なりきり妖夢一直線!   作:月日星夜(木端妖精)

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第三話 麻帆良と初めての友達

 黒い炎が渦を巻いていた。

 何十何百もの怨嗟の声が私を責め立てる。

 憎い。

 もう少しだったんだ。なのに。

 お前たちさえ現われなければ……。

 

 炎の陰に見え隠れするのは、子供の様な笑顔のあの人で。

 もっと近くで見たいのに、もっと傍にいたいのに、私には、私を取り巻く黒い者たちをどかす術は思いつかなかった。

 

 

 目を覚ます。(わず)かに身じろぎすると、体中ぐっしょり濡れている事に気がついた。

 ぼやけた視界をぐるりと動かす。私が寝ているのはどうやらベッドの上のようで、周りは白いカーテンに囲まれていた。

 体を起こして、目を擦る。と、ずり下がった袖に違和感を覚え、なんだろうと見てみて、ぎょっとした。

 なぜか私は、青白い色の、薄い衣に包まれていた。

 私の服は……? そういえば、ずっと感じていなかった下着の感覚がある。

 ……いや、それ以前に私は……?

 衣の前をはだけ、厚いシャツをたくし上げてお腹を見る。白い肌には、傷一つついていなかった。

 何が起こっているんだろう。私にはさっぱり見えてこない。私の刀を折ったあの女は……。私は、あいつに刺し殺されたのではなかったのか。

 そうだとしたら、ここはあの世……?

 後ろに手をつくと、ベッドがぎしりと軋んだ。

 あの世なら、幽々子様にも会えるのだろうか……。

 ぼーっとしてそんなことを考えていると、カーテンが開いて、白い服を着た女性が顔を覗かせた。

 

「あら、起きたのね。待ってて、今お水を持ってくるからね」

 

 何をするでもなくぼーっと眺めていると、一方的に喋った女性は、いったんカーテンの向こうに消えて、少しすると水の入ったコップを持って戻ってきた。

 

「はい、お水」

 

 差し出されたコップを、思わず受け取る。確かに喉が(かわ)いている。ぐっと一気に飲み干すと、「大分良くなったようね」と女性が言った。

 

「それじゃあ、腕を上げてー」

 

 コップを返すと、それを持って引っ込んだ女性は、今度はタオルを持ってきた。言われるままに腕を上げると、はだけていた服をさっと脱がされて、目を瞬かせる。肌着も脱がされてしまった。……何のつもりだろう。

 タオルでごしごしと、腕や胸なんかを擦られながら考えて、ああ、と思い至る。穢れを取り払っているのだろう。

 きっとそうして真っ白な魂にして、次の生に送り出すんだ。

 惜しむらくは、このままでは幽々子様には会えないという事だ。

 私には、自分の身を証明する手段なんてないし、このまま終わるしかないのだろうか。

 

 体中を拭かれて、再び青白い衣を着せられる。

 もう少し眠っていてね、と言った女性が、私の前を通り過ぎた時、向こうの壁際に幽々子様が立っていた。

 

「っ!!」

 

 ギシ! とベッドを軋ませて、咄嗟に片膝をつく体勢をとる。だけど、冷たい瞳の幽々子様に、すぐに正座をして、両手を重ねて前につき、深く頭を下げた。

 

「申し訳ありません! 無様な姿を見せてしまい……!!」

 

 どうしたの!? と私の体を起こそうとする女性を気にせず、言葉を続ける。

 刀を失い、半霊もない。だけど、だけど私は、私はあなたの……!!

 

「どうしたの! そこには何もいないのよ!?」

 

 必死に言葉を紡ぐ私を止めたのは、女性の言葉だった。

 嫌な汗が背中を伝った。そんな、幽々子様……!

 何を言うにも遅すぎた。私が、あんなにも暢気にしていたから!

 それでも、藁にも縋る思いで顔を上げる。

 すぐ目の前に、幽々子様が立っていた。前にした両手の上に、二本の刀を乗せて。

 それが私の前に落ちると、女性が短く悲鳴を上げた。

 

「な、なに……? 急に……」

 

 黒塗りに、桜の花のあしらいが目につく長刀。白塗りに、黒いリボンの巻かれた短刀。

 冷たい目を細めてにこりと笑った幽々子様が、私を指さし、それをついっと刀に向けて、『あなたのよ』、と囁いた……気がした。

 幽々子様の口は動いてない。幻聴だったのかもしれない。それでも、おそるおそる刀を手にしてその重みと幽々子様の笑顔を見て、つばを飲み込んだ。

 からからに渇いた喉に液体が流れ込んでいく。……許された?

 私は、見放されていない? 幽々子様は、まだ、私の事を……?

 頭の中は疑問で渦巻くも、体は刀を抱きしめていた。

 鍔の冷たさが首に当たって、涙が頬を伝っていた。

 

「あり、とう……ざい、ます」

 

 詰まる胸に、ぐっと抑えて、掠れた声でお礼を言う。

 こんな、こんな声じゃなくて、もっとしっかりと言いたいのに……!

 

 幽々子様は笑みを深くして、それから……それから、手を振って消えていった。

 活力が戻る。こんな私を、まだ見捨てないでいてくださるなんて……。

 現世に戻ったら、絶対に半霊を取り戻して幽々子様の元へ帰ろう、と思いを新たにした。

 

 

 呆然としていた女性――おそらく、死神とかなのだろう――を見ていると、はっと気を取り戻して、私にもう少し安静にしているように、と言った。

 今は力を取り戻すのが先決だ。指示通り、ベッドに横になっていると、いつの間にか眠ってしまっていた。

 黒い炎の先の幽々子様。ああ、その笑顔が私の行く先を照らすのだ。……なんて。

 

 目覚めると、女性が私の体を拭いていた。ごしごしと動くタオルにむずがゆく思いながらも礼を言うと、気にしなくていいのよ、と優しい声で言われた。なんだか胸が暖かくなったような気がする。

 ……それにしても、背中を拭く時間がやけに長い。そんなに汚れているのだろうか。

 ……ああ、この行為が魂の穢れを清める行為じゃないのは、今聞いてわかった事。だけど、そうじゃなくて……どうして背中ばかり。

 聞くのも億劫なので、幽々子様から渡された刀に目を向けて、気持ち良さに緩みかけていた顔を引き締める。

 ……もうだらしないのはなしだ。

 きれいな衣を着なおさせられて、女性に言われるままにベッドから出て、机の前の椅子に座る。体調はどうかと聞かれた。

 悪いところはないと答えると、机に向かった女性は、なにやら紙に書き込んで、それから、引き出しを開けると、私のカチューシャを取り出した。

 

