なりきり妖夢一直線!   作:月日星夜(木端妖精)

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第五話 日常の中で

 三月二十五日。

 今日、このか達は終了式というのをするらしい。

 それからお休みに入って、四月に学年が一つ上がるそうだ。私が学校に通うのも四月から。証明写真というのも撮ったし、書類にサインもした。準備は万端……なのだけど、する事が無くて困っている。

 鍛錬は朝の内に終わってしまうし、ホットケーキはすでに渡してしまったし、ネギが話したい事があると言っていた気がするけど、数日経っても何もないし、そもそもこのか達はいない。壁を見ているのも飽きた。幽々子様も全然出てこない。……半霊を探しに行こうかな。

 ……ああ、そうだ。

 服の端を摘まんで、くいと引っ張る。この服のお礼をしに行こう。

 道は……まあ、時間はたっぷりある。

 水分補給をしてから、外へ出る。鍵をかけて、いざ出発。

 肩にかけた紐を直しつつ廊下を行く。背に当たる布越しの固い感触。セツナがくれた袋が二刀をそれぞれ包んでいる。袋を貰う代わりに剣道部に入る事になってしまったが、幽霊部員でも構わないらしい。入っている、という形が大事なのだと言っていた。よくわからない。

 階段を下り、ホールを通って外に出る。かあっと照りつける太陽。今日は、清々しくなるくらいに晴れている。あまり雲のない空を見上げると、気持ちが軽くなる。

 葉の無い木を見たり、道を見たりしつつ、橋の方へ。そこを渡って、桜通りに。雪みたいに降る花びらが綺麗だ。ぼっと歩いている内に駅に着く。

 切符の間違いは、もう二度とない。だって、定期という物を買ったから。これで……ピッ、と。うん。

 さて、どれに乗ればいいんだっけ……。

 

 無事、目的地に着いたようだ。とりあえず学校に行って、覚えている道を辿る。

 入り組んだ場所……人が少ない……というか、いない場所。途中の商店街で昼食をとる。クリームソーダがおいしい。

 さて、どっちだっただろうか。

 服の端を弄りながら、暗がりへ。建物の裏に向かっていく。

 こっちは行き止まりか。……こっちは通れない。向こうは……大人の人に止められてしまった。という事は、そっちじゃない。

 うーん、ここは……。

 楼観剣の入った袋を目の前に立てて、ぱっと手を放す。おっと、私の方に倒れてきた。……戻るか。

 

 裏へ。暗がりへ。人のいない方へ。

 壁に手をついて、細い道の先を見る。……見覚えがある。こっちだ。

 ほっと一息ついて、歩みを早める。と、角の方、暗がりに、何やら大人の人が立っているのが見えた。

 あれは……あのエプロンには見覚えがある。さっきクリームソーダを食べたお店の近くのラーメン屋さんのエプロンだ。

 店名も、間違いない。傍らに置かれた箱は、出前か何かだろうか。こんな所で何をしているのだろう。あの子……晴子だったかが頼んだのかな。

 男の人は、何やら長方形の紙を口に当ててぶつぶつ呟いている。……変な紙。白く光っている。新種のケータイだろうか?

 その男の人の前を通りかかった時、明らかに狼狽したような声を出して、慌てて懐にケータイをしまった。私を見て何か声を漏らすので、怪訝に思って見上げると、目を逸らされる。と思ったら、さっさと走り去って行ってしまった。

 あ……出前。

 仕方がない。私が代わりに届けよう。

 

 チリンチリン、と鈴の音。入り組んだ洋服の合間を縫って歩く。……いらっしゃいの声が無かった。いないのだろうか。

 出前の箱を左から右に持ち替えてカウンターの方へ進む。

 と、ふと目の端に何かが見えた。見覚えのある配色。おめでたい二色。

 

「……れいむ?」

 

 どきり、と胸が鳴る。幻想郷の象徴が、まさかこんな所にいる訳ないと思いながらも、そちらへ進んで行く。服のかけられた棚の向こう……には、誰もいない。

 それは、そうだ。こんな所に霊夢がいる訳ない。

 踵を返してカウンターに向かおうとして、ふっと棚を見る。

 ……いた。

 いや、正確には『あった』と言うべきか。霊夢の着ていた服。その横には、魔理沙の服。何でこんな物が……?

