なりきり妖夢一直線!   作:月日星夜(木端妖精)

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最終話   お兄ちゃんはもういらない

 村が燃えていた。

 必死に走った。

 

 人が石になっていた。

 必死に走った。

 

 父親が現れた。

 立ち止まって、後退った。

 

 姉が救われた。

 ゆっくりと、足跡を辿り始めた。

 

 

「……もう行くのね」

 

 パンパンに膨らんだリュックを背負って立つ僕に、腕を組んだアーニャがどこか不貞腐れたように言った。なんだか不機嫌そうだ。とりあえず、アーニャは大丈夫なの、と聞いた。

 私はまだ余裕あんの、と顔を背けられて、なんで怒ってるんだろうと首を傾げつつ、ネカネお姉ちゃんに向き直った。

 

「行ってらっしゃい。体に気を付けるのよ?」

「うん!」

 

 月並みな送りの言葉だ。

 だけど、僕にとってはこれ以上ないくらい嬉しい言葉だった。

 大きく頷いて返事をすると、お姉ちゃんはくすくすと笑って手を振った。

 アーニャも、顔を背けたまま小さく手を振ってくれた。

 手を振り返す。二人の姿が見えなくなるくらいまで、ずっと。

 それから、よいしょ、とリュックを背負い直すと、括り付けてある杖が揺れた。

 少しの間、杖を眺める。

 明日には何があるんだろう。そう考えると、ちょっとわくわくした。

 ……。

 さあ、行こう。日本へ。

 

 

「ネ~ギ~! あんった、また人の布団に潜り込んでー!」

「ご、ごめんなふぁいあふなふぁん!」

 

 教師の仕事は大変だけど、遣り甲斐がある。

 生徒の笑顔が僕の幸せ。なんて気取ってみたり……。

 ……アスナさんに怒られてばかりの僕じゃ、そういう事を言うのは早すぎるかも……。

 もう許してあげたらどうなん、とこのかさんが助け舟を出してくれて、その場は解放された。

 次の日に同じ事をして、また怒られちゃった。

 

 

 僕のクラスにこんな問題児がいるなんて。

 エヴァンジェリンさん。とっても怖い人。

 うう、学校に行くの、ちょっと嫌だな……。

 そういえば、最近寮の隣の部屋に入って来た子……魂魄、妖夢さん。

 あの子もちょっと苦手だ。

 だって、なんだか怖いし……。

 でも、妖夢さんも僕の生徒になるんだよね。

 だったら怖がってちゃ駄目だ。

 頑張れ、僕!

 

 

 京都・奈良修学旅行を楽しみにしていた頃の僕は、きっと旅行の最中にこんなに大変な事が起こるだなんて思ってなかっただろう。

 このかさんを狙う悪い人達。コタロー君。白髪の少年……。

 考えた事がないくらい強くって、びっくりした。

 でも、エヴァンジェリンさん程じゃないって感じたんだ。

 だったら、僕、きっとやれるはずだ。

 なんてったって、あのエヴァンジェリンさんに勝ったんだから。

 カモ君だって保障してくれる。

 それに、無理かもって思ってた、妖夢さんと友達になる事も、ちゃんとできたんだ。

 今回の事も、どうにかできるはず。

 いや、はず、じゃ駄目なんだ。

 僕ならできる!

 ……と、思う。

 

 

 父さん。

 父さん、僕、父さんとおんなじ事ができるようになったんだ。

 雨の日に、ヘルマンさんっていう悪魔の人がきた。

 その人が、僕の仇だった。

 突然だったんだ。

 あんまりにも突然に知らされてしまったから、僕……怒りでカッとなってしまって……。

 無茶苦茶な戦い方だって、コタロー君に言われちゃった。

 後で考えてみれば、自分でもそう思った。

 きっと妖夢さんもそう思っただろうな。

 …………妖夢さん。

 妖夢さんは、なんであの人に、とどめを……。

 

 

「私を止めるか、ネギ坊主」

「止めます。止めてみせます……!」

「ははは……もはや言葉などでは止まらんよ」

 

 なら、なら、力ずくでも……!

 その考え方があっているか間違っているかなんて、今考える必要はないんだ。

 千雨さんが教えてくれた。今は、僕が今できる事をするのみなんだ!

 

 冷気の風が僕の頬を撫でた。

 この爆炎の中で、冷たい……?

 

 飛行船の上、葉加瀬さんから離れた場所で、妖夢さんと……妖夢さんがぶつかり合うのを見た。

 直後に呪文を完成させて超さんと撃ち合う。その間は、ずっと超さんだけを見ていた。

 でも、全てが終わって、学園祭が終わって、夜、布団に入った時。

 あの妖夢さんはなんだったんだろうと、不意に思った。

 

 

 夏休み中は、修行を重ねる中で、妖夢さんと遊ぶ事もあった。

 時々笑って、時々怖い顔をして、時々くっついてきて、時々どこかへ行ってしまう。

 もう、新学年からの長い付き合いのはずなのに、僕には、未だに妖夢さんの性格がわからなかった。

 でも、よく笑うようになったな、とは思った。

 それから、妖夢さんの笑顔は素敵だな、とも。

 きっとじゃなくても、妖夢さんは笑ってる方が良いんだ。今度、そう伝えてみようかな。

 少し勇気がいる。ほんのちょっと、時間をおこう。

 

 

 父さんの友人が現れた。

 その人は、妖夢さんの……ううん、深月さんの、お兄さんだった。

 ……それも違う。彼女は……そう、彼女は、深月さんのお姉さんだったんだ。

 彼女は、僕達に深月さんの『本当の事』を話した。

 それは確かに衝撃的な事だった。でも、受け入れられない事じゃない。

 けれど、深月さんにとってはそうじゃなかった。

 ショックで、逃げ出してしまった彼女を、僕達は追った。

 そうして見つけた時、彼女は泣いてたんだ。

 真っ赤に腫らした目が痛々しかった。

 どうにかしてあげなくちゃって強く思った。

 それはなぜだろう。僕が彼女の教師だから? 彼女が僕の生徒だから?

 違う。

 彼女が彼女で、僕が僕だからだ。

 一緒にいて、ずっと培ってきたものが、僕にそう思わせたんだ。

 この想いは絶対に捨てない。

 

 

 父さんが立ちはだかった。

 僕の前に。僕達の前に。

 倒すしかない。

 この父さんは偽者だ。

 秀樹さん……真さんが作り出した、偽りの影。

 でも、父さん、笑ってるんだ。

 そこにはなんにも悪い事なんてなくて、ぶつけられる拳も、放たれる魔法にも悪意なんて欠片もない。

 清々しかった。

 楽しかった。

 正直言うと、僕、その一瞬ばかりは……父さんとぶつかり合う、その時だけは……深月さんの事、忘れちゃってたんだ。

 だから、駄目だった。

 僕は、勝てなかった。

 父さんに、じゃない。

 僕自身の欲に勝てなかったんだ。

 もっとずっと、父さんと戦っていたい。

 そんな気持ち、今抱くなんて間違ってる。

 深月さんを助けなきゃ。

 そうじゃなきゃ、彼女が連れてかれてしまうんだ。

 でも、僕は、父さんばかりを見ていた。

 だから死んだ。

 

 

 平和な時間が戻ってきた。

 深月さんが笑ってる。

 みんなも笑ってる。

 でも、笑ってばかりはいられないぞ。

 白き翼のみんなで、ついに魔法世界に向かう事になった。

 でもその前に、ウェールズの……僕の故郷へ向かう。

 久しぶりに会ったネカネお姉ちゃんは、記憶の中より、記録の中よりもずっと優しくて、暖かかった。

 アスナさんとこのかさんを合わせたような感じ。

 アーニャ。

 いつか絶対、村のみんなを元に戻して見せるから。

 

 

 そんな、馬鹿な。

 こんな……まさかの事態だ。

 僕のせいで、みんなが離れ離れに……! 僕がもっとしっかりしていたら!!

 フェイト……フェイト・アーウェルンクス!

 奴がまた、僕の前に現れた!

 偶然。偶然だと! ふざけるな。

 それだけで僕達はばらばらに……くそっ、裕奈さんやまき絵さん……魔法を知らない人だっていたんだぞ!?

 ……それも、僕の失態だ。

 くそっ、くそっ、くそっ。

 『本物』を相手にした事があるからって、どんな奴にも勝てる訳じゃないのは当然なのに!

 油断していた……!

 今はとにかく、千雨さんを助けよう。

 

 

 奴隷にされてしまった亜子さん、アキラさん、夏美さんを解放するため、拳闘士として戦うようになった。

 戦いの中、本物とあいまみえる。

 カゲタロウ……この人も、とんでもなく強い人だった。

 でも、負けなかった。負けるもんか。

 こんなところで躓いていたら、誰にも顔向けできない。

 なんとか彼をやっつけると、成り行きで、僕はラカンさん……父さんの友人の一人に弟子入りする事になった。

 これでもっと強くなれる。みんなを助けられる。

 速く、速く、速く。

 もっと速く、もっと強くならないと。

 

 

 千雨さんが背を押してくれたから、躊躇った事でも、選択できた。

 僕は、今、師匠(マスター)の道を行く。

 師匠(マスター)の編み出した技能(スキル)を習得して、必ず、みんなを……!

