「で、何でそうなった」
「今度近くに皆で遊びに行くから、その帰りにお伺いしようかな〜と。ダメですか?」
芺は基本的に他人の容姿についてとやかく思うタイプではないが、異性相手にはある程度意識をしてしまうものである。決して心象等にマイナスに働く事はなく、プラスにのみではあるのだが……それも男子高校生としては正常な反応とも言えるだろう。
そして現在。芺は年下の(一応)美少女に満面の笑みでねだられてしまっては彼女の申し出を蹴る事は出来なかった。
「……分かった。家の方には伝えておこう」
「やりぃ!」
そう言ってエリカは後ろの同級生達にVサインを送る。帰り際に芺の話をしていた所、丁度風紀委員として巡回中の芺と出会したのだ。
「じゃあ今度の土曜日に先輩の家にお邪魔するんで、お願いしまーす」
エリカは笑顔でそう告げる。他の面々は頭を下げる者もいれば、エリカの強引な手口に申し訳なさを浮かべている者もいた。
この話の発端は達也達が今度の土曜日に皆で出かける約束をした所、エリカがその目的地の帰りに芺の家──新陰流道場、柳生の本家があるという事をポツリと呟いたのだ。そろそろ久しぶりに挨拶に出向こうと思っていたエリカは丁度いいからと皆で柳生家に遊びに行かないかと提案を持ちかけたのだった。
「そうだ。どうせなら剣術勝負しましょうよ。最近やってなかったし」
その誘いに芺はニコリと笑う。いや、不敵な笑みと言うべきか。
「いいだろう。多少は強くなったんだろうな」
「やってみれば分かりますよ」
「ほう、期待しておく。来るのはエリカだけか?」
実は達也はこのお家訪問に余り乗り気ではなかった。深雪が行くと言ったから仕方なく着いていくだけだったのだが、エリカ対芺の対戦カードには少々興味を惹かれたのか“まぁたまには息抜きも必要か”と乗り気の姿勢を見せた。
「達也君が来るとは……その、意外だな」
失礼とも思える発言と共に何とも言えない表情する芺に達也達は特に意に介する様子も無く答える。
「深雪が行きたそうにしていましたから」
「まぁ。エリカと芺先輩が戦うと聞いて興味深そうな顔をされたのはどちら様でしょう」
達也は負けたと言わんばかりに反抗の意を示さなかった。彼のほんの少しの表情の機敏を察知するのは深雪にしか出来ない芸当だ。
そうすると本来興味の無いはずのほのかも少し気になる様子を見せる。もちろん、休日に達也と少しでも長く共に居たいという下心からなのだが、それを察した雫は
「私も良い機会だし芺さんのお母様にご挨拶しようかな」
「し、雫が行くなら私も行くからね!」
ご挨拶、というと捉え方によっては別の意味に聞こえるかもしれないが、今回はそのままの意味である。後はレオと幹比古という男子勢と美月だが……
「僕も行くよ。柳生家の皆さんにはご縁があるし、皆が行くならいかない理由もない」
「私も……皆が行くならお邪魔させてもらおうかな……」
「ま、俺もどうせ暇だし着いていくかー。先輩の戦いぶりも気になるしな」
レオが使うガントレット型の音声認識CADと芺の使う篭手型の完全思考操作CADは制作元を同じくする代物である。奇妙な縁だとレオは思いながらも、芺には助けられた過去もある事から好印象を持っていた。心中ではエリカが敗北する姿を見てやろうと思ったり思わなかったりしていたのだが、それを口に出す程レオも馬鹿ではない。
「決まりねー。この人数でお邪魔するんで、改めてよろしくお願いしますね」
───
「予定よりちょっと早く着いちゃったわね」
「ここが芺先輩の……柳生の本家ですか」
「ああ、大きいな」
深雪が驚くのも無理は無い。実は大きさは深雪が見慣れない程でもないのだが、街中にどでかい和風の屋敷があるから余計に大きく錯覚したのだった。
そんな話をしている内に門の前に到着する。そこには二名の警備員が門番として立っていたのだが、エリカ達の顔を見るとすぐに“話は伺っている”と通してくれた。
中に入るとそこにはいわゆる日本庭園が広がっていた。そしてそこには一人の男性が庭の世話をしており、エリカご一行の来訪に気付くと庭の世話の手を一旦止めて彼女等の前に走ってきた。どうやら案内を務めてくれるらしい。
「竜胆さん、ご無沙汰しております」
