魔法科高校の副風紀委員長   作:伊調

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第四十三話

一月二十四日──芺が行方不明になってから一週間が経過したが、千葉・柳生・吉田の捜索隊はなんの手掛かりも得ることが出来ていなかった。柳生家にとっては茅の行方もしれず、いよいよ厳しい状況になってきていた。

 

「彩芽」

「……はっ!何用でございますか」

 

今回の事件の捜索において、現当主の補佐に当たっていた竜胆は、同じく芺の側近的立場だった彩芽に声をかける。

 

「少しばかり休め。これ以上不眠不休の捜索は危険だ」

「いえ、それには及びません。適宜休憩を取っています」

「自室に変わり身を残してか?」

 

その発言に彩芽は肩を震わせる。竜胆の言う通り、彩芽は変わり身を残して休んだフリをしてずっと捜索に勤しんでいた。それを裏付けるように見るからに彩芽には疲労が見えた。

 

「休んでいる暇など、私にはないのです。仕える主のいない私に価値は無い」

「もし調査中に敵性組織との戦闘になったらどうする?その状態で戦うつもりか?」

 

竜胆のもっともな指摘に、彩芽は半ば意地を張るように反論する。

 

「私は全く戦闘訓練を受けていない訳ではありません。若様に稽古をつけていただいたこともあります。ご心配には及びません」

「……どんな理由があれ、若が倒れされたのだぞ。お前が敵う相手ではない」

「ですが……っ!」

 

続けて反発しようとした彩芽の首に、竜胆はどこからともなく取り出した刃を突きつける。身体的な技術の『縮地』だった。

 

「これにさえ反応出来んようでは、後は分かるな?」

 

彩芽は身体から力が抜けたようにへたり込む。この問答で体力をかなり減らしたらしい。

 

「私は……」

「若はお前が身体をすり減らしてまで見つけてくれることを望んではおられないはずだ。あの人は自らの為に誰かが犠牲になるのを何より嫌われておる」

 

竜胆はそれがどれ程アンバランスであり、芺の勝手かは理解した上でそれを尊重していた。柳生家の皆もそれを理解しているため、芺を慕うものは()()にならないように力を付けているのだ。

だが彩芽の様は、既にその度合いを超えていた。

 

「一日ゆっくり休め。しっかり体調を回復してから捜査を再開するように。他の者達も同様だ」

「……っ、はい」

 

ほとんど手がかりが出ずに五日目。捜索隊の疲労はピークに達していた。それもそうだろう。芺はあの四葉の保護下にいるのだから。

 

───

 

四葉の研究者達は、近頃都心を騒がせている『吸血鬼事件』の犯人を、早期段階から『パラサイト』として調査していた。『パラサイト』と呼ばれる精神体に対して、サンプルが一つ手に入ったことから四葉の『パラサイト』に関する研究はかなりの進捗を見せる。

ただ、その中で一つ研究者達の懸念材料を述べるとすれば、『パラサイト』の研究を命じた真夜の真意が一向に分からないことだけだった。

 

同時に、四葉の研究所では芺の治療が行われていた。外傷は『治癒魔法』でどうにでもなる。所々に火傷跡は残るかもしれないが、骨折や打撲は今後日常に支障をきたさない程度まで回復することが予測された。

未だ回復していないのは、芺の意識だけだった。分析の結果、()()()()()()()()に多大な負荷を受けていることが確認された。どうやらオーバーヒートと似通った症状のようで、霊子を鋭敏に知覚する『眼』を持つ芺が霊子の塊のような『パラサイト』を見た事に起因すると推測されていた。

芺の容態は、時々うなされるように苦しむ様子が見られるため、目覚めは近いとされていたが、昨日までその兆候は見られなかった。

 

自分も一人の精神干渉系の術者として、芺の治療と分析に携わっていた茅──火夜はずっと芺を見守っていた。今すぐにでも代われるものなら代わってやりたい──火夜はガラスの奥で時たま苦しそうに顔を歪ませる芺を助けてやりたかった。彼女の願いはそれだけだった。

