なりきり妖夢一直線!   作:月日星夜(木端妖精)

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第三十一話 VS悪魔

 いつも、笑っていた。

 綺麗な緑色の目を細めて、少しだけ顔を傾けて。

 そして、いつも私を見てくれていた。

 手を繋いでいる時も、ごはんを食べている時も、お出かけの時も、眠る時だって。

 お母さんの顔が見えないのは、私をぎゅっとしてくれている時以外にはない。

 いつも一緒にいてくれた。いつでも、傍にいてくれた。

 優しい声で私の名前を呼んで、暖かい手で、ゆっくりと頭を撫でてくれる。

 私は、それが好きだった。

 上から伸びてきた手が頭の上に乗ると、いっぱい、熱が広がって、手が動くのに合わせて私の体が揺れるのは、まるで私の全部がお母さんに繋がっているみたいで。

 抱きしめられるのは、もっと好き。

 だって、声が近くで聞こえる。全部、包み込まれて、気持ち良くなる。

 合わせた頬の柔らかさも、頬が動いて、笑ってるんだなってわかるのも良くて。

 それに、頭の後ろを撫でられるのが加わると、幸せすぎて、眠ってしまいたくなる。

 ずっとそうして欲しい。でも、ずっとくっついているなんて無理だ。

 だから、眠る。眠ってしまえば、次に目が覚めるまで、抱いていてもらえるから。

 

 でも、あの日。

 大きな乗り物に乗った、あの日。

 お母さんは、私を抱きしめてくれなかった。

 お母さんって、何度呼びかけても、頭を撫でてくれなかった。

 怒ったような顔で、低い声で、伏せなさいって私の頭を押さえ込んだ。

 痛かった。

 怖かった。

 お母さんが、お母さんじゃなくなってしまったみたいで。

 お母さんが、どこかに行ってしまいそうで。

 確認しようと体を起こそうとすると、背中を押されて、起こせない。

 なんで痛い事するのかわからない。

 やめてって言っても、やめてくれない。

 

 やがて、真っ白い光を通り抜けると、私は冷たい地面の上に座っていた。

 私が座っていた椅子が近くにある。膝にかけていた毛布も、傍の大きな何かに引っかかって揺れていた。

 ウーウーと何かの声が、ずっとしていて、でも、それはとても遠くに聞こえていた。

 私の前に、棒があった。私と同じ色。私と同じ服。

 何も考えずに、ただ手を伸ばそうとして、それで、気が付いた。

 伸ばした左腕は、肘から先が無い。

 ただ、とろとろと赤い水が流れて、地面を濡らしていた。

 私は、しばらく自分の腕を眺めて、それから、まるで感覚の無い体を立ち上がらせて、なくなってしまった手を探そうと歩き出した。

 変だ。

 足が上手く動かない。

 ひょこひょこと、変な方向に動いてしまう足を見れば、いつもと違う方向に曲がっていた。

 それがちょっとだけおかしくて笑っていると、声。

 ぼそぼそと聞き取り辛い声。最初は、その声は遠くで聞こえているのかと思っていたけど、本当はすぐ傍からしているのがわかって、辺りを見回していた私は、音の方へ顔を向けた。

 壁があった。

 壁から伸びた床は、私に近づくにつれて、少しだけ持ち上がっていた。

 冷たい地面と銀色の床の間の、暗い所。

 そこから声がしていた。

 ……お母さんの声だ。

 いつも私を安心させてくれる優しい声が、だけど、今はううって、苦しそうな声に変わっている。

 お母さん? どこ?

 どこにいるんだろう。

 この中なの?

 床に近づこうとして、足が上手く動かないのに転んでしまう。

 咄嗟に出した手が尖った物に擦れて、一瞬変な感じがした。手の平の半ばまでを、薄い板が通り抜けるような感覚。

 すぐにとろとろ、何かがあふれ出すのがわかる。

 

『――……』

 

 私を呼ぶ声。

 今にも消えてしまいそうな、吐く息の合間に漏れる声。

 お母さん?

