なりきり妖夢一直線!   作:月日星夜(木端妖精)

50 / 87
二十五日までの完結を目指したい。三日置きに更新できるといいなあ。



第四十三話 もう一人の私

 廊下を歩いていた。たくさんのクラスメイトの話し声がする廊下。無機質な電気の明かりが、ずっと続く道を照らす。窓の外は暗く、私以外に、出歩いている者はいない。

 こつこつと足音が鳴る。くぐもって響く談笑の声とは別。その事が心細くて、足を速めた。

 教室の前に着く。見上げたガラス窓からは何も見えない。中の様子が窺えない。はやる気持ちに押されるまま扉に手をかけて、でも、躊躇した。開けていいのか、わからなかった。

 なぜ、迷う必要があるのだろう。よくわからない事を悩んで、答えが出ないまま、そっと扉を開けた。

 ガラガラと横にスライドしていく扉の向こうには、(まばゆ)い光が広がっていた。

 クラスメイト達が笑い合い、話している。そんないつもの風景。誰かは机の上に腰かけているし、誰かは他人の椅子に座って仲の良い友達と話しているし、誰かは授業の準備をしていて、誰かは食べ物を売っていた。

 教室の中に足を踏み入れる。教室中が透明な水で満たされているのか、水面に体が沈んでいくように、服が重たく揺蕩った。遅れて半霊も入り込む。重い感覚が体を包む。

 誰も、私を見ていなかった。誰かと誰かが交わす言葉は、私には聞こえない。時折、よく聞く声や、誰の声なのかがわかる音も混じるけど、雑踏の中にいるみたいに、それらは意味をなしていない。ただ、騒がしいだけだった。

 教壇の前に立つ。ちょうど、そこが教室の真ん中。目の前の長机には誰も座っていない。手を置くと、滑らかな表面は冷たくて、それが本当に机であるかは、怪しかった。

 人や机の合間を縫って、自分の席に行く。左右に続く、クラスメイトの席。空席もあれば、埋まっている席もある。横に向けた視線の先にある窓は、白い光を放っていて、外は見えなかった。眩しさに目を細め、前へ顔を戻す。

 歩き回る人を避けて、最後方へ行けば、そこに私の席は無かった。

 

 

 温もりの中で目を覚ました。

 腕をあげようとすると、薄いかけ布団をのかしてしまって、隔てられていた空気に触れると、自分の体がとても熱を持っているのがわかった。

 寝て起きたからそう感じるというだけではない。どうしてか影が未だに泣いているから、体中が熱を持っていた。

 痛かったり、苦しかったりはもうしないけど、体の至る所に(めぐ)る影の存在が、重かった。

 

「あ……目、覚めましたか?」

 

 木製の天井付近に浮かぶ半霊を見ていると、横から声。……先生の声。顔を向ければ、私の寝ているベッドの横に、椅子に座る先生がいた。椅子ごと空中に倒れているのは……ああ、私が横になってるせいか。

 少し頭を上げて、まくらに擦り付けてしまった髪の調子を整えようとしつつ、先生の顔を見る。頭が働かない。先生がいるという事しかわからなくて、瞬きをした。

 

「背中は痛みませんか」

 

 静かに問いかけてくる先生に、一拍置いて、自分の体には痛みなど無い事を確認し、もぞもぞと頭を揺り動かす事で痛くないと伝えた。

 そうですかと頷いた先生は、それ以上は何も言わず、黙って私を見下ろした。

 …………。

 もぞもぞと足を動かす。かけ布団のかかっていない部分を擦ると、冷たくて気持ち良い。そうやって動くと、腰に白楼剣が無い事に気付いて、それ以上に、黙って見つめられているという事に居心地の悪さを感じた。

 なんで何も言わないのだろう。何か言ってくれたら、私、きっと答えるのに。

 一度合わせてしまった目はなかなか外せなくて、しばらくの間見つめ合った。頭はぼやっとしているのに、焦燥だけははっきりと募って、耐えられなくて、口を開く。

 

「……ここは」

「えっと、医務室です。妖夢さん、師匠(マスター)との戦いで気を失ってしまったんですよ」

 

 どこですか、と言う前に答えられてしまって、タイミングを外してしまった言葉を飲み込んだ。

 医務室……ああ、私、負けたのかな。

 両目に腕を押し付けて、寝返りを打つ。

 まぶたの裏に、瞬間的に映像が走る。エヴァさんとの試合。でも、試合の内容や結果より、最初にエヴァさんが話していた事が、一番上に浮かんでいた。

 手を伸ばせば届くくらいのところに、私の未来がある。たしか、エヴァさんはそんな事を言っていた気がする。私は直後にそれを否定したけど……今思い出してみて、それが本当なのかもしれないと思い始めていた。

 なぜかはわからない。

 ……だって、私は、馬鹿だ。なんにもわからない。少しの悩みさえ解決できない馬鹿だ。どうすればいいのかすらわからない。私が、今後、どうすればいいのか……。

 このままじゃ絶対駄目だ。そう思っているのに、このままでいたいと思う私がいる。

 何かを変えてしまいたくない。でも、変えないと……私は『きれい』になれない。

 脳裏に浮かぶ妖夢(わたし)の姿に、それが理想でしかないと嫌という程わかっていて、だから、私。

 ごろんと、反対を向いた。先生の方。先生は、膝の上に置いた手に持っている懐中時計に目を落としていた。時計……時間を気にしてる?

