芺はその後、自らの足で迎えのヘリに乗った。半ば呆然としていたが、足取りは確かだった。ヘリに乗った芺は摩利の支えを遠慮し、席についてシートベルトを締める。閑散とした機内で摩利がもっぱらの疑問をぶつけた。
「司波、さっきの達也君の魔法は何だ。治癒魔法なのか?」
「いえ、先程のお兄様の魔法は治癒魔法ではありません。魔法の固有名称は『再成』。損傷の受ける前のエイドスを最大で二十四時間遡ってフルコピーし、魔法式として現在のエイドスに上書きすることで、損傷を受ける前の状態に修復します」
深雪の信じ難い言葉に幹比古が質問を投げかける。
「じゃあ達也は、どんな傷でも一度で治せてしまうという事ですか?」
「一度で、ではありませんよ吉田君。一瞬でです。それに対象は生物に限りません、機械だろうと人体だろうとお兄様は一瞬で復元してしまうことが可能です。この魔法のせいでお兄様は他の魔法を満足に使うことが出来ません。魔法演算領域をこの神の如き魔法に占有されているため、ほかの魔法を使う余裕が無いのです」
「確かにそんな高度な魔法が待機していれば、他の魔法が阻害されるのも無理はない」
「だから達也君はあんなにアンバランスなのね」
「でもさ、それって凄いことじゃない?二十四時間以内ならどんな傷でも無かったことになるんでしょ?」
「そうだね、その需要は計り知れない。何千、何万といった命を救う事ができる」
「そうよ!それに比べたら他の魔法が使えないなんて些細なことだわ。そんな凄い力をなんで秘密にしてるの?」
千代田は何一つの悪気なくそう問い掛ける。それに対する深雪の答えは冷ややかなものだったが、それも仕方の無いことだった。
「ありとあらゆる傷を一瞬で復元してしまう魔法。そんな魔法が何の代償もなしに使えるとお思いですか?」
芺の身体が震える。彼はずっと深雪の話を聞きながらもずっと俯いていた。
「エイドスの変更履歴を遡ってフルコピーする際には、記録された情報を全て読みとっていく必要があります。それにはもちろん負傷した者が味わった苦痛も含みます」
芺は謝罪を口にしようとした。しかし彼の口からは誰も聞き取れない程度の音量しか出なかった。
「しかもそれが一瞬に凝縮されてやってきます。例えば、今回芺さんが負傷されてからお兄様が魔法を使われるまで約三十秒の時間が経過していました。それに対してお兄様がエイドスの変更履歴を読み出す際にかけられた時間はおよそゼロコンマ五秒。その刹那の間にお兄様の精神は芺さんが受けた痛みのを六十倍にも凝縮して体験されていたのです」
「アレの、六十倍……。本当に、すまない」
芺から悲痛な声が漏れた。その言葉からは後悔と謝罪の意が痛いほど見て取れた。
「芺さんが謝罪する必要はありません。お兄様はそれも覚悟の上で『再成』をお使いになったのですから。ですがお兄様は人の傷を治すために、この様な代償を支払っているのですよ。それでもまだ他人のためにこの力を使うべきと仰るのですか?」
お後半の言葉主に千代田に向けられたものだった。しかし芺も同様に、自分の失態のせいで後輩に途轍もない苦痛を味合わせてしまった事への後悔に襲われていた。
───
「──!?」
「どうしたの、美月」
ヘリコプターの静かな機内で美月が急に外を振り向く。
「今、魔法教会のあるベイヒルズタワーの辺りで野獣の様なオーラが見えたような気がして……」
美月の言葉を聞いて幹比古が遠隔視の魔法で魔法協会支部の広場を確認した。
「……敵襲!!」
───
「アイツは……!」
「あの時の人だね……呂剛虎……逃られちゃったんだ」
「呂剛虎……」
「エリカ、そいつが誰か知ってんのか」
「強敵よ」
「へえ……」