 

「――逃げられないというのに」

 

 店の奥から、少女の声。

 ぞっとするくらい冷たい声。くすくすと笑い声が続く。

 

「馬鹿な子ね」

 

 足早にカウンターに向かうと、頬杖をついた少女、晴子が広げた本を読んでいた。私に気づいて顔を上げると、にっこり笑う。

 

「来てたの」

 

 子供らしい、邪気のない声にほっとする。さっきの声は……何だったんだろう。

 いや、それより。

 

「あの……」

 

 さっきの服の事を聞こうとして、晴子が頬杖をついている方の手の指……薬指に、変なものがはまっているのに気がついた。

 

「なぁに?」

 

 私の視線に気づいた彼女が、体を起こして、顔の横に左手を持ち上げる。私に見やすいように。

 

「……指輪?」

「ええ、指輪。エンゲージリング」

 

 エンゲージリング。それって……。

 

「け、結婚指輪……?」

「どうかしら?」

 

 指先で、指輪のオレンジがかった宝石の部分を撫でる晴子に、わずかに首を振ってみせる。

 ……騙されてる。だって、晴子は……子供なのに。私よりも小さいのに。

 相手は、と、さっきの服の事もおいて、聞かずにはいられなかった。

 

「ふふ、格好良い男の人。わたしの、最後の希望」

 

 目を細めて指輪を撫でる晴子の横顔は、驚く程大人びていた。

 指輪にくちづけをして、すてきなひとだった……と晴子が囁く。うっとりした表情だった。

 手から滑り落ちた出前が大きな音を立てる。あまりにもあんまりな出来事に、こっちの方がドキドキしてしまっている。顔が熱い。まさか、再び訪れたお店の店主が結婚しているとは思わなかった。

 

「あら、出前」

 

 晴子の声に、はっと気を取り戻す。

 赤くなっている場合じゃない。あの服の事を聞かないと!

 とってー、と手を伸ばす晴子に出前の箱を渡して、服の事を聞く。不思議と全く零れていないラーメンとチャーハンを並べた晴子は、ああ、あれ? と事もなげに言った。

 

「あなたを見たら作りたくなったのよ。作っちゃった」

 

 小さな器に入っているスープをレンゲで啜る晴子に、作ったって? と疑問に思う。

 この子が服を作る姿なんて想像できなくて、うーんと首をひねる。

 

「飾ってはいるけど、あなた以外に売る気はないわ。そうね……巫女の服が三万円、魔法使いの服が二万九千円。どうかしら」

 

 どうかしら……って、そんなにお金、持ってない。

 首を振ると、晴子はあごに指を当てて、うーんと唸った。

 

「それじゃあ……割引して、二つ合わせて……三万六千円。これ以上はまけられないわ」

 

 まけられないわ、と言われても。ぎりぎりで足りはするけど、買う気はない。

 そう伝えると、晴子は「そう」と短く言って、チャーシューを差し出してきた。

 

「食べる?」

 

 ふるふると首を振る。

 チャーシューを齧る晴子に、今日来た目的を伝える。

 この服、作ってくれてありがとう、と。これは、私にぴったりだから。

 

「それは、そうよ。その服はあなたのために作ったのだから、似合わない訳がないわ」

 

 もぐもぐと麺を咀嚼しながら、晴子が言う。行儀が悪い。

 飲み込んで息を吐いた晴子が、ねえ、妖夢、と私の名前を呼ぶ。

 

「人が変わるのって、どんな時だと思う?」

 

 唐突な問いに、首を傾げる。彼女は割り箸を振りながら一つ一つ挙げていった。

 追い詰められた時。強要された時。それ以外に方法が無い時。前の自分から逃げ出したい時。

 

「……何が言いたいの?」

 

 うん、と彼女が頷いて、まあ、別に悪い時にばかり変わるという訳でも、変わったからと言って悪い事もないんだけど、と言った。

 スープを一口飲んで、また一息。いちいち仕草が大人っぽい。

 

「たまには別の格好をして気分転換でもどう? って聞いてるの。いつまでも同じ自分じゃ、息も詰まっちゃうでしょ?」

 

 ね、と笑う。さらさらと流れた黒っぽい髪が、宙ぶらりんに揺れた。

 

「それにねー、あなたが買ってくれないと、わたしがご飯を食べられないのよ」

 

 何せ、あなたが来るまで、一月もお客さんが来なかったんだから。

 ちゃぽん、と器の中に箸を置いて恥ずかしげに笑う晴子に、私も微笑む。それは、大変だ。

 お財布を取り出すと、彼女は一層嬉しそうに微笑んで、自分の前の机の引き出しを引き開けた。

 そこから長方形の小さな機械を取り出して、私の前に置く。表面に貼られたシールには、アルファベットのDの文字が躍っていた。

 

「嬉しいから、今なら一万円追加でそれもつけちゃう!」

 

 ちょいちょいと指先で触れるとぶるぶる震えるそれに首を傾げていると、そんな言葉。

 一万……これは、いらない。

 

「そう? 運命だと思うんだけど……まあ、いいわ」

 

 あっさり引き下がった晴子が、機械を掴んで後ろへ放り投げる。雑な扱い……あれで、一万円。

 後ろの棚の小物入れのような籠にガチャリと入った機械。……機械、なのだろうか。あんな風にして壊れたりしないのかな。

 器を持ち上げてスープを飲みほした晴子が、ハンカチで上品に口元を拭き、ごちそーさま、と手を合わせた。それから、キィ、と椅子ごと体を横に向けて、ぴょんっと飛び降りるような動作。こちらからだと、もう晴子の頭しか見えない。