「随分汚れていたから、洗っておいたの」

 

 そう言って渡されたカチューシャは、初めて見た時と同じようにリボンを揺らしていた。

 受け取って頭につけると、しっくりする。あとは服が戻ればいいのだけれど……贅沢を言っても仕方ない。現世に戻ったら、どうにかしようと考えた。

 具合を見つつ、ついでに髪に手を通すと、さすがに汚れているのがわかった。体の汚れは持ち越されるらしい。そういえば、ここでも汗は掻くみたいだし。

 少し考えて、カチューシャを外した。

 お風呂に入りたいんでしょ、と聞いてきた女性に頷いて見せると、女の子だものね、と言われた。

 ……男でも女でも、お風呂には入ると思う。もしかして、私が男に見えていたのだろうか。

 胸に手を当てて、女性のと見比べてみて、ああ、これじゃあしょうがない、と溜息を吐いた。

 

 女性に連れられて、広いお風呂に移動した。お風呂というより……銭湯?

 今時のあの世は極楽と変わらないのでは、なんて考えつつ、湯をいただいた。いいと言ったけれど、手伝わせて、と頭を洗われた。……気持ち良かった。

 用意されていた新しい服に身を包む。いつか見た、高校生の制服みたいで、ほんの少し嬉しかった。……着てみたいと、思っていたから。

 それでも、いつものあの服じゃないと落ち着かなくて、背に吊るした長刀の位置を直す。

 女性は、なぜかはしらないけど、意識して刀を見ないようにしている気がした。

 

「そうしたら、学園長の所へ行きましょう」

 

 最初にいた部屋に戻り、変な棒を腋に挟んだり、おかゆをいただいたりしていたら、女性がそう言ってきた。

 ……ガクエンチョウ? ……ガクエン……学園、長?

 

「あの世、じゃ、ない?」

「はい?」

 

 笑顔で聞き返してくる女性を無視して、食器を置いて立ち上がる。どくんどくんと、心臓の鼓動が強く聞こえていた。……生きている? ならば……ならば、ここは。

 

「麻帆良学園……」

 

 小さく零した言葉に、そうよ、と女性が答えた。死神などではない、ただの女性だ。

 

「近くで倒れていたあなたを、生徒がここまで運んできてくれたの。酷い熱だったけど、外傷はなかったからここの設備でもなんとかできたわ。……ああ、後で、あなたを助けてくれたお姉ちゃんにお礼を言いに行きましょうね? ……それから」

 

 聞いてもいないのに舌を回す女性を一瞥して、椅子に座りなおす。私を運んだ生徒……あいつか?

 そういえば、私が今着ているのと同じようなものを身に着けていた記憶がある。……それに、傷がなかったとは、どういうことだろう。なんで治ってる?

 わからないことが多い。だけど……うろたえるわけにはいかない。幽々子様が見ているのだから。それに、事情は学園長という人に聞けばわかるだろう。女性が言うには、今後の私の身の振り方を話すために、今から会いに行くらしい。

 ……侵入者である私の、今後の話……。

 不穏な気配に、背の刀の柄を掴むと、女性は露骨に目をそらした。刀なんて幻よ、と繰り返し呟いている。……幻なんかじゃないのに。

 

 女性の案内で、この建物の上へと上っていく。途中途中でそばを通る部屋の向こうから、何人もの女性の声が聞こえてきていた。

 

 学園長室と書かれた札の付いた扉をノックした女性が、返事を待って中に入るのに続いて、部屋の中に入る。

 最初に目についたのは、白い(ひげ)だった。

 

「ありがとう、滝下先生。詳しい話は後で聞こうかの。……さて、そう警戒せんでもええじゃろ」

 

 後ろ頭の伸びた老人……学園長の言葉で出ていった女性が扉を閉じるのを後ろに、ただ足を開いて、背にある刀を左腰に回した。

 妖怪……妙な感じがする。たぶん、妖怪で間違いない。警戒するなと言われても、警戒を解ける要素がなかった。

 質の良さそうな机の向こうに、後ろに腕を組んで立つ学園長が溜息を吐く。

 それから、自己紹介をしてきた。コノエモン。……たぬき型ロボット? ……そういえば、学園長とはなんだろう。校長みたいなもの? 偉いのだろうか。

 

「……こんぱく、ようむ、です。……白玉楼で庭師と、幽々子様の剣術の指南をしています」

 

 しかし、自己紹介をされたなら返さないわけにはいかないので、警戒を緩めないままに早口に言う。剣術……と学園長が呟くのが聞こえた。

 

「うむ、では妖夢ちゃん。君はなんの目的でここに来たのかね?」

「……半霊を取り戻すため……です」

 

 なれなれしい呼びかけに、ぴくりと眉が動くのを抑えられなかった。優しげな声に薄気味の悪さを感じて、跳ね退けるように声を出す。

 

 と。

 学園長の目が、私の目を捉えていた。

 全身が緊張して固まるのに焦燥を覚え、ぎゅっと柄を握ることで自分を保つ。

 いつの間に、私の目を。

 縮こまってしまった筋肉を動かそうとしてみるも、石にされてしまったみたいに動けない。嫌な汗が額に浮かぶ。

 おのれ、妙な術を。

 こうなったら、実力行使しかない、と全身で刀を抜こうと力を込める。ぎしりと身が軋んだ。だけど、それだけで、刀は抜けてくれない。こんな、こんな固いなんて!

 

「……悪い娘ではなさそうじゃの」

「んぎぎ……え?」

 

 急に、力の抜けたような声で言われて、思わず聞き返していた。

 と、体全体にかかっていた重圧が消える。

 ……何がしたかったのだろうか。

 柄を指で押し上げて、今度はいつでも抜けるようにすると、髭を撫でつけた学園長が「お主の根を見せて貰った」とかなんとか言った。

 ネ? 『ね』ってなに?

 柄を握ったり、緩めたりを繰り返しながら言葉の意味を考える。

 学園長も、ひたすら右手であご髭を撫でつけながら、何かを考えているようだった。

 向こう一面の大きな窓から差し込んでくる光が雲に(さえぎ)られると、部屋の中が暗くなり、すぐに戻る。

 考えてみてもわからなかったので、本来私が聞きたい事を聞く事にした。

 

「…………はて、幻想郷……とは、初めて聞く地名じゃの」

 

 私の質問に、学園長がぴくりと眉を跳ねさせて、だけど、そう言った。

 ……一瞬知っているかと思ったけど、違うみたいだ。

 しかし、この妖怪でさえ知らないときた。どうしよう。幽々子様に頼るわけにはいかないし……。

 とりあえず、本当に何もわからないのかと、幻想郷の特性や、冥界の説明をする。学園長は、首を横に振った。

 

「ふむ、それはそれとして、妖夢ちゃんの服のことなんじゃが」

「じゃあ、あの鬼はなんだ?」

 

 かぶせるように、強い口調。

 鬼はみんな、外の世界から消えているはず。どんな鬼でもここにいるのはおかしいじゃないか。

 

「オバケじゃよ」

 

 ……おばけ?

