なりきり妖夢一直線!   作:月日星夜(木端妖精)

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……ごめんなさい。
一話に収まらなかったので、次が最終回になります。


追記。

謎の改行を修正しました。

あらすじ
決着をつけよう。三原深月は、最後の決戦に挑む。相手はかつての兄。その強大なパワーは計り知れない。そして、彼女を守るように現れたのは、英雄・ナギとその仲間達だった。


そのまま深月紆余曲折
第七十六話 決戦


 驚愕、歓喜、後悔、懺悔。

 どれがどの順番でわき上がったかなんて、真本人にだってわからなかった。

 嘘、とか細く呟く声が、広場に降りる闇の中へ霞んで消える。

 緩やかに下がる右腕に、杖が地面を掻いて傾いた。

 

 頭までローブをかぶって立つ男。かつての想い人。今も時折思い出してしまう人。真にとって、確かな光だったもの。

 最初に浮かんだのは驚愕だった。

 ナギが今、ここに、この場所に、自分の前に現れる訳がない。

 だが現に、目の前には彼がいる。真が逃げ出した時と同じ表情で、じっと立っている。暗い中にある二つの眼は、絶えず真を見つめていた。

 

 来て、くれたの……?

 

 喜びが次に胸を満たした。

 理由も、状況も、何もかもを差し引いて考えて、ただ彼が自分の前に現れた、その事実だけを見て。

 嘘みたいな現実も、泥沼のような心も、この穢れた体も、積み重なった罪も、ナギならどうにかしてくれる。ナギとならどうにかできる。

 ――そう思って、でも、そうはならないと直感した。

 ……いや、ただ、現実が見えただけだ。

 

「ワタシを……殺しに来たのか?」

「…………」

 

 あんな風に別れて。

 ナギは英雄で、真は悪者で。

 何をどう解釈したって、きっとそういう風にしかならなくて。

 酷い酩酊(めいてい)感。視界がぐるりと回ってしまうような気持ち悪さ。

 心を預けたい人に敵意を向けられる恐怖や、そうした世界から逃げ出したくなる気持ち。

 喜びは消え、悲しみが胸になだれ込む。また戦わなければならない。傷つけなければならない。影はそれを喜んでいる。

 

 佇む男は何も言わない。

 ……怒っているのだろうか。

 悪い事をしていたから? 逃げ出したから?

 ……妖夢を、作り出していたから?

 

「――っどうしても、やめられなかったんだ……! だ、だって、お前がワタシを捨てたから……あ、あの子は私の希望で……!」

「……!」

 

 台風のように荒れ狂う感情が真の心を掻き乱す。目まぐるしく変わるまぶたの裏の記憶。瞬きをするたびに潤んだ世界は色を変えて、真を責めたてた。

 今までにしてきたすべての事は間違いで、だからもう、何をしても未来へは進めなくて。

 途切れてしまった道の先に立つナギの姿。そのずっと先を歩く妹の背中。

 手を伸ばしても届かない距離。届いてはいけない距離。

 たとえ目の前にあるのだとしても、届かせてはならない距離。

 いっそ良心が全部消えてしまって、真が欲望のまま、したい事をするためだけに動いていたなら、どんなに楽だっただろう。

 そうでないから、こうなっている。

 悪を自覚しているから、苛まれている。

 だから、もう、目の前の男には歩み寄れない。

 

「――ぁ」

 

 それでも。

 それでも、心は揺れる。

 どうしようもない。

 どれ程強くなっても変えられなかった、一番脆い部分。

 

 たった一歩、彼が足を踏み出しただけで、真はよろけるように後退して、目を背けて、嗚咽を堪えるように手で口を覆って。

 見られたくなかった。黒い姿も、黒い気持ちも、今の自分の何もかも。

 それはきっと、妹に対しても同じだった。

 伝えたくなかった。過去にあった辛い事も、今ここに立つ真の事も、この世界の何もかも。

 

 それでも、未来のためなら。

 あの過去のためなら、どんなに辛くても、どんなに理不尽な事をしようとも……。

 たとえ惚れた男をその手で引き裂いて殺す事になろうとも、ついに見つけた妹を幸せにできるなら、耐えられるはず。

 耐えられ――……。

 

「ご、ごめんなさ……」

 

 どんなに闇で覆い隠しても、動揺も恐怖も隠し切れなくて、真は、なんのアクションもなく立つ男へと、弱々しく謝っていた。

 自責か、それとも、今にも聞きたくないような言葉が飛んでくる気がしてしまったのか。

 泣きそうな顔を前髪と腕で隠して後退する真に、また一歩、影が歩み寄る。

 戸惑いと、僅かな同情。自分へ伸びる影から真が読み取れたのは、そのくらいだった。だけどもう、頭で情報を処理する事ができなくて、ただただ、歩み寄られるのを威圧されていると感じて、後退(あとずさ)った。

 

「秀樹、さん……」

 

 フードに手をかけながら声を発した影は……ナギに変装したネギは、眉を八の字にして、躊躇いがちにフードを下ろし、素顔を晒した。

 居たたまれなかった。

 悍ましい気配を纏って屹然と立つ偉大な強敵の姿などどこにもない。

 ただネギに怯え、縮こまる少女が一人いるだけ。

 彼女が何に怯えているのか、何に謝るのか、どういう経緯があるのか。

 ネギは全部知っている訳ではないから、その正確なところはわからない。

 それでも、今自分の行いが、真をそうさせてしまっているのははっきりとわかっていて、だから……。

 

「なんで……マコトって呼んで……くれ、な」

 

 うわ言のように、誰に対してのものでもなく、囁くような声。

 震えながら顔をあげる真の、涙に濡れた紅い目を、ネギは真っ直ぐに見つめた。

 怯えさせるつもりでこの格好をしたのではない。

 ただ、少しでも穏便に事を運びたかっただけだ。

 その可能性を模索したかった。

 父の息子である自分であれば、少しでも彼女の心を和らげられるのではないかと、そう思ったから。

 

「僕は……」

「――!!」

 

 あなたと話がしたい、そうネギが言おうとした時、目を見開いた真が大きく杖を振るった。

 

「っ!」

 

 目前で起きた爆発に、咄嗟に顔を庇って二歩、後ろへ下がるネギ。真の前方を薙ぐ様に連続で巻き起こる爆発は、風を荒らし、石の床を剥がして巻き上げ、熱を撒き散らした。

 細かな破片が体や顔に当たるのも構わず、ネギは再び前に出ようとした。なんとかしなければ、と、それだけが頭にあった。

 彼女に対する真摯な態度ではないと、自らの装いを剥がして正体を明かそうと、しかしそのまま事を進めようとして、中途半端に彼女を刺激してしまった。その行いの結果をどうにか落ち着かせようとするネギの前へ、黒煙のカーテンを突き破って、真が飛び込んで来た。