 それがちょこちょこ左に移動して、カウンターを抜けて出て来た時には、古紙の紙袋を抱えていた。……いつの間に。

 歩み寄って来た晴子が、わずかに顔を上げて笑みを作る。私より少しだけ小さい身長。一回り小さい体。どうしてこれで一人でやっていけるのだろう。……寂しくは、ないのだろうか。

 はい、と紙袋を渡されて、代わりに代金を渡し、服の所へ行って詰めてもらう。その手際の良さは、長い間そうしてきた事を物語っていた。ただ、その顔はいきいきしていて、最初に見たあの退屈そうな顔の女の子と同じとは思えなかった。

 

「ねぇ、妖夢」

 

 チリン、と鈴が鳴る。

 出入り口の扉を開いた所で、それまで口を開かずについて来ていた晴子が声をかけてくるのに、扉を押さえたまま体を向ける。

 すっと持ち上げられた右手。人差し指が、私に向けられる。

 

「その背の刀。その袋が邪魔になったら、ここにいらっしゃい」

 

 ……。

 ……布が、欲しいのだろうか。

 

 

 桜通りを歩む。積もった花びらを踏みしめて、一歩、一歩。体の揺れが、やけに大きく感じられる。

 ちらちらと、指輪を撫でる少女の姿がまぶたの裏に浮かんでは消える。

 ……結婚。それは……幸せなのだろう。誰かと寄り添う温もり。それはきっと、寂しくないのだろう。

 ……。

 きゅ、と胸元のリボンを握る。

 もやもやする。妙に……このかの事が気になる。どうしてか、声が聞きたい。笑顔を向けて欲しい。

 そう考えると、足も速まった。学校は、終わっているだろうか。今、何をしているのだろうか。

 ……このか。………もしかして、この気持ち、は。

 

 ほてった頬を撫でる風が心地良かった。ふわふわとした体ごと(さら)ってくれそうで。

 幸せと一緒に溶けてしまいそうだった。

 浮ついた心。私はどうしてしまったの?

 大きな気持ちがせり上がるのに、ふう、と息を漏らす。気持ちがコントロールできなかった。

 寮の前に着く。……遠くの方……丘の方。一つ大きな桜の木がある方が、何だか騒がしかった。

 そうしてだろうか。

 いつもならすぐ部屋に戻っていただろうに、私は足を向けていた。

 浮ついた気持ちのせいだろうか。

 ……ああ、でも。

 向かわなければ、もう少しの間、幸せな気分に浸れていたというのに。

 

 木の下に、たくさんの女性が集まって何かしている。……酒盛り?

 ……その中に、楽しそうに笑っているこのかもいた。

 あの笑顔が、私じゃない誰かに向けられている。スッと気持ちが冷えるのを感じた。

 

「それは……そうだよ」

 

 うつむく。それは、そうだ。

 このかは優しいし、周りにはあんなにたくさんの女性(ヒト)がいる。誰かと好き合っていてもおかしくない。

 そして、その相手は、私ではありえない。

 ……だって、つい最近。

 『妖夢』とこのかが出会ったのは、たった数日前の事。そんな気持ち、彼女に生まれる訳なかった。

 首を振る。私、どうかしてた。……このかは、そんなんじゃない。……刀でも振ろう。

 私には、あの中に入って行く勇気なんてなかった。

 

 

 走る。

 木々の中、森の中。

 どこかなんて知らない、ただ、走る。

 開けた場所に出ると、自然と足が止まった。荒い呼吸を繰り返す。

 胸が苦しい。いっぱい走ったからだ。

 

「……っ!」

 

 ぎ、と歯を食いしばり、息を止める。

 下ろした袋から楼観剣を素早く抜き放った。私と同じくらいの刀。桜色に光る刀。

 力任せに振り回す。振り上げ、振り下ろす。

 

「わたしはっ! ばかだっ!」

 

 ブン、ブンと空気を薙ぐ音に合わせて、苦しい気持ちを吐き出す。

 愛だの、恋だの、そんなものに現を抜かしている場合じゃないのに!

 ぶうんと振った刀に、オーロラの如く伸びた光が収まる。少しずつ輝きを増していく刀に、気持ちをぶつけていく。

 私はただ、刀を振る事だけ考えていればいい。どうせ難しい事なんてわからないんだ。この刀で、このかを守る。幽々子様を守る。全部、斬り捨てる。

 それでいいじゃないか。

 それで……。

 

 いつしか、手は止まっていた。荒かった呼吸はすっかり治まっている。気持ちも幾分か落ち着いてきた。……きっとそれは、このピリピリした気配のおかげでもあるのだろう。

 木々の合間。その向こうから、一人の男が姿を現す。

 

「ふっ、どうやって始末しようと考えていたが……まさか、自分から人気のない場所にやって来るとは」

 