 眉を寄せて聞き返す私に、学園長は大袈裟なくらい大きく頷いた。

 

「この学園には、時折にあのような悪いオバケが入り込んでくるのじゃ。そんな時、勇気ある者が立ち上がり、追い払う」

 

 ……勇気、ある者。

 脳裏にぱっと浮かんだのは、私を刺し殺した……いや、刺した、制服を着た女性だった。

 制服……。

 

「それは、あなたの生徒?」

 

 そうなるの、と学園長は笑った。

 

「それで……君の服の話なんじゃが」

「服?」

 

 ああ、うん、それはもういいかな、と高い声で学園長が言った。

 ???

 

「……服と言えば、あれは私の制服のようなものです。返していただけないでしょうか」

 

 意味のわからない言葉は無視して、思い出した大事な事を言う。だけど学園長は、あの服はもうボロボロで、捨ててしまったと言った。

 私はてっきり、全部取られてしまっていたのだと思っていたけど、そうなら仕方ない。

 ならば同じ物を用意しようか、と提案されて、少し逡巡してから、こくりと頷いた。せっかくの提案だし、そうして貰った方が良いと思った。

 ここで貰わなくても、自分で用意しなきゃいけないんだし。

 

「それと、幻想郷……じゃったかな? それを探すための拠点が欲しいなら、それもこちらで用意しよう。その代わり、三つ約束して貰いたい事がある」

 

 ……なぜそこまでしてくれるのか。疑問に思い、そのまま口にした。

 君を手伝いたいのじゃ、と学園長は笑う。ただ、それだけ?

 ……凄い人だ。

 

 刀を収め、背に戻した私は、お礼と詫びの意を込めて頭を下げた。

 もしかしたら、傷を治してくれたのも、この人なのかもしれない。……いや、きっとそうなのだろう。偉い人みたいだし。

 ……借りができてしまった。どうやって返そう。

 

「……なに、気にする事はない。……うん、ほんと、気にせんでよいぞ? ……ほんとにね?」

 

 私にできる事はありませんか、と問うと、幾度か髭を撫でつけながら、学園長はそう言った。

 深い皺とまゆ毛の中の目が、右と左を行ったり来たりするのに首を傾げて、「ならば」と声が発せられるのに背筋を伸ばす。……今の私は、どう見えているのだろう。だらしなくないといいのだけれど……。

 

「先程言った通り、三つの約束をしてくれれば良い。……それでよいかの?」

 

 こくりと頷いて返す。

 

「では、言おう。一つ、危険な事をしない。広い意味でじゃ。君の刀の振り方を信じとるよ。二つ、周りの大人に頼る事。……ああ、君がしっかり者なのはわかっている。だが、何か困った事があったら、身近な大人に相談しなさい。三つ、これが一番大事な事じゃが」

 

 ゆっくり、一言一言を聞き取り易いように話していた学園長は、そこで言葉を切って、天井を見上げた。

 五秒程待って、まだ天井を見ているので、私も天井を見上げてみた。

 ……灰色だ。光っていない電気が、寂し気にくぼみに収まっていた。

 

 顔を戻しても、学園長はまだ上を見ている。せわしなく動く片手に、とても重要な事なのだろうと考えた。

 受けた恩は返さなくては。雑用でもお化け退治でも、何でもやろう。あんなお化けなら怖くないし。むしろ、刀で斬れるお化けならば大歓迎だ。……斬れないのは、だめ。

 

 「うーん」とか「あー」とか声を出す学園長の次の言葉を緊張しながら待っていると、ふと、学園長が顔を戻していた。

 

「この学園で暮らす以上、ワシは君に笑って過ごして欲しいと思っている」

 

 ……?

 ちょっとよくわからなくて目を(またた)かせると、うん、短くても良い、君に幸あれ、と言って学園長は締めくくった。それが、三つ目の約束だと言って。

 ……笑って過ごせ? どういう意味だろう。ずっとにこにこしていろ、という事?

 ……それが、望む事だと言うのなら、わかった、私はそうしよう。

 にっと笑みを形作ってみると、「……無理にとは言わんよ?」と高い声で言われた。髭がぴくぴくしている。……いけなかったのだろうか。

 笑みを引っ込めると、学園長は大袈裟に頷いて、「自然が一番じゃ」と言った。それから、机を回ってこちらに歩いて来る。

 

「妖夢ちゃんを新しいおうちに案内する人の所まで、案内しよう」

 

 案内する人の所まで……? 学園長は、やっぱり忙しいのだろうか。

 扉を開け、先に出て行った学園長を慌てて追いかける。

 慣れない下着の端っこを引っ張って、位置を直してから部屋の外に出ると、後ろ手に手を組んだ学園長が待っていた。

 私を確認すると、前を向いて歩きだす。それについて行きながら、私を案内する人とはどんな人なのだろうと考える。男性か、女性か。……私を看病してくれていたあの女性だと、気が楽で良いんだけど。

 来る時とは打って変わって、しんと静まり返った廊下を歩いていく。気のせいか、空気が張り詰めているような気がした。

 しかしそれも、学園長が一つの部屋に目をやる頃には、たくさんの声に消されていた。

 ざわざわと、大人数の声。なんだろう、お祭り? いや、学校じゃお祭りはやらないだろう。……宴会、かな。

 当たりをつけていると、スライド式の扉を開けて、眼鏡をかけたスーツ姿の男が出てきた。何やらたくさんの紙を抱えている。

 その白髪の男性が学園長に声をかけ、男性が答える。……学園長に怪我? そんなもの、あっただろうか。

 その男性から紙束を受け取った学園長が、先に進んで行くのについて行こうとすると、「おっと、君は?」と声をかけられた。

 答える言葉は持ち合わせていなかったので、会釈をして、学園長の後を追う。

 端っこまで移動すると、その部屋の前で学園長が止まった。開いた扉からは、何人かの女性……女子生徒が出てきて、何人かに声をかけられたけど、その元気さというか、勢いに押されて黙ってしまっていると、一様に首を傾げて離れて行った。

 ……テンコオセエとは、何の事を言っていたんだろう。……私はそんな宇宙人みたいな名前じゃないのに。

 学園長の顔を見上げると、微笑みかけられた。よくわからない。

 

「来たようじゃの」

 

 下を向いてスカートをひらひらやっていた私は、学園長の声に顔を上げ、すぐ刀に手をかけていた。

 部屋から出てきたのは、私を刺したサイドテールの剣士だった。

 

「まずは、お疲れさまじゃ。テストの調子はどうだったかの?」

 

 驚いていた様子の――それでも、わずかに足を開き、体をこちらに向けているのを私は見た――剣士は、慌てたように学園長に頭を下げ、それから、一応は、と弱々しく答えた。

 

「ふむ、信じよう。それで、刹那君。頼みたい事というのは」

 

 セツナ……それが、こいつの名前か。名を知り、いっそう刀を持つ手に力が入る。少し敵が明確になった、気がする?