 ……そっか。私が負けても、大会は続く。次は先生の番、だったかな。

 プログラム表は貰ったけど、今、手元には無いし、自分の名前しか見てなかったから、他の人のは覚えてない。だから、正確に次の試合が誰と誰のものなのかがわからない。先生と、誰か? ……たぶんそう。

 

「センセ、試合は……いいの?」

 

 先生、と口にして、胸が痛んだ。先生が行ってしまったらどうしようって思った。だって、先生がいなくなったら、私、一人になる。おいてかれるの、嫌……。

 

「試合見れなかったら、きっと小太郎君凄く怒るだろうなって思ってました」

 

 私の言葉に顔を上げた先生は、困ったように笑いながらそう言った。コタロー君? ……次の試合は、コタロー君のものなんだ。

 なら、先生、まだここにいられるよね。

 傍にいてほしいって気持ちが出てきて、同時に、先生が試合を見に行きたがっているのも感じられて――それはどちらかというと、『見に行かなきゃならない』、が正しいのかもしれない――起こそうとした体は、ベッドに張り付いたまま動かなかった。

 

「センセ……」

「どうしました? あ、ど、どこか痛いですか!?」

 

 ただ呼びかけただけなのに、慌てて先生が立ち上がったのは、きっと私が情けない顔をしているからなんだろう。心細い。手が、寂しいの。体もそう。全部、寂しい。ずっと傍にいてくれる人がほしい。今すぐほしい。なんでこのかはここにいないの? 私、気を失ってたんだよね。なんで、来てくれないの。

 胸の中にあふれ出す気持ちの一部が、声になって外に出る。それは、と言いよどんだ先生は、真剣な目をして、師匠《マスター》が、と言った。

 

「大勢で押しかけない方が良い、と。それに、特にこのかさんは、今は傍に行かない方が良いって……」

「エヴァさんが……」

 

 なんで。

 答えはわかっているのに、エヴァさんに言われただけで、このかが私の下に来てくれない事が悲しくて、誰にともなく問いかけた。

 先生は、一瞬だけ目を走らせて、すぐに私に目を合わせた。真剣な表情。いつもみたいな、誤魔化し笑いは浮かべていない。

 

「ごめんなさい、妖夢さん」

 

 …………。

 布団の中、先生に見えないところで、強く布を握った。

 

「僕、妖夢さんが体調悪いの知ってたのに……自分の事ばかり考えてて」

 

 ずっと、辛かったんですよね。

 自分を責めるのと、私に謝るのが混じった言葉。それは、何か違うのに、そう言ってくれるのが嬉しかった。私に、謝ってくれるのが。私の事を考えてくれるのが。

 

「今は、大丈夫です」

「でも、まだ顔色が悪いですよ」

「それは……」

 

 それは。

 また、別の原因があるから。

 影と、最近ずっとついて回る、私の悩み。迷いと言いかえてもいいそれが、私の心を重くしていた。

 答えを知れれば、全部なくなるって思ってた。でも、答えなんて見つからない。考えてもわからない。聞きたくても、こんな事聞けない。聞く事じゃない。言ってほしい事なの。認めてほしいの。私は、このまま、ここにいていいって。そう言ってほしい。その場凌ぎの嘘じゃなくて、一生続く言葉で。

 そうじゃなきゃ、私、自分がわからなくなる。わかってるのに、そうじゃないって思ってしまって。はっきり別れている半霊と違って、この気持ちは、ずれているだけで、ずっと私にくっついていて、だから、辛いの。

 先生……先生なら、これ、とってくれる?

 

「悩み、ですか?」

 

 小さく呟いた言葉に、先生はきょとんとして、それから、小さく首を傾げた。どんな悩みですか、と続く声に、目をつぶって言葉を探す。

 

「悩みがあるなら、協力しますよ。先生、ですからね」

 

 ……先生だから。

 それ、いらない。先生だからっていうのは、いらない。

 あなた自身の言葉がほしいの。わがままだって、私、自分の事、棚に上げてるってわかってるけど……ほんとの気持ちが欲しかった。

 

「ネギ、センセ……」

 

 名前を含めて、呼ぶ。

 声は返ってこない。促す雰囲気だけがあった。きっと、私が悩みを話すの、待ってるんだ。

 少しだけ傾けた先生の顔に落ちる影。そこにあってなお綺麗だと思える目が、羨ましかった。

 等身大。先生は、等身大だ。みんなも、そう。みんな、自分自身で、生きている。

 私は……私は。

 

 これ以上考えるのはよそう。

 

 その先を考えるのをやめても、気持ちは消えない。

 先生に手を伸ばす。目の前の現実。でも、手は、伸ばせなかった。布団から出た手は、少しも上がらない内に力無く落ちて、そのまま。

 自分の手の動きを追っていた目を先生に戻す。私の言葉を待っている。時間も無いのに、待っててくれている。

 そんな先生になら、私の全部をぶつけても、大丈夫なんじゃないかと錯覚してしまいそうだった。

 先生に肯定してほしい。自分はここにいていいと。今の自分でいいと。でも、ほんとの自分も見てほしい。手を握ってほしい。名前を呼んでほしい。してほしい事がたくさんあった。

 試合になんていかないで、ずっと傍にいて。私を見て。ほんとの気持ちをちょうだい。そうしたら、私も、ほんとの気持ちを……。

 私……。

 

「私、きれいになりたいの」

「綺麗に、ですか?」

 

