第五幕
これは本編より少し先のお話……二〇九六年一月某日──街中のホテルの影で一人の男が息を潜めていた。彼は今とある超法規的任務の最中である。国家に牙剥く魔法師を粛清する
「対象のホテル入りを確認しました」
「了解。通信を待つ」
鼻から下を隠す面を付けた男は通信機越しに返答する。夜の中で目立たぬよう黒い装束に身を包んだその男は不自然な姿をしているが、周りを歩く人々は誰一人として不審がらない。それどころか視界にさえ入っていないようだった。
「相変わらずの精度ですわね」
「恐縮だ、ヨル殿。どちらかと言えばそちらの『極致解散』の方が役立っていると思うが」
「……その呼び方はどうにかならなくて?」
話しかけられた男は至極当然といった様子で褒める。突然の賞賛に対応出来なかったヨルは話題を変えた。
「
その男の傍に立つゴスロリ風の洋服を着た少女はフンと鼻を鳴らすようにしてそっぽを向く。
待機しているとサングラスと黒服に身を包んだ男が『ヨル』と呼ばれた少女に何やら報告をする。
「
「了解した。いつでも構わん」
「殺しはダメですよ」
「ああ」
ウツギの言葉を待ってヨルは『擬似瞬間移動』を行使する。その瞬間、ウツギはまるで瞬間移動したかのように数十メートル上空のホテルのベランダの前に出現した。慣性を利用して身を翻し、ベランダに着地したウツギは素早く実行に動く。
部屋とベランダを隔てる窓は力づくで開け放たれる。それに気付いた粛清対象の魔法師も、自分の立場からいち早く状況を察知した。が、ウツギ相手に
ウツギは粛清対象の顔面を鷲掴みにして、床に叩きつける。
「眠れ」
それだけで粛清対象の魔法師はピクリとも動かなくなった。もちろん殺してはいない。気を失っているだけだ。しかし異変を察知したボディーガードらしき大柄の男二人が部屋に侵入してきた。その部屋に入って来た男が最初に視界に捉えたのは、こちらに向かって直進する鋭利なナイフだった。
眉間にナイフが突き刺さった男が後ろに倒れる。それをもう一人のボディーガードが払い除けた瞬間、目の前には鼻から下を面で隠した男が迫ってきており、その男が持つ刃は既にボディーガードの心臓を貫いていた。粛清対象者は生け捕りの命令だが、それの障碍となる人物には特に制限はない。ウツギは自らの得物に付着した血液を拭き取り、秘匿された信号を発信した。
程なくして数人の黒服が現れる。もちろん敵ではなく、後始末を行う部隊だ。少しの時間ウツギは待っていたが、それも彼の任務の遂行がスムーズすぎたためだ。
「ウツギ様。お疲れ様です」
「はい。後は頼みます」
任務中の仰々しさが抜けたウツギは、血を落として貰ってから普通に部屋から出ようとする。
「ウツギ様、どちらへ?」
「このまま入口から帰ります。ヨル殿と顔を合わせてからですが」
「は、はぁ……」
黒服はその格好で出歩く気かと問いたかったのだが、ウツギの能力を思い出してすぐに合点がいったような顔をした。
ウツギはそのまま誰にも認識されることなくホテルの入口から出てヨルの元へと向かった。
「キャッ!……びっくりさせないでくださる?」
「脱出するという趣旨の通信はしたはずだが」
「ベランダから飛び降りる手筈だったでしょう?普通に歩いてくるなんて聞いていませんわ」
「それは済まなかった」
ウツギは言葉ではそう言うがほとんど反省の色が見られない。
「はぁ……ですが任務は完璧でしたね。既に回収も済んだようです」
「さすがは『黒羽』だな。では、ご当主様にもよろしくお伝えしておいてくれ」
「はい。この後どこかへ?」
「ああ、少し調べ物をな」
「そうですか。本日はお疲れ様でした」
「ああ、亜夜子もお疲れ。文弥にもよろしく頼む」
黒装束を黒羽家の黒服に渡し、私服となったウツギはそのまま夜の海に消えていった──