三人称なんて書けるわけが無かったんだ……。
というか、他者視点苦手なのにするからいけないのか。
誰だお前状態。もっとこう、上手く伝えたい。
……前書き長いって? ……次からは短くします。更新の感覚も!
雑踏の中に揺れる銀色を見かけた宮崎のどかが誘われるようにしてその背中を追ったのは、特に何か考えがあったからという訳でも無かった。
四泊五日の京都修学旅行から帰ってきたのどかは、自室で少しの休憩をとった後、ラフな格好に着替え、図書館へ行く支度をした。
手提げ袋に分厚い本を詰め、玄関で靴を
帰りの新幹線で眠ったとはいえ、疲れの残る体を動かし、返却期限ぎりぎりの本を返したのどかは、その足で街中へと繰り出した。
というのも、借りていた本をいたく気に入ったので、本屋で買って手元に置こうと思ったためだ。
しかし、古い本なためか寮から近い書店には置いておらず、仕方なく遠くまで足を伸ばしたという訳だ。
いくつか古書店を
もうすっかり空は茜色に染まり、人通りも車通りもまばらになっている。携帯で時刻を確認したのどかは、寮に戻った後の事を考えながら通りを行こうとして――視界の端に光るものが横切るのに、足を止めた。
「……?」
振り返り、後ろを見回す。人影の向こうにその姿を見つけて、のどかは息を詰まらせた。
それはきっと、手提げ袋を胸に抱いたまま身を捻ったからだろう。苦しいのは当然の事。
そんな風に自分に言い聞かせる傍らで、遠ざかって行くその姿……魂魄妖夢の背中から目が離せないでいた。
どうしてか、なんて疑問も無い。彼女の頭の中に、ふっとネギと寄り合う妖夢の姿が見えて、それで、動けなくなってしまった。
「おっと」
「あっ、すっ、すみませ……」
口を半開きにして突っ立っていたのどかに、携帯を弄りながら歩いてきた男がぶつかる。咄嗟に謝ろうと声を出そうとしたところで、気にせず男が去って行ってしまうのに、声は掠れて消えた。一瞬跳ねた心臓が、尾を引くように激しく胸を打つ。
しばらく男の去って行った方を見ていたのどかは、このまま立っているとまた誰かとぶつかってしまうと気づいて、慌てて周囲に気を向けた。さっきの男のように携帯や何かを弄っている人はいるものの、それらがぶつかって来そうに無いとわかると息を吐き、それから、思い出したように、妖夢がいた場所を見た。
当然のように、既に少女の姿は無い。それと同じくして、先程脳裏に浮かんだ、嫌な――のどかにとっては、否定し難い程に心を揺らされる――光景もまた、無くなっている。
もう何を気にする必要も無い。帰ってシャワーでも浴びよう。
「…………」
踵を返そうとしたのどかを止めたのは、またも、きらりと光る何かだった。
踏み出していた足を引いて光の方へ体を向ける。それは、地面にあった。時折夕日を反射して、その存在を示している。
落し物だろうか。そう思いながら、のどかは持ち主を探して周りを見た。だが、行き交う人の中にそういった
そういうものを放って置けないのどかは、ゆっくりと落し物に歩み寄り、屈んで、それを取り上げた。
カチャリと音が鳴る。あ、と漏れた声が、足音や何かに紛れて消えた。
冷たく、重い、長方形の機械。手の平サイズのそれをしっかりと手の内に乗せたのどかは、立ち上がって歩道の脇に寄った後、しげしげと眺めた。
USB? 形状は似ている。それらしさもある。だが、こんな感じの物だっただろうか。
表面のシールに印刷されたXマークを指でなぞり、突起があるのに気付いて、なんとはなしに指を乗せる。それを押し込もうとして、ふと……先程、脳裏に映像が浮かんだのと同じように、これがあの少女の物だと気が付いた。
そうだ。いつか間近で見た時、彼女はこれをアクセサリーのように『何か』に吊るしていた。
返さないと。
自然とめぐらせた視界の先に、当然小さな少女の姿は無い。数秒の逡巡の後、のどかは少女が去った方へと歩き出した。
今から歩いて、どこかへ向かった少女に追いつけるのか。追いついて、どうする。これを返すだけか。
少し重い考えがどんよりと頭の中を回って、その考えを追い出すように、のどかは頭を振った。
