なりきり妖夢一直線!   作:月日星夜(木端妖精)

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第七十五話 求めた妹

 新しい生活が始まった。

 三原深月と賀集真の……いや、三原秀樹との、二人だけの生活。

 

「おにいちゃん……そばにいてね」

「ああ。ずっと傍にいるよ」

 

 不安げに瞳を揺らして、ソファに座る真の膝に乗る深月。優しく微笑んだ真は彼女の背に腕を回して頭を撫でた。

 真の胸に頭を擦り付けて、不安を晴らそうとする深月。日々、常について回る言い知れぬ恐怖や不安は、こうしていると、どうしてか消えてしまう。

 だから深月は、もう真から離れられなかった。

 

 ――深月は、真を兄だと認識していた。

 母を失った現実を正しく認識できず、ぼうっと過ごす少女の心につけこむのは、真にとって造作もない事だった。

 妖しい術や何かの魔術を使った訳ではない。ただ、幼い心が壊れてしまわないよう、そっと包み込んで、受け止めてあげただけだ。

 それは今の深月にとって、この上なく安心できるものだった。

 だからたとえ、いきなり「家族だ」と言われても、受け入れられた。

 

 

 欲望が渦巻いていた。

 それをひた隠していた。

 部屋の隅の暗がりに立つ女が囁く言葉など無視していた。

 それでも、日々募る感情があって、だから真は、時折自分を慰めてやり過ごした。

 「なぎってなあに」と深月に聞かれて、真が激しく動揺した、なんて事も、もう昔の話。

 

 

 穏やかな毎日だった。

 妹と二人でテレビを見たり――刀を持って振らせたり――、日向ぼっこをしたり――妖夢の服を拵えて着させたり――、おおよそ、昔のような環境に戻っていた。

 数年もすれば深月は落ち着いて、真にべったりくっついて過ごすようになった。言う事をよく聞くのも、お互いを思い合うからこそ。二人は、良い関係を築いていた。

 それこそ、真が素の自分を取り戻してしまうくらいには――。

 

 狂気が薄れていく。影の嘆きが遠のく。

 真は、男だった賀集真の時の精神状態に近くなっていた。

 だからこそ、自分がなしてきた非常識な行いを恐れ、後悔し、罪の意識に苛まれた。

 妹を笑顔にできる、良き兄であろう……そうしようとするたび、過去の影がちらついて、少しずつ、また狂っていった。

 傍目には……深月には、到底理解できない、内面の変化。

 いつも微笑みを浮かべている兄が、たびたび美味しいケーキを作ってくれる兄が、深月が寝付くまで、横に寝そべってぽんぽんと体をたたいて落ち着かせてくれる兄が、その裏では神の力を振るい、近場のコンビニの店員を洗脳し、家までの道のりに結界を施し、彼女の生きる道を狭めていた事など、知る由もなかった。

 家と、コンビニと、そこまでの道。それが深月の世界の全て。

 道を歩く子供を見ても、店内にいる大人を見ても、その様々な姿や言動に思考を働かせる事はあっても、深月はそのどれとも触れ合う事はできなかった。

 知識だけが積み重なっていく。

 真から与えられる知識。

 東方projectという作品の詳細。登場するキャラクターの境遇。妖夢という少女の生き方。

 ただただひたすらに、それが当然とばかりに、真は深月へ妖夢という情報を注ぎ込み続けた。

 

 妖夢(みつき)

 

 深月(ようむ)

 

 過去の思い出。今そこにあるもの。再び手にしなければならないもの。もう、手に入れているもの……。

 幸せな生活の中で、しかし真の頭の中はぐちゃぐちゃになっていく。

 自分が何をしているのかさえわからない。……わかろうともしない。

 求めた妹。

 

 彼女を――

 

 偽の楽園へ連れて行き、完璧な妖夢に仕上げねば――。

 楽園へと赴き、共に元の世界へ帰らねば――。

 

 そのどちらもが頭に浮かんで、しかし、そのどちらもを、真は正しく認識していなかった。

 もはやどちらも同じ事。深月を妖夢とする事は即ち、元の世界に帰る事とイコールになってしまっていた。

 まるで夢の中にいるかのような曖昧さ。まどろみの中にある現実。

 真の目には、銀の髪の少女しか映っていなかった。

 