 白布をかぶった人、エプロン姿の男。手には、長方形の白い紙切れ。

 ……さっきのラーメン屋さん。それがどうしてか私の前に現れ、私に敵意を向けていた。

 弱い、気配。殺そうとする気配。それが薄い。薄いけど、心地良かった。

 

「今までの地道な苦労を壊されては堪らないからな。さあ、ゆけい!」

 

 男が腕を振り上げると、その足元からカッと光が立ち上り、異形の怪物がせり上がって来た。

 

「前鬼・ウシ君。私の最高傑作だ」

 

 ブオオ、と鼻息荒く拳を打ち合わせる人型の筋肉の塊は、なるほど確かに牛の頭部を持っていた。

 チャキ、と刀を構えると、おっとまだだ、と男が手をかざす。反対側の手の上に何かが乗っていた。

 緑の……カエル?

 

「さらに私は、後鬼・カエル君を召喚する。これで逃げ場はないぞ!」

 

 得意満面といった様子の男を一瞥して、いきり立って襲い掛かってきた牛の拳を刀の腹でいなす。

 ぐん、と体が持っていかれる感覚。見た目通りのパワータイプ。

 無理矢理左へ体を投げ出して転がり、すぐに立ち上がる。大振りに振るわれた二撃目を屈んで躱しながら、屈伸した足をバネに突進。すれ違いざまにその腹に楼観剣を通す。大した抵抗もなく走り抜け、残心。刀身に光が収まる。

 力が高まるのを感じる。もう少し高まれば、大きな力を放てるだろうという予感がした。

 

「おおっ!? ウシ君がやられるとは……ならば、ゆけっカエル君!」

 

 騒いでいた男は、牛が煙となって消えるのを見ると、今度はカエルを放り投げた。

 それが光に包まれたかと思えば、緑色の人型……筋肉の塊に変わっていた。頭はカエル。

 

「ふはは! それがカエル君の真の姿よ! さあ、ひねり潰してしまえ!」

 

 男が言い終わる前には、すでに牛と同じように斬り捨てていた。あっけない。

 口をパクパクさせる男に刀を向けると、慌てて懐から紙の束を取り出し、ばら撒いた。

 

「こうなれば数だ! 数で押し潰す!」

 

 ひらひらと私の周囲に舞った無数の紙が一斉に光に包まれ、次には怪物に姿を変えていた。また筋肉……。顔は、のっぺらぼうだった。

 ……数、か。

 前から後ろから迫る化け物に気を引き締めつつ、先に来た後ろに対処するために、振り向きざまに刀を振るう。すうっと通った刀を返し、体を戻して袈裟斬り。肩からとはいかず、胸の半ばから刃が通り、化け物が消滅する。

 その後ろに一体、斜めに二体、背後には……何体?

 ただ振り下ろされただけの腕を横っ飛びに躱しざま、斬り落とす。着地してすぐ頭上に刀を掲げ、後ろからの振り下ろしに対処する。

 ズン、と重い衝撃に膝が折れかけ、声が漏れる。

 頭上の腕を撫で斬りにして、すぐに前へ。迫り来ていた化け物の横を斬り抜け、振り返る。伸びていた光が刀を追って刀身に収まった。後ちょっと。

 

「うっ!?」

 

 ドン、と背後からの衝撃に吹き飛ばされ、地面を転がるさなか、化け物の太い足が視界の端に見えた。三体の……真ん中か!

 立ち上がろうとして、腹に突き刺さる足に持ち上げられて放り出される。体勢を立て直す間もなく地面に激突して、体全体に衝撃が走るのに悲鳴を上げていた。

 

「私を忘れるなよ!」

 

 男の声が遠くに響く。

 揺れる視界に、それでも何とか立ち上がる。けど、片足に力が入らなくなって、がくりと膝をついた。

 化け物は……三体とも、ゆっくりとこちらに近づいてきている。

 

「……ぇほっ」

 

 打った左肩とお腹が痛い。眉を寄せて痛みに耐える。

 前に倒れかけた体を左手で支えると、鋭い痛みが肩に走った。

 歪んだ口元が、しかし笑みに変わっていく。

 ……いたい。でも。

 暗い影が、吹き出す炎のように揺らめいて、纏わりついてくる。気持ち悪い。気持ち良い。

 体の痛みが引いていた。そうと知った瞬間には、飛び出していた。近くにいた左の一体を斬り、走り抜けて、前の一体。下からすくい上げるような拳に刀を弾かれて、勢いに体を任せて弾かれた方に跳ぶ。ぐるんと宙を回って着地。