そうだ、ただ、返すだけだ。それだけの事……。
胸の奥にくすぶる黒い何かが、それだけではないぞと言っているのを無視して、本を強く抱きしめ、先へ進んだ。
程無くして、少女の背中を見つけた。意外な程追いつくのが早かったのは、少女がケーキ屋から出て来たのが原因だろう。白い箱を片手にどこかを目指して歩く少女に、しかしのどかは、追いつこうとは思えなかった。
今更になって、なんだか怖くなってきたのだ。
それは、少女が、という訳では無い。追いついて、この機械を……USBメモリーを返し、それだけに終わらず、何か言葉を交わす事になってしまうのではないかというのが、怖かった。
少女が冷たい言葉を吐きそうだからかといえば、それも違う。自分の、ネギを通した自分の黒い気持ちが前面に出てきてしまいそうなのが嫌だったのだ。
(……これは、明日返そう)
別に今日でなくてもいい。明日教室で返せばいいのだ。その時なら、周りに友人もいる。黒い気持ちなど欠片も出てこないはずだ。
自分に言い聞かせながらも、のどかは足を止めなかった。
自分の気持ちがよくわからない。
つい先程脳裏に浮かんだ光景。少女がネギをどう思っているのか。それを知りたいような、知りたくないような。
もどかしさとはまた違う焦燥感に似た何かに押されて、とにかくのどかは、何も言わずに妖夢を追っていた。
今日、妖夢の姿を見かけなければ、こんな気持ちにはならなかっただろう。出かけなければよかったのか。
意味の無い事を考えて気持ちをはぐらかそうとしても、消えるどころか募るばかり。自然と足は速まっていた。
知りたい。少女が恋敵か否か。
知って何ができるというのか。そもそもどうやって知るのか。
正面から正直に問う? 自分にそれができるのか。
日に影が差し、すぐに戻る。
揺れる気持ちは収まらず、本を抱く腕に力が入るばかり。
コツ、と靴の音が響くのに顔を上げれば、のどかは入り組んだ道に入り込んでいた。
驚きに跳ねる胸に慌てて妖夢の姿を探す。少女は、変わらず前の方で歩いていた。迷った訳ではなさそうだと、のどかは息を吐いた。
しかし次には、ああ、と気を沈ませた。
考え事に沈み込んでいて、どこをどう歩いてきたのかもわからない。帰るのには、道を知っている人間が必要だろう。それは、少女以外にはいなさそうだった。
話す事が確定してしまった。
どんより落ち込んだ気分に覆いかぶさるように、また疑問が湧いて出てくる。同じ疑問。少女が恋敵か否か。
ただ一度か二度、少女が
しかし、恋は盲目と言うべきか、のどかにはどうもそれだけだとはとても思えず、どうしても知りたいと思ってしまった。
恋敵と言えば、あの夜(ネギ先生の唇争奪戦をした夜)に参加した自分以外の人達もそうなるのだろうか。
移り変わる疑問に小さく首を傾げて、しかし、それはないような気がする、と曖昧な判断の下に答えを出した。
ではなぜ、妖夢に対してのみそう思うのだろうか。
それは、きっと近すぎるからなのだろうと、のどかは思った。
物理的な距離も……スケールも、何もかもが、自分よりずっと近い。それが彼女の危機感を煽る。このままではいられないのだと思わせる。
本当は、そうでないかもしれない。こんな心配をせずとも、妖夢とネギはただの友達……そうでなくとも、教師と生徒という間柄なだけなのかもしれない。
だがどうしてものどかは、そこの所をはっきりさせたかった。いつも以上に、はっきりと、明確な気持ちでそう思った。
そして、それができる力が、今自分の手の中にあった。
何を考えるでもなく、ごく自然に手提げ袋の中に手を差し込む。携帯や財布に触れた指を少し引き抜き、内ポケットへと滑り込ませる。はたして、そこには一枚のカードがあった。
曲がり角に消えていく妖夢を追いながら、のどかは二指に挟んだそれを引き抜き、顔の前に持ってきた。
そこでようやく、自分が何をしようとしているのかに気付く。
(わ、私、なにを……)
明らかに冷静な判断ではない。自分でもどうしてそうしようとしたのかがわからない。
だがのどかは、駄目だ駄目だと自分を引き留めつつも、小さな声で、アデアット、と呟いた。