エリカは兄が苦渋を舐めさせられた男の名を聞いて目付きを鋭くする。レオも俄然やる気だった。
「摩利」
「ああ、あの男はは私達で倒す。エリカ、西城、お前達にも手伝ってもらうぞ」
「言われなくても」
摩利が真由美とレオ、エリカを連れて呂剛虎の対処に出向こうとする。しかしそれで彼が黙っているはずがなかった。
「摩利さん、自分も」
「いや、お前はダメだ。ここにいろ」
「何故です!実力不足かも知れませんが、盾くらいにはなります!」
珍しく反発を見せる芺。『再成』された事で傷も疲れもない芺は思わず名乗り出てしまった。周りの人間は何とも殊勝な評価だと思っただろう。
「芺……仲間を守ろうとするのはお前の美点だが、同時に一つ忘れている事がある」
「はい……?」
芺は“何故今そんなことを”といった顔だ。
「よく聞け、芺。お前が周りの人間を大切に思うように、周りの人間もお前の事を大切に思っている。もちろん、お前が死ねば、私も悲しい」
台詞だけで考えれば情熱的に見えるかもしれないが、摩利の顔は真剣で説き伏せるような面持ちだ。そして摩利の言葉の意味がわからないほど、芺は愚かでもなかった。芺は先程の戦闘で致命傷を負い命を落としかけた。否、落とすはずの命を他者の魔法によって『再成』されたのだ。客観的な事実としてはそれまでだが、周りの人間からすればそうもいかない。
先程の戦闘において芺は、少なくとも周りの人間を守るために、自らの身体を疎かにした。周りの人間からしてみれば、親しい人間が目の前で無残に撃ち抜かれた瞬間を見た上に、自らの安全は目の前の友人の犠牲の上に成り立ったということをまざまざと見せつけられたのだ。
芺は、言い返せなかった。
「ですが……」
「私が今言った事をよく考えろ。話はそれからだ。……行くぞ」
摩利はエリカとレオ、真由美に声を掛ける。彼らが去った後も芺は仲間を守りたいという欲求と、そのせいで周囲の人間に多大な迷惑と傷を残した事による板挟みの状態で、何も出来ずに剣を握り締めて立ちすくんでいた。
───
呂剛虎は配下を連れて、自らを先頭に魔法協会へ向かって突き進んでいた。敵の攻撃を全て弾きながら、間合いに入った協会の人間を片っ端から仕留めていく。魔法協会は眼前、といった所で目の前に見知った顔が見えた。鑑別所で自分を仕留めた女の顔だ。
呂剛虎はニヤリと笑う。任務を果たしながらも雪辱を晴らせる良い機会だった。
配下は遮蔽物の後ろからの援護に向かわせ、身一つで協会の人間を蹂躙する。彼は二度も撃退こそされたが、忘れてはいけない。呂剛虎は対人近接戦闘では世界でも十指に入ると噂されている実力者だ。同じく評価されている千葉修次との戦闘でも、千葉修次が捨て身に出なければ呂剛虎に傷を付けることは叶わなかっただろう。千葉修次の実力をよく知る摩利に油断も慢心もなかった。
呂剛虎が迫る。しかしそこに左右から襲いかかる人影があった。
「はあああああーーーっ!」
千葉エリカが自分の身長はあろうかという大太刀を振り下ろす。呂剛虎は突然の奇襲に両腕で防御したが、続いて僅か三日の鍛錬で『薄羽蜻蛉』を会得したレオが斬り掛かった。
「うおおおおおおーーーっ!」
堪らずエリカを弾き、レオの『薄羽蜻蛉』を避ける。続けて呂剛虎は持ち前の素早さでレオが攻撃態勢に入るまでに鋭い蹴りを放った。
しかしその攻撃は真由美の『魔弾の射手』により行動を阻害され、そこにレオの『薄羽蜻蛉』が迫る。
「『
だがレオの卓越した戦闘センスを持ってしても呂剛虎は崩せなかった。レオの刃を地面と身体が平行になるまで反らして避けた『人食い虎』はその起き上がる反動を利用して容赦ない反撃をレオに加える。レオは抵抗出来ずにモロにくらい、血を吐きながら四輪駆動車に叩き付けられた。