 人には視認できないスピード。

 それでも、引き込まれるような風と紅い光の線に反応したネギは、杖を持たない手を目の前に掲げようとして、突き出された錫杖に額を打ち抜かれて床に背中を打ち付けた。

 暗転する視界と体中に走る痛み。詰まる息をなんとか吐き出した時には、ネギは階段近くまで転がされていた。

 

「よ、くも……」

 

 憤怒の情が吹き荒れる。巻き起こる風の中に迸った魔力が杖の先から打ち出され、天に昇った。

 

「よくも……!」

 

 白い光が世界を満たす。

 腕をついて身を起こすネギは、強制的に子供の姿に戻されてしまった自分の状態を確認するより速く、世界樹を背にして膨張する光の球を見上げた。

 

 だましたな。

 

 それまでの激情が嘘のように、冷えた声。

 掲げられた杖の先にある光球は日のように輝き、そこら一帯に昼のような灯りを降り注いでいた。

 何かを堪えるように震える真は、息を呑むと、ぐっと歯を噛みしめた。

 

「消えろっ……!!」

 

 両手で持った杖の先が地面に叩きつけられる。カァン、と甲高い音が鳴った。

 砂埃が波となってネギの体を擦り抜けていく。

 

「あ……」

 

 太陽が、落ちてくる。

 そう、錯覚してしまいそうな光の奔流。

 立ち上がる事もできず、ただ見上げるだけのネギの視界が真っ白に染まって――。

 誰かの叫ぶ声がした。

 

 

 

「……アスナ、さん?」

 

 目の前に立つ、大剣を構える少女へ、ネギは呆然としたまま声をかけた。

 

「間一髪ねー、ネギ」

 

 ふぅー、と息を吐いて振り向いたアスナが、わざとらしく額を拭ってみせた。

 夜の闇が戻っているせいで、彼女の不敵な笑みはネギにはよく見えなかったが、左隣に来た深月に腕を掴まれて立たされると、アスナの顔がはっきりと見えた。

 

「あ……すみません……僕……」

「謝罪はいりませんよ、ネギ先生。それより今は彼女です」

 

 右隣に立つセツナは、すでに刀を抜いている。引き締まった表情が、ようやくネギに気を取り戻させた。

 小刻みに顔を振るって、それから、ローブを脱ぎ去る。背後へ落ちる布の音を気にせず、遠くに立つ真を見据えた。

 

「……みずき」

 

 遠くからでも、はっきりと聞こえる澄んだ声。

 杖を片手に、緩やかに背を伸ばして立つ真。目の端から零れた光が、闇に持ち上げられてその中に溶けていく。

 ネギから一歩離れて刀を腰に下ろし、手をかけた深月は、何も言わずに真を見つめた。そこに様々な思いはあれど、今この場で口にするようなものは何もなかった。

 しゃんと刀を引き抜いて正眼に構える深月に、真ははっきりと悲しそうな顔をして、目を伏せた。

 やはり、そうなるか……。そんな呟きも、全員の耳に届いていた。

 

「お前が……」

 

 ぎろり、と。

 鋭い視線がネギを貫いた。

 

「……お前も、ワタシの邪魔をするか」

 

 殺意だった。

 敵意や害意ではなく、明確な殺意。

 話し合いは期待できない。そうなってしまった理由はどうあれ、ネギは覚悟を決めて挑まなければならなくなった。

 ぶるりと身震いをして杖を構えたネギが、アスナの横へ移動する。いつまでも彼女を前に立たせる訳にはいかない。できればそのまま一番前へ出たかったが、アスナに目で制されて、その場に止まって杖を構えた。

 

「…………」

 

 重い沈黙。

 押し黙ってネギを睨みつける真に、少しの間、誰も何も言わなかった。

 相変わらずの重圧は身動ぎするのにさえ精神力を要求するし、昼に戦った時よりもさらに増した力は、肌で感じられるほどだった。

 騙したとはいえ、ネギにだけ敵意が集中する理由は幾つかある。

 一つは、ナギに容姿が似ている事。似ているからこそ、その違いや何かが余計に敵愾心を煽る。

 そしてもう一つは、ネギがアリカ王女の子である事。率直に言って、真はその血が大嫌いだった。

 アリカ王女にもネギにも、明確に非はないが、真の感情をこれ程煽る存在は他にいなかった。

 

 ドロドロとした黒い汚泥のような視線。目を合わせ続ければ狂気に侵されてしまいそうな紅い輝き。

 遮るように、ネギの腕を引いて背中に隠したアスナが前に出る。視線さえも掻き消そうと(かざ)した大剣で身を守りつつ、どうしたのかと見上げるネギを見返した。アスナは何も言わず、ただ小さく頷くのみだった。

 それでも、意味も言葉もない何かを受け取ったネギは、前を向いてしっかりと構えた。

 

「…………」

 

 そんなネギの動きをどう感じたのか、真はくいと僅かに顔を上げ、斜めに立つと、錫杖で力強く床を突いて、何重にも重なる不思議な音を鳴らした。

 未知の術を用いる前兆か。刀の他に札も用意したセツナは、それを顔の前に翳して何にも対応できるようにした。

 

「…………」

 

 杖が掲げられる。

 黒い宝石の周囲を旋回する二つの光が強く輝く。

 ザッと床を擦って前に出たアスナがハマノツルギを持ち上げた。いつでも振り下ろせるように、魔法や何かを消し飛ばせるように。

 杖の先がコンと地面に打ち付けられると、影が集い、渦巻いて、異空間への扉を開いた。

 その先に刻まれた赤い魔法陣へと、杖の先端から離れた光が交差して、穴へと吸い込まれていく。

 直後に、爆発する。白い光の波だけが広がる。魔力の波動。

 それが収まった時には、真の前に四つの人影が並んでいた。

 

「!」

 

 赤毛の少年。ローブ姿の優男。刀を持った眼鏡の男。

 そして、白髪を揺らめかせて刀を引き抜く、半人半霊の少女。

 

「と、父さん……!?」

「クウネルさん……」

(おさ)……?」

 

 三者三様の反応。

 突然現れた英雄達と、妖夢の姿。

 ぽかんとしたのは、深月を除いた全員だった。

 

「っしゃ、行くぜ!」

 

 ローブをはためかせ、ナギが飛び込んでくる。狙いはネギだった。

 

「うわ!」

 