 呼びかけようとして口を開いても、息を吐く事しかできなくて、私はただ、起き上がる事もせずに暗闇の奥を覗いた。

 ……いた。

 お母さん、いた。

 手を上げるような格好で寝ているお母さんに声をかけようとして、やっぱり、声が出ない。

 でも、吐く息の音は届いたのか、お母さんはぴくりと手を動かしてから、顔を上げた。

 暗闇の中に緑色の光が浮かび上がる。

 お母さんの目。

 

『――……』

 

 私の名前を呼んで、手を伸ばすお母さんに、私も手を伸ばす。

 震える手は、指の先をぴんと伸ばしても届かなくて、それでも、もう少し頑張れば届きそうで、目をつぶってうんと力を込めようとしていると、お母さんの苦しそうな声がした。

 目を開ける。

 目を開けてしまうと、元々こもっていなかった力が抜けて、ぺしゃりと手が落ちる。

 赤い水溜まりに落ちた手に、流れる水の感覚がして、何も感じないはずなのに、くすぐったいような気がした。

 ギギギィ。

 重い音がして、少しずつ床が持ち上がっていく。

 お母さんが腕をついて、起き上がろうとしていた。

 ぎゅっと目をつぶって、苦しそうに小さな声を漏らしながら、少しずつ。

 震える腕が地面から離れて、手の平を地面に押し付けると、お母さんの体は反るようになった。

 …………?

 あれ、なんだろう。

 お母さんのお腹にくっついてる、大きな棒。

 地面とお母さんを繋いでいるようにも見える太い棒には、何かが伝って、それが水溜まりに繋がっているのを見て、ようやくそれが血なのだと気づいた。

 お母さんが動くたび、棒の揺れが波になって水溜まりを広がり、私の手にぶつかる。

 それがお母さんの頑張りを伝えてくれて、だから、私も体の奥がきゅっとして。

 立ち上がろうとしているお母さんに、頑張れって言いたかった。

 そうしてお母さんの事を見つめていると、やがてお母さんは棒に手を伸ばして、お腹に押し込むようにしだした。

 何をしているのかわからない。

 でも、理解できなくても、お母さんは動く。

 床がどんどん持ち上がって、棒が地面から抜けて、お母さんからも抜ける。

 床が飛んだ。

 どれくらいかして、少し遠くに床が落ちると、同じ色の破片や何かが飛び散った。

 ぐわんぐわんと地面が揺れる。水溜まりが跳ねて、ほっぺたに水がかかった。

 お腹を押さえながら立ち上がったお母さんは、口を少し開けたまま私を見て、私の名前を呼んだ。

 ……名前の途中で口を押えて、その押さえた手の隙間から赤い水……血がいっぱい吹き出して、地面に落ちた。

 お母さん、大丈夫?

 声が出ないのも忘れてそう言った。

 返事はない。その代わり、お母さんはほほえんで、私の方に歩いてきた。

 揺れる一歩。倒れそうな歩き方。

 お母さん、座って。

 お腹からいっぱい血が出てるよ?

 死んじゃうよ。

 たくさん言いたい事があったのに、声が出なくて、何も伝えられない。

 ただ、お母さんが私の前まで来て、屈み込んでくるのを見上げていた。

 手が伸びる。

 私の頬へ。

 私は、あの頬を撫でる指の並びや、ドクドクする暖かさを思い出して、目を閉じて、静かに、撫でてくれるのを待った。

 きっと、そうされたら、私は眠れるだろうから。

 眠ったら、お母さんは抱いてくれるだろう。

 それで……それで、起きた時には。

 私の手も、きっと見つけてくれているのだろう。

 小さな声で、お母さんが呼ぶ。

 私の名前を、何度も、何度も呼ぶ。

 何度も。

 

『み――』

 

 ふいに、それが途切れた。

 

「…………?」

 

 目を開ける。

 はじめ、ぼやけていた視界は、すぐに良くなって。

 でも、顔にかかる水に、目を閉じてしまった。

 手で拭おうとして、手は動かない。

 仕方がないから、そろりと目を開けてみて、目に水が入って来ないのを確認すると、ほっとしてちゃんと開く。

 私の前に、お母さんがいた。

 私に伸ばしていたはずの手はだらんとして、長く伸びていた綺麗な銀色の髪が傍に散らばっている。

 汚れたスカートから覗く白い足。お腹に開いた大きな穴からは、まだとろとろと水が流れている。

 トマトソースを零したみたいな胸。それから、首。

 上げていった視線は、でも、そこでおしまいだった。

 

「お、かあさ?」

 

 上擦った声が出た。

 けほ、と咳き込むと、喉の奥がぴりっとして、でも、そんなのは気にならなかった。

 お母さん。

 お母さんのお顔は、どこ?

