なりきり妖夢一直線!   作:月日星夜(木端妖精)

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  小話 導かれる少女

 

『そうだ、私は春を集めるために戦っていた!』

『チェックメイトだぜ、半人半霊!』

『幽々子様、私に力を……!』

 

「…………んー」

 

 人の来ない路地裏の洋服店。

 天井から吊るされた古めかしい傘付き電灯の光を頼りに大きな本を覗き込んでいた操真晴子は、物語を一通り目で追うと、一つ息を吐いて、本を閉じた。

 

「ん、んっ……はぁ」

 

 それから、大して固まってもいない肉をほぐすように腕を上げて伸びをして、ふわあ、と大きなあくび。

 んむ、と口を閉じると、たまには羽を伸ばすのも悪くないわね、と呟いた。

 そういう晴子の背には、今は着物の紅しかなく、羽などどこにもないのだが……。

 かつてあって、今はない感覚に、晴子は一度目をこすって、それから、座り直して、本を開いた。

 先程とは違う文字の並び。別のページを開けばそうなるのは当たり前だが、彼女の本は、その内容すらも変わっていた。

 遠い世界、幻想の地。その物語。

 

「……そろそろ、電車に乗っている頃かしら」

 

 頬杖をついて、退屈気に呟いた晴子の前には、近右衛門が立っている。

 近右衛門は、後ろで手を組んで、カウンターの傍にある椅子に座る事も無く、ただ、静かに晴子を見下ろしていた。

 何を言う訳でもなくいたから、結局晴子は独り言を呟いた形になってしまった。

 

 しばらく、お互い無言で、晴子は気にした風もなくページを捲りながら、ふわあとあくびをした。

 もう昼も近いのに、大した寝坊助である。

 

「……そんなに心配なの?」

 

 やがて、僅かに潤んだ瞳で、晴子は近右衛門を見上げた。

 数秒間が空き、近右衛門が静かに頷く。

 電灯に当てられた髭が、一本一本光を返して、揺れた。

 

「心配はいらないわ。あの子は死ぬ」

 

 欠片も気負いのない声で、晴子は言った。

 親しい間柄にある少女が死ぬと、まるで今まで食べたパンの枚数なんて覚えてない、とでも言うかのような声音だった。

 近右衛門が僅かに身動ぎする。少女が死ぬという言葉に反応したのだ。

 

「……死ぬの。あなたとわたしが仕向けたように」

 

 ペラリとページを捲り、文字を目で追いながら、晴子は続ける。

 

「でも、どうせ、わたし達が何をしなくとも、あの子は死ぬ。だって、そういう血が流れてるんだもの。戦う遺伝子があるんだもの」

 

 晴子は、言いながら手を止めて、近右衛門を見上げた。

 眉毛に隠れた近右衛門の両の眼をしっかり射抜くと、ふんと息を吐いて、唇を尖らせた。

 

「それはそれは、恐ろしいくらいにだわ。あなたには話したわよね? あの子の血筋の事を」

 

 ややあって、近右衛門の影が揺れる。

 晴子は満足気に頷いてから、自分の左手の中指にはまった指輪を一撫でし、口元に弧を描いた。

 

「戦う中、その一瞬一瞬であの子は進化していく。常人には理解しがたいスピードで、妖には思いつかない速度で」

 

 でも、駄目ね。

 晴子は静かに溜め息を吐くと、てんで駄目、と繰り返した。

 近右衛門は、両手を上げて『お手上げ』のポーズをする晴子を見詰めて、目だけで、理由を問いかけた。

 

「だってあの子、弱っちいんだもの。まるで成長しないの。いえ、一応、してるにはしてるけど……それは亀の歩みなの。今までで一番の遅さだわ」

 

 秒針の無い時計が十二時を指すと、古めかしい音が店内に響いた。

 

「もっと強くなって貰わなければ、わたしを楽しませる事はできないわ」

 

 お手上げのまま言う晴子に、近右衛門の眉がピクリと動く。

 聞き捨てならない、と、そう言いたげだった。

 と、晴子が片手を前に突き出して、勘違いしないでね、と言った。

 