 左足を前に、大上段に振りかぶった刀を、拳を振り上げる化け物に叩きつける。胸元から股間へ切り裂くと、煙となって消えた。広がる桜色の光。キラキラと舞う光の粉。

 最後の一体。のっぺらぼうの顔が、気のせいか慄いているように見えた。

 走り出す。躊躇いはいらない。相手はただの化け物だから。

 斜めに刀を振り上げて、振り下ろす。瞬間、飛来した白い光に腕を撃たれた。ぱぁん、と軽い音。音は軽くても、弾かれた腕は痛かった。

 仰け反る体に化け物の拳が叩きつけられる。後ろに突き抜ける衝撃に吹き飛ばされて、咄嗟に後ろに足を出し、トントントンと後退する。ギシリと体中が悲鳴を上げた。

 狙ってか、たまたまか、衝撃のほとんどが体の中に納まった。焼けるような痛みにぎゅっと刀を握ろうとして、手の平に爪が食い込む。

 

「な、――あ」

 

 一瞬気を取られた隙に、追撃の拳が振るわれていた。頭に迫る拳との間に自分の腕を差し込むのが辛うじて間に合う。揺さ振られる視界。首が伸びて、ちぎれてしまいそうだった。ぐるんとその場で反転して、だけど、倒れなかった。

 化け物を背後に、半ば無意識に腰の白楼剣へと左腕を伸ばす。酷い痛みは、どこか遠くの方に行っていた。布越しの柄を掴み、ぐっと引き抜こうとして、詰まる。――布!?

 背を殴られて、視界が回転する。青臭い臭いと鉄の味が口の中に広がって、息が苦しい。地面の先に男の足が見える。

 それが動いて……地に突き立つ楼観剣の方へ。

 

「……っ!」

 

 ぐっと土に手を押しつけて歯を食いしばる。倒れている場合じゃない。それに手を触れるな!

 跳ねるように立ち上がり、左手で腰の白楼剣を引き抜き、さっと刀を取り出す。淡い光を纏う白塗りの鞘に、黒いリボンが揺らめく。やる事はわかってる。

 右手で鍔の下を掴み、左手でリボンを解く。瞬間、振り向きざまに思い切り拳を振るう。

 私を掴もうとしていた化け物に、握った刀ごと振った拳が当たると、纏わりついていた風が化け物の方に流れ込み、花びらへと変えた。

 

「なんと、西洋魔術師か!」

 

 足を止めて驚愕する男に全速力で走り寄り、白楼剣を振り回す。うおお!! と大きく避けた男の腕を打つ事はできたが、大きなダメージにはなっていなさそうだった。

 

「ぐぬぬ……おのれ」

 

 腕を押さえながら歯噛みする男を前に、大きく息を吐く。纏わりついてくる黒いのが鬱陶しい。それに、全身が痛い。息をすると鳩尾の辺りが痛んで、喉が引きつる。

 白楼剣を腰に戻し、左手で楼観剣を引き抜く。腫れた腕がビリッと痛みを発した。

 

「ただの剣士かと思っていたが、西洋魔術師だったとはな……驚いたぞ」

 

 一歩、二歩と後退した男が、ふっと笑みを作る。……魔術師?

 

「こうなってしまえば、もうバレるもバレないも、出前の在処(ありか)も関係ない」

 

 袖から長い紙を取り出した男が、それを天高く掲げる。

 楼観剣を右手に持ち替えて正眼に構える私の前……男の後ろに、眩いばかりの光が立ち上った。

 小さな地鳴りを起こしてせり上がってくるのは、赤茶けた石……違う、でかいハサミが二つ……。ぶくぶくと吹き出る泡。……なに、これ。

 

「西洋魔術師よ! この化け蟹で始末してくれる!」

 

 ばっと翻り、いそいそとバケガニの背によじ登った男が、私を指して指示を出す。振り下ろされたハサミを後ろに跳んで躱す。

 地面を打った大質量が大量の砂埃を巻き上げるのに目を細め、細く長く息を吐く。ひゅるると黒い影が息に巻かれて粉を散らした。

 ゆっくりと、片腕だけで楼観剣を持ち上げる。振りかぶる。力の使い方は、刀が教えてくれる。

 刀身からあふれ出す桜色が、その長さを倍以上にまで引き伸ばす。

 ――断命剣。

 

「……冥想斬」

 

 光が弾けて、辺りを塗り潰す。振り下ろした技は、名に違わずバケガニの命を()った。

 ふー、と息を吐き出す。……まだ、仕事がある。

 

「おっ、ほ、待ってくれ! 私はこの後バイトなのだ! 頼む! 見逃して……」

 

 尻餅をついたまま後退る男に、切っ先を下げた刀を手にしたまま歩み寄る。

 斬れ、と影が囁いた。……言われなくても。

 刀を男の首元に添える。片腕のせいか、少し震えていた。

 

「……辞めると、店長に伝えてくれ」

 

 首を落とす前の、男の最期の言葉だった。

 

 私に寄りかかるようにして息絶える男の体を横に倒して、もう一度息を吐く。

 熱い血飛沫が服を濡らして、新品が台無しだった。

 血糊を払い、ついでに服の端で刀をぬぐい、鞘に納めて背に戻す。木に寄って行ってすとんと座り込んだ。途端に、疲れや痛みがのしかかってくる。

 

「……つかれた」

 

 ぽつりと、意識しないで零れた言葉。膝を抱えて、スカートに頬を擦りつける。たぶん、血がついているだろうから。

 強張ったように笑みの形で固まる口元をぐりぐりとやって、額も擦りつける。重い息が漏れた。……私は、まだまだ未熟だ。

 たくさん攻撃を受けた。無様に転がってしまった。こんな力で……このかを守れるの? 幽々子様の下に帰れるの?