 

──

 

──自分の勝手で生まれた『凡才の剣術士』に、火夜はずっと謝りたかった。何も聞かず自分を守ってくれた鉄仙と恋に落ち、産まれた子供は柳生家の子として育てるつもりだった。四葉として育ってきた火夜は、同じ生活を自分の子にさせるという事にずっと引っ掛かりを覚えていたのだ。世界に唯一の『精神構造干渉』を使用する深夜、そして『流星群(ミーティア・ライン)』と言われる固有魔法を駆使する真夜。それに比べて、『広域精神干渉』というなんともパッとしない異能を持って生まれた火夜は、四葉の当主候補筆頭として育てられた姉達とは違い、幾分か()()の感性を持って育てられた。その時から真夜には大層可愛がられていたらしい。自分のような道は歩ませたくないといった風に──

 

国家の裏で超法規的な任務を遂行し続ける四葉で育った火夜は、そんなものとは無縁とはいえないが、それよりかはある種非常に一般的な生活を送れる柳生家での生活に幸福を感じていた。

そして生まれた子供も、可能ならばこの世の()は知らせず、それらは全て自分と鉄仙が肩代わりするつもりでいた

しかし、現実はそうは上手くいかなかった。産まれてきた子は母の四葉の色を強く残し、同時に父の中に眠る『八』の力を半ば先祖返りかのように有した男の子だった。剣道の──柳生家としての才能は持ち合わせていなかった。

 

柳生茅として第二の生を謳歌していた火夜は、早くも躓くことになってしまった。

 

最初はとても悔しかった。自分を呪った。四からは、数字からは逃れられない──でも、自分の息子が『四』に縛られるのだけは避けたかった。全力で守ろうとした。親バカと言われても関係ない。全力で愛を注ごうとした。力を持って──他人に恐怖を植え付けるには十分すぎる力を持つ息子が道を間違えないように。

 

しかし、その子育ては存外に上手くいった。正直言って拍子抜けしていた。生まれた息子は驚くほど順調に柳生家の剣士として育ったのだ。剣道の才能は無いが、鉄仙が手塩にかけて育てた。息子本人もそれに応えるように鍛錬に没頭して行った。中学までほとんど自由時間を与えれなかった──与えても鍛錬に費やしていたのは親として少し心配だったが、とても仲間思いのいい子に育ったと我ながら思う。

 

彼から──血の匂いが、四葉で嗅いだ濃密な死の匂いがしてくるまでは。

 

───

 

ふと、身体を揺さぶられる。どうやらずっと芺の事を考えていたらしい。声を掛けられても気付かなかった。

火夜は知っていた。芺が四葉の命を受けて任務に励んでいる事を。それが、自分の姉に柳生家に手出ししない事を条件に飲まされた約束である事も。しかし、火夜は止められなかった。否、気付いた時には遅かった。

 

守ろうとした息子に、ずっと守られていたことに気付いた茅は、それを認めたくなかった。自分本位だということは苦しい程分かっている。何度、幾度となく懺悔しようとした。楽になろうとした。自分の勝手で産んだ子が、四葉の血が通っているというだけで、裏稼業に加担させられている事にどれだけ謝罪したかったか。

 

でも、謝れなかった。謝っても楽になるのは自分だけ。それで芺の()()が終わる訳が無い。茅は真夜に小さい頃から可愛がられていた。その分、彼女の精神性をよく熟知していた。それならば、一生この罪悪感と共に生きよう──茅はそれさえも自分のためという側面を理解しながら、そうする事を決めた。

 

「火夜ちゃん、火夜!」

 

火夜はふと、真夜の声で我に返る。そこはもちろん四葉の研究施設。目の前には白い寝台に寝かされ魔法的な分析が行われている芺。そして同施設には芺が()()()()パラサイトという精神体?情報体がいるらしい。