エリカが珍し……余り見せない育ちの良さを感じさせる立ち振る舞いを見せる。
「これはこれは千葉のご令嬢。こちらこそご無沙汰しております」
竜胆が頭を下げると達也達も同様に頭を下げる。彼らもほとんどが名家の生まれのためこういった動作には不自然さが無かった。
「エリカ、こちらのお方は……」
「ご紹介が遅れました。柳生家に仕えております、竜胆と申します。使用人のようなものですので、今日はご要望があれば何なりとお申し付け下さい」
「ご丁寧にありがとうございます。司波深雪と申します。以後、お見知り置きを」
深雪の自己紹介を皮切りに皆が挨拶を始める。これは達也のみ知り得た事だが、彼は一目見て……と言っても体つきからただの使用人では無いことを察した。仕えていると言うからには新陰流も修めているのかもしれない、と。彼は相応の実力者が放つ制御された気配というものを隠し持っていた。
一通りの初交流を終えた彼らは竜胆に連れられて屋敷の中に入る。
中に入るとそこそこの人数の使用人らしき者達が見えた。男女関わらず皆が動きやすそうな着物を着用しており、達也達を見ると皆会釈で返してくれた。古くから続く名家という事でもっと厳格な雰囲気かと勝手に想像していた一行だったが、どうやらそうでも無いらしい。
竜胆の先導で応接間に通されたエリカ達は急に現れた洋風な部屋にいくらかちぐはぐさを覚えた。応接間には一人女性の使用人らしき人がおり、竜胆と一言二言交わしていた。するとすぐに現当主の妻である柳生
「まぁ!もう来てくれたのね、嬉しいわ。エリカちゃん、雫ちゃん、幹比古君も久しぶりね」
芺の母親ともなれば四十に近い年齢のはずだが、それを感じさせない若々しさを見せる茅に皆が目を奪われる。あの四葉真夜も同じく年齢を感じさせない風貌だが、彼女は可愛い……と言うより美しいといった風であり、茅はどちらかと言うと幼さというか可愛らしさを残していた。
そして本来なら茅ではなく使用人が飲み物を運ぶべきなのだろうが、久しぶりの来訪者……それも息子の知り合いということで自分が用意すると張り切っていたのだ。茅はその体勢のまま言葉を続ける。
「あ、ごめんなさい。自己紹介がまだだったわね。柳生家現当主鉄仙の妻、柳生
味方によってはまるで二十代後半にも見えかねない美貌を持つ茅に幹比古やレオは少々赤面しているように見えたが、それを押し殺して挨拶を始める。
そして……
「第一高校では芺先輩にお世話になっております。一年生の司波深雪と申します。よろしくお願いします」
「まぁ……まるでお人形さんみた……」
一人一人の挨拶を正面から見て応対していた茅は、深雪がそこまで言ったところで持っていたお盆を落とした。彼女は瞠目し、明らかに動揺しているように見えた。
「茅様!」
竜胆が走り寄る。陶器だったために割れた破片が散らばってしまったが、竜胆が素早く魔法でかき集める。達也は皆が驚く中、その手際にそこまでの魔法力を感じなかったが、技量だけに絞ればかなりのものだという印象を一人受けていた。
「ご、ごめんなさい……あんまり深雪さんが綺麗だったものだから、驚いちゃったわ」
「これが、正しい反応かもね」
雫の一言で空気が少し緩む。深雪の美貌は男女関わらず全ての人間が目を奪われるレベルだが、校内ではこんな反応を見ることも無く久しぶりだったのだ。竜胆が換えの飲み物を取って来る間に皆が席に着く。
「さっきは取り乱しちゃってごめんなさいね。まさか芺君のお友達にこんなに可愛い子がいっぱい居るとは思わなかったわ。そうだ、芺君を呼ばないと」
返答しにくい言葉をかけてしまったと察した茅は話題を変える。
「彩芽ちゃーん!芺君を呼んできてくださる?」
「はっ。直ぐに」
茅に声を掛けられた使用人らしき女性、彩芽が抜群の身のこなしで部屋を出る。その勢いには少々驚かされたが、それを口に出すような無粋さを彼らは持ち合わせていなかった。彩芽が芺を呼びに行った後、達也達が当たり障りのない雑談をしていると、コンコンと扉がノックされる。
「どうぞ」
「失礼します。すまんな、客人を迎えにさえ行けんとは」
「いえ、自分達が早く着きすぎたものですから」
