【完結】艦隊これくしょん ~北上さんなんて、大っ嫌いなんだから! ~ 作:T・G・ヤセンスキー
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
もやのようにたゆたう、薄い霧の中。
海面を滑るように進む幾つもの影がある。
霧を透かしてよく見てみれば、その影のいずれもが、およそまともな生き物の形をしていない事が判っただろう。まるで悪夢の世界から抜け出てきたような、奇怪でおぞましい姿をした怪物たち……深海棲艦の艦隊であった。
ギシギシと昆虫のような不快な鳴き声をあげながら先頭を進んでいる、機械と人間の女性が入り混じったような歪な姿をした獣は、軽巡ホ級。その身にまとう金色の妖気が、フラグシップ級と呼ばれる化け物であることを示している。
後ろに続くのは、赤黒い妖気を全身から立ちのぼらせた、雷巡チ級エリート。人のような上半身をしているが、頭部を覆う仮面の下からは、グルグルと猛獣のような唸り声が漏れ出ている。
さらにその後ろに続くのは、猟犬のような身体に、髑髏のような頭部。その頭部の中心にギラギラと巨大な単眼をぎらつかせた、駆逐ハ級が二体。一体はやはりエリート級だ。
最後尾に従う駆逐ロ級二体は、まるで小型の肉食鯨。口中に何列もびっしり生えた牙を、ガチガチと金属音めいた音をたてて噛み鳴らす。
不意に、先頭の軽巡ホ級が何かに気付いたように速度を上げた。
――敵ガイル。敵ガイル。獲物ガイル。獲物ガイル。
――近イ。何カイル。誰カイル。潜ンデイル。隠レテイル。
――何処ニイル何処ニイル――
――何者ダロウト関係ナイ襲イ引キ裂キ殺シテ喰ラッテ沈メテヤル――
――殺サズニハ置カヌ喰ラワズニハ済マサヌ沈メズニハ居ラヌ憎イ恨メシイ妬マシイ何処ダ何処ニイル何処ダ何処ダ殺シテヤル喰ラッテヤル沈メテヤル殺ス喰ラウ沈メル殺喰沈――――
その時、遠くから聞こえてくる幽かな音に、異形の獣の頭部がぴくりと反応した。
獣の本能か、怨念めいた別の何かの感覚か。迫り来る危険の予感に、それらがけたたましく警鐘を鳴らす。
どこからか猛スピードで近付いて来る、笛の音のような甲高い音。
危険な笛の音の正体は――――遥か上空より、風を切って迫り来る落下音。
ぐるん、と、まともな生物なら骨が折れそうな勢いで首をねじ曲げて空を振り仰いだ異形の頭から、危険を報せる絶叫が発せられる。
だが、それが同胞達に届くより一瞬早く――彼らの頭上から、灼熱の槍が降り注いだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「よっしゃあっ!」
艦娘たちの艦載機によるその空爆は、密度こそ高くはなかったが、非常に効果的だった。
何本もの水柱と爆炎が連鎖して吹き上がり、周囲にたちこめていた薄い霧を吹き散らしていく。
艦列の最後尾を固めていた鯨のような二体の深海棲艦が真上から爆弾の直撃を受け、轟音と共に炎に包まれた。
怒りに満ちた砲哮が異形の獣たちの口から発せられ、空に向かって砲口が振りあげられるが――霧が吹き散らされて開けた視界にも関わらず、見上げた頭上には何もない。
彼らを襲ったのは、対空砲火の届かない高高度、約3000m上空からの爆撃であった。爆弾が着弾した時には既に、それらを落とした艦載機は空の彼方に悠々と飛び去っている。
『まずは二匹! 後衛はしとめたで!』
『霧は散ったわ! 隼鷹、第二次攻撃隊の準備はいい?』
『ひゃっはー、全機爆装済みだぜ! 汚物は消毒だ~!』
空母勢の間に景気のいい隊内無線が飛びかう。
その中で、突然の爆撃に混乱した二体のハ級が、同時に急激な方向転換をしようとした結果、互いに衝突した。
金属がぶつかり合ってこすれ合う耳が痛くなるような音に続いて、バキバキという破砕音が響く。
そこへ突き進んできた二本の雷跡が突き刺さった。轟音と共に二体のハ級は炎に包まれ、まとめて爆沈する。
『ゴーヤの魚雷はお利口さんでち!』
『阿武隈、残り二体! 砲撃戦いくよ!』
『もぉっ、北上さん! 旗艦はあたしなんだから! 勝手に仕切らないで!』
軽巡ホ級と雷巡チ級が焦りと怨嗟の声をあげた。
深海棲艦たちは、霧の中にいれば自分たちの視界も効かないかわり、万が一艦娘の艦隊と遭遇しても空爆の恐れは大幅に減らせると油断していたのだろう。
