そろそろバラバラにできる相手が欲しい。
次は29日の朝か夜に投稿予定。まだ書いてないけど。
誰もいない浴場で、空を見上げていた。
外に設えられたお風呂……露天風呂。
吹き上げられた湯気が揺らめいては消え、また立ち上る。
肩まで浸かった湯の熱にほうと息を吐けば、それもまた、白かった。
ぱしゃりと湯を跳ねさせて手を挙げ、頬に熱いのを擦りつける。
「きもちい……」
自然と、声が出た。
水面を撫でる風が涼しくて、体はあったかくて。体を預ける石は冷たい。
目を細める。
お風呂は、結構、好きだ。
疲れとか、色々なものが湯に溶けて、今だけは何も考えなくていいから。
それに、さっぱりする。
湯を掬い、零す。ぱしゃぱしゃ落ちるお湯の半透明が、何か知っている物に見えて、でも、思い出せない。
……どうでもいい事だから、思い出す必要も無いんだけど。
ちょいと腕を上げ、顔の前に手の平を広げる。
白い。ちょっと、白い。
どこにも赤は無い。
その事に安心して、手を胸に抱く。
……なんでこんな事に安堵しているのかわからない。手が赤くないのは当たり前だ。
でも、現に私は安心していて……ああ、何に安心しているのかなんて、どうでもいい。
大丈夫だ、って、先生が言ってた。
先生が言うなら、それは本当に大丈夫なんだろう。
湯の中で手を泳がすと、改めて感じる熱さに、むず痒さを覚える。
腕の熱にか、湯に包まれる体にか、先生が私の好きは親愛の気持ちだとか言っていたのを思い出す。このかへの気持ち。
親愛。いくら考えても、それと普通の好きとの違いがわからない。
でも、違うと否定されたなら、きっとそれは違う。
じゃあ……何?
違うと、何かあるの?
わからない。
そういうのを、あまり深く考えた事が無かった。
今までは、答えは全部最初からあったのに。
ここに来てから、わからない事ばかりだ……。
手を前に伸ばす。手の平を、湯に浸かるか浸からないかくらいに浮かせて、水面をゆっくり撫でる。
小さな波が二つ……三つ。遠くまで広がって行って、消えた。
こそばゆい。
この感じ……もどかしいの。それが、最近ずっと続いているようで……無くしたいのに、無くせない。
わからない事なんて、思い切り体を動かして知れれば良いのに。
……あ、そうだ。
思い立って、静かに立ち上がる。胸や腕を滑り落ちて行った水滴が湯船に落ちて、雨音みたいに鳴った。
「斬って、知ろう」
小さく呟いたつもりの言葉は、一人きりの浴場に、思いのほか響いた。
真実は斬って知る。その教えが、私に答えを示してくれる。
斬る相手は……このかの敵がいる。そいつらを斬れば、きっと、今私のわからない事なんて、全部無くなるんだろう。
敵。二つの刀を持った、あの女。
このかに似た口調の剣士の姿が湯けむりの中に鮮明に浮かび上がる。
何度も刀を打ち合わせ……危うく殺される所だった。
負けたのは悔しい。一太刀も浴びせられなかったのは悔しい。
でも……楽しかった。
刀を通して伝わる衝撃に手が痺れて、今にも斬られそうな雰囲気とか、いつでも斬れる距離感。
言い知れぬ高揚が、突き破りそうなほど内側から全身を刺す、あの感覚。
思い切り体を動かして、自分の全部をぶつけられる時間。
斬れなくても楽しい。
それなら、あの女を斬れたらもっと楽しいんだろうな。
暗い空を見上げながら考えていて、肌寒くなるのに、上がろう、と呟いた。
濡れた髪が頬に張り付いていた。
◆
「どーすんのよ、こんなにカード作っちゃって! どう責任取るつもりよ!」
朝食をとり、食後の休みの時間。
先生の後について歩きながらぼーっとしていると、またこの場所に来た。
脱衣所を出てすぐの場所。部屋の隅に、長方形の椅子が四つ繋がって四角を作り、中心に古めかしい傘がそびえ立つ憩いの場。
先生の隣に腰かけ、膝に手を置いて、昨日背を預けていた自動販売機の明かりを眺めていると、目の前……正確には、先生の前で、アスナが両手にカードを広げた。
片手に一枚、もう片方に五枚。
あうあうと焦る先生に目をやって、それから、カードを見やる。
お札みたいなカードの表面には、クラスメイトの姿があった。
ノドカと……なんか、小さい鳴滝姉妹に……後は、重なっていて、誰かはわからない。
これらは先生が作った物なのだろうか。そういう魔法があって、でも、それはいけない事だから先生は怒られてる?