そう申し訳なさそうに現れた芺は道着のままであり、どうやらついさっきまで稽古をしていたようだ。着席した芺は竜胆に冷たい茶を淹れてもらい、口を開く。
「今日はよく来てくれた。あまり寛げないかもしれないが、ゆっくりして行ってくれ」
「あ、そうだ!実は夕飯もご用意させてもらっているのだけど……どうかしら」
その言葉にエリカとレオが一番に喜びを示し、続いて雫やほのか、幹比古に美月が礼を述べる。そして深雪は達也に選択を任せるように彼の顔を覗き込んだ。
「せっかくだから今日はご馳走になっていこうか」
「はい……!」
───
“じゃ、また後でね”と満面の笑みで言い残した茅は跳ねるように台所に消えていった。
「元気な方だな」
「ふふ、そうですね」
「少しは淑女らしさというものを持ってもらいたいものだ」
芺は恥ずかしそうに苦言を呈す。目の前に弱冠十六歳にして淑女らしさを漂わせる深雪がいるのだから尚更だろう。
「では、夕食の準備が完了するまで自由にお過ごしください。若、特別に稽古場にも入っていいと許可をいただいております」
「分かった。ありがとう」
そうして芺を含めた達也達一行は綺麗に掃除された廊下を通って稽古場へ向かった。
目的地に着くや否や皆が思わず声を上げる。ついさっきまで稽古が行われていたのかまだ何人かの門下生と思しき人達が、表面に赤漆を塗り鍔が無い独特な竹刀……袋竹刀を振るっていた。
芺の来訪に気付くと皆が一斉に腰を曲げる。芺は“続けてくれ”とだけ発すると皆は稽古を再開した。
「ここが我ら柳生新陰流の道場だ。ここはその一つではあるが、中々に大きいだろう」
「ま、ウチもこんなもんですけど」
と張り合うように悪い笑みを浮かべながらエリカは言う。それを見た休憩中の門下生から千葉のご息女だ……といった声が聞こえたが、エリカに意に介す様子は無い。
『千葉』と『柳生』。どちらも魔法剣を駆使する一家だが、千葉は元より剣術を。柳生は新陰流を古式魔法として剣術に落とし込んだ点で相違点がある。そのため現代魔法を使う千葉流剣術の方が門下生は多く、警察内にもその数は多い。と言っても新陰流の一派も警察内に少なからず存在し、たまに千葉家の職権濫用に目を瞑るのを余儀なくされることもある。
「じゃあ、芺さん。早速やりましょうか。皆を待たせるのも忍びないですし」
「分かった。女性用の更衣室はそこにあるから使ってくれ。竹刀はこちらで用意しておこう」
柳生新陰流が使用する竹刀は一般の竹刀とは別物なのだが、この道場にはいくつか通常の竹刀も用意されていた。
そんな中稽古場に残っていた門下生達は柳生家次期当主である芺と千葉の娘が剣を合わせる事実にそわそわしていた。達也もよくよく考えてみれば芺が剣士と戦う場面を見るのは初である。剣術を修める者がいつ全力を発揮できるのか……それはもちろん剣術勝負をする時である。
道場の端っこで邪魔にならないように着席した達也達はエリカの登場を待っていた。門下生も後学のために……はたまた興味だけか……それは定かではないが続々と練習を中断し端に避けて行った。
すると、ここに通じる廊下からドタドタと走る音が聞こえたと思うと勢いよく扉が開かれる。そこには誰かの面影ある中学生位の男の子が立っていた。
「紫苑。廊下は走るな、危ないだろう」
「ご、ごめんなさい……兄さんが誰かと勝負するって聞いたから、つい」
端正な面立ちだがまだ幼なさが残る黒髪の少年は恥ずかしそうに俯く。彼は柳生 紫苑。芺の実の弟だった。彼は剣道に天賦の才を発揮し、幼少期から同年代とは大きな差を見せつけてきた。魔法に秀でる芺とは正反対だったが、お互いに高め合い足りない所を補う理想の兄弟像だった。
紫苑は見覚えのある……兄と同じ制服を纏った人がいるのを見つけると少しぎこちなさを見せながらも丁寧に頭を下げる。
「は、初めまして!柳生家の次男、柳生 紫苑です!よろしくお願いします!」
そう緊張しつつも元気に挨拶する紫苑を微笑ましく思ったのか皆も快く返答する。特に深雪を視界に入れた瞬間顔が真っ赤に上気したが、何とか平静を保って……はいられず、丁度エリカが帰ってきた所で何とか持ち直した。
「あれー?紫苑君だったよね、久しぶり」
「千葉エリカ様!ご無沙汰しています!」
(((……様って何だ?)))
