【完結】艦隊これくしょん ~北上さんなんて、大っ嫌いなんだから! ~ 作:T・G・ヤセンスキー
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
(泣きすぎたせいかな……頭痛い)
目が覚めた後も、阿武隈はベッドから起き出す気になれずに横たわったままだった。
枕が湿っていて、気持ちが悪い。
(……今日がお休みで良かった)
昨夜は部屋に帰った後、五十鈴や鬼怒が問いただしてくるのに対してろくな答えも返せないまま、ぼろぼろ泣きじゃくっているうちに眠ってしまったようだ。
(お姉ちゃんたち……今日は遠征だっけ、出撃だっけ)
今日の天気はやはり雨。
薄暗い部屋の中に他の者の気配がないことに、少しだけほっとする。
窓の外から雨音と、遠くで響く演習の砲撃音がかすかに聞こえてくる。
(……今何時だろ。お腹空いたなぁ……)
ごそごそと起き出し、洗面台の鏡の前に立つ。……ひどい顔だ。顔を洗い、シャワーを浴びると、ようやく少しだけましな気分になった。
せっかくの休みだが、外に出て他の人と顔を合わせるのは避けたい気分だった。――特に、あの人とは。
その時、前触れなしにガチャリと部屋の扉が開いた。
「……五十鈴お姉ちゃん」
「少しは落ち着いたみたいね。お腹空いたでしょ、おにぎり買ってきたから食べなさい。食べ終わったら、何があったのか詳しく話してもらえる?」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……どう思う? 五十鈴お姉ちゃん」
「どうもこうも……あんたの話を聞いた限りじゃ、嫌がらせじみた理不尽な難癖にしか思えないんだけど……」
ちゃぶ台の上には、おにぎりの包み紙と湯呑みが2つ。
「うん。あたしにも、最初はそうとしか思えなかった。 だけど……あの人があそこまで言うからには、何か見落としがある気がして……」
「強いて言うなら……あんたが敵の旗艦とやり合ってた時、北上のやつがそこまで動揺した、ってのには何か違和感を感じるわね……」
一晩経ってそれなりに落ち着いたせいか、阿武隈は素直に頷くことができた。
阿武隈を鍛えあげたのは北上自身だ。多少の無茶を阿武隈がやらかしたからといって、あそこまで取り乱すとは考えにくい。……というより、北上がそこまで過保護とは思えない。
「……お姉ちゃん、机上演習盤持ってたよね? お願い、ちょっと出して」
阿武隈はちゃぶ台の上の湯呑みや包み紙を片付けると、折りたたみ式の将棋盤のような大きなボードを広げて駒を並べる。
「確か最初の配置はこうで、敵の位置はここ……まずは龍驤さんと飛鷹さんの艦載機がぐるっと両翼から回り込んで……」
記憶を辿りながら、あの時の配置を再現していく。
「空爆の後、北上さんとゴーヤさんが先制雷撃で敵駆逐艦を撃沈。残った敵は2体……。北上さんは敵雷巡を釘付けにしてて、あたしは敵旗艦と距離を保ちながら同航戦でこう移動してて……」
残った敵を表す二つの黒い駒と、北上・阿武隈を示す緑と黄色の駒が目まぐるしくその位置を変えていく。
他の駒は動かない。
そして相手の旗艦が阿武隈に突っ込んできて……
(……どうして北上さんはあんなにも焦って、こいつに魚雷を撃たなきゃならなかったんだろう)
(……なんでこいつはただ突っ込んでくるだけで、一発も撃ってこなかったんだろう)
――何か変だ。何かとんでもない勘違いをしてる気がする。
(自分で考えろ、か……)
思考を切り替え、敵の立場から戦況を見直そうとする。
状況は絶望的。護衛の駆逐は全て落とされ、残る味方は自分も含めてニ隻のみ。雷巡チ級も墜ちるのは時間の問題。もはや勝つことはおろか、生きて逃亡することも出来そうにない。
唯一出来ることは、相討ち覚悟で突っ込むだけ……
(……おかしい。やっぱり、何か変だ)
阿武隈の表情が険しくなる。
確かに軽巡ホ級にとって、敵の旗艦――この場合は阿武隈を相討ちで仕留めることが出来たならば、最期の悪あがきとしてこの上ない戦果だろう。
だが、あの直前まで阿武隈はずっと、敵ホ級とはつかず離れずの距離を保ちながら、射程圏ギリギリでの時間稼ぎに終始していたのだ。
あそこで心中覚悟の体当たりを狙ったとしても、阿武隈が足を止めて真正面から迎え撃つなどと、果たしてあのホ級が思っただろうか。
ましてや隼鷹からの第二次攻撃隊が発艦するのは、ホ級からも見えていたはず。
その状況で阿武隈に突っ込んだところで、また距離を空けられて時間稼ぎを続けられれば、相討ちにさえ持ち込めなくなるのは自明の理だったはずだ。
(じゃあ、なんであいつは突っ込んで来たの……?)