 

 カチャカチャと食器が音をたてる。シンクの中に乱雑に積まれた丸皿が、崩れようとして擦れ合う音。

 泡塗れの手の甲で皿を押し戻した真は、隣に立つ深月が自身の手元に目をやっているのを見て、目を細めた。興味津々といった様子で眺めているものだから、思わず口元に手をやってくすりと笑おうとして、手につく洗剤にはっとして、すぐに戻した。

 ぐるりと視界が暗転する。耳鳴りが通り過ぎていく。

 空白のような何かに襲われて手を止めた真を、深月が不思議そうに見上げる。

 

「お兄ちゃん……?」

「……お皿の……洗い方。わかった?」

「ん!」

 

 むっと唇を結んで、神妙な顔で頷く深月に、真は一瞬前に自身に起こった不思議も忘れて、今度こそ笑ってしまった。癖で口元に手を当てたせいで、妙に苦い思いをしてしまったが、妹の背伸びした表情を見れば、そんな事はどうでもよくなった。

 どうやら深月は、妖夢とはこうあるべきを自身で模索して、その結果を反映しているようだった。

 こっそりと洗浄魔法で口元を綺麗にする真に、ん、と再度、深月が声を発する。控え目に出された手が、何をしたいかを物語っていた。

 静かに、緩やかに、厳格に。

 深月が声を発する時は、本当に物静かで、動きが少ない。

 妖夢を真似ているからこのような話し方になっているのではない。深月は、瑞希と違って、少しばかり大人しい子供に育っていた。

 

「やりたい?」

「ん!」

 

 真が問えば、こくりと小さく頷く深月。そろそろ家事も教えるべきかな、と判断した真は、泡濡れのスポンジを一度握って粟立たせると、深月の手に持たせた。それから、シンク下の棚と冷蔵庫の間にある踏み台を引いて、自分の立っていた位置まで移動させた。

 用意された台の上に立った深月は、ふんと息を吐き出して気合十分な様を見せた。

 そんな彼女の袖を巻くってあげながら、真は、日々の積み重ねの中で完成していく魂魄妖夢に笑みを深くした。胸の内の、どこか深いところで感じる違和感を無視して。

 

 

 憑りつく影が怨嗟の声を撒き散らし、悪夢に苛まれる。

 深月は妹ではない。近いが、本当の家族ではない。

 だから妖夢として育てている。より自分に近付くように、より思い出を取り戻せるように。

 少女を妹として、しかし、少女個人を見ようともしている。

 それができない。矛盾した気持ち。

 先行する気持ち。

 彼女が欲しい。妹が欲しい。

 あの日々を取り戻したい。

 

「…………ん」

 

 深月が寝付いた後に、キッチンでケーキを作る真。毎年、深月の誕生日にレアチーズケーキを作って、小さな誕生日会を開いていた。

 今年も、早くもその時がきた。九つの誕生日だった。

 子供の成長は早い。何度目になるか、そう呟いた真は、手製のチョコペンを握り直し、型抜きしたホワイトチョコのプレートに『お誕生日おめでとう』のメッセージを書き込もうとして、ふと、手を止めた。

 

「…………!」

 

 魂に染みついた嘆きの声がこだまする。影が騒めく。

 醜悪な欲が体の中で増大する感覚に、真は口を手で覆ってよろめいた。

 耐え難い苦痛と熱。明滅するように寒いと暑いを繰り返す体。吐息は熱を持ち、体は火照っている。

 たびたび、真を襲う衝動がある。膨大な欲望がわきあがってくる。

 このタイミングで……。

 口の端を噛んで、痛みに意識を集中させてやり過ごそうとしながら、真は眉根を寄せた。

 今は、この感情を静める方法が無い。

 まさか、大切なケーキ作りの最中に自分を慰める訳にもいかない。そういう事をしていい時じゃないし、考えるだけでも汚らわしい。妹には、一片たりとも穢れに触れさせたくないのだ。

 心の器に闇と影を注ぎ込む。胸に満ちる哀しみ。少女達の怨嗟の声。たすけて、たすけて、たすけて――。

 

「――ッ!」

 

