロンはそそくさとすれ違おうと道の端によけたのだが、集団は広がり、進路を塞ぐようにして立ち止まる。

藍色の小袖に袈裟を掛け、尺八を手にした虚無僧達。編み笠を深く被っているため人相はわからない。

 

「何者だ?!」

 

ヒュアキントスが如何したが、相手は答えず、黙って腰のものを抜いた。

 

「…刺客か?」

 

再度問われても、虚無僧達は沈黙を返答とした。

 

アポロンは唇を噛んだ。

恨み辛みをかっている自覚はある。ファミリアという盾を失い、オラリオを放逐された今、こういう行動に出る者が出てもおかしくはない。

 

「何処の派閥のものかは知らんが、恐れ多くも神を手にかけようとは恥を知……れぅ……」

 

庇うように進み出たヒュアキントスが、突然、その場に倒れた。

膝から崩れ落ち、顔面が水溜りに突っ伏して、そのまま動かない。

同時に、アポロンの周りを囲んで警戒していた者達も、糸を切られた傀儡人形めいて倒れ伏す。

 

「!…みな、どうした?!!」

 

アポロンは慌てて駆け寄り、息を確かめた。

胸は上下し、呼吸もしている。だが、試しに顔を叩いてみても、目を覚まさない。瞼からうっすらのぞく瞳は焦点が合っておらず、口元からはよだれが垂れている。

 

「き、貴様ら、いったい…」

 

「何をした!」との言葉を、アポロンは最後まで紡ぐことが出来なかった。

目に見えるかのような、濃密な殺意を感じたからだ。地上に降りてより、いや、かつて天界に居た時すら覚えのない恐怖を感じ、総身が震えた。全身に鳥肌がたち、汗が噴き出る。

 

だが、アポロンは逃げなかった。

足元に横たわる眷属達を守る為、両手を広げて前に出る。

 

「神を舐めるな!」

 

アポロンは迷わず神威(アルカナム)を解放した。

神々は下界では基本的に神の力を使うことは認められていない。仮に使えば、即座に感知され、天界に強制送還されてしまうのだが、これには幾つか例外がある。

自らの心身が危機に瀕したとき、限定的に神威(アルカナム)の解放が認められている。

 

アポロンの全身が、眩いばかりの黄金に光り輝いた。

まさに太陽神にふさわしい威容。

 

だが…

 

愚者の封印(シール・オブ・フール)

 

アポロンの全身に、禍々しい赤黒い模様が浮き出た。それは呪いのように蠢き、とぐろを巻くかのように数字の『0』の形を取ると、アポロンから放たれていた神威の光が一瞬にして消えた。

 

(馬鹿な…神威(アルカナム)が、神の力が消え……!……あ?)

 

直後、無明の闇よりなお昏く、深い漆黒の刃が、アポロンの胸を貫通した。

 

痛みはなかった。それどころか、何かが触れる感触すらなかった。

ただ、己の神生(じんせい)が終わってしまったことだけは、不思議と理解できた。

 

驚愕しきりのアポロンの耳元に、背後から唇が寄せられる。

 

「これはペニアの婆様からだ。つりは取っておけ」

 

若い女の声。

何処か聞き覚えのある声だったが、言葉の意味は、半ば以上砕け散り、塵芥になりつつあるアポロンには理解できなかった。

 

「なに、もの…?」

 

「貴様に名乗る名は無い」

 

それが、最期だった。

 

 

 

 

 

「阿呆が、散々やらかしやがって…!」

 

キル子はイライラとしながら吐き捨てると、煙管を口にくわえた。

 

「わしら悪役(ヒール)気取りの厨二ギルドかもしれんが、タビの風下に立ったことは一度も無いんで!人様の縄張りで調子こいたクソ野郎にイモ引くほど、アインズ・ウール・ゴウンの代紋は安ぅないぞワレェ!」

 

黒い塵となって、文字通り消えたアポロンに、キル子はそれ以上の感慨を持たなかった。

 

あの火事で何人死んだのやら。背後で何やら糸を引いていた連中は言うに及ばず実行犯にも恩赦はない。これはケジメだ。

生かして拷問にかけようとも思ったが、それなら相手はこの馬鹿(アポロン)でなくともよい。眷属どもに聞けばいいからだ。

 

結局のところ、色々と状況証拠が重なったから、つい勘違いしてしまったが、蓋を開ければ、実に単純な話だったというわけだ。まさか、キルトを目当てにした変神(へんじん)の仕業とは。

もちろん、色々と陰に日向に協力した神どもはいるだろう。いずれ残らず血祭りに上げてやる。

戦争遊戯の対策のためにアポロン・ファミリア周辺に探りを入れておいてよかった。おかげで事件の全貌がひょんなところから顕になったのだから。人生、何が何処で役立つか分からん。まさにサイオー・ホース。

てっきり闇派閥の仕業と思って先走ってしまったのが、ちと恥ずかしい。後でロキをどう誤魔化したものか、頭の痛いことである。

こういう時、ぷにっと萌えか、ギルマスがこの場にいてくれたらと思わずにはいられない。頭脳労働担当ぷりーず!

 

さて、とキル子は紫煙を吐いて一息つくと、残ったアポロンの眷属に目を移した。

【昏睡】の状態異常(バッドステータス)にかかり、深い眠りの中にあるアポロンの忠臣達。

ヒュアキントスとかいうお顔の綺麗な坊やは多少惜しかったが、アポロンに付き従ってオラリオを離れる決断をする者達だ。転ぶ見込みはあるまい。

 

「御方様、この者どもは如何いたしましょうや?」

 

問いかけるハンゾウに、キル子は無言で顎をしゃくった。

 

連れ帰り、尋問する。

洗脳や魅了を多用するので、聞き出し終わり次第、始末することになるだろう。どのみち、キル子の神殺しが露見する可能性がある者は、残らず排除だ。

哀れな事だが、やむを得ない。君らの主神が悪いのだよ。

 

その意図するところを正確に察して、ニンジャ達は黙々と眠りこけている者達を肩に担ぎ上げた。

 

「撤収する。次はヘルメスだ。ピタリ、42時間後に動く」

 

「「「ハイ、ヨロコンデー!」 」」

 