何人かが心の中で同様のツッコミを入れる。
「じゃ、芺さん。準備はいいですか」
「ああ。紫苑、開始の合図を頼めるか」
「分かりました」
道着を纏った二人の剣士が相対する。普段制服しか見かけない二人の道着姿は些か新鮮だった。息苦しいと錯覚するほど空気が張り詰める。芺はあまり使ったことのない普通の竹刀だったが、そんな事をハンデとも思ってはないし、何かの言い訳に使う気も毛頭無かった。
「……では、はじめ!」
合図の瞬間エリカは『自己加速術式』を展開し突撃する。目にも止まらぬ速さだったが、芺は難なくそれをいなす。そのお互いの動作には一分の無駄もなかった。
ニヤリと笑ったエリカが連続で仕掛ける。彼女は『自己加速術式』で相手の裏を取るように移動しながら打ち込みを続ける……が、その全てを芺は余裕を持って対応し切った。目にも止まらぬ応酬に門下生やレオ達から思わず声が漏れる。
「芺さん」
一度距離を取ったエリカがおもむろに口を開く。
「なんだ?」
「……ちゃんと攻めてもらっていいですか」
エリカは心底面白くなさそうに語る。それも仕方の無いことだった。剣の打ち合いにおいて芺が防御に徹した場合、その様はまさに城と称される程の防御力なのだ。それも彼が修める新陰流に起因しているのだが、それを知っているエリカは“防御に徹しているだけじゃこっちは面白くない”と言ったのだ。
「分かった。来い」
芺はそう言って構え直す。素人目には先程とはさほど変わらない構えを取る芺のその姿、雰囲気に満足がいったのかエリカも再度、構えを取った。
「結局あれじゃまた芺さんは防御に徹する気じゃないのか」
「違います!新陰流は数々の構えを相手によって使い分けるのです!ですからあれは単なる待ちではなくてですね……」
レオの言葉を拡大解釈したのか、いきなり力説し始めた紫苑は急に恥ずかしさを覚えて前のめりになった姿勢を正す。
「すみません……でも、兄さんの、新陰流の真骨頂はここからですよ」
紫苑の言葉を聞いていたのかは定かではないが、丁度言い終わるタイミングでエリカが再度攻勢に出る。
芺はその場で不動の姿勢を取り、竹刀を構えていた。そして振り下ろされた刃に自分の竹刀を合わせたかと思うと、エリカの撃ち下ろした刃は難なく弾かれ無防備な腹を晒す。
ただの使い手なら横薙にされるところだが、芺にその気が無かった事、そしてエリカの速さは目を見張るレベルだったために空振りに終わった。
今のは愚直に正面から攻めてきた事への警告である。新陰流は正面の剣の打ち合いにおいて理論上、敗北する事がない。それこそが『必勝』と呼ばれる型の所以なのかもしれない。
「活人剣……」
エリカがぼそっと呟く。今の一瞬、本来ならば斬られていた事を理解する実力が彼女にはあった。自らの思考を落ち着かせる為にもわざわざ声を出したのであろう。
新陰流を修める彼らの剣は敵をすくませて力づくで斬り殺す『殺人刀』ではなく、敵の動かし、その動きに随って無理なく勝つ『活人剣』なのである。
「どうした、もう終わりか」
「……まさか!」
エリカは再度攻め立てる。次はもちろん正面からではなくフェイントを折り込んだ動きだった。達也の知る限り、エリカは最速の魔法師である。一つ断わっておくと、速さだけなら彼女よりスピードを出せる人間は存在する。十文字や七草、柳にだって可能だろう。しかし彼らがエリカ以上のスピードを出すと、肉体を制御しきれず非常に雑な動きになるか、戦闘中に致命的な隙を晒す事になる。芺でさえも『縮地』の連続使用をしている姿は見たことが無い。『自己加速術式』の連続使用を可能にしているのはエリカに授けられた天賦の才能のなせる技なのである。
しかし、その認識を改める必要があるのかもしれない、と達也は考えた。
今目の前では完全に裏を取って斬り込んで来たエリカの竹刀を半身で交わし小手を斬る芺の姿があったのだ。