 目をつぶって、わずかに首を振る。……ああ、危険って。

 

 このかに迫る危険。ラーメン屋さんに扮した変な男。この二つが、なんとなく繋がった気がした。

 

「……真実は、斬って知る」

 

 ぽつりと、小さくても確かな声。

 あの男がこのかの『危険』だとわかった。

 そして、私が弱いというのも斬って知った。気づくのが遅い。

 ……私は、未熟だ。

 

 

 眠ってしまっていたのか、気付けば辺りは暗かった。立ち上がって、硬くなった体を(ほぐ)す。

 吐く息は、白い。

 

「…………」

 

 男の亡骸を一瞥し、特に何を思うでもなく、ただ刀を入れていた袋を回収して、その場を後にした。

 

 熱いシャワーを浴びる。念入りに体を洗う。汗の臭いが残らないように。

 暗い浴室の中、シャワーがタイルを打つ音だけが響き続ける。

 正面、大きな鏡に映る私は、気持ち悪い笑みを浮かべていた。

 鈍く光るブルーの瞳が細められて、何だか、私じゃないみたいだった。

 ……でも、それはあり得ないから。私は、妖夢だから。

 でも、どういう顔をすればいいんだろう。どんな顔をしていたっけ。

 ……眉を寄せて、むっと口を結ぶ。……うん。

 右手で左肩を抱いて、撫でる。……これで、大丈夫だろう。

 さあ、体を洗おう。疲れを全て流そう。ざあざあと振るお湯の中で身を清める。少しでも近付くために。

 

 

 その日の夕食は、このかの部屋で一緒させて貰う事になった。というのも、玄関のドアの手紙入れにこのかからの伝言が入っていて、それが夕食のお誘いだったのだ。

 私の服はいくら洗っても汚れが落ちなかったから、仕方なく制服を着て行くと、ネギが大袈裟に驚いていた。

 不思議に思ってネギを見ると、ばつが悪そうに指を突っつき合わせて、中学生だとは思わなかったのだと言った。コクコクとアスナが頷くのに、どうせ小さいですよとふて腐れて見せると、若々しくていいんじゃないでしょうか!? とフォローが入った。ひょっとして、私が見た目通りの年齢ではないと気づいているのだろうか。

 

「妖夢ちゃんは、四月からネギ君のクラスに通う事になっとるんよ」

 

 ネギを怪しんで見ていると、慌てたようにご入学おめでとうございます、何て言うのに、このかがそう言った。

 

「うぇっ!? ぼ、僕のクラスにですか!?」

 

 ……何だろう、その反応は。

 口元に拳を持って行って、ん、と咳払いをする。

 

「……何ですか、その反応は」

「あ、いえ、ちょっとびっくりしちゃって……あはは」

 

 思ったより低い声が出た。

 喉を擦っていると、後ろ頭を掻くネギをアスナが肘で小突く。私の隣で、このかが「ありゃ」と声を上げた。

 見ると、「なんや、妖夢ちゃんはネギ君がセンセだって知っとったか」とにこにこしながら言う。

 ……センセ? ……先生? この子供が?

 ……私とそう年も変わらなそうに見えるのに。

 

「あ、はい、えっと、今度から3-Aの担任になります、ネギです」

 

 いや、晴子だって結婚してたし、ネギだって。それに、もしかしたらネギも見た目通りの年齢じゃないのかもしれない。変な力を感じるし。

 などと考えていると、いやに改まって挨拶される。少し恥ずかしげに、だけど、誇らしげに。

 

「……ヨロシク、センセ」

 

 ちょっと妬ましくて、つっけんどんな言い方になるのに、ネギ……先生が苦笑する。……先生だから、スーツ姿だったのか。……なるほど。

 クラスメイトとして、よろしくね、とアスナが言うので、こくりと頷いて、白米を口に運ぶ。

 ちらりとこのかを見上げると、このかは笑顔のまま私を見ていた。

 ……ずっとそうだといいな、と心のどこかで思った。

 

 

「あなたはわたしが作った服を何だと思ってるの?」

 

 次の日の事。

 服の事を謝ろうと晴子の下を訪れると、晴子は頬を膨らませてぷんすか怒っていた。

 服を駄目にしたからじゃない。眼前に突き出された紙袋に、あ、と声を漏らす。

 存在を忘れていた。一体どこで手放したのだろう……。しかし、いつの間に回収したのか。

 受け取って頭を下げると、ふーん、とそっぽを向かれる。

 

「ふんだ。妖夢の服なんて、すぐには作ってあげないんだから」

「それは……困るんだけど」

 

 胸に手を当てて、あれは、私の制服みたいなもので……と説明すると、ずい、と顔を近づけてきて、「知ってる!」と大きな声。

 踵を返してカウンターの方に歩いて行く晴子の背に、どういう事かと声をかけようとして、それより早く晴子が声を上げた。

 

「だから罰として、その袋の中の服でも着てなさい。そしたら、作ってあげない事もない可能性があるような気もしないではないわ」

 

 曖昧な言い方に難色を示すと、溜め息を吐いて、私の後ろに回り込み、背中を押して来た。ちょっと、どこに……あ、試着室……?