 ひょろろと下りて来た半霊が、私のお腹の上に乗った。重みの感じない半透明の塊。

 先生は、長い尾を揺らす半霊を見ながら、頬のバンドエイドを撫でた。滲む赤色に、手を外に出していたくなくて、布団の中に隠した。

 

「妖夢さんは綺麗ですよ」

 

 ……そういうのじゃ、ないの。

 よどみなく言った先生は、笑って、綺麗ですよ、と繰り返した。

 この私の、どこが? ただ綺麗だと言うのなら、先生は、表面しか見ていない。

 私は、綺麗なんかじゃ。

 

「妖夢さんと一緒にいる時、よく思うんです。綺麗だなって。小さいのに力強くて、なのに、目を離したらいつの間にかいなくなってしまうような、そんな雰囲気も、そう思わせるんだと思います」

 

 ゆっくりと、つっかえる事無く言う先生に、私は何も言えなかった。

 でも、不満を感じ取ったのか、先生は、私の事をたくさん話す。

 

「思い返すと、妖夢さんはいつもきらきらしているような気がします。髪の色のせいかな。綺麗だって思うのは、それだけが理由じゃなくて、ほら、妖夢さん。いつも黙々と動くから。これと決めた事があるみたいにまっすぐ歩く姿は、僕より大人なんじゃないかなって思わされて。だから、綺麗だなって」

「…………」

 

 黙って先生を見ていると、先生は言葉が足りないと思ったのか、声がとか目がとか、挙句に拳法の型の話までしだして、とにかく私の色々が綺麗なんだと語った。

 何も言えずに、かけ布団を引っ張って、頭までかぶる。カチューシャで止められてない髪の毛が巻き上がるのさえ気にならない。両手で顔を覆って、息を止めた。

 

「……あれ? あの、妖夢さん?」

 

 …………私のどこが綺麗なのかとは聞いたけど、そんなに……そんなにたくさん言われるとは思ってなかった。それが恥ずかしくて。

 それだけじゃなくて、涼しい顔で私の事を話す先生に、なんとも言えない気持ちがわきあがって。

 たぶん私、嬉しいんだと思う。先生が、私の事を見てくれていたってわかったから。

 でも、今の私、きっと酷い顔になってしまってるだろうから……見られたくなかった。

 大丈夫ですか、具合が悪くなったんですかと話しかけてくる先生に、布団の中から少しだけ手を出して、ひらひら振ってみせる。大丈夫、ちょっと、あれなだけだから。……あれが何かは、自分でもよくわからないけど。

 顔に血が上るのがわかって、それも凄く恥ずかしくて、お腹の上の半霊に意識を集中させて、気持ちを誤魔化そうとする。

 ……無理だった。

 全然気持ちが抑えられない。顔が熱くて、燃えてしまいそうだった。

 

「しあい……」

「?」

 

 どうにか捻り出した声は掠れていて、意味が届かず、聞き返す声。

 試合……先生、試合、見に行けば。

 ほら、コタロー君、怒るだろうって言ってたし……怒らせるのは、駄目だから、ね?

 だから、はやく行ってほしい。ここにいてほしくない。

 

「試合、ですか?」

 

 心の中ばかりで言葉があふれて、何一つ口に出せないから、伝わらない。

 先生に、出て行ってほしいの。この部屋から。見られたくないの、顔。

 傍にいて欲しいって気持ちは羞恥に塗り潰されて、もうどこにもない。ただ恥ずかしくて、絶対に、誰にも顔を見られないように、一人になりたかった。

 熱い頬を擦る。口に出さないと。声に出さないと。そう思っても、胸の奥が膨らんで痛くなるだけで、少しだけ開いた口からは、意味のある音は出ない。

 一度声を上げてしまったから、先生は私の言葉を待ってるのに、このままでは、ずっと待たせてしまう。

 申し訳なく思う気持ちと、羞恥にせっつかれて、強く目をつぶって息を吸った。息を止めて、たくさんの感情をせき止める。今は、我慢しないと。それで、伝えなきゃ。言いたい事。

 布団を少しずつ下に押しやって、端が額にかかるくらいに、両手で端を掴み、ほんのちょっとだけ顔を出す。目、だけ。それで、先生を見た。先生は、静かに私の言葉を待っているようだった。

 

「あの……」

 

 あ。言葉、間違えちゃった……。

 あの、じゃなくて、最初から出て行ってって言おうと思ってたのに、まだ上手く話せなくて、つっかえてしまった。

 それでも先生は、笑みを浮かべたまま私を見下ろしている。

 ……出て行って、だと、酷いかな。もうちょっと、違う言葉にしなきゃ……。

 

「えと、センセ……外」

「試合の様子が気になるんですか?」

「ちが……違います、センセ。私、一人になりたくて……」

「え、でも」

 

 最低限伝えたい事は伝えられたので、再び布団の中に逃げ込んで、顔を隠す。何かを言おうとする先生に、いいから、先生は試合を見に行って、と強めに言えば、タイムマシンがあるからとかなんとか言っていた先生は、少しの間の後、「それじゃあ、少ししたらまた来ますね」と言った。