「こんのーーっ!!」
エリカが飛び上がり、落下の慣性を乗せた振り下ろしを放つ。大振りと判断して既のところで避けた呂剛虎。しかし振り下ろしたはずの大太刀はまるで慣性を無視して再度下から迫って来た。その首を掻き斬らんとする『山津波』を自らの纏う呪法具と『
しかし彼らの攻勢はまだ終わらない。剛虎が憎き摩利の方を振り向くと、急に意識が揺らぐ。摩利の気流操作による薬品の効果だ。呂剛虎は前のめりに倒れ……ることなく踏みとどまった。胆力だけで薬品を無効化した呂剛虎は摩利に襲いかかる。摩利も三節刀で応戦するが、呂剛虎は三節刀を宙返りをするかのように避け、飛びざまに強烈な蹴りを摩利に加えた。
第一高校でも屈指の近接戦闘魔法師を圧倒した呂剛虎が次に見据えるのは後ろに控える真由美だ。
真由美は怯まずに『魔弾の射手』を放つ。しかし強力な情報強化の鎧『
真由美は七草家の中でも屈指の実力者だ。もしや現段階では七草家では最強の可能性さえある。しかし、相手は『人喰い虎』。近接戦闘を仕掛けるには分が悪い相手だった。
「真由美!逃げろ!」
『魔弾の射手』を弾き返しながら獰猛な獣が一歩を踏み出した。エリカもレオも間に合いそうになかった。真由美は思わず予測される衝撃に目を瞑りながら、せめてもの抵抗で後ろに飛んだ。
そして彼女を凄まじい衝撃波が襲う。しかしそれは、
───
遡ること数十秒──芺は、思考を続けていた。摩利の言い分は正しい。それだけに反論のしようも資格もなく、彼は動けずにいた。自分は先の戦闘で死にかけた命を拾ったという実感のない事実が彼にのしかかる。
自分はどうするべきなのか、芺は思案を続ける。もっと実力があれば良かったのか、もっと魔法力が高ければよかったのか……たらればの後悔が続いた。
そこに彼の眼にも再度野獣のようなオーラが活性化したのが目に見えた。恐らく呂剛虎なのだろう。摩利さん達は勝てるだろうか……無事だといいが……と考えた瞬間、彼は簡単な事に気が付いた。
自分の行動理念は身内を守る、ただそれだけだ。しかしそれで自分が傷付いていてはダメということをやっと理解した。孤高の強さには高くない限界があるのだ。いつか父も言っていた。“独りではやれる事に限度がある”と。
芺は仲間を護るため、再度剣を取った。芺はすぐさまパイロットの元へ向かう。
「すみません、ハッチを開けてください」
「ええ!?ですが……」
「お願いします」
「は、はあ……」
パイロットは芺の圧に押されてハッチを開く。芺は躊躇いなくそこに向かった。
「芺」
「……なんだ」
芺に声をかけたのは桐原だ。ずっとどんよりした雰囲気で誰も喋ることのなかった機内によく通る声が響いた。
「お前に守ってもらった俺が言うのもなんだけどよ……分かってんだろうな」
「当然だ。次こそは……いや、今回は頼れる仲間がいる」
「何だよ俺は頼れなかったってかぁ?」
少し不服そうに冗談半分で食ってかかろうとする桐原を抑えたのは、微笑と共に声をかけた五十里だ。彼は芺の変化に気づいていたのかもしれない。
「渡辺先輩には叱られるかもしれないけど、今はとにかく、気を付けてね」
「……ああ、任せてくれ」
芺は珍しく分かりやすい笑顔を残して飛び降りた。目標は、眼下の呂剛虎だ。
───
呂剛虎は魔法協会を守る生徒を吹き飛ばし、残る一人も仕留めようとしていた。敵の魔法を弾き、一歩、二歩と踏み出す。そして力を込めて踏み出した。その瞬間、彼は自分の情報強化をまるで無視するかのような重力を受ける。そして次の瞬間には
呂剛虎は腕を十字にして『
苦悶の表情を浮かべながらも蹴り上げて距離を離す。そこに立っていたのは先程まで戦闘していた生徒と同じ服装の、日本刀を携えた一人の男だった。