それはともかく、何かやけに研究者、魔法師達が騒がしい。何か重大な事件が起こったような──

 

「姉様、どうかしたの?何やら皆忙しないようだけど……」

「……言い難いのだけど、この施設で研究していたパラサイトが突如覚醒したの。拘束されていた肉体を爆発させて、()()だけが解き放たれたわ」

 

パラサイト──火夜にとっては最愛の息子を重症を陥らせた仇敵とも言える存在。だがそれの解放が自分となんの関係があるのか、それが分からなかった。

 

「そして、解き放たれたパラサイトは真っ直ぐにここに……芺さんの元へ向かっているそうよ」

 

火夜の顔色が変わる。今にもパラサイトを迎え撃たんとしているかのようだ。

 

「それを抑えればいいの?」

「ええ──今は現地にいた方達が何とか抑えているけど、弱っているから対抗出来ているわ……言わばジリ貧ね。そのうちパラサイトが本調子になれぼ押し切られると思うわ」

 

真夜曰くパラサイトが完全に解き放たれるか、応援が来るかどうか先かといった状況だそうだ。

パラサイトが芺の元に向かっている──火夜はパラサイトの事を熟知している訳では無い。しかし、今起きている吸血鬼事件の犯人である可能性が高いこと。そして人の身体に取り憑く事が出来ること位は知っていた。パラサイトは、芺に取り憑こうとしているのは明白だった。恐らく意識のある人間に取り憑く程の余力が無いのだろう。近くにいる一番弱っている人間といえば、芺しかいない。そしてそれは、何としてでも阻止しなければならなかった。

 

火夜はここに来てから、ほぼ不眠不休で芺を観察している。元から体調を崩している上、かなり身体はボロボロのはずだが、彼女は倒れていなかった。それもそうだろう。既に精神の方がよっぽど摩耗していた。大事な門下生を一人失い、次は最愛の息子が失踪。見つけたと思えば、大きな傷を負って目を覚まさない。もし肉体の損傷だけならよかった。

しかし芺は脳に──魔法演算領域に大きなダメージを受けている。魔法演算領域のオーバーヒートに似た症状だそうだ。その症状に陥った者がどうなるか、魔法師……それも四葉である火夜はよく知っていた。

かの十文字家の当主はオーバーヒートにより長く表の舞台に姿を現していない。そして、既にこの世を去った姉──深夜のガーディアンである桜井穂波も魔法演算領域のオーバーヒートにより命を落としたそうだ。

 

今回の芺の症状は、霊子を鋭敏に知覚する『眼』で霊子の塊ともいえるパラサイトの()()を視認したことに起因するらしい。その状態で無理に魔法を行使したせいで脳に多大な負担がかかったそうだ。

 

そして、前例の通り魔法演算領域のオーバーヒートを起こした者は一命を取り留めても、魔法を使うのは厳しいと知っている。知識として理解している。しかしそれを認めたくはなかった。何故なら芺は自分のせいで剣道より魔法が得意になっていると言っても過言ではない。その上、彼から魔法を奪うのは、今までの彼の剣術士としての積み重ねを否定するのと同義だった。

親として、それは認められなかった。

 

目覚めさえしてない息子の目覚めた後の事を考えていた火夜が使った時間は、時間にして五秒もなかった。真夜に訝しげな顔をさせるには十分だったが。

 

「ごめんなさい。姉様、私がパラサイトを抑えればいいのね?」

 

火夜はそう言って返事を待たずに手首に装着しているCADをサスペンド状態から解除する。完全な臨戦態勢となった。

今の火夜にとっての行動理念は芺の回復だけだ。そのためなら彼女は無辜の民を殺戮する事さえ平然とやってのけるだろう。今の彼女には余裕が無い。他人の心を考慮する余裕が残っていないのだ。その程度には彼女も不安定な状態となっていた。

 

その状態でこんな悪魔の囁きを受けては断れるはずもなかった。

 

「茅……芺さんの病状はよく分かっているわね」

 