 だから、一人になりたいって言ってるのに。

 でも、今いなくなってくれるならなんでもいい、か。

 先生があっさり『去る』と言ってくれたおかげで、少しだけ気持ちが軽くなって、硬くしていた体から力を抜く。

 ……で、いつ出て行くんだろう。

 布団の中にいるから、先生の姿は見えないけど、座ったままだってくらいわかる。時間でも確認しているのだろうか。

 時計に目を落とす先生を想像して、それにしてもまだ立ち上がらないのは変だと思った。ひょっとして、ずっと私を見ているのだろうか。

 体のどこかがくすぐったくなるような感覚に身動ぎして、体を丸める。膝を抱えると、心臓の脈打つ音が体の中で大きく聞こえた。私と壁の間に転がり落ちた半霊を浮かべて、体の上に戻す。いつの間にか、影は泣き止んでいた。

 

「それでは」

 

 どれくらい経った頃か、囁くような小声で言った先生が立ち上がる気配がして、それが遠のいていくのを確認してから、息を吐いた。やっと行った……。

 気配を探りながら、布団から顔を出して、改めて先生がいないのを確認してから仰向けになる。

 先生、何をしていたのだろう。角っこにあるこのベッドから見る限りでは、椅子が片されているだろうくらいしかわからない。

 ……あ。

 外で強い魔力を感じて、体を起こす。膝の上に転がった半霊を上から押さえて止め、すぐに消えた魔力の感覚を掴む。

 ……時間を戻す時計を使ったのだろう。なんで今? ……ああ、たぶん、私が長く引き止めたせいなんだろうな。そうすると、少しの間残っていたのは……時間調節の為かな。いや、よくわからないけど。

 

「はぁ……」

 

 後ろに両手をついてベッドを軋ませ、息を吐いて天井を見上げる。その行動に特に意味は無い。あまり力の入らない体が再び動き出す時間までの繋ぎ。膝の上で上下する半霊を押し退け、浮かばせて、自分の体の代わりにぐるりと泳がせる。空を飛ぶような感覚が私の体に返ってくる。ようやく動けそうになったので、ベッドの脇にある、小さな棚の上に置かれていたカチューシャに手を伸ばした。……届かなかったので、うんと体も伸ばして、指先に挟んで引き寄せた。

 手櫛で髪を梳いて整えてから、カチューシャをつける。腕時計と白楼剣も手に取って、それぞれ左腕と腰に括りつければ、とりあえず、いつもの私。楼観剣は無いけど……。ちゃんと返して貰えるのかな。

 私の姿をとった半霊がベッドの脇に立って、私が差し出した腕を引くのに合わせ、ベッドを降りる。少しふらついた。靴を履き、スカートの端を引っ張って伸ばして、それから、服のどこにも皺がないかを確認。胸元のリボンが少しずれていたので、結び直す。

 横に立つ半身と視線を交わし、半身が半霊に変わると同時、歩き出す。医務室を出れば、そこは神社の敷地内で、近くで大きな歓声がしていた。そっちにもう用は無いから、神社も出てしまって、広い道を行く。

 腕時計を確認すると、私が試合に出てから一時間も経っていないのがわかった。クラスの手伝いの時間まではまだあるし、気分転換も兼ねて、てきとうにぶらつこう。

 出店の前で談笑する親子や、道を行く男性などを眺めながら、何をするでもなく歩く。

 喧騒のただなかではあるけど、体調は、少しずつ良くなっているようだった。ローブの人が仇ではないとわかったからか、単純に、距離をとり、かつ時間を置いたからなのかはわからないけど、少なくとも今は、影は比較的大人しかった。……さっきまで感じていた恥ずかしさや何かが抜けると、埋めるように、気持ち悪さや吐き気が戻ってきてはいるけど、そう強くはない。我慢できるレベルだった。

 ただ、一人で歩いてると、嫌でも色々と考えてしまう。

 私の悩み。それから……幽々子様の事。

 疑う余地はない。あの方は本物で、だから、私を導いてくれている。力を貸してくれている。そのはずなんだけど……。

 薄い何かが剥がれ落ちたみたいに、私や幽々子様を囲む世界が穴開きになって、そこから見える景色は……真っ暗で。

 よくわからなかった。

 本当は、わかっているのかもしれないけど、わかりたくなかった。

 考えると、気持ち悪いの、もっと酷くなるし……だから、考えない方が良いのだろう。

 

「…………?」

 

 道のずっと向こうに、懐かしい気配があった。

 懐かしい? 懐かしいというより……なんだろう。よくわからない。

 いつかどこかで感じた事のあるような気配に、自然と、足がそっちに向いていた。気配までは遠い。時折、気になったお店の前で立ち止まる。見た事無いものが、まだまだたくさんあった。

 人通りの少ない細道を抜け、大きな広場を通って、複雑に入り組んだお店とお店の間を行き、また大通りに出る。近くに幅の広い川がある場所。流れる水の音が、左右に建ち並ぶ内の、左の家の向こう側から聞こえてきていた。

 その道をまっすぐ行くと、背の高い建物は少なくなってきて、特に左側は疎らに建物が建つのみになり、川が見えるようになった。短い草に覆われた斜面は、少し先の道に繋がっている。道路の脇や、斜面の下の河川敷なんかにもぽつぽつと屋台があって、少なくない人がそれぞれの時間を過ごしていた。

 川を流れる、小さな船に似た何かの群れを眺めながら歩いて行けば、目当ての気配はもうすぐ傍にあった。

 黒く硬い地面――コンクリート、いや、アスファルトだっけ――から外れた、右側に並ぶ三つの屋台。手前から、ヨーヨー釣り……じゃなくて、なんだろう……船すくいと書かれてるけど、見ただけじゃよくわからない。二つ目が綿あめ屋さんで、一番奥が焼きそば屋さん。その屋台の影に隠れるように、気配はあった。