話を聞きながら、自分の中で整理する。
……そうしてないと、ぼーっとする以外にする事が無い。
とりなそうとしたアサクラさんとカモ君を一喝したアスナは、次には、私には理解できない事をぺらぺら話し出した。
本屋がどうの、マスターカードがどうの。
アスナの言葉をセツナが補足した事から、セツナは理解できているのだろう。
……ひょっとして、わかってないのは私だけ?
一応、カードの話をしているというのはわかるんだけど……。
あごに手を当ててうーんと考えていると、不意にアスナがくるりと背を向けた。何やら呟くと、ぱあっと光り、広げた片手に光の棒が出現したかと思えば、光が弾けて、それはこの間の戦いで見た得物になっていた。えーと、ハリセンボンとかなんとか言う。
見た感じでは、大きすぎるお払い棒に見えない事も無い。
魔法使いみたい! とはしゃぐアスナになんだか微笑ましくなって、しかし、首を傾げた。
『みたい』って、じゃあ、アスナは魔法使いじゃないの?
魔法使いでなかったら、アスナは……妖怪?
まさか。
馬鹿な事を考えている間に、それぞれ、この後の自由行動の準備を整える為に、各自部屋に戻る事になった。
先生が立ち上がるのに、私も椅子から降りる。斜めになって椅子に引っかかっていた刀がずるりと滑って、背に収まった。
去り際、アスナが「そういえば……」と言いかけて、私と、その横……多分、先生とに目を走らせた。
しかし、「ま、いいか」と言ったきり、それ以上は何も言わず、セツナと共に去って行った。
なんだったのだろうと疑問に思いつつ先生の顔を見上げると、先生も不思議そうにあごに指を当てていた。
「妖夢さんは準備しに行かないんですか?」
突っ立ったままの私に気付いた先生がそう問いかけてくるのに、少し顔を傾けて、手を伸ばす。
袖を引くと、先生も首を傾げ、私を見返した。
「どうした嬢ちゃん。はっ! 嬢ちゃんもカードが欲しくなったとか!?」
「違う」
先生の肩にひょっこり現れたカモ君の言葉に、即座に否定する。
……別に、欲しくない。よくわからないし。
撫でてやろうと手を伸ばすと、カモ君はキーキー鳴きながら素早い身のこなしで先生の首の後ろに引っ込み、反対側の肩から顔を出した。
目的を果たせなかった手が宙をさ迷うのに、こらこらカモ君、と先生。
「撫でるくらいいいじゃないか」
「あーっ、兄貴はオコジョじゃないからそんな事言えるんだよ」
「えー、でもこの間は喜んでたじゃん」
「あっ、あれは……」
じっと成り行きを見守っていると、カモ君がぎこちない動きで私を見たかと思えば、わかったよ! と怒鳴りながら肩の上によじ登り、二本足で立った。
二本足は、あんまりかわいくない。
「俺も漢だ! 潔く撫でられるぜ!」
ぽてんと転がって、狭い肩の上で器用にお腹を見せるカモ君。横向きは、やっぱりかわいい。
一応先生を窺い見ると、こう言ってますし、いいんじゃないでしょうか、と先生。じゃ、じゃあ……。
と、手を伸ばす途中で、カモ君はコロンと転がってうつぶせになった。
……?