 とん、と背を押されて、思わず一歩前に出た。何事かと見れば、どうやら学園長に背中を押されたらしい。まだ、私の背中に手が添えられている。

 

「この子を、寮まで案内して欲しい。……そこに住むんじゃよ」

 

 なぜですか、と聞き返したセツナに、学園長はそう答えた。

 ……ああ、そういえば、そういう話だった。という事は、私を案内するのはコイツか。

 セツナは、しばらく何か言いたそうにしていたが、荷物を取ってきます、と言って部屋の中に戻って行った。

 学園長の手が、刀に手をかけていた私の手に重なり、そっと下ろされる。

 目が合うと、「六四四号室じゃ。よいか、六四四号室じゃぞ」と言って、すっと私から離れた。

 ろくよんよん……ごう、しつ? よくわからないけど、覚えておこう。たぶん、家の名前とか、目的地の名前なのだろう。八番地、みたいな。

 

「ムシシと覚えるとわかりやすいかもしれんの」

 

 私の横をすり抜けた学園長が、言って、それから、セツナ君によろしくの、とつけたして、長い廊下の先へと歩き去って行った。

 背を見送ってから十秒程して、カバンと細長い袋を持ったセツナが出てきた。学園長の姿を探しているのか、左右を見回しているのに「行ってしまった」と声をかけるべきか迷っていると、「学園長は?」とセツナの方から声をかけてきた。

 戻って行った、と言おうとして、上手く声が出ないのに下を向きながら廊下の先を指さす。

 そうか、と短く言って、セツナが歩き出すのを見ていると、ついて来るように言われて、私は小走りで彼女の後を追った。

 

 

 外に出て、人の波に乗って、道を行く。

 前を行くセツナの背中を見ているのにも飽きていた私は、辺りを見回して景色を楽しんでいた。

 ……高い建物(たてもの)が、いっぱい。都会に来てしまったみたいだ。それに、たくさんの人。こんなに周りに人がいるのなんて初めてで、何だか不思議な感覚だった。

 

「……具合は」

 

 不意に、凛とした声。

 その出所(でどころ)が目の前なのだと気づくのに少しかかってしまった。

 歩きながら、わずかにこちらに顔を向けて、「具合は、悪くないか」と聞いてくる。……なぜ、私の体調なんかを気にするんだろう。

 そう疑問に思っていると、お腹に傷は残っていないか、と続きの言葉。……それを気にしての言葉か。

 傷は治っている。良く寝たおかげなのか、お風呂に入っておかげなのか、気分も良い。……目の前にお前がいなければ、もっと気分は良くなるだろう。

 と、ああ、そうか。だから、私の傷を気にしたのか。……どうしてか知らないけど、彼女は私を刺した事を気にしているらしい。

 ……少し、目をつぶって考える。確かに、刺されたのは……うん。

 でも、それは敵同士として対峙したのだから仕方ないし、先に仕掛けたのは私だ。

 ……それに、受けた傷より、治して貰った傷の方が多い。だからもう、気にしないでおこう。

 

「……大丈夫」

 

 全部ひっくるめて、声に出す。

 そうか、と小さく呟いた彼女は、それから、すまない、と続けた。

 

「気が動転していた。判断ができなかった。……いや、そんな言い訳はいいか。それより、君の……そういえば、名前を聞いていなかった」

 

 早口で何事かを呟いたかと思ったら、名を聞かれていた。魂魄妖夢、と短く答える。

 

「こんぱ……私は、刹那……桜咲、刹那だ」

 

 桜、咲き……?

 彼女の名を耳にするのと、ひらりひらりと桜が舞い落ちてきたのは、同時だった。

 ……たくさんの、桜の木。桜並木。それは、とても綺麗で、私は心を奪われて足を止めていた。

 それに気づいたサクラザキ……セツナが、同じように足を止め、こちらを向く。サイドテールがぴょこんと揺れた。

 

「……君の、刀を折ってしまった事も、謝ろう」

 

 舞い散る桜の花びらに幽々子様の舞う姿を重ねていると、そんな言葉が耳に届いた。

 

「……折った? 私の刀を?」

 

 何を言っているのだろうか。私の刀は、折られてなどいない。彼女には私の背負っている物が見えていないのだろうか。()()()()()()の二本が。

 

 彼女が何かを言おうとするのにかぶせて、折られてなどない、と言う。彼女は怪訝な顔をして、だけど、それ以上は何も言わず、前を向いて歩きだした。

 ……変な人。

 しばらく会話もなく歩いていくと、階段があって、橋の上にのぼった。下に細い川が流れていた。向こうにある大きな建物が『寮』なのだろうか。

 その建物の前まできた時、再びセツナが口を開いた。

 

「……君は、なぜここに住む事に?」

 

 その問いに、建物に向けていた目をセツナに向けて、その表情が妙に鋭いのに違和感を覚えた。

 何かを警戒しているような顔。だけど、何も感じない。彼女は、何にも対応しようとしていない。背負っている袋(大方、刀でも入れているのだろう。というか、刀以外に入りそうな物が無い)を下ろす事もしない。

 小首を傾げて、そのまま小さく首を横に振る。

 知らない。なぜ、ここなのか、なんて。

 セツナは妙な顔をしたまま建物の中に入って行った。私もそれに続くと、紅い両開きの扉の前で彼女は待っていた。

 

「むしし……ろく、よん、よん」

 

 何号室か、という問いに学園長から聞いたままの事を言ってしまい、すぐに言い直す。

 それを聞いたセツナは、何やら矢印の描かれたボタンを押して……棒立ちになった。

 ……?

 頭上にハテナマークをいくつも浮かべていると、唸るような重い音が上から降りてきて、小気味良い音が響いた。

 扉が開くと、狭い部屋があって、刹那がそこに入り込む。扉脇の位置に立って私を見てくるから、仕方なく、正体不明の空間に足を踏み入れた。背後で扉が閉まる。こんな狭い部屋で、何をっ……!?