 

 ぱたりと、お母さんの体が覆いかぶさってきて、私の視界はまっくらやみに包まれた。

 

 

 ザアザアと雨が降っている。

 分厚い雲が空を覆っているせいか、夜のように暗い廊下を、電気が照らしていた。

 長い銀髪を滑る光。

 お母さんが、笑っている。

 手を振りながら、笑っている。

 笑みの形のままの唇が、ゆっくり開いて、言葉を形作った。

 お、い、で?

 おいでって言ってるの?

 雨の音のせいで、よく聞こえない。

 でも、おいでって言ったんだよね。

 私、行っていいんだよね。

 ふらりと、一歩踏み出す。

 行っていいのか、それとも、ずっとその場所で立って、お母さんが手を振るのを見ていなきゃいけないのか、わからなかった。

 だから、間違っているかもしれないと思って、そろりと、駄目だったとしてもすぐ戻せるように、少しだけ動かす。

 にこりと、お母さんは笑みを深くした。

 振っていた手を止めて、そのまま私の方へぱたりと倒す。

 ぱた、ぱた、ぱた。

 おいでおいでを繰り返すお母さんの手。

 行っていいんだ。

 行って、いいんだ……!

 

「おいで」

 

 優しい声が耳を打つ。

 

「こっちにおいで」

 

 さあ、と暖かい笑顔が、私を待っている。

 そうだ、待ってるんだ。

 待たせちゃいけない。速く行かないと。

 震える足を動かして、駆け寄る。

 距離なんてあって無いようなものだ。

 手を広げるお母さんの下に、手を伸ばして走って行く。

 おいで、と、声。

 こっちにおいで、と、声。

 

「おいで、妖夢」

 

 うん。すぐ行くから、まって――?

 何かが引っかかって、勝手に足が止まった。

 急速に笑みが引いていく。

 嬉しかったのが、全部、凍り付いていく。

 

「どうしたの、妖夢」

 

 暖かかった笑顔は、電気の作り出す僅かな暗さの中にあった。

 緑色に光る瞳は、ずっと開かれたまま。

 

 ――妖夢。

 

 お母さんが、名前を呼んだ。

 

 お母さん?

 

 ヨウムって、だれ?

 

 なんで違う子の名前を呼ぶの?

 

 ……ほんとに、お母さんなの?

 

 冷たいものが心臓の表面を伝い落ちる。

 お腹の底に落ちたそれに、私は、一歩下がっていた。

 おいでおいでをしていたお母さんは、そんな私を見て、眉を寄せた。

 あ……。

 だめ。

 怒らないで、お母さん。

 死んじゃう。

 怒ったら、お母さんが死んじゃう。

 怒らせちゃ、ダメだ。

 足を動かす。

 体がかちこちに固まっていて、上手く動かせないけど、それでも動かす。

 お母さんみたいに、ちゃんと、歩く。

 背にぶつかる刀が、私を押してくれているみたいで、少しだけまっすぐ歩けるようになって、すぐ、私はお母さんの前まで来れた。

 雨の匂い。

 雨の日の匂いが、お母さんからする。

 かすかに混じる、お母さんの匂い。

 はやく、ぎゅってして。

 頭を撫でて。

 目をつぶって、お母さんがそうしてくれるのを待つ。

 良い子ね、と、お母さんが言った。

 いつも、言ってくれる言葉。

 そう言ってくれた後は、いつも、頭を撫でてくれた。

 期待が高まる。どきんと、胸が高鳴った。

 して。

 して、はやく。

 私、いっぱい待ったよ。

 もう、たくさん待った。

 良い子にしてたら、お母さんが帰ってきてくれるって、教えてもらったから、良い子で待ってたの。

 お兄ちゃんの言う事をよく聞いて、ご飯も残さず食べて。

 だから、褒めて。

 

 手の近付いてくる気配。

 頭にじゃない。体の両側を通る腕の気配。

 あ、なでなでじゃないんだ。

 抱きしめてくれるんだ。

 頭のてっぺんに集中させていた意識を、体に下ろす。

 それから、抱きしめてくれるのを待った。

 

 悲鳴がした。

 水が蒸発する音も聞こえた。

 顔にかかる熱いものに、それが目の前からだと気付いた私は、目を開けて、すぐ、見開いた。

 黒い炎がお母さんを焼いていた。

 私から吹き出る黒い影が、お母さんに纏わりついて、苦しめていた。

 

「え? え……?」

 

 理解が追い付かない。

 悲鳴を上げ、髪を振り乱して腕を振り回し、影を追い払おうとするお母さんの体から飛び散る水が、黒いのに染め上げられてジュウジュウ溶けていく。

 なにこれ。

 何が起こってるの?