意味のわからない行動に、ひょっとして触っちゃいけなくなったのかと思ったけど、何も言わないので、そろりそろりと手を伸ばす。
もふり。
もふもふ。
かおかお。
おてて。
……かわいい。
細長い胴体を撫でると、もうちっと優しく、とカモ君が呻く。……このくらい?
力加減をしながら、そういえば、前にもカモ君を触った事があるような、と引っ掛かり、思い出そうとしてみる。
あれは……確か、初めてカモ君が寮に来た時……お風呂でこのかの水着を取ったから……。
思い出したら、ちょっとイライラしてきた。
手に力を加えようとすると、すぽん! と抜け出したカモ君が床に降り立って、タタタッと距離を取った。
あ……。
「はい終わり! 兄貴、他の奴らに捕まらない内に、速いとこ抜け出しちまおうぜ!」
「あ、そういえばそうだね! ……良かったね、妖夢さん」
「……?」
良かったね、の意味はわからないけど、カモ君に促されて、じゃ、と去ろうとする先生の腕を咄嗟に掴む。
ぐいと引っ張ると、「わっとと!」と声を上げて、先生はよろめいた。
「ど、どうしたんですか?」
ずれた眼鏡を直しながら聞く先生に、先生の事、と返す。
私、カモ君を撫でたくて先生を引き止めた訳じゃない。先生の困難というのをちゃんと聞いておこうと思って。
そう伝えると、困難? と先生。
……えっと、手紙みたいなのとか、敵とか。
補足すると、あー、と先生は頷いた。
「そういえば、ちゃんとお話ししてませんでしたね……」
「そういえばそうだな……。なんか、嬢ちゃんは知ってるって気がしてたぜ」
とっとこ戻ってきたカモ君が私を見上げる。しゃがみこんで手を差し出すと、ぽふっと手を置かれた。
お座り……お手?
そうじゃない……けど、まあ、いいか。
「僕達、学園長から預かった親書を届けるためにですね……」
カモ君を弄りながら、先生の説明を受ける。
敵である関西なんちゃらの長に手紙を届け、西と東を繋ぐ……。纏めると、そんな感じ。
先生の口ぶりだと、それ以外にもしたい事があるらしい。
聞くべきか。
踏み込んでもいい話なのかわからなくて、ただ下から見上げていると、先生は簡単に教えてくれた。
生きてる筈の父親の痕跡。京都に残された父の秘密を探りたい、と。
父親の……。
……そもそも、先生のご両親って?
父は生きていると言ったけど、じゃあ、お母さんは……?
「……そろそろ、準備しに行きましょうか」
先生は曖昧に笑って誤魔化したけど、その間が、答えを言っているような気がした。
促されるまま、ついて歩く。
なんだろう……。先生に対して、何か、よくわからない気持ちを感じている気がした。
「準備といえば、妖夢さん、いつもの服なんですね。このかさんと一緒に買った洋服は……」
うつむきがちに、片方の袖を弄っていると、そんな言葉。
あれは……また、別の日に着るの。
◆
部屋に戻って、旅行カバンからお財布を取ってくると、先生と合流して一緒に旅館を抜け出す。
先生と一緒に行動したいという人は結構いて、でも、一般の生徒は巻き込めないから、こうやって隠れて出て行くんだって。
大きな柱の陰に、先生とくっついて身を隠しながら出口を目指す。
ちょっと楽しいかも……と囁くように、先生が言った。
そうしてなんとか抜け出すと、アスナとの待ち合わせ場所に向かうというので、ついて行く。
先生に任せておけば、私は何も考えなくていい……なんて事は無く、頻繁に地図を確認する先生と頭をつっつき合わせて、目的地への道のりを確認した。
大きな橋に着く。広くて長い橋。ここが、待ち合わせ場所……らしいけど、アスナの姿は見えない。
きょろきょろ辺りを見回していると、先生に声をかける者があった。
……この声。
振り向くと、アスナがいた。
……このかやセツナに、ハルナもノドカもユエユエもいた。
わあ、と感嘆の声を上げる先生を、このかはセツナに任せたから大丈夫なんじゃないのかと睨みつける。
……近くにいようと思ったけど、やっぱり、このかがセツナと仲良くしようとするのを見ると、やな気持ちになるから離れてようと思ったのに。
「おおっと先生、デート中だったかなー!」
「なんや、妖夢ちゃん、ネギ君と一緒やったか」
冷やかすハルナを無視して、このかの下に歩み寄って行く。
探したよ、と言われて、ちょっと嬉しくなった。
どうやら、一緒に回ろうと思っていたらしい。……セツナも一緒?