彼の弟である紫苑は驚きもせずただ目を輝かせているのだからそう珍しい光景ではないのだろう。
「くうう……やられちゃったか」
「まぁ俺が言えた口ではないかもしれんが……確かに速く、鋭くなっている。前とは見違える程にな」
「ホント!?」
先程の勝負で完全に見切られていたのにも関わらず芺に褒められた事にとても嬉々とした表情で尋ねるその様子は、エリカが本当に剣術が好きなのだと思わせるのに十分だった。
「エリカったら、あんなに嬉しそうにして」
「芺先輩にあそこまで褒められたのならそれも分かるさ。とても見応えのある試合だった」
この試合は達也にとっても有意義な時間だった。昔から何かと意識しがちな存在である芺の実力の一端を見る事が出来たのは彼としてもありがたかったのだ。
「ねー芺さん!まだ時間ありますよね、もう一本!」
「望むところだ、かかってこい」
再度、二名の剣士は相対する。あまり感情を見せない芺が見るからに楽しそうにしている姿はとても新鮮だった。達也は薄々気付いていたが、芺はどうやら自分の力を振るう事も好きらしい。風紀委員会の先輩は血の気が多いな、と達也は沢木や引退した摩利の事を思い浮かべていた。
気配が凍りつく。二人の眼が、獲物を狩る剣士の眼に変わる。二人の醸し出す雰囲気は対極にあった。凄みのある剣圧で襲い掛かるエリカに対し、芺は逆に全く気配が読めないのだ。恐ろしい圧こそ無いものの、どこか末恐ろしさを感じる。そういった所はどこか達也と芺は似ているな、と美月は感じていた。
エリカが踏み込み、芺がいなす。エリカが肉薄し、芺が弾く。エリカが攻めあぐねていると、芺が流れるように接近し剣を振るう。
「新陰流は相手の動きに対して瞬時に有効打を叩き込みます。ですから、負けないんですよ」
紫苑のその言葉には全く淀みがなかった。自らが修める流派の強みを知っているからであろう。
「でもよ、相手が突っ込んでこなかったらどうすんだ?」
「新陰流には相手が動かない場合、それを相手の型として見なして対応する技もあります」
「なるほどなぁ……よく考えられてるぜ」
レオと紫苑が話している間にも二人の激しい攻防……といっても、血湧き肉躍る力と力の殴り合いといったものではなく、純粋な技と技のぶつかり合い。静かな稽古場に鳴り響くのは二人の足音と竹刀と竹刀が合わさった音だけだった。
エリカが剣を振るう。それに対し芺は上段に構えた。その瞬間、芺の四肢に魔法式が現れる。彼は右足で大きく踏み込み、敵の刀を打ち据える様に振り抜く。そして間合いを詰めた後エリカの刀を避けるように下段から鳩尾にかけてを切り裂いた。
しかし、エリカは既のところで自己加速術式で後ろに回避する。芺は一瞬眉を上げたが、すぐに不敵な笑みを浮かべた。
(兄さんの『村雲』を避けるなんて……エリカ様も凄い)
紫苑は兄の本気をギリギリとは言え避け切ったエリカを賞賛していた。あのバックステップでは実戦では隙が多すぎるものの、芺の一撃を避けた事の方が彼にとっては大きな出来事だった。
「今のは……」
「あれは『型』で結印を代行させて発動する魔法だな。発動した魔法は恐らく身体を移動魔法で制御して規定の動作を行う類のものだろう」
「えっ……」
紫苑は深雪の疑問に対して完璧に分析してみせた達也の碧眼に思わず声を漏らした。
「達也!他家の秘伝を勝手に分析しちゃダメだよ!」
「す、すまない……つい、な」
「驚きました……まさか、見ただけで」
由緒正しい古式魔法を使用する幹比古が達也を糾弾する。確かに今の行為はマナー違反とも取れる行動のため、達也も歯切れが悪かった。紫苑も紫苑で驚きで言葉が足りていない。
そんな事は露知らず、芺とエリカは斬り合う。下段に構え直した芺にエリカは一文字に竹刀を振り下ろした。大振りと判断した芺は半身で避ける。しかし芺は咄嗟の判断で一文字に振り下ろしたはずの竹刀の斬り返しに防御態勢を取った。その判断は正しく、空振って床に衝突したエリカの竹刀は跳ね返るように斬り上げられ、芺の首元を襲った。芺は咄嗟に篭手で防ぐが耐え切れず身体が横に飛ぶ。姿勢が崩れた芺にエリカは再度、剣を振るった。