「芺……!お前!」
「後からいくらでも説教は聞きます。今は、目の前の敵を。
摩利は面食らった。意図して発言したかは不明だが、芺のそのセリフは摩利を再起させるのに十分だった。真由美もCADを構える。
「気をつけて。呂剛虎は強敵よ」
芺は分かったと言わんばかりに刀を構え直す。呂剛虎は腕の調子を確かめるように動かしてから、獰猛な笑みを浮かべた。そして、指をパチンと鳴らす。
その瞬間、芺達の周りに『化成体』が多数出現する。幻獣型から人型まで勢揃いだ。刹那の間に軍隊を作り上げた呂剛虎は目の前の剣士に襲いかかった。
「な……!」
「真由美さん!術者を探してください!摩利さんはその援護を!」
「お前はどうする!」
芺は発言する前に呂剛虎への対応を迫られる。協力を頼んだ手前気が引けたが、今はこうするしかなかった。これが最善だった。
突き出された拳を『圧斬り』を発動した『鬼灯丸』で弾き返し、こう叫んだ。
「こいつを抑えます!」
そして芺は『化成体』を摩利達に任せて呂剛虎に斬り掛かった。
───
芺は呂剛虎とギリギリの所で食らいついていた。切り結ぶ……相手は徒手格闘なのにも切り結ぶという表現になるのは、呂剛虎の硬い鎧と『
(これは……皮膚の情報強化か……?)
想子の流れを読み取るのに長けている芺は呂剛虎の防御の種を分析する。そして芺はいつの間にか『化成体』が襲ってこなくなっていることに気づいた。術者が倒れた訳では無い。今も視界の端でレオやエリカが戦っていた。恐らく呂剛虎が指示を出したのだろう。
(好戦的で助かったな)
芺は可能な限り間合いを取りながら刃を振るう。飢えた獣の様な苛烈さで攻め立てる呂剛虎に芺は素手の間合いに入らせない事で対応していた。それでも芺が明らかに近接戦闘において格上の呂剛虎の鋭さに追いついている、否、互角の勝負を繰り広げている事に摩利達は驚きを隠せなかった。
「芺の奴……あそこまで」
「摩利!来てるわよ!」
『マルチスコープ』で幻影の術者を探す真由美は摩利に警告する。摩利は落ち着いて三節刀で『化成体』を叩き斬った。少し視界が開けた眼前では、光に反射して黒く煌めく刃を振るう芺が呂剛虎を抑え込んでいた。
芺に限らず、柳生家の魔法師は元は古式魔法を使用していた。むしろ新陰流の魔法は今でも古式の魔法が多い。古式魔法の明確な弱点は、その発動速度だ。そこで新陰流の魔法師達は自らの身体の動きを『型』として結印を代行させて魔法を発動させることで、近接戦闘におけるCADを操作する隙と、発動速度を何とかカバーする事に成功していた。
当然その技術は芺にも備わっている。むしろ優れた処理速度を持つ芺は古式魔法とは思えないスピードで新陰流の『魔法』を放っていた。
剣を構える芺。その身体の節々に魔法式が現れる。そして迫る『人喰い虎』に向かって放たれたのは目にも止まらぬ三連撃。その魔法で制御された動きは術者の肉体の限界ギリギリの速度で放たれる。一刀目で動きを止め、二刀目で体勢を崩す。そして最後の刃で致命傷を与えるのだ。
しかし最後の刃が首に迫った呂剛虎は自らの纏う情報強化の鎧を爆発させた。まるでカマイタチの様な風が吹き荒れる。
『
彼には『化成体』の術者が倒されるまで時間を稼げばいい、そうすればエリカやレオ達の力を借りられるといった精神的なゆとりがあった。それは決して油断ではなく、この場では限りなくプラスに働いていた。
芺は、この場に限っては一人で全てを片付けようとはせず、危険な戦闘に仲間を巻き込もうとしていた。それを無責任なやり方と取るか成長と取るかは人次第かもしれないが、恐らく彼の親しい友人は望ましい成長と受け取るだろう。
(見つけた!)
