【完結】艦隊これくしょん ~北上さんなんて、大っ嫌いなんだから! ~ 作:T・G・ヤセンスキー
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「……そう。事情は把握したわ。いつかはこういうことになるんじゃないかと思っていたけど……最悪のパターンにも程があるわね」
大井は、深々と溜め息をついて立ち上がった。
「とにかく、こうなってしまった以上はどうしようもないわ。……五十鈴。
言い捨ててそのまま立ち去ろうとする大井の手首を、五十鈴ががしりと掴んで引き止めた。
「ちょっと待ちなさいよ。……自分勝手な言いぐさにも程があるじゃない」
「……離しなさいな」
ひどく静かな声で大井が五十鈴に向かって告げる。
「いいえ。あんたがちゃんと説明するまで帰さないわよ。……あんた達、あたしの妹を何だと思ってんの?」
五十鈴も怯まず睨み返す。
「確かに自分のミスを棚に上げて暴言を吐いたのは、阿武隈が馬鹿だったかも知れない。……けどね、北上の態度にだってあたしは頭に来てんのよ。だいいち、たった一度のミスで教導降りるだなんて、そっちの方がよっぽど無責任じゃない!」
ぎりっ、と大井の手首を掴む手に、五十鈴が力を込めた。
「……ことと次第によっちゃ、あんたを叩きのめして、北上のとこに直談判に行ったっていいんだからね?」
五十鈴と大井の間に目に見えない火花が散る。
一瞬、大井の瞳に不穏な光が宿り――
「……あ、あのっ!」
──張り詰めた空気を破ったのは、阿武隈の声だった。
「……あたしも納得できないです! 今回の件、あたしが悪かったのはよくわかったけど! 謝る機会も挽回のチャンスも貰えないままこれでおしまいだなんて、あんまりです!!」
大井の目が阿武隈を見た。
何かに迷うようなしばしの沈黙の後、大井は剣呑な気配を納め、身体の力を抜いた。
五十鈴に掴まれていない方の手をあげて溜め息をつく。
「……わかったわよ。話をしたからといって、何も変わらないかも知れないけどね。……取りあえず五十鈴。その手を離して、お茶を淹れてもらえるかしら? ――多分、長い話になると思うから」
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「……何からどう話したものかしらね……」
大井は出されたお茶にひと口だけ口をつけ、ぽつりぽつりと語り出した。
「……まず、最初にはっきりさせておくけど、今回の件に関して、私に阿武隈さんを責めるつもりはないわ。ミスの件を勘定に入れたとしても、阿武隈さんはよく頑張ったと思う。これは提督も同じ意見よ。誇っていいわ」
そう聞いても阿武隈や五十鈴の表情は晴れない。
「ただ、北上さんには……それでも満足できなかったのよ」
「……それが解んないってのよ。教導として、北上は阿武隈に、随分と目をかけてくれてた。普通以上に厳しく接して、よく鍛えてくれてたと思う。むしろあたしは感謝してたくらいよ」
五十鈴の声は険しい。
「……けど、たった一度のミスも許せないだなんて、そりゃあんまりじゃない? 新人だなんて甘えるレベルはとうに過ぎてるにしても、出撃艦隊の旗艦としては、今回が初の実戦任務。それを……」
言いつのろうとする五十鈴を、大井は片手をあげて制した。
「……誤解しないで。北上さんが許せなかったのは、阿武隈さんのミスについてじゃないわ。……確かに厳し過ぎる物言いはしてたみたいけど、阿武隈さんが気付いて反省したのなら、それについては、きっと北上さんも許してたでしょうね」
「じゃあ何よ。死ねとか沈めとか、暴言吐いたからだって言うの? そんなもん、教導やってりゃいくらでも浴びる言葉でしょ? ……なに今さら繊細ぶってんのよ」
新人を指導する教導艦は、怖れられ、嫌われ、憎まれるのが仕事のようなものだ。むしろそれくらい厳しく接しなければ、後輩艦娘を育てることなどできはしない。
特に、血の気の多い駆逐艦などが面と向かって反抗してきたり、半ば本気で殺害予告してきたりするのは、一度でも教導艦をつとめた経験がある艦娘ならば通過儀礼とさえ言えた。
「それに比べりゃ、阿武隈の暴言なんて可愛いもんよ。むしろここまで、殺してやるの一言が出なかっただけでも特筆ものね。だいたい……」
「お姉ちゃん、ちょっと黙ってて」
阿武隈は――小さな声で、しかしはっきりとそう言った。