 反応が遅れ、殴り掛かられた腕を捌き切れずに後方へ押されていくネギ。アスナもセツナも、続いて攻撃を仕掛けてきたアルビレオと若き日の詠春の対応に追われ、ネギを気にする暇はなかった。

 

「――!」

 

 鮮血が散る。

 上下二つに分かれた妖夢の後ろへ、刀を振り抜いて進んだ深月が、刀を振るって血を飛ばした。パキャンとガラス気質な音がして、光の欠片となって崩れた妖夢が闇へと還る。

 成長し、強くなった今の深月にとって、作り出されたばかりの、それもただの妖夢など敵ではなかったのだ。学園祭の時の妖夢よりもずっと弱い相手に、深月は僅かに眉を寄せて疑問を浮かばせたが、目の前に立つ真に、すぐにその疑問から意識を逸らした。

 目を細め、深月の胸の辺りまで視線を下げて、黙って立つ真へ、深月は歩み寄って、でも、どんどん真の視線が下がるのに、足を止めた。

 

「…………」

「…………」

 

 お互いに何も言わず、ただ、背後で聞こえる剣戟の音や、短い掛け声なんかが二人の合間を漂った。

 ついには地面に目を落とす真。

 その真の顔を見上げる深月。

 聞きたいと思っていた事があった。どうして、と問いたい事も、ごめんなさい、と謝りたい事も。

 でも、そのどれもが明確な言葉にはならなくて、なんにも纏まらなくて、だから、深月は何も言えなかった。

 真だってそうだ。

 深月を連れていくためにここに来た。

 今がその最大のチャンスだ。彼女を攫うにはまたとない機会。

 今ならば、誰にも邪魔されず、容易く彼女を拐かす事ができる。

 でも、それでは駄目なのだ。

 深月が目の前にこうして現れた以上、それ以外に方法が無いとしても、それでは妹の笑顔を奪う事になってしまう。

 でも、連れて行かなければ何も始まらない。

 纏まらない思考と心の間で揺れる真は、今は、深月の顔を真っ向から見る事さえできずに俯いていた。

 強大な闇の気配は、近付くにつれて萎んでいき、この距離では深月の方が昏い気配を放っているほどだ。

 細く、脆い。

 今の真は、ネギがそう感じたのと同じように、ただの力無い少女に見えた。

 深月にとって初めて見る姿。明確な女性としての兄。よく見れば、肩や体の線は丸く、胸も僅かに膨らんでいる。細い腰は抱けば折れそうなほどか弱い。

 今なら一刀のもとに切り伏せる事ができるだろうと、深月は本能で感じていた。

 当然そんな事をする気などは起きなかった。

 

「……お兄ちゃん」

 

 ぽつりと、深月が呟く。

 それだけで真はまた動揺したように肩を震わせて、顔を背けた。

 杖だけは仰々しく立てられて、二つの光が交差している。

 物静かな妹の方から話しかけさせてしまったという負い目か、口を引き結んだ真は、しかし頑なに返事をしようとはしなかった。

 「一緒に行こう」だとか、「みんなで幸せになろう」だとか、言いたい事はたくさんあったはずなのに。

 そのどれもが口まで上ってこなくて、胸の内で燻っている。

 

「……それが、ほんとの姿?」

「……――!」

 

 ただ、単純に疑問を投げかけられただけなのに、酷く責められているように感じた真は、杖を振るってわき上がる感情を打ち消した。

 同時に、再びの生命創造。

 

「!」

 

 巻き上がり、集う影。頭上に渦巻く平面を見上げた深月は、反射的に三歩下がり、刀を構えていた。

 数秒もせず、血と肉と魂を与えられた人形が降り立つ。

 

「私にまかせて!」

 

 鈴の音を鳴らしてファイティングポーズをとったのは、私服姿のアスナだった。

 

「ん……!」

 

 自身の胸に手を当てた真が、魂を引き裂いて手の平に留め、ふぅっとアスナへと吹き込めば、両手を広げて力を受け入れたアスナの手には、いつの間にか大剣――ハマノツルギが握られていた。

 

「うっそぉ!?」

 

 アルビレオの重力魔法を打ち消し、今まさにアルビレオへと飛びかかろうとしていたアスナは、自分自身が深月の前に立ちはだかるのに驚愕して足を止めてしまった。

 そこへ、詠春に押し負けて吹き飛んできたセツナがとんとんと勢いを殺しながらやってきて、ナギの雷の斧を全力のレジストで防御するも、勢いに負けたネギが立ったまま押し出されてきた。それで、三人が一ヶ所に集まってしまった。

 宙に浮かぶアルビレオが三つの重力球を浮かべる。ナギが千の雷の詠唱を始めれば、詠春は刀に雷を纏わせてネギ達の足止めに走った。

 

 

「やぁっ!」

 

 声とは裏腹に大質量を振るうアスナの偽者。刀で逸らした深月が反撃と斬り上げると、空中にいるにも関わらずするりと避けて、再び斬りかかってくる。ただ、斬りかかるといっても刃の部分ではなく、腹の部分で殴りつけるような攻撃の仕方だ。偽者自身の意思はわからないが、少なくとも深月を殺そうという様子はなかった。

 

「む!」

 

 打ち合うだけで掻き消される、剣に集まる桜色の気。無意識の内に体の奥から滲み出させた影と闇は、少女達の悲鳴が響く前に、ずるりとすべて引き抜かれた。

 体を引っ張られるような感覚に踏鞴を踏む深月へ、大上段に振りかぶった大剣を振り下ろそうとするアスナ。深月は崩れそうな体に逆らわないままに腰を落とし、両手で持った刀を頭の上で寝かせて構え、凌いで、カウンター! 力を全て跳ね返されて体勢を崩すアスナへと回し蹴りを叩き込み、すぐさま影の行方を目で追った。

 

「……!」

 

 その先は、真だった。

 嘆く影も揺蕩う闇に溶け込めば、いっそう金切り声を上げて騒めきだす。

 影は元々、深月を守るために――そして、その大部分が深月が真を殺した時に乗り移ってしまったもの。

 今の深月には、もう必要のないものだった。

 だから収集された。そうすると深月はもはや魔法に耐性を持たず、影による修復の恩恵を受けられなくなってしまった。

 

「…………」

 

 だが、その代わりか。

 苛む影から解放された深月は、いつぶりか、清々しい空気を吸い込んで、吐き出した。

 体が軽い。頭が軽い。思考が霞まない。身体の隅々までを把握できる。心が潤む。

 握る刀が頼もしく、残る力ははっきりと感じられて。

 ……むしろ、影を抜かれて十全の力を発揮できるようになっていた。

 深月にとって、魔法程度はもはやどうとでも凌げるものだ。このタイミングで真が深月から影を奪った理由は定かではないが、これでもう、万が一にもアスナや何かに負ける可能性は消えた。