 

 

 乗り越えろ。

 …………。

 ――乗り越えろ。

 ……――。

 …………乗り越えろ!

 ……………………。

 …………。

 ……。

 ――乗り、越えた……!

 

 

 ラカンさん。

 たとえあなたが立ちはだかろうと、僕は負けない。

 フェイト。

 お前が何を企んでいようと、僕は屈しない。

 みんな……。

 もう少しだ。

 もう少しで、みんなと帰れる。

 父さん。

 あと少しで、あなたに手が届く。

 

 

 …………。

 そう、か。

 ……そうだよね。

 本物っていうのは……屈しないんだ。

 ……挫けない。どうなろうとも。

 ……深月さんが教えてくれた。

 倒れない強さを。

 ……大丈夫だ。……大丈夫。

 僕ならやれる。

 僕ならできる。

 真さんが手を貸してくれた。

 師匠(マスター)も、学園長も、アルビレオさんも……!

 ここまでお膳立てされて、やれませんでしたなんて言える訳がないだろ。

 やるんだ。

 この手で父さんを倒す。

 父さんを倒し、世界を救う。

 そして、父さんも救う。母さんも……絶対に救ってみせる。

 そうしたら、帰るんだ。

 麻帆良へ。

 

 

 ―――――。

 

 ――……なんだろう、これは。

 

 目の前を過ぎ去っていく四角い世界。

 僕の周りをぐるぐると回る景色。

 切り取られた記憶の欠片が、現れては消えて、溶けては固まって。

 僕の中から飛び出して、僕の中に飛び込んでくる。

 なんだろう、あれは。

 ……僕は、知らない。

 ラカンさんという人を。

 フェイトの目的を。

 夏休みの終わりを。

 でも、知ってる。

 わかるんだ。

 ……じゃあ、今の僕は、どこにいるんだろう。

 

 揺蕩うような意識では、自分が今どこにいるのかがわからなかった。

 流れる映像の中にはたしかに僕がいる。

 でもそのどれも、僕じゃない。

 僕じゃない。

 僕じゃないけど、僕だ。

 ……深月さんが見える。

 ほら、そこの……ああ、消えちゃった。

 あ、向こう! 向こうに、ほら、笑顔の……!

 ……笑顔の、深月さん……。

 ……彼女に笑顔を取り戻してあげなくちゃ。

 そのためには、僕はどうすればいい?

 いつまでここで寝てるつもりなんだ。

 立て。立ち上がってくれ、僕の体……!

 きっと今立つ事ができれば、全部が上手くいくはずなんだ!

 

 ……駄目だ。

 立てない。

 だって、杖が無いんだ。

 父さんがくれた、僕の杖。

 あれがなきゃ、立てないんだ。

 

 

――本当に、そうなのか?

お父様の杖がなきゃ、てめえの足で立つ事もままならねえってのか?

 

 

 …………。

 ……父さん。

 ……違うよ、父さん。

 それはきっと、違うんだ。

 僕は、自分の足で立ち上がらなきゃいけない。

 そうでなくちゃ、誰も救えない。

 みんなを守れないんだ。

 

 体の全部に力を入れる。

 目を開く。前を見る。

 立ち上がる。

 それから……手を伸ばす。

 光る僕がいた。

 光る僕が映る、一枚の何かがあった。

 貫く。

 握る。

 潰す。

 ……取り込む。

 力がみなぎる。

 熱い、熱い、荒れ狂う魔力の波。

 強大な魔法の波。

 飲み込め。

 立ち上がれ。

 掴みとれ。

 深月さんの笑顔のために!

 

 

 バチリと弾ける魔力があった。

 

「……!」

 

 三人の少女の前でゆらりと立ち上がったネギは、全身が雷光のように白く輝いていた。

 体の表面に走るスパークが、彼が先程までとは明確に違う存在なのだと物語っていた。

 

「う……」

 

 ぐんと、堪え切れない痛みでもあるかのように体を丸めるネギ。

 事実、体の芯が、引き裂くような痛みと熱を持って、ネギを責めたてていた。

 膨れ上がる魔力。枯渇しかけていたはずの魔力が、どんどん溢れて体の内に溜まっていく。余剰魔力が湯気のように外へ立ち上る。

 破裂寸前。

 どこにそんな力があったのか、ネギは自身を掻き抱くようにして、膨張する魔力を押し留めようとした。

 だが。

 

「うぉおおおおおおおお!!!」

 

 獣の咆哮だった。

 光が爆発する。

 ネギを中心として幾重にも風が広がり、激しく瞬く雷が床を走った。

 風が止んだ時、顔を庇っていた霊夢達の前には、さらにパワーをアップさせたネギが泰然として立っていた。

 元の少年からは想像もつかないほどの目つきの悪さと、魔力に揺蕩う長い髪。毛先は雷そのものになって、空気中に流れていた。

 雷天双壮。

 闇の魔法(マギア・エレベア)を習得したネギが、自身で開発して編み出した、二つの『千の雷』を取り込んだ姿。

 本来この時点では成し得られない変身。

 そもそもネギは闇の魔法(マギア・エレベア)を習得してもいなければ、雷天双壮はおろか、雷天大壮の開発すらしていない。

 だが現に今、ネギはその術により凄まじいパワーアップを果たしていた。

 

「――ッ!」

 

 音もなく。

 十六夜咲夜が立っていた場所へ、ネギが出現した。

 遅れて耳をつんざく爆音がする。

 光の中に、咲夜を構成していた青い光の欠片が流れた。

 

「っ!」

「こいつ!」

 

 弾かれたように飛び退る霊夢と魔理沙。

 その腹へ、細い雷が突き刺さる。拳銃を撃つような乾いた音が、二度、連続して鳴った。

 光の欠片が飛散する。誰かの魂が吹き上がり、消えて行く。たった少しだけ流れた血は、ネギに纏わる魔力に触れると、蒸発した。

 

「…………」

 

 バチリと、魔力が弾ける。

 

 パチパチと、手を打つ音がする。

 足を開いて立つネギは、突きだしていた拳と上体を起こすと、斜め後ろに顔を向けた。

 縁側に腰掛ける幽々子が、パチパチと手を打ち、ネギの復活と勝利を祝福していた。

 

「…………」

 

 影が落ちた目元は瞳が見えず、魔力も何も感じられない存在は、そこにいるのかいないのかもわからない。

 だからネギは、何も言わずに雷となって弾け、その場を後にした。

 

 

「きゃああっ!」

「アスナさ、くぅっ!」

 

 ナギの蹴りを大剣で受けたアスナが、足を滑らせて吹き飛ぶ。追撃のために地を蹴るナギを見て、セツナが声をあげかけ、ラカンがぶつかって来るのに刀で身を庇った。

 

「ふっ、う!」

 

 左手を床につき、両足を槍のように突き上げて詠春の顎を打ち上げた深月は、すぐさま跳ね起きると、痺れる足に倒れそうになりながらも短刀で斬りかかった。

 懐に入り込んでしまえば詠春の長物は扱えない。だが、神鳴流は武器を選ばず。気を纏った手刀が短刀を受け止め、絡め取ろうとした。

 

「ちぃっ!」

 

 弾かれる。そう予感した深月は、自ら短刀から手を離すと、体全体をバネにして跳び上がった。その最中、詠春の膝を踏み台にして勢いをつけ、顔を戻そうとしている詠春の顎を、膝で蹴り上げた。

 それだけにはとどまらない。伸ばした手で髪を掴み、引き寄せ、頭突きをぶちかます。視界いっぱいに白い光が弾けようとも、深月に手を止める気はなかった。

 それでも、ただの人間と英雄との間には絶対的な力の差がある。いくら深月が攻撃を加えようが、詠春の防御力を抜く事はできず、ただただ自分の体を痛めつけるだけに終わってしまっていた。

 

「!」

 

 軽く振られた刀の峰が、深月の肩を打ち据える。

 それだけで石段に叩きつけられ、咄嗟の受け身も意味をなさずに一瞬意識が飛ぶ。

 追撃はない。深月を相手にすると、この英雄達は、途端に攻撃の手を緩めるのだ。

 それでも、深月はもう、体中のそこかしこに傷を負って、息も絶え絶えになっていた。

 最後の一着である妖夢の服は、土や砂や血で汚れ、擦り切れたスカートから覗くドロワーズにも斬り込みが走っている。

 身を起こした妖夢の頭で揺れるカチューシャは、黒いリボンを半ばから破けさせて、もう、可憐さの欠片も残していなかった。

 

「あぐっ!」

「刹那さん!」

 

 吹き飛ばされたセツナを、その進路上にいたアスナが抱き止める。それ以外にとれる行動がなかったとはいえ、その隙は致命的だった。

 

「トドメ、いくぜ!」

 

 ナギの手に光球が膨らんだ。圧縮された魔力は、最高位呪文の完成を意味していた。

 

「アスっ――!」

 

 二人が危ない。

 立ち上がりざま、瞬動を行って進路上へと割り込もうとした深月は、しかし足裏に気も魔力も集まらずに、その場から動けなかった。

 当然だ。今の深月には生きるのに必要な魔力と気しかない。それでは瞬動を行う事はおろか、本来は戦闘行動をとる事さえできないはずなのだ。

 それでも、深月に流れる血は、戦う遺伝子は、この状況でも深月に力を与えた。

 だが、ここまでだ。

 二人を助けに動く事はできない。

 アスナは助かっても、セツナは助からないだろう。

 もし、アスナとセツナの位置が逆だったら。

 千の雷が放たれるまでの一瞬、深月はそんな事を考えて、そして、光が二人を飲み込んでしまうのを見た。

 

「……あ」

 

 桜吹雪が降り注ぐ。

 大きく広がる砂埃は瞬く間に流されて消え、破壊された石段を(さら)け出した。

 

 何も、残っていなかった。

 セツナも、アスナも、その一欠けらも。

 状況を飲み込めず、呆然とする深月。

 意識せずに膝をついて、石段ゆえの不安定さに体勢を崩してしまっても、目を見開いたまま動けなかった。

 いっそ、倒れてしまえば、何も見えなくなって、目の前の現実が無かった事になるかもしれない。

 もしそうなるなら、このまま倒れてしまった方が良い。

 現実逃避の囁きが頭の中のどこかから聞こえた。

 ――倒れるまでが遅い。

 スローモーションだった。

 視界の中の何もかもがゆっくりと動く中で、徐々に倒れ行く体。

 あんまりに遅いから、深月はもう、目をつぶってしまう事にした。

 その方が、早く終われる。何も見なくて済む。

 目の前が暗闇に染まっていく。

 風が通り抜けた。

 

 ……いい、風だな。

 

 深月は、なんとなくそう思った。

 

 

 柔らかく、硬く、暖かい感触。

 深月は、誰かに抱かれる感覚に、目を開けた。

 光があった。

 自分の体に回される、光る腕。

 意識がはっきりすると、深月は自分の足で立って、ぼうっとしたまま振り返った。

 

「セン……セ……?」

「…………」

 

 ネギがいた。

 ネギのような何かがいた。

 白い光に染まった彼の後ろには、困惑顔のアスナとセツナの姿がある。深月も、二人の無事を理解すると、喜色を浮かべようとして、しかしなぜ助かっているのかがわからず、困惑顔になった。

 

「ネギ……なの?」

「その、お姿は……」

 

 アスナもセツナも、あの一瞬で自分達を攫った存在に助けられた事なんかよりも、目の前に立つ()()()()ネギという不可思議な存在の方が気になっていて、それどころではなかった。

 

「…………」

 

 何も言わない。目もくれない。

 明らかに様子が異常なネギ。

 その表情は、腕に抱かれている深月だけが見れた。

 凍りついたような無表情。

 ぞっとするほど感情が感じられない。

 でも、その奥に見える魔力の荒波は、きっとネギの激情で。

 密着した体から伝わる体温は人間のものだ。

 心だって、きっとある。

 間違いなく、この人はネギだ。

 

「ネギ、センセ……」

 

 ネギの胸に額を押し当てた深月は、一言だけ呟くと、後は唇を結んで、目を閉じた。

 そんな深月を、ネギが一瞥する。自分の体から放たれる光に照らされて輝く瞳が、自身に全てを預ける深月の姿を映し出す。

 それから、ネギはアスナとセツナに目を合わせ、小さく頷くと、前を向いて深月から体を離し、一歩前進した。

 

「ネ、ネギ……」

 

 アスナが呟くのと、光が瞬くのは同時だった。

 

「がっ!?」

「ぬぅっ!」

 

 ナギの左右に並んでいた詠春とラカンが吹き飛ぶ。引き千切られた体は雷光の中に焼け消えて、空中に斜めになって滞空するネギとナギだけが残る。

 腰だめに両の拳を握って構え、顔だけでナギを見ていたネギは、次にはナギの頬を殴り抜いていた。

 バチバチと青白い雷が弾ける。細い光がビリビリとしてネギの体を這い回る。その顔に、拳が突き刺さった。

 

「!!」

 

 顔を打ち抜かれて大きく体を反らすネギ。攻撃を受けたナギが、しかし倒れる事なく反撃したのだ。

 空気が弾ける。ネギもナギも、お互い大きく吹き飛ばされて、距離を開ける。空中で身を翻し、雷速で風の中を突っ切るネギに、体勢を整えようとしていたナギは追いつかず、飛び蹴りを腹に受けてくの字に折れた。ぎゅるんとネギが回転する。勢いのままに、魔力を爆発させるアッパーカット。持ち上げられたナギの体は、すぐさま分解されて、空気の中へ溶けていった。

 

 スタッと音をたててネギが下り立った後には、強敵の姿は残らない。驚きながらも興味を持った妖精が、空に舞う花びらの中や桜の木の合間から覗いているくらいだった。

 それも、ネギが目を向ければ大慌てで逃げていく。

 

「すご……」

 

 呆けた声を出したのは、アスナだ。

 アスナに肩を抱えられた深月も、腹の切り傷を手で押さえるセツナも、ネギの圧倒的な強さに言葉が出てこなかった。

 あれはいったい、なんだというのだろう。

 弾ける魔力のスパーク。揺蕩う長い髪。鋭い瞳が空を見上げる。

 

「うおおおお!!」

「へぇっ!? な、なになに!?」

 

 体をばらばらにしようと暴れまわる力に、咆哮を上げるネギ。だが、それだけにとどまらない。

 両手に黄色の魔力を集め、増大させていく。そして両手を合わせるようにして一つの光弾を作り出すと、大きく振りかぶり、空へと放った。

 桜を燃やし、空気を燃やし、漂う幽霊も逃げ損ねた妖精も巻き込んで、光弾は空へと吸い込まれていく。

 重々しい音があった。

 空の一点、見えない壁にぶつかった光弾が、弾けも膨らみもせず、そのままの質量でめり込んでいく。

 空間に広がる罅。透明な欠片が降り注ぐ。

 やがて――。

 

「――!」

 

 パキャアンと。

 あたかも、作り出された者達が消える時のように、薄いガラスの割れる音を響かせて、世界が砕けた。

 

「も、戻ったの……?」

 

 ネギの叫びに驚いていたアスナが、傍にそびえ立つ世界樹を見上げて言った。

 

「お、にい、ちゃん……」

 

 疲れ切った体を動かし、世界樹の前に立つ兄を見つけて、深月が呟いた。

 

「……いったい、どうやって」

 

 杖を片手に目を見開く真が、目の前に立ち、片手を握り締めるネギへと問いかけた。

 

「…………」

 

 答えはない。

 ただ、さらに鋭くなった目つきに睨みつけられて、真は瞬きをすると、落ち着きを取り戻して杖を構えた。

 瞬間、障壁が吹き飛ぶ。

 

「――!!」

 

 飛び込んだネギが一瞬の内に拳と蹴りの乱打で神力による多重障壁を蹴散らしたのだ。

 こめかみを狙って放たれた蹴りを杖で受け止めた真が、両手で柄を持って振るい、影でネギを捕らえて振り回す。宙に放り出されたネギは、バチリと弾けて姿を消した。

 

「ぐっ!」

 

 右側に現れたネギの拳を真が振り回した杖で受け止めれば、それを蹴り上げて手放させ、大きく腕を振りかぶったネギが殴りかかる。

 一度の瞬きの間に、何重もの拳の雨が、矢の如き蹴りが降った。

 

「つあっ!」

「!」

 

 だというのに真は、腕で肘で、足で膝で、ネギの暴力の全てを防ぎきり、弾き上げ、胸に手を押し当てて光線を放つ。ゼロ距離射撃。体ごと持っていかれたネギは、魔力を繰って雷速瞬動を行い、光線から抜け出した。逃げ出した先に闇が揺らめく。瞬間移動。現れた真の貫手を身を捻って紙一重で躱したネギは、そのまま彼女の懐に入り込み、頭からぶつかっていった。

 大質量の物同士がぶつかり合うような音が響く。息をつまらせ、顔を歪めてよろめく真へ、地に下り立ったネギは右腕を掲げてみせた。

 魔力が編まれ、雷の槍が出現する。巨大な槍は、詠唱もなしに生成された。魔法使いには理解できない事態。よろめいて後退する真も、そうだった。遅延ではない。呪文を唱える素振りはなかった。なんらかの技法? そもそも、あの姿はなんだ。目まぐるしく疑問が流れていく。ネギ本人にも理解できていない事を、真が理解できるよしもなかった。

 未来にしかない複合術式の槍を体ごと振りかぶって投擲しようとするネギへ、真は手の平を差し向け、瞬間的に出せる最大威力の光線を放った。人など容易く呑み込める巨大さと強大さ。

 神力による光は、槍の穂先とぶつかり合うと、ごりごりと削って前進する。

 どれほど魔力が強かろうと、一個人のパワーでは、神たる真の力を越える事はできない。それこそ、本物のナギでもない限りは――。

 槍を砕き、飲み込んだ光線が突き進む。光の先にネギはいない。影が騒めく。真の手の先、流れ出る神力の中を突き破って、ネギが飛び出した。

 

「なっ」

 

 驚愕の言葉は短く、技量も何もなく振るわれた拳によって途切れさせられた。頬を打たれ、抉り込むように鳩尾に掌底を叩き込まれ、浮き上がった体をかち上げられた真が吹き飛ぶ。

 遅れて影が流れていく。

 

「!!」

 

 視界から外れたネギは真にもすぐには見つけられず、そして、見つけた時には攻撃を受けている。

 追撃の手刀。真に追いついたネギは、追い越しざまに真を叩き落とすと、細い雷を地面に放ち、落ちる真の先へと回り込ませた。そして自身は、体の全てを魔力と同質のものと化し、今放った光を雷速で辿っていく。

 そうすれば、ネギの前には打ち落とされてくる真の姿があった。

 

「――――」

 

 躊躇なく、ネギは真を蹴り上げた。

 

「……!」

 

 魔力の残滓が花火のように弾けていく。

 空中に止まり、広場を見下ろした真は、自身を見上げるネギの無感動な顔を見た。

 口内に広がる血の味に口元を拭えば、親指に走る血液の線。

 この姿でここまでダメージを負ったのは、ナギを相手にした時以来だった。

 それが今、彼の息子の手でなされている。

 気に食わない。

 口の端を噛み、ぶんと腕を振って下ろした真は、怒りの表情を浮かべてネギを睨みつけた。

 あんな奴が、ナギと並んでいる。

 苛立たしく、腹立たしい。

 しかも奴は、愛する妹を連れてはいかせまいと立ちはだかっているのだ。

 なぜ?

 なぜ邪魔をする。

 真の心は、闇でも静められないほどの怒りに満ちていた。

 数十年溜め込んできた不安や不満が、プレッシャーとなって振り撒かれる。

 ネギは眉一つ動かさない。ただ、黙って真を見上げていた。

 

「ワタシは……!」

 

 噛みしめた歯の合間から、血を吐くように真が言う。

 私はただ、幸せになりたいだけだ。

 また、あの頃の幸せを取り戻したいだけ。

 その子を幸せにしたいだけ。

 荒く吐く息や、意味をなさない細い声に、言葉のほとんどは外に出なかった。

 妖夢にする。妖夢。あの子が好きだったもの。好き。好きだったものなんて、たくさんあったはず。

 覚えてる。覚えているはず。妖夢。……なぜ、妖夢?

 ちかちかと明滅するような疑問と悪寒。

 わからない。

 わからなかった。

 真には、何をどうすればあの日々を取り戻せるのか、今までの自分が何を求めて何をしてきたのか。

 だが、今はっきりしている事が一つだけある。

 

「お前では、その子を幸せにはできない……!」

 

 ネギを指差した真が吐き捨てるように言った。

 ネギに纏わるほとんどの事など覚えてない。ネギに関われば厄介事がたくさん降りかかるだとか、そういうのも関係ない。

 ただ真は、深月が自分と共に来る事だけが幸せへの道なのだと信じて疑わなかった。

 

「…………」

 

 ぴく、とネギの眉が動く。

 不機嫌そうに歪んだ表情は、しかしすぐに消えて、ネギは深月達の立つ方へと目を向けた。

 

「深月さん」

 

 初めて、ネギが言葉を発した。

 変わってしまった姿や、悪い目つきとは裏腹に、いつも通りの柔らかい呼びかけ。

 

「僕と一緒にいると、不幸ですか」

「……!」

 

 それでも、やはり何かが違う。

 単刀直入というか、普段のネギからは考えられないくらい、そのものずばりの質問をする。

 深月は、ぶんぶんと頭を振って否定した。むしろ、自分と一緒にいるのは、ネギの方が嫌ではないかと不安に思ってしまうくらいだった。

 頭を振るだけじゃ足りなくて、言葉を発しようとした深月は、上手く言葉が出てこないのに泣きそうになった。

 よくわからないけど、今の先生には言葉が必要だ。そう思ったのに、息を吐いて、吸うだけ。

 頬にかかった髪を腕で退けるぐらいしかできなくて。

 その内にネギは、真へと顔を戻した。

 何も言わなかったが、真には、『見たか』とでも言っているように見えて、余計に怒りがこみ上げた。

 

「ほ、ざくな!」

「!」

 

 不可視の力がネギの足下を砕く。

 だが、ネギは動じない。自分に当たらないのはわかっていた。それで体勢を崩す事もないと。

 だから、もうもうと立ち込める砂煙が晴れるのを、ただ待っていた。

 その短い間。

 ネギへと突きだした真の手に闇が集い、錫杖が出現する。それを振り上げた真は、ありったけの力を放出して、白い光の球を天に昇らせた。

 

「っ!!」

 

 煙が晴れ、その膨大な魔力が膨れ上がっていくのを感知しても、もはや手遅れだった。

 あれほどの力、ネギにはどうしようもない。術者の真を討てば、制御を離れた光球は爆発し、甚大な被害を撒き散らすだろう。

 あれをどうにかできるのは、ただ一人……!

 

「きゃあっ!」

「アスナさん!」

「アス、ナッ!」

 

 ばっとネギがアスナへ顔を向けた時、すでにアスナは真の一睨みで吹き飛ばされていた。手に握ったままのハマノツルギと共に。よろめく深月とセツナがアスナの名を叫ぶ。それが加速された思考の中に響いて、ネギは、再び真を見上げた。

 そして、両手を高く掲げた。

 

「……死んでしまえ!」

 

 神力と魔力が迸り、雷鳴が轟く。

 避ける事は容易い。だが、避ければ地上がどうなるか、みんながどうなるか。そんなのは、考えなくてもわかる事だった。

 ならば受け止めるしか道はないのだろう。

 しかし不思議なのは、ネギの顔に焦りなどが一片も浮かんでいない事だ。

 魔法で迎撃しようともせず、ただ手を翳して立つ姿は、傍からはまるで諦めてしまっているようにも見えた。

 巨大な光球から一筋の光が流れ落ちる。

 あたかも雷が落ちるようにネギへと降り注ぐ。

 絶大な力は、ネギの手に握り潰された。

 

「な、なにっ!?」

 

 さすがの真も、声を上げてしまわずにはいられなかった。

 力の奔流を受け止め、手の平に溜めたネギは、なんとそれを握り、取り込んでしまったのだ。

 これもまた、未来のネギが緻密な準備の下になせる、闇の魔法(マギア・エレベア)の完成形だった。

 

「く……! くぅ……!」

 

 もとより全神経を集中させて静めていた力の中へ、神の力が雪崩れ込む。

 身に余るパワーだった。

 細胞一つ一つが悲鳴をあげているかのように軋み、肉が裂けて血が噴き出す。纏う雷光の中で蒸発していく。

 歯を食い縛っても到底耐え切れない力に、ネギは一息に跳躍した。

 力の制御など放り投げ、真の真横へ出現すると、先程の焼き直しのように叩き落とした。

 鮮血が散る。

 光を纏う手刀は、制御を離れた神力を含むと、それだけで真の身体を斬り裂けるほどの鋭さになっていたのだ。

 バチバチと弾ける雷に、ネギの頭の中さえ白黒に弾けてぐちゃぐちゃになっていく。

 落ちてゆく真に追い縋ったネギは、その体に拳を叩きつけ、共に地面へと突っ込んだ。

 力が地面へと流れ出し、瓦礫が捲れ上がって、砂のように細かく砕けていく。転がって離れたネギは、何も考えられず、力いっぱい天へと伸ばした手の先に、再び巨大な槍を出現させた。

 猛攻に晒され、所々が破れて弱々しい闇が漂うドレスを持ち上げ、立ち上がろうとする真へ、ネギは腕を振りかぶり――。

 

「待って、センセ!」

 

 深月が腕に抱き付いてくるのに、ぴたりと動きを止めた。

 

「はぁっ、はぁっ、は、」

「ぐ……」

 

 胸を押さえて苦しげに呻きながら立ち上がる真に、荒い呼吸を繰り返すネギ。

 真がどうかはわからないが、ネギはもう、限界だった。

 未知の力を手に入れ、変身し、がむしゃらに戦った。だが、体が耐えられず、指の先から痙攣が始まって、崩壊していってしまいそうだった。

 

「センセ……!」

「はっ、は、み、深月、さん……!」

 

 雷の槍を握り潰し、魔力として霧散させたネギは、そのまま膝をつきそうになって深月に支えられた。

 縋るように深月の腕を掴んだネギは、彼女の顔を見上げて、息を吐いた。

 

「センセ……やめて」

 

 嘆願だった。

 それは、真の命を奪うまではないだろうという妹の想いなのだろうか。

 

「私が、やるから……!」

「は、ふ、そ、それは、でも……」

「私がやる……! 私がやるの! やらなくちゃ、駄目なの……! センセ、お願い……」

 

 そうではない。

 せめて、その命を断ち切るというのなら、自らの手でするべきだと思ったのだ。

 ネギの手を汚す事もない、と。

 ……いや、それだけではないのだろう。

 だが、そこにどんな思いが渦巻いていようと、深月が自らの手で真を討ちたいと口にしたのが現実だった。

 

「み、つき……」

 

 ふらりとよろめいた真が、杖を引き寄せ、抱くようにして地面につき、支えにした。

 泣きそうな表情が、本当にやるのか、と問いかけてきているようだった。

 

「深月……ワタシと、来なさい。じゃないと、幸せになれないんだよ……」

「それは違います!」

 

 真の言葉に、深月が何を言うよりも早く、ネギが答えた。

 ギ、と真に睨みつけられて、それでも怯まず、ネギはなんとか背を伸ばして立つと、深月の腕をとった。

 

「幸せに、なる方法なんて、幾らでもあるんです。でも、あなたと楽園に行く事がこの人の幸せになるとは、僕には思えない」

「なんだと……!」

 

 真の全てを否定するような言葉だった。

 そんなはずがない。それはありえない。

 では、深月は、妹は、どうやって幸せになるというのだ。

 ……その答えは、真の中に最初からあった。

 

「僕が必ず深月さんを幸せにします。してみせます!」

「……!」

 

 思わずネギの横顔を見た深月は、センセ、とか細く呟いた。そういう台詞が、どんな意味を込めて使われるかくらい、深月だって知っている。だから、一拍遅れて頬を朱に染め、恥ずかしくなってしまうのも仕方のない事だった。

 

「そんなの……それじゃあ……!」

 

 ワタシは……!

 杖をついて一歩、よろめきながら踏み出した真は、口の中でだけ言った。

 私は、どうなる。

 

「……深月さん」

「……センセ」

 

 言うべき事を言い切り、少し力が抜けてしまったのか、足を震わせ始めたネギは深月に向き直ると、ふらつきながらも目を合わせ、確認した。

 

「どうしても、深月さんの手で決着をつけたいですか」

「……はい」

 

 肉親。肉親かはわからないが、家族との決着。

 そこに思うところがあったネギは、深月の言葉を聞いて、全身から力を抜いた。

 そうすると、全身にめぐる血に一気に疲労が流れ込み、眩暈がして、そのまま倒れてしまいそうになるのに慌てて足を出して踏み止まった。不安そうに自分を見る深月へなんとか笑ってみせたネギは、次に、しんどそうに後ろ頭を掻いた。

 いつもの、申し訳なさそうな顔。

 

「へへ……正直、僕、もう、ボロボロで……バトンタッチ、お願いできますか」

「……任せてください、センセ」

 

 ふらふらのネギの腕を深月が抱いて支えると、あ、そうだ、とネギが囁いた。

 

「深月さん、その体じゃ……ううん、えっと」

「センセ……?」

「僕の魔力、全部渡しますから。それで……ああ、ごめんなさい。言葉が上手く出てこないや……」

 

 半目で見上げらて、深月は内心首を傾げた。ネギが何を言いたいのか、いまいちわからなかったのだ。

 でも、その体では、と言われて、今の自分の状態を改めて思い出した。

 魔力も気も無く、刀もない。

 素手で真に挑んで倒せるかと言えば、絶対に無理だろう。

 気持ちだけで倒せる相手ではないのだ。

 その真は、砕けた地面をじっと見つめて、何かに考えを巡らせているようだった。

 

「それじゃあ、いきます」

「え、なに――ッ!?」

 

 何を、と言おうとして、唇を塞がれるのに、深月は目を見開いた。

 

「はあ!?」

「へ……?」

 

 それは、近くで深月とネギのやり取りを見守っていたアスナとセツナも同じだった。

 魔力を受け渡すという話をしていたと思ったら、いきなりキスをしたのだから、これでびっくりしない方がおかしかった。何よりネギから、というのがありえなさ過ぎて、真に妙な術をかけられ、夢でも見させられていると言われたら疑う事なく信じてしまいそうなくらいだった。

 その真も、口を半開きにして少年少女の口づけを見ていたから、これが紛れもない現実だというのはわかってしまった。

 

「ん……」

 

 最初はびっくりして目を白黒させていた深月も、暖かい魔力が流れ込んでくると、足下から立ち上る不思議な光の気持ち良さも相まって、目を閉じて素直に受け入れた。

 あれって、もしかして、仮契約(パクティオー)? アスナの疑問の声には、誰も答えない。

 だが、二人が離れた時、輝くカードが生成されると、答えられたも同然になった。

 なぜ、仮契約が成功した? 魔法陣もないのに。そもそも、なぜネギは口づけをした?

 誰の頭にも浮かんだ疑問だ。その理由は、誰にもわからない。ネギにだって、自分がキスを選んだ理由などわからないだろう。一度倒れてからおかしくなっていたのだ。今も、正常である保証はない。

 

「……な、なに、を……」

 

 呆然として呟く真に、深月は手に収まったカードに目を落としてから、真を見て、それから、ネギを見た。

 輝きは失われ、姿が元に戻っている。今まさに目を閉じ、倒れてきたネギを半霊で受け止めた深月は、自分の姿をとらせた半身にネギを運ばせると、辺りを見回して長刀・桜月の姿を探した。

 意外と近くに突き刺さっているのを見つけると、パクティオーカードをポケットにしまい、小走りで駆け寄って、刀を引き抜こうとした。

 柄に手をかける一瞬、先程の接吻の感触が生々しく甦って、それを振り払うようにして桜月を手に収めた深月は、銀の輝きを強く振るうと、ネギの魔力を身に纏って振り返った。

 未だ理解が追い付いていない様子の真へと歩み寄って行けば、さすがに気を取り直して目を合わせてくる。

 紅い瞳は、あの日のように淀んでいた。

 

「……深月」

「…………」

「深月……ワタシと、一緒に来るのは……そんなに嫌なの……?」

「嫌。だって、お兄ちゃん」

「どうして……ワタシは、こんなに、お前を……!」

「お兄ちゃんはなんにも」

「お前を愛しているのに……! お前を、幸せに……!」

「……」

「お前を……お、まえ…………? ……?」

「……ねえ。もう、斬るよ」

「……深月? ワタシは……深月を? ……妖夢なの? お前。お前は……」

 

 混乱しているのか、単語の羅列を口走るばかりの真に、深月は静かに刀を構えた。

 両手で持って正眼に。ゆらりと下ろして、右の後ろに。腰を落とし、地を蹴って、前へ走り出す。

 剣気を解放する。桜色の光が薄く纏わって伸び、床を削る。走る速度は落ちず、増していく。

 

「――!」

 

 攻撃の意思に反応した真が杖を構え、一枚の障壁を張った。

 たった一枚。それでも、一枚。強固な障壁を砕こうと振り抜いた刀は拮抗し、小刻みに跳ね返され、体全体で押し込もうにも、すぐには破壊できなかった。

 それでもいずれは壊せる。どうしてか後続の障壁も張られない、たったの一枚なら。

 刀が食い込み、障壁が割れる。真は、振り下ろされた桜色の光を腕で受けた。

 

「あっ!」

 

 思い切り腕が振り上げられると、深月の手から刀が抜けてしまった。強く握り締めていたはずなのに。驚愕する深月の胸へ、杖を握ったままの手が押し当てられる。今度は深月が吹き飛ぶ番だった。

 

「くぁっ!」

 

 肺が潰れるような圧迫感。凄まじい力に押された深月は、片目をつぶりながらも、すぐさま体勢を整えつつ半霊を呼び寄せ、自身の背後へと泳がせた。

 

「!」

 

 魔力が右足に集い、白い光の刃を形成する。

 飛び蹴りの姿勢に移りながら、背後で半霊を爆発させる。体の中で何かが割れる音がした。

 しかし深月は、構わず急降下キックを放った。

 もとより兄を相手するとなっては、全力全開、死力を尽くすつもりだったのだ。

 それに、妖夢ごっこはもうおしまいだ。

 

「はっ!」

 

 鋭く吐く息に混じって、気合いの声。

 防御に翳された杖を擦り抜け、腕と横腹の間を突き抜けた深月は、足を地面に叩き付けるようにして着地すると、くるくると落ちてきた桜月を掴みとり、振り返るのと同時に全力で振り抜いた。手の内が熱く擦れ、チャ、と刀が鳴った。

 

「うぐっ!」

 

 超至近距離での斬撃は、最低限の障壁を無いも同然に、真へと一撃を届かせた。削がれたドレスが闇となって霧消し、赤く染まった肌が露わになる。振り抜けば、遅れて桜色の光の帯。それが刀に収まり、そして光が消えると、真は杖を取り落とした。大きな音が、明け空に響き渡る。

 

「み、つき……」

「…………」

「ワタシは……もう、いらないの……?」

 

 崩れ落ちるように膝をついた真が、肩を震わせて振り返った。

 深月は、刃先を垂らして静かに口を開いた。

 

「お兄ちゃんなんて、もういらない。みんながいるもの」

「――そん、な……み、ずき」

 

 体ごと振り返ろうとした真は、その最中に、力が抜けたように手をついて、そのまま俯いてしまった。

 

「そう、か……。ワタシは、いらないのか……」

 

 自分に言い聞かせるような、小さな声だった。

 真にだってわかっていた事。

 ずっと頭について回っていた事。

 自分のやっている事が間違いなのではないかという疑問。

 見ないふりをしていたから、考えないようにしていたから、めぐりめぐって、今、そのツケが返ってきた。

 拒絶されては、もうどうしようもない。

 無理やり連れて行く事なんてできない。

 闇の衣が剥がれていく。

 元の姿へと戻っていく。

 戦意を失った真は、息絶えるように倒れ伏した。

 

「でも」

 

 ……真が完全に倒れてしまう前に、抱き起こす手があった。

 

「お姉ちゃんなら、欲しいかな」

 

 優しい声音で囁きかけられた言葉に、真は僅かに顔をあげて、でも、それだけだった。

 深月の言葉を理解できたのかできていなかったかは定かではないが、深月が刀を落とし、真の身体を支えると、今度こそ意識を失った。

 

「やった……の?」

 

 変身が解けて上半身が露わになってしまっている姉に、どうしたものかと悩みながら佇む深月の傍へ、ネギを背負ったアスナとセツナが駆け寄ってきた。

 深月が頷けば、はーっと深く息を吐いて、その後に、じっと真を見下ろした。

 確認するようにうんと頷いて、

 

「……良かったあ。殺しちゃったりはしてないわよね、うん」

「…………」

「どうなる事かと思いましたが……無事に終わって良かったです」

「無事、なのかなあ。あっ! 刹那さん、お腹の傷大丈夫? あ、というか、気が抜けたら全身痛く……」

 

 殺すつもりとか、殺さないつもりとか、いまいち考えていなかった深月が黙っていれば、お互いの傷を確かめたアスナとセツナは、得物をしまうと、深月の体も気遣った。

 

「なんか、終わったって実感ないけど……夜、明けてるって事は、ほんとに終わったんだよね」

「ええ、きっと。……彼女が、深月さんの言葉を受け取ってくれれば、ですけど」

「…………」

 

 眉を八の字にしてネギを背負い直すアスナに、服の端を引き裂いて腹の傷に巻きながら、セツナが不安そうに言った。

 そっか、と深月は心の中で呟いた。

 倒したからって、倒れたからって、兄が諦めたり、いきなり心を変えたりする保証はないのだ。

 目を覚ました時、再び自分達に襲いかかってくるかもしれない。

 

「なら、殺さなきゃ……だめ?」

「えっ!?」

「……いや。殺す必要は……ないさ。それでも、拘束しなきゃならないが……」

 

 殺す必要はないというセツナに、なんとなく嘘を吐く気配を感じた深月がセツナを見上げると、兄を拘束しても良いのか、という問いかけがあった。

 セツナにとって、彼が倒れた事でこのかへの呪いが解けたかは定かではなかったから、深月の気持ちを尊重したくても、できない相談だった。

 いや、あの幼い姿は、あれはあれで、セツナの琴線に触れるものであるのだが。

 ……もちろん、守るべき対象としての話だ。

 

「ん。もし暴れたら、今度こそ」

「す、ストップ! ストップよ深月ちゃん! それ以上はだめ!」

「……なんで?」

 

 もし、彼女が親しい誰かやクラスメイトを傷つけたらを考えると、深月の心は冷たくなって、兄の素肌から直接伝わってくる体温も、それを失わせなければならないものに思えれば、触れていたくなくなってしまった。

「だめよ、もう。ね?」

 

 意味をなさない、説明になっていない言葉だったが、なんとなく、察せるものがあった。

 アスナは、三原深月という人間に、人を害する言葉を発して欲しくないようだった。

 それは、そうだ。もう、そういった物騒な事を口にして良い人間ではないのだ。

 では兄をどうすれば良いかと考えれば、先程のセツナの言葉にいきつく。

 とりあえずふん縛って、強制的にお話しできる状態に持っていってしまえば良いのだ。

 きっと、そうやって落ち着いた状態で向かい合えば、言いたい何かや、わからない何かも口にする事ができるだろう。

 

「深月ちゃん、これ、お兄さんにかけてあげて」

 

 傷の処置を終えたセツナへネギを渡したアスナが、一思いに上着を脱いで、深月に手渡した。所々破けているが、上半身を隠すぐらいの布面積は残っている。即座にパクティオーカードに登録された洋服を身に纏うアスナを見上げた深月は、握った服の破けた部分と、少しの間見えていたアスナの素肌の傷をなんとなく思い比べて、それから、真を床に寝かせて転がし、温もりの残る服を体にかけてやった。

 袖の部分を体に巻き付けて結ぶ。少し間抜けな格好ではあるが、半裸よりはましだろう。彼女の腕をとって持ち上げようとした深月に、私が持つよ、とアスナ。

 

「……うん。わかった、お願い。……今、ちょっと……重くて」

「うん、私に任せて!」

 

 疲れ切った自分の体が重いのか、意識を失っている兄の体が重いのか。

 気にせず胸を打って、軽々と真の体を抱き上げたアスナは、ふとセツナを見て、ん? と首を傾げた。

 

「な、なんですかアスナさん。そんな不思議そうに……」

「や。なんか、ネギがお姫様抱っこされてるのって、それっぽいなあって」

 

 それっぽい? とセツナが聞き返せば、ガキっぽい? とアスナが答える。

 深月は、セツナに抱かれてすぅすぅと寝息をたてるネギの顔を覗き込んで、頬を小突いてみた。

 なんの反応も無かったが、触れた指先はじんと熱くなって、それが顔にまで伝染した深月は、手の平で頬を拭ってわき上がった謎の羞恥を散らしつつ、踵を返して歩み、落ちている桜月を拾って鞘に納めた。

 ……三原深月とはいえ、刀ぐらいは持つ。だってそれは、人生の一部だったから。

 柄の先を撫で、自分が刀を持っている事に二人からお咎めがないのを確認した深月は、ほっと息を吐いて、それから、短刀を探しに歩き出した。

 

 広場の奥に空いた穴。積もる砂粒の山。その近くに転がっていた短刀・霧雨の弓を後ろ腰に括り付けた鞘に納め、深月が戻れば、ネギの姿について話していたアスナとセツナは、深月に顔を合わせてから、帰ろう、とだけ口にした。

 

「みんなに終わったよって報告しなきゃ」

「お嬢様のお姿を確認しなければなりません」

「……眠い」

 

 広場から離れ、階段の前に差し掛かると、消えてしまった結界を見上げたアスナがそう言うのに、セツナが続いて言葉を発した。だから深月も、何か言わなきゃいけないのかと今の自分の状態を言ってみたけれど、特に反応はなかった。

 

「あー……今頭がいったんだけど……あの広場の惨状って、報告しなきゃマズいわよね……? ……弁償かなあ」

「そ、そうなったらもちろん私も払いますから、そんな暗い顔をしないでください」

 

 私も、と同意しようとした深月は、不意に流れてきた風に、立ち止まった。

 

「? どうしたの?」

 

 アスナもセツナも、急に足を止めた深月を不思議そうに見て立ち止まる。深月は、左右に目を走らせると、緩やかに振り返った。

 青い蝶が舞っていた。

 淡い光の尾を引いて、ひらひら、ひらひらと広場を飛んでいた。

 

「…………」

「あれは、いったい……?」

 

 一匹、二匹、三匹。

 いや、数えるのも馬鹿らしくなるくらい溢れかえる蝶々に、深月はなぜだか冷や汗が止まらなかった。

 光の中、ふわりと浮いて進んでくる人影があった。

 それもまた、淡い輝きを放っていた。

 

「あら……やっぱり、負けてしまったのね」

 

 女神の時の真と同じ、離れていてもよく聞こえる声。

 

「あれだけ成長を促したのに……駄目ねえ、最近の子は」

 

 ふわりふわりと蝶が舞う。

 膨らむようにして開いた空間に歩み出たのは、西行寺幽々子だった。

 

「ゅ……」

 

 震える唇がその名を紡ぐ。深月は、酷い違和感に、震えた。

 

「ゆゆこ、さま……」

「はぁい、妖夢」

 

 緩やかに手を振った彼女は、穏やかな笑みを浮かべていた。

 それでも、悪寒が身を包む。

 それがなぜかはわからなかったが、すぐ傍に立つセツナの、まるで気配を感じない、という声に、少し理解した。

 いつだってそうだった。

 昏い瞳は妖しく輝き、包み込む暖かさは冷たくも愛おしく、会うたびに惹き寄せられた。

 でも、いつだって彼女は希薄だった。

 希薄どころか、なんの気配も感じられなかった。

 ……それは、どっちの?

 ゆっくりと、着物を揺らめかせて歩んでくる彼女は、いったいどっちの幽々子様なのだろうか、と考えて、深月は頭を振った。

 どっちかなんて関係ない。

 なぜ、今ここに、幽々子様が。

 それに、妖夢って、私の事……!

 しゃんと刀を抜き放った深月が構えると、幽々子は止まって、小首を傾げて深月を眺めた。

 何がなんだかわからないが、反射的に武器を構えてしまった。後ろにいる二人の手がふさがっているから、そうしなければならないという強迫観念のような何かが体を動かした。

 それは、幽々子様が、敵だから……?

 

「そいつは幽々子ではないわよ」

 

 ふいに、耳元で声がした。

 と同時に、深月の真横にふわりと赤い布が広がり、幼い少女――操真晴子が降り立った。

 

「っ!?」

「え、今、どこから……!?」

 

 セツナが息を呑む音。アスナの驚愕の声。

 そんなものが存在しないかのように、いつも通りの気怠そうな顔をした晴子が、幽々子を指差した。

 

「――!?」

 

 なんの音もなく、気配もなく。

 瞬きする間も無かったのに、幽々子は姿を消していた。

 代わりに、赤い着物の女性が立っていた。

 

「……晴、子?」

「それはわたしだけど」

 

 黒髪に似た色の長い髪に、振袖のような赤い着物。細い目の奥は翡翠色に彩られ、腰に結ばれた帯は黄色い。穏やかな笑みを浮かべる女性は、どうみても、晴子だった。

 いや、晴子が大人だったら、そんな姿であろうというような姿形だったのだ。

 

「何かと思えば、わたしの一欠けらじゃない」

「はぁい、わたし」

 

 先程の幽々子の声音を真似て、晴子が手を振ると、着物の女性はつまらなさそうに口を閉じた。

 事態を飲み込めない三人を置いて、会話は続く。

 

「悪いけど、この子をやらせはしないわ」

「なんのつもりかしら」

 

 深月の前へ腕を上げて庇うようにした晴子が、女性を睨みつけて言えば、心底わからないといった様子で女性が問いかけた。

 

「ちょっと変わっただけよ」

「ふぅん。まあ、どうでもいいわ。わたしが用があるのは、そこの……名前、なんだったかしら。女神の子よ」

 

 す、と女性に指差されるのに、真を抱くアスナがむっと表情を引き締めた。

 

「結構強くなったと思ってたのに、あっさりやられてしまうんだもの。のんびりやってたせいかしらねえ」

「……育成ゲームは終わりよ」

「終わらないわよ。今度は直接私が鍛えてやろうっていうんだから。……それとも、なあに? あなたがわたしの相手をする?」

 

 嘲笑の笑みを浮かべた女性が、晴子を挑発する。お前ではわたしには勝てないのなんて、ようくわかっているでしょう、と。

 

「お相手するわ」

「……その程度の力で?」

「この程度の力で。ほら、みんな、出番よ」

 

 ぱんぱん、と軽く手を打つ音が二度響く。ん? と目を細めた女性が周囲を見回せば、妙に空間が歪み始めていた。

 異常事態に驚くのは、深月を含めた三人だけだ。女性は、何が起こるんでしょ、とでも言うかのように暢気に立っていた。

 いっせいに、広場に人の気配が満ちる。

 最初に三人の視界に入ったのは、目の前にトタッと下り立った学園長の姿だった。

 次に高畑。アルビレオ。瀬流彦。ガンドルフィーニ。

 次から次へどこからか魔法先生が、魔法生徒が現れ、女性を囲んでいく。

 高音・D・グッドマンや佐倉メイ、春日美空……見知った多く顔もいて、その誰もが魔力を高め、最大級の戦闘体勢をとっていた。

 

「高畑先生!? がっ、が、学園長ぉ!?」

 

 アスナの叫びに、顔だけ振り返った高畑が小さく頷き、同じく振り返った学園長が片目を開いてみせた。

 

「クウネルさん……本物なのか……?」

「ええ、本物ですよ」

 

 セツナの呟きに、僅かに笑って、アルビレオが答えた。

 

「なんだ、ぼーやはやられてるのか」

「エヴァさん……?」

 

 空間を揺らめかせて抜け出てきたエヴァンジェリンが、浮いたままネギを見下ろして残念そうな顔をした。深月が見上げれば、ふっと笑って腰に手を当てる。漂う魔力。明らかに封印が外れている。

 空間の揺らぎは広場全体、空までもに広がって、結界となった。外と内とを隔てる強固な結界だ。

 

「……わたしは掃除屋ではないのだけど」

「なら帰んなさい。じゃないと蟻みたいに(たか)るわよ」

 

 周囲を見回し、煩わしそうに眉を寄せた女性は、晴子にそう言われると、少し考える素振りを見せてから、すいっとどこかへ指を向けた。

 

「回避じゃっ!!」

 

 カッと目を開いた学園長が怒鳴り声をあげるのに、障壁を展開しようとしていた魔法使い達は、身を投げ出すようにして回避行動をとった。

 ドサドサと地面に身を投げ出す少年少女に、女性は指を向けたまましばらく止まっていて、やがて、そうした時と同じように、すいっと手を戻した。

 

「興醒めね。どうせならもっと強いの集めときなさいよ」

「この世界に求める戦闘レベルではないでしょ」

 

 深月やアスナやセツナには、話の内容も意味もよく理解できなかった。

 しかし、印を結んで立つ近右衛門や、ポケットに手を突っ込んで気と魔力を滾らせる高畑に、パクティオーカードを手にしているアルビレオは事態をしっかりと理解しているらしい。

 誰もが固唾を飲んで見守る中、もう一度周囲を見回した女性は、ほんとにもう、と呆れたように呟いて、晴子に目を向けた。

 

「せっかく育てた果実を、わたしが逃すと思うのかしら」

「さあ?」

「……面白味のない。いいわよ、また博麗の巫女でも相手にするわ」

「…………」

 

 女性の言葉に何かを言いかけた晴子は、しかし何も言わず、青い蝶が女性を包み、消えて行くのを見届けた。

 それでようやく、全体にほっとした雰囲気が流れた。実際、高畑がふぅっと息を吐いて肩から力を抜くと、あっあっとアスナが声を上げて駆け寄った。

 

「高畑先生! なんでここに……?」

「っと、アスナ君。……代わるよ。秀樹さんは僕が背負おう」

 

 は、はい、と言われるままに真を受け渡すアスナ。手早くスーツの上を脱いだ高畑は、それを真にかけてから彼女を抱いた。肩と足に腕を通し、真の顔を覗き込む高畑の表情は、どこか複雑で、そして、観察するようでもあった。おそらくは、かつて男として見ていた英雄の一人の女性である今の姿を受け入れようとしているのだろう。

 

「なんだ、つまらん。何もなしで終わったか」

「といいつつ、内心胸を撫で下ろしていますね。おや? 撫で下ろし過ぎて、胸が……」

「あるわ! ったく、どんな時でも平常運転だな貴様。……と、言いたいところだが、弄りにキレがないぞ」

「はは、ばれてしまいましたか。いやはや、さすがにあれ程の敵を前にしては、私も緊張くらいしてしまいますよ」

 

 地面に下りたエヴァンジェリンにアルビレオが話しかければ、嫌そうにしつつも対応する。

 さて、と学園長が深月達へと向き直った。

 

「此度の騒動、お主らに大きく頼る事になってしまったの。まことに申し訳無い」

「え、いえ、私などにそのようなお言葉は……」

「私も、別に……」

 

 急に頭を下げられては、セツナも深月も困惑するだけだ。

 

「すぐに君達の体を治そう。説明は、その後じゃ。今はゆっくり休みなさい」

 

 言い聞かせるように話す学園長に、深月はなんとなく晴子の顔を見て、そうしなさい、と言われるのに頷いた。

 よくわからなかい事は、よくわからないままに終わったけど、説明されるというならみんなの下に帰ろう。

 

 三人は魔法生徒による治療を受けると、それぞれ制服を渡されて、解放された。その足で、深月の誕生日会を開いた広場へと向かう。真を抱えた高畑も、このかの事情を知るとついてくる事になった。

 

「そうじゃ、広場などの被害は気にする事はないぞい」

 

 去り際、学園長がそう言うと、アスナが心底ほっとしたように胸に手を当てていた。

 

 

「で、無事勝利って訳?」

「うん、まあ」

 

 広場には、小さな仮設小屋が残されていて、白き翼のメンバーが待ってた。

 昨晩の誕生日会から続けて夜が明けているので、誰もが眠そうにしている。ソファーに腰かけたこのかなんかはかっくんかっくんと船を漕いでいた。駆け寄ったセツナが心配そうに肩に手を置けば、ふにゃ、と鳴いて目を擦った。

 みんなが、眠気を堪えて三人の帰りを待っていた。

 アスナが代表して顛末を話せば、座っていた者が退いて空けられたソファーに寝かされた真を、じぃっと見ていた朝倉が話を纏めた。

 

「無事で良かたアル」

「装いが変わっているのは、なぜです?」

「ああうん、それはね……」

 

 三人の無事を短く祝う古菲に、うむ、と楓が同意する。壁際に立つ夕映が、三人の姿が変わっているのに疑問を持つと、アスナは真を倒した後の事も話した。

 その場にいたアスナにもよくわからない話だったので、アスナを通して話を聞いたそれぞれも、何が起こっていたのかはわからなかった。

 

「あーでも、それで先生とか見なかったワケねー」

『隠れてたんです?』

 

 ハルナが、魔法生徒や先生がいなくなっていた理由が謎の女性にあるのではないかと言えば、ふよふよと浮かぶさよが口元に指を当てて首を傾げた。

 詳しい話はまた後でしてくれるみたい。アスナの言葉に、じゃあ後でいいね、と誰かが答えた。

 

先生(せんせー)……」

 

 このかの隣に寝かされたネギは、未だ深い眠りについている。大きく消耗して疲れているだけ、らしいが、傍に座ったのどかは、心配でならなかった。

 

「……なんや」

「……別に」

 

 隅っこで壁に背を預けていた小太郎へと寄って行った深月は、特に何も言わず彼に並んで立った。

 部屋の中を眺めるだけで、言葉を交わす事はない。ただそれだけだったが、小太郎は不思議そうな顔をして深月を見て、ふんと鼻を鳴らした。

 

 

「それじゃ、いいんちょに連絡やって、寝ますかねー」

 

 ぱん、と手を打った朝倉が言えば、祝勝会やろうぜなんて言い出さなくて安心した、と千雨が呟いた。

 それで、お開きだった。

 それぞれに労わられて、寮に戻れば、そのまま日常が戻ってきた。

 

 

 部屋の中、ちょこんと座ってぼうっとしていると、チャイムが鳴った。

 深月ちゃーん、と私を呼ぶ声。このかだ。

 返事をしてから床に手をついて立ち上がり、窓から差し込む光に目を細め、なんとなく部屋の中を見回す。

 

「…………」

 

 ……あ。

 ああ、そういえば、旅行鞄は先に送ったんだっけ。

 だから、私が持って行くのは、小さなバッグだけ。

 もちろん刀も持って行く。

 ん、ぱくておカードも持ってかなきゃ。携帯代わりになって便利だってカモ君が泣きながら言ってたし。

 ……なんで泣いてたんだろ。

 小走りで玄関に走り、座って、靴を履く。置いておいたバッグを手に取り、ちゃんとお財布が入っているのを確認してから、鍵を開けて扉を開いた。

 

「おはよ」

 

 扉の先には、このかが立っていて、私が外に出ると、そう声をかけてきた。

 お財布から家の鍵を取り出しつつ、このかを見上げて「おはよ」と返せば、真似っこ? と笑われた。うん。まねっこ。

 

「おはようございます、深月さん」

「おはよー、深月ちゃん」

 

 このかの傍に立つ先生とアスナも、朝の挨拶をしてきた。まだ明け方だから、声は控え目。どこかはりきっている様子の先生に苦笑しつつ、挨拶を返す。セツナは今朝に用事があるからって、一足先にでかけてる。

 今日はとうとう、魔法世界……じゃなくって、イギリス? に行く日。また、飛行機に乗らなきゃいけないんだけど……ううん、もう、へっちゃらだ。

 鍵を閉め、それをお財布に入れて、バッグにしまえば、いざ出発。

 行き先は、まず空港だ。成田空港、だっけ。

 チケットだかの代金は、学園長が支払ってくれた。英国文化研究会、最初の活動だからって。

 そういえば、その際にあの赤い着物の女性が何者か、なぜ魔法先生やみんながあんな風に集まっていたのかを教えてもらったけど……別に、凄い理由とかはなかった。

 凄く強くて危ない奴だから、みんなで迎撃しようと待ってたんだって。

 それのせいで、おに……ん、お姉ちゃん、の事に手を貸せなくてごめんねって謝られた。

 別に、それはいい。それは、私がやらなきゃいけない事だったから。

 それでお姉ちゃんも、ちゃんとお話を聞いてくれたから、いいの。

 でも、なんだかみんな私の名前を覚えちゃってて、少し嫌だった。

 ……お姉ちゃんだって、結局全部の事、話してくれなかったし……。

 

 そのお姉ちゃんも、きっと今は空港だ。

 お姉ちゃんのしてきた事は、こっちじゃなかなか裁けない事で、それに、それまでの功績が色々と相殺している事も多かったらしい。

 それでも、何もお咎めなしは魔法世界にとってとれない選択らしくて、お姉ちゃんは、タカハタ先生と一緒に魔法世界でぼらてぃあ……とかなんとかいうのをする事になったらしい。

 それもまた、詳しい話を聞いてない。要は人助けだっていうのはわかったけど。

 それをたくさんやって、たくさんの人を救えば、けじめがつくとか……。

 …………学園長先生は、私にも同じような事を言っていた。

 『人の助けになる事をしなさい。それは、めぐりめぐって、自分の助けになるから』……。

 常識的な言葉だった。

 それって、結局、私のした事は咎められていない気がして、だけど、私は言う通りにする事にした。

 きっと、それが一番良い事なんだろう。あんまりよくわからないけど、きっとそう。

 だから、これからは、困ってる人がいたら、積極的に助けて行こうと思った。

 たとえば、記憶喪失になってる先生とか。

 ……先生は、酷い人。

 だって、先生、お姉ちゃんとの戦いの中であった事、ほとんど覚えてないんだって。

 私とキスした事も覚えてないって言ってた。

 ぱくておカードを見せたら、目を白黒させて大慌てだった。その時だな。カモ君が大泣きしたの。なんか、すっごい悔しがってた。

 それで、先生が忘れちゃってて、私、すっごい怒って、でも、白き翼の合宿で海に行った時、先生の幼馴染だっていうアーニャって子にその話をしたら、一緒にとっちめてやるってなって、先生にお灸をすえる事ができたので、今はもう、怒ってない。

 そういえば……カードを見てると、時々胸がざわつく事がある。

 ……どきどきする。

 それもまた、ちょっとしたあれ。

 ……あれが何を指すかは、私にもよくわからないけれど。

 

「ほら、深月ちゃん。手、つなご?」

「うん!」

 

 自然に差し出された手に、自然に手を乗せて握る。

 暖かい。

 やっぱり、このかの手は暖かい。

 駅へと向かう道の中で、このかと笑い合う。先生や、アスナとも笑い合う。

 素直に楽しいって思えるのは、こんなに素敵な事なんだ。

 お洋服が可愛いねって褒められるのも、とっても嬉しくて。

 このかが選んだ服だから、素敵なのは当然だよ、なんていいつつ、さり気なくバッグをアピールしてみたり。

 ほら、このバッグは私が選んだの。

 ベージュ色のバッグは、ちょっと私にはあわないかなって思ったけど、なんだかびびびっときたから。

 もちろんみんな、褒めてくれた。

 うん、私、センス良い。

 先生はいつものスーツ姿だ。

 うん、先生は、センスない。

 ……なんちゃって。

 

 電車に乗って、空港へ行く。

 お姉ちゃん、いるんだろうか。

 もう行っちゃったのかな。

 もしかしたら、他の空港だったかも。

 別の日だったかもしれない。

 

 そんな風に不安に思っていれば、人の波の向こう、みんなの待つ近くの柱に、いた。お姉ちゃんと、高畑先生。二人とも、スーツ姿だ。

 

「…………」

 

 私達に気付いていたのか、お姉ちゃんはちらりと私を見ると、控え目に手を振ってくれた。

 まだちょっと顔を見るのは気まずいけれど、それはきっと向こうも同じなので、我慢。

 手を振り返せば、ほんの少しだけはにかんだように笑って、すぐに顔を背けた。隣に立つタカハタ先生に何か話しかけられると、じとっと睨みつけて、何かを返す。

 ……なんだか、親しげ。

 というか、お姉ちゃん、高畑先生と並ぶと、ちょっと小さい。

 それに、あんな格好で髪を縛ってたら、男の人みたいだよ。

 

「ふふ……深月ちゃん」

 

このかがくすくすと笑った。 ずーっとお姉ちゃんの方を見ていたせいか、先生もアスナも私の視線を辿って、小さく笑って私に言う。

 

「行っといで」

「飛行機に乗るまで、まだ時間がありますから」

 

 このかを見上げれば、彼女もうんと頷く。

 そういう風に背中を押されては、いかない訳にはいかないだろう。

 改めて近くに行くのは、勇気がいるけど……その勇気は、このかや先生やアスナがくれるから、問題ない。

 

「じゃあ……行って来るね?」

「うん、行ってらっしゃい」

 

 遠くへ行く訳でもないのに、そんな風に挨拶をしてしまった私に、このかはまた笑って、悪戯っぽく、でもちゃんと挨拶を返してくれた。

 えへへ。なんか、ちょっとだけ、恥ずかしい。

 髪に指を絡めてくりくりやりつつ、数歩、下がって、危ないよ、とやんわり注意されてしまった。

 うん、前方不注意はいけない。

 今度は気を付けて、前を向いて歩く。

 柱の方へ、人にぶつからないように。

 クールな表情で立っていたお姉ちゃんは、私が向かっている事に気付くと、うっとしたような、なんだかおかしな表情をして、妙にそわそわしだした。

 ……そんな風にされると、私の心も浮ついてしまう。

 うう、ぞわぞわ……。

 でも、今を逃せばしばらく会えなくなっちゃうんだから、お姉ちゃんにも挨拶しなくっちゃ。

 

 よしっ、と気合いを入れて、歩き出す。

 小さな一歩。大きな一歩。

 それは、やっぱり、勇気のいる事だけど。

 一歩を踏み出す勇気は、友達を信じる心があれば、簡単に手に入るものなんだって、知ってるから。

 だから、一歩。私は踏み出す。

 今も、きっと、明日も、明後日も。

 私がほんとの私である以上、それから、みんながいてくれるなら、ずっとずっと歩き続けていく。

 そういう毎日が、私は楽しみだ。

 だって、ずっと続くんだもん。

 それって、すっごく幸せだ。

 今、私、幸せなんだ。

 それも、ずっと。

 ずーっと幸せ。

 

 ……不幸がきても、叩き斬ってやるから、問題なし。

 だから、うん。

 ……えーと。

 ……おしまい。

 考えるの、おしまいにしよう。

 ちょっとどきどきが大きくなってきた。

 これ以上考えてると、頭が変になっちゃいそう。

 なので、おしまい。

 おしまいったらおしまい。

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