キル子は手元の数珠型の腕時計を操作し、タイマーをセットした。少なくとも42時間はキル子自身は直接戦闘を避け、インターバルを空ける必要がある。

 

色々と嗅ぎ回っていたあの野郎には聞きたいことが幾らでもあったが、危険性の方が勝る。即時、抹殺だ。万が一、キル子とキルトの関係に気付かれたら洒落にならない。

 

「…ん? また情報防壁に反応あり、と。馬鹿め、その程度でこっちの情報がぬけるもんか。逆探して芋蔓式に叩いてやるわい」

 

キル子が真に頼みをおく、異形種専用の極めて特殊な職業クラス。その最大レベル5まであるうちの2レベルで取得できる特殊スキル【NamelessMonster(正体不明の怪物)】。世界級を除く凡ゆる情報系魔法やスキルを無効化する。

また、レベル3で取得できる【ElusiveMonster(神出鬼没の怪物)】と連動させて、キル子が対象に取った(ターゲッティングした)者の背後に、無条件で転移することも可能だ。

今のところはまだ、こちらの監視が主目的のようなので、映像や音声を含むあらゆる情報をシャットアウトするに留めているのだが…

 

「ユグドラシルじゃあ情報系能力の使用は、宣戦布告と同義。あからさまに喧嘩売りやがって…!」

 

 

 

だが、結論から言えば、キル子がヘルメスをその手にかける事は、ついぞなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同時刻、オラリオ某所に三柱の神がいた。

 

ヘルメス。

 

タケミカヅチ。

 

そして、ガネーシャ。

 

やや薄暗い部屋の中、彼らの周囲には無数の光を放つ平面体が浮かんでいた。地上で行使できる数少ない神の力の一つ、『神の鏡』。三柱は一様に難しい顔をして、唸りながら頭をひねっている。

 

今回の戦争遊戯を画策したヘルメスの目的の一つは、アポロンを突いて戦争遊戯の場にキルトをおびき出すこと。それだけだった。

キルトは神出鬼没。どんな魔法を使っているのか、この手の人捜しを得意とするヘルメス・ファミリアの組織力とコネクションを駆使しても、全く網にかからない。

なので、発想を逆転することにした。出てくる気が無いのなら、出てくるよう仕向ければいい。

今回の戦争遊戯に連なる一連の出来事の全ては、その一点にある。

 

その総仕上げが、この『神の鏡』。

地上の全てをのぞき見ることが出来るという、プライバシーの保護という概念が存在しないこの世界にあっては真に便利な代物だが、残念ながら使用にあたっては相応の手続きがいる。複数の神による申請と、使用目的、意図を明らかにすること。少なくともヘルメス単独でどうにかなる代物ではない。

 

アポロンを突いて無理矢理戦争遊戯を仕掛けさせた意味も、ここにあった。

娯楽に飢えた暇神達は、戦争遊戯に神の鏡を使いたがるに違いない。また、そういった状況ならば、腰の重いウラヌスも使用に同意せざるを得ない。

そして、戦争遊戯の終了後、事後処理なり何なりと理由を付けてダラダラと使用期間を延長させ、便利な道具を使い倒すのは、口八丁のヘルメスには難しい仕事ではなかった。

 

そして、いつぞやの19階層の事件の際に取り交わした例の契約書と引き換えにタケミカヅチを取り込み、さらにはガネーシャにも根回しをして何とかこの場に呼び寄せることに成功した。

神二柱が証人となり、神の鏡の証拠能力も十分。しかも、いつもヘルメスが連んでいる暇神共とは違い、ガネーシャもタケミカヅチも神格者として知られている。

 

神ならぬ身が神に手を出すのはオラリオでは重罪。最低でも都市追放は免れない。アポロンはオラリオに巣くった()()()を暴き出すための尊い犠牲となる。

 

と、そこまでがヘルメスのシナリオだったのだが…

 

「あり得るのか、こんなことが…?」

 

タケミカヅチが呻くように呟いた。

 

あり得ないことが起きている。

地上の如何なる場所をもたちどころに映し出すはずの『神の鏡』は、その表面を底なし穴のような光を返さぬ漆黒に染め、何も映すことがない。

『神の鏡』が、『神威(アルカナム)』が、明らかに妨害されている。

 

続いて沈黙を破ったのは、ガネーシャだった。

 

「なるほどな。お前の顔など見たくもなかったが、タケミカヅチの顔を立てて来てみたのは正解だったか」

 

「だろぅ?いくら何でも、あまりにも危険すぎる。そうは思わないか?」

 

ヘルメスが胡散臭い笑みを浮かべるのを、ガネーシャは仮面越しでも分かるくらい不愉快そうに眺めると、首を横に振った。

 

「いや、俺はそう思わない」

 

続く一言に、ヘルメスの顔が凍った。

 

「俺達の力は、決して万能ではない。一方で、人間()達が呼び覚ます可能性は無限大だ。神の力を凌駕するものを生み出すことは十分あり得るし、だとしたらむしろ喜ばしいことだ」

 

いよいよ人間()達の力が俺たちに迫り、追いつき、追い越そうとしているのだから。

 

「多少、寂しくはあるが、誇らしさが勝る。お前のところの万能者(ペルセウス)が、それを何より体現していると思うぞ?」

 

未熟で非力だった人類が、神の補助を脱して独り立ちする時。

幼年期の終わり。千年続いた神の時代の終わり。

人は自立し、神は寄り添う存在になるだろう。

 

いざその時が来たならば俺は受け入れる、と。ガネーシャは何の憂いもなく断言した。

 

「今すぐの話ではない。人間()達が独り立ちするまで、まだまだ時間はかかるだろうが、いずれ必ずその日は来る。出来るならば力に見合うだけの寛容な心と、成熟した精神を持ち合わせることを願うが……今、その芽を潰すことなど、あってはならない」

 

故に、お前の企てには賛同しない。

 

ピシャリと、ガネーシャはヘルメスに"否"を突きつける。

 

「ま、待てガネーシャ!あれを放置すればオラリオにどんな災いを呼び込むか!」

 

「何ら悪しき行いは確認できない。にも係わらず、ただ脅威である、と言うだけで排除するなど、あってたまるか」

 