 真に魂を吹き込まれて、本物に近しくなったアスナは、どうやら完全魔法無効化能力(マジックキャンセル)さえ有しているようで、深月の影を怯えさせ、引かせてしまっていたのだが、それが消えた今、深月が怯む事はもうない。

 今まで以上に軽く、力強く動かせる体をバネのように動かしてアスナへ接近した深月は、咄嗟に振るわれた剣をかち上げると、容赦なく腹に刀を叩きつけた。

 すぅっと吸い込まれた刃が服を裂き、皮を裂き、その先へ通り抜けていく。少量の血が流れ、しかしすぐに青白い光となって砕けていく。

 人のようで人でない。所詮は人形。斬る事を躊躇うなど、深月にはなかった。

 

「オオオッ!」

 

 偽のアスナを撃破した深月が、改めて真へ向き直ろうとした時、雄々しい咆哮と共に落雷の音が響き渡った。激しい地鳴りと地震。体勢を保ちながら振り返った深月が目にしたのは、雷さえ迸る膨大な魔力のこもった拳でナギの顎を殴り抜き、飛び上がるネギの姿だった。

 

「ういっ、しょお!」

「!」

 

 ほぼ同時に、跳び上がったアスナが空中のアルビレオを真っ二つに斬り、

 

「つあっ!」

「!」

 

 一回転したセツナが刀ごと詠春を叩き切った。

 

 粉々に割れて光となる三人に、真が身動ぎをする。少しばかり悲しそうにするだけで、そこに驚きや何かはなかった。

 ここで倒される事が目的の真にとって、作り出した物がやられてしまうのは当然の結果だった……。

 …………。

 ……そんなはずはない。

 ここで倒される訳にはいかない。

 真は、なんとしてでもあの日々を再び手にしなければならなかった。

 そのために今まで生きてきた。

 多くの命を手にかけてきた。

 その上で挫折するなど許されない。

 だから、もう一度……!

 

「!」

 

 しゃんと音を鳴らして杖が振られる。

 一つ、二つ、三つ。

 黒い力の塊が瞬く間に人の形になって、真の前に下り立つ。

 ナギ。詠春。ラカン。

 アルビレオは、相性が悪いと見て抜かれたか。

 いずれにせよ、再び深月達の前に英雄が立ちはだかった。

 

「くっ……」

 

 ナギを倒すのに死力を尽くしたのか、片腕をだらんと垂らしたネギが辛そうに呻く。偽者とはいえ、一人一人の強さは本物だ。アスナは相性が良いから容易く倒せたが、それでも、ハリセンで叩いてみて消えなかった時に驚いて、その隙を狙われ一撃を貰っている。セツナの方も、太刀筋がわかっているからこその勝利だった。

 ネギは、辛うじて魔力で勝っていたからこその辛勝だった。これが本物と同等の強さだなんてなっていたら、たとえ過去のナギが相手でも、今のネギでは太刀打ちできなかっただろう。

 

「うっそー……」

「何度でも、再生できるのか……!」

 

 愕然とするアスナに、冷や汗を流すセツナ。

 まるで鬼を召喚する東洋呪術師のように、軽々と強敵を作り出してくる。

 それでいて、真自身の魔力は、彼女の肩にかかる黒い羽衣の力でほとんど減っていないのだから、厄介極まりなかった。

 この場合のセオリーは術者を叩く事だ。

 幸い、真が生み出した強敵の数は三。真を含めて、四体四だ。

 誰かが真を相手にして打倒する事ができれば、どうにかなるかもしれない。

 その役割は、やはり深月が適任だろう。

 

「深月さん……!」

「ん!」

 

 ネギの呼びかけに、言葉なく答える深月。

 言いたい事は伝わった。今ここで、真と話をすべきなのは深月だ。

 他の者はネギ達が相手をする。だからその隙に……。

 深月の前へ三人が出れば、反応してか、相手の三人も動き出す。

 光線染みた雷の暴風をアスナが大剣を振るって掻き消し、風を裂いて放たれた斬空閃・弐の太刀を前に出たセツナが打ち払い、飛び込んで来たラカンのパンチをネギが桜華崩拳で迎え撃つ。

 三人の頭上を飛び越えた深月は、直後に背後で起きた衝撃波に乗って一直線に真へと接近した。

 左後ろに流した刀を手の内でくるりと回し、峰で打ちかかる。しかし攻撃は、神力による対物魔法障壁によって止められた。障壁の向こうで自身を見上げる真と目が合う。どこまでも暗く、深い紅色。衝撃どころか、風さえ届かず、髪一本動かす事もできない。

 だが、それで良い。深月の目的は、自分自身が止まる事だったのだから。あわよくば一撃でも浴びせてやろうかと思っていたが、無理なら無理でいい。

 すたっと下りた深月が、再び手の内で刀を返して正眼に構えながら、真の顔を見上げた。

 今度は真正面から視線がぶつかり合う。目を逸らそうとした真は、ぐっと踏み止まるように目を細めて、深月を見つめ返した。

 

「――どうしたいの」

「…………」

 

 短い問いかけ。

 深月は、会話するために真の目の前に立った。

 だけど、深月だって、何を聞いたら良いのか、何を話せば良いのかなんてわからなかった。

 だからまず、彼女の目的をはっきりさせようと思った。

 自分を連れて行こうとしているというのは聞いた。楽園に行きたいんだって、その口から聞いた。

 それは全部本当の事? 他に何か目的はないの。本音はどこにあるの。何がしたくて私をこうしたの。なんで私なの。

 たくさん、たくさん、たくさん、体の中で言葉が溢れて、でも、先程一言問いかけてしまったから、すぐに続けられる言葉はなくて。

 返事をしない真を見つめる内に、言葉は全部溶けて消えて行く。

 

「真・雷光剣っ!」

「らい、こう、けぇんっ!」

 

 耳が痺れるような爆音があった。一瞬瞬く黄色い光に顔を染めて、真は表情一つ変えず、ただ、少しだけ手を前に出した。

 差し出された手は、手の平が上を向いている。

 

 ……手を握って欲しいの?

 自然にそう考えてしまった深月は、緩やかに頭を振ってその考えを追い払った。

 それは自分だ。自分の話。

 自分を基準にしては兄の心はわからないだろう。

 この手はなんのための手?

