【完結】艦隊これくしょん ~北上さんなんて、大っ嫌いなんだから! ~ 作:T・G・ヤセンスキー
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……あ゛う゛ぅ……身体中がいだいよぉ……五十鈴お姉ちゃぁん、いっそ、いっそひと思いにごろじでぇ……」
「今日はまた……ずいぶんと絞られたみたいねぇ」
軽巡寮の三人部屋。
三段ベッドの下段で疲労と打撲と筋肉痛とに呻いている妹を見て、五十鈴は苦笑した。
「あの人絶対、あたしを合法的に殺す気なんだと思うの……」
部屋に戻ってシャワーを浴びた後、いつものように髪を念入りにドライヤーする気力もなく、部屋着に着替えるなりベッドに倒れ込んだ阿武隈である。
「……あー、あたしも、大井さんに教導についてもらってた時、そう思ったなー。てゆーか阿武隈ちゃん、おへそ出てる」
ベッドの脇から覗きこんできた鬼怒が、手をのばして阿武隈のわき腹をつんつんとつついてくる。
「ひゃうんっ!? ……って、あだだだだぁ」
悲鳴をあげて鬼怒の手をはねのけようとする阿武隈だが、その動きさえ全身の痛みでままならず、うーうーと呻くばかりである。
「……やめなさいっての」
丸めた雑誌で鬼怒の頭をぽかりとやり、五十鈴は阿武隈の部屋着の裾を直してやった。
教導艦といっても、北上自身、秘書艦としての業務や出撃、演習等もあるため、毎日つきっきりで阿武隈の指導に当たるという訳ではない。
座学にしろ実技にしろ、新しく着任した艦娘の訓練は数人のベテランがローテーションを組んで、得意分野ごとに持ち回りで行うのが基本である。
ただ、週に一日程度だが北上が身体を空けられる日もあり、そうした日には朝から晩まで足腰たたなくなるまでしごかれるのが常だった。
「明日が休みの日で良かったわね」
「う゛~、前回の休みも前々回の休みも筋肉痛で動けなかったから、明日こそはお出かけして美容院行こうって思ってたのにぃ……。絶対あの人、あたしの休みを潰させるためにわざとやってるに決まってるぅ……」
「被害妄想だなぁ」
鬼怒が呆れる。
「贅沢言ってんじゃないの。うちの鎮守府でも最高練度の艦娘に鍛えてもらってるのよ? ありがたいって思いなさいな」
「……だってあの人、自分からはめんどくさがってほとんど教えてくれないし……魚雷の構造とか雷撃理論に関してだけは、三時間ぶっ続けで話してたけど」
「あー……」
教官役を務める艦娘の教え方にもそれぞれに個性がある。
激しく叱咤激励する者、にこにこ笑いながら容赦なく反復練習を繰り返させる者、イラストやボードを使いながら説明する者、要所にボケを入れて笑いを取りながら講義する者……。
「大井さんとかも凄かったなー。あの人すんげーおっかないの。講義中ぼーっとしてたりすると、背中向けたままなのに、いきなり『はい鬼怒さん! 私、今、何について説明してたかしら?』とか質問してくるし。答えられなかったら舌打ちして、『……撃ってもいいですか?』とか笑顔で訊いてくるし」
何かを思い出したのだろう、鬼怒がぶるっと身体を震わせた。
「あいつは元練習艦の経験もあるから、その辺特に厳しいわよね。そのぶん、教えるのも上手いけど」
五十鈴が笑いながら応じる。
対して北上の指導は対照的だ。北上は訓練中、艦娘同士のおしゃべりなどに対しては寛容で、声を荒げて注意したり怒鳴ったりすることもほとんどない。