「違いますよ、ちょっとそこまで……」
アスナさんアスナさん! と先生の小さな声が聞こえると、すすっとアスナが寄って行った。内緒話?
そんな大きな声じゃ、聞かれちゃうと思うんだけど……。
「冗談冗談。あ、だったらさ、私達と一緒に回ろうよ!」
「妖夢ちゃんも、一緒に回ろ」
このかの誘いに、なんとなくセツナを見て、すぐに顔を背ける。
誘いを断る気はないけど……先生のやる事も手伝いたいし……どうしよう。
悩んでいると、ふと、向こうを見ていたノドカがちらりと私を見て、すぐに目を逸らした。
……?
結局、五班のみんなと見て回る事になった。
昨日とおんなじ。
……手紙……親書は、どうするのだろう。
私が考えても仕方のない事なのかもしれない、なんて思いつつ、このかにくっついて歩く。
このかは、どうしてかとても御機嫌だった。……セツナと一緒にいれるから?
それだと、ちょっとヤだな。
考えている内、ゲーセンだとかに向かう事になる。
ゲームセンター。名前は聞いた事がある。入った事は無い。小さな遊園地みたいな所、と誰かが言っていたのを思い出して、ちょっと期待。
ところが、ゲーセンというのは、とてもうるさい所だった。
雑多な音楽やピコピコドカンと何かの効果音が鳴り響き、人の声も飛び交って、耳がおかしくなりそうだった。
私、ゲーセン嫌い。
なんて耳を塞いでいると、プリクラを撮ろう、という流れになっていた。
話を聞いてなかったから、個室に近付いて行くのを見て、試着室? なんて首を傾げてしまった。
プリクラくらい、私も知ってる。
一人専用の写真機だ。撮った写真は、手帳に貼って保存する……とかだったような気がする。
……え? 二人以上でも入れるの……?
プリクラも時代が変わったって事なのかな。
そんな風に一人納得していると、このかが一緒に撮ろうと誘う。
……セツナとじゃなくていいのかと一瞬嬉しくなって、だけど、三人一緒だというのに、肩を落とす。
……でも、誘ってくれるのは、嬉しい。
嬉しい気持ちになると、セツナが一緒なのも、別に嫌じゃない気がした。
先生やアスナとも撮る。プリクラを撮った事無いと言ったら、ハルナやノドカとも撮る事になった。
記念に、だって。
少し気分が高揚していたためか、あまり話した事の無いユエユエと撮ったりしても、気まずくは無かった。
……ハルナに変なポーズを取らされたのが気掛かりだけど。
ハルナに進められてゲームをする先生を後ろから眺める。大きなテレビ画面には、魔法使い姿の男の子が映っていた。
……なぜか、画面を見ていると気分が悪くなってくる。嫌なものを思い出させるような……変な、焦燥感。
目を背けて、そのままその場から離れようとすると、あ、どこ行くん? とこのか。……ちょっと、ジュースでも買いに……。
「…………」
近くの自動販売機でリンゴジュースを買おうとして、大きなお金しかないのに、店内を見回して先程見かけた気がする両替機を探す。
店内の大きな音は、慣れるとあまり気にならない。でも、集中して何かをするときには邪魔になるんじゃないだろうか、なんて思った。
……両替機は、外だっただろうか。店内に見当たらない四角いのを求めて出入り口の方へ目を向ける。
「……あ」
視界の端に光の粉が舞った。
ドキッ、と心臓が跳ね上がるような感覚に、宙を漂う光の尾を目で追うと、一匹の蝶がヒラヒラと舞っていた。
青い……蝶々。
淡く光を纏った蝶は、ゲームの台や椅子の上なんかを優雅に飛び回っていた。
……幽々子様?