真由美は物陰に潜むテロリストの姿を発見する。間違いなくそれは幻影の術者だった。真由美はそこに座標を指定し『魔弾の射手』を放つ。術式の展開に意識を割いていた敵の魔法師は反応さえしたが対抗手段を講じることが出来ずに直撃を受け意識を失った。
それと同時に幻獣型の『化成体』が形を失い霧散する。真由美は思わずガッツポーズを浮かべた。しかし
「真由美!後ろだ!」
「え!?」
真由美は抜群の反応で背後に迫る
「そんな!術者は倒したはずなのに……まさか!」
「真由美、恐らくもう一人同じ類の術式を展開している奴がいる!」
「分かったわ!」
摩利は数こそ少なくなったものの、まだ行く手を阻むには十分な数の化成体に再度攻撃を始めた。
芺の黒く点滅する刃が素手の呂剛虎と火花を散らす。そして芺の身体に魔法式が表出し、鋭い縦振りが呂剛虎を叩き切らんと振り下ろされた。しかし芺の一刀は呂剛虎を捉えきれなかった。余裕を持って身を躱した呂剛虎は隙を見つけたと言わんばかりに振り下ろした格好の芺に肉薄する。
これは新陰流の剣術の仕組みに気付けなかった呂剛虎の落ち度である。振り下ろしを外す事が
「ぬうぅ!」
「はぁ!」
しかし相手も近接戦闘において世界十指に数えられる手練中の手練。鍛え上げられた巨躯は筋肉だけで身体を後ろに動かしたが、未だそこは芺の間合いだった。
呂剛虎の肩口から赤い血が迸る。彼の纏う呪法具・
この一連の攻防を決定づけた芺の剣術は『逆風』。この魔法は元より新陰流の剣技として古くから伝えられていたものを魔法に落とし込んだ種類の古式魔法である。
呂剛虎の雰囲気が変わる。肩から腕にかけて血を滴り落としている呂剛虎の顔が、獰猛で好戦的な笑みから冷徹な人を喰らう獣の顔へと変貌した。彼はとてつもないプレッシャーを放つ。ほとんど殺気を見せず気配を悟らせない芺とは対極の圧。殺気で敵を圧倒し、押し潰す。刀で言えば『殺人刀』と呼ばれるに相応しいオーラだった。
身体を大きく見せるような構えから呂剛虎は突進する。彼の身体は幾重にも重なる情報強化により防御されていた。
芺は警戒心を最大限に引き上げて待ち構える。その瞬間、呂剛虎の姿が視界から消え去った。驚いたのは一秒未満。芺はすぐにその種を見破った。しかし、その隙はこの戦闘において無視できない大きなものだった。
(これは、鬼門遁甲か……っ!)