僅かな光が壁に反射し、すぐに消える。手提げ袋を肘に吊り下げ、カードから変化した本を手に取った。
角を曲がる。
足下に転がる薄汚れた瓶を跨いで、先を行く少女を眺めるのどか。
背中に揺れる棒や、時折ちらりと見える横顔。
建物の影に入っていてもなお輝いて見える銀の髪や青い目が、やや神秘的な雰囲気を持っていて、眺めるのどかの心に詩的な言葉を浮かばせた。
木漏れ日に溶けて消えてしまいそうな儚い少女。
柔らかそうな頬も、細い首も、小さな肩も、体の線は黄金色の光に半ば溶け合っていて、一層消え入ってしまいそうに印象付けた。
透明な意思に突き動かされて、唐突に掻き抱きたくなるような、そうしなければ光の粉となって空気中に霧散して行ってしまいそうな危うさがあった。
人の心は見えないものだが、無機質にも見える少女の顔からは何も読み取れず、本を支えるのどかの手に力が入る。
今から、人の心を覗く。自分の欲の為に。
口を固く結びながら、あえて自分の罪を浮き彫りにしたのどかは、途端に襲い掛かってくる切迫感に汗を流しながら、それでも何かに押されるように、開いた本に視線だけを落とした。
薄く文字が滲み出る。
最初に感じたのは、文字の薄さ。そして水で濡らしたかのように、所々インクが滲んでしまっている不自然さだった。
だがそこに目をつむれば、それは紛れもなく、少女の心の中だった。
『4月26日 土曜日 こんぱ よ む
許せないと影は言った。でも、私はそんな事考えてない。
でも体は勝手に動いた。写真立てを壊そうとして……止められた。
きっとこのかのお父さんが止めてくれなければ、私、とても酷い事をしていただろう。
……そういえば、お礼、言ってない。……謝ってもない。
どうしよう』
短い文章の上には、絵日記よろしく、柔らかなタッチで少女達の姿が描かれている。
のどかにも一応、その場所の見当はついた。ネギの父親の別荘だ。
絵日記の絵には、写真立てを前に佇む少女の姿が描かれていた。
「……え」
狭い路地に小さな声が響く。息を吐くように小さな声。
絵の少女には、なぜか顔が描かれていなかった。角度とか、そういう物ではない。のっぺらぼうである。
不気味な絵に、見てはいけないものを見てしまったような気になったのどかが本を閉じようとすると、すうっと絵や文字が消え、少しして再び浮かび上がってくる。
今度はもっと短い文章だった。
『ついた。……一応、ケーキ買ってきたけど……誤魔化されてくれるだろうか』
絵は、古びた扉を見上げる少女の姿。のどかは顔を上げると、それと照らし合わせるように前にいる少女の姿を見た。
距離はまだ少し遠い。だが、顔を逸らされれば見つかる距離。不自然に跳ねる心臓に、のどかは足を止めた。
……重要なのは、見つかりそうだとか、そういう事じゃない。再び本に目を落としたのどかは、震える息を飲み込んで、湧き上がる何かを抑え込んだ。
ここから見える少女は、扉を見上げたまま何かに迷うように立ち止まっている。だが、絵日記の上の少女にはそれがない。
どころか、目も鼻も口も描かれていないのだ。これを不気味と言わずして何を不気味と言うのだろうか。
(こういう事も……あ、あるんでしょうか……)
誰に対してでもない問いが、のどかの心でこだまする。
顔が描かれない事もあるのだろうか。描き損なったみたいに何重にも線がぶれているのには、何か、条件があるのではないだろうか。そう考えを巡らせることで、言い知れぬ気色悪さを、それ以上膨らまないようにしていた。
ガチャ、と重い金属音が耳を打つのに、のどかははっとして薄暗い壁際に寄った。視線の先では、妖夢が扉に手をかけて横へ動かそうとしている所だった。
だが、彼女がどんなに動かそうとしても扉は開かない。どうやら鍵が掛かっているようだ。
扉が開かないと知った少女は、眉を寄せて大きな扉を睨み上げた。
……少女の場合は、日頃からしている気怠げに細められた目をもっと細くしただけのように見えるが。
(……も、戻って来るかも)
緊張できゅうきゅうと胸が痛むのを堪えながら、のどかは慌てて本を開き、彼女の動向を窺った。
『斬ろう』
(……え?)