名前を呼ぶように口が動く。声は出なかった。ただ、蝶から目が離せなくて……やがて、蝶は、ゲームの台に背を向けて座る人の下へ降りて行った。
片膝を立て、それを抱えて、手で缶ジュースを弄んでいる人。かぶった帽子に髪を詰め込んでいるらしく、紫色の髪が纏まっていた。顔は、帽子のツバで陰になっていて、よく見えない。
ジーンズのような質の服が胸元まで覆っていて、首元や腕に、白い服が覗いている。
どういう服装なのかは知らないけど、余った布がだぼだぼした長袖なんて、ちょっと、みっともない感じがした。
……何を観察してるんだろ、私。
「ん?」
そんな風にじっと見つめていたせいか、指先に蝶を止まらせていたその人が、ツバをちょいと摘まみ上げながら顔を上げた。……女性だった。
帽子のツバが作る影の中で、緑色の瞳が動く。それがこっちを見て、目が合うと、おー? と変な声を上げて、女性は体ごとこちらに向けてきた。
居心地の悪さに、体の前で手を握り合う。
「妖夢じゃん。なんでこんな所にいるの?」
また、心臓が跳ねた。悪い風に。
耳を疑った。知らない人に名前を呼ばれるのにびっくりして……嫌な汗が背を流れるのに、白楼剣に手を伸ばした。
柄に手をかけて足を開く。何で名前を知っているか知らない。でも、何か、悪い予感がした。
「ん、いや、違う? そっくりさん?」
変な汗が止まらなかった。
どうしてかこのか達の方に目を走らせて、大音量の中、誰もこちらを見ていないのに少し安心する。
ああ、コスプレさん? なんて手を打つ女性に、焦りや不安が頭の中を駆け回っていた。
その理由はわからない。でも、この女性にこれ以上喋らせてはいけない気がした。
足早に近付き、座ったままの女性を見上げる。背が高い。緑の目が、私を見下ろした。
「……あなたは」
何を言えばいいかわからなくて、何をすればいいかわからなくて、ただ、それだけ絞り出す。
不思議そうに首を傾げる女性の周りを、くるくると蝶が飛んでいた。
「あなたは、誰?」
「いきなりだね、コスプレ少女」
「コス……それじゃない」
良く通る声だった。
こんなにたくさんの音がある中で、まっすぐ私の耳に届く声。どこか、聞き覚えのある声……。
よく見れば、その顔にも見覚えのあるような気がした。目には懐かしさすら覚えるような……いや、私、こんな女知らない。
反対側に首を傾げた女性は、コスプレじゃなかったらなんなのさ、と問いかけてきた。胸の内側に、削り取るように何かが伝い落ちる。白楼剣の柄を握り締めて、耐えた。
「……魂魄妖夢」
喉の奥から絞り出すように、小さく呟く。名を名乗るのがこんなに辛いのは初めてだった。
缶ジュースを振りながら私の目を覗き込んでいた女性は、それをひょいと私に向けて、白玉ないじゃん、と言った。
白玉って?
「なんだっけ。半分お化け。いつもひょろひょろしてるアレ」
「……は、半霊は、盗まれた」
「盗まれただって? そりゃまた……面白い話だね」
声が震える。
繰り返すように盗まれたの、と言うと、誰に? と問い返された。
そんなの、決まってる。
頭の中でぐるぐる光景が回る。山の中。リュックを背負った男。たくさんの木。川沿いに歩く誰か。
誰? 誰だった? 言わないと。早く、言わないといけないのに!