 ぐん、と重圧がかかってくる感覚によろめいて、横の壁に手をつく。……なに? なにが起こってるの?

 何だか気持ち悪い感覚にしばらく耐えてから、セツナにこれは何かと聞こうとして、再び小気味の良い音。それと同時に重圧が消え、扉が開いた。……景色が変わっている。

 先に出て行くセツナの後をふらふら追って、外に出る。私の背じゃ、仕切りの外を見下ろす事はできないけど、高い所まで昇ってきたようだ。

 

「……まほうみたい」

 

 呆けたような声が出てしまった。

 セツナがこちらを見る。不思議そうな顔をしているけど、そういう顔をしたいのはこっちだ。

 歩き出すセツナの後を追いながら、さっきの部屋が何かを考える。……程なくして、答えが出た。エレベータだ。

 ……あれが、話に聞いた。

 ……初めて乗ったけど、あまり気分の良いもんじゃない。これだと、階段でのぼった方が良さそうだ。

 エレベータは使わないでおこうと決意していると、一つの部屋の前で立ち止まっているセツナの姿が目に入った。

 またエレベータかと思ったけど、どうやら違うらしい。扉の横の壁にあるプレートに人の名前らしきものが書かれていた。

 セツナは、それを変な(これ以外に表現できない)目で見ていた。

 

「……そこが」

 

 声をかけると、小さく首を振って、一つ先の扉に移動した。そこが私の部屋だと言う。

 そこへ歩いて行く時、なぜセツナが隣の部屋の表札を見ていたのか気になって、立ち止まった。

 見上げた先の鉄製プレートには、二つの名前が書かれていた。

 かみ……らく、さか……あしたな? あすな? ちかい、えい……読めない。

 それから、とってつけたような紙に、ネギ、と食材の名前。首を傾げて、セツナの(もと)へ。すると、妙な顔をしているセツナが、鍵は、と聞いてきた。

 ……かぎ? そんな物、貰ってない。

 

「何? ……それは困ったな」

 

 むっと眉を寄せ、セツナが言う。部屋に入れない? ……なら、別に良いけど。私はそこら辺で寝る。

 この建物を出ようとセツナに背を向けると、ピリリ、と電子音が聞こえた。その後に、セツナの声。

 振り向いてみると、セツナはケータイを耳に当てていた。

 

「あ、学園ちょ……あっ、はい。……はい」

 

 どうやら、電話の相手は学園長のようだ。何やら話しつつ私をちらちら見てくるので、少し首を傾げて見せる。言いたい事があるならはっきり言って欲しい。

 やがて電話を終えると、鍵は開いているらしいと言って、

 

「何かあれば、私か学園長に……」

 

 わずかに細めた目を私に向けて去って行った。

 エレベータの動く音が聞こえなくなった頃に、ドアを開けて中に入った。

 玄関に靴を脱いで、フローリング張りの廊下に足を乗せる。靴下越しに冷たさが伝わってきた。

 部屋の暗さに辺りを見回して、壁にあるスイッチを切り替える。電気がついた。

 中は広く、いくつか天井に埋め込まれた電気を見て目を細め、それから、その先の部屋の中を確認する。

 左右は壁。途中に右を向いた大きな姿見がぽつんと立っているが、その向こうの壁には何も置いておらず、ただ窓があった。右に少し離れて、もう一つ窓。

 右の壁に手を添えて、五歩。壁が右に折れると、その先に二段ベッドがあった。右の壁に、扉が三つ。一つは小さなお風呂に続く脱衣所で、一つはお手洗いで、もう一つはキッチン。流し台の上には外を覗ける小窓がついていた。それと、中身のない冷蔵庫が置かれていた。

 部屋に戻り、考え事をしながらカーペットの上を歩く。誰か住んでいたのだろうか、部屋の中はとても綺麗だ。こうしてカーペットの上を歩いていても埃一つ舞わない。後ろのベッドにしかれている布団も、一目見て清潔そうだと思った。

 ……それにしては、家具が少ない。

 まあ、どうでもいい事。拠点は手に入れた。後は、半霊を探すだけ。

 鏡の前で、服の裾を引っ張ってみたり、体をひねって横から見た感じを確かめてみたりする。……うん。

 そういえば、半霊といえば、サクラザキセツナ。……あれは、どうやら違ったらしい。……間違いなく、違う。そう感じる。……いや、今はそんな事、どうでもいい。……学生さんみたい。……いいなあ。

 しばらく自分の姿を眺め、それから、何もない方の壁際に歩み寄って、刀を下ろして背を預け、座り込む。自分の膝を抱きしめて、膝の上にあごを乗せた。

 何かよくわからいけど、疲れた、ような気がする。

 目をつぶると、まぶたの裏の暗闇がぐるんと回った。

 

 

 パチン、と硬質な物同士を打ち合わせるような音が聞こえて、目を開いた。暗い。

 ここは……。

 寝ぼけ眼で暗闇を見ると、ぼう、と幽々子様が浮かび上がった。薄い桜色の光が足下から照らし上げているのがとても幻想的で、ぼーっとそれを眺めていて……はっとした。

 慌てて口元の涎をぬぐい、片膝をつく体勢をとる。固くなっていた背中を急に動かしたせいか、痛い。それと、鞘を踏んづけた膝も痛い。

 とにかく頭を下げると、幽々子様が動く気配。目だけで窺えば、ちょいちょいと、手の平を下に向けた手を私に向けて、上下に動かしていた。

 来い……? ……違う。もしかして、顔を上げろ?

 あっているかわからなくて、ゆっくり顔を上げる。にっこり微笑んだ幽々子様が、ぱっと開いた扇子で口元を隠した。いちいち動きが(みや)びで、涎を垂らしていた自分と比べてみて、とても恥ずかしくなってしまった。頬が熱くなるのがわかって、むぐむぐ口を動かす。……恥ずかしい。情けない。

 そんな私に、幽々子様は首を傾げて……ふわりと揺れる髪が綺麗で……すっと、着物が翻るのを自然と目で追っていた。

 光の粉を引いて歩む幽々子様が二段ベッドの前で止まって、私に体を向ける。扇子を閉じると、腕を下ろし、反対側の腕をゆっくりとベッドに向けた。

 

「……幽々子様?」

 

 細く、小さく声をかける。……ベッドを指して、私に何をしろと……もしかして、もしかして、一緒に……?

