【完結】艦隊これくしょん ~北上さんなんて、大っ嫌いなんだから! ~   作:T・G・ヤセンスキー

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16 それはきっと間違いなんかじゃない

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ……もしもその場に別の誰かが居合わせていたとすれば、その目に映るのは、さぞや一方的な光景だったろう。 

 

「ぼーっと突っ立ってんじゃ、ないわよっ!」

 

 何度も殴られる。

 殴られ、胸ぐらを掴まれ、突き倒される。

 

「かかって、来なさいよっ!」

 

 倒れては引き起こされ。

 

「やり返して、来なさいよっ!」

 

 立ち上がってはまた殴られる。

 

 制服は泥と雨水ですっかりまだらに染まり、お下げの片方はとうに解けてしまっている。草の切れ端や小石混じりの土が、頬と言わず身体と言わずへばり付いて酷いありさまだ。

 

 しかし北上は、その痛みや衝撃を、どこか遠く、冷めた感覚で、淡々と受け止め続けていた。

 

 ──思えば北上は、この場に阿武隈が現れた時、心のどこかでまたしても期待……いや、依存しかけていたのだろう。

 

 ひょっとしたら、阿武隈ならば、どうにかして自分を救ってくれるのではないかと。

 そこまではいかずとも、阿武隈ならば、自分の気持ちを汲んでくれて、いつかは許してくれるのではないかと。

 いつかはまた……元のように話せる関係に戻れるのではないかと。

 

 ――そんな都合のいいこと、起こるはずがないのに。

 あまりの自分の度し難さに、吐き気よりも先に薄笑いがこみ上げてくる。

 

「……何へらへら笑ってんのよ」

 

 阿武隈の怒りはおさまらない。まだおさまっていない。

 

 ならば……立たなくては。

 

「何でやられっぱなしなのよ……! 何で殴り返して来ないのよ……!」

 

 立ち上がるのはこれで何度目だったか。工廠の壁に手をついて立ち上がり、ふらつく足に力を込める。

 

「そりゃ、だって、さあ……」

 

 手の甲で口元を拭えば、ぬるりとした鼻血の感触。

 

「――これくらい、されて当然だって思うしさ」

「ばっ……!」

 

 阿武隈の顔が青ざめた。小さな拳を握り締め、わなわなと震える。

 

「馬っ鹿に……すんなあっ!!」

 

 阿武隈の拳が頬に突き刺さり、北上は後ろに吹き飛ばされた。よろめきながら数歩ほどたたらを踏んで……結局踏みとどまれず、水溜まりにばしゃりと尻餅をつく。

 殴られ続けた痛みよりも、スカートや下着に染み込む泥水の冷たい感触が不快だった。

 前方では、拳を振り切った体勢のまま、ふーっ、ふーっと毛を逆立てた猫のような怒りの形相で、阿武隈が肩を大きく上下させている。

 

「……気が済むまで殴りなよ」

 

 自暴自棄な気分を自覚しながら北上は阿武隈を見上げる。

 

「あんたにゃその権利がある。後腐れないよう、気が晴れるまで、念入りにあたしをぶちのめして……それで終わりにしたらいい」

「……まだそんな寝ぼけたこと言ってるの?」

 

 阿武隈の顔が険しくなる。

 

「ムカついたんでしょ? 当然だよ。無理ないよ。……あたしなんかが勝手に期待して、無理やりあんたに関わったりしなきゃ、こんな嫌な思いせずに済んだんだから……」

「あああっ、もうっ!」

 

 いらだたしげな叫び声が、それ以上の北上の言葉を遮った。

 

「解ってないっ! そうじゃないっ! そんな事、言ってないっ! 全然! なんにも! 解ってないっ!!」

 

 北上の言葉と雨粒を振り払うように阿武隈が地団駄を踏む。細い腕から、頬から、雫が飛び散る。

 

「何で解んないのよ! どこまで馬鹿なのよ! 解ってよ!」

「いやだから、悪かったって……」

「謝るなああぁっ!」

 

 駆け寄る勢いそのままに両手でどんと突き飛ばされ、押し倒される。

 阿武隈は押し倒した北上に馬乗りになると、制服の襟を両手で掴んで引き起こし、顔を近づけて無理やり視線を合わせた。

 