 

「…………」

 

 ひょろろ、と半霊が泳ぐ。

 気配を頼りにこんな所まで来てしまったけど……私、ここがどこだか知らない……。ぼーっとしながら歩いてきたから、道もよくわからない。どう帰ろうかな……。

 川に沿って歩けば帰れるだろうか。飛んだ方が早いかな。

 帰りの心配をしながら、それぞれの屋台を覗きつつ、足を進めた。気配の主がなんなのかなんて、不思議なくらい、気にしていなかった。

 「おう、どうしたんだい」と力強く言って、よくわからない鉄の板で焼きそばをひっくり返している焼きそば屋さんに会釈をして、屋台の側面に回る。

 

 私がいた。

 

 ……一瞬理解が追い付かなくて、立ち止まる。アスファルトに擦り付けた靴の音が異様に大きく聞こえた。

 備え付けのベンチに腰掛け、膝の上に焼きそばのパックを広げてつついていた()は、割り箸で麺を挟んで口に運び、咀嚼しながら、不意にこちらを見て、動きを止めた。もぐ、とゆるく動いた口をそのままに、妙な沈黙が下りる。

 河川敷で遊ぶ子供の声や、焼きそばが焼かれる音や川の流れる音の中で、その沈黙は一つの音になって、私達の間にあった。

 固まる()の代わりにか、傍に浮いている半透明の塊が表面を波打たせながらくるりと回ってみせた。反応して、私も半霊を動かしてしまう。その奇妙な一体感が、少しの間、彼女が何者なのかという疑問を私から忘れさせてしまった。

 私とは違う白い髪以外は、そっくりそのまま、私と瓜二つだった。そよ風に揺れるカチューシャや胸元の黒いリボンも、緑のベストもスカートも、投げ出された足の靴下や靴の種類も、戸惑うように揺れ動く半霊さえも。

青い瞳が私から外れて、下へと向けられた。視線を追えば……焼きそばがあって。

 彼女は二度、私と焼きそばとを見比べて、それから、どこか残念そうにパックに割り箸を挟んで閉じた。輪ゴムで括りながら立ち上がると、半霊が人の姿をとり、お店の壁にたてかけられていた長い刀を、目の前の()に手渡した。鞘の末端付近に花が差してあるのを目で追った。

 そこまできて、ようやく私は、彼女がいったい何者なのかと疑問を感じる事ができた。今の今まで鏡を見ていたようだった感覚が、警戒一色に塗り潰されていく。

 

「何者だ」

 

 楼観剣を腰に下ろそうとして、今、手元に無い事を思い出す。目の前の自分は持っているから、自分も持っていると錯覚してしまった。舌打ちして、目の前の怪しい奴を睨めば、彼女はパックを持ったまま肩を竦めてみせた。

 

「それはこっちの台詞なんだけど」

 

 ふざけた台詞だった。そっくりそのまま返したくなるような……声まで、似てる?

 薄く残っていたコスプレという線は完全に消えて、いよいよ彼女が何者なのかわからなくなった。コスプレじゃないなら……本物……。

 言い返そうとして、しかし言葉が出なくて口を噤む私に、彼女はパックがちゃんと閉まっているかを確認しながら、「本当は」と続けた。

 

「私から行こうと思ってたんだけど……まさか、そっちから来るとはね」

 

 あまり抑揚のない喋り方だった。元気が無いと言うよりは、生気の無い冷たい声。

 背に冷や汗が流れた。言葉の意味も、真偽も、どうでもよくて。

 ただただ危機感に押されるまま白楼剣に手をかけて――瞬間、楼観剣が振られた。引き抜こうとした白楼剣ごと右腕を強かに打たれ、押し戻されるのに、一歩下がる。じんと熱くなる腕に、どうして今、抜くのが間に合わなかったのかがわからなかった。

 

「こんな場所で抜くつもりか? ……常識なんて、通用しないか」

「っ……!」

 

 言葉の裏に、偽者なら、という意味が込められている気がして、もう一度白楼剣を鞘から放とうとした。

 引き抜くその瞬間、跳ね上がった楼観剣にあごを打たれそうになるのを、仰け反って避ける。あご先を掠めた楼観剣は、そのままくるりと回転して、再び私へと向いた。鋭く細められた眼もまた、私を射抜いている。

 

「……お前、何者だ」

 

 あふれる危機感の中に、戦闘への期待がむくむくとわき上がってくるのを感じながら、同じ問いかけを繰り返す。答えるのなら、いい。でも、答えないなら……。

 

「魂魄妖夢よ」

 

 ……ああ、そう。

 

「じゃあ斬る」

 

 三度目の試み。大きく踏み込みながらの抜刀は、しかしやはり、僅かに身を引いて距離を合わせた彼女の得物が、私の手を打つ事で阻止される。でも、抜けないならそれでいい。もともと今は、素手で戦う気分だ!

 右腕を囮に飛び込んで、左の拳での突き。だが、読まれていたのかあっさり受け止められた。潰れたパックが、私が腕を引のに合わせて地面に落ちて、中身を散らばらせた。

 

「あっ」

 

 小さく声が漏れる。

 出所は、目の前。

 一瞬凄く悲しそうな顔をした彼女は、次にははっきり怒りの表情を浮かべて、私を睨んだ。

 

「薄汚い私かぶれめ! よくも私のヤキソバを!」

 

 ……防御に回したお前が悪いんじゃないの?