雷撃訓練ひとつとっても、一度手本を見せた後は「まずは自由にやってみな」とほとんど指示や説明なしにぶっつけでやらせていき、お眼鏡にかなえば終了時間前だろうと「ほい、訓練しゅーりょー。遊び行っていーよー」と解放される。
ただし、気に入らないことがあれば「はいもっぺんやり直し~」である。
どこが悪かったのか訊いても「自分で考えな」としか答えないので、下手すると一人だけ延々居残りさせられる羽目になる。
ある意味、大井が教官の時以上に気が抜けない。
「……なんかあの人、あたしに対してだけ特に点が辛い気がする……今日もあたしだけ居残り食らったし」
「それだけ期待が高いんでしょ。鍛えられたおかげで練度も上がって、早々と改造も受けられたんじゃないの。提督も褒めてたわよ、普通の軽巡よりもかなりのハイペースだって。あたしも鼻が高かったわ」
「あたしもあたしもー! 阿武隈ちゃんと同じくらいのペースで改造受けたよー!!」
鬼怒がはいはいと手を挙げるが、阿武隈の表情は晴れない。
もともと阿武隈は、着任当初の成績だけを比べるならば、長良型の姉妹の中でも特に早熟で優秀だった。
「軽巡の中に紛れ込んだオーパーツ」とまで評される一番上の姉。
阿武隈たち以上に驚異的な早さで才能を開花させ、対潜スナイパーとしては今や全艦娘の中でも突出した能力を誇る五十鈴。
夜戦火力に定評のある三番目の姉や、バランスのとれた能力と女性らしい気配りとに優れた四番目の姉。
その姉たちをも超える成績を修めたことが誇らしくて。
いつか自分も艦娘としてあの姉たちに追いつくのだと、姉たちをも超える艦娘になるのだと、その目標は高く希望は熱かった。
しかし鍛錬を重ね経験を積み、練度を上げれば上げるほど、阿武隈にとって、姉たちとの差は埋めがたく、広がる一方に思えてしまう。
――ましてや、あの人と比べると。
どうしても見劣りのする自分を思わずにはいられない。
良くも悪くも図太いというかマイペースな性格の鬼怒などは、特にそのあたりを気にすることはなかったが、その点阿武隈には、理想と現実、他者と自分を比べて落ち込むような繊細さ……悪く言えば脆さが垣間見えるところがあった。
(……だからこそ、あたしだとついつい甘やかしちゃいそうで、教導をあいつに任せたんだけど……)
五十鈴としても、それが良かったのか悪かったのかは未だ判断をつけかねるところである。
「……やっぱ、あたしじゃ無理なのかなぁ……お姉ちゃんたちみたいになるのって……」
「なーに言ってんの、阿武隈ちゃん! キスカの英雄、奇跡の艦の名が泣くよ?」
いつになく弱気な発言に、鬼怒がベッドの脇からぺしぺしと阿武隈の頭を叩いてくる。
「訓練あるのみ! ハッスルハッスル、だよ!」
「あだだっ! もぉ、鬼怒ちゃん、やめてよぉ!」
今度は五十鈴も鬼怒を止めようとはせずに、阿武隈に対してからかうような声をかける。
「そんな弱気じゃ、北上に笑われちゃうわよ?」
「別にいいもん、あんな人!!」
何かを思い出したように、いきなり阿武隈の声のトーンが跳ね上がった。
「大っ嫌い! 今日なんか、特にひどかったんだから!」
「どしたん? しごかれただけじゃなくて、また何かあったの?」
阿武隈の剣幕にやや気圧されながら鬼怒が尋ねる。
「ひっどいんだから! 今日の訓練、さんざん居残りさせといて、最後にあの人、何したと思う?