多少の異物でも、受け入れる。それがたとえ人でなくとも、という言葉をガネーシャは飲み込んだ。

それは彼が『異端児(ゼノス)』という秘密を抱えているが故の反応だったが、ヘルメスにそこまでのことは分からない。

 

「それと、もう一つ。こういった姑息な企ては、好かん!!」

 

吐き捨てるように言うと、ガネーシャは足音も荒く立ち去った。

 

ガネーシャの姿を苦々しく見送るヘルメスに、タケミカヅチは大きなため息を吐いた。

 

「…なぁ、ヘルメス。例の契約書に見合うだけの、十分な義理は果たしたはずだな?」

 

そして、自分も抜けさせて貰う、と告げた。

 

「おい、タケ!お前だって、アレの危険性は分かってるだろ?!」

 

「だからだ!これ以上、眷属達を分不相応な危険に巻き込みたくはない」

 

かつて18階層で、タケミカヅチ・ファミリアは全滅の危機に瀕した。

その時の恐怖の体験からか、タケミカヅチは考えが保守的になっている。

 

「悪いが、これが分水嶺だ。後はお前だけでやってくれ」

 

「ま、待て、タケミカヅチ!!」

 

静止を振り切り、タケミカヅチもまた去った。

 

残されたヘルメスは、やるせなさと胃痛を抱え、その場に大の字になって寝転ぶ。

 

「ハァ…結局、一人でやるしかないのか」

 

いや、ああは言っていたがガネーシャだってそのまま放置はすまい。幾らかなりと警鐘を与えられたとすれば、無駄ではなかったか。

今後は関わりの深そうなロキか、因縁のあるフレイヤ、さもなくばヘスティアを巻き添えにするべきだろう。ついでにディオニュソスにも情報を渡して働いてもらう。

 

戦争遊戯で化けの皮の一端をはいだは良いが、藪を突いて深淵の化け物を呼び出してしまった気分だ。あれではいくら弱小ファミリアを巻き込んでも、効果は無い。

 

「あるいは、一端オラリオを離れるべきかもな」

 

ヘルメスは真面目に身の危険を感じていた。

相手は神を殺すことに躊躇がないように思える。しかも、あの闇派閥よりも狡猾で抜け目がない。まったく得体が知れない。

 

ヘルメス・ファミリアはオラリオを離れて地方に遠征することがしばしばあるため、ヘルメスが都市外に出ても誰も不思議には思わないだろう。護衛として何人か眷属を連れて行く必要もある。高ランクの眷属を都市外に連れ出すのはギルドが良い顔をしないが、ウラヌスと太いパイプを持つヘルメスには難しくはない。

それに大事をなすには相応の準備が必要になる。相手は怪物、用心に越したことはなかった。

 

そこまで考えたところで、そう言えば、とヘルメスは懐から絵葉書を取り出して、手に取った。

幾つものルートを経由して、ついさっきヘルメス宛てに直接届けられたもので、中身は未だ見ていない。旧主と仰いだ男と定期的にやり取りしている連絡便だ。

 

何気なく中身を読み進めて、すぐに全身から汗が噴き出した。

よほど急いで書かれたのか、文体に普段の砕けた調子は欠片もなく、警告とも取れる文言が強い調子で綴られている。

読み進める度に全身の毛が総毛立ち、同時に己が如何に危険地帯でタップダンスを踊っていたかを、ヘルメスは理解した。

 

読み終えた時には、すっかり腹は決まっている。

 

「アスフィ、俺は今すぐオラリオを離れる!悪いが後のことは…!!」

 

近場に待機している筈の腹心に、指示を出そうとしたその時だった。

 

───ああ、やっぱり。貴方がゼウスの駒だったのですね

 

そんな不穏な声が聞こえたのは。

 

「なッ?!」

 

ヘルメスはこれまで散々、好奇心のままに厄介事に首を突っ込んでは修羅場をくぐり抜けてきた。

その経験から、即座に身につけていたアスフィ・アル・アンドロメダ手製のアイテムの数々を起動させた。

アイテムの機能は敵対者の足止めと妨害、ヘルメスの逃走を補助することに特化している。実際、万能者の二つ名を持つファミリア団長の手によるアイテムは、これまで幾度もヘルメスの窮地を助けてきたのだが……今回ばかりは相手が悪い。

 

【影縫い】【足殺し】

 

アイテムによる妨害をものともせず、赤いド派手な忍装束を纏った男が短剣を投げ放ち、ヘルメスの足を射止めた。刺さっている部分に痛みはないが、体が一切動かない。

 

いったい、どこから現れた?!

ヘルメスは混乱しながらも逃げだそうと思考したが、相手は待ってはくれない。

 

次元封鎖(ディメンジョナル・ロック)

 

「転移無効、完了したよ~」

 

『はたらいたらまけ』と意味不明なロゴのTシャツに短パン姿のエルフの少女が、あくびをしながら魔法を使った。

 

絶対非破壊領域(フィールド・オブ・ピースクラフト)

 

スーツを身に纏ったホスト風の優男がロン毛をかき上げつつ、効果範囲内のフィールドオブジェクトに対して一定時間、不壊属性を与えるスキルを使う。

 

「ジャスト3分間、よっぽどの大技を使っても周囲に影響はないっス。思い切りやっちゃってください!」

 

慌てて神威(アルカナム)を発動しようとしたヘルメスだったが、遅きに失する。

目の前で、白銀の鎧に身を包んだ騎士が、見事な装飾のされた大剣を振りかざしていた。

 

 

 

 

その日より、神・ヘルメスはオラリオから姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)》の魔法が解除されると同時に、その場には数人の男女が現れていた。

 

「……好奇心は神をも殺す。お疲れ様でした、皆さん」

 

「いいよいいよ、ベルちゃん。神力開放した神様相手じゃ、プレイヤーが3人はいないとキツイっしょ。…でさ、この後のことは、どう考えてる?」

 

「ひとまず彼女に接触を図ろうと思います。少し調べましたが、割と温厚で常識的な来訪者に見受けられました。オラリオでもあまり騒ぎを起こしてはいないようです。少なくともこれまで来訪者の方々が起こした騒動…というか()()に比べれば、ですが。久々に穏便な対応になるかと」

 

「うわぁ…アレのことなんも知らないと、そう見えるのね……いや、ぶっちゃけ、超ヤバイいんだな、これが」

 