 立ち上がり、歩み寄る。体が震えてしまいそうだった。だって、私……そういうの。

 お腹の前で手を合わせてもじもじやっていて、ふと、気づいた。

 ……あれ? 幽々子様の指、あれ……? ……えっと、ベッド……の下の隙間を……。

 くすりと笑って、幽々子様はぱぁっと消えてしまった。後には、呆然とした私だけが残った。

 ……頭を振る。うん、今のは、違くて。私は別に、勘違いなんかしてなくって。……うん。

 気を取り直して、幽々子様が指し示していたベッドの下を探ると、足を畳むタイプの机が出てきた。小さな四角。

 他に、下に何かないかと探してみたけど、何もない。テーブルなんて……どうすればいいんだろう。

 暗闇に慣れた目で部屋の中を見回して、とりあえず、カーペットの中心に置く事にした。

 また壁際に戻り、腰を下ろす。半霊を探すという仕事があるけど、ちょっと休みたい。

 なんて考えていると、チャイムが鳴った。人、みたいだ。

 取り回しやすい白楼剣を掴んで玄関に向かう。警戒しつつ扉を開けば、作業服に身を包んだ男が、人の良い笑みを浮かべて立っていた。……下にいる私に気づくと、ぎょっとした顔になったけど。

 何か用かと問えば、彼は傍らに置いていた大きな段ボールを抱えて、お届け物です、と言った。

 判子なんて持ってないので、渡されたペンでサインをする。ペンを返すと、私の署名を見た男がふっと笑った。……?

 首を傾げつつ、荷物を受け取る。中に運ぶと言われたけど、自分でやると押し切った。……結果、重さに潰れた。笑い声に顔を真っ赤にして部屋の中に逃げ込む。どうして私は、いつも、こう……!

 ぱっと電気がつくのにごしごしと顔をぬぐって、男に体を受ける。一応、お礼を言おうと思った。それと、あんまり笑わないで欲しい。

 部屋の外まで男を見送って(笑顔で手を振り続けるので、姿が見えなくなるまで小さく手を振る羽目になった)、ふと、部屋の奥にパチンと音が響いた。

 振り返れば、電気が消えている。……壁際に幽々子様が立っていた。

 部屋の中に向けていた顔を私に向けて、すっと腕を上げる。指した先は、たぶん、電気のスイッチ。ただそれだけやって、幽々子様は消えてしまった。ふわりと舞う光の蝶々が、私の立つ部屋の外まで飛んでくる。

 それがひとしきり手すりを照らしてから空気の中に溶けて消えていくのを見送りつつ、明るいのが嫌なのかな、と思った。……確かに、暗い方が綺麗。

 ……うん、もう電気はつけないようにしよう。

 

「こんにちは」

 

 部屋の中に戻ろうとして、かけられた声に動きを止めた。

 見れば、私と同じ制服を着た少女が、柔らかい笑みを私に向けて立っていた。

 軽く頭を下げると、彼女は長い黒髪を揺らして首を傾げ、ここに越して来たのか、と聞いてきた。

 そんな事を聞くお前は……そこのノブに手をかけているという事は、その部屋の人間、か?

 小さく頷くと、やたら嬉しそうに「やっぱり!」と手を合わせた。

 

「ウチは、近衛木乃香っていいます。これからよろしくな、お隣さん」

 

 嬉しそうににこにこして、いきなりの自己紹介。……答えないと駄目なのかな。

 

「……こんぱく、ようむです」

 

 目を横に向けて、名前を言う。少しして、よろしくお願いします、とつけたした。ご近所付き合いなんてした事がないから、どう対応していいかわからない。

 だけど、彼女……コノエコノカは、私の言葉に満足したようで、「それじゃあね」と言って部屋に入って行った。

 しばらく、閉まった扉を見つめる。そういえばそこは、セツナがずっと見ていた部屋だ。

 ……さっきの女性と何か関係があるのだろうか。

 はんなりとした笑顔を思い出して、眉を寄せる。それから、私も部屋の中に戻った。

 明るい所にいたせいか、少しの間暗闇に目が慣れなくて、気にせずに進むとダンボールに足を引っ掛けて転んでしまった。

 ……邪魔な。

 早く片付けてしまおう、とダンボールを見る。……流石に暗くてよく見えない。

 目を凝らすと、近衛近衛門……学園長の名前があった。コノエ……さっきの女性も近衛の姓だった。血縁者か何かなんだろうか。

 白楼剣でガムテープを切り、こじ開ける。……? ぷちぷちがいっぱい詰まっている。何でこんな物を……あ、取れた。

 大きなダンボールの中には、一番上に封筒と、重なるように制服の替えや、この部屋の鍵らしき物、食器やロウソク、洗濯板なんて物まで入っていた。生活に必要そうな物がいくつも。

 封筒には、お金と手紙が入っていた。

 

『当面はこれで生活して欲しい。足りなかったら言いなさい』

 

 入っていたのは、二十万円。大きな額。

 ダンボールの中身を出し、それらを片付けようとして、ああ、と息を吐く。まずは棚が必要だ。

 何だやる気が出なくて、食器やらをダンボールに詰めた私は、壁際に寄って座り込んだ。

 食欲もないし、このまま眠ってしまおうか。

 体が落ち着いてくると、緩やかに眠気が覆いかぶさってくる。

 目をつむっていなくとも暗いのに、まぶたを下ろすと、完全な暗闇に包まれて、私の意識は落ちていった。

 

 

 引き裂かれる。鮮血が飛び散る。

 怒号が飛び交い、向かう先へと幾条もの光が飛ぶ。

 怒りも憎しみも後悔も、全ては雷にのみ込まれた。

 

 

 私に覚醒を促したのは、前と同じ、チャイムの音だった。

 ゆっくりと目を開く。徐々に暗闇に慣れていく中で、少し汗を掻いてしまっているのに気づいて、だけど、気にせず立ち上がる。

 ……何か、嫌な夢を見ていた気がする。思い出そうとしてしまう自分の頬に触れ、血液の流れに意識を集中して気を逸らす。

 ……まだ少し、眠気がある。今度はどのくらい眠っていたのだろう。カーペットを踏みしめ、玄関に向かう。

 ゆっくりと扉を開けると、そこに立っていたのは先程の女性だった。確か……コノエ……モン?