「別に、わたしは何もしないわ。わたしは良い子になったんだもの。約束だわ。みんなの良き夢である、って。世界に満ちる夢だって。楽しむのは、悪いわたしよ」

 

 近右衛門は、小さく首を傾げて、晴子の言葉の続きを待った。

 晴子は、本を閉じてしまうと、それをお腹の前の引き出しの中に閉まって、引き出しを押し戻しながら、言ってる意味わかる? と近右衛門を見上げた。

 

「まあ、わかっててもいなくても、話は進むわ。あなたがあの子を真っ当にしたいと言うなら、黙ってあの子が死ぬのを見てなさいな」

 

 ゆらりと突き出された人差し指に、近右衛門は少しの間沈黙し、やがて、静かに口を開いた。

 

「死ぬのではない。生きるのじゃ」

「どうかしら。あいつら、執念深くて地獄の底から這い出して来るくらいだけど、あの子の心が潰れないとは保証できないわ」

 

 それに。

 言いながら、カウンターの上に手を置いた晴子が手を滑らせると、湯呑みが二つ置かれていた。

 緑の液体がなみなみと注がれ、出来立ての湯気を立ち昇らせている。

 その片方を近右衛門の方に押し出しながら、自分の分を手に取って、ふーっと息を吹きかける晴子。

 

「戦いたいのに戦えない。守りたいのに守れない。そんな状態は、果たして生きていると言えるのかしら?」

 

 近右衛門は、左右に首を振った。

 湯呑みを掴み、それを口に運んで唇を湿らせると、息を吐く。

 晴子は、黙ってそれを見ていた。

 

「……それでも、彼女には生きて欲しい」

「ただの十歳の少女として?」

「その通りじゃ」

 

 両肘をついて手を組み、それに顎を乗せた晴子は、ふふっと微笑んで、「それは無理な話だわ」と一蹴した。

 それきり、両者は口を閉じて、湯気が立ち上る中、お互いの目を覗き合っていた。

 

「……あっはは! 冗談よ、冗談!」

 

 しばらくすると、晴子は弾けたように笑いだし、たしたしとカウンターを叩いてひとしきり笑うと、目元を拭いながら、まあ、道はあるわ、と言った。

 

「その道を示すのは、あなた。その道を案内するのは、主人公。その道を共に歩くのは……ヒロイン、と言った所かしら?」

 

 小首を傾げて、艶やかな長髪を揺らすと、晴子は、回転椅子をキイと言わせて近右衛門に背を向け、椅子から飛び降りた。

 カウンターより少しだけ背の高い彼女は、近右衛門から見れば、ほとんどカウンターの内に隠れてしまった。

 それが、壁際の棚まで歩いて行くと、おもちゃ箱を漁り、小さな機械を取り出した。

 晴子の小さな手では少しばかり包み込めないくらいの大きさの機械。形状は、四角に近く、突起は黒、上部分はオレンジ、そこから下は黒で、前部分に、数字の1が描かれていた。

 それはあたかも何かのスイッチのようで、事実、それは未知の力を秘めたスイッチだった。

 椅子の上によじ登り、それを近右衛門に良く見えるように持ち上げた晴子は、これよ、と囁いた。

 

「これが……って訳でもないけど、まあ、大まかに言えば、これがあの子の助けになるわ」

「それが……どんな風にかの?」

 

 ううん。

 晴子は首を振って、だから、これ自体じゃないんだけど、と説明した。

 

「忌々しい蛮族の……じゃなかった。えっと、えーと、あの、女の子が、あー、言ってもわからないわよね。うんと、」

 

 口元に手を当ててんーと唸る晴子を前に、近右衛門は、とにかく、助けがあるのだろうと一人納得した。

 疑いはない。友人である晴子を疑うという発想は、近右衛門には無かった。

 かつて一夜の夢――それは本当にただの夢でしかなかったが――を見せてくれた彼女への、近右衛門なりの誠意だった。

 

「もーいいわ、説明するの面倒くさい。どうせ一年もせず終わるのよ。色々動いて、どーんよ。おしまい」

 

 心底面倒くさげに腕を振って、後ろのおもちゃ箱にスイッチを放り投げた晴子は、大きく息を吐いて、それにね、と付け加えた。

 