 沸点が低いのかお腹が空いていたのか、それとも好物だったのか。えらく怒りようの彼女は、楼観剣を横向きにして眼前に掲げ、鞘と柄とを握り込んだ。

 抜刀しようというのだろうか。だったら今度は、私が止めてやる!

 そう意気込んで踏み込もうとして、直感に従って斜め前へ飛び込む。肩から入って転がり、即座に立ち上がって振り向けば、抜かないままの楼観剣を振り切った彼女の姿があった。見ている間に半回転して、私へ体を向けてくる。

 今の、読まれてたの? それとも、対応されただけ?

 よくわからないまま構えをとる。拳法の構え。腰を落とせば、彼女は不思議そうに眉を上げて、そのまま刀を持った腕を横にして、一歩、こちらに踏み出した。

 そう思った時には、懐に潜り込まれていた。

 歩行の際の体の上下に合わせた神速の踏み込み。沈んでから浮き上がるまでの僅かな瞬間に距離を詰められた。そう気付いた時には、大きく振られた刀に打たれて、アスファルトを転がっていた。

 勢いを殺しきれず、そのまま斜面も転がり落ちていく中、回る視界に、飛び降りてくる彼女が見えた。咄嗟の判断で半霊をぶつけるようと向かわせる。体中に衝撃が走ったのは、ちょうど河川敷に転がり落ちたのと同時だった。

 勢いをそのままに腕をついて跳ね起きる。広がるスカートが風を受けてはためいた。着地すれば、またも同じく、目の前に降り立つ()の姿。

 

「シッ!」

 

 鋭い突き。

 さほど距離が無いからか、近付こうともせずいきなりの攻撃に、横に弾きながら彼女へ迫る。強く踏み込む暇はない。ザ! と地面を擦る足を踏み込み代わりに、振り下ろした拳を叩き付ける。弾いたはずの刀が跳ね戻り、防がれた。力技か! 予想以上の力強さにそのまま押し切られて、たたらを踏んでしまった所に、追撃の突き。今度こそ、胸に受けてしまう。

 息がつまる。反射的につぶった目の先で、彼女が姿勢を低くしているのが気配でわかって、動かしにくい腕を無理に動かして、白楼剣のリボンを解いた。風の魔法。

 緑色の魔力を纏い、後方へと急加速して川の上へ入る。水を巻き上げながら上昇し立て直しをはかれば、彼女は飛び込んで来ていた勢いのまま川の淵で跳び上がり、何を纏うでもなく空の私へ追い縋ってきた。

 感じる力は魔力じゃない。気でもない。妖力? 霊力? そんなの、どっちでもいい!

 

「つあっ!」

 

 迎撃しようと、斜めに体を捩って勢いをつけた回し蹴りを繰り出す。受けるか避けるか。彼女の選択は受けるだった。刀を掲げ、真っ向から足にぶつけてくるのに、空中ではうまく力を加えられなくて、弾かれてしまう。

 風の魔法だけじゃ足りない!

 体の中の影を引きずり出す。纏う魔力に混じらせて、より制御しやすくした魔力を繰って急回転し、振り下ろされていた楼観剣を蹴り戻す。彼女は腕を弾き上げられたにも拘わらず、何事も無かったかのように再度振り下ろしてきた。流石に、防げない……!

 

「ぐっ!」

 

 柔らかい横腹に食い込んだ鞘に、対抗しようとはせず、やられるままに吹き飛んだ。そうやって少しでもダメージを減らして、水面近くで風の魔力を強く巻き上げ、視界の確保もままならないままに距離をとろうと後ろへ飛ぶ。熱を持ったお腹が痛みを発し、動くなと訴える。骨が折れてはいないだろうけど、これは、ちょっと、きつい……!

 

「――!」

 

 急接近する気配があった。

 鞘に収まったままの楼観剣を両手で持ち、水面付近を高速で飛び、突っ込んでくる。水飛沫が私に降り注ぐより速く目の前まで来た彼女は、肩の後ろまで大きく振りかぶった刀を勢い良く振り下ろしてきた。

 ぶれる線に、空気を斬り裂く軌道。構える暇なく、体を投げ出すようにして避けた私の前を通った楼観剣が水面を叩き、水柱を高く上げた。

 世界がゆっくりと動く。巻き上がる水も、降り注ぐ水滴も一粒一粒がはっきり見えて、その先で、目だけで私を捉えている彼女の姿に、攻撃も退避も考えられず、乱暴な動きで鞘ごと引き抜いた白楼剣をかざした。

 瞬間、水面に刺さっていた楼観剣の先が跳ね、彼女の体の動きに合わせて逆袈裟気味の斬撃を繰り出す。腕が弾けてしまいそうな程の衝撃。なんとか間に合った防御を、そのまま反撃に転じる。すなわち、凌いで、弾く。心構えはばっちりできていた。瞬間的な判断とはいえ、攻撃の軌道に上手く合わせられた。タイミングも良い。だから、彼女の力を余す事無く返す事ができた。

 

「たっ!」

「む!」

 

 だが良かったのはそこまでだった。

 両腕を弾かれ、無防備に体の側面を晒す彼女をさらに怯ませようと右足の蹴りを繰り出すも、柄から離れた腕に叩かれて止められてしまう。勢いも威力も最高のはずの蹴りは押し戻されて、代わりに彼女の手が、私のお腹へと伸びた。