「謝って欲しいんじゃないっ! そんな事反省して欲しいわけじゃないんだよっ! 何で、何でそれが解んないのよっ!?」

 

 燃えるような瞳に大粒の涙が浮かんでいる。

 噛みつくような声が激情に震えている。

 北上は混乱した。

 

「なに、なんだってのよあんた、意味解んない……」

「解んないのが悪いっ! 解んない北上さんが悪いっ!」

 

 無茶苦茶だ。元々血の気が多く、激昂(げっこう)しやすい(たち)ではあるが、これではまるで駄々っ子だ。

 理解の及ばぬ北上に苛立ちを抑え切れぬように、阿武隈が言葉を浴びせる。

 

「何で謝るのよ! 何を謝ってんのよ!」

 

「何を……って、そりゃ、あんたに勝手な期待を押し付けて……」

 

「それのっ!!」

 

 

 振り絞るような阿武隈の叫びが、北上の言葉を叩き斬る。

 

 

「それの、何がっ! どこが悪いってのよっ!」

 

「…………え」

 

 

 ――頭を、がつんと殴られたような気がした。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 ――自分は阿武隈に、勝手な幻想を押し付けて。

 

「いっぱい、期待してくれたじゃないっ!」

 

 ――身勝手な期待のために、過剰に訓練や責任を押し付けて。

 

「ずっと、鍛えてくれたじゃないっ!」

 

 ――【軽巡・阿武隈】への身勝手な憧れを、【艦娘・阿武隈】に一方的に重ねて。押しつけようとして。

 

「あなたが、あたしじゃなくて! 【軽巡・阿武隈】しか見てなかったのには、ムカつくけど! 許せないけど! ……でも、憧れて! 目指して! 追いかけたのは、あたしだって同じなのに! 何も変わらないのに! それも全部、間違いだって言うの!? ウソにするの!?」

 

 がつん。がつんと。拳以上の衝撃で。

 阿武隈の言葉が、北上の頭を揺らす。

 

「今までなに見てたのよっ! あたしを見てよっ! 今あなたの前にいる、あたしを見てよっ!! あなたが鍛えて、あなたが育てた、今のあたしを見なさいよっ!!」

 

 言葉を叩きつけられるたびに、じわじわと胸に染み込んでくるものがある。

 

「あなたに負けたくなくて頑張ったのに! あなたに勝ちたいから強くなったのに! それをあなたが! 諦めろって、間違いだったって、終わりにしたいって、そう言うの!?」

 

 身体を揺さぶられるたびに、ぼろぼろと心の中で剥がれ落ちていくものがある。

 

「ふざけないでよっ! 馬鹿にしないでよっ! あなたの後悔? 罪悪感? そんなの、関係ないっ! 知ったこっちゃないっ! だって、それはもう、とっくの昔に! あなたのじゃなくて……あたしの夢になってるんだから!」

 

 

 ――ああ。そうか。

 

 

 北上の中にあった何かが、ようやく、すとんと腑に落ちた。

 

 ――焦がれる程に憧れて。狂おしい程に追い求めて。

 

 ――それを押しつけようとしたことは、確かに自分の我が儘(エゴ)だったとしても。

 

 ――あの日抱いた憧れが、輝きが。阿武隈(アイツ)に求めたあの姿が。阿武隈(コイツ)が求めようとするその姿が。

 

 ――間違いであるはずがない。間違いにしていい訳がない。

 

 

 北上の額に自分の額を押し付けるようにして叫び続ける阿武隈の声が、姿が、自分と重なる。かつての自分と重なり合って、錆びた心に火を点す。

 

 

「好きなだけ期待して、夢見たらいいじゃないっ! その程度っ! あなたが憧れた【阿武隈】程度っ! 目じゃないくらい凄い艦娘に、すぐにあたしがなってあげるわよっ!」

 

 

 ……勝手な憧れを押し付けて、傷つけたのだと思っていた。

 

 ……理不尽な期待や重圧を負わせたことを、責めているのだと思っていた。

 

 ……夢からは早く醒めるべきなのだと。諦めて、忘れて、無かったことにしてしまうのが一番なのだと思っていた。

 