 四角い個室。『試着室』と書かれた狭い空間に押し込まれて、着替えなさい、と言われる。そう言われても……。

 シャッとカーテンを閉めかけた晴子が、ああ、そういえば、と手を止めた。

 

「その刀、こっちによこしなさい」

「…………」

 

 眉根を寄せて晴子を見る。何を言ってるの? この刀を手放せる訳ないというのに。

 

「別に取り上げようって訳じゃないの。ちょっと貸しなさいと言ってるのよ。ほら、早く」

 

 ちょいと首を傾げて手を差し出してくるのに、それでも黙っていると、それとも、と晴子が言う。

 

「わたしなんかには触らせられない? ……妖夢」

 

 まっすぐ見つめてくる緑の瞳に、少し間をあけてから首を振る。……晴子になら、大丈夫、か。

 二刀を外し、手渡すと、「じゃあさっさと着替えちゃいなさい」とカーテンを閉められてしまった。あ……と無意識の内に声が出る。向こうの方からも、おっとと、とよろめくような声が聞こえた。

 ……刀を手放すと、やっぱり不安だ。

 背に寂しさを感じながら、手早く制服を脱いでいく。さっさと着替えて、返して貰おう。ガサゴソと紙袋をあさって霊夢の服を取り出し……戻す。……うん、魔理沙の服にしよう。

 厚手の上着、ふわりと広がる長いスカート、フリルのついたエプロン。それから……帽子は、いいか。全て着てしまうと、ちゃちゃっと畳んだ制服を紙袋に入れ、それを抱えて外に出る。晴子は……カウンターの方か。

 カウンターの方へ行くと、晴子は例の本を広げて頬杖をついていた。顔を上げて私を見ると、はあ、とわざとらしく溜め息を吐く。

 

「あきれた。なぜ帽子をかぶっていないの?」

 

 それは、ほら、カチューシャがあるから……。

 ちょこちょこと頭のリボンを弄りつつ言えば、罰だと言ったでしょう? と晴子。

 

「わたしの気持ちを放り出したのは誰? そのキクラゲを外しなさい」

 

 キクラゲって。

 服を落としてしまった事を言われると、強く出る事もできず、しぶしぶカチューシャを外す。ぴょんと跳ねる髪の毛に、頭の上が妙な感じになった。紙袋からとんがり帽子を取り出し、膨らませてからかぶってみせると、晴子は満足そうに笑った。

 

「ふふっ、似合ってるじゃない、妖夢。かわいいわ」

「……みょん」

 

 褒められて、ぽつりと呟く。ほんとにみょんな……違った、妙な感覚。ムズムズする。

 さて、と本を閉じた晴子が椅子から降りて、向こうの壁に歩いて行く。そこに私の二刀が立てかけられていた。あ、壁際に、出前の入っていた銀色の箱。……小さな人形達の住み家になっていた。ああ、後でラーメン屋さんに行こう。

 二刀を抱えてよろめきつつ戻って来た晴子が、何とかといった様子でカウンターの上に刀を乗せ、椅子の上に乗った。身を乗り出して、楼観剣を指さす。

 

「この刀と、こっちの刀に、おまじないをかけたの。あなたが刀を抜くまで普通の人間には認識できない。収めれば、誰にも」

 

 だから、この布は貰うわね、と椅子に座った晴子の手には、刀を入れていた袋が握られていた。いつの間に。

 しかし、おまじない……か。信じていいのだろうか。晴子の声には、人を信じ込ませる力があるんじゃないかってくらい、私は素直に信じかけていた。でもよく考えれば、ただのおまじないだし……。

 もし本当にそんな術をかけたのだとして、それはどこで覚えたのだろうか。

 聞いてみると、「ハワイでお父さんに教わったのよ」と肩をすくめた。

 ハワイ……かき氷? いや、外国?

 答えも出たので、私はすっかり晴子を信用する事にして、刀を受け取り、身に着けた。

 

「それじゃあ、妖夢。しばらくしたら取りにいらっしゃい。お茶ぐらいは出してあげるわ」

 

 こくりと頷いて、私は店を後にした。

 そのまま、少し軽くなった足取りでラーメン屋さんを目指した。

 

 

 ほー、そうか、困ったな……。いや、ありがとう。……娘さんかな?