突如として目の前に出現した呂剛虎の拳を、半端な体勢で受け止める。力を逃がし切れず隙が生まれたところに強烈な蹴りあげが迫った。これが芺本体を狙うものであれば強引にでも避けただろう。しかしそれは芺の身体を狙うのには遠すぎるように見えた。そのため身体に大きな負担をかける強引な移動魔法による回避を芺は咄嗟に取れなかった。
彼の目測は正しく、呂剛虎の健脚は芺の肉体を捉えなかった。しかし代わりに、芺の手から愛刀が弾き飛ばされる。剣士の魂である刀を落とされない訓練を積んでいなかった訳では無い。ただ呂剛虎の蹴りの威力が芺の力を上回っただけであった。
剣が芺の遠くでカランカランと音を立てて落下する。当然、バックステップを踏んだ芺の手には剣は握られていなかった。
その音は周りで化成体を倒し続ける摩利達の耳にも聞こえただろう。咄嗟に振り向くとそこにはもう既に笑みを捨てて目の前の剣士を打ち倒すべく鬼のような形相で突貫する呂剛虎の姿。そして得物を失った芺の姿があった。
摩利から声にならない声が上がる。
呂剛虎は生粋の軍人である。好戦的な側面こそあれ、彼は与えられた任務に全力を尽くす男だ。今回の侵攻においても彼は魔法協会を落とすべく最前線に加わり、防衛にあたる魔法師を蹂躙していた。
途中から現れた第一高校の生徒も全力の彼にとっては負ける相手ではない。敵の酸欠を狙った攻撃には肝を冷やしたが、掴んだ幸運に感謝していた。
しかし次に現れた剣士は他とは一線を画していた。魔法力はあの女子生徒と変わらないが、近接戦闘力がこの水準に達している子供がいる事には驚いた。楽しめる相手だと思ったが、一度完全に斬られた所で彼の認識が変わった。目の前の男は自分を倒し得る男だと。
隠し球の『鬼門遁甲』を使い勝負に出る。予想外の速度で勘づかれたが、敵の得物を落とす事に成功した。本体を狙わなかったのは確実に外堀から埋める必要のある相手だと判断したからだ。
もちろん剣を拾う隙など与えない。呂剛虎は再度拳を握り締め、目にも止まらぬ速さで殴り掛かった。ここで呂剛虎は勝ちを確信した。
芺は冷静だった。突き出される拳を弾く手段は無いにも関わらずだ。周りの仲間も何とかして助けに来ようとしているだろうが、もう間に合わない。
そして、その必要もなかった。
芺は眼前に迫る拳に対し、右半身を引きながらその勢いを利用して手前側に重心が向くよう呂剛虎の腕をはたき落とした。その際に芺は顔を顰める。呂剛虎の腕に触れた瞬間まるでカマイタチに触れたかのような裂傷を負ったからだ。(芺の篭手は剣道で使うような内側が空いているタイプである)
しかし、それで止まるような精神は持ち合わせていない。
防御体勢に入ると思っていた呂剛虎は虚をつかれ、反応出来ずに前のめりに倒れそうになった。次の瞬間、呂剛虎は顔面に脳を揺らす一撃を受けた。
芺は下がってきた呂剛虎の顔面に、引いた半身の分、地面を揺らすような踏み込みから身体を開くようにして強烈な掌底をお見舞したのだった。魔法の介在しない、単純な肉体と技術による一撃。それは呂剛虎に痛烈なダメージを与えた。
呂剛虎の誤算は相手が剣術だけを得意としているわけではなかった事。勝負を急ぐあまり可能性を無視した結果とも言える。
そして
顔面に痛烈な一撃を受けたはずの呂剛虎はニヤリと笑う。それは思わず出てしまった捕食者の笑み。計算外と幸運の入り交じった複雑な心境が笑みとして表出したのだ。
芺は瞬時に悟った。今のは完全に
(力負けか……!)