「ベルさん、今すぐオラリオから逃げましょう!」

 

「…はい?」

 

「裏ボス降臨、試合終了ってこと。あいつ、こっちに来たメンツ全員で束になっても返り討ちだ、たぶん」

 

「うん、酷いよね。どうして、よりによって非公式ラスダンの裏ボス様が来るんだろうか、ボクは訝しんだ」

 

「アレをどうにかしろとか無理ゲーっす!!いくらベルさんの頼みでも断固拒否!!」

 

「皆さん…?もしかして、有名な方なのですか?」

 

「有名も有名なキチガイだよ。公式キルポイントで二位にぶっちぎりの差を付けて、サービス終了までトップを譲らなかったサイコパス」

 

「レア装備を奪っていくロクデナシっす!俺の神器級かーえーせー!!!」

 

「うっ…頭が…カエシテ……ボクのゴッズ、カエシテ…!」

 

「ベルちゃん、正直、マジで洒落にならない。みんなで世界の裏まで逃げて引きこもろう。ぶっちゃけ、オラリオはオワコンだね!」

 

「ええぇ……また胃痛案件の方なんですか、そうですか」

 

「うん、過去最悪にやべーのが来たと思ってちょうだい。力押しじゃどうにもならない、あのド腐れPKは。…というか、さっきから黙りしてるおたくが何とかするべきじゃないの?同じDQNギルドだったんだろ?」

 

「…DQNは言い過ぎだ。それに、私は彼女に嫌われてたから、逆効果な気がするな」

 

白銀の鎧を纏った男が、天を仰いだ。

 

「私とはプレイスタイルも真逆だったし。せめてモモンガさんも一緒に来てくれてたらなぁ」

 

ため息が、溶けて消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、それから10日ばかり後のこと。

 

 

 

青い空に入道雲。

木々のざわめき、蝉時雨。

オラリオ市中は戦争遊戯の喧噪も過ぎ去り、冒険者達は命をかけてダンジョンに潜り、彼らの持ち帰った魔石や素材を職人が加工し、商人が売り捌く。そんな日常を取り戻していた。

 

うだるような暑さに炙られて、平時の往来よりもやや人気が失せる時節だが、逆にかつてない賑わいに沸く一角があった。

 

かつてダイダロス通りと呼ばれていた貧民街。冒険者崩れを多く囲っていた犯罪組織や、ヤクザ者が縄張りを区切って取り仕切り、後ろ暗い商売や取引が行われていた所謂悪所。

ところが、件の大火事で全て焼き尽くされ、後にはだだっ広い焼け跡と、途方に暮れる貧人の群れが残された。

浮世のシガラミもかつての縁も、ついでに住処も商売もなくして、他にいき場所もない人の群れ。放っておけば治安悪化の要因になっただろう。

しかし、今やその場所は、奇妙で奇天烈で、風変わりに変貌していた。

 

大路にはボンボリ・ツリー、電飾フクスケやコケシ、マネキネコといった様々な幸福オブジェ。

雅な白い漆喰に板戸、障子、門松で構成され、鼠色の瓦屋根が連なるエド風建築様式で統一された街並み。

キンギョ屋、コケシ屋、オメーン屋といった高級オミヤゲ店や、スシ、オモチ、キナコ・クレープなどのカジュアルな飲食店が軒を連ねている。

少し奥まったところにある歓楽街めいた通りには、最高級の合法行為を保証する高級オイランハウスのノボリが奥ゆかしくも林立していた。

その合間を無数の観光客や、リキシャーが縦横無尽に行き交うという、オリエンタルな光景。

 

「イヨ~~!!」

 

「ハイッ!!」

 

東方から喚ばれた本場のヒケシ・アクロバティックラダーによるパフォーマンスが、ワビサビの趣に更なる彩を加えていた。

 

「極東風の町並みってすごいよな、本当に家が木や紙で出来てるんだぜ」

 

「キナコクレープを食べようよ!」

 

「お母さん、キンギョが欲しい」

 

「早くオイランと前後したい!」

 

物珍しさに惹かれ、オラリオ内外から大量の観光客が集まり、大賑わいの様相を呈している。

これこそ、どこぞの怪しい謎の出資者の手により魔改造された新たなオラリオの観光スポット『オミヤゲ・ストリート』!!

 

その目玉とも言うべき商業スペースには新進気鋭のベンチャー企業が進出していた。

大手農業ファミリアやメレン港の漁師と直接契約を結び、大量購入によって新鮮なオーガニック食材を極めて安価に販売する大型スーパーマーケット『コケシマート』。

大手医療ファミリア、ディアンケヒト・ファミリアと業務提携を結び、通常のポーションよりも遙かに長期間保存が可能なパープル・ポーションの販売をしている『ヨロシサン製薬』。

東方から直輸入されたオーガニック・コメに、オラリオ近海の新鮮なオーガニック食材を使い、東方老舗スシ店から拉致して洗脳…ゲフンゲフン…ヘッドハンティングされた職人の手によるスシを適切な値段で振る舞う『ウェルシー・トロスシ』。

 

その他にもオラリオでは珍しいチェーンショップが続々と進出を果たしている。それらすべては、A・O・G・ファンドなる謎の企業の傘下であった。

 

そして、おお、見よ!ストリートの向こうからやってくるダイミョ・ギョーレツじみた一団を!

 

『オイデヤス!オイデヤス!アカチャン!』

 

先頭を行くのは妖しくも美しいオイランドレスに身を包み、無数の短冊タリスマンで飾り付けられたバイオ竹林の合間をポールダンスめいて踊る美女達だ!

 

ブンズーブンズーブンズズブンズー!

 

さらに、大型魔石アンプを担ぎあげ、どぎつい色のサムライドレスに身を包み、片方の肩または両方の肩をはだけて鍛え上げられた筋肉を見せびらかしつつ、テクノダンスを決めながら練り歩いていいるのは、テクノ・サムライだ!