(回避のための之字運動さえしなかったのは、隼鷹さんの艦載機が到着するより早く、少しでも最短距離で移動したかったからと考えれば、まだ納得はできる)
(でも、砲撃さえしてこなかったのはなぜ……?)
(砲撃する手間さえ惜しんで……何かを狙っていた……?)
……考えろ。
……考えろ。
自分ならどうする。もしも自分が敵の立場だったら……
と、その時。
開戦直後から動かしていなかった一つの駒に、ふと阿武隈の目が止まった。
「……あ」
それまで自分とホ級の駒を交互に動かしていた阿武隈の手が止まり、表情がこわばる。
(もしも……ホ級の狙いがあたしでなかったとしたら……?)
(……そうだ。あいつからしてみれば、隼鷹さんの艦載機が到着するより早くあたしや北上さんを撃沈できるかと言えば、捨て身でかかっても勝算は低い)
あの時のホ級の目から見て、相討ち覚悟で狙うのならば……阿武隈よりも、もっとふさわしい相手がいる。
対潜装備を備えた軽巡ホ級にとって、最期に攻撃をしかけるなら、もっと勝算の高い獲物がいる。
目に映るのは……最初に置いた場所から一歩も動かしていない駒のうちの一つ。
「……あいつの本当の狙いは、あたしなんかじゃなかった……」
阿武隈が愕然としてつぶやく。
「残り時間の中、自分の装備で一撃で仕留めきれる可能性が一番高い相手……」
そのピンクの駒が示すのは――
「……ゴーヤさんだったんだ」
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固い表情の阿武隈に、五十鈴が訝しげに問いかける。
「どういうこと? あんたやホ級のいるこの地点と、ゴーヤの駒があるこの位置とは、ずいぶんズレがあるわよ?」
「……確かに、あたしがゴーヤさんにお願いしたのは、この位置で相手をおびき寄せる囮になることと、その後、敵の混乱に乗じて雷撃すること、それだけだった。……でも」
船足が遅く、装甲の極端に薄い潜水艦にとっては隠密性こそが命。
経験豊富な伊58が、最初に魚雷を発射した位置からそのまま動かずにいたはずがない。
雷撃によって初撃を加えた後は、伊58は当然新しいポイントに移動を図ったはずだ。
「なのにあたし……目の届かない水の中のことだからって、ゴーヤさんの位置とか動きとか、頭の中からすっぽり抜け落ちてた……」
最初の位置からできるだけ航行音をたてないよう、海流を利用しながら伊58が次の雷撃に備えて移動したとすれば……あの時、伊58がいた位置はおそらく……同航戦状態で移動してきた阿武隈と敵ホ級――その二隻を結ぶ直線上の中間点。
あの時――敵の旗艦、軽巡ホ級は、程なく自分達が全滅することを悟ったのだろう。
そして、どうせ避けられぬ全滅ならばせめて道連れにと、伊58を狙うことにしたのに違いない。
海中の潜水艦に対して、最も有効なのは爆雷攻撃。
ホ級は、自分の回避も防御も阿武隈への砲撃もかなぐり捨てて、伊58の真上にさしかかるタイミングでの爆雷投下、ただそれだけに集中し、それまで阿武隈が撃ってこないことに賭けたのだ。
いや、阿武隈に対して砲撃しなかったのは、むしろ、自分が撃てば阿武隈も撃ち返してくるだろうことを考慮して、敢えてただの無謀な特攻を装っていたのかも知れない。
実際、あそこで北上が魚雷を発射せず、あのままホ級が伊58の真上を通過するに任せていたら……
投下された爆雷によって伊58が甚大な被害を被るか――悪くすれば轟沈していた可能性もあったことは否めない。
(だから、あの時北上さんは……)
「……お帰り~。ゴーヤっち、ケガはない? 破片とか降って来なかった?」
「……大丈夫でち!」
(戦闘が終わった後、真っ先にゴーヤさんを気遣ってた……)
「なのにあたし……それに気付いて反省するどころか、そのまま距離を空けて隼鷹さんの艦載機に任せてれば良かったとか、見当はずれなことを……!」
阿武隈は唇を噛みしめる。
(自分自身を囮にすることで、敵の思考や進路、視線や行動を誘導する――あの人からさんざん教わってきたはずだったのに……! 演習でも見せて貰ってたのに……!)