 僅かに腹に食い込む手の平に、妖力が集中する。目に見えてあふれ出す光に、危機感はあれど、回避行動はとれそうになかった。

 

「うあっ!」

 

 放出された光弾に押され、堪える事もできず、水面を割るようにして吹き飛ばされる。止まろうと全身に力を込め、風の魔力を繰っても、背中や足にかかる冷たい水が集中を乱した。

 それでも、このままではいられない。どこかで上がる悲鳴やどよめきが唸る風の中に混じるのを聞きながら、両手で光弾を掴み、全力で横にずらした。

 ごり、とお腹を削られるような痛み。体を捩って抜け出すと、光弾は川へ突き刺さり、沈んでいって――爆発した。

 顔を庇い、爆風に煽られるまま上昇する。距離をとりたかった。素手じゃ無理だ。素手では、まるで追いつかない。

 空へと離脱した私は、濡れた腕を勢い良く振って水滴を飛ばし、後ろ腰に戻した白楼剣を抜いた。充分距離はとれていて、なぜか彼女は、私を見上げながらゆっくりと浮かび上がってきているだけだったから、邪魔は入らなかった。

 飛ぶ速度は互角かどうか。技のスピードともなると、さっきは向こうの方が早かった。順手に持ち替える暇さえ惜しくて、逆手に持ったままの白楼剣を構える。

 そこまでしても、目線の高さまで来た彼女は動かない。攻撃してこない。冷めた表情を浮かべ、ただ、浮かんでいた。

 既視感のある姿だった。それはまるで、私が弱すぎて相手にならないとでも言っているみたいで……。

 

「こんなものなの?」

 

 その予想は、当たっているようだった。

 水も波立たないような静かな声で、投げかけられた言葉。そこに嘲りや失望は含まれていなくて、だからこそ、苛ついた。

 

「……なぜ、今殺してはいけないんだろう。こんな奴、すぐに斬れるのに」

「……何を言ってる」

「別に。ああ、今は倒せないってだけよ」

 

 ……何を言ってるのかわからなかった。

 驕っているの? いつでも私を殺せると、そう言っているの?

 そもそもお前はなんなんだ。本物……違う。本物はここにいる。この私だ。こいつじゃない。だから、こいつは偽物で……く、偽者だから! ……斬らなくちゃならない。じゃないと、じゃないと……どう、なるんだろう……。

 クラスメイトが笑い合う教室の中、存在しない自分の席の下に佇む私の姿が頭を過って、ぶんぶんと頭を振った。泣きたくなるような強い寂しさが胸を締め付けて、胸元の服をぎゅっと握り込んだ。リボンから水が滴り、腕を伝う。

 

「こんな気配だから、何か違うかもと思ってたけど……見当はずれね。何かわかると思ったんだけど……」

「……それは」

 

 ……なんでもいいから否定しようとして、だけど、なんの言葉も見つからないのに口を閉じた。反対に彼女は口を開き、続けようとして、急に、落ちた。

 前触れは無かった。前動作も無かった。私に何かを言おうとした彼女は、全身から力が抜けたみたいに落下を始めて、だけど、私が驚いて動けないでいる間に、慌てた様子で空中に(とど)まり、弱々しい動きで私を見上げてきた。

 先程より余計に生気が無いように見えるのは気のせいなのだろうか。

 頭を手で押さえていた彼女は、眉を寄せながら懐を探り、何かを取り出した。小さな何か。小瓶……それも、指一本分くらいに細いもの。中に入ってるのは、半透明の液体のようだった。

 手早く蓋を落とし、それを呷る彼女に、攻撃していいのかよくないのか判断できず、目の前まで下りる。

 

「……残念だけど、ここまでね」

 

 腕で口を拭い、小瓶をしまった彼女は、私を睨んでそう言った。残念と言う割には、そんな様子ではない。辛そうに息を吐くと、私に背を向け、向こう岸へと降りていく。

 

「……逃がすか!」

 

 彼女の動きをただ眺めているだけな事にはっとして、慌てて、もう河川敷に下りて歩き始めている彼女を追う。目前に、半霊が躍り出てきたのはその時だった。

 私の半霊……では、ない!

 理解した時には、その半霊が発する強い光に反射的に目を庇って顔を逸らしていた。しまった!

 目をやられて、それが治った時には、彼女どころか、彼女の半霊の姿さえない。間髪入れず気配を探ろうとして、彼女の気配がどこにも無い事に愕然とした。気配を消している? ……逃がしたの!?

 焦りに髪を掻き上げる。……逃すつもりは無い。逃がしちゃいけない。あいつを斬らなきゃ……誰かにあいつを見られたら、まずい気がするから。

 でも、気配が感じ取れない以上、追う手段が無い。まっすぐ向かって行ったのはわかる。でも、人ごみに紛れられでもしたら……。

 

「あ……」

 

 がむしゃらに追うべきか、掴めるかもしれない気配を探るべきかと悩んでいると、目の前に、青い光。蝶々だ。淡い光を纏った青い蝶が、風に舞うように私の前に現れた。

 これは、幽々子様の……。

 私を導いてくれるというのだろうか。だったら、私に是非は無い。あの方が現か幻かなんて、この際気にしていられない。

 

「感謝します……!」

 