 

「「「コッコッコッココッ、コケシマート!!」」」

 

サムライ達は『コケシマート』の安売りチラシをばらまいており、セール中であることを過剰にアッピール。実際、広告効果重点な。

これぞオミヤゲ・ストリート名物のサムライパレード。

このようなストリート・パフォーマンスが突発的に繰り広げられるのがオミヤゲ・ストリートの醍醐味なのだ。

 

『今から1時間、3割引セールを開始しますドスエ!!出血大サービスドスエ!』

 

「ナ、ナンダッテ!」

 

「只でさえヤスイのに、ここからさらに3割引!」

 

「ウレシイ!」

 

「早くしないと売り切れちゃう!」

 

観光客に交じったサクラ達が大仰にはやしたてると、買い物目当ての客達は目の色を変えた。

なお、売値ははじめから割引を考慮した価格設定になっており、実際店側に損はないのである。欺瞞!

 

『ヤスイドスエ!安全な!オイシイ!実際ヤスイ!コケシマートドスエ!』

 

オイラン達が「ヤスイ」と発言する度に、オイランドレスのそこかしこに仕込まれた魔石ライトがキャバーン!キャバーン!と怪しく点灯。オイランの胸は豊満であった。

 

「「「イヨーッ!!イヨーッ!!」」」

 

ドンドコドン!ドンドコドン!ドンドコドコドコ、ドンドコドン!!

 

サムライ達がタイコ・ドラムを叩きつつ、追加パフォーマンス重点!

 

「「「ウ、ウアーッ!買い物しなきゃ!買い物しなきゃ!」」」

 

絶えぬ音、光、パフォーマンス!刺激に次ぐ刺激の嵐により、オミヤゲ・ストリートを訪れる観光客のニューロンは破壊されてしまった。

先を争って店に押しかけ、爆買いに次ぐ爆買い!もはや彼らは商品を買いあさるズンビーのごとし。

 

「ああ、今日もうちの店には客が来ない…」

 

そんな狂乱を尻目に、死んだような目をして見守るのは、客を奪われた周辺の零細店主達である。

 

大量発注による低コスト化、エンターテイメント性による差別化など、零細個人商店には決して真似出来ない芸当の数々。

このままではいずれ土下座めいて暗黒企業群の傘下にM&Aされ、オイランやサムライにカスタマイズされてデリバリーされるのは時間の問題だ。

信じて都会に送り出した幼なじみの純朴な少女が、垢抜けたオイラン・ショーガールに変貌させられるかのごとく、オラリオの風俗は徐々に日本的サイバーマッポー都市へと変貌させられていくことになるだろう。なんたる邪悪な文化汚染であろうか!

 

なお、ショップの店員やエキストラには元ダイダロス通りの住人が積極的に雇用されており、地域経済の活性化に著しく貢献しているため、ギルドすらもこの惨状を追認せざるを得なかった。ヒレツ!

 

「なんであたしらまでこんな事を……」

 

「借金返すまで仕方ないだろ?」

 

「でも食い物うまいんだよな、ここ」

 

そんなオショガツめいた喧噪を無気力に眺めているのは、オイランドレスに身を包んだ褐色肌の美女達だ。

 

彼女たちはオイランではない。恐るべき戦闘力を持ったテルスキュラのアマゾネスだ。

1億ヴァリスもの莫大な借金を背負わされたカーリー・ファミリアのアマゾネス達は、示談の条件としてオミヤゲ・ストリートの警備員をやらされているのである。

実際、利にめざとい冒険者崩れや中小ファミリアの下級冒険者が勝手に自らの縄張り認定して用心棒代を要求する事例が散見していたが、アマゾネス達の殺人クエストにより、ことごとくネギトロ!奥ゆかしくリヴィラに埋められるか、メレン港に沈められていた。

 

そんな狂乱じみた繁栄を謳歌するオミヤゲストリートより、通りを二つ三つほど奥に入った場所。

そこには、静謐な和風建築じみた大邸宅が奥ゆかしく聳えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はい、結構です。59階層でのローンは、これで完済ですね」

 

やや離れたオミヤゲ・ストリートから流れ聞こえて来る雑多な喧噪を尻目に、キル子は単眼鏡に目を当てて魔石の品質をチェックしていた。

 

この単眼鏡は鑑定の魔法が込められたアーティファクトで、対象アイテムの価値をユグドラシル金貨換算で教えてくれる。

あくまでNPCショップに投げ売りした際の価格でしかないし、キル子は商人系スキルを持っていないので最低価格しか表示されないが、アイテムをシュレッダーに突っ込んだときに吐き出される金貨の枚数を調べるには便利である。かつては色々と有効活用したものだ。

まあ、他人が汗水垂らして作った神器級を金貨の山にしてやる瞬間というのは、一度味わうとやみつきになる至高のエクスタシーだったわい。ケケケケ!

 

なお、キル子は冒険者ではないのでギルドの保証する『冒険者の権利』を持っておらず、ギルドで魔石を換金することはおろか、商人と魔石の取引すらできない。ギルドを介さず魔石を取引をするのはオラリオでは違法であり、これだけは本気でギルドが介入してくるので非常に面倒くさい。

その気になれば抜け道はいくらでもあるのだが、キル子は魔石をシュレッダーに放り込み、このところ目減りしつつあるユグドラシル金貨の補填に利用するつもりだった。ヴァリスは他でいくらでも稼げるのだから。

 

「借金は早めに返すに限るで。借りた相手が相手やしな」

 

そんなキル子の対面で、高級座布団に行儀悪くあぐらをかいているのは神、ロキ。

 

茶菓子をパクつきながら、手にした青磁の茶碗を物珍しげに眺めている。

メレンから出航した荷船が極東から持ち帰った逸品で、そこそこ値が張る品だ。代わりにこちらから持ち込んだ神酒(ソーマ)は、あちらのお公家さんが高値で買い入れたとかで、なかなか良い取引だった。確かサンジョウノ…三条のことかな?向こうではやんごとなき身分のお方と繋ぎが出来ただけでも申し分ない成果だ。

 

い草の香り漂う応接間では、一枚板の巨大な座卓がしつらえられ、大量の魔石とヴァリスが詰まった袋が広げられている。

いつぞやの59階層の一件での、ロキ・ファミリアが背負ったローンの返済がこれである。

 

実のところ、月々の月賦払を前倒しで、ロキが一括支払いを申し出てきたのはキル子にしても意外なことだった。

案外、戦争遊戯のトトカルチョで一山当てたのかもしれない。流石に現金の一括払いは厳しかったのか、魔石も支払いに混じっているが。

 