 そう思い悩む深月に、真はまたゆっくりと手を戻した。深月が自分の考えを払うために頭を振ったのを、拒絶として受け取ってしまったのだ。

 ……それは間違いではあったが、同時に正しい事でもあった。

 たとえ真が「一緒に行こう」とはっきり口にしても、深月の返事は『嫌』だ。

 だって、目的もはっきりしていない。素性を全部話してもらってない。何も明かされないのでは、深月だって大人しく従ってなんていられない。

 なぜ妖夢なのだろうか。

 なぜ、妖夢にするように仕向けたのか。

 約十年の間、疑う事も知らずにただひたすら妖夢に近付いて行った。

 それが当然だと思っていた。……いや、思ってすらいない。それが現実で、それが真実だったから。

 だが、こうしてこの学園で過ごして友を得て、常識を学ぶと、初めてそれがおかしい事だと思えた。

 

「101……103……115……!」

「おらぁっ!」

「――202! 収束・桜華崩拳っ!!」

 

 魔力の弾ける音が鼓膜を震わせる。膨らむ風が深月と真のスカートを揺らした。

 深月は、眉根を寄せた。

 それが自分の聞きたい事なのか、知りたい事なのかがわからなかった。

 

「ラカン……インパクトォッ!」

「うええーいっ!!」

 

 ビリビリと体の表面に広がる空気の痺れ。

 振動する床に、小刻みに跳ねる小石。

 靴裏から伝わるくすぐったいような響き。

 わからない。

 深月には、わからなかった。

 今までの人生も、これからの人生も、今この瞬間の時間も。

 よくわからなくて、考えても、やっぱりわからなくて。

 

「ねえ……お兄ちゃん」

「…………」

 

 それでも、わかる事は少しだけあった。

 ほんの少しだけど、とても大切なもの。

 

「やめよ……、ね?」

「…………やめる?」

 

 意味ないよ、こんなの。

 震える唇に、深月は腕で口元を拭うと、視線を下ろして、刀も下げた。

 ……兄を傷つけたくない。それくらいなら、はっきりとわかる。

 たとえ一度殺してしまっているのだとしても、あれは何かの間違いで、おかしな事だったから……だから今は……。

 

「戦う必要なんて、ないよね……? ねえ、お兄ちゃん……」

「……それは、できない」

「なんで? 意味わかんないよ……私、わかんないよ……」

 

 頭を振って、真の言葉を否定する深月。

 連れて行こうとするのはなんで。

 どうしても今じゃなきゃ駄目なの。

 お兄ちゃんも、ここで一緒に暮らすのは駄目なの。

 

「……私が、『嫌だ』って言ったら……」

「…………」

 

 地面に目を落として、ぽつりぽつりと呟く。

 真にも、そうしなきゃいけない理由があるんだろうという事は、深月にだってわかった。

 でも、わかったからといって納得できる訳でもなければ、理解できる訳でもない。

 あの時に傷つけてしまったのがいけなかったのだろうか。

 思い出したくもない、訳のわからない感情に襲われて、押し倒されたあの時。

 影で真っ黒になった、それでも欲望に輝く兄の目を見上げて、全てを受け入れれば良かったのだろうか。

 そうしなかったから、こうなってる。

 じゃあ、悪いのは、やっぱり私……?

 

「……先生や、アスナも、セツナも……殺すの?」

「…………」

 

 溢れ返るほどの言葉の数々。

 一番言いたい事を、的確な言葉を選ぶには、深月の心は幼すぎて、拙い言葉や、別の感情でしか語れない。

 一歩、真が歩み寄った。

 何も言わず、語らず、ただ、手だけが深月に差し出される。

 真横を、白い羽を広げたセツナが跳ねていった。体勢を立て直し、何本もの刀を周囲に浮かせ、床を蹴って戻っていく。

 風に髪が揺れる。母譲りの銀髪。

 深月は、なんとなく半霊を揺蕩わせて、自分と真の間に泳がせた。

 

「おいで」

「……私が、一緒に行くって言ったら……」

 

 ゆっくりと手を揺らして、真が催促する。優しい声音。それが今は、この場に似つかわしくなく感じられて、深月は真の顔を見上げて問いかけた。

 

「みんなを……傷つけないでいてくれるの?」

「……ワタシとおいで」

 

 答えはない。

 深月の問いなど聞こえていないかのように、ただただ手を揺らせる真。

 その手をとったら、どうなるんだろう。

 そんな事さえ曖昧で、深月は目の前に出された手を見て、少しの間考えた。

 この手をとれば、何もかも解決するのだろうか。

 

 そんなはずはない。

 今すぐ彼女についていけば、楽園へと連れて行かれて、きっと妖夢になってしまうのだろう。

 そうするともう、みんなとは会えない?

 わからない。何も説明されていないから。

 じゃあ、手をとらなかったら?

 このままずっと戦い続けて、殺すか殺されるかするしかない?

 そんなの……。

 

「おいで、瑞希……」

「そんなの、やだよ……。もう……やめようよ」

 

 戦いたくない。

 でも、ネギやみんなを守るには、戦うしかない。

 兄を傷つけるしかない。

 簡単に勝てる相手ではないから、きっと加減はできない。

 勝てるかどうかもわからない。

 それでも、みんなを傷つけるというのなら、やっぱり……。

 

「……どうしても、駄目なの?」

「…………」

 

 悲鳴が聞こえた。

 ネギの呻く声。血を吐くような叫び。

 魔力の波動は絶えず広がっていて、みんなが傷ついていく。

 妖夢じゃなくて、私が二人いれば良かったのに。

 そんな変な事を考えて、深月は一度目を伏せると、その内に手に握る桜月(ろうげつ)の柄の感触を確かめ、固く握り込んだ。

 

「なら……」

「…………」

「もう、斬るね」

 

 カチャリと、どこかで鉄の音がした。

 

 今ついて行くか、行かないか。

 戦うか、戦わないか。

 斬るか、斬らないか。

 深月には、極端な判断しかできない。

 斬ると決めたら斬る。相手がどれほど強くても、たとえ斬りたくない相手でも。

 

 踏み込みは静かだった。刃先を右に揺らし、振りかぶって、真の懐に潜り込んだ深月は、何も考えずに刀を振った。

 閃く桜色の光が、影も闇も斬り裂く。

 

「――!」

 

 杖が構えられていた。

 ただそれだけなのに、刀と杖は接触せず、ぐにゃりと軌道を湾曲させられて、掠りさえしなかった。

 左へ逸らされた刀に引っ張られた深月は、くるりと体を回転させて体勢を立て直すと、すぐさま真の腹目がけて刀を振り抜いた。

 障壁を斬り裂き、桜色の光の帯が広がる。

 

「っ、」

 

 また、杖に阻まれた。

 もう一度振っても、杖を掲げられてしまうと、不思議な力で逸らされる。まるで磁石のような反発。

 無駄だよ、と真が囁く。

 