 短く感謝の言葉を呟き、念の為白楼剣に右手を添えながら、ひらひらと岸へ下りていく蝶の後を追った。

 路地に入り、通りを抜け、人ごみを無理矢理擦り抜けて、また路地へ。そこに彼女はいた。たぶん、上から下りてきていた。屋根の上を伝っていたのか? どちらにせよ、補足した以上は、もう逃がさない。

 私に気付いた彼女は、一瞬驚いたように顔を上げて、でも、すぐに薄い笑いを浮かべ、弾かれるように走り出した。暗がりへ、曲がった角の向こうへ。

 

「待てっ!」

 

 暗く細い路地をひた走り、人通りの多い方へ向かっていた彼女は、大通りに合流する前に跳躍して屋根へ移った。影を繰り、飛翔して後に続く。空へと抜けて広い視界を得れば、彼女は屋根から屋根へ跳び移っている所だった。どこに向かっているのだろう。……そんな事、考えている暇はない。白楼剣のリボンを解き、雷の魔力を解放する。障壁を張った足へ流れる魔力を確認し、闇を晴らす。

 一度地に足をつけ、瞬動で初速を得て、前へ前へ、低い姿勢で飛び込んでいく。屋根から屋根へ、屋根から路地へ、路地から屋根へ。先回りをしようだとか、魔法を使って足止めしようとか頭を過ったけれど、どちらも実行できそうになかった。走る事に集中しなければ追いつけそうにない。今も、徐々に距離を離されている。バチバチと地面を弾いて走る速度は、前とは段違いに速いはずなのに、全く追いつく気配が無かった。

 でも、追いかけっこなら青いの相手にさんざんやった。彼女はそれより遅い。かといって、速くない訳でもないけど。飛行より走行の方が得意……それは私も一緒だ。駆け抜けて、跳んで、飛び降りて。

 繰り返し、私を惑わせるような道順をとる彼女に、何度か見失いそうになりつつも、蝶の存在に助けられて、どれくらいか。

 人の気配がどんどんなくなり、お祭りの気配から離れた場所で、とうとう彼女に追いついた。

 トンネルのようなものの入り口を前にして立ち止まる彼女に、地面を擦って急停止する。立ち上る砂埃が晴れると、影の中にいる彼女が私を見た。鈍く光る青い瞳が妖しげな雰囲気を演出していた。

 

「しつこいな」

 

 低い声。その言葉は、投げやりにも聞こえた。

 

「追いかけっこは得意なの」

「でも、追いかけっこはもう終わり。お前を連れ帰ったら、私が怒られちゃうし……」

 

 ぽつぽつと喋る彼女の背後、トンネルの暗闇の中に、赤い光が灯った。小さく、でも、高い位置にあるそれがぐんと位置を低くするのを見ていると、彼女が踵を返した。

 

「待……!」

 

 トンネルの中から、巨大な何かが飛んできた。それは彼女を飛び越して、私の目の前に落ちて来た。

 大きく揺れる地面にバランスをとろうとして、後ろに足を出して堪える。キュイ、と機械染みた音がした。見上げる程の大きさの機械の怪物。円状の胴から伸びる五本の足で立つ、形容しがたい物だった。

 大きな頭は、長く後ろに伸びる形状で、黒い横線の中に赤い目が一つだけあった。どこかで見た事あるような物……カメラの、レンズ?

 ずい、と、威圧するように一歩出て来た機械の怪物に、何を考えるでもなく後ろに跳んだ。爆発させた妖力が地面を抉り、コンクリートの破片を飛ばす。振るわれた巨腕を避ける為に、高速でのバク転。勢いを殺す為と距離をとる為に二度繰り返し、地面に手をつき、足をつき、回転する。最後には、軽く地面を蹴って背後へ飛び退き、大きく足を開いて体勢を整えつつ着地した。機械の胴の下、足の間から、トンネルの中に消えていく()の姿が見えて、歯噛みする。こいつを避けては……通れないか!

 白楼剣だけでどこまで戦えるか。キュイキュイと音を鳴らして目を動かし、私を補足する機械に、一気に魔法をぶつけるべきか悩む。

 でも、ここでたくさん魔法を使ったら……彼女と戦う時、私は純粋な剣術と体術で勝負しなきゃいけなくなる。……いや、私は強い。偽物なんかには絶対負けない。だけど……。

 汗が流れる。迷ってる暇はないのに、障害が多い。私にもっともっと力があれば、こんなに悩む事なんてないのに。

 ふと、蝶が前を横切った。ここまで私を導いてくれた光が空気中に溶けて消えると……ああ、うん。

 白楼剣を鞘に収める。大丈夫。こいつは、すぐに片付けられそうだ。

 右手を前へ。手を開いて、待つ。

 少しもせず、天から刀が飛来した。私の刀。楼観剣。

 鞘を先に斜めに突っ込んで来た楼観剣の柄をがっしり掴み、両手で持って回転させる。先の彼女と同じ構え。眼前に掲げた楼観剣を抜き放ち、鞘は半霊へ投げ渡す。

 律儀に待っていたのか、それとも何か他の要因があるのか、ただ鳴いているだけだった機械は、私が楼観剣を両手で持って正眼に構えると、ようやく動き出す気配を見せた。キュ、キュイと首を回して私に合わせ、五本の足をそれぞれ動かして地面を踏みつける。やけに生き物みたいな動き。どこか、犬を連想させるような……。

 

「すー……ふぅ」

 

 一呼吸。言葉は、いらない。機械相手に何を言ってもしょうがない。だから私は、何も言わずに駆け出した。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。