一行目に短く三文字。たったそれだけ書かれているのを見て、意味がわからず絵を確認しようとしたのどかの耳に、シャランと綺麗な音色が届いた。
場違いにも思える音。楽器か何かかと一瞬思い、しかし、すぐに違うと思い知らされる。妖夢が抜刀していた。そしてそのまま、何の気負いも無しに扉に向かって刀を振った。
二、三枚の桜色の帯が広がり、次いで、ガラガラとガラスや金属がコンクリートを打つ音。チンと納刀した妖夢は、ふっと一つ息を吐いて、破片を踏み越えて店内へと入って行った。
(――…………)
あの棒は刀だったのかとか、不可思議な桜色だとかより、鋭い光を瞳にたたえた彼女の姿に見惚れていたのどかは、本に浮かび上がった文字には気付かず、ただ、建物に呑み込まれた少女を見送った。
しばらくして、本の重みを思い出したのどかは、壊れた扉の傍に寄って薄暗い中を覗き込んだ。布や染料の匂いが風に運ばれて来ると、それと同時に、幼い少女の声も聞こえてきくる。そっと覗いた扉からは吊るされたたくさんの服しか見えないのに、それらを擦り抜けて、不思議と明瞭に聞こえる声だ。子供特有の舌足らずさは無く、一言一言がすんなり頭に入ってくる。
「――ったく、あなたの非常識さを、まずどうにかしないといけないようね?」
そんな事は気にかけず、ただ、少女の憤る声を聞いたのどかは、それに不思議なものを感じながらも体を戻し、本を開いた。
当初の目的は徐々に薄れ、ただ少女の心を探る為だけに絵と文字を目で追っていく。
機嫌の悪い晴子――絵日記の中で頻繁に出てくる名前――に詫びを入れた妖夢は、そのまま流れるように誰かに対する愚痴を聞かされ始め、最初の内は真面目に答えを考えていたものの、時間が経つと返事も考える事もてきとうになっていった。
代わりに、妖夢が修学旅行中に感じた様々な悪感情や劣等感を無くす方法を、どう話に割り込ませるかに考えがシフトしていったのだが、浮かんだ絵の中に直視できない凄惨なものを見つけてしまったのどかは気が遠のいていて、ほとんど読めていなかった。
(……あ、本、落としてる……)
しかし気を取り戻してからは、少女の感じていた様々な感情を読み、共感し、少女への理解を深めていった。
あたかもファンタジー小説の主人公に感情移入するかのように、曖昧で現実味のない場所へ体を滑り込ませて、その場の空気と一体になったつもりになる……というのは、常日頃そういった系統のものを読む時ののどかのスタイルだ。
心がダイレクトに刻まれる本を通して少女の『やりたい事』『好きな物』『解決したい事』を暴いたのどかは、あまりの無茶苦茶さに片手を本から離して手の内に掻いていた汗を握り込み、じんと広がった熱さに集中して、言いようのない感情を逃がした。
それから、ぼんやりと、『これだ』、と思った。
(
ネギと同じ小さな体で、ネギと同じように、自分の目的のために一生懸命。
のどかが、妖夢とネギが「近い」と感じた理由がそこにあった。
『何を斬ればいいの? 教えて。私は、何をすればもっと強くなれる』
何を考えているかわからない顔で、ずっとぼうっとしているような彼女の心に、こんなに強い感情を見つける事になるとは。
彼女の近くへ寄る度に感じていた僅かな忌避感は今や薄れ、のどかはなんとなく安心して、大きく息を吐いた。
舞い上がった埃に小さく咳き込み、目尻に浮かんだ涙を拭う。それから、肘に掛けた手提げ袋の位置を直して、再び本の内容に意識を移した。