「お前がワタシを傷つける事はできない」

「…………」

 

 真の言葉を無視して、深月は再度斬りかかった。

 がむしゃらだった。

 考えれば、絶対に手を止めてしまうから、目の前の敵が倒れるまで、何も考えずにいようとしていた。

 でも、それでは駄目だった。

 反発する力でやんわりと押し戻されて、深月は踏鞴を踏んで後退した。隙を潰すために半霊を飛ばせば、障壁に弾かれて戻ってくる。

 その一瞬で、深月は刀を真目がけて放った。

 杖によって明後日の方向へ飛ばされる刀を気にせず、瞬動で突進する。くるりと回転した杖が深月に迫る。深月もまた、腕も体も丸めるように回転させて前転した。振り下ろされた(かかと)が杖を叩き落とす。反発する力は発動しなかった。

 ――刀しか、弾けないんだ。

 杖による未知の防御は、刀にしか反応しない。半霊の挙動でそう感じた深月は、落とした足で床を踏みしめると、骨に伝わる振動と痛みを無視して後ろ腰に手を伸ばし、短刀からリボンを引き抜いた。左足に纏わる雷が弾け、勢いを乗せた蹴りが神力による障壁を突き破る。

 たった一枚越えただけで、その先が真の体だった。

 身長の関係で、蹴りは腹に吸い込まれ、ズドンと肉を叩く。真が呻いて後退した。腹を庇うように出した手は、確かなダメージの証だった。

 

 一気に決める!

 

 考えなくとも動く腕が、再びリボンを引き抜く。

 引き抜いて、引き抜いて、引き抜いて……全ての魔力を引き出し、体中に充満させていく。

 体の表面から滲む七色の光。膨大な魔力が、身体能力を底上げする。

 足を開いた深月は、腕も開いて腰を落とし、勢いをつけて跳び上がろうとした。

 その時だった。

 真が深月へと杖を突きつけ、深月の魔力を全て奪ってしまったのは。

 杖の宝石へと収集されていく魔力。全能感に似た何かが体から抜け出てしまうと、深月は一瞬膝をつきそうになって、しかし構わずに跳躍した。

 考えなんてない。ただ、蹴ろうという意思だけがあって、深月の体を突き動かした。

 体に定着している僅かな魔力を繰って足の先に集め、飛び蹴りの体勢へ移っていく。

 だが、その程度では真の障壁はおろか、真の硬ささえ抜く事はできないだろう。

 事実、障壁に受け止められて、何をする事もできず着地した深月には、短刀を引き抜いて逆手で構える事しかできなかった。

 

 そんな深月を、真は憐れむように見下ろしていた。

 ……そんな感情は一切ないが、深月には、そう見えた。そういう表情だったのだ。

 戦い合い傷つけ合おうとしているのに、慈しむような、まさしく庇護対象を見る目。

 戦いへ向けて気持ちを整え、体を動かして心を軌道に乗せたのに、相手がそんなでは、深月は訳がわからなくなってしまった。

 訳がわからないのは、真もまた、同じだった。

 妹を傷つけたくない。なのに、こうして本気の姿で立っていて、彼女達の敵を作り出し、自身もまた愛する妹と対峙していて。

 まるで頭と体が違っていて、戦おうという意思がどこにあるかわからないのに、体は考え無しに再び杖を振るって命を作り出す。

 

「! ……霊夢!」

 

 くるんと空中で身を丸めてから着地したのは、紅白の巫女。その左右に、影の中からどろりと現れて人の形になった魔理沙と咲夜が並ぶ。

 

「……」

 

 構える深月を一瞥した三人は、走り出すと、深月の横を擦り抜けてネギ達へと襲いかかって行った。

 

「っ、待てっ!」

 

 一瞬遅れて振り返る深月の前へ、視界を遮るように真が現れる。短距離転移。

 お互い言葉も考えも纏まらなくても、時間の経過で何かは形成されていって、進んでいく。

 真は深月の感情をお構いなしに楽園へ連れて行く気になったようだ。

 自分の肩を掴もうと伸ばされた真の手を、短刀の柄で打ち据えた深月は、真の横を擦り抜けて走った。

 

 三対三から三対六に変わった戦場は、明らかにネギ達が劣勢だった。

 咸卦法を用いたアスナがラカンの拳を床に突き刺した大剣で受け止め、痺れる腕と体に顔を引き攣らせて、背後に現れた咲夜の蹴りを、同じく蹴りで迎撃する。

 ポンッと音と星を散らせて箒を取り出した魔理沙が、詠春の振り下ろしを翳した刀で受け止めるセツナへ駆け寄り、柄で突き込んでいく。広がる羽の羽ばたきが柄を弾いて逸らした。セツナの腕を伝う血が跳ねて、地面を濡らした。

 幾度もナギの魔法に晒されたネギはボロボロで、ふらふらだった。ナギの手刀が肩に突き刺さると、堪え切れずに膝をついたネギへ、背後から霊夢が迫る。

 

「はっ!」

 

 駆け寄る勢いのまま地を蹴って跳んだ深月は、ネギの背を蹴りつけようとする霊夢に、逆にキックをお見舞いした。腕で防がれてしまって、大したダメージにはならなかったが、ネギの背を守る事はできた。霊夢を蹴り退けて、ネギの傍へと下り立つ。

 

「はああっ!!」

 

 深月の背後で魔力が爆発する。

 交差させた両腕でナギの腕を弾き上げたネギは、立ち上がりざまに肩でナギを打ち、少しだけ開いた距離に踏み込むと、裏拳をぶつけるように振るって殴りつけた。

 常に全力全開。ネギは、魔力による自己ブーストをかけ続け、一つ一つの攻撃に全魔力を集中させていた。そうでもしなければ、ナギはびくともしなかった。一度、アスナとセツナがナギに隙を作り、全力の桜華崩拳をヒットさせる事ができた時も、ダメージは負っても膝をつきすらしなかった。

 筋肉の大男――ラカンも同じだ。アスナの馬鹿力をなんなく受け止め、ハマノツルギで斬りつけられてもさほど傷を負わずに不敵に笑い、巨大な拳で床を砕いて瓦礫を飛散させる。一番マシな詠春ですら、長物を扱うゆえのリーチの長さで簡単には寄り付けず、弐の太刀という奥義で防御無視の斬撃を放ってくる。

 

 魔法を無効化できるアスナが詠春の相手に相応しいかといえばそうでもない。偽者とはいえ、真の作り出した詠春は、若き日の詠春の技能をきっちり備え、正確無比な太刀筋で襲ってくる。剣の素人であるアスナでは、ついていけはしてもいずれ打ち負けて斬られてしまうだろう。詠春の相手はセツナにしか務まらない。