 歯を食いしばってもどうにもならないモノ。思わず腕を振ろうとしてしまった真は、目の前のケーキを崩したくないがゆえに、無理矢理手を持ち上げて頭を掻き毟った。よろめくようにケーキから離れる。断続的に頭皮を襲う、擦るような熱と、髪が引っ張られる痛み。それでも何も変わらない。何も治まらない。髪を縛る紐を引き千切った真は、ばらける髪の一束を掴んで握り締めた。そこに意味はない。ただ、小刻みに体を震わせて、この、抱いてはいけない感情を静めようとしていた。

 

「――はっ、は、ふ」

 

 荒く息を吐く。

 今までにも何度かこんな状態になる事はあった。

 でも、その全部をどうにかやり過ごす事ができていた。

 ……だけど、今度ばかりは。

 

「はぁっ、は、く……」

 

 感じるたびに、渦巻く欲望は増大していく。抑えきれないほど、大きくなっていく。

 何がそれを育てるのか。真には何一つ理解できなかった。そんなものを抱くはずがないのに、幾度も身を苛む熱がある事が不可解だった。

 

「ぐうっ! あ゛、ぅ……」

 

 ぞぶりと、下腹部に突き刺さる腕。肉を引き裂き、脂肪の海を掻き分け、血管を退けて臓器に辿り着いた手は、爪が食い込むほどに鷲掴むと、一息に引き抜いた。ブチブチと千切れる筋の音。床に飛び散る赤。

 

「ぅぐ、げほっ!」

 

 ばしゃばしゃと、真の口から水のように血液が流れ落ちて、床に血溜まりを作った。腹に空いた穴からも留処なく流れ落ちる。右手に握った子宮が電光に当てられて、てらてらと輝いていた。

 

「……!」

 

 そうまでしても、やり過ごせない。

 もはや欲望は真の手に負えないほどの怪物になってしまっていた。

 真が崩れ落ちるようにして膝をつくと、血液が跳ねて机の足に染みついた。長い髪が血の池に沈む。波立つ水面に移る真は、酷く淀んだ目をしていた。

 

 かつりと、真の背後で足音がした。

 それが誰かを確認する余裕もない真は、しかし、躊躇いなく歩み寄ってくる存在が愛する妹ではない事だけははっきりわかった。

 

「いいのよ」

 

 ぽつりと、澄んだ声がした。

 脈打つ心臓に染み渡るような、優しい声。

 影が落ちる。

 赤い水面に、真の肩越しに覗き込む女性の顔が映った。

 長い髪が垂れて真の肩にかかると、耳元に寄せられた口から、囁く声。

 

「滅茶苦茶にしてしまっても、いいのよ」

 

 甘い誘惑だった。

 水面に輝く翡翠色。二つの目が、真の目を覗き込んでくる。

 肩に手が置かれると、真は臓物を取り落として、子供のように首を振った。

 違う。そういう欲じゃない。そういうのじゃないんだ……。

 いくら否定しても、『そういう欲』なのは、真が一番理解していた。でも、だからこそ理解できなかった。なぜ深月に対してそんな感情を抱いてしまうのか。

 本来ならあり得ない。瑞希が相手なら、絶対に感じないモノ。深月とは血が繋がっていないから? 本当の家族ではないから?

 首を振る。真は、ひたすら首を振った。揺れる髪の先が床に赤い線を引いて、いつの間にか流れていた涙がぽつぽつと落ちる。

 違う。

 

「違わない」

 

 ……違う!

 

「違わないの」

 

 ……違う、はず、なのに……。

 

「そう。だから、やってしまいなさい」

 

 やる。

 やるって、何を。

 

 血溜まりが広がっていく。床に両手をついて、落ちた影の中に映る自分の顔を覗き込んでいた真は、もう、何も言わずに影を纏った。

 闇が迸り、黒いドレスがふわりと広がる。

 頭上に渦巻く異空間への扉から錫杖を引き抜いた真は、一振りで血液を消し去り、二振りで体の傷を治し、三振り目で、床に残された臓物を杖に収めた。

 杖を床について、立ち上がる。窓の外の暗闇に目をやった真は、緩く瞬きをしてから、上を向いた。さらりと髪が流れ落ちる。血の一片もついていない艶やかな髪が、漂う神力に持ち上げられて揺蕩う。

 手の甲を目元に当てて、溜め息をつく真。

 

「……ふぅ」

 