 なんでお母さん、ぐちゃぐちゃになってるの?

 

「グアアア……! あ、ああ、アアア!!」

 

 どろどろとお母さんの体が溶ける。

 一つの塊になって、床に広がって、ズルズル音をたてて逃げてゆく。

 お母さん?

 そっちは、壁だよ。

 

「う、グ、て、てったいデス……!」

 

 知らない女の声がした。

 優しい声じゃない。

 お母さんの声じゃない。

 ……お母さんじゃ、ない?

 壁に張り付いて蠢くそれは、もはや人型と不定形を繰り返す不気味な何かに成り果てていた。

 ようやっと気づく。

 黒い影に追い立てられて悲鳴を上げるそれから、ほんの少し、魔力を感じる事に。

 騙されてたんだ、私。

 この、よくわからない生物に。

 騙され、わたし、だま……。

 

「……く、も」

 

 声がかすれた。

 からからに乾いた喉。同じように乾いた目。

 汗の滲んだ首はとにかく熱くて、振り払うように腰に手を伸ばした。

 

「これ、ゴレハなんデっ!? ギああ!!」

 

 ぐにぐにと動く水の塊。

 きっと、私の心もそう。

 動いて、動いて、あっつくなって、溶けそうだ。

 ううん、もう溶けてる。

 全部、私の中で怒りに変わってるよ。

 

「うそつき」

 

 嘘つきは泥棒だ。

 泥棒?

 泥棒は、本とか、人のハートを盗む。

 ……ハートって、言い換えれば心臓だよね。

 じゃあ、お母さんを殺したのはこいつ?

 

「……たぶん、そうだよ」

 

 影がささやいた。

 そうなんだ。

 じゃあ、こいつは倒さないと。

 しゅるりと、白楼剣に結ばれたリボンを引き抜く。

 解き放たれた闇と氷の力は、それぞれ二つにわかれて私と水に襲いかかった。

 私には闇の力が。水には、氷の魔力が。

 ただの水か、それとも粘性の高い水か、とにかく不定形の何かは一瞬髪の長い少女の姿を取り、下半身……といっていいのか、壁に広く張り付いた水ごと下半身を捩りに捩り、影と氷の魔力から逃れようとした。

 でも、駄目だ。

 

「アアッ!」

 

 影が退いた直後に直撃した氷の力が、バキバキと音をたてて水の少女を凍らせていく。

 

「う、あ、あ……妖夢!」

「っ!」

 

 優しい声。

 見知らぬ小さな少女の姿で、体の下を凍り付かせながら、お母さんの声を発する水に、心を揺さぶられて。

 でもすぐ、私を襲う闇の力が、私を落ち着かせてくれた。

 心を蹂躙する黒いものが、実に心地良い。

 でも、無理。

 もう無理。

 声だけじゃ駄目だと思ったのか、少女は凍っていない上半身をお母さんの姿に変えてしまった。

 ダメだよ、それ。

 ずるいよ、それ。

 影がお母さんを襲う。

 怒り狂ったように纏わりついて激しく蠢く影に、お母さんは、お母さんの声で苦しがった。

 やめてよ、それ。

 耐え切れなくて、腕を振る。

 黒い炎は、そんな私に答えて、お母さんから離れてくれた。

 それから、窺うように私の顔の傍を漂う。

 

「あ、よ、妖夢……!」

 

 安心したように、お母さんは、お母さんの姿を偽る水は、その名前を口にした。

 手をだしては駄目よ。

 影に語りかける。

 あれは、私が倒すのだから。

 影は揺らめいて、私の後ろへ引っ込んだ。

 お母さんに歩み寄る。

 余程痛かったのだろう、涙の流れるままに、私の頬に手を伸ばしてきた。

 そうしている間にも、氷の魔法はその体を侵食していく。

 首元までかかると、決して届かない手を伸ばしていたお母さんの顔に焦りが生じた。

 

「ね、ネエ妖夢? これ、コレ、止メテ……!」

 

 お母さん?