──当然。

 

「なら、回復の見込みが薄い事も理解しているのでしょう?」

「……」

 

火夜は──茅は無言で姉に抗議の目線を向ける。そんな事は()()()()()()()()()()()()。何故それを脈絡も無く今ここで言うのかの方が疑問だ。

 

「そう睨まないでちょうだい。……話を戻すわ。ここでパラサイトが研究されていたことは知っているでしょう?」

 

──それも知ってる。そのパラサイトとかいう存在のおかげで今は最愛の息子が危険な状態に陥っているのだけど。

 

「その研究過程でね……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「……っ!それはどうすればいいの!!??そのためなら私なんだってするから!教えて姉様!」

 

茅は急激に態度を変え、今にも真夜に掴みかからんといった様子で尋ねた。真夜はそれに対して心底言いづらそうに答える。

 

「落ち着いて聞きなさい。この方法は芺さんを大きな危険に晒すあげく、成功例も無いものよ。確率も全く保証出来ないわ」

「とりあえず方法を教えて!それから考える!」

 

真夜は一呼吸置く。この条件を提示するのが心苦しいかのように。

 

「──芺さんに、パラサイトを憑依させるのよ」

 

茅は一瞬、言葉を失った。耳を疑った。しかし聞こえた言葉を聞き間違いだと反芻する度に、現実味が増してくる。

 

「現地で回収していた者達の報告と、その後の研究結果からパラサイトが人を超越した再生力を持っていることは明らかよ。加えて想子波動に対する強い耐性も。その両方を持ってすれば、肉体の損傷も、脳へのダメージも回復する可能性が高い」

「そんな……っ」

 

そんな事はしてはならない。理性が訴えていた。芺を目覚めるかどうかも分からない重症に追い込み、門下生の命を奪った得体の知れない精神体に取り憑かせれば、芺は助かるなんて。()()()()()()()()()()()()言語道断のはずだ。

 

「私達も魔法演算領域のオーバーヒートについては長年研究を重ねてきたけど……芺さんの場合は少し特殊だから。それに、成功率を上げる方法もあるわ」

 

茅は無言で続きを促す。真夜はもう一度呼吸を置いて、ゆっくりと続けた。

 

「パラサイトには魔法が効きます。それは精神干渉系魔法も同様よ。そして、ここにいる術者を総動員して、パラサイトを抑え込みます。もちろん貴方も」

「方法はこうよ。まず忠誠術式を打ち込みます。対象はパラサイトから芺さん。隷属魔法を組み合わせて、最後は弱り切ったパラサイトを芺さんに取り憑かせる。工程はこれだけよ」

「でも、それじゃ……」

 

取り憑いた後、パラサイトを抑え込むのは芺だ。芺の精神が、パラサイトに屈したら──

 

「もし治療が失敗して、芺さんの自我が消えたらその時は──

 

 

()()()()()()()()()()()()()()

 

文字通りの生か死か。そしてその大部分は芺ではない他人が担う。失敗すれば状況は悪化する。そして前例もない。博打というのも程遠い。ダメ元の自殺行為。

 

「私は……」

「お願い、茅。芺さんを回復するにはこれしかないの。力を貸してちょうだい」

 

人間的な生活を捨ててまで芺の事を想っていた茅。彼女は平静ならば頷くはずのない頼みに、彼女は力添えをする事を決めた。全ては芺の完全回復のために。

 

茅は涙を堪えるように下を向いて歯を食いしばっていた。

 

「……分かった」

「ありがとう。このCADを使いなさい。必要な術式は入っているわ」

 

茅は真夜が差し出したCADを無言で受け取り、元から着けていたCADを投げ捨てる。彼女にはCADをサスペンド状態に戻すという選択肢が煩わしく感じる程度には余裕を失っていた。

 

(お願い──芺。目を覚まして。化け物なんかに負けないで──)

 