だが、発生したばかりの霧には薄い部分と濃い部分がある。
阿武隈は、あらかじめ敵の前面に伊58を突出させ、水中探信儀を備えたホ級に伊58をわざと探知させたのだ。
釣り出された敵が霧の薄い外縁部にさしかかったところで、あらかじめ索敵範囲外を迂回して敵の後背に回り込んでいた龍驤の爆戦と飛鷹の彗星一二甲が背後から強襲。敵を追い越すようにしながらの高高度爆撃を加えたのだった。
この第一次の爆撃は、ダメージを与えることは無論だが、最大の目的は敵艦隊を霧の濃い部分から追い出しながら残った霧を吹き散らし、相手を丸裸にすることにこそあった。
後ろから押し出されるように爆撃を受けた敵艦隊は霧の中に戻ることも出来ず、その身をさらけ出すことになる。そこに襲いかかったのが、伊58と北上による先制雷撃である。
相手からしてみれば、正面の獲物に飛びかかろうとしたところでいきなり後ろから蹴りを入れられ、前につんのめったところに強烈なパンチが待っていたようなものだ。
「北上さんは雷巡を! 敵旗艦はあたしが相手します! ただし、無理押しはしないで!」
『りょーかーい』
奇しくも残った敵は、自分と北上と同じ軽巡と雷巡。
だが阿武隈には余裕があった。
今回、阿武隈は、第一次の空爆を、敢えて龍驤と飛鷹のみで行わせていた。
通常、爆撃機は一度爆弾を投下してしまえば母艦に戻って爆装をやり直さない限り攻撃手段を失う。
霧の中にいる敵にいきなり全力での空爆をしかけても確実に敵を殲滅することは難しい──そう判断した阿武隈は隼鷹を後詰めに残し、敵が損害を受けて霧が晴れたそのタイミングで隼鷹を投入。本命の空爆を仕掛ける作戦を立てたのだ。
攻撃を終えた龍驤と飛鷹の第一次攻撃隊は、そのまままっすぐ母艦に帰艦。入れ違いに、今度は隼鷹の艦載機が全機発艦する。
『へへーん! ここで全力で叩くのさぁ! 行っけぇ!』
攻撃と攻撃の間のタイムラグを極力少なくしつつ、艦隊の守りを空にしないための策であった。
阿武隈と北上の仕事は、残敵を味方軽空母に近づけさせず、霧の中に逃げ込ませもせずに釘付けにすること。
だが勿論、阿武隈としても、闇雲に守りに徹する気は、さらさらなかった。
「……どこかの魚雷バカには、負けないんだから!!」
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軽巡ホ級は金色の妖気を燃え上がらせつつ、憎悪と怒りの砲哮をあげた。
忌ま忌ましい艦娘どもの奇襲に完全にしてやられた。
護衛の駆逐艦は全て落とされ、残るは自分と雷巡チ級のみ。
敵の軽巡と雷巡はジグザグに航行しながらしつこく砲撃を繰り返し、こちらは進むも退くも出来ぬ状況。
特にお下げの黒髪の雷巡は恐るべき手練れで、自分とチ級の動きを分断しつつ、確実に単装砲の砲撃でチ級の装甲を削り取っていく。
このままチ級の動きが止まれば、とどめの雷撃が叩き込まれるのは必至。
小柄な軽巡も、こちらの射程圏内ギリギリを出たり入ったりの繰り返しでお互いにダメージこそ与えられていないものの、こちらが不用意に離れようとすれば背後から痛撃を加えられるのは間違いない。
さらに絶望的なことに、その後方からは、敵の軽空母が艦載機の編隊を発艦させるのが見えた。
あれが上空に到達する時は間違いなく自分達の終わり。
もはや、全滅は時間の問題だった。
――マダダ。
――マダ終ワラヌ、マダ終ワレヌ。
――タダデハ終ワラヌ。タダデハ沈マヌ。
――カクナル上ハ――
――セメテ一隻ダロウト道連レニセズニハオクモノカ――
軽巡ホ級の金色の瞳がぬらりと光り、異形の顔に、覚悟を決めた獰猛な笑みが浮かんだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
阿武隈と一対一の同航戦状態にあった軽巡ホ級が不意に旋回し、進行方向を変えた。
阿武隈のいる方角に向けて真っすぐ突き進んでくる。
砲撃はおろか、回避のための之字運動すら一切しようとせずの、全開全速の直進航行。
「……体当たりでもするつもり!?」
阿武隈の腹の底が冷たくなった。
(だけど……逃げたりなんてしない! あたしだって、やれば出来るんだから!)