不承不承、五十鈴が矛先をおさめる。
「……何か理由があるんですね?」
阿武隈はまっすぐ大井と視線を合わせる。
「教えて下さい。多分あたしは……あたしだけは、知らなくちゃいけない気がする」
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「……そうね。少なくとも阿武隈さん……あなたには、知る権利があると思う」
大井はちらりと五十鈴の顔を見たものの、何も言わずひとつ溜め息をつき、表情を改めた。
「ただし――今から話すことは、私と提督しか知らないこと。……絶対に他言しないと誓ってちょうだい」
阿武隈と五十鈴は視線を交わし、深く頷いた。
「……と言っても、説明しづらい上に、信じてもらえるかどうかも怪しい話ではあるんだけど……」
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「……まず、核心について話す前に、はっきりさせておかなくちゃいけないことがあるわ」
大井は言葉を続ける。
「確かに阿武隈さんは、今回ミスをした。それについて北上さんが……相当に失望したのは確かよ」
その言葉に、阿武隈が俯く。
「ただね……はっきり言って、これは北上さんが阿武隈さんに、無理な期待をし過ぎていたせい。これについて阿武隈さんは悪くない。むしろ……北上さんこそが責められるべきなんでしょうね」
大井の表情は苦い。
「結局のところ、教導を降りるなんて言い出すくらいに北上さんが思いつめた決定的なきっかけは……阿武隈さんの最後の言葉」
阿武隈の肩がぴくりと揺れる。
「わざわざ自分から招くような発言をしておいて、とさえ言えるかも知れないけれど――――北上さんは……とても傷ついたのよ、阿武隈さん。あなたが思うより……多分、自分で思ってたよりも、ずっと、ずっと深くね」
「どうしてそんな……」
「あなたは……あなただけは、何があってもそんな言葉を吐かないはずだって……北上さんはそんな風に信じきってしまっていたから」
あなただけは、という言葉が胸に刺さり、阿武隈は目を伏せる。
「……けどね、阿武隈さん。北上さんが耐えられなかったのは、あなたが吐いた暴言そのものじゃないの。……そんな言葉をあなたに吐かせてしまったのが、他でもない自分自身なんだっていう事……それが、自分自身が、どうしても許せなかったのよ」
うつむいていた顔を阿武隈が上げた。
「それって……。どうして、そんな……」
淡々とした静かな声で、大井が告げる。
「……だって阿武隈さん。あなたは北上さんにとって――」
痛みをこらえるような表情で、言葉を続ける。
「――憧れそのものだったんだもの」
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大井の言葉に、阿武隈は混乱した。
「……え?」
――どういう意味だ。
――そんなはずがない。
――目指して、追いかけて、憧れたのは、いつだって自分の方で……
「……ううん、正確に言うなら、北上さんが憧れたのはあなたじゃない。『あちらの世界』にいた時のあなた……軍艦だった時の【軽巡・阿武隈】なのよ」
苦いものを飲み込むような苦しげな声で大井が続ける。
「北上さんは……『あちらの世界』にいた時に、強く、激しく、【軽巡・阿武隈】に憧れたの。そして……今も、憧れ続けているの」
「何、どういうことよ、それ……」
理解に苦しむ表情で五十鈴が呟く。
「……五十鈴。私たち艦娘は、『あちらの世界』で『あの戦争』を戦った軍艦の生まれ変わりのような存在……そうよね?」
「……まあ、そうね。真実かどうかはともかく、少なくともあたし自身はそうとらえてるわ」
何を今さら、という顔で五十鈴が応える。
「そして、物言わぬ……意志持たぬ鉄の塊だった私たちは、この世界で艦娘として生まれ変わって――そこで初めて、自我を持った生身の存在として、意志を、感情を、心を持った……そうよね?」
訳もわからぬまま、阿武隈が頷く。
「……でもね。北上さんは違うの。そうじゃなかったの」
大井の顔には、今にも泣きだしそうな子供のような表情が浮かんでいた。
「あの子は……北上さんは、艦娘として生まれ変わる前、『あちらの世界』で【軽巡・北上】として生きていた頃から、意志を、感情を――心を持っていたのよ」
※次話、核心。