 伸ばされた手が震えているのに、私の心も震えてしまう。

 知らず、頬を流れる熱い水に、拭って欲しくて、近づいてしまった。

 

「あ」

 

 でも、もう遅い。

 お母さんは、私の頬に手を伸ばしたまま、凍り付いてしまった。

 もはや、私の頬に、決して触れる事は無い。

 永遠に。

 

「――――」

 

 私に纏わりつく闇の力を、胸の前に持ち上げた拳に宿す。

 消えろ。

 消えてしまえ。

 その一心で、目の前の氷像を砕いた。

 粉々になった氷の欠片の一片までもを、闇の力が食い尽くす。

 ジュウジュウ音をたてて溶かし、悲鳴をものともせず、全てを消してしまった。

 後に残るのは、拳に残った硬くて柔らかい感触と、雨の匂いだけ。

 

「あ――」

 

 ――ああ。

 殺しちゃった。

 お母さん、殺しちゃった。

 

「あ、あああ……」

 

 声が漏れる。

 涙が落ちる。

 いつの間にか膝立ちになって、電気を見上げていた。

 揺れる銀髪も、ふわりと広がる白いスカートも、もうこの世には無い。

 私が消してしまったから。

 私が砕いてしまったから。

 ごめんなさい。

 ごめんなさい、お母さん。

 私は、悪い子です。

 悪い子だから、もう、撫ででくれないんですね。

 抱きしめてもくれないんですね。

 

 どうしようもない虚無感が胸の中にわき上がる。

 でも、それは、私に纏わりついた黒い炎によって掻き消された。

 気分が沈む。

 涙が引っ込むくらいには、感情の波も抑えられてしまう。

 でも、誰かの泣く声は聞こえた。

 一人じゃない。

 たくさんの声。

 たくさんの、女の子の声。

 それがみんな、泣いている。

 私の周りで泣いている。

 

 ふと、目の前に桜色の光の欠片が舞った。

 青い衣が広がって、それで私、目の前に誰が立っているのかがわかった。

 

『…………』

 

 私を見下ろす暗い瞳。

 桃色の唇は引き結ばれていて、何も語らない。

 ただ、指が。伸ばされた手の先の指だけが、手すりの向こう、壁の向こう、その先の外を指していた。

 その先には魔力を感じる。

 先生と、このかと、セツナと……クラスメイトの魔力と、誰か知らない、大きな力。

 斬れと言うのですね。

 私に、斬れと言うのですね。

 そうして答えを知れと、そうおっしゃるのですね。

 

『…………』

 

 幽々子様は、何も言わなかった。

 何も言わずに、青い蝶々を残して消えてしまった。

 ひらひらと舞う蝶。手すりを擦り抜け、壁を擦り抜け、どこか遠くに消えていく。

 落ちた雷の光が目を焼いた。

 

「いこっか」

 

 呼びかけると、いつの間にか泣き止んでいた影達が私を取り巻いた。

 風の魔法のように、ふわりと体を持ち上げてくれるのに、軽く地を蹴って階下へ降りる。

 自動ドアをくぐれば、雨の音が強まり、私へと降り注いだ。

 そんな物はすべて、影が遮ってくれる。

 再度浮かび上がった私は、蝶々の後を追って緩やかに飛び始めた。

 

 

 巨大なステージに、敵がいた。

 黒い帽子をかぶり、黒い服に身を包んだ長身の老人。

 ついでに、先生と、見覚えのない人と、アスナがいた。

 みんなもいる。

 ……このかも、いる。

 水玉の中から私に呼びかけて、水の壁をドムドムと叩いていた。

 

「妖夢ちゃ……!?」

 

 私の名を呼ぶアスナの前に下りる。

 すると、影が舞って、アスナを襲った。

 でもすぐ、戸惑うように揺れて、私の下に戻ってきた。

 それは、そうだよ。

 その人は敵じゃないよ。

 私を撫でてくれる人だよ。

 優しい人だよ。

 影は揺れて、それから、私に染み込んで炎のように揺らめいた。

 

「ほう、君は……どうやら危機を乗り越えてきたようだね」

「妖夢さ、あっ!」

「バカネギッ余所見すんなや! ぐっ!?」

 

 遠く、このステージを囲むように段々に配置された椅子の合間で老人と戦っていた先生が、私を振り向いた隙に殴り飛ばされ、殴りかかった見知らぬ少年が回し蹴りによって地面に叩きつけられ、跳ねた所を光線染みたパンチに吹き飛ばされた。

 

「ぷりんのヤツ、しくじったナ!」

「やられた可能性大デスー」

 

 そんな様子を眺めていると、左右から少女の声。

 

「妖夢ちゃん危ないっ!」

 

 アスナの声に、何が、と振り向く。

 危ないって、なんの事?