「それはあなたが自分で考える事よ」
絵の中で、カウンターの奥に座っている女の子が少女を指差している。
『自分で……?』
おうむ返しの文章。のどかにはそれがどうしてか動揺しているように見えた。
長い空白の後、ぽつりと、『速さが欲しい』と浮かび上がる。
空白……奇妙な事に、少女の独白には、こういった空白が多分に含まれていた。何も考えていない訳では無い。現に、空白の前と後には考えたような繫がりがある。
思考を描き出す魔法の本のはずなのに、どうしてこんな風になるのか……なんて疑問は一切抱かず、ただのどかは文字を追い、絵を見て、少女の心の軌跡を追った。
行き詰ったら、晴子。手を貸してくれるんでしょう。少女――妖夢が言う。
では、妖夢。手を貸しましょう。女の子――晴子が言う。
一度消えた紙をめくって次のページに移ったのどかが目にしたのは、赤と黄色と青の混じった訳のわからない人型と、『……信号機怪人?』というよくわからないコメントだった。
「それと競争でもして特訓なさい。それを振り切る事が出来たなら、あなたはあなた自身を……まあ、無理か」
途中まで芝居がかっていた女の子の声が、唐突に気の抜けた物になる。
無理と言われてむっとした様子の(実際、心の中ではそういった事を言っている)少女を置いて、女の子が二言三言短く注意を投げかけると、それでもう、話は終わった。
慌ただしい気配が店内からしてくるのにのどかが顔を上げると、目の前を青いものが通って行った。ビュウと風が吹き、慌てて片手でスカートを押さえるのどかの前を、今度は妖夢が駆けて行く。
もう何度目か、跳ね上がる心臓と一緒に飛び上がるように顔を上げると、ほんの一瞬目が合って、のどかは死にたくなるくらいの緊張に体を強張らせた。
一瞬というだけあって、少女は足も止めずすぐに走り去ってしまったものの、しばらくの間、蛇に睨まれたように、のどかは動けなかった。
だから、いつの間にか傍に寄ってきていた女の子にも気が付かなかった。
「こんにちは」
覗き込むようにのどかを見上げて挨拶を投げかけてくる少女に、のどかは一度言葉をつっかえさせてから、挨拶を返した。
本を閉じ、手提げ袋の中にしまう。その動作の中に、少女は手を差し伸べてきた。
頭上にハテナマークを浮かべるのどかに、少女は催促するように手を振った後、「持ってるでしょ、Xのメモリ」と短く言った。
ああ、返して欲しいんだな、と思い至ったのどかは、ごく自然な動作で手提げ袋の中からメモリを取り出し、少女へ手渡した。妖夢へ返すべきものをこの少女に渡す事への疑問など、どこにも湧いてきなどしなかった。
「あの子、切り札は手に入らなかったようね……。さ、おいで」
メモリを袖へとしまった少女が、のどかを誘って店内へと入って行く。のどかは夢見心地で後に続いて、薄暗い店内へと足を踏み入れた。そうすると、よりいっそう体も心もふわふわとして、今自分が何をしているのかもよくわからなくなってしまう。ふらふらと夢遊病患者みたいに歩くのどかを手で制し、カウンターの奥へ回った少女が、席に座るように促す。のどかが腰を下ろすと、すぐにすっとティーカップが差し出された。ありがとうございますと礼を言って、口をつける。暖かいミルクティーだ。
「さて、知ってしまったわね?」
頬杖をついて顔を覗き込んでくる少女に、カップを片手に、のどかはこくりと頷いた。聞かれた事が、妖夢の事だと言うのは何故か理解できていた。