呂剛虎は掌底を食らった姿勢のまま芺の両手を掴む。呂剛虎の纏う『
蹴りの反動で後ろに下がった芺は、迫る呂剛虎に対して片手を前に、身体を開いて半身を下げる。そして呂剛虎と激突するかと思われた瞬間、芺の肘、胴、脚に魔法式が現れた。発動されたのは柳生家の秘伝である『
しかし芺が一連の攻防で息を整える間に、炎の中から顔面から血を流した呂剛虎が現れた。
その視線の先には両手から血を流す芺。そしてその左手から篭手型のCADが滑り落ちた。どうやら腕と固定する部分が破壊されていたらしい。剣を取りに行くにも場所を把握していない。伸縮刀剣型CADは呂剛虎の方面だ。『舞踊剣』もこの局面では隙が多すぎる。そして徒手格闘で勝負しようにも篭手無しでは大きなハンデを背負う事は避けられなかった。
(やむを得んか……)
芺はまだ諦めを見せていなかった。傍から見れば空元気、覚悟を決めたようにも見えるその態度は呂剛虎を満足させるものだったのかもしれない。先程と何ら変わりない速度で呂剛虎は走り出す。芺はこれでもかなり消耗させている自信があったがそれを見せない呂剛虎に素直に感心を覚えた。突き進む呂剛虎に向かって芺は手をかざす。そして……
「はあああああーーーーっ!」
「
二振りの刃が左右から呂剛虎を襲う。近接戦闘での連携は難度が高い。下手に連携して行動に遅延が生じるなら一人ずつの方が戦力が落ちなくて済むからだ。しかし二人は偶然か必然か見事なコンビネーションだった。芺はまたまた戦闘中にも関わらず感心しながらすぐさま援護の魔法を飛ばす。芺は特化型のCADを抜いて『不可視の弾丸』を放った。情報強化は意味をなさない圧力が呂剛虎を襲う。しかし呂剛虎はそれでは抑えられないのは分かっている。レオとエリカを後退させるためだ。二人はバックステップで芺の目の前に立つ。
「ごめん芺さん、遅くなっちゃった」
「大丈夫かよ先輩、その怪我……」
気が付くと周りにいたはずの『化成体』がほとんど消えていた。新たに追加は無くなってきている。どうやら敵の術者も消耗が激しいようだ。
「構わん。怪我は……楽観視は出来んな」
芺の言葉を聞いて溜息をつきかけたエリカが作戦を聞く。
「どう攻める?正直、私達だけで崩せる相手じゃない」
「どう攻めるったって……先輩なんかねぇか?」
芺は一瞬考え込む。二人の力を借りられるなら勝機がまだある事に気が付いた。それも彼の奥の手があってこそだが。
「もう一度大きな隙ができれば仕留めてみせる……しかし」
芺は自分の手と篭手を見る。呂剛虎は遠距離戦を不得意とする芺が遠距離戦で勝てる相手ではない。しかし近接戦闘を挑むには篭手のない左手を使えないのは大きすぎるハンデだ。痛みによる無意識的な行動の遅延は二重の意味で無視できるものじゃない。芺は数瞬ならそれも可能だが、勝負を決めるまで出来るかと聞かれると無謀な賭けだと言わざるを得なくなる。
その様子を見てエリカが簡単そうに一言。それに対し芺は懐疑的な表情で確認を取った。
「……いいのか?」
「まぁ俺は構わねえけどよ」
「じゃあ決定ね」
「エリカ」
芺がエリカに呼び掛ける。エリカが立てた作戦では一番危険なのはエリカだ。それは自己犠牲などではなく単純に勝てる作戦を立てた結果だが、同時に芺が心配するのは予測していた。エリカははいはい分かりました、というセリフを吐きかけて──
「お前ならやれる。頼りにしているぞ」
もしかしたらエリカは間抜けな顔をしていたかもしれない。嬉しそうな顔をしていたかもしれない。それを見せない為にもすぐにエリカは前を向いた。芺はそれをやる気に満ちた様子と受け取ったのか、何も言わず呂剛虎を見据える。レオは“なんでコイツこのタイミングで顔が赤えんだ?”と思っていたが、何故か口に出してはいけない気がしたため何も言わなかった。
「じゃ、後は任せます」
エリカは芺にそう言って『大蛇丸』を掲げて斬り掛かる。呂剛虎がこちらを意識しなくなったタイミングで芺はレオと共に