 次には、背後へと全力で杖を振り抜いていた。

 空間を裂く一撃は、しかし何にも当たらず、ただ、遅れて風が吹き込んだ。

 

「…………」

 

 欲望が引かない。熱が消えない。頭が、ぼうっとする……。

 かたりと、机が鳴る。億劫そうに振り返った真は、テーブルの上に置かれた作りかけのケーキを見た。

 

「貴女は、もっともっと強くなれる」

 

 机の上に腰かける赤い着物の女性が、誰にともなく言った。

 

「振り切って見せて。さあ、理性を……壁を越えるのよ。一段高いステージへ……」

 

 妖しく輝く翡翠の瞳。

 真の紅い目には、たしかにその女性の姿が映っている。

 しかし真には……女神である真にさえ、その存在は感知できなかった。姿さえ、見えなかった。

 真を誘う青い蝶が、女性の周りをひらりと舞った。

 

「…………」

 

 理性はもう、限界だった。

 

 

 鉄の臭いが充満する。

 部屋中が赤黒い色に染まっていた。

 漂う臭気が、霞がかった部屋に漂う。

 割れた電灯の欠片がパキリと鳴った。

 

「…………」

 

 脳漿を撒き散らして絶命していた真は、ぴくりと肩を跳ねさせると、蘇生した。

 巻き起こる闇が真に女神の力を与える。それで真は、ようやく意識を取り戻した。

 身を起こした真は、自分のなした事や、踏みつけられて潰れたケーキを眺めても、何も考えられなかった。

 

「…………」

 

 叩き割られたラジカセの前に歩み寄る真。

 雑音ばかりを鳴らすテープは、もはや元に戻る事はない。日常を取り戻す事はできないと、物語っていた。

 数分か、数十分か、真はそうして佇んで、何も考えないようにしていた。そうしなければ、今すぐこの世界を消し飛ばしてしまいそうだった。

 

「…………みずき」

 

 暗い部屋に、ただ一人の声が反響する。

 後悔していた。

 いや、こんな事を起こす前から、すでに後悔していたのだ。

 だが欲望には抗えず、深月を襲ってしまった。

 情欲を掻き立てられ、一時は理性で抑え込んだ。

 でも、自分に賭けてみたくなったのだ。

 彼女を妹として見れるなら、彼女を襲うなんてありえない。

 だから、このまま、このままの時間を過ごしてみよう……。

 念のために、あらかじめ様々な用意をして、そうして、深月の誕生日を迎えた。

 結果は……失敗だった。

 彼女を妹として見る事はできなかった。

 その瞬間は、ただ一人の女としてしか見られなかった。

 違う。そんなつもりじゃなかった。

 なぜこんな事を。なぜ。

 自分でもわからない程の欲と興奮が体中を廻り、どうしようもなく暴れたくなって、だけど、虚脱感に苛まれて体は動かない。

 意味がわからなかった。

 何が真にそうさせたのだろうか。

 どこにそんな要素があったのだろうか。

 妹として愛した少女を異性として見て、襲うだなんて、なぜそんな事が起きたのだろうか。

 事が起こってしまった後では、もはやその理由を考えるのは無意味だ。

 

 やり直したい。

 

 真は杖を手にして、緩やかに振った。

 全てを無かった事に。

 最初からにするために。

 部屋の内装は、瞬く間に惨劇の起こる前の姿へ戻っていく。

 だが、ここにはもう深月の姿はない。

 

「……え?」

 

 そして、今しがた真が使用した広範囲の探知の魔法にも引っ掛からなかった。

 それ程長い間、自分は倒れてしまっていたのだろうか。

 焦りに突き動かされ、真はすぐさま外へ飛び出した。

 空へと舞い上がり、人探しの魔法を発動させる。次に、呼び寄せる魔法。それから、深月に与えた神の祝福を探る。

 

「なんで……」

 

 そのどれも、深月を捉える事はできなかった。

 真は、邪悪な気を撒き散らして町中を飛んだ。近場の雑木林も、そこから繋がる山も川も、隣町も、周辺の区域も探した。

 どこにも見つからなかった。優れた気配感知に、欠片も引っ掛からなかった。

 まさか、死んだのか。

 死んでも甦らせられる。

 ……甦らせられるからって、死んでいい事にはならない。

 もう死なせたくない。

 瑞希……!