 タッパーを抱えた、ああ、コノカだったかが、や、と声をかけてくる。その後にこんばんはと続いて、ようやく外が暗い事に気がついた。部屋の中も暗いから、わからなかった。

 

「ひゃあ、暗いなあ。電気つけてへんの? ひょっとして寝とった?」

 

 なんて考えていると、私が黙っているのが機嫌が悪いからと思ったのか、そやったらすまんな、と困ったように彼女は笑った。

 違うと言うのも面倒なので、端的に目的を聞く。彼女は、持っているタッパーを私に差し出してきた。お裾分けや! ……らしい。

 食欲をそそる匂いに眉を寄せると、ん? と小首を傾げられる。別に、そんな気遣いはいらない。

 ……たぶん。

 刺激されたお腹がくー、と音を鳴らすのにそうつけ加えて、顔を逸らす。あはは、と彼女が笑った。

 

「その様子やと、夕ご飯はまだみたいやな。はい」

 

 胸元に近づけられたタッパーを思わず受け取る。できたてなのか、熱が手に伝わってきた。

 

「煮物は大丈夫? 嫌いな物とかない?」

 

 すっと腰を折った彼女に顔を近づけられて、少し引いてしまいながらもこくこく頷くと、そか、とだけ言って、元の姿勢に戻った。

 変わず笑顔なのに、不思議な気持ちを抱いた。

 その顔がふと、不思議そうな顔に変わる。……私の顔に何かついているのだろうか。……もしかして、服に涎が?

 自分の体を見回していると、お昼とおんなし格好やね、と言われた。……それが?

 疑問に答えるように、彼女は風呂に入ったかどうかを聞いてきた。まだだけど、それを聞いてどうするつもりなのだろうか。

 彼女はぽんと手を打って、

 

「そや、そやったら『涼風』行かへん?」

「……涼風?」

 

 うん、おっきなお風呂。手を合わせて、どう? と聞いてくる彼女に押されて、つい頷いてしまった。

 ほんなら、ご飯食べて、準備したら呼んで、な? そう言うと、彼女は手を振って自分の部屋に戻って行った。……静かな嵐みたいな人。

 いつまでもぼけーっとしている訳にもいかないので、部屋に入り、ダンボールの中からお箸を発掘する。上半分が水色で、兎の絵柄。値札を引っぺがして、それをキッチンで洗うと、さっそく煮物を食べてみる事にした。

 炊飯器はぽつんとあったけど、お米が無いので炊けない。少し残念。テーブルの前に正座して、小さくいただきますを言う。タッパーの蓋を開けると、出汁の濃い匂いがした。口内に一気に唾液があふれるのに、ん、と声を漏らす。涎が垂れそうで、ちょっとはしたないと思った。

 里芋、人参、大根……内容物を箸で転がしていて、鶏肉が入っているのに首を傾げる。手羽? 何で、これが。

 変に思いつつ、お腹が催促するので、里芋を口元に持ってきてふーと息を吹きかける。電気が付いていたら、きっと白い湯気が昇っていただろう。だいぶ良くなってきたと判断して一口齧る。

 

「ーっ!!」

 

 口の中に広がった酷い濃さに思わず咳込んでいた。口を手で押さえ、げほげほとやる。

 何とか里芋を飲み込むと、目尻から涙が零れ落ちた。……なんて、こいあじ。

 ……そういえば私、ここ数か月薄い味の物しか食べてない。それでいきなりこういうのを食べちゃったから……。

 食べるのをやめるか悩んで、だけど、お腹の訴えに負けて食事を続ける事にした。

 棒付き飴を舐めるみたいに里芋をぺろぺろやっていると、舌の痺れも引いてきて、味もわかるようになってきた。人参なんかを口に入れてみても、普通においしいと思えるまで回復していた。

 頬を緩ませて、ひょいひょいと煮物を口に運んでいく。こんなおいしいものは、久しぶりだ。

 私が作るのとは味が違うけど、でも、それが良い。不思議な感覚。

 コップに水を注いできて、それを飲みつつ食べ進めていく。三分の一程口にすると、お腹が満たされるのを感じた。……まだこんなに残ってるのに。

 お腹を擦りつつ、タッパーの蓋を閉めて冷蔵庫に持って行く。横たわっているコードを跨ぎ、大きなコンセントを繋げて、明かりがつくのを確認してから冷蔵庫にしまった。

 コップに残っている水を飲みほし、それとお箸を洗おうとして、洗剤が無いのに溜め息を吐いた。買いに行かないと。

 

 さて、お風呂だったっけ。

 お手洗いの隣に小さいのがあったけど、約束した以上、そこで済ます訳にはいかないだろう。一つ息を吐いて、ダンボールに足を向けた。

 食器も制服も取り出して、値札が付いたままの肌着や下着を集める。……ドロワーズが無い。それも買わないと。

 とりあえず、替えの制服と肌着、それに下着を纏めて、二刀を背負い、部屋の外に出る。

 手を伸ばして隣の部屋のチャイムを鳴らすと、然程時間も経たず彼女が出てきた。何やら色々入った風呂桶を抱えて、最初から笑顔。

 待たせた事を詫びられたので、待ってない、と首を振る。そう? と言いながら扉を閉めた彼女が、私の持っている物を見て、あれ、シャンプーは? と言った。

 ……そういえば、持ってない。

 正直に言うと、ほんならウチのを貸すえ、と返されるのに、悪い気がして首を振ると、遠慮せんでもええんよ、と笑いかけられた。

 

「さ、行こか」

 

 すっと出された手につられて目をやると、手を繋いで行こうと言う。

 ……流石に、それは。

 はっきり口に出すのは嫌なので、目だけで訴えると、ごめんごめんと彼女は手を振った。

 

「妖夢ちゃんちっこいから、なんやウチがしっかり連れて行かなあかんと思ってな?」

 

 背に手を添えられて、彼女が歩き出すのに合わせて私も歩き始める。

 でも、そーか、と彼女が言った。

 

「妖夢ちゃん、中学生か。不思議な感じやね」

 

 そう言いつつ、すっと背の刀を撫でられるのを感じる。

 不思議そうに私が背負う刀を見ている。……変、なのかな。

 

「私、学校には行ってません」

 

 刀に触れられているのが気になって、でも、どうしてか嫌じゃないので放っておく。

 彼女は『?』マークを頭上に浮かべて、そやから、テンコウして来るんやろ? と言った。……テンコウって何だろう。天気?