 

「隙アリ……!?」

「!?」

 

 飛び込んできた二人の少女は、私に取り巻く影に弾き飛ばされて床を転がって行った。

 咄嗟に防御したらしいけど、腕についた黒い炎はそう簡単にとれないだろう。

 消えるのも時間の問題だ。

 せめて言葉ぐらいは送っておこう。

 

「……先に地獄にい」

「むぅん!」

 

 台詞の途中で、飛んできた光線……パンチ? を避けるためにゆらりと一歩下がると、光線はアスナの前で光の壁に阻まれて消えた。

 ……のに、アスナがギャーギャー騒いでいる。

 殺す気か、なんて、私に言われても……。

 気持ちはわからなくないので、返す言葉も見つからずに、誤魔化すように老人の方を向く。

 老人は、再び向かって来ていた黒髪の少年を三発目のパンチで弾き飛ばすと、懐に潜り込んでいた先生を蹴り上げ、追撃の光線パンチで吹き飛ばした。

 

「っ、ふう。さて、君だ」

 

 涼しい顔して帽子を押さえ、私に向き直る老人に、三歩程近付くと、随分物騒じゃないか、と笑われた。ハッハッハ、と快活な笑い。

 でも、目はまっくらなままで、気持ち悪い。

 影達も言っている。気持ち悪いよ、殺しちゃえって。

 うん。やっつけちゃおう。

 後ろでこのかが私の名前を呼んでいる。

 他の人も呼んでるような気がするけど……正直、あんまり耳に入らない。

 このか。

 また、捕まっちゃったんだね。

 今度こそは、私が助けてあげる。

 そうしたら……。

 

「っ、ふむ。なかなか良い反射だ」

 

 このかの方を見ていると、再び不意打ちで遠距離パンチをされたので、ふわりと飛んで避けた。

 それだけに惜しいとかなんとか言っているけど、敵でいいんだよね、この人。

 先生を殴ってたし、うん、敵だ。

 向き直ると、老人は本当に惜しそうな顔で私を見ていた。

 

「君には抹殺命令が出ていてね。こんな有望そうな少女を殺すのは私としても忍びないのだが……」

 

 そんな事を言っている割には、なんだか楽しそうな気がするんだけど。

 腰に下ろした楼観剣を抜く。鈍く光る刀が雨に打たれて、妖しく輝いていた。

 これも依頼だ、悪く思わないでくれ。

 肩を竦めて、老人がそう言った。

 

「せめて、依頼主に代わって私が君を導いてあげよう。黄泉と夢への旅路にね」

「よみ?」

 

 思わず聞き返すと、老人は目を丸くして、おや、ちょっと難しい言葉だったかな、と言った。

 そんな老人の両脇に、復帰してきた先生と少年が戻り、ある程度の距離をとったまま構えた。

 

「要するにあの世だよ。わかるかい、お嬢さん」

「あの世? そんなものは、間に合ってます」

「うむ? ……いやはや、そんな言葉が返って来るとは……まったく素晴らしいね」

 

 ハッハッハ。

 また、気持ち悪い顔で笑う老人。

 ああもう、いい加減、いいよ、それ。

 私、もう斬るから。

 斬ったら、きっと胸の中の悲しいの、全部消えるだろうから。

 そうですよね? 幽々子様。

 

「私の剣は」

「?」

 

 空を見上げて、ぽつりと呟く。

 降る雨は全部、黒い炎に遮られている。

 それでも視界は大きく開いて、雨粒の一つ一つが鮮明に見えた。

 今ならその隙間さえ斬れそうな気がして、小さく笑みを零す。

 

「大体のものは斬れるんです」

「ほう、それは驚きだ。しかし、使い手の君」

「だからすみません。あなたも斬らせていただきます」

「――……う、うむ。その意気やよし。ならば」

 

 来るが良い。

 力強いその言葉に、私は水を蹴り上げて走り出した。

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