 

 彼女の名前を何度も何度も呟きながら、真は国中を探すつもりで飛翔した。

 そこで、見つけたのだ。

 楽園を。

 

「…………」

 

 かつて、旧世界は日本へ、自前の転移魔法を用いて移動してきた時には、国中どこを探しても無かった秘境。それが今になって、あっさりと真の前に姿を現した。

 それさえ、今の真には煩わしかった。怒りさえ掻きたてた。

 その怒りを抑え込んで、妹の手がかりを得るために結界を越えた。

 

「はあい、ようこそ、私の楽園へ」

「…………」

 

 八雲紫の出迎えがあった。

 まるで、真が来ることを知っていたかのようかタイミングで、真に接触してきた。

 だが真は、以前あれ程望んでいた妖怪との邂逅を歯牙にもかけず、楽園の空を飛んだ。

 そしてそこにも深月がいないと知ると、外へ出ようとした。

 だがそれは許されなかった。

 真の前に、八雲紫が再び現れ行く手を塞いだのだ。

 今外に出れば、世界に混乱をもたらす。下手を打てばこの楽園も、世界そのものも消えてしまう。

 

「知った事ではない……!」

「そうはいきませんわ。関わってしまった以上、あなたは知らなければならない。彼女を……」

 

 力ずくで強行突破を試みようとする真に、紫が待ったをかけた。

 そして、教えたのだ。この楽園に、真が妹の次に求めるであろう妖怪がいると。

 真には心当たりが無かったが、だが、引っかかるものもあった。そして、幾年も生きた妖怪の話術は流石というべきか、何度も言葉を交わす内に、真は落ち着きを取り戻し、ようやく深月の心理や精神状態に考えを及ばせる事ができた。

 

 今、彼女の前に真が姿を現せばどうなるだろうか。

 笑顔で迎えられる? もうしないでね、と軽く怒られるだけで終わるのだろうか。

 殺されるほどに怯えられたのに?

 

「…………」

「さあ、地上に降りて。その足でこの地を踏んで、歩いてみなさい」

 

 時間を置く必要があった。

 真自身のためにも、深月のためにも。

 真は、彼女の事が心配でならなかったが、自分のした事を思うと、何も言えなくなってしまう。行動に移せなくなる。

 せめて、彼女にかけた様々な魔法や祝福が彼女を守ってくれる事を祈った。その資格があるかどうかは考えない。もう真には、誰かの言う通りに動いて今をやり過ごす以外に道はなかった。

 

 それからの真は、髪を縛り、一人の男として楽園を歩いた。

 男として振る舞うのは、瑞希の兄である自分を保つため。

 ……保っていないと、何もかもが霧消して、自分自身さえどこにもいなくなってしまうような恐怖があった。

 半分死んだように生きて、何とも知れない誰かを求めてさ迷い歩く。

 思い出したように異空間に世界を作り出しては、そこに妹が姿を現すのを期待して、それが叶う前に誰かに邪魔されて、打ち倒して、打ち倒されてを繰り返した。

 もはや世界に敵はいないと思っていたのに、闇の力さえ膨大な光で晴らす者がいるのを知り、殺しても死なない者がいるのを知り、女神の全力で以ての一撃を容易く受け止める存在がいると知り、全ての攻撃を擦り抜け、通用しない者がいると知り……。

 戦いの毎日だった。

 昔と同じ。

 ただ、今度は相手の強さはでたらめだ。一歩上か二歩上か、はたまた格下三昧か。

 旅の果てに友人とも言えない知り合いが増えて、杯を交わす相手ができて、真の精神を丁寧に埋めていった。

 同時に、凄まじいパワーを得ていった。

 鬼の拳を額に受けて、ぴくりとも表情を変えないほどの耐久力。連戦して、幾度体を打たれても倒れないタフさ。億万の光弾を気合い一声で掻き消す強大な気。

 何段階もパワーアップして、それでも届かない相手はいて。

 しかし、最高峰の力を持っている事には変わりなく、真は、その力を振るって自分の歩く道を作り出した。

 その先に一匹の妖精との出会いがあった。再会とも言える、不思議な出会い。

 火を操る妖精。特徴など、面白くないシャレを連発したり、ケーキ作りが趣味だったりする程度の、ただの一匹。

 そこが終着点。旅の終わり。

 真は、しばらくその妖精と過ごした。

 何日も経って、季節が変わって。

 