「取り返したげよっか?」
口の端を吊り上げて、意地悪そうな顔。
見開いた目が閉じられなかった。小刻みに震えるように首を振って、いい、と声を出す。
「じ、自分で取り返すから……いい」
「ふうん……」
怖かった。
目の前の人の正体が掴めなくて、その口から、今にも私を壊してしまいそうな言葉が出てきそうで。
強張った体で立っているのが精いっぱいだった。遠くに、このかやハルナの声が聞こえる。そっちへ逃げ出してしまいたかった。
でも、駄目だ。こいつ……こいつ、斬らなきゃ。
どうしてかなんてわからなかった。
「まあ、別にいいけどね」
ううん、違う。きっと、あれだ。
そう。こいつ、私の名前を知ってた。きっと、このかを狙う敵の仲間なんだ。
そう考えると、斬るのが当然な気がして、少しだけ気が楽になった。
でも、ここじゃ駄目。駄目なの。……こ、このかがいるから、そう、斬ったら、きっと、このかの目に入ってしまう。
いけない事だ。それは、いけない事なの。
「それはそうと、君……」
どうやってこいつを外へ連れだそう。どうすればいい。
頭の中で様々な考えが一挙に溢れては回る。目の前も歪んで、自分がちゃんと立っているのかも覚束なくて……でも、ただ、斬ろうという思いだけははっきりしていた。
「なんかすっごく呪われてるんだけど」
祓ってあげようか、と女性が言うのに、気を取り戻す。
焦っちゃ駄目。万が一失敗したら、きっと大変な事になるから。
落ち着かないと……大丈夫。大丈夫。落ち着いて……ちゃんと、斬ろう。
ぶんぶん首を振ると、大きなポケットに手を突っ込んでいた女性は、あ、そう? と手を出して、軽く手を挙げた。
指先に蝶々が近付いて、止まる。
「なんか引っかかるなあ……。なんだろう」
ちょいと、見上げるような動き。
女性の一つ一つの些細な動きにさえ目が離せなくて、ただ、焦りだけがつのっていく。
泣き出してしまいそうだった。
なんでこんな事になってしまっているのかもわからなくて。
誰かに助けを求めたいのに、誰にも何も言えない。
気持ちがはやって、今にも白楼剣を抜きそうな手が、しかし、動かなかった。
「ん?」
缶ジュースをぶら下げてゆらゆら揺れていた手が不意に止まる。
何かに気付いた。でも、私の事じゃない。女性は、明後日の方を向いていた。私から見て、右……。
「おーい少年! カード落としたよー!」
突然、口元に缶ジュースを持った手を当てて大声を出す女性にびっくりして、一歩下がる。
目を離しちゃいけない。でも、離したくて、そっちの方を見る。出入り口に伸びる通路の前に本を抱えたノドカが立っていて、ちょうど、誰かが扉を抜けて出て行くところだった。
「……ありゃ?」
反応されなかった女性の恥ずかしげな声。ノドカがカードを拾い上げるのに、ほとんど無意識に駆け寄っていた。
「あ、な、何ですかー……?」
出入り口の方を見ていたノドカは、私に気付くと、そう問いかけてきた。答えるのももどかしくて、勢い良く手を突き出す。
勢いに押されたのか、ノドカは少し体を引きながらも、私の手にカードを置いた。
プラスチックのような固い感触のカード。それを握って、踵を返して女性の下に戻る。
「ん? 何?」
「……返しに」
上がってしまいそうな息に、胸を押さえながら、それだけ言う。
返しに行く。ううん、返しに行け。
いや、返しに行こう。
「……え、私が? なんで?」
「……知ってる人だから」
「理由になってないんですけど。……まあ、別にいいけどさ」
なんか気になるし、と女性が言うのに、大きく頷く。
それから、女性の袖を掴んで、思い切り引っ張って出口へと走り出した。
「ちょっとちょっと! そんなに引っ張らなくてもついて行くってば!」