 

 ――なのに、こいつは。

 

 ――憧れを、期待を、夢を勝手に押しつけたことではなく。

 

 

「だから、あたしがあたしに――『阿武隈』になるところを、ちゃんと見ててよっ!」

 

 

 ――それを勝手に捨て去ろうとしたことにこそ、激しい怒りを燃やしている。

 

 

「今はっ! まだ、全然だけどっ!」

 

 

 阿武隈の拳が、何度も何度も胸を打つ。

 そのたびごとににじわじわと、腹の中に熱が広がる。溢れ出して、燃え上がって、身体中を駆け回る。

 

 

「すぐに、追いついて、超えてみせるわよっ!」

 

 

 視界がクリアになり、頭が急激に冴えてくる。さっきまでまともに見れなかった阿武隈の姿が、今ならはっきりと目に映る。

 

 

「あなたが【阿武隈】に憧れたみたいに……! あたしはあなたに――北上さんに憧れたんだからっ!」

 

 

 ――ああ、そうか。

 

 ――だったら、あたしは。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「わかった……よ! 阿武隈あぁっ!!」

「きゃうんっ!」

 

 のしかかる阿武隈の襟を掴み返してバランスを崩したところに、顔面への頭突き。子犬のような悲鳴をあげて阿武隈がのけぞる。

 相手の手が緩んだところで互いの身体の間に曲げた足を差し込み、思いっきり蹴りはがして立ち上がる。

 

「あいっ……だあぁーっ……」

 

 尻餅をついた阿武隈は両手で鼻を押さえて涙目になっているが、知ったことじゃない。

 

「よーくもまぁ……好き放題やってくれちゃったよねえ」

 

 いやほんとに。頭はくらくらするし、髪はぐしゃぐしゃ。制服はずぶ濡れの泥まみれ。身体中があちこちずきずき痛むし、口の中には鉄臭い血の味。

 

 

 ……だけどこいつが。阿武隈が。自分の『阿武隈』を見せつけると言うのなら。

 

 あたしの『憧れ』なんか、すぐに超えて見せると言うのなら。

 

 あたしなんかを『憧れ』なのだと、まだ思ってくれていると言うのなら。

 

 

 ――あたしだってこれ以上、こいつにぶざまな『北上』を見せられない。

 

 

「かかって来い? やり返して来い? ……上等じゃんか」

 

 顔にこびりついた血と泥を制服の袖で拭い去り、両の足で濡れた地面を踏みしめて、血の混じった唾を吐き捨てる。

 

「……ここまではハンデでくれてやったけどさぁ。こっから先は、そうはいかないから」

「なによ。……急にそれらしくなってきたじゃない」

 

 ……ああ、身体が熱い。

 ……燃え上がる血が、熱が。こみ上げてくる激情が。全身を滾らせ、高ぶらせ、沸騰させる。

 

 

 ――ずっと。ずっと。

 

 いつか誰かに救われたいと、そう思っていた。

 

 絶対に自分は救われないんだと、そうも思っていた。

 

 でも、そうじゃなかった。救われる必要なんて初めからなかった。

 

 無念もある。後悔もある。罪悪感もある。抱えこんだ記憶と想いをこじらせて、やらかした部分も確かにあった。

 

 だが、それがどうした。

 

 それがあったからこそ、今の自分がいる。それがあったからこそ、今目の前のこいつがいてくれる。

 

 

 だから、さあ。背筋を伸ばせ。胸を張れ。不敵に笑って、拳を握れ。

 

 それができる相手がいることが。それができる自分がいることが。

 

 ――それが今、たまらなく嬉しい。

 

 

「……そんじゃあ、今から第二ラウンド、いってみよ―かぁっ! 当然付き合えるよねぇっ、阿武隈ぁっ!!」

「望むところよっ!!」

「いいねえっ、しびれるねえっ!!」

 

 

 ――だから告げよう。伝えよう。全身で、拳で。

 

 ――照れ臭いから、絶対口には出さないけれど。

 

 ――ごめんねじゃなくて、この言葉を。

 

 

 

『…………ありがとね、阿武隈』

 

 

 




※次回、最終話

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