 あや、この場合は、転入かな、と天井を見て、それから、ウチと同じクラスだったらいいなあ、と言った。

 ……私は、別に、学校には行かないのだけど……。

 上機嫌そうな彼女を見ていると、水を差すのも憚られて、私はうつむいた。……や、その前に、エレベータは嫌と言ってから。……はい、階段で。

 んふ、と笑みを零す彼女に押されるままに階段を下りていく。下を見ていると、視界の端に彼女の髪がちらちらとして、少し気になった。……夜の闇に溶けてしまいそうだって思ったから。

 

 夜だけあって、布に覆われてない膝や手とか、顔が冷たい。でも、制服は分厚くて、それに、背に置かれた手が、暖かくて。

 だから、だろうか。

 ふっと彼女が腕を上げた時に、そっと、服を摘まんでしまったのは。

 顔の横の髪に指を通した彼女は、私を見て、それから、何も言わずに手を取ってくれた。

 にっこり笑いかけられるのに、こちらも少しだけ笑って返す。……こうして誰かと手を繋ぐのは何年振りだろうか。ずっと刀ばかり握っていた。もしかしたら、人の手の温もりなんて初めてなのかもしれない。

 冷たいなあ、と彼女が言うのに、頷いて返す。手が冷たい人は、心が温かいのだとかなんとか言われて、ちょっと恥ずかしくなった。

 

 夜の桜並木を歩く。道に散らばった花びらが夜の夜闇に華やかさを演出していた。

 

「剣術」

 

 桜道に入ってすぐ、左に曲がると見えた大きな建物を前にして、彼女が短く口にする。やっているの、と聞かれて、背に吊るした刀の重みを感じる。

 こくりと頷くと、そか、とそれだけ言って、少しの間静けさが下りた。

 建物に入って、階段を上ったりして奥に進む。人がおらんなあ、と彼女が言った。

 確かに、脱衣所だろうか、棚に籠がたくさん詰まっているこの部屋には、人の気配はなかった。

 浴場に近い所に荷物を置き、私は刀を下ろす。誰もいない、けど、他の誰かに盗られたりしないか不安だ。……触られるのも嫌。……彼女は、別に嫌じゃない。ご飯くれたし。

 思い出したので、おいしかったと伝えると、彼女は大胆に服を脱いでいるところだった。

 なにがー? と間延びした声で聞き返されるのに、煮物と答えると、あっ、と何やら忘れていたかのような反応。

 一緒にお風呂に行く事で頭がいっぱいで、忘れてたわ、と恥ずかしそうに笑うのに、私も笑ってしまう。

 そんなに私とお風呂に入りたかったんだ。……何でだろう。

 

「でも、そか。おいしかったか。そう言って貰えるとウチも嬉しいわ」

 

 あっという間に肌を晒した彼女が言うので、笑って頷くと、何でか怪訝な顔をされた。

 

「……妖夢ちゃん、何で脱がんの?」

 

 ……ああ、忘れてた。

 桶を棚から取り出しながら、何か言いたそうに私を見てくるので、慌てて服を脱ぐ。それらをぱっぱと脱いでしまうと、手早く畳んで棚に押し込んだ。

 刀は……流石に持っていけない。

 

「白いなあ」

 

 と小さく言う彼女にてきとうに頷きつつ、手を引かれて浴場に入る。

 と、むっとした熱気が体の全面を撫でつけた。

 ……広い。やっぱり、銭湯みたいだ。

 昼とは雰囲気の違う浴場の中をきょろきょろ見回していると、からからと音を立てて扉を閉めた彼女が、行こうかと手を引いた。

 足の下のタイルの冷たさや、揺れる自分の髪とか、そんな事を気にしている内に彼女の手によって洗われる事が決定していた。……何でも頷くものじゃない。でも、なんの脈絡もなく「ウチが妖夢ちゃんの体、洗ったげるえ」と言われて、流れで頷いてしまったのだ。

 やっぱり自分で洗うと言ったら、嬉しそうに私にシャワーを浴びせる、鏡の向こうの彼女はどんな顔をするのだろう。

 これも一食の恩だと思って、黙ってされるがままにしていよう。そう思ったところで、ふと、彼女の指が背を滑った。左の肩甲骨の辺り。

 くすぐったさに身を丸めると、なあに、これ、と声。

 

「変な傷痕……さんじゅう?」

 

 鏡の向こうの彼女は、ひとしきり首を傾げた後、近くに置いていた容器からシャンプーを手にとって泡立て始めた。

 頭に手を置かれて、泡が目に入らないようにきゅっと目をつぶると、ねぇ、と、彼女の声が耳元で。

 静かに響いた声に耳を傾ける。深く息を吸うような気配があった。

 少しの間をあけてから、

 

「ウチと友達になってくれない?」

 

 ……なんて。

 ……トモダチ……友達の事?

 なぜ今そんな事を言うのだろう。薄く目を開けて、鏡越しの彼女の表情を窺おうとするも、私の後ろに隠れるようにしていてよくわからなかった。

 ただ、雰囲気から真剣に言っているのだという事はわかった。

 手を伸ばしてシャワーを取り、泡を洗い流す。

 目元の水滴をぬぐってから、どうして、と後ろに声をかけた。

 

「……どうして、って」

 

 緊張しているような声に、後ろを振り向く勇気はなかった。

 だって私……友達とか、よくわからない。

 きっと、魔理沙と霊夢のような関係を指すのだろうけど……なぜ、出会ったばかりの私とそういう関係になりたいのかがわからなかった。

 そう伝えると、彼女は、

 

「理屈じゃないんよ。……びびびっときたんや。この子と友達になりたい、親しくしたいって」

 

 おかしいかな、とはにかむ彼女に、黙って首を振る。それは、きっと、変じゃない……。

 でも……だけど。友達って。

 

「ど、やって……もだち、なるか、わから……」

 

 情けないくらいに小さく掠れて消えた言葉は、それでもどうにか届いたみたいで。

 彼女は、嬉しそうに微笑んだ。

 

「名前を、呼んで」

 

 髪の毛の先から落ちた水が、手の甲を濡らす。肩に手を置かれて、少し顔を上げた。

 

「それが、最初の一歩。お互いの事を知るのは、それからや。……ウチは妖夢ちゃんの事がもっと知りたい。それから、ウチの事も知って欲しい」

 

 ゆっくりと、優しい声が背中越しに響く。

 優しい……声。……どうして?

 そんな声、聞くと、そんな風に、近付かれると……。

 ああ、今、周りに人がいなくて良かった。この気持ちをどうしていいかわからないから、きっと斬ってしまっていただろう。そうすれば、わかるから。

 でも、今私の手に刀はないから。……だから、うん。

 答えは、するりと自然に口から出てきた。

 

 

「それじゃ、おやすみなさい」

 

 短く手を振って扉の向こうに消えていったこのかを見届けて、しばらく。

 吹く風に熱を奪われるのに、ふっと息を吐いて、私も部屋に戻った。

 暗い中に佇む幽々子様が私を見つけて、笑う。……幽々子様、私、今日、初めて友達ができました。

 

――それは、よかったわね。

 

「……はい!」

 

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