何とも自分勝手な願いか、茅にも分かっていた。助ける為に、危険な目に遭わせる。それが矛盾した行動だと分かっていても、止められなかった。茅に出来ることは祈る事だけだった。

 

 

その様子を、茅が決意を固めた様子を……『極東の魔王』は妖艶な──邪悪とも取れる笑みを浮かべて見守っていた。

 

───

 

霊子の塊であるパラサイトと、それを抑える為の魔法。対抗するパラサイトが撒き散らす霊子や想子の嵐。それは魔法師である者なら簡単に知覚する事が出来た。

 

芺も例外ではなかった。

 

──目が痛い。頭が痛い。身体が痛い。意識が覚醒し始めた芺は、まず痛覚、触覚を自覚した。

 

──()が酷い。ここはどこだ。声も僅かに聞こえる。次に聴覚。視覚はほとんど機能していない。

 

芺は目覚める気がなかった。二度目はないと思っていた。その覚悟で魔法を行使した。

だが、彼の意に反して、彼は目覚めた。否、呼び起こされたに近しい。芺をこちらの世界に引き戻したのは、偏に……愛する家族の声だった。

 

──母上。

 

機能を失っていない耳が周りの状況を伝える。鋭敏な感覚が周りの状況を伝える。

自分をここまで追い込んだ、あの得体の知れない何かが付近にいる。こちらに向かってきている。何をする気かは知らんが、ろくな事ではないだろう。

 

──いっそ、殺されるのならそれも良かった。

 

芺は既に一度諦めている。今後は目も見えなければ、魔法を使う度に激痛が走るだろう。身体も満足に動かせない。もちろん剣も振るえない。誰も護れない。むしろ護られる日々……その状態での生に意味を見出す事は難しかった。

 

「芺君!!芺……っ!!!!」

 

その声を聞くまでは。

 

見えない目で声のした方を向く。そちらはスピーカーだったが、間違いなく今、芺に意識がある事が真夜と火夜には理解出来た。

 

「……これは予想していなかったわ」

「姉様!芺が!芺が……!」

「落ち着きなさい。少しマイクを借りるわ」

 

真夜が表情を取り繕うのも忘れてマイクに顔を近づける。火夜は全く気にしておらず、今すぐ芺の元へ向かおうと研究者に物凄い剣幕で交渉していた。

 

「私よ。分かるわね?今、貴方は肉体の損傷に加えて、脳に大きな傷を負っています。厳密には魔法演算領域のオーバーヒート。まだ症状として軽い方で命を落とすには至らなかったけど……予断を許さないどころか今意識があることさえ奇跡よ」

 

真夜は極めて感情の篭っていない様子で続ける。芺の反応は待たなかった。それはもちろん、不可能だからだ。

 

「治す方法も確立されてない。でもね、今、この状況において一つだけ道がある。あなたの傷を、身体と脳を丸々回復させる方法があります」

 

真夜は言い聞かせるような口調になる。

 

「パラノーマル・パラサイト……貴方が相見えた生命体との融合。彼らは極めて高度な再生能力を有しています。それがあれば、貴方の病状は完治とは言えなくとも、最低でも魔法を問題なく使える程度には回復するという目測が立てられているわ」

 

火夜は初耳だった。もうそこまで研究が進んでいたのは知らなかったが、さすがは姉様だと思った。自分の息子のために、研究を進めてくれていたのだ。彼女は疑わなかった。

 

「危険性はもちろんあるわ。前例のないじっ……治療になります。それでも、貴方が生きたいと願うなら、意思を強く持ちなさい。パラサイトに屈してはいけません。時間はありません、パラサイトは迫っています。もし……拒否するなら、パラサイトは四葉の魔法師と火夜ちゃんがなんとかするでしょう」

 

「さぁ、選びなさい」

 

生と引き換えに得るのは、パラサイトとしての人生。いや、()生というのは不適切な表現か。

 

 

 

 

 

──そんなものは、まっぴらごめんだ。

 