『阿武隈~、今日は結構頑張ったからさ~、これで美味しいものでも食べなよ~♪』とかって、急に猫なで声で言ってきてさ!」
声真似のクオリティが無駄に高い。
「封筒渡してくるから、とりあえず受け取ったの! それであの人が帰った後で開けてみたら……」
「開けてみたら?」
「……割り箸2本入ってた」
くっ、と鬼怒と五十鈴の肩が震える。
「……ご丁寧に、『や~い、騙されてやんの』ってメモ付き」
耐えきれずに、ぷ―っと吹き出す鬼怒と五十鈴。
「笑い事じゃないもん! ほんと、いっつもいっつも意地悪ばっか! 道歩くたんびに犬に吠えられちゃえばいいのに!」
笑い転げる鬼怒と五十鈴に、阿武隈はますますヒートアップしている。
「絶対許さない! いつか絶対凄い艦娘になって北上さんをぎゃふんって言わせてやるんだから!」
(……とりあえず、元気は出たみたいね)
笑いすぎて涙目になった目を拭いながら、ぷりぷり怒っている阿武隈を横目に五十鈴は立ち上がった。
「……とりあえず、ご飯は後で運んだげるから、あんたは寝てなさい、身体は冷やさないようにね。……あと、冷蔵庫に間宮さんのアイスが入ってるから欲しかったら食べなさい」
「ほんと!? 食べる!!」
先程までの様子が嘘のようにキラキラした表情で、阿武隈がベッドから這いだしてくる。
世にスイーツは数あれど、間宮のアイスは羊羹と並んで絶品中の絶品メニュー。文字通り疲れも吹き飛ばす美味しさだ。
「えー、なんで阿武隈ちゃんだけー? ずるいずるーい! あたしのはー?」
ほくほく顔で冷蔵庫の中を漁りだす阿武隈を指差して、鬼怒がぷぅ、と口をとがらせる。
「ひとつしかないんだから、しょうがないじゃない。……そもそも、あれ、あたしが買った訳じゃなくて、最初っから阿武隈への贈り物だからね」
「贈り物って誰からー?」
五十鈴は意味ありげな目つきで阿武隈を見ると、くすりと笑った。
「北上からよ。阿武隈が帰る少し前に、あいつが来て置いてったの」
アイスをスプーンですくおうとしていた阿武隈の手が、ぴたりと止まる。
「今日は結構頑張ってたから、ご褒美に渡しといてやってくれ、ってさ」
少しだけ悪い笑顔になる五十鈴。
「……い~い先輩もったわよねぇ、あ・ぶ・く・ま♪」
――くすくす笑いながら五十鈴が出て行った後も、阿武隈は固まったままだった。
「えーと、阿武隈ちゃん? 食べないの?」
「……」
何やら心の中で葛藤があるようだ。
「……お~い」
「う、うるさいなぁ! ちゃんと食べるわよ! 間宮さんのアイスに罪があるわけじゃないもんね!!」
「……いやそーじゃなくてあたしにも、ちょっとひと口……」
「さっき大笑いしてた人にはあげない!」
「そんな殺生なー!!」
阿武隈は、両手を合わせて拝み倒す鬼怒を無視して、スプーンを口に運んだ。
ひんやりしたなめらかな舌触りと、とろけるような上品な甘さが口の中に広がる。身体中に沁みわたって、疲れを一気に溶かしていくようだ。
(……ふ、ふんだ! こんな事でごまかされたりなんか、しないもん!)
親の仇に対するような勢いで、阿武隈はアイスをすくい取っては口に運んでいく。
「北上さんなんか……だい、だい、大っ嫌いなんだから!!」
「阿武隈ちゃぁん! お願いひと口、ひと口でいいから~~~~!!」
……非常に不本意で、腹立たしいことではあったが。
その時食べた間宮のアイスは――今まで食べてきた中でもこれ以上ない程に美味しく、身体中にしみじみと沁みわたる、格別な味わいだった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
《~幕間~その3》
――嗚呼。
――何故……自分はこうなんだろう。
――何故……あんな風になれなかったのだろう。
――あの眩しさに憧れて。
――あの輝かしさに魅せられて。
――あんな風になりたかったのに。
――あんな風で在りたかったのに。
――もう間に合わない。
――辿り着けない。
――あの高みには。あの輝きには。
――どうあがいても、もう届かないこの恨めしさ。
――嗚呼…………こんな事になるのならいっそ――――。
《~幕間~その3・了》
◆ ◆ ◆ ◆ ◆