「あの子の持つ剣があれば、大抵はどうにかなるはずよ。だってあれは、あの子の性質と似通っているから」

 

 妖夢の持つ刀――もちろん、楼観剣と白楼剣ではない――、妖夢にしか見えない幽々子に渡された剣。

 名を、長刀桜月(ろうげつ)、短刀霧雨の弓と言う。

 幽霊十匹分の殺傷力の代わりに、振る度に蓄積する力と、研ぎ澄まされて行く意識。

 迷いを断つ代わりに、魔法その他に反応して奪い、溜め込み、解き放つ力。

 滅多な事では折れないその刀は、妖怪が鍛えた剣と言う点では同じだった。

 

 湯呑みをずらしてカウンターに体を投げ出した晴子は、息を吐くのと同時に、まあ、と気の抜けた声を出した。

 

「素手より武器を持った方が強いなんて、それこそあの子が弱い証拠なのよね」

 

 それは、どういう意味だろう。

 一瞬疑問に思った近右衛門だったが、どうせそれも、晴子の敵とやらの特徴なのだろうと判断して、聞き返したりはしなかった。

 湯呑みを持ち上げて口に運んだ近右衛門は、しかしそれでも、やはり妖夢の事が心配だと思った。

 幾度も、酷く傷つくだろう。晴子の言う通り、途中で潰れてしまわない保証はどこにもない。しかし、やめる訳にはいかない。今やめてしまえば、彼女は血濡れた十代を送る事になってしまう。

 

 頭の中で色々考えた近右衛門は、一度大きく首を振って、いや、と口に出した。

 

「お茶よりコーラとかの方が良いって?」

「そんな事は言っとらんよ。お茶最高じゃ」

 

 茶化す晴子に軽い声音で返した近右衛門は、何も心配するのは妖夢だけではない、と思い直した。

 親書を持ったネギしかり、孫の木乃香しかり、クラスメイト達しかり。

 

 教育者として、道を踏み外している子供に手を差し伸べる事は重要だが、一人だけにかかりきりになる訳にもいかない。それに、してはいけない事なのだ。

 しかしそれでも心とはままならないもので、どうしても妖夢の事が心配になってしまう近右衛門だった。

 

「……あなたがあの子に死んで欲しくないと言うなら、手を引くけど」

「……良い子になったのではなかったのかの?」

「あら。良い子よ。あなたの事を考えて言ってるんだもの」

 

 面白がるような晴子に、諌めるように近右衛門が言うと、晴子はくすくす笑いながらそう返した。

 物は言いようじゃな、と近右衛門は呟いた。

 それから、無邪気に笑う晴子が急に可愛く思えて、その頭をぽんぽんと叩いた。

 次の瞬間には、その腕は晴子に弾かれていたが。

 

「……あのね、気安く触らないで貰える? 穢れるわ」

 

 一転して底冷えのするような声で、睨みつける晴子。

 

「……手厳しいのう」

「嫁入り前の女の子に気安く触るからいけないのよ。わたしに触れていいのは……わたしの好きな人だけよ」

 

 割と本気で傷ついた近右衛門が呟くと、手で髪を梳きながら、晴子は怒り顔で言った。

 ワシの事は好きでない? と近右衛門が聞くと、大っ嫌い! と舌を突き出す始末。

 しかし、それが逆に微笑ましくて、近右衛門の胸中に暖かいものが吹き込んだ。

 うむ、と頷くと、これが噂のつんでれと言う奴かの? と、わざとらしく声に出して言った。

 

「誰がよ、勘違いも甚だしい。孫に嫌われる悪夢でも見せてあげようかしら?」

「おお、それは困るの~。しかしそんな事したら、好きな人とやらに嫌われてしまうのではないかの?」

「……今日の所は見逃してあげるわよ」

 

 悔しそうに拳を握り締めて顔を赤らめる晴子の姿に、こうしてやり込められるのは大変珍しいと、近右衛門は上機嫌で髭を撫でつけた。

 

 しかしその笑顔の裏では、妖夢の未来が良いものであるようにと、強く真剣に祈っていた。

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