芺はもう既に薄れかけている意識を、止めようとはしなかった。少なくとも知り合いの後輩を一人護れたのなら、達也君も怒らないだろう。もしレオ君がこうなっていれば、彼の同級生は皆悲しむ。達也君も深雪さんもエリカも。

そう考えれば、無駄ではなかったと言えるだろう。一度目も、二度目も、仲間を守って終わるなら悔いは無い。

 

──いや、わがままを言うなら、もう少し見守ってやりたかったかもしれない──だが、もう──

 

「芺君!!!!」

 

一際大きな声が響く。その音量に顔を顰める真夜を無視して、茅はマイクを手に取った。茅は我を忘れて子供のように呼びかける。

 

「芺!!お願い!諦めないで!皆待ってるんだよ?竜胆さんも、彩芽ちゃんも、鉄仙さんも、紫苑君も、私も!」

 

茅の悲痛な声が聞こえる。肉親のこんな声を聞いたのは初めてだった。

 

「芺君、護ってくれるって言ったじゃない!皆を護るために強くなるって……!」

 

違う(そうだ)。芺は否定する。

 

「ここでやめたら、もう皆と会えないんだよ?」

 

それでいい(そうだ)。芺は揺れる。

 

「皆を護るため強くなった貴方が!皆を悲しませちゃいけないでしょ!」

 

構わないだろう(そうだ)。芺は言い聞かせる。

 

「生きる可能性を蹴ってまで死ぬなんて、そんなの馬鹿らしいよ!お願い、芺……っ!生きて……っ、皆を護って!!!」

 

──そうだ。

 

 

 

 

 

 

俺には──まだ、残る理由がある。

 

 

 

芺は生と死の狭間で、生に縋りつく事を選んだ。それがどれほど不格好で、倫理に反する事だろうが関係はない。芺は自らの中に眠る庇護欲とも言える強い衝動を自覚した。

 

警報と共に、研究員の声が聞こえる。

 

「パラサイト、抑えきれずにもうすぐそこまで来ています。準備は出来ています!捕獲でも融合でも直ぐに動ける状態です!ご命令を!」

 

「パラサイトと融合するにあたって必要な処置は全てこちらが担うわ。貴方は、ただ強く、自我を明け渡さないように。貴方がもしその気なら、パラサイトを屈服させなさい」

 

マイクから無機質に語る真夜に対し、芺は返答の代わりに魔法発動の兆候を見せる。パラサイトの力を抑えたあの魔法だ。あれ程の出力は出せなくとも、鈍らせる程度のことは出来る。

 

「パラサイト、出現します!3……2……1……来ました!」

 

魔法師はある程度霊子を知覚できる。確かに美月や芺の様に鋭敏な感覚を持つ者もいるが、それはごく稀だ。しかしそれだとしても、そこに()()がいる事は分かった。

解放された際に知覚されたパラサイトは、どこにいるのかがよく分かった。皆がパラサイトに対して魔法を行使する。それはとある術式を補助する魔法。要となるのは忠誠と隷属を強いる魔法。茅が発動する魔法だった。忠誠術式により芺の意に反する事を禁じ、隷属魔法によりその意思さえ発生しないように叩き込む。パラサイトを芺に従わせるーー!

 

(お願い……!!)

 

茅は腐っても四葉の一員。『極東の魔王』の妹だ。魔法力はトップクラス。彼女の『広域精神干渉魔法』は離れた複数の対象に対して多大な効果を発揮する。

彼女は優れた干渉力で持って『忠誠術式』と『隷属魔法』を芺とパラサイトに行使する。絶対に失敗できないのは当然。これを失敗すれば芺の命を保証できないのだから。

 

茅から溢れ出す想子が止まる。同時に膝から崩れ落ちた。近くにいた魔法師が彼女を支える。彼女はほとんど意識を失っていた。不眠不休の疲労の中、全力の魔法行使のためだった。茅が薄れゆく意識の中、最後まで願っていたのは芺の無事だけだった。