「北上さんの言う通りだ……何も解ってなかった……あたし、旗艦として失格だ……」
「そうね……多分、あんたが今考えたことは正しいわ。あんたは全員の命を預かる旗艦として、確かに大きなミスをしてた。北上が、結果だけ見て手放しで誉める気になれなかったのは無理ないかも知れない……けど」
五十鈴が眉をひそめた。
「正直……北上の態度にも、問題あり過ぎな気がするのよね」
湯呑みを持ち上げようとして中身が空なのに気付き、五十鈴は渋い顔になる。
「ゴーヤだって歴戦の艦娘よ。囮役の経験も豊富だし、今回の編成なら、初撃で敵を全滅させられなかった場合に被害担当艦をつとめる覚悟もしてたでしょう」
軽巡や駆逐艦にとって、戦闘の際にまず相手の潜水艦を潰しにかかるのは、まず最初に叩き込まれる基本中の基本だ。
これは、単に戦艦や空母が潜水艦に対して攻撃手段を持たないから、というだけではない。
夜戦まで敵潜水艦を無傷で残した場合、撃沈はおろか発見さえ困難を極めることになり、それまでどれほど有利に戦況を進めていても、水中に潜む潜水艦からの雷撃によって、戦艦だろうと空母だろうと致命的な逆撃を受ける恐れがあるからだ。
従って、対潜攻撃手段をもつ艦は、まずは最優先で相手の潜水艦を潰しにかかることになる。これは艦娘だろうと深海棲艦だろうと同じことだ。
これを利用して、潜水艦を囮役……被害担当艦にして敵の選択肢を奪う戦術は、非情の策ではあるものの有効極まりないものとして認知されていた。
当然、伊58自身だけでなく北上もそれは承知していたはずだ。
「戦う以上、今回みたいに味方に損害がゼロって結果になる方がむしろまれよ。ましてや、あんたは今回が初の旗艦拝命。大事に至らずに済んだ以上、反省すべき部分は反省するとしても評価すべきところは評価して、戦訓として次に生かすことを優先すべきでしょうに。あの馬鹿、何を焦ってんだか……」
急須から湯呑みにすっかりぬるくなったお茶を注いで一気に飲み干すと、五十鈴はちゃぶ台の上に、どん、と湯呑みを置いた。
「まあ、あたしに言わせりゃどっちもどっちね。取りあえず、今度会った時にでもあんたから謝っときなさい。それできっと、万事解決するわよ」
阿武隈の落ち込んだ雰囲気を振り払うかのように、明るい声で気楽な台詞を五十鈴は口にする。
「うん……」
――その時、部屋のドアをノックする音がした。
「誰?」
五十鈴の声に応えるようにドアが開く。
そこに立っていたのは、意外な人物だった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……突然お邪魔してごめんなさい。……入らせてもらうわよ」
「大井さん……!」
北上の相棒をつとめる茶髪の艦娘は二人の返事を待たずに入室し、ちゃぶ台の上に広げられた机上演習盤をちらりと見た。
「……どうやら、今回の阿武隈さんのミスについては、もう察しがついていたようね」
大井が呟く。
「……言っとくけど、あたしは何もアドバイスしてないわよ? 阿武隈はちゃんと自分一人で答にたどり着いたわ」
「……そう」
大井は興味の薄い顔で五十鈴に応えると、阿武隈に向き直り、睨みつけた。
「……北上さんが、あなたの教導を降りると言ってきたわ。あなたいったい……北上さんに何をしたの?」
ガタンと音を立てて阿武隈と五十鈴が立ち上がる。
「そんな……!!」
「ちょっと待ってよ! それ、どういうこと!?」
阿武隈と五十鈴の表情が激変した。
後悔と罪悪感に顔を歪める阿武隈と、怒りに激昂する五十鈴。
「あたしのせいだ……あたしがあんな酷いこといっちゃったから……」
「ちょっと、大井! それ本当なの!? いくらなんでも……!」
大井はどちらの言葉にも取り合おうとせず、阿武隈の正面に立つ。
「……主張したいことや言いたいことはあるかも知れないけど……それはいったん置いといてちょうだい。まずは話して。何があったのか、あなたが何を言ったのか――脚色とか言い訳とか抜きで、一言たりとも漏らさずにね」
※ここまでが北上さまの不可解な態度の理由の半分
※けど核心は他のところにあります