しかしその剣は芺に届くことは無かった。エリカの竹刀は芺の手に掴み取られていたのだ。
エリカは不服そうな顔をしてグッと押し込もうとするが、ビクともしない。そして更に力を込めたところ、竹刀は耐えきれなくなったのかポッキリと折れてしまった。
「……ずる」
「何がだ」
「真剣だったら剣を掴み取ったり出来ないじゃないですか」
「生憎これは竹刀での勝負だ。それにその気になれば真剣だろうと掴み取れる」
「詭弁です!」
「詭弁だろうがなんだろうが得物を失ったエリカの負けだ」
「もー!なんでよー!」
「得物を壊すような技を使ったお前が悪い」
実はエリカの竹刀が壊れた理由はエリカ自身にある。いくら硬化魔法をかけたとはいえ、『山津波』のもたらす威力にただの竹刀では耐えきれなかったのだ。
「だが、俺も竹刀でなら『山津波』は使ってこないだろうと高を括っていた。あれがもし真剣勝負なら……俺が斬られていた可能性は大いにある」
「……ふーんだ。言われなくてもわかってますよーだ」
その言葉とは裏腹にエリカの顔は綻んでいた。やはり褒められるのは嬉しいようだ。二人が先程の攻防について意見を交換し始めた頃に、竜胆が稽古場に現れた。どうやら夕飯の時間らしい。
「分かりました。シャワーを浴びてくるので竜胆さんは皆を連れて行ってもらえると助かります。……彩芽」
「はっ」
「エリカにもシャワーを浴びさせてあげて欲しい」
「了解しました。ご息女様、どうぞこちらへ」
芺は竜胆と一緒に稽古場に姿を見せた彩芽にエリカを任せる。エリカと彩芽は軽く言葉を交わしながらシャワー室に向かっていった。もちろんこの稽古場にもシャワー室はあるのだが、どうしても男女比の問題から男性専用になりがちである。それもあって女性は隣の稽古場のシャワー室を使うのが暗黙の了解のようになっていた。
芺は竹刀を片付け、残っていた門下生に一言二言の言葉をかけてからシャワー室に向かう。どうやら一室だけ使用中だったが他は全部空いているようなので、適当な部屋に入りスイッチを入れる。今はボタン一つでシャンプーから何までほぼ全自動だ。自分はそれに合わせて部位を洗うだけでいい。夕飯前ということで素早くシャワーを済ませた芺は下着とズボンだけを履いて髪をタオルで拭きながら外に出た。
そして彼はその行いを深く後悔することになった。──目と目が合う。
「……」
「……どうしたんですか、芺さん。へー、先輩って細く見えますけど結構鍛えてるんですね」
シャワーを浴びたてなのだろう。まだ肌を紅くさせながら髪の毛をタオルで拭く
芺も人並みには鍛えている。というか沢木の筋トレにたまに付き合わされる事もあり人前に出ても恥ずかしくない程度といったところだ。しかし問題はそこではない。
「……なんでお前がここにいるんだ」
「え、だってここシャワー室」
「彩芽の奴……」
どうやら彩芽がこちらに案内したらしい。天然なのかわざとなのか定かではないが、どちらにしてもいい迷惑である。後者なら覚えていろ。
それに向こうがこの事態を何一つおかしく思っていない事にも疑問を覚えるが、エリカが意識していないためにこちらとしてもそう振る舞うしかなかった。
「あ、そういえば」
エリカがそう言って後ろを向く。芺は反射的に顔を背けてしまった。
「……着てますって」
エリカは口を尖らせる。エリカの長髪とタオルのせいで確信が持てなかった芺は反射的に動いてしまったことにどんなからかわれ方をするか恐怖したが、如何せんその類の言葉は飛んでこなかった。
「悪い。髪を乾かしたら行こうか。待たせているかもしれない」
「うん」