「にしてもジブン、極東趣味いうんか?ずいぶん変わった屋敷を建てたもんやね」

 

畳のバイオイグサの匂いに鼻をひくつかせながら、ロキは室内を見回した。

高級感溢れる和の佇まいに、流石のロキも興味津々である。

 

ここは旧ダイダロス通りの跡地でも、一等地。そこに突如として出現したキル子の屋敷の正体は、もちろんグリーンシークレットハウス期間限定エディションである。今後は、ここがオラリオにおけるキル子の拠点になるだろう。

 

「しかも、焼け出された連中のために借家まで建ててるて? 職人街の大工組合の間じゃ、篤志家のお大尽が大盤振る舞いしてるって結構な騒ぎになっとるで。ま、そこだけ聞いたら大した慈善家やと思うやろうがな?」

 

ロキは疑わしそうな目を向けている。相変わらずどこから聞きつけてきているのやら、耳の早い婆だ。

 

「何故、疑問形なんでしょう」

 

(表裏のない立派な善行だぞ!)

 

なお、働かざる者食うべからず、とマッポー時代の基本的メンタリティの下、キル子は焼け出された貧民を雇い入れて、荒稼ぎをしていた。

戦争遊戯のお祭り騒ぎでは各地から集まってきた観光客を相手に、飲み食いや土産物の需要はいくらでもあったし、商売を開く為の土地も抑えていた。

土地を貸し、商売を斡旋し、先立つものを貸し付けてと。そんな事を繰り返していたら、いつの間にやら香具師の元締めのようなポジションに上り詰め、今やオラリオでも有数の顔役の一人である。

ヘスティアがヘッポコで利権関係に疎いのを良いことに、バッタもん商品を無知な観光客相手に売りさばく商売は、実際ぼろくて濡れ手に粟、ウハウハだった。

『ヨタモノが雨の日に捨てられた子猫に傘をさしたら、実際善人めいて見える』とはミヤモトマサシの言葉である。

 

なお、ダイダロス通り一帯の土地を買い占めるにあたり、土地の保有に必要なギルドの許可証を手配したり、土地の購入を仲介したのが目の前のロキだ。

流石にオラリオの勢力を二分する大ファミリアの主神であり、根無し草のキル子ごときとは信用が違う。

 

「ハン?ここらの再開発利権の一番美味しいところを持ってったくせに。これで慈善家やと言い張ったら、面の皮が厚いにもほどがあるわ」

 

「初期投資に、大分散財したのですがね」

 

キル子は土地の買い入れにも、手に入れた土地の再開発にも多額の資金を投資しており、手持ちのヴァリスがお寒いことになっている。

最近は、いつの間にかオミヤゲ・ストリートに居着きやがったペニアの婆様にちょくちょく強請られるのだが、無い袖は振れない。そろそろインゴットをもう一本、ヘファイストスに売り飛ばす頃合いだろう。

 

そんな事情もあって、ロキから支払いの前倒しの話が来たのは渡りに船なのだが…

 

「んで、例の土地は押さえたんやろうな?」

 

もちろん、狡猾なロキがそんなうまい話を、ロハでキル子なんぞに持ってくるわけがない。

 

「ええ、そこは手抜かりなく。人造迷宮(クノッソス)周辺の土地は真っ先に確保しました。ギルド所管の登記簿は書き換え済みです。いささか手数料は高く付きましたがね」

 

キル子は怒りにゆがみそうになる口元を、袖でそっと隠した。ギルドの豚め、足下見やがって!!

 

「そいつは重畳」

 

憤るキル子を余所に、ロキは満足そうな笑みを浮かべた。

 

ロキにしてみれば人造迷宮の出入り口を自由に使えること、それが肝要。ただし、そのために周辺の土地をわざわざ購入して維持するのは不経済だ。

そこでギルドに干渉して広大な跡地の再開発を唆し、自由に顎で使える便()()()()に購入させ、人造迷宮への突入口を確保すれば、後は好きなときに好きなだけ使うことが出来る。

しかも、その便()()()()ことキル子は、目の前に美味そうな利権をぶら下げれば、即座に食い付いて交換条件を鵜呑みにするボンクラだ。おまけにロキは、ギルドからもキル子からも、手数料として少なくないマージンをせしめており、この件に関しては一人勝ちだった。事実上のインサイダー取引である。

 

クヤシイ!でも土地再開発の利権美味しいです、ウヘヘヘヘ!

 

ビクンビクンと畳の上でのたうつキル子を、ロキはアホを見るような目で見下した。

 

「だんだんジブンの扱い方が分かってきたわ───にしても戦争遊戯じゃ、だいぶ派手にやらかしたな」

 

スッと、切れ目を感じさせないほど静かな口調で、不意にロキが話の矛先を変えたので、思わずキル子の背に冷や汗が吹き出た。

 

「バベルは蜂の巣を突いたような騒ぎになっとるで?」

 

「はて。心当たりはありませんが?」

 

とぼけるキル子だが、ロキは有無を言わせなかった。

 

()()()の件や」

 

思わぬ直球に、キル子は言葉を失った。

 

噂は広まれど、本人の実態がまるで見えなかった『戦乙女(ワルキュリア)』こと冒険者・キルト。

戦争遊戯において神々とオラリオの市民達が見守るさなか、ついにその力の一端が露わになったわけだが。

 

「ひとまず神共の総意を意訳したろか?『アレはない』や。もう、どいつもこいつもアホ面晒して頭抱えてるわ」

 

ロキはケタケタと悪魔のように笑った。

 

「ウチに言わせりゃ、今さらギャアギャア騒ぎ過ぎやな。退屈は神を殺す、だからウチらは下界に降りてきた。この手のお祭り騒ぎは大好物やろうに……本気で遊ぶ覚悟のない凡神(ぼんじん)共が多すぎるわ」

 

そこで一端言葉を切り、ロキは一口茶を啜った。

 

どこかで、カコンと鹿威しが鳴った。

 

「大多数の神はな、いくら口で人間が愛しいて猫可愛がりしてても、本音じゃペットの扱いと大差ないんや。バベルで無聊を囲っとるような有象無象の神どもはな。弱いから、愚かだから、その生き足掻く様が面白い。そういうわけや。ぶっちゃけ、一段も二段も下に見とるんよ」