 ナギの相手だってそうだ。単純な魔法馬鹿ではないナギは、多大な魔力で身体能力を大きく底上げしている。遠距離戦と近距離戦の切り替えも素早い。魔法を無力化できたとして、今度は馬鹿力に押されてしまうだろう。魔法にしたって、恐らくアスナでは対処できないような攻撃をしかけてくる。このナギを魔力で凌駕し、接近戦と遠距離戦をこなせるネギに任せた方が賢明だ。

 単純明快、真っ向勝負のラカンがアスナの相手に相応しいかといえばそうでもないが、今最も相性が良いのは確かなので、アスナは必死にラカンの拳を捌き、本物の人でないのだからと割り切って剣を振り抜き、鋼の肉体に跳ね返されて半泣きになっていた。

 ここに深月が来たのだから、アスナは真へと相手を変えるべきだろうか。

 ここまで敵が増えてしまえば、話し合いなど言っていられないし、押し負ければ死ぬだけだ。切り傷、打撲、火傷。それぞれが何かしらの傷を負い、血を流している。今までよりもよりはっきりとした死が身近に迫っている。それを齎したドレス姿の少女は、ぼうっと佇んで成り行きを見ていた。

 

「くあっ!」

 

 短刀と拳法を織り交ぜて霊夢に挑んでいた深月が、胸に掌底を受け、蹴り飛ばされて、半霊のカバーも間に合わずに五つの光弾を受けた。吹き飛ばされて床を擦る彼女には、もう魔力も気も残っていない。培ってきた技術と根性以外は、ただの少女と同等だ。偽りの巫女とは言え、相当な強さを持つ事に変わりはない霊夢を相手にしては、敗北は必至だった。

 いや、今この場にいる誰を相手にしても、深月は簡単には勝てないだろう。

 一対一なら。少しでも魔力があるなら。刀を捨ててなければ。煩わしい何もかもが一切なければ。

 あるいは、深月は一人ずつ殺せたかもしれない。戦闘においては尋常でなく執念深い少女だ。たとえ足の骨を砕かれようが、泣きながらでも命を断ち切ろうと挑むだろう。

 だが、兄を前にして心が揺らいでいる今の深月では、そこまでの執念深さは発揮できない。痛みを和らげ、嘆きを齎す影はもうなく、蓄えてきた魔法は真に奪われてしまった。

 もしかすれば、短刀は時間の経過でまた魔力を蓄えてくれるかもしれないが、それはいったい何分後の事だろうか。深月の姿をとった半身が霊夢と切り結ぶ間になんとか立ち上がった深月は、はっとして横に転がった。光の矢が通り抜け、床を穿つ。流れ弾だ。半身が蹴り飛ばされる痛みに歯を噛みしめ、再度立ち上がった深月は、誰もがみんな苦戦しているのに、どうすればいいのか一瞬判断に迷ってしまった。

 組み付き合ったナギとネギが横を走り抜けて行く。雄叫びが耳の奥まで残ると、深月は、生み出された者達が、自分を積極的に狙ってこない事に気付いた。深月から攻撃しない限り、対応してこない。それはまるで、自分だけ戦闘の外に追いやられているみたいで、深月は膝を叩いて、咲夜と詠春のタッグに翻弄されるセツナの加勢へ向かった。

 

「もういい」

 

 詠春の峰打ちをバク転で躱した深月が、そのままセツナに投げられていた咲夜を蹴りつけた時、ふいに、全ての音にかぶさるように、真の声がした。

 

「エンゲージ「楽園(Uia)(ad)続く道(inferos)」」

 

 シャランと何かが流れる。錫杖が地面を突く音。カァン、と、清々しい音。

 

創造結界(ダウダンウシュイジュショエ)

 

 ――世界が変わった。

 

 

 花びらの雨が降る。

 階段に降り積もる桜色の雪。

 

「……!?」

 

 深月は、気がつけば冥界へ続く階段にいた。

 

「なっ、なに!? どうなってんのぉ!?」

 

 アスナもセツナも、ついでにナギ等も一緒だった。

 彼らは景色が変わった事など気にも留めず、攻撃を仕掛けてくる。

 

「足場が悪い……! 気を付けて、アスナさん!」

 

 背から広がる大きな翼で一番に飛翔したセツナへ、詠春とラカンが跳び上がって追い縋る。アスナは、トンと石段を蹴って目前に迫ったナギに頭が追い付かず、まともに殴りつけられて階段を転がった。

 叩き落されたセツナが身を捻って石段の上でも上手く受け身を取り、キッと頭上を睨みつける。

 中空に描かれた魔法陣の上に乗るラカンと詠春。その周囲には、花びらの他に、幽霊や妖精が飛び交っていた。

 

「アスナ! セツナ! ――せっ、先生……!?」

 

 ここがどこかなんて、深月にはすぐに理解できた。

 理解できたからこそ、何がなんだかわからず固まってしまっていた。

 なぜここに。先生はどこ? ……お兄ちゃんは?

 姿が見えないネギや真に、霊夢達。

 いったいどこへ消えてしまったというのだろう。

 降り注ぐ花びらの中には答えなど無く、深月は、桜に紛れて降ってきたラカンへと短刀を翳した。

 

 

 臓腑の浮くような感覚にうっとなって、ネギは目を覚ました。

 体中に纏わりつく浮遊感。意識がはっきりした時、今まさに、というように、石畳に足がついた。

 階段と階段の中間地点。花びらの絨毯の向こうにはずっと上へ続く階段がある。そして、その前に、三人の少女が並んでいる。

 

「今日はとことん調子が良いわ!」

 

 博麗霊夢が腕を広げて、構えながら言った。

 

「おゆはんはハンバーグにしましょう。お嬢様も喜ばれるわ」

 

 斜めに立った十六夜咲夜が、手に銀のナイフを出現させた。

 

「スコアタってのもいいかもなー」

 

 箒を片手に帽子のつばを摘まんだ霧雨魔理沙が、快活な笑みを浮かべて暢気な声をあげた。

 

「――……!」

 

 どっと襲いかかる疲労。

 魔力を酷使しすぎて、突き刺すように痛む体の芯に、血の味が広がる口内。

 噴き出した汗が服を濡らし、肌着を重くさせる。目に染みる水。それを拭う事も忘れて、ごほ、と咳き込んだネギは、そのまま何も言わずに腰を落として構えた。

 