 

 ラーメン屋さんで交わした会話は、これくらい。特に突っ込んだ事を聞かれる訳でもなく終わった。

 ……刀について触れてこなかった。おまじないは本物なのかな。

 腰の後ろに、横向きに括り付けている白楼剣の柄に手を添えて、うんと頷く。いつでも抜ける。いつでも斬れる。突然の事態にも対処できるだろう。

 帽子のツバを引っ張って、目深にかぶりながら足早に人の合間を歩いて行く。

 視界の端で、銀色の髪が日の光に輝いていた。

 

 

「あやー、妖夢ちゃん、おにゅーの服やね。似合っとるよ」

 

 このかの部屋で、向かい合って座るテーブル越しに頭を撫でられた。

 帽子越しの感触に、顔が熱くなるのを感じる。子供扱い……。

 

「魔法使いの服……なんだぜ」

 

 ……なんて。

 帽子のツバの両端をぐいっと引っ張って、うつむく。……恥ずかしい。

 

「……あれ? ちょっとごめんな?」

 

 ちらちらとこのかの顔を窺っていると、にこにこしていたこのかが何かに気づいたように目を瞬かせて、それから、私の左手を取った。

 

「ありゃ、少し腫れとるね。ぶつけたん? ちょっと待っててな」

 

 私の腕を見て心配そうに見たこのかがそう言って立ち上がり、棚の方に歩いて行った。……腫れ。そういえば、すっかり引いている。いや、昨日もそんなに腫れてなかったっけ。

 特に何を考えるでもなく、紅茶を飲みながらこのかが戻るのを待つ。少しすると、救急箱を抱えて戻って来た。

 ぺたぺたと手当される自分の腕とこのかの顔を交互に見て、気づかれないように溜め息を吐く。……このかは、優しすぎる。きっとその優しさが危険を呼ぶんだ。

 私の胸もドキドキしすぎて危険なんだけど、それは後で刀を振って発散しよう。はい、できた、と笑うこのかに、私はわずかにはにかむしかなかった。

 

 

 剣を振る。

 昨日と同じ木々の中。誰もいない小さな空間に、空気の音が響く。

 一回。二回。十回。百回。千回。一万回。

 一時間でも、二時間でも、いつまででも。

 

「……はっ!」

 

 ぶうんと振った刀をピタリと止めて、代わりに、止めていた息を思い切り吐き出し、荒い呼吸を繰り返す。

 はっ、ふ、と体を丸めて息を吐き、わずかに落ち着くと、背を反らし、重心を後ろに持って行って、ふーと額をぬぐう。

 帽子を落とさずに激しく動き回るのは、なかなか神経を削る。だけど刀を振るうたび、光が刀身に収まるたびに精神が研ぎ澄まされ、より速く、より正確に動く事ができた。

 夕焼け空に刀を掲げると、眩いばかりの桜色が辺りを照らし出す。心を込めて振るうたび、舞う桜の花びら……その光。その力を、解き放つ。

 倍近く伸びた刀を全力で振るい、地面すれすれまで振り下ろして、だけど、すんでの所でピタリと止める。

 すー、と光が弱まっていくのに、長く息を吐いた。よし、成功した。

 葉を揺らす風にしばらく浸ってから、腕を引き戻し、刀を鞘に納める。溜まった力を放つ際、ただ何かにぶつけると大きく爆発する。それは私の視界を隠す。どうにかできないかと試行錯誤していたが、どうやら強く意思を持てばいいだけだと気づいた。

 ……気づくまでにいくつか穴を作ってしまったが……それは、そこに転がる男の墓穴にでもすればいいか。

 黒いスカートを摘まみ、パタパタとやって足下に風を送り込む。ふぅ、涼しい。

 長刀……楼観剣は、どうやら振るたびに私に力を与えてくれるみたいだ。振って、振って、力を溜めてようやく技を放てるようになる。少し面倒だ。……半霊さえいれば、こんな苦労はしなくて済むんだけど。

 ……霊力も妖力も、今の私の体には無い。

 弾幕を放つ事も、ましてやスペルカードを使う事もできなければ、空を飛ぶ事さえできやしない。今の私は、ただの半死人だ。いや、半霊がいないのだから、半生人?

 白楼剣の柄に手をかけ、鞘ごと引き抜く。白塗りの鞘の半ばに結ばれたリボンが、誘うように風に揺れていた。右手の指で鞘をなぞり、リボンを摘まむ。そのままするりと解いた。

 途端、辺りに風が放たれる。当てられた木々がザワリとざわめき、土埃が舞い上があった。……ただ、それだけ。

 指先に摘まんでいたはずのリボンは、いつの間にか鞘に結ばれている。それをもう一度解くと、今度はリボンが戻るだけで、他には何も起こらなかった。

 ……何度か試してみたけど、これは一度使うとしばらくは使えないみたいだ。放たれる風には、どうやら不思議な力があるらしい。よくわからないけど……それはまあ、いいか。

 そろそろ日が暮れる。帰ろう。

 ……男を、埋めてから。

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