阿武隈は主機を止めて正面から軽巡ホ級に向き直った。
(大井さんみたいに片手で扱うってわけにはいかないけど……)
向かってくるホ級に20.3cm連装砲の砲口を向け、両手で照準を合わせる。
(相手の射程に入る前に、確実に仕留める!)
『阿武隈! 何やってんの、さっさと撃ちな!』
北上が隊内無線で呼び掛けてくるが、阿武隈は引き金を引かなかった。
――もう少し。もう少し近付いて来い。もう少し近付いて来れば、一撃で仕留めてやる。
『馬鹿! 阿武隈! 早く撃つの! 撃ちなって!』
北上が焦った様子で、悲鳴にも似た大声をあげる。
『ああっ、もう!』
北上は、単装砲の集中砲火で目の前の雷巡チ級の胸を貫くと、身体を捻って振り向きざまに魚雷を発射した。
ろくに狙いもつけずに放たれた魚雷は当然命中することはなかったが、雷跡を避けるためにホ級の態勢が一瞬崩れ、前進が止まる。
(……ここっ!)
「がら空きなんですけどっ!!」
阿武隈の構えた20.3cm砲が火を吹いた。
狙いはあやまたず、ホ級の首元に命中。着弾に一瞬遅れて赤黒い爆炎が吹き上がった。
ガラス窓を金属の爪で引っ掻くような耳障りな絶叫が海上に響き渡る。金切声と共に宙をかきむしり、身をよじり、のたうち回る異形の獣。
………だが、その断末魔も、長くは続かなかった。
残っていた弾薬か何かに引火したのだろう。ホ級の身体がひときわ大きな爆炎に包まれ、上半身の半ば程がちぎれ飛ぶ。同時に金切声がぶつりと止んだ。
残された身体は一瞬燃え上がる彫像のように固まった後、無念そうに片手を宙に伸ばしたままの体勢で、ゆっくりと海の底に沈んでいったのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……うぅ、せっかく気合い入れたってのに、出番なかったよ……」
しょげかえる隼鷹の肩を、笑いながら飛鷹が叩いている。
「ぷはぁ! 海の中からたっだいまー!!」
海中から、伊58のピンクの髪が飛び出して来た。
「お帰り~。ゴーヤっち、ケガはない? 破片とか降って来なかった?」
「大丈夫でち!」
「いやいや~、阿武隈、なかなかの名指揮官ぶりやったで、君ぃ!」
「あっ……ありがとうございます!」
戦闘終了後。
残敵の有無と戦果の確認を済ませて帰路についた艦隊メンバーは、和やかな雰囲気に包まれていた。
霧の発生で乱戦に陥る事態も考えられたが、終わってみれば、敵深海棲艦は全隻撃沈。こちらの損害は皆無。堂々たる完全勝利であった。
初の旗艦拝命での大戦果に、艦隊メンバーが口々に阿武隈をほめそやす。
「おめでとさんでち!」
「相手は霧を隠れ蓑にしようとしてたんでしょうけど、まさか逆にそれを利用して、前後から挟撃するとはねえ」
「あたしの活躍を見せられなかったのは残念だけどさぁ、こいつは、今後も使えるいい戦訓になったんじゃないかい?」
「せやなぁ。あくまでも、こちらの航空戦力が圧倒的な場合に限られるけどな」
「あ、はい。今回は隼鷹さんの出番はなかったですけど、一定以上の損害を与えて対空戦力を奪った後は、高度700メートルくらいからの精密爆撃や急降下爆撃が有効だと思います」
阿武隈の表情には少し複雑な色がにじむ。