 光が瞬く。

 雨が降る。

 耳の奥も視界のどこも弾けるばかりの世界。

 右肩に突き刺さったナイフに体を持っていかれたネギは、朦朧とし始める意識の中、光線に飲まれて、灼熱の中で叫んだ。

 

 光が途切れれば、そこは空。

 どこからか流れる花びらの中、傍を通る妖精が、煙を上げて落ち始めるネギを不思議そうに見やった。

 

「つぇいっ!」

 

 突如としてネギの真正面に現れた霊夢が、鋭い蹴りでネギを地面へと打ち落とした。階段を跳ね、転がり落ちようとしたネギは、その途中で段の横腹を蹴りつけ、広場へと戻った。

 手と足を地面に擦り付け、砂埃を巻き上げて止まったネギが、荒い息の合間に血を吐く。割れた眼鏡が落ちた。もとより霞んでいた視界だ。あってもなくても同じ事。

 ――限界だ。

 よろよろと立ち上がりながら、頭の奥で考えた。

 学園祭の時、超鈴音と戦った時と同じ感覚。

 父の幻影を打ち滅ぼし、継続して戦闘を行うのに魔力を使いすぎた。

 今、白き雷の一発でも放てば、意識はプツリと途切れてしまうだろう。

 三人に囲まれた状況で、そんな事があってはならない。

 ここで倒れる訳にはいかないのだ。

 深月やアスナやセツナを守らなくてはならない。

 何より、魔法世界で父の影を追わなければならないのだ。

 

「ぐっ、ぅ!」

 

 どこかに落としてきた杖を呼び寄せ、手に掴んだネギは、そのままの状態で飛び始めた。加速。加速。最大加速。行き先は階段の先。

 少しでも、魔力を回復させる時間が欲しかった。

 杖を握る手が血で滑りそうになるのに、堪えるネギ。弾丸のように迫る花びら。慌てて避ける妖精。追い縋って来る霊夢達。

 横や上に並ばれたネギは、彼女らの放つ光弾や針やナイフを、無茶苦茶な軌道で避けながら頂上を目指した。杖に掴まっているだけの体勢では、杖の動きに体がついていかない。振り回される体を光弾が掠り、横腹を斬り裂いて進むナイフに、太ももを撃ち抜く針。ネギは、強く目をつぶって耐えた。耐えて、耐えて……。

 

「――!!」

 

 ずるりと、手が滑った。

 杖だけが空気を穿ち、花びらを渦巻かせた先に飛んで行く。

 投げ出されたネギは、目前に迫った石段の角に顔をぶつけないよう、咄嗟に両腕で頭を庇うも、背後から放たれた巨大な光線に――当たりはせずとも、吹き荒れた暴風に足から浮かされて、回転しながら階段を昇って行った。

 体中のどこもかしこも、腕や足をもぶつける。腕の骨に罅の入る感触が生々しくあった。太ももの肉が引き裂かれる感触も、右肩に刺さったナイフが何かに当たって斜めに動き、鎖骨を削るのも、刺さっていた針がいつの間にか抜けてしまうのも、どこかで知覚できて、でも、それだけだった。

 

「……ぐ」

 

 いつの間にか、ネギは平坦な地面の上に大の字になって寝転がっていた。

 足や腕から流れ出る血が体温を奪っていく。寒い。体は震えない。震える元気も、もう残ってない。

 それでも気力を振り絞り、ネギは立ち上がった。傷口から血が噴き出て、服を濡らす。熱い。熱くて、寒い。体の感覚はどこか遠く、しかし一周回って、視界は澄み切っていた。

 右肩に深く突き刺さるナイフを歯を食いしばって引き抜いたネギは、目の前に広がる下り階段へ放り捨てて、揺れるように背後へ振り返った。

 右に大きな屋敷がある。左にずっと続く庭がある。

 その合間に下り立つのは、霊夢を中心とした三人の少女。

 

「全力全開よ!」

「サポートしますわ」

「ぶったおす!」

 

 ここでネギを討とうというのか、霊力や魔力を噴出させる少女達に、いっそ笑いさえしてしまって、ネギは曲がった腰をなんとか伸ばしながら口の端を拭った。

 手にべったりとつく血液。味がわからない。頭の中が熱い。

 

「このまま最大パワーで、全員退治するわよ!!」

 

 霊夢の気合いの声が空間中に響く。

 庭に並ぶ桜の木がざあっと騒ぐと、たくさんの花びらが舞い上がり、降り注いだ。

 縁側に座る着物姿の女性が、じっとネギを見つめていた。

 

 ――ピンクの髪の、女の人……。

 

 ゆら、と手を持ち上げ、自分を指差す女性に、ネギはなんとなく見覚えが――

 

 

「……?」

 

 視線の先に広がる桜並木に、ネギは目を瞬かせて、それから前を向いた。

 そこには変わらず、三人の少女が並んでいて……すぐ左、縁側に、先程の女性が座っていた。

 表情も、目の色さえも見える距離。……こんなに近くにいただろうか。

 ……今は、そんな事を気にしている場合ではない。髪の毛を掻き上げてしんどそうに息を吐いたネギは、残りの魔力を全て噴き上がらせると、両拳を握って構えた。

 

「へっへ~ん。良い調子じゃないか、霊夢~」

「うざったい」

 

 魔理沙に親しげに肩に腕をかけられた霊夢が、体を揺すって離れさせた。

 

「三人で決めましょ」

 

 お手上げのポーズで肩を竦める魔理沙には一瞥もせず、隣に歩み寄った咲夜へ、「ええ」と強く頷く霊夢。「たまには協力すんのも良いかなっと」。箒を放り投げた魔理沙も、二人に並んでネギを見た。

 

「へへ……」

 

 ネギはもう、笑うしかなかった。

 色とりどりの光弾を八つ侍らせた霊夢がゆっくりと浮かび上がれば、咲夜が力強く地を蹴りつけて跳び上がり、空中に、縦に描かれた魔法陣へと跳び上がって着地した魔理沙が、供給される魔力に片足を輝かせ、黄金色の光を蹴って跳び蹴りの体勢へと移っていく。

 残った魔力でどうやって相殺するのか。今の体で避ける事ができるのか。

 ネギの頭には何も浮かばず、ただ、足を突きだし、矢のように降り迫る三人の掛け声が重なるのを聞いた。

 

 

 空白。

 

 

「決まりね!」

「うっしゃー!」

「造作もない事だわ」

 

 力尽きて倒れたネギを背にして、三人が降り立つ。

 ざっと振り返った霊夢が腰に手を当て、ふぅっと息を吐いた。

 

「あんまもたもたしてる場合じゃないのよ」

 

 彼女の声は、うつ伏せに倒れるネギの耳には、届かなかった。

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