不満の声は無視して、不思議そうにしているノドカの横を擦り抜け、外へ出る。
カードを落とした人は……いや、探さなくていいんだった。
「いないね、少年」と呟く女性の腕を引いて、どこか、人気のない場所を探して走る。木々の立つ間……民家の並ぶ合間。うん、ここがいい。
「ねえねえ、こっちじゃないんじゃないの?」
家と家の間と言うには少し広い空間に入り込むと、女性の袖から手を離して数歩進み、カードを放り捨ててすぐに白楼剣のリボンを解く。
もしかしたら、路地の裏とかじゃないのかもしれないけど、今、ここに人はいない。なら、やる事は一つだった。
解き放たれた闇と氷の力が地や壁を伝わって広がる。
お? と足下を見る女性を通り越して、その後ろまでゆくと、大きな氷の壁が立ち上がる。私の前にも、同じ物。
思った通りに動く魔力に、肩越しに向けていた顔を前に戻し、目をつむる。左腰に下ろした楼観剣の鞘を支え、右手で柄を握り込む。戸惑うような気配が後ろにあった。
「いきなりなんのつもりかな、コスプレ少女」
「……私の名前は、魂魄妖夢」
楼観剣を抜きながら、ゆっくり振り返る。鈍く光る刀身が光を反射して、鏡のように私の姿を映し出した。
握ると返す柄の硬さが私の心を落ち着かせてくれる。深呼吸をすると、それだけで、準備ができた。
目の前の女性を斬る準備。
「あー、うん。わかったわかった。君は妖夢なんだ?」
人の話を聞かないところとかそっくり、なんて言う女性に一息で詰め寄り、思い切り斬り上げる。
昼の光の中に斬り込むように桜色の光が広がり、ぱしゃ、と顔が濡れた。
「っとと、危ないなー」
二つにわかれた缶ジュースが地面に落ちると、遅れて中身も零れ落ちた。重なるように、小さな水溜まりの中に裏返った帽子も落ちる。
ばさりと、長い髪が広がった。腰まで届く紫の髪。
私が詰めた分と同じだけ離れた女性は、髪を腕で払い、何するのさ、と肩を竦めた。
「悪いけど、死んでもらう」
「悪いと思うならやめてよね」
頭を振って髪を揺らした女性は、しょうがないなあと呟いて、手を挙げた。
伸ばされた指先に蝶が飛んでくる。
「変身……なんちて」
それが指に止まる前に女性が呟くと、ぱっと光に包まれて……次には、衣服を変えた女性の姿があった。
信じられない姿に、冷や汗が止まらなくなる。
「……博麗、霊夢」
巫女装束を纏った女性は、記憶とは違うものの、言い逃れのしようが無い程、博麗霊夢そのものだった。
毛の先の方をリボンで纏めて結ばれた髪。頭の上の控え目なリボン。ヒラヒラと辺りを飛ぶ青い蝶。
「残念ながら、人違いだよ」
否定の声なんて、耳に入ってこなかった。
ただ、斬らなきゃ、と。
斬らないと、私。
世界が揺らぐ。現実感がわかないのに、今、どうにかしないとと頭の中がいっぱいになる。
女性が、袖の中に腕を入れ、御札のような物を取り出した。
見ている事しかできない私の前で、その御札が輝いたかと思うと、女性が空に手を伸ばす。
つられて見上げた空から何かが降ってくるのに、反射的に刀を振っていた。
射出した六つの妖力弾の内、二つが落ちてきた何かに当たって弾き飛ばす。壁に突き立ったのは、黒い棒状の物だった。
……弾幕の威力が上がってる?
「おー……」
手を挙げたまま呆けた声を出す女性に、刀を持ち直す。
吹き出してきた影が私を取り巻くと、ようやっと、動けるようになった気がした。
確かめるように爪先で二度地面を突っつく。足が靴に深くはまる感触に、これならいけそうだと思った。
「ま、いっか。おイタが過ぎる子にはお灸をすえてあげなきゃね。ついでにその呪いも祓ってあげる」
女性が言い終わるか終わらないかくらいに、私は地を蹴って走り出した。