 不意に真は、外の世界に出る事にした。

 時期だ、と直感した。

 先導する蝶々も、止める八雲もいない。

 真はあっさりと外の世界に出た。

 そして、日本全土に魔力の波を送って、ついに妹の居場所を見つけ出した。

 それが、麻帆良だった。

 麻帆良学園で、深月は妖夢となって、新たな生活を作り上げていた。

 何も考えず、真はずかずかとその空間に踏み入れた。土足で踏み荒らすように、深月の積み上げてきたものを崩そうとした。――実際に、崩してしまった。

 そのまま、ただ、今まで思い描いてきたとおりに彼女を連れて元の世界に帰ろうとして、ふと、門戸の声が聞こえた。

 

 "欲望なんかに負けないで"

 

 真は、立ち止まった。そして、考えた。

 ……壊していいのだろうか。彼女を傷つけた自分が、欲望のままに?

 これほど時間を積み重ねて、体を動かしてきたのに、まだ真は考えなしだった。

 表面上は、笑いもすれば悲しみもする普通の人間だった。

 でもいつからか、真の心は止まっていた。

 未だに彼女を妹にしたいのか妖夢にしたいのかすら、定まっていない。

 ここに来て、それをようやく頭に浮かべて、考え始めた。

 だから、悩んだ。どうすればいいのか、どうしたいのか。

 真自身の主体性の無さや曖昧さが敵になって、思い浮かぶ何かや何かをうやむやにする。

 いくら考えても、はっきりとした答えは出なかったから、その結果をネギ達に委ねる事にした。

 また賭ける事にしたのだ。

 彼女が自分を選んで、一緒に来てくれる事を。

 

 ――……自分ではなく、友達を優先する事を。

 

 矛盾した気持ちだった。

 こんな自分なんかより、今を大切にして、幸せになって欲しいと願う気持ちと、今の何もかもを捨てて、また自分達とあの日常の中へ戻って欲しいと願う気持ち。

 もともとがただの人間だった真には決められない事だった。

 そもそも、真に決めていいような事ではなかった。

 深月が自分で選ばなければならない人生の分妓点。

 とても大切な事だ。ゆっくり、じっくり、彼女に考える時間を与えて、彼女の答えを待たなければならなかった。

 

 巨大な樹木。麻帆良の地に住む人々から世界樹と呼ばれる木の下。

 広場の中央、その最奥で、真はぼんやりと佇んでいた。

 昇る太陽の輝きは、想いを寄せたナギのようで、沈んでいく太陽は、自然の摂理のように、当然の理屈で自分の手には入らなかったナギを表しているみたいだった。

 感傷に浸る内に夜が来る。夜の女神たる真の力が数割増しにアップする、真の時間。

 全ての力を使って深月を攫うか、阻止されて、殺されるか。

 どちらでもいいかもしれない。

 投げやりではなく、真は真剣にそう思った。

 深月が妹でなくなれば、真は生きる目的も存在意義も見失って、蹲って動かなくなってしまうだろう。

 彼女を妹にすれば、常について回る後悔と自責の念が、きっと元の世界には返してくれないだろう。

 どう転んでも、もう真には未来は……。

 

 ……結局、決めるのは深月だ。

 真はそれに従うのみ。

 

「…………」

 

 遠くから歓声が響く。歌と音楽と明るい光。

 しばらく続いていたそれが途切れると、静寂の中に月が昇った。

 月光が降り注ぐ。

 広場を包み込むようにかけていた結界が解けた。

 それは、深月がこの場に足を踏み入れた合図だった。

 

「…………」

 

 誰かが石畳を歩むコツコツという音。

 たった一人分の足音。

 重さからいって、深月ではない。

 では、誰?

 気配も探らず、真は月から何者かへと視線を移した。

 そして、激しく動揺した。

 

「ナ、ギ……?」

「…………」

 

 使い古したローブに、匂いと魔力の染み込んだ杖。真が最後に目にした、真剣な表情。

 薄暗闇の中に立ち止まったのは、紛れもなく、英雄、ナギ・スプリングフィールドだった。

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