二人は無言のまま髪を乾かす。水分を飛ばす魔法を使えるのならドライヤーいらずなのだろうか等とボーッと考えているうちに二人ともほぼ同じタイミングでドライヤーを置いた。エリカの方が早くシャワーを終えたために髪の短い芺とそこまで変わらない時間で乾かし終えたようだ。エリカの方を見ると何か言いたげな様子だった。
「……どうかしたか」
「別に。行きましょ」
エリカはスタスタとシャワー室を後にする。芺も後を追い、先程から言っておくべきか迷っていた事を口に出した。
「一応言っておくが、あまり他の男の前であんな事はするなよ」
「えっ……それはどういう」
「何されるか分からないだろう。アイツらも高校生だぞ」
「わ、分かってますよ!」
エリカは芺に蹴りを入れる。もっとも、回避が必要なレベルの威力でもなかったのでそのまま受けたが、エリカがこんな風にじゃれるのは珍しかった。芺が“そう言えば摩利さんはよくこんな事をしていたな”と思い出したように言うと、エリカはもう一度蹴りを入れた。次は痛かった。
───
豪華な夕飯を終えて達也達は帰路に着く。茅と芺と竜胆に送られて彼らは門に向かっていた。
「随分と遅くなってしまいましたね」
「うぅ……ごめんなさいね……」
実は帰宅予定時間より一時間弱程の遅れが生じていた。その理由は夕食の席で茅のお喋りが止まらなかった事に起因する。その内容はほとんどが芺の自慢話であり、当の芺はとても居心地が悪そうだった。エリカのちょっかいがありがたかったというのは本人の弁だ。
「そうそう、こんな遅い時間に女の子を一人でお返しするのは忍びないから、家から護衛を付けるわ」
「いえ、ご心配には及びません。自分がこちらの二名を送り届けますので」
達也はそう言ってほのかと雫の方を見やる。ほのかは分かりやすく頬を紅潮させた。
「でも、あとのお二人さんは……」
「大丈夫ですよ。幹比古、美月を送って行ってやってくれないか。レオはエリカを」
「えぇっ!ぼ、僕はいいけど……」
「私も大丈夫ですよ。吉田君、お願いします」
その光景を見てほのかとエリカを初めとする女性陣がニタリと笑う。芺も“ほう……”といった様子だ。しかし
「せっかく芺さんと手合わせ出来て美味しいご飯も食べてさぁ帰ろー!ってのに最後がコイツとなんて」
「あぁ?ならこっちだって願い下げだぜ。お前程護衛のいらねぇ女ってのもいないだろ。俺だってこの後やりてえ事もあるしな」
いつものが始まったという顔をする一年生達。芺は何故か先程と同じ顔をしている。
オロオロしている茅を見て達也が仕方なく思ったのか口を挟む。
「ならエリカはレオが護衛では嫌だと?」
「い、嫌ってわけじゃないけど」
「そしてレオもこの後用事があるんだな?」
「まぁ野暮用みたいなもんだけど」
「分かった。ならエリカ、柳生家の皆さんのご好意に甘えたらどうだ?」
その言葉を聞いてまごついていた茅が手を合わせる。
「確かに!まぁお二人共ご事情はあるみたいだから、芺君、エリカちゃんを送って行ってあげなさい?」
「は、はぁ……俺は構いませんが」
「エリカもそれなら文句は無いな?」
「そ、そりゃあ、芺さんなら本職だし?いいんじゃない」
「との事ですので、芺先輩。お願い出来ますか」
「……分かった。コミューターの空きが少ないな」
コミューターの空きがなくなるのは珍しい事でもないが、このタイミングではここに二車呼ぶのが限界だった。芺が端末とにらめっこしていると
「そう言えば芺君、バイク乗れるわよね?」
「ええ、まぁ」
芺が所持している免許は自動二輪と特殊二輪のみだ。自動二輪はもちろんバイクに乗るためだが、なぜ特殊二輪も持っているかと言うと、免許を取る際に手続きを竜胆に任せたところ、何故か特殊二輪の試験を受けさせられたのだ。本人曰く“どうせなら沢山乗れる方がよろしいかと思いまして……まさか水上バイクのみとは……申し訳ありません”との事だ。
その後はせっかくだからという理由で水上バイクの免許も取得し、程なくして自動二輪の免許も取得した。