 

ロキは不愉快そうに吐き捨てた。

 

「つまり、ダメ男が好きと?」

 

たしか昔の会社の同僚が似たようなのにハマってた筈だ。承認欲求が満たされるらしい。

 

ようするに神というのは基本的に()()()()()()()な面倒くさい連中なのだろう。

 

「おう、本当のことだからって何言ってもいいわけやないで。……いやそこはいいとして、ナチュラルに格下扱いされてるのは何も思わへんのな、ジブン?」

 

キル子は黙って一口、煙管に口を付けて、甘い煙を吐き出した。

 

「人の愚かさは骨身にしみておりますので」

 

ロキはキル子を試すように口にしたが、キル子にしてみれば何をか言わんやだ。

 

人の罪業と愚行の果て、世界を巻き添えにして滅んだ世界に生まれた身。

神のおかげで緩やかな停滞と安寧を享受しているこの世界に、含むものがあるはずが無い。

 

「人間なんて、自分の見たいものを見て、信じたいものを信じるものです。神も人も、そこは変わらないのでは?」

 

「まあな。せやけど、神は()がいい。どっからどう見ても恩恵(ファルナ)の入っとらん、100%混じりっけ無しの人間()なら見ただけでわかる。そいつが恩恵を与えて可愛がっとる毛並みのいい犬……もとい第一級冒険者を終始圧倒した挙げ句にあのザマや。おまけに最後に見せたアレ。ウチもちょいチビリそうになったで」

 

天を逆下り、大地を舐めた極光。巨大な要塞を跡形もなく消し飛ばし、後には何も残さなかった。

威力も精度も、明らかに冒険者が放つ既存の魔法とは一線を画す力。

 

それがせめて恩恵によって齎されたものならば、下界の未知であり地上の子どもたちの可能性と、割り切って考えられたのかもしれないが。

 

「ちぃと()()()()()のとちゃうんか?今やオラリオ中のファミリアが血眼で、キルトの行方を追っとるぞ」

 

ロキの目は既に笑っていない。

 

恩恵(ファルナ)とも神威(アルカナム)とも異なる未知の力。

おかげで何処の神も、神としての矜恃を刺激されてキルト排斥を願う一方で、あの力を自らの派閥に取り込みたいと欲望をみなぎらせてもいるという。

 

「ほとんどはただの凡神(ぼんじん)やが…ガネーシャが動いた。あいつ、ウラノスとツーカーやねん」

 

それはつまり、ギルドの主神であるウラノスの耳に入ったということ。ギルドも、もはや『キルト』の存在を野放しにはできないと考えている、とロキは静かに語った。

 

これまで、キルトはギルドとほとんど繋がりがなかった。

戦争遊戯での化け物じみた活躍を見て、ギルドも慌てて記録を調べたようだが、ダンジョンの入場記録に一度だけ名前が出てくるだけで、魔石の売買記録も素材の販売記録もなく、それどころか都市への入場記録すらも存在しない。その事に気付くやいなや、ギルドは本気でキルトを押さえようとして色めき立っているという。

 

ギルドが躍起になる最たる理由は、キルト個人の持つ絶大な戦力だ。

冒険者は量より質。戦争遊戯で実証されたように、いくら雑兵を束ねても隔絶した個には蹂躙される。特にキルトのように強大な魔法を操る魔道士は、戦略兵器のようなもの。

そのために高ランクの冒険者はギルドの制約を受けている。都市外への戦力の流出を防ぐという名目で行動の自由を妨げ、オラリオ内で飼い殺しにするのがギルドの基本方針だ。

 

だが、高ランクの冒険者であればあるほど、そして大派閥の所属であるほど、主神の意向を第一とするので、必ずしもギルドの意向に従うわけではない。

例えばオラリオ最高の魔道士たるリヴェリア・リヨス・アールヴなどは、都市最高峰の戦力を有するロキ・ファミリアの一員であり、エルフの王族である。リヴェリアに何かあれば都市中のエルフ達がファミリアの垣根を越えて敵対するだろう。だからこそ、ギルドをはじめとした有象無象からの干渉をはねのけることができる。

 

だが、キルトは市民の人気こそあるが、実際のところ権力的な後ろ盾は何もない。

手が出しやすく、すでに野放しにしておけるような戦力でもない。

 

「高ランクの冒険者は、他派閥から声がかかることも多い。ウチの眷属も年がら年中、あの手この手で引き抜きの話がくるで。しかも、あっちこっちのファミリアと連んどるからか、()()()は派閥の色が薄い。おかげで都市外からも興味を持たれてるようやな」

 

侵略戦争を繰り返している国家系ファミリア、ラキア王国はオラリオに誕生した新たな強大な戦力に、強い関心を抱くだろう。

また、大神オーディンの支配する魔法国家アルテナも、キルトの行使した魔法に興味を持つに違いない。

その一方で、魔法に対して強い誇りを持っているオラリオ中のエルフ達も、無関心では居られない。

 

いよいよ様々な勢力が独自の思惑を持ってキルトを探し出そうと躍起になっている、とロキは言う。

 

「…件の天才美少女冒険者の活躍についてはよ~く存じておりますが、ロキ様……あくまで()は一介の雑貨屋店主に過ぎません、とだけお答え致します」

 

キル子は冷や汗をかきながら言葉を選んだが、残念ながら(ロキ)の前で嘘は通用しない。

 

「ほんとにぃ?…どうせその場のノリでついやらかした、ってとこやろ。ああ、もちろん()()()のことやで?誰もジブンの事やとは言ってへんねんで。でもなぁ」

 

ロキは唇の端をつり上げて、人の悪い笑みを浮かべながら続けた。

 

「負けて追放されたアポロンの足跡が途絶えた。メレン方面に向かったらしいんやけど、都市を出てから目撃者がおらん。付いてった眷属も含めて、な。しかも、オラリオに残った元眷属は残らず恩恵封印状態になっとったそうや」

 

「……」

 

キル子はうっすらと笑みを浮かべ、沈黙を守った。

神の問いかけをかわすには、沈黙有るのみ。

 

もとよりキル子はその件については微塵も妥協する気は無かった。ケジメは重要である。

 