芺は右手で呂剛虎に殴り掛かる。それを受け止めた呂剛虎はニタリと笑い猛攻に出た。芺は避けながら機を伺う。防御に使っているのは右手だけのため、芺が押されているのは明白であった。──好機だった。
「『
芺は呂剛虎の拳を、レオの硬化魔法の恩恵を受けた
そして空いた腹。カマイタチの様な攻撃を受けない箇所に右の拳を当てる。対象に触れればその対象の干渉力は弱まる。芺は自分の卓越した干渉力でもって衝撃の瞬間に無系統のノイズとなる想子を送り込んだ。それにより呂剛虎が纏っていた情報強化の鎧は外からもたらされた歪な──外部からの想子によりボロボロの虫食いのような状態となる。
続いて芺は鋭い踏み込みと共に強烈な発勁を放った。高密度の想子を纏うその技は『想子発勁』。いずれ正式な技術として昇華させるつもりだが、今はこの名称を使っていた。
そして、この二連撃により、呂剛虎の防御は消え去る。歪な情報体に出来た穴に強烈な想子を流し込む事により敵の魔法を吹き飛ばし無に返す。芺がとある天才技術者の助けを借りて作り上げた魔法だった。その名も『
(達也君には世話になってばかりだな)
防御の為の魔法を吹き飛ばされた呂剛虎。しかし呂剛虎は相手の筋力では自分を仕留め切れないのは理解している。厳密に言えばあの怪我で再度あの威力の攻撃を放てば反動を無視できない。呂剛虎は戦闘のうちに芺の利き手が右手である事を察知していたため、篭手もない芺の攻撃を一度受けて反撃する心積りだった。
芺も分かっていた。先程と同じように攻撃をしても呂剛虎は仕留められない。怪我がある上に何より素手ではまた単純に威力が足りない。しかし、
「『
ガントレットに覆われた芺の無骨な拳は呂剛虎の顔面を捉え、呂剛虎の身体は問答無用で宙を舞った。洗練された八極の踏み込みと、ガントレットを装備した芺の捻り込むような拳は呂剛虎の脳を揺らした。地面を転がる呂剛虎の意識は起き上がろうとするが、身体がそれを許さない。先程の一撃を受けてまだ気を保っているのには驚きを通り越して呆れるが、芺は最後の締めに入った。
芺は、地面に倒れているが気力だけで立ち上がろうとする呂剛虎の頭を鷲掴みにする。芺は
(悪いな、呂剛虎)
周りの人間からは芺が何らかの魔法を放った事しか分からなかった。それは芺の
その魔法を受けたであろう呂剛虎は、芺の手から滑り落ちるように地に倒れ伏す。まだ息はあるようだが、意識を失い完全に沈黙していることは簡単に見て取れた。
誰の目にも明らかな、芺達の勝利だった。
───
それとほぼ同時期に横浜ベイヒルズタワーの魔法協会支部では、深雪達が大亜連合軍特殊工作部隊隊長の
これを最後に第一高校のヘリに乗っていたメンバーの長い一日は終わりを告げる。
彼らがその日、最後に見たのは、遠くの沖で大亜連合の艦艇を消滅させた戦略級魔法、『マテリアル・バースト』のもたらす破壊の光だった。
───
十月三十一日──『灼熱のハロウィン』として後世において人類史の転換点と評される事となったこの日は、軍事史の転換点であり、歴史の転換点とも見做されている。
機械兵器とABC兵器に対する、魔法の優越を決定づけた事件であり、魔法こそが勝敗を決する力だと、明らかにした出来事。魔法師という種族の、栄光と苦難の歴史の、真の始まりの日であった。
伊調です。アニメ準拠で始まったこの小説も遂にここまで来てしまいました。ここから先は来訪者前編〜中編までは漫画に、そこから先は原作(小説)に沿って話を進めていく事になります。
劇場版についても、春休みのお話ということで来訪者編の次に書こうと考えています。
来訪者編は、恐らくこの作品で一番の転機といっても過言ではない章になると思われます。生憎と言ってはなんですが、私の趣味全開の内容になるので、寛大な気持ちで見ていただければ作者が嬉しい気持ちになります。
それと、ここまで読んでくださった方にはこの場を借りて感謝を述べたいと思います。少しでも皆さんの娯楽や暇潰しの足しになっていれば幸いです。伊調でした。