カップの中や、いつの間にかカウンターの上へ乗せられていた手提げ袋へゆっくり視線を巡らすのどかに、少女が語りかける。薄ぼんやりとした意識の中に、だからこそ浸透する彼女の声は、体の芯までするする入り込んできてのどかの言葉をすくい上げていく。
「気にする事は無いわ。あなたが本を開いたのは、あなたの意思ではないのだから」
こくりと頷くのどかに、少女もうんうんと頷いて、それから、「どう? おいしい?」と親しげに語りかけた。同じように頷く。
秒針の無い柱時計がカチリと音をたてる。カウンターの端に置かれたカードが仄かに輝いている。
「あの子はあんなだけど……決して危険な子ではないわ。危なっかしくはあるけど……」
あの子。それが妖夢を指しているのは理解できて、しかし、言っている事は、のどかにはよくわからなかった。
夕日が差し込んでいた店内にも少しずつ闇が広がり始めた頃、両方の手を膝に置いて、狭まる視界にぼけっとしていたのどかの手を、少女が握った。高い体温が伝わると、のどかの感じていた、浮遊感に似た不思議な感覚は眠気へと変わっていた。
まぶたの裏の暗闇がゆるゆると落ちてくる。
その奥で、少女が言う。
「真実を知ってなお受け入れられる度量があなたにあるのなら、彼女と親しくなってくれる事を、私は祈っているわ」
緩やかに、のどかは眠りに落ちていった。
◆
「……う、ん」
差し込む光から顔を背けたのどかは、微睡みから抜けると、自分が布団に包まれているのを知った。薄く眼を開くと、さっきまでの眠気が嘘のようにすーっと抜けていって、頭の中がすっきりとする。清々しい目覚めだった。
布団を持ち上げながら身を起こすと、内側にこもっていた熱が逃げて、少しの寒さがあった。二の腕を擦りながらベッドから抜け出したのどかは、自分が寝巻を着ているのに気付くと、小さく首を傾げた。
薄手の布地を指でつまみ、それから、何となしにベッドに振り向く。入れ替えた足の裏をカーペットの毛がくすぐり、じんわりとしたものが体を這いあがっていく。
枕元に、分厚い本が置いてあった。
「……?」
読んでいて、そのまま眠ってしまったのだろうか。
そう考えながらも手を伸ばして本を持ち上げたのどかは、それが自分の買い求めた本だと気付いて、ああ、そうだと胸の内で手を打った。
昨日、これを買いに街まで繰り出し、高揚した気分のまま自室に戻ってきて一気読みし、それで、そのまま眠ってしまったのだった。
一度思い出して納得すれば、もうそれは気にする事ではない。
一段上のベッドに眠る友人が起きる気配が無いのを確認すると、本棚へ本を仕舞おうとして、はらりと何かが落ちるのに足を止めた。
それは、長方形の紙……栞だった。
本はぴったり閉じられているのに、どうして落ちたのだろう。そんな疑問を抱きつつも栞を拾い上げて、そもそも、こんな栞、持っていただろうかと小首を傾げた。
薄黄色の押し花の栞。微かに甘い香りがするそれを裏返して、のどかはそこに書かれた文字を見つけた。
その夢が潰えぬように。
丸っこい小さな文字。花の上に書かれたそれは、のどかが瞬きをすると消えてしまった。
気のせいだったのだろうか。
反対側に首を傾けたのどかは、くう、とお腹の鳴る音にはっとして顔を赤らめた。
誰が聞いている訳でもないが、なんとなく恥ずかしくなって、素早く本を棚におさめ、そそくさと部屋を出る。
お腹が空いた。冷蔵庫には何があったかな。
そんな事を考えながら、一日が始まった。
こっそりお友達大作戦。