対空砲火の届かない高高度からの爆撃で損害を与えた後の、精密波状爆撃。
それは、「あちらの世界」で、他でもない阿武隈自身が沈められた戦法だった。
「自分を沈めた敵の戦法に学んだんか……見かけに似合わず、ええ根性しとるんやな、君」
龍驤が神妙な顔になる。
艦娘たちにとって、過去の世界での艦船時代の記憶は、誇りの源であると同時にトラウマの源泉でもある。
鋼鉄の塊であった時代には純粋な兵器や道具として従容と受け入れられた最期の運命も、少女として、艦娘として生まれ変わった現在では、それが夜な夜な自らを苦しめる記憶になっている艦娘たちは数多い。
いや、多かれ少なかれ、それは全ての艦娘が抱えている心の傷だ。
その傷を自ら抉るような作戦を採用し、成功させた阿武隈に、龍驤は驚嘆を禁じ得なかった。
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(……それにしても)
阿武隈はちらりと後方に目をやる。
(……あの人が、あんな声出すなんて……)
往路とは違い、帰りの隊列は複縦陣で、先頭は阿武隈と龍驤。北上は伊58と共に艦隊後尾を固めている。
当然のことながら、周囲には彩雲や水観を飛ばし、索敵や周辺警戒は怠らない。
北上の気だるげな態度はいつものことだが、今日は、いつになく口数が少なく感じられた。
先ほども他の者が口々に阿武隈をほめそやす中、一人輪から離れて遠くを眺めたりあくびをしたりで、結局阿武隈とは一度も目を合わせようとしなかった。
(……何よぅ。……少しくらい、誉めてくれたっていいのに)
阿武隈としては少し不満である。
(けど……心配、してくれてたんだよね……いつもはあんな風なのに)
軽巡ホ級が特攻まがいの突撃を仕掛けてきた時の北上の叫び声を思い出す。
と同時に、旗艦に任命された時の隼鷹の言葉も。
(旗艦に推薦してくれたこと……信頼とか期待とかしてくれたことに、少しはあたし、応えられたのかなぁ……)
と、そこで自分の思考に気づいてやや狼狽する。
(なっ、何よ、あたし? あの人なんて、北上さんなんて大っ嫌いなはずなのに!?)
(……でも)
(ここまで鍛えてくれたのは確かだし……ちょっとくらい、そう、ほんのちょっぴりくらいは感謝しないと駄目だよね。でないとあたし、イヤな子になっちゃうし)
――決めた。
鎮守府に帰ったら、心配かけたことは謝ろう。
少しだけ、お世話になったお礼を言おう。
どうせついでだ、『あちらの世界』にいた時にうっかり追突しちゃったことも、この際一緒に謝っとこう。
どうせ、そっけなくあしらわれるだけなんだろうけど。
それでも――きっと、自分の中で何かは変わるはずだから。
「……なんや君ぃ、さっきから表情えらいコロコロ変わっとるけど、なんぞあったんか?」
「ふえっ!? ……い、いえっ! 何でもないです!」
隣を進む龍驤に顔を見られないよう、阿武隈は主機の回転を上げて、鎮守府への帰路を急ぐのだった。
※用語解説:之字運動……いわゆるジグザグ航行のこと。
※敵の編成は艦これ旧北方海域3-2-1に準拠。(現在のゲーム環境における編成とは違ってます)
※おや、北上さまのようすが……?