 

───

 

目を開けなくても分かる。目の前に、()()はいた。しかしかなり苦しんでいるように感じる。そして縋るように、()()()が伸びてきた。人という存在を、別の何かに作り替える魔の手。それが芺に優しく、弱々しく触れた。

 

芺の中に、名状し難い異物感が入ってくる。芺は苦痛に顔を顰めた。精神を侵食し、身体を乗っ取ろうとする力に芺は必死に抗った。

 

茅はいつでも笑顔だった。剣が上達しなくても、ずっと慰めてくれた。親バカな一面はあるが、愛されないよりかはよっぽどいい。

そんな茅が、あんなに悲痛な声を上げた。自分の生を望んだ。今まで芺に何一つとしてわがままを言うことのなかった茅が、涙混じりに自らの意志を通そうとした。

それだけではない。芺は気付かされた。自分が、想像以上に周りの者達を好いていた事に。柳生家の皆はもちろん。達也に深雪、レオにエリカ、幹比古に美月、雫にほのか、後は十三束や森崎といった世話の焼ける後輩達。

沢木、服部、あずさ、五十里、千代田、桐原、壬生といった同級生。

そして真由美や摩利、十文字といった先輩。

彼らは皆護るべき存在だと思っていた。そのために芺は鍛錬を重ねていたのだ。しかし、横浜でそれは一方的であってはならないと摩利に教えられた。お互いに護り合わなければいけないのだ。それが仲間というものだと。

そこまで自分を気にかけてくれている人達と、芺はもう少し、一緒にいたかった。初めて、芺はずっと根底にあった思いを自覚した。

 

仲間達とずっと一緒にいたい──そのためには失う訳にはいかない。

 

人間を捕食し増殖する生き物(パラサイト)。それを従えるという愚行など、本来なら成功するはずもない。しかし、芺の持つ異常とも取れる覚悟と衝動が、この無謀な賭けに勝利をもたらそうとしていた。芺の持つ強い想念に、パラサイトは惹かれていた。

 

(──俺に従い、俺の一部となれ!)

 

芺の心の中での咆哮を最後に、同化は終わった。

 

(──俺は柳生芺)

(──俺に繋がろうとする声が聞こえる)

(──一つになれと同胞が囁いている)

(──だが、生憎……)

(──俺は、俺だ)

(──俺は、『俺たち』ではない)

 

苦悶の表情を浮かべていた芺の顔が、感情を失った。同時に、芺の身体の傷が急速に癒えていった。同化が終わったのだと、周囲の人間は感じただろう。そして、同時に広がる悪寒。同化は成功したように見えた。しかし、芺の自我が残っているかは不明瞭だ。

 

最悪の事態に備えて、増援に来た類まれなる実力を持った魔法師達がCADを構える。

白い患者用のローブを身にまとっていた芺がゆっくりと起き上がった。奇跡とも言える回復。火傷の痕は見えるが、骨折や打撲の様子は全く見せず、何よりしっかりと目を見開いていた。まるで虚空を見つめているような双眸だったが。

濃密な霊子を放つその男は、紛れもないパラサイトだった。

 

意識を失っていた茅が目を覚ます。彼女の目に飛び込んできたのは、間違えようのない、最愛の息子。幻ではない、完全に自力で立ち上がっている息子の姿を見て、彼女は一目散に駆け出した。

 

それに対して、目の前の男は手を大きく広げた。柔らかく笑うその顔には、皆が底知れぬ恐怖を覚えた。皆がCADを構えた。

 

しかしそれを、真夜が手で制した。

 

「芺……っ!」

 

茅が、()の胸に飛び込む。それを芺は優しく受け入れた。

 

「母上……ご心配をおかけしました」

 

芺は茅に向かっていつもと変わらぬ様子で話しかける。その姿は紛れもなく柳生芺その人だった。

人間の意志を保ったままパラサイトと同化させるなどという愚かな実験は、ここに成功を収めていた。

 


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