「ただ、あのド腐れ芝居を仕組んだヘルメスの奴まで姿を消したんは……ん?なんや、そっちは無関係みたいやな、ジブン」

 

「……」

 

キル子のポーカーフェイスがほんの少しだけ揺らいだのを、ロキはめざとく察した。

 

アポロンを始末した直後から、ヘルメスに施していた【標的の印(ターゲット・サイン)】が途絶えている。そのためニンジャの半数を動員して行方を追っているのだが、未だに行方がつかめない。

逃げたか、あるいは別口で殺されたかまでは分からない。が、逃げられたとしたら癪な話だ。

 

アポロン、ヘルメス、そして闇派閥。そのいずれもキル子は生かしておく気はない。

神の怒りが天の怒りなら、キル子の怒りは地の怒りだ。

 

「まあ、ようはこのままほっとくと、超やっかいごとが向こうから()()()()来るっちゅうわけやな。…で、ほんまに、ほっといてええんかぁ?」

 

神とは思えないほど邪悪で悪辣な顔だった。というか絶対悪魔だろ、コイツ。

 

さて、ここまで知られているとなると、ロキの口を封じるのも一手だ。 キル子の心の天秤が黒に傾いた。

屋敷の周りを高ランクの眷属、エルフの魔法使いやらアマゾネスの姉妹やらで囲んでいるのは把握しているが、その程度でどうにかなると思ったら大間違いだ。5分もあれば皆殺しに出来る。

のこのこキル子の屋敷にやってきたのが運の尽き。ダイダロス通りは元より悪所である。不運にもヨタモノに襲われ、天に送還されたとしても、なんら不思議はあるまい。

 

天秤はほとんど黒に傾きつつあったが、そこまで考えたところで、キル子は正面のロキを見た。

 

ニコニコと笑顔でキル子を眺めながら、しかし決して目は笑っていない。

認めざるを得ないが、この大年増は頭が良いし、勘も鋭い。しかも、本気で遊ぶ覚悟の出来てる手強い女だ。

自身の身に何かあったときに備えて、保険をかけていないわけがない。キル子にとって価値のない、女性の眷属ばかりを周囲に配置しているのも気にかかるところ。

 

それに何よりも、愛しの男の主神。でなければ、何度首をかっさばこうと思ったことか。

でも、それだけで、キル子が心の天秤を蹴っ飛ばし、問答無用で白をとるのに十分な理由になる。

 

キル子は諦めて白旗をあげた。

頭脳労働の苦手なキル子に、駆け引きでロキを出し抜くことなど、もとより不可能なのだから。

 

「(クッソ婆!!!)……え、えへへへへ。い、卑しい私めに、どうかロキ様のお慈悲におすがりさせて頂けませんでしょうか。も、もちろん、ただでとは申しません!」

 

キル子は卑屈な笑みを浮かべながら揉み手をし、ロキを仰ぎ見た。足を舐めろと言われたら舐める勢いである。

 

「フフン。まあ、ええやろ。ウチの胸は広いからなぁ」

 

キル子の弱みにつけこみマウントを取ると、ロキは楽しくて堪らないと言わんばかりに真っ平らな胸をそらし、勝ち誇ったように笑った。

 

誰かこの大年増をなんとかしてくれないものだろうか。キル子はブッダに祈った。

 

「他の神共はウチがうまくかき回したる。キルトの件については任しとき。…その代わり」

 

「はい、分かっております。今後も協力は惜しみません」

 

キル子は嫌な相手に借りを作ってしまったと後悔したが、後の祭りだ。

だが、他に手がない。他の神共までしゃしゃり出てくるとか、面倒くさいにもほどがある。

パパッと皆殺しにした方が後腐れがないので、機会があればバベルごと殲滅してやるか、とキル子は引きつった笑顔の裏で物騒なことを考えた。

 

一方のロキはその事に気付いているのかいないのか、再び真顔に戻ってキル子に問いただす。

 

「さて、話を元に戻すけど、闇派閥の動きはどうや?」

 

「何度かこの土地を奪還しようとする動きがありましたが、全て撃退しました。白尽くめをした如何にもな連中から()()()()()()()()()まで、残らず引っ捕らえて監禁しています」

 

キル子がそう言うと、ロキはスッと目を細める。

 

白装束=闇派閥というテンプレの図式が崩れた形だが、勘のいいロキのことだ。この程度は想定はしていただろう。

 

あんな目立つ格好を好き好んでするのは阿呆のやること。白装束の囮を派手に使い、闇派閥といえば白装束という認識をすり込み、本命は目立たず地味な服装でオラリオに溶け込む。キル子だってそうするだろう。

 

「こちらで軽く尋問しましたが、大したことは知りませんでした。そちらに引き渡しますか?」

 

「せやな、後でフィンかガレスあたりを寄越すわ。うちらがカチこむまで、蟻の子一匹、外に出すんやないで」

 

ロキ・ファミリアは本気で人造迷宮の攻略を考えているようだ。

 

「畏まりました」

 

この件について、キル子の基本方針は人造迷宮の奪取、ないし破壊である。

 

せっかく地上との物価の差を利用してリヴィラをドル箱に仕立て上げ、阿漕に荒稼ぎしているというのに、人造迷宮とか言う別ルートを放置していては、いずれその利権が脅かされる可能性がある。

商売あがったりになる前に、人造迷宮に使われている大量の最硬金属(アダマンタイト)最硬精製金属(オリハルコン)ごと奪う。最悪でも、誰も使えないように破壊しなければならない。

邪魔する闇派閥は皆殺し。人造迷宮とやらをPKの戦利品として奪うまでだ。

 

キル子は恭しく頭を下げて恭順の意を見せながら、ロキに伏せた顔は薄ら笑いを浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「んじゃ、ウチはこれで帰るけど。そういえば、キルコ」

 

「はい、なんで御座いましょう?」

 

「ベートと朝帰りしたらしいな♪」

 

直後、顔を真っ赤に染め上げたキル子の口から首を絞められた鶏のような悲鳴が発せられることになるのだが、二人の間に何が起こったのかも含めて、ソレハマタベツノハナシデアル。なのであるったら、なのである!!

 

 

 




色々と忙しかったので気付いたらまた三か月…orz

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