「エリカちゃん、バイクでいいならすぐにでもお送り出来るけど……」
「あ、私は全然それでもいいですよ」
「ごめんねぇ。ということで芺君、あんまり帰りが遅くなっても千葉家の皆さんがご心配されるだろうから、バイクで送ってあげてね」
「……分かりました。鍵を取ってきます」
そう言って芺は小走りで玄関に向かっていった。達也の横を通り過ぎる際に何か言いたげな目線を向けていたが、達也は笑ってそれを無視した。彼は二人分の上着を持ってすぐに戻ってきた。
「エリカは門で待っててくれ、すぐにバイクを回す」
「はーい。じゃあ皆とはここでお別れかな、バイバイ」
「今日は来てくれて本当にありがとう。楽しかったわ。またいつでも来てちょうだいねー!」
茅の元気な別れの挨拶に皆が返す。そしてエリカを除いた一年生一行は彼女に聞こえないように少々下世話な会話をしながら各自家路に戻って行った。
エリカが門で待っていると、エンジン音が直ぐに聞こえてきた。すぐ前に付けた芺がエリカにヘルメットと上着を手渡す。彼女はそれを受け取ると芺の後ろにちょこんと座り、彼の腰に手を回した。
「……ちゃんと捕まっておけよ」
芺は妙な気恥しさを覚えながらも機体を発進させた。乗る事は余りないが随分と綺麗に整備されているように感じる。確か門下生の一人にバイク好きがいた事を思いながら芺はバイクを走らせていた。信号待ちの時に一言二言程度言葉を交わしながら芺とエリカは夜の街を走り去っていく。
柳生家と千葉家はそこまで離れているわけでもないため、体感的にはすぐに着いたと言っても過言ではないだろう。芺は千葉家の門の前でバイクを止め、ヘルメットを脱いだ。
「着いたぞ?」
着いたことに気づいていなかったのかバイクを走らせている時の体勢のままだったエリカに声をかける。エリカが降りたタイミングで芺も降り、一応入口までは送って行くことにした。遅くなったのはこちらの責任なので謝罪の意味も込めている。門付近まで行くと何度か顔を見た事のあるような男が立っていた。恐らくいわゆる『エリカ親衛隊』の一人だった気がする。
「お嬢様!ようやくお帰りになられましたか……して、もしや貴方様は」
「すみません。遅くなってしまったのはこちらの責任です。どうか彼女を叱らないであげてください」
「い、いえ!事情はお聞きしておりましたので!次期当主殿もわざわざご足労頂いてしまい申し訳ありません」
「千葉のご令嬢に何かあっては私も困りますから。では、確かに」
「はいっ!」
他家の次期当主に対して警察仕込みの敬礼をビシッと決める親衛隊の一人。かなりエリカに
「じゃあエリカ、またな」
「はい。おやすみなさい、芺さん。また手合わせして下さいね」
「もちろんだ」
芺はそう言い残してすぐに見えなくなってしまった。程なくしてバイクの発進音が聞こえる。
芺を見送ったエリカはどこか弾むような調子で家に戻った。
「おぉ?エリカ、夜遊びかぁ?」
家に帰ったエリカに真っ先に声をかけたのは兄の寿和だった。エリカは彼を疎んでいるが。寿和は何かと気にかけていた。どちらかというとちょっかいをかけてばっかりだったが。寿和も棘のある言葉が帰ってくる事を分かって遊んでいるのである。
「そうよ。悪い?」
「……え」
言葉自体は無愛想だが、今のエリカは普段とは違い、寿和を鼻で笑ってそのまま鼻歌を歌いながら部屋に戻って行った。本来なら罵詈雑言の一つや二つくらいは飛んできそうだったために寿和は拍子抜けしていた。
「明日は槍でも降るのかねぇ……」
そう呟いて寿和も赤い髪の頭をポリポリかきながら自室に戻って行った。
ご無沙汰してしまいました。伊調です。幕間を急に増やしてしまって申し訳ありません。筆が乗ってしまってこのまま供養するには惜しかったもので、完全にこちらの趣味全開の勝手なものてす。御容赦を……
次は本